目次 1頁 現代医療という恐るべき大量殺人ビジネスの実態


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ノンフィクションライターの窪田順生さんが、2009年2月、「死をめぐるビジネス」を描いたルポ『死体の経済学』を小学館101新書シリーズから発売した。

納棺師を主人公にした映画『おくりびと』がアカデミー賞外国語部門にノミネートされるなど、今、「死」とその周辺が注目を集めている。本書では、そうした「死をめぐるビジネス」に密着。

「タダ同然のドライアイスで1日1万円、
つかいまわしの祭壇で100万円取られるのはなぜ?」

と、平均231万円も使われているという葬儀のカラクリに迫るほか、遺体を修復し、保存処理を行う「エンバーミング」、腐乱死体が出た部屋の清掃・消臭を請け負う「死者の引っ越し」サービスなど、リアル「おくりびと」の姿を紹介している。

著者の窪田さんは、新潟の少女監禁事件をテーマにした『14階段ー検証新潟少女9年2カ月監禁事件ー』で05年に小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した新進気鋭のノンフィクションライター。葬儀業界の取材は足かけ5年にも及ぶという。

全220ページで価格は720円。

医者と葬儀会社の恐ろしいつながり
休日に合わせて患者を殺す医者の実態を葬儀屋が大暴露!


葬儀屋と病院のつながりについてはこちらの本で暴露されています
http://www.pandora.nu/blackbox/TX4/BK09.HTM


死体は商品!!―悪い葬儀屋 / 有川 一芳/著
くたばれ葬儀屋 死体は商品2. 松崎博和/著



第1章 「ご臨終」から始まる3日間戦争(病院で死体を待ちかねるハイエナ軍団
「坊主丸もうけ」のウラで笑う葬儀屋
稼ぎ残しはフィナーレの火葬代でカバー)

第2章 病院は死体のセリ市場(ご清潔な病院のウラ側
ナイチンゲールの黒い影
死体生産量を調節する医師の都合


第3章 凄絶!葬儀屋の「死体」争奪戦線(死体売買に賭ける商魂
どんな死体が高くサバける?
斜陽「互助会」の悪あがき
葬儀業界ウチ側からの証言を検証)

第4章 葬儀代ツリ上げの張本人はダレ?(葬儀が10万円でできるって本当?)

治ったら儲からない…医者のホンネ

葬儀代全国平均236万円のカラクリの

半分は死体提供料だった!


 葬儀代って一体何にそんなコストがかかってるの?
 実際の葬儀そのものの経費は一割弱です。常識的に考えればわかることですが、一度揃えたら使い回せる道具や会場を数時間利用して何百万円もかかるわけがないのです。
 では何に一体そんなお金がかかってるの?
 よく考えてみれば不思議なことです。
 何のことはない。葬儀代の50%超のコストが、実は死体提供のバックマージンと日頃の病院への接待費、営業代にかかっているのです。
 死んだ後も患者は医療ビジネスにシャブリ尽くされていたのです。患者が死ぬと真っ先にかぎつけてくる葬儀屋と病院が深い関係で繋がっているというわけです。そうでなければ一誰が死ぬかわからないのに、来るわけがないです。
 メディアという飼い犬に白衣の天使ドラマを作らせて、電波でばらまかせて、大衆をマインドコントロールし、癒着した役人が高給、製薬会社が暴利を得て、医者の年収がべらぼうに高いのもこうしたカラクリがあったわけです。
 知らず知らずのうちに遺族は、殺した医者に葬儀代でも貢いでいたわけです。
 医者が無意識的な財産収奪作戦として、毒漬けで弱らせて、フィニッシュは病気で亡くなったという形で殺した方が儲かるのですから、悪意がないつもりでも無意識に自分の利益を優先し、猛毒を多く打ちたがるわけです。死んだ後はもちろん何とか病が死因と伝えれば病院にすがりついてくるような遺族はすんなり納得、「先生ありがとうございました」となります。
 お医者さん個人がいくら善意で尽くしているつもりでも狂育から、病院経営、医療システムまでがこんなサイクルで回っているのですから、善意は虚しく悪のサイクルへと回っていきます。どうしようもありません。

 悪徳葬儀屋も殺人医療に怒り爆発!
 著者は病院づきあいとの中で、こうした医療現場を数十年にわたって幾度も見てきました。
 それら病院づきあいとぼったくりを一切省いてしまえばほとんど同程度の葬儀代がたったの10万円でできるとは! 騙されて真実を知らないことは恐ろしいことです。
 これが社会の真実というものです。これからはお金ではない、一に情報、二に情報…というのはそのとおりです。おカネなどいくらあったところで本質が見抜けなければ、殺人犯の餌食になるだけです。
 本質を見抜けない無知な遺族は知らぬが仏、医者に騙し取られて、葬儀屋に騙し取られ、病気になればしゃぶり尽くされるという図式があるわけです。そのためには日頃から薬という毒を撒き餌として体内に撒いて再発しやすくしておく必要があったわけです。
 そのうち弱って再リピート治療→お亡くなりになり、利益確定という図式です。
葬儀屋が病院や医師や看護婦との癒着が病人にトドメを刺して殺す医療の原因のひとつになっています。
 医療現場のあまり凄惨さに悪徳葬儀屋も怒り爆発!
 これを書かなきゃ死んでも死にきれないという二代目葬儀屋が葬儀業界と病院との恐ろしい癒着実態を死後出版で大暴露しました。

元葬儀屋が渾身の告発!

  病院は死体量産工場だった!

金持ちを殺せば1000万円超の利益!

薬害エイズ、薬害肝炎、アスベストどころではない!


 日本では医学生の教育から若い医者の養成、医学の研究、新薬の効果のチェックや認可審査まで、すべてが大学病院の権威ある医者に任されている。だが、そ の大学病院では「健康な人を病人にする」ようなメタボ基準が決められ、「薬剤と消毒剤を間違えるような凡ミス」が繰り返し起こり、「治療の腕より“論文の 数”が出世を決める」駆け引きが繰り広げられている。
 知られざる大学病院の“非常識”を徹底取材した告発の書。

1章 日本一の医師不足は、なぜ都市部である「埼玉」なのか
2章 「小学生でもしない事故」が止まらない穴だらけのシステム
3章 データ無視の「基準値」でどんどん病人にされる日本人
4章 一流の大学病院であいつぐ院内感染のあっと驚く背景
5章 たった1カ月で112万円!ドル箱「延命治療」の裏側
6章 最先端のはずがもっとも遅れている!?大学病院の治療の実態
7章 病院のホンネがすぐわかる!「良い大学病院を選ぶポイント」

内容紹介
妊婦のたらい回しや医療事故など、医療崩壊の元凶は、日本の医療のトップである大学病院にある。健康な人まで「病人」にする診療基準のカラクリ、産婦人科、小児科より医師減少が深刻な科の実態など、世間の常識がまったく通じない大学病院のリアルな実態が明らかになる本。

内容(「BOOK」データベースより)
「医療崩壊より“論文の数”が大事」―世間の常識は、大学病院の非常識?日本の医療の象徴・大学病院の実態が怖いくらいわかる本。

終末医療ならぬ収奪医療の実態
 人間が苦しんで死ぬ間際が一番毒殺収奪者達が儲かるときなのです。
日本人の約90%が病院で亡くなるのは患者というドル箱を逃さないため美名に隠れた収奪経営が行われているからです。

死体は商品!!一部抜粋  悪い葬儀屋 第二章 病院は死体のセリ市場
3 死体生産量を調節する医者の都合 P96
■医者にとって患者は研究用モルモット
 近ごろの若い医者や看護婦たちは、死というものに対してほとんど不感症になっている。病人はいずれ葬儀屋に送る商品であり、死体はこずかい稼ぎの品物だと思っている。
 病院で肉親を亡くした経験のある人ならわかるだろうが、治療中はあれほど親切丁寧に患者を扱ってくれた医者や看護婦が、死んだ途端に態度がガラリと変わってしまう。

 臨終を告げられると身内がそろうのを待つ間もなく、即、病室を追い出される。さっきえて優しかった看護婦が、荒々しい声で
 「解剖室に運びますから、早く手伝ってください!」と遺族に言い放つ。
 看護婦たちの頭のなかには、すでにこの死体がいくらで売れるかということしか考えていない。
 こうした状況を最初につくりだしたのは葬儀屋であったかもしれない。

 しかしいまは病院の職員が率先して死体の売買を行い、病院の霊安室はまるで死体のセリ市場と化してしまった。
 死体に愛情を感じない彼らは、おそらく生きている病人に対しても何ら感情をもってはいないだろう。

 たとえば、最近話題になっている「肝臓移植」への対応ひとつを取って見てもよくわかる。
 肝臓移植をすれば病人の生命は助かるかもしれない。でも小さな子供に肝臓を移植した場合、どのような形で生きられるのかといえば、ただ病室のベッドで研究材料に使われるのが関の山。そこまでして子供は生きていたいだろうか、と考えてしまう。
 あれは単に、医者たちのエゴイズムに感じられて仕方がない。医者たちが患者に無理矢理、生に対する執着心を強要しているように見えるのだ。

 患者を助けたいという愛情ではない。モルモットで実験するように新薬を投与し、成功すれば名声があがる。失敗すれば次のモルモットで再度挑戦する。
研究費用は、失敗した死体を葬儀屋に流せは、充分にペイできる。
こうした医者たちの非情な態度は、昭和以降、医師をライセンス制にしたことが問題の根本であると思う。裏口入学で取ったライセンスで、堂々と治療にあたっている医者がたくさんいる。
 そんなヤツらが、失敗したモルモットを高い値で葬儀屋に売り付けているのが死に病棟の現状なのである。

 ■死んだ患者はサッサと処理される
 患者が生きているうちは、医者たちは全力を尽くして治療にあたる。たとえ病状が悪化して、絶え絶えのムシの息になっても、必死で回復のために手を打ってくれるだろう。
 しかし、その脈が停止して「ご臨終です」を告げた途端、医者の態度は一変してしまう。彼らにとって心臓が止まった死体は、ただのに物にしか感じられなくなるらしい。
 もう自分には関係のない物だから、サッサと葬儀屋にわたしてしまおうと計る。
 肉親の死を目の当たりにした直後の遺族としては、しばらくは故人の遺体をそのまま病室のベッドに寝かせておきたいと望むだろう。

 しかし、死亡するとすぐに死体は霊安室に運ばれることになる。
 「ほかの患者さんを動揺させたくない」とは、ある医者の言葉。だが、死んだ途端にサッサと死体置場に運ばれていく姿を見せられたほうが、周りの患者はよっぽど動揺するに違いない。
自分も死んだらすぐに、ああして死体置場に連れていかれるんだと思うだろう。
 しかも、これは患者は知らないことだが、病室まで葬儀屋が直々に死体を取りに行くことも多い。ついさっきまで、息をしてしゃべっていた患者が、30分後には葬儀屋の押すストレッチャーに乗せられて、死体置場に運ばれていくわけだ。
 大病院に行けば行くほど、この葬儀屋と病院の絶妙なコンビネーションはスムーズに行われる。

 霊安室はたいていひとつしか置かれていない。このことも病院側が死体を早く追い出したい理由のひとつと思われる。ここに3体も4体も一度に運びこまれれば、寝かせるスペースが足りなくなる。それに、そんなに死体が常時出ていることを知った遺族のロから、どんな評判が広がるかしれない。

 死亡者が多いということは、病院にとってはハジである。そんな噂が世間に広がれば、致命傷になりかねない。
 だから病院側としては、つぎの死体が出るまえに、トットと霊安室から立ち去って欲しいのだ。一刻も早く遺族を誘導して車に乗せてしまうことが、葬儀屋に課せられた役割のひとつでもある。
 このように、病院で死んでしまった人間は、まるで物流センターの品物のごとく墓場まで一直線にながされていくことになる。

■盆暮れ正月に医者が休める理由
 5月の連休まえは、葬儀屋は忙しくてしようがない。この時期、病院から回されてくる死体が増えるのである。
 季節でいえば初夏。日差しが一番やさしいこんな時期に、死亡する人が続出するとはいかにも不自然といえる。
 それもそのはず、この時期に病院で死亡する人の大半は、医者の都合に合わせて意識的に殺されるケースなのだ。

 連休まえになると、馴染みの医者から葬儀屋に電話がはいってくる。
 「今度の金曜日に、3人行かせるからよろしく頼むよ」
 3人行かせるとは、3体の死体を葬儀屋に回してくれるということ。しかも、今度の金曜日ということは、その死体はまだ生きているということである。
 いくら優秀な医者でも、患者の死ぬ日を確定することはできまい。金曜日ごろというならまだしも、確実に金曜日には3体の死体がでると予告してくるのだ。つまり、故意に死期を早めて殺すわけ。
 連絡を入れてくる医者たちは別段、悪びれた様子もない。
 「もうアレは長くはもたないから、1日2日、早くなってもいいだろう」
 といった具合。

 そして、それが5月の連休まえに増えるのは、医者たちが連休に仕事から解放されて遊びたいからである。連休中に病院を閉めていても、入院患者がきとく状態になれば、遊びに出掛けることはできない。付ききりで治療を行うハメになる。
 どうせ近いうちに死ぬ患者なのだ。ソノ日が1日や2日、いや1週間くらい早まったところで、何の問題があるだろう。大切な休養期間を邪魔されるのは迷惑である。せっかくの運休を無駄にしないために、ちょっとこ細工を施して患者の死期を早めるわけだ。
 5月の運休にかぎったことではない。お正月やお盆まえなども、病院から出される死体数は通常より数倍多くなる。読者の方の身内にも、おそらく一人くらいは、こうした時期に亡くなった人がいると思う。
 これは葬儀屋にとっては都合がイイ。死体がでなければ、葬儀屋だって連休や正月に仕事をしなくてもすむわけだ。考えようによっては、遺族たちにもそのほうが……!?

■B病院の死体はなぜ高い?
葬儀社のあいだでは
 「B病院の死体はオイシイ」
 と評判である。死体がオイシイとは妙な話だが、つまり葬儀代を高くとれる死体がたくさんでるということだ。
 なにしろ1体につき400~500万円の葬儀がザラなのである。おそらく金持ちばかりが入院しているのではないかと思うが、実際になぜ高いのかわたしにはわからない。
 理由はどうあれ、死体が高いと聞いて飛び付かぬ葬儀屋はいないだろう。
 一ケ月8~10体生産される死体をめぐって、葬儀屋の激しい争奪戦が展開される。
 B祭典、C葬儀社、D祭典など4社くらいは24時間常駐しており、ほかにも出入りしている業者は数多い。
 葬儀屋同志の競争が激しいだけに、看護婦や事務長の見入りは、相当の額にのぼると思われる。そのせいか、この病院は看護婦の入れ替わりが多いことでも有名だ。3週間行かないでいるとすっかり顔ぶれが変わっていたりする。せっかく密約をとりつけた看護婦が、翌日にはドロンしていたなんてこともしょっちゅうである。

あとがきにかえて P215
 葬儀屋の内幕について暴露したのは、おそらくこの本が初めてであろう。
ここまで深く内実に断り込めたのは、著者自身が葬儀屋を営む現場の人間であったためである。
 自分が生きてきた世界を批判するのは勇気がいることに違いない。著者自身、まえがきで述べているように、長く付き合ってきた友人たちへの裏切りととられてもしかたのないことである。それをあえて告発したくれた有川氏の強い意志に心から賛辞を送りたいと思う。
 実は著者の有川一芳氏は、この本を書き終えて間もなく亡くなった。
胃ガンであった。この原稿の3分の2は、著者が入院中に闘病生活をするなかで書かれたものである。
 放射線治療の副作用に苦しみながら、震える手を必死にこらえ、書き進めてくれたのだ。家族やわれわれが心配して、書くのを中断するよう求めても、
「これを書き上げなければ、死んでも死にきれない」
と、一時たりと筆を置くことはなかった。
 ついに最後の章を書き終えたとき、彼はわたしを枕元に呼んで次のような話をしてくれた。
 「葬儀屋に生まれ育ち、20年以上にわたって。死の匂いにまみれて生きてきた。
わたしは葬儀屋という職業に、ずっとコンプレックスを侍って生きてきたんですよ。見知らぬ人の死体を扱って商売するなんて、誰だって嫌がるでしょう。でも跡取りとして生まれたからには、家を継がなければならない。学生時代から葬儀の手伝いをさせられました。友達が皆、遊んでいるときに、わたしは死体を棺桶に詰めなりしていた。そんなことが続くうちに、心が曲がってしまったのでしょうね。
気づいたら金儲けのことばかりしか頭になかったんです。人様の死体を簡単に売買の道具にして、何の抵抗も感じなくなっていた。
 こうしていま、ガンで死んでいくのはバチが当たったのだと思います。病院でまだ生きているうちから、患者の身体がいくらになるか見積もったり、都合に合わせて死期を早められた患者の死体を高く買取ったり、ずいぶん恥ずかしいことをしてきました。人間として許されないことです。
 わたしは罰として、自分がいま、死体を見積もられる立場になっています。正直言って、内実を知っているだけに恐ろしいんです。恐ろしくてたまらない。もう少しで盆休みがきますね。そのまえに処理されてしまいそうで怖いんですよ。まったく笑い話みたいですがね。
 だからこの本が書けて本当に良かった。実態が世の中に知らされれば葬儀屋、病院の医師、看護婦、そして坊主たちも、少しは悪業を控えるでしょう。
 わたしがガンと闘うなかで、こうして書き上げることができたのはおそらく地獄に行ったときに、蜘蛛の糸にすがり付きたい一心なのかもしれませんね。
 ここまで一気に語ると、有川氏は、一気にここまで語ると、薄笑いを唇に浮かべながら、うつらうつらと眠りについてしまった。
 私が氏と会ったのは、この日が最後である。氏の意志が読者の皆さんに、充分理解されたことを願って、彼ら安らかな冥福をここに祈る。


医療地獄の犠牲になるな