悪魔達はこうしてマスタードガス療法の延命データを作り出した!

古典的な抗ガン剤はどうやって延命効果確認のデータを作ったのか

臨床試験の延命データのトリックは極めて単純なカラクリだった!

●延命効果の謎は気付いてみれば単純なカラクリだった

マジックの種明かしとか、トリックを暴いた暴露本などを見ていると驚くようなプロのマジシャンのマジックであったとしても、カラクリの説明をされてしまうと、二度見たくもなくなるようなアホみたいに馬鹿げたことであったりする。 しかし、気がつかないと不思議でならないほど不可思議な現象に思えてくるものだ。 実はマスタードガス(イペリットガス)や現在の多用される抗ガン剤と称した発ガン性化学薬品に延命効果があったというカラクリは、それよりももっと単純なことなのである。こんなチンケなトリックで世界中で何百兆円も暴利を生み出したことに驚かれるかも知れない。 なぜ、化学兵器剤マスタードガスを投与したほうが延命効果が確認できたという判定が生じるのか、そのトリックを知りたいはずである。 このカラクリはきわめて単純なカラクリによって延命効果有りと判定されてきたにすぎない。 ここでは最近はカプラン・マイヤー法(後述)やITT解析(後述)などが確立する前の古典的な単純な解析法で臨床試験の結果を作ったらどうなるかを考えてみたらわかりやすい。

●治療群に割り当てられても途中でリタイアした人のことはどうするのか?

ここでマスタードガスを投与していく過酷な耐久レースに自分が参加している身になって想像してみてほしい。化学兵器剤療法に最後まで耐え抜くことはトライアスロンを走りきるようなものだ。当然、予定の最終クールまで出来ないリタイアが続出する。 途中でリタイアした人は、最終成績では治療群としての成績になるのか?、それとも無治療群としての成績になるのか?、それともリタイアした人は最後まで予定した治療を完了ていないのだから、リタイアした人は、どちらの群としての成績からも省かれるのか?という疑問にいきつくはずだ。 リタイア群についてはどの解釈をするにしてもおかしいのである。リタイアした人とは、無治療群でもなければ、最後まで臨床試験の治療を受けられていないのだから治療群としての成績にもならない。 たとえば、全12クールの臨床試験なのに、最初の1クール眼の一回目にシクロホスファミドを打つ段階でリタイアした人は果たして治療群としての成績になるか?ということだ。 これは端的に言えば、マスタードガスに延命効果があるという判定が出るトリックは、過酷な耐久臨床試験に耐え抜いた余力のあった患者だけで判定されるためだ。 マスタードガスを投与する臨床試験で途中で脱落した人間は臨床試験の最終クールまで終えていないから、その治療をやり終えた患者とはみなされず、最終結果の統計から省かれるのである。 マスタードガス治療をした群という最終結果の生存成績になるのは、予定された全クールをやり遂げられるほどの体力や若さがあった患者だけだが、治療群の成績になり、無治療群には脱落がほとんどないから、累積後遺症、累積毒性で死んだ平均年数が適応される。そうすると、そもそも治療群は体力があった者だけしか最終クールまでできないのだから、累積後遺症、累積毒性の少ない者だけが生存成績になる。

●ペテンのトリックは累積後遺症、累積毒性以外にもまだまだあった!

臨床試験を行っているような病院で比較される患者というのは、無治療群に割り当てられるほうも治療群に割り当てられる群も、どちらの患者たちも臨床試験で稼ぐぐらいの病院にいる人たちであるから、治療漬けでどうにもならなくなった患者たちである。 臨床試験に参加するのは、この前提の人たちであるということをまず理解しなければならない。 その人たちは、当然、累積毒性、累積後遺症が重篤に重なり、どうにもならない程行き詰まった患者でなければ、どうなるかわからないような新薬の実験などに参加するはずもない。 なぜなら、その人たちは追い詰められて一縷の望みに託して新薬の治療に参加するからである。 だから、大衆が騙されている無治療群とは現代医学の治療をまったく受けなかった人という意味とは180度異なり、それまで治療漬けだった人々だ。無治療群というのは臨床試験の開始日から無治療というだけだ。製薬会社や医者は、こんな莫大な累積ノイズを抱えた人たちで、効果を比較判定しようというのだ。そして比較できると言うのである。究極のバカである。 これだけでも正確な延命比較の効果があるかどうかなど、とうてい比較できる前提ではないから、滑稽なる科学的根拠であるが、呆れたことに抗ガン剤の延命効果が確認できたというペテンのトリックはこれだけではない。呆れた判定ペテンのカラクリはまだまだある。

●たとえ割り当ての段階では平等に振り分けられたとしても…

臨床試験をするということは、製薬会社と仲が良く、臨床試験ビジネスをやっているような同じ病院で臨床試験に参加している人(騙されてさせられている人)とは言っても、その累積後遺症、累積毒性の程度は重篤な人から比較的に軽い人まで様々である。 ある人はもうどうしようもない程にボロボロにされて、ひどい状態だが、ある人はまだ耐えられる体力があったりする。同じステージ4でも体力が残っている度合いは人によって様々だ。 ここで単純に考えられることは、累積後遺症と累積毒性が重い人ばかりを治療薬のとの比較群に割り当てることができれば、治療群というのは、累積毒性と累積後遺症の関係から早く死んでくれることは、誰でもわかるはずである。 同じステージ4とは言ってもある人は、今日、明日死んでもおかしくないほど、死にかかっており、ある人はまだ当分は大丈夫な人もいたりりする。 くどいようだが、臨床試験で「何々の新薬には延命効果が確認できた」という良い結果のデータを作るには、累積後遺症、累積毒性の少ない人間を割り当てさえすればいいのだ。この割り当てというのは臨床試験をやる段階だけでなく、クジで引くときは構成にやっているように見せかけても、最終的にデータを作成する段階でも割り当ては出来るのである。 では、どうやって治療する群を後遺症の少ない人間に割り当てるかということである。これは新潟大学教授の岡田正彦氏の言う統計の後追い判定というトリックで簡単にできるのだ。 まず、わかりやすく説明するために、ここでは単純にクジなどの割り当てには一切不正な操作がないという前提で説明する。 200人の患者からクジ引きで100人ずつ、治療群と無治療群に分ける。 たとえばマスタードガスを投与する治療群とまったく何もしないで死ぬまで観察する無治療群に分ける。

●不正があるとか、ないという以前に比較することが不可能だった!

実際には、この段階からたいていの場合は、かなりいろんな手心が加わっているが、ここでは説明の都合上、一切の手心無しで平等にクジが引かれて割り当てられたとする。 この段階で無治療群というのは、何もしない人であるから、割り当てから変更する必要はないが、治療群のほうは、どう考えても累積後遺症、累積毒性の関係から、無理だと判断された人は何もしないうちから、まず重篤な累積後遺症、累積毒性の患者が脱落する。 あるいは、あらかじめそこまでひどい人は最初からクジを轢く前に省かれているかも知れない。その場合はクジを引かないから、無治療群に割り当てられることもない。 そして、残った人から、いよいよ臨床試験である20クールのテストが行われたとする。ところが、ここで前提がマスタードガスという化学兵器剤であることを考えてみればわかるように、最後まで臨床試験ができなくなる脱落患者が出てくる。 化学兵器剤を打ち込む臨床試験は過酷であるから、100人のうち、100人全員を最後の20クールまで続けさせることは難しいことくらいは考えてみれば、わかるはずである。 それは本人が苦しすぎて辞めたいという人や医者の判断でこれ以上は無理だと判断する人も出てくる。

後追い判定というトリックに騙されるな

●判定の解釈のときに結果的に累積後遺症、累積毒性が少なかった人で成績が判定されるカラクリ

では、20クールまで最後までやり遂げることができた人は開始時の100人から3割の30人だったとする。 そしてこの30人の生存期間が治療群の成績になると無治療群よりも1.5~2倍くらい長く生きたというデータが取れるのだ。 それはなぜか?最後まで出来た人たちは、200人の中から、さらに治療群に割り当てられて、比較的累積後遺症、累積毒性が少ないから、最後の20クールまでやり遂げる体力が残っていた人だから決められた回数をやり遂げ、その体力の温存の差から無治療群よりは長く生きたに過ぎない。 つまり、治療群に割り当てられても途中で脱落した人は治療の臨床試験を最後まで出来ていないのだから、最終判定の時の治療群成績に治療を完了できなかった患者は判定に含めないで省いてしまうのである。 完了していないから、その治療をやり遂げた人間として数えられないわけである。 呆れたペテンとはこのことである。 たとえばこう考えたらわかりやすい。 トライアスロンで例えたらわかるように、水泳の3.8km、自転車の180km、マラソンの42.195kmを15時間以内で最後まで走り切れた人というのは、完走できるほど体力があり、ある程度元気な人だけである。 最終的に完走できた人だけの結果を集めれば、一般人よりも体力が残っていた人ばかりになるのは当然のことだ。

●無治療群のほうは、あまり脱落しないが治療群は弱い者から脱落していく

一方、無治療群というのは、無治療で走りきれなくてあるから、リタイアというのがあまりない。脱落する人は皆無である。トライアスロンで脱落する人はいても時間が過ぎるまで座っているだけのレースでは脱落者が出にくいのと同じことである。中には退屈すぎて脱落するという反論はあるかもしれないが。 本人が無治療群に割り当てられて「何もしないでおきましょう」と言われていても、途中から、 「先生、やっぱり積極的に治療をしたいのですが…」ということはあるだろうから無治療群という枠組みから脱落する人も皆無ではないが、参加者のほとんどが、臨床試験をするほど治療漬けの病院にいる人だから、さんざんの治療で懲りてきた人たちだ。 マラソンで言えば最後まで座っていればいいというだけなら脱落する人はほとんどいないから、リタイアはほとんどない。 一方、無治療群のほうの脱落はないのに、治療群のほうは過酷な耐久レースと同じことだから最後まで出来る体力のない不都合な累積後遺症、累積毒性の多い人間から脱落して体力のある者だけが最終的に残り、トライアスロンでいえば、完走できた人と同じく、治療を最後までやり遂げた最終結果の統計に使われる患者は、くたばってしまった不都合な患者は入らないようになっていくのである。 そうすれば最後までやりの遂げた患者は体力が残っていたから最後まで臨床試験に参加できた人だから、その分、無治療群よりも長生きする。 つまり、単に体力の残っている人間だけしか最後まで続けられないから、マスタードガスの過酷な臨床試験で最終結果に使える統計に体力のあるものだけが残るようにしておいただけなのである。

●「トライアスロンでゴールできた人は普通の人よりも体力があった」という結論と同じ

これはトライアスロンで、 「三つとも全てを時間内に完走できた人は一般人より体力があった」という結果判定が出るのと同じ原理である。 考えてみれば「過酷なレースを行わせて、走り切れた人には一般人よりも体力がある」という結論は誰が考えてもやる前からわかりきった当たり前のことにすぎない。 それと同じ原理のことを現代医学というウルトラペテンは臨床試験と称した茶番でやっているだけなのだ。 だから、成績の判定に不正な操作があるとかないとか、捏造があるとかないとかいう以前にリタイアした人の扱いがどちらにも採用できないし、かといってどちらの群にも入れずに省略したら治療群のほうが最終クールまで出来た強者だけで生存成績が作られるから、治療群のほうが生存年数が高くなって当たり前のことである。 だから、近藤誠氏などは臨床試験の判定に不正な操作があるとかないとか議論しているが、それ以前に、二群に分けて比較するやり方ではリタイア群というどちらの結果にも割り当て不可能な無治療群でも治療群でもない脱落群が出来てしまうから、判定が不可能だったのである。これを私は臨床試験における不確定性原理と言っている。 不正があるとか不正がないとか捏造したとか捏造がないとか、そういう問題ではないのである。この方法は不正に数字を操作などしなくても単に成績として取り入れる人間を絞り込んで言っているに過ぎない。臨床試験の治療群で最後に残るのは最終クールまでクリアできるだけの若さと体力があった者だけが残っていると言うだけのことである。

●現代医学は誰も救っていないが治療成績だけはよくなっていく

つまり、臨床試験をやる段階の配置は公正にしても、最終的に累積後遺症、累積毒性が少なかった人が最後まで出来て、その人たちの結果だけが治療群としての成績になるのだから、生存期間成績が無治療群の成績より、よくなるのは当たり前のことである。 おそらく、マスタードガス投与群の成績は、あくまでも統計上における成績とは言え、かなり良いだろう。無治療群の2倍くらいになってもおかしくない。 ただ、あまりにも成績が出来すぎていると不自然だから、不自然にならない程度に調整しているのだろう。だから、この延命比較試験というのは、その前提からして、まったくの茶番劇だったのである。 このような方法で最終的に結果報告を作れば、サリンでもマスタードガスでも無治療群よりも、二倍以上の延命データが作れるのは当然のことである。 そして、こうした都合の良い群だけを数えて結果を発表することは、現代医学という産業ではごくごく当たり前のことになっている。 このトリックが使われたのは、マスタードガス療法だけではない。シスプラチンもハーセプチンもタキソールも延命効果の比較試験はこれと同じ原理のことをやって、延命効果と称した確認をしていたに過ぎない。 また、年々生存率が上がっているというのは船瀬さんの本で書かれているように、検査機器の性能アップで単に昔ならとうてい気付かなかったようなことまで、発見数が増えているのと、発見時期が前倒しになっているのと、小さいガンも見つかるようになったから、患者数という全体の分母が増えて、全体の増えた分母に対して殺すまでの期間が長くなった分だけ、分母の増えた数で薄まって死亡確率が減ったというだけにすぎない。分母を増やして薄めただけだから、殺される人の絶対数はドンドン増えているわけである。

●数字だけが良くなるのは現代医学というペテンが作り出す解釈の産物

そもそも、公正に臨床試験を行うにしても公正な臨床試験の方法という定義が最初から存在しないのである。本当に構成にやろうとすれば、同じ人間の身体をコピーして無治療と治療群というふうにしなければならない。同じ身体をコピーして比較することはドラえもんの道具でもない限り、未来永劫に不可能であるから、そもそも公正な臨床試験など最初から不可能であるからやりようがない。 つまり、誰一人救ったことのない現代医学がブードゥー教の黒魔術さながらの猟奇的儀式に明け暮れていながら、何か起きる度に毎度、 「現代医学の進歩のおかげで多くの人が救われるようになりました」と言われ、そういうデータがあちこちにあるのは、こうした自分たちの解釈の方法が作り出した虚構なのである。 そもそも他人で判定すること自体が間違っている。比較群の平均生存年数を投与した群も治療薬を使わなければ同じだっただろうという前提は強引なこじつけに過ぎない。 たとえば、同じⅣ期の乳ガンのAさんとBさんで、マスタードガスを投与したAさんのほうが長く生きたとしてもマスタードガスを投与しなければBさんと同じ日に死んでいたはずだという仮定はあまりにも強引すぎることに気付くだろう。 彼らの反論としては、平均化するためにもっと大勢の人でやっているというかもしれないが、同じ病院で年齢や状態まで同じ程度の人を何百人も集められるはずもない。 つまり、二人の人間で比べているのと似たり寄ったりなのである。 彼らの言う医学の統計上、本当は毎年世界で何百万人をマスタードガス猟で虐殺収奪し、悶絶死させていながら、彼ら自身の作り出す統計や臨床試験では、もっとも多くの人を救った最高成績の治療薬になっているのである。 これを医者はキチンとした科学的根拠に基づく治療ガイドラインと患者には言う。バカも休み休み言えと言いたい。

●割り当てから脱落した人のことを最終結果の集計ではどうするのかは盲点

これらのペテンは船瀬さんが本で紹介されている医療データのトリックのひとつで、新潟大学教授の統計学の岡田正彦氏の言う"統計の後追い判定"というトリックなのだ。 不都合な人や不都合な結果は、あとから成績を検証して報告するときに都合の悪い者は数えないで捨ててしまい、都合の良い結果だけを集めて集計結果を出すわけである。数えないで成績から捨てた患者のことは「最後までやり遂げていないから…」という言い訳が出来るだろうし、最後までできていないのだから、治療群ではない。リタイア群を治療群としての生存成績に取り入れないことは、不正ではないと言えば、確かに不正な操作ではないのである。これはよほどよく考えていないと気付かない盲点なのだ。 つまり、最初の配置の時に前提操作するか、臨床試験のときは構成にやっているように配置して、統計の結果が出た後に操作するかの違いだけで、前提操作と同じことをやっているのである。先にやるか後で操作するかだけの違いだ。 1クールを終えた段階で脱落した治療群に割り当てられていた患者は、たとえ平等なクジで選ばれて配置されていても最後までやり遂げられなかったのだから、最終結果では治療群の成績に含めることは出来ない。 そして、その患者がすぐに死んでも治療群の成績には含めない。なぜなら、たった一回しか出来なかったからである。 最初に決めておいた20クールをやる前に死んだ患者は治療群成績にならないから、やり遂げた患者だけの成績を採取する。極端な話、1クールの段階で急死した人は含めないことも出来る。それも不正な成績操作と言うことにもならない。なぜなら、臨床試験の結果というのはどう数えるにしても正確に数える方法というのが最初からないからである。臨床試験じたいが強引にいろいろ確認したという口実を作るための茶番劇に過ぎないからだ。 さらに副作用で死んだか、ガンで死んだと判定するかは医者の主観でカウントしているに過ぎない。平岩正樹のように治療期間中にバタバタ患者が死んでもガンで死んだと思っていればそれは成績上は副作用死では無い。あくまでも成績ではそうはならないだけのことだが、これは重要なポイントだ。

●過酷な臨床試験のほうが、余計な人間がゴールしてこないから都合が良い

考えてみればわかるように、抗ガン剤と称した化学兵器剤を投与する治療と称した行為は拷問に匹敵するほど過酷な人体実験である。 それに最後まで耐え抜けるとしたら、累積後遺症、累積毒性の少ない体力の残っている人間だけしか残らない。それも比較的に若い人が残りやすい。 つまり、化学兵器剤マスタードガスを使った人体実験、耐久テストは、42.195キロのマラソンを最後まで走りきるよりも大変なことだ。もともと耐えられない人間はゴールまでたどり着かないだけのことである。つまり、過酷さが都合の悪い人間を排除してくれているわけである。 マラソンで言えば真冬や真夏の炎天下と言ったハードルを高くして、最後まで完走できた人だけのデータを取りあげれば、どんな猛毒でも延命効果は作り出せる。その延命効果というのも極めて強引な解釈である。 そもそも延命効果が確認できたというのは、同じ人間の身体をクローンのようにコピーして比較したものではないから、比較群という対象者を作り出して、 「無治療群よりも長く生きたから、その化学薬品のおかけで延命効果があっただろう」という強引なこじつけ判定に過ぎない。これが現代医学の医者が言う科学的根拠に基づく治療ガイドラインの正体だ。 つまり、やり方を分析すれば、この判定方法なら、結果的にサリンでもマスタードガスでも延命効果を作ることは可能だったのである。 本当にその人間が何もしないときよりも長く生きたかどうかなど比較しようがないのである。 この後追い判定をすれば、当然マスタードガスでも延命効果は確認できたと言うことになるのだ。
◆資料 ガンは抗ガン剤療法で治るのか
この資料はマスタードガス療法であるシクロホスファミドを主剤としたCMF療法に延命効果が実証されたということで、世界中で乳ガンにはシクロホスファミドが多用されるきっかけとなった臨床試験を科学ジャーナリストが分析して書いた本だ。書き方は現代医学に対して攻撃的な態度では無いが、内容はガン医療の実態がウルトラペテンワールドであることを告発している。 この本はきわめて歯切れが悪い。船瀬さんが「"抗ガン剤で殺される"をアメリカで出したら1週間以内に医療マフィアに殺されますよ」と忠告されたようにハッキリとは書けないだけである。

●イタリア人の衝撃的な報告

次いで一九七六年に、早期乳ガンの補助的治療として、薬剤の組み合わせを用いることにより大きな進展がみられたと主張する衝撃的な報告がイタリア、ミラノにある国立がん研究所から発表された(41)。 一九七三年に、ジアンニ・ボナドナ医博とその共同研究者たちによって始められたこの試験では、リンパ節に転移のある三九一人の女性患者を無作為抽出して、治療しない群と一年以上にわたって一ニクールのCMFを投与した群に分けた。最初の数例の報告には、生存期間が二倍となったことが興奮を伴って述べられている。 この試験によってCMFは病期Ⅰ期またはⅡ期の乳ガンに罹っている、閉経前の患者に対する補助的化学療法で最も普通に使われる処方になった。 九年後、これらの結果ははるかに控えめな比率、即ち再発のない生存期間は一二%、全生存期間は一一%の延びであったと下方修正された。生存期間の延びが認められたのは、全て若い閉経前の患者であり、閉経後の患者には全く認められなかったことは注目に値する。 しかし、この臨床試験の結果は本当だったのだろうか。ミラノのデータには疑惑のかげりがある。 即ち、かなり苛酷なCMFによる治療をやり通すことができなかった患者たちは治療から除かれ、その後の無作為抽出臨床試験には含まれなかった。 終りまでに、二九人の患者がこのようにして除かれた(41)。実際、効果が認められた患者は"投与量の全てまたはほとんど全て"に耐えることができた者だけだった。 ニューメキシコ州アルバカーキのH・ポルヘルによる辛辣な批評によると、そのような患者は全体の一七%に過ぎなかった(583)。 多くの場合そのような治療からの"落伍者"は予後が一層悪くなる。それが彼らを試験から落伍させた一番大きな原因であったのかもしれない。 しかし、治療群に関する考察から彼らを除くことは、その結果を実際より良くみせることになる。150~
二四時間持続注入を用いたある臨床試験では、わずかながら生存効果が認められたと主張している(161)。 しかし、この試験には多数の不適切な措置が顕著に認められた。 無作為抽出後、三八人の患者の内一〇人は不適格であるとして、この研究から除かれている。これら医師たちは、"適格な患者"のリストから落伍した患者の一部または全部を除くことにより、試験結果を実際より良くみせようとしたのかもしれない。 医師たちが試験結果を中間分析した後、対照群をこの試験から除いたという事実は、偏りを更に増幅した。 けれども、シスプラチンとブレオマイシンの併用薬剤を用いた別の治療群の生存期間は、上述の対照群より実際に悪かった。しかし、この二度目の試験は中断された。210~

●偽りの希望なのか?

化学療法の価値を証明しようとする別の試みは、希望という問題に基づいている。医師たちは、このような薬剤を単に投与するだけで、そうでなければ沈みがちな患者に新たな希望をもたらすと言っている。これは薬剤の効果の問題とは無関係である。 「率直に言って、この言葉は患者たちの予後に関する真実を彼らに隠しているからこそ、毒性化学療法によって患者たちにより良い精神的安らぎを与えることができるかもしれない、と言っているに等しい」とアーベルは語っている(3)。 過去数十年間にわたって、まさにこのような擬似治療を行っていると言われている、代替医師に対する激しい批判がなされてきた。それには"偽りの希望"という極印が押されている。 しかし、繰り返して言うが、腫瘍医たちは他の医師たちには与えたがらない資格を彼ら自身には与えているのである。 特別な症例では、患者たちは化学療法を受けた後、生活の質が改善されたと実際に感じるということを認めると仮定しても、それだけではまだ化学療法を支持する十分な論拠にはならない。 なぜか。化学療法を受けている患者全体が被る副作用の全てと、このような改善効果とは、比較考量されなければならないからである。 そうでないと、この論拠は賞金獲得者の利益を根拠にして、賭博を推奨するのと同じ論理構造になる、とアーベルは分かり易い例を引いて述べている。少数の患者の病状を改善するのと引き替えに、多数の患者の病状を悪化させることは容認されない。 国立がん研究所で行われたIL-2の臨床試験についても、同じ主張がなされている。 医療倫理学者ジョージ・アンナス教授は「患者の八〇以上には何の改善もみられず、実際には悪化した。彼らは一層苦しんで死んだ。これは決して見逃がすことのできない事実である。 われわれは常に生存者に注意を集中する傾向があるが、八〇%以上にひどい副作用がみられ、しかも数字に表わせるほどの延命効果はなかった、ということをわれわれは強調しなければならない」と指摘している(『ニューヨーク・タイムズ』一九九四年三月二三日)。 そして、マーチン・F・シャピロ教授が論評しているように、"実験的なガン治療薬IL-2は明らかに効果がないという秘密の暴露は、事実の歪曲"(043)やガンの薬剤治療全般についての誤解の"氷山の一角に過ぎない"。 副作用は化学療法エスタブリッシュメントの弱点である。たとえ言及するにしても、副作用は多くの場合控えめに述べられる。 過小評価される専門的見地からみた理由の一つは、データの公表の仕方に内在する"微妙でほとんど避け難い"偏りである。副作用を受け、病状が悪化して行く患者たちは、統計から除かれる例が増える傾向にある。これは彼らが早く死ぬからである。 われわれはこの種の偏りに対して、臨床試験の結果を補正しようとする試みがなされていないことを知っている(3)

●若い人のほうが最後まで臨床試験をやり遂げやすい

これを読んで、もう一つ化学兵器剤を使った臨床試験には重要なトリックがあることに気が付いた。 それは臨床試験では、進行ステージという尺度で比較対象者が集められるだけで、比較する人々の年齢は考慮されていないということである。 それはなぜか? 臨床試験を行う病院で同じ進行ステージや同じ乳ガンなどの共通点を持った人間を集めるのも大変なのに、年齢まで合わせようとすると臨床試験を実施できないからである。 だから、臨床試験をするにあたって、同じⅣ期の進行ステージの患者であれば、極端な話になると、20代も30代も60代、70代のおばあさんも同時に集めて生存期間の比較試験が行われるということになる。 同じ進行ステージで、さらに年齢も同じ世代でなければならないとすると、そんな限定された条件で何十人も集めることは病院のほうとしても大変だろうから無理である。 極端に若い人は除いたりするのかどうかは知らないが、ほとんど年齢は関係なく行われる。 そして、よく考えてみればわかるように無治療群というのは何もしないで最後まで様子見だから、脱落がないため、ほとんどがそのまま生存成績が適用されるが、治療群は、最後までやり遂げた患者しか成績として取り入れないというルールで採取しているとすれば、老人の患者たちは早く脱落しやすいから最終的に成績として取り入れられなくなり、比較的に脱落しにくい若い患者の方が、最終的に作成される臨床試験結果の成績になりやすくなる。 当たり前のことであるが、ガンに関係なく、治療後に若い人のほうが、老人よりも生存期間が長くなりやすい傾向になるのは、寿命から考えて当然のことである。 単に病気のない90歳の老人のほうが若いガン患者より早く死ぬ確率が高いのと同じことだ。 つまり、老人のほうは、マスタードガスなどの過酷な臨床試験が続けられなくなって脱落しやすいから成績データに取り入れられにくくなり、最後までやり遂げられたのは、若い人の比率が高くなっているだけなのである。 こうすれば脱落しなかった人だけが成績に採用される治療群のほうが長く生きたという成績になりやすいのは当たり前のことである。 延命効果が証明されているという判定の真相はマスタードガスの薬理効果のおかげでもなんでもなかったのだ。

●過酷な化学兵器剤のほうが良い成績データが作りやすいカラクリ

それどころか、過酷な化学兵器剤であればあるほど、老人や体力の消耗した患者が脱落しやすくなるから、結果的に残るのは耐久性の強い人間だけが最終的に完走することになる。 だとすると、猛烈に過酷な化学兵器剤であればあるほど体力と耐久性のある患者だけしか最後まで出来ないということになるから、残った者だけで成績を作れば、結果的に長生きしたというデータが作りやすいという臨床試験のカラクリがあることに気がつくはずである。 なぜなら、猛毒の過酷な人体実験は医療利権側に不都合な者を早々に脱落させて、不都合な者を早々にはじき飛ばしてしまうからである。 そして、その過酷な耐久テストに耐え抜いた人間だけの生存成績で結果を発表来れば見事に延命効果が作り出すことがあるできたというわけである。 一方の無治療群は「無治療に脱落する」と言うことは、ほとんどないから、そのまま累積後遺症、累積毒性で死んだ生存期間がそのまま当てはめられる。 マスタードガスが最も患者を救ってきた治療薬というデータがいとも簡単に作れた歴史的な犯罪のカラクリはこうした単純な臨床試験という茶番劇を使って作成した延命データを積み重ねてきただけにすぎない。これが病院経営にとって強大な武器になるシカケ。 これは過酷な化学兵器としての作用を使った"臨床試験における弾き飛ばしの術"と名付けてもいいくらいだ。過酷な化学兵器剤のほうが不都合な者が早々にはじき飛ばせて、都合の良い人間しか最後まで出来ないから、延命効果データが作りやすいワケである。 臨床試験は他の人間で比較している以上、どうしてもこのような膨大なノイズを取り去る事は絶対できない。それはガン医療であれば、どうしても有害な治療でボロボロになった患者の身体で臨床試験を行わざるを得ないからである。もちろんボロボロの程度にも差があるから、最終クールまで残るのは比較的体力のあったモルモット患者たちだ。 そして、その累積後遺症、累積毒性というノイズをどのように排除して最終的なデータに仕上げるかということは、データを作っている製薬会社側の判断に任されているのである。 つまり、判定基準と判定は薬を売りたい製薬会社と病院である。そして彼らは無治療群は無治療によってガンの悪化で死んだと言っているが、無治療群がはやく死んだのはガンとは何の関係もなく、他でもなく、現代医学の有害な医療による累積後遺症、累積毒性ではやく死んだだけに過ぎない。 比較群も自分たちで殺して、その生存期間の差で次は薬を特効薬に見せかけるという手法である。すべての罪は患者の病魔が背負って逃げおおせるというシカケ。本当は比較期間に何もしなかったこととは何の関係もないのである。

●実際はクジ引き後に不的確な患者は参加させないことが多い

資料のガンは抗ガン剤療法で治るのかに書かれているとおり、無作為試験というのは、必ずしもくじで引かれた通りに行われているわけではないということを書いている。 つまり、くじ引きで参加者が決まった後に、どう考えても的確ではないと思われた人は、参加者から除外されて、ある程度体力が残ってる人、やり遂げられそうな人だけをクジ引き後に選別されている可能性が高いというわけで除かれることがあってもある。 しかし、逆にクジで無治療群になった人は「この人は出来ないだろう」という判定で変わることはあまりない。治療群から不適切なものは逆は少ないから偏りが生じる。 これではランダム臨床試験にはなっていない。また、除外作業をしなかったかどうかというのは誰も監視しようがないから病院側が、 「くじ引きで引いた通りに行った」と言い張れば、それを監視することなど誰もできないのである。 また細かい指摘にはなるが、くじ引きを引いた後の短い期間であったとしても臨床試験の開始する前に悪化した人もいるだろう。 その人たちは、治療に参加させる群に含まれていた人であったとしても、くじ引きを引いた後の容体の変化で結局、参加させないという処置をとらざるを得なくなるということはありうる。なにしろ、新薬の丁半ばくちに参加する人は追い込まれた人たちであるからだ。微差で優位さが認められるような延命効果なら、このノイズの影響はかなり大きい。 また過酷な治療であることから、治療が決まった途端に逃げ出してしまった人もいるはずだ。その人にはできない。 しかし、無治療群に割り当てられたほうには、そのような除外処置はあまりないだろう。無治療には不的確にして外す必要性があまりないからである。 この事から、たとえ病院や臨床試験をしきる医者たちが作為的に除外する操作はしないとしても、くじ引きで選んだ人間を100%参加させるということはもともと不可能なのである。参加しないことになる人間は不的確な人間が参加しなくなってくれるわけだ。 つまり、くじ引きでマスタードガスを投与する臨床試験が公正に行われたかどうかというのは監視はもちろん、カネをもらって臨床試験を置こう病院側は証明もしようがないということである。また、100%クジの結果どおりに参加させられない以上は病院側のモラル以前に、絶対に公正にやりようがないのである。 このような不正が横行しているなら、だんだんと都合の良い配置になり、マスタードガス療法のほうが長生きした結果が導き出されるのは当たり前のことなのである。それはマスタードガスによる薬理効果、治癒効果による延命とは何の関係もないのだ。

●医猟従事者たちも本当はペテンに気付いてわざと悪化させている

臨床試験では、良い結果を出すために、どこまでも都合の良い解釈、後追い判定というものがまかりとおってやりたい放題の犯罪ができるのである。 なぜなら、臨床試験とはもともとこういう結果を出したいという目標が決まって行われるものだからだ。マスタードガス療法の臨床試験なら、マスタードガスには延命効果があるという結論を出すために行われている。気がつかない程度でも手心や解釈の歪みが加わらないはずはない。 彼らはこうしてマスタードガスを堂々と投与し、暴利の医療費を貪り続けているのだ。 また、現場の医者たちが、こんなチンケな悪魔のトリックに気がつかないというのは、もともと医猟従事者たちには人を救う気などサラサラないからだ。化学兵器剤に延命効果があるなどと言う荒唐無稽な主張は心があればおかしいと気付くはずである。 彼らは人を救うという前提でやっていない。百歩譲って、彼らも騙されているとしても、その本質は騙されている状態のほうが利益が出るから気持ちいいのである。 これは肉を食べ続けたほうが、自分にとって気持ちいいから、何が起きているのか気がつかないフリをしているのと同じである。 つまり、深層心理的にはおかしいことには気がついているが、それを深く考えないように、気がつかないフリをしているわけである。 これは単に騙されているのとは本質的に違う。私がわざと殺しているというのは、そういう本質をついているのである。彼らは本質的には騙されたフリをしているだけなのである。たとえ、バレる日が来たとしても「自分たちも騙された」という言い訳をして逃げることが出来ることを深層心理的に考えているからである。 これは本当は肉料理とは動物虐待で作られていることを知っていながら食べている真理と同じだ。そのことをまったく知らずに、屠殺解体場の事実を知って、 「まさかお肉がこんな残酷なものだとは思いもしなかった!」と驚く人はいないはずだ。つまり、深層心理的には知っているが気がつかないフリをしているということはそれと同じである。 医猟産業にたかる者たちの果てなき欲望が解釈をねじ曲げ、医猟地獄を拡大させていくわけである。

●医療統計は後追い判定によって作られている

これで、いかにいい加減でデタラメな臨床試験で作られたニセの科学的根拠が現代の治療ガイドラインの"キチンとした科学的根拠"になっているかがわかるだろう。 最後までやり遂げた患者は治療群に割り当てられた患者のうち17%しかいなかったということである。これはもちろん毎回違うだろうが、程度の差はあれ、他の臨床試験も脱落群が出てくることは同じはずだ。とくに過酷な化学兵器剤を使った化学療法では振り分けられた治療群のうち、100%最後までやり通せることができた臨床試験などあるはずもない。 つまり、臨床試験の過程を自分でイメージして考えてみれば、臨床試験を開始してマスタードガスを投与すると、 「センセー、もう辛いですぅ、これ以上耐えられませーん」と言って脱落する治療群の参加者たちがイメージの中で見えてくるはずだ。そして医者も衰弱などで難しいと判断した患者は途中で中止する。 だとすると、最後までやり遂げられなくて脱落した者の生存成績結果はどうしているのだろうか?という疑問にたどり着くはずである。 ここで最終的にデータを作るときに、たった1クールでもやった人間は全部とりいれて成績表をつくるのか、最後までやり遂げた人間以外は省いてしまうのかで生存成績は大きく変わる。 その脱落した人間をどう数えるかだけで生存成績は劇的に変化するのは当たり前のことである。 この当時の判定は最後までやり遂げられなかった者の生存成績は省かれるから、決められた回数の最終クールまでやり遂げる体力のあった者だけの最終結果成績で比較されていたのである。 それは治療群に選ばれた中から、単に累積後遺症、累積毒性が少ない者だったからが最後までやりとげることができたというだけに過ぎない。 一方、無治療群に割り当てられたほうには脱落はないから、累積後遺症、累積毒性でバタバタ死んでいった成績がそのまま比較に使われる。 本当はマスタードガスを投与した事によって、薬理作用で治癒効果が生じて、延命効果が生じたわけでも何でもないのだ。これなら、当然マスタードガス療法にも延命効果がつくれたというわけだ。

●最終的にどう判定するかの判定ルールは作る側の自己ルールにすぎない

これがもっともよく効く発病剤、発ガン物質マスタードガスが世界一使われるガン治療薬になり、いまだに科学的根拠に基づく治療成績が最も優れていると言われているカラクリである。 まったく呆れ果てた話だ。医者はバカを作る狂育によって、バカを確認する様々なテストをクリアしないと医師免許を与えられないのはそのためだ。 これが現代医学の医者が言う「科学的根拠に基づく治療ガイドライン」の正体なのだ。いまだにこうした昔の判定結果をもとにして、世界中の病院では猛烈発ガン物質であるマスタードガス療法を行って何百兆円という保険金殺人を繰り返しているのである。何百兆円を騙し取っている保険金殺人のカラクリは金田一少年の事件簿のように複雑なトリックではない。きわめてチンケなトリックである。 この判定基準の曖昧さのタチが悪いところは明らかに100という結果の数字を150と書き換えて報告するのと違い、判定の基準や解釈の違いというのは捏造と違って、意図的に数字を消して書き換えたのではないから臨床試験をやっていた当事者たちも捏造したと言う罪悪感を感じにくいことである。だからどこまでも好き放題の数字が書けることになる。 野球にたとえていえば、ストライクゾーンは個々の審判が自分値の主観で決めるというようなものだから、ストライクゾーンは自分たちで決めるのだから、誤審もない。 内角スレスレの球もストライクだと思えばストライクというメチャクチャな野球といっしょだ。 広い意味での捏造なのだが、作っている人間にとっては心理的には捏造にはならないのである。 なぜなら、それはひとつの判定方法であり、解釈の仕方に過ぎないからである。1クールでもやった人間をすべて治療成績群に取り入れるか、決められた最終クールまでやり遂げた人間以外は、その治療をやったことにしないかは、臨床試験をしきる人間たちが決める自己ルールである。 製薬会社や医者には罪悪感がないから、こうしたいい加減な判定結果がまかりとおっているのだ。 今のほとんどのガン治療の病院で行われているマスタードガス療法の根拠はこうした1970年代、80年代のいい加減な判定結果を根拠に今も行われている。失敗すればするほど自分たちが儲かるのが医療産業である。 獲物たちは、マスタードガスに延命効果などまったくないのに延命効果が証明されていると信じてのたうちまわりながら耐えているのだ。 そもそも原点に立ち帰って、考えてみればわかるように、違う身体である他の人間同士を比較させて延命効果を比較するなどということは絶対に不可能なことなのである。 それをどう解釈して、効果有りと判定して発表するかは現代医学という産業側の解釈の自由なのだ。 臨床試験は最初の1ページ目の1行目の1文字目から頓挫していたのだ。だから、すべての臨床試験データは崩壊し、全ての根拠は無効となる。

以上の問題は必ずしも現代の臨床試験のすべてには当てはまらないが…

●ITT 解析とは何か

臨床試験における判定方法には、最後までやったかリタイアしたか、変更したかに関わらず、最初の割り当てを全員に適応するIntent-to-treatの考え方で行った解析結果と、最終的に残った評価可能例のみの解析(per-protocol解析).で行った解析結果で効果を判定する方法がある。何があっても最初の割り付けどおりに解析するということだ。 Intent-to-treatの解析(ITT 解析)とは、途中の治療変更やリタイアがどうであろうと、最初のランダム割付けのまま全員同様に成績に取り入れる、治療しようとした全例を解析対象とする測定法である。 ItTa Tori、言ったとおり解析と覚えればわかりやすい。ただし、一度もやらないうちから、不適格判定したり、全く治療しなかったことがハッキリ確認できるような場合は除外してもいいとされている。 これは一回しかやらなかった人なども全員治療群の成績として計算する。全員というのはあくまでも建前上の決まりで、正確に言えば時間が経つと臨床試験に参加した人の中には、行方不明になる人もかなりいるから、全員正確に測定されていないという。 つまり、この判定法は、治療群に割り当てられたら、たとえ、決まった後に逃げ出して治療を1度もやらなかった人も変更があった人も全員を最初に決めた治療群としての成績に取り入れるという考え方である。 だから、結局一回もやらなかった人も1クールだけで死んだ人も逃げ出して代替療法に変更した人もリタイアした人も医者の判断でやめた人もすべて治療群という成績にしてしまう考え方である。 抗ガン剤以外の臨床試験ではほとんどが、ITT 解析で行われている。その理由はなぜか?それは本当にその薬をちゃんと飲んでいたかは本人でないとわからず、膨大な人のその後を調査することが難しいからである。難しいと言うより詳細にどうしたかを確認することはほぼ不可能である。 ITT 解析であれば、最初に治療方針を決めた人は全員一律に対象にするから、やっていようがいまいが、ちゃんと服用していたかなどの詳細調査の手間が省けるし、調査不要なのでコストが安く済む。 しかし、この解析方法は抗ガン剤の臨床試験でやるとたいへん不正確になる欠点が生じる。なぜなら、抗ガン剤は他の化学薬品と違い、リタイアする人、新薬に飛びつくぐらいの人であるから、他の方法が見つかるとすぐに方針転換する人が出てくるからだ。 私が訊いた人の中では、2000万円以上もいろんな治療に使ったという人がいる。その場合、他に膨大な要因が絡んでいるのに、一回しかやっていなくても最初に決めた治療方針の結果をすべて適応することになる。 極端な話になると、12クールを予定していたが、全員打たれた途端にびっくりして、1クールしかできなかった場合でも治療をやった群という扱いになると言うことだ。 予定の治療をほとんどしていないのに、治療したという扱いになってしまうのである。 また、ほとんどが最後までやっていない、ほとんどが変更した場合も最初に決めた治療をやった扱いとしての成績になると言うことだ。これでは正確に測定など出来るはずもない。 要点は、 1)ITT 解析は薬そのものの効果判定には不適切である. 2)ITT 解析の結果は処方しようと意図した時点での効果の見積もりである. 3)ITT 解析は薬の効果の評価でなく,治療行為全体の評価である. 4)ITT 解析により解析時のバイアスの混入を防止できる. 5)ITT 解析により実地臨床での効果を評価できる.

●PPB解析も全然ダメ

もうひとつの実際に決められた方法が行われた評価可能例のみを解析するPer Protocol Based、パー・プロトコール解析(PPB解析)で行った解析結果で効果を判定する方法がある。これは"パーフェクトに達成できたとおりの人を対象にして結果を解析する"と覚えれば良い。プロトコールどおりに試験が実施できた患者の結果だけをまとめて解析する方法で、害反応などのために試験が中断された患者は、有効性評価の対象から除かれるため、有効性が大きく、害が小さくみえる。 抗ガン剤の臨床試験では、この方法はやりやすい。 なぜなら、薬だけを与えて、本当に飲んだか飲んでないか確認できないのと違い、抗ガン剤の投与は病院の化学療法室に来て、医者や看護師が点滴で投与するからである。どこまでやったかの確認がしやすい。 しかし、PPB解析だと先に書いたように、トライアスロン級の臨床試験でゴールできた人だけを成績として扱うことになるから、治療薬の効果でも何でもなく、単に体力や年齢の条件が良かったから、最後までできただけで、そのような人が無治療群より生存成績がよかったのは、治療薬の効果でも何でもないことは誰が考えても明白である。 一般にはコストの関係から、ほとんどがITT 解析の臨床試験になるが、抗ガン剤の臨床試験において、判定方法の割合まではわからなかったが、今でもper-protocol解析によって延命効果があったと判定されている薬剤が多いようだ。 この判定は上記の説明の通り、すべて無効である。最後までやり遂げることが出来た人は、単にやり遂げる体力が残っていた人だったから、比較群よりも長く生きたに過ぎない。トライアスロンで走りきった人は一般の人より体力があるという結論と同じである。 以上の問題は臨床試験における深刻な問題で、治療と称した行為の効果を測定するのに、それ以外に要因となる莫大なノイズをどう処理するかである。 どちらの考え方で集計したとしても、とうてい治療の効果を正確に測定は出来ない。(実際には治療などしていない) このように解析や集計の考え方で成績がコロコロとまったく違ったものに変わるのである。だったら何が治療薬の効果だったのかわからないではないか。延命効果があったというのは、単に解釈の問題である。 このような判定方法の過程は患者には知らされない。よく考えてみたら、どっちの考え方でも測定が出来ていないと言うことだ。

実施不完全例の扱い方にカラクリがあった!

●Intention-To-Treat の原則

Intention-To-Treat の原則(Intention-To-Treat Principle) 治療に用いる治療方針により得られる効果は、実際に受けた試験治療ではなく、 被験者を治療しようとする意図(予定した試験治療規定)に基づくことにより最もよく評価できる、ということを主張する原則。 この原則から、一つの試験治療グループに割付けられた被験者は、予定した試験治療のコースを遵守したかどうかにかかわらず、割付けられたグループのまま追跡され、評価され、解析されるべきであることが導かれる。

●ITT解析とPPB解析

 臨床試験データを統計解析する際にはITT(intention-to-treat)とPPB(per protocol based)の2つの方法がある。ITTでは治療実施を計画した全例を解析対象とし,プロトコール逸脱例も解析に含める。一方,PPBではプロトコール通りに実施された症例のみを解析する方針である。本来ならば,事前に作成されたプロトコール通りに行われた症例だけを解析すればよいと考えがちであるが,多くの臨床試験ではITTの方針をメインにする傾向がある。その理由として,安易に解析除外を行うことは危険である, つまりランダム割付けにより比較性を保証したため,その通りに全例を解析するのはもっともであり,除外することはランダム割付けが無為になることが挙げられる。  PPBは研究的試験で主に用いられており,確かに治療法の真の実力を比較した結果が得られる一方,ITTではむしろ治療方針の比較を行っている点に注目すべきである。途中で治療法が変更されたとしても,初期の治療方針としてどちらが優れているのかを問うているためである。もちろん,ITTではコンプライアンスの悪い症例まで含めているため,比較群間の差が薄まってしまう傾向を考慮すべきである。

●実施不完全例(脱落例)の取り扱い

 臨床試験ではプロトコール通りにすべて行われることはまれである。追跡期間が1年であっても,途中の半年で消息不明になることもある。禁止された併用薬が途中で使われてしまうこともある。RCTでは,最初にランダム割付けというものを実施している。これは,比較を妥当にするために実施したのである。確かに,ランダム割付けをすると両群とも背景はよく似てくる。それにもかかわらず,適格基準違反だから除く,併用薬違反だから除くということをすると,せっかく確保された比較性が崩れてしまいかねない。そこで,一般的にはランダム割付けされた症例はすべて解析対象に含めて,解析除外はしないというのが原則になっている。これがITT原理というものである。  しかし,薬剤試験であれば1回も投与しなかったとか,同意が取得されていなかったとか,実際には高血圧ではないのに高血圧として誤って登録されてしまった,などのように大きな違反である場合には,それらの症例は解析から除外することもある。ただし,軽微なプロトコール違反の場合には不完全例であっても解析除外しないほうがよい。途中で脱落した症例の場合でも途中までの情報は使えるので,それを考慮して解析対象から除外しないことが多い。脱落時点までにはイベントはなく,その後は不明(つまりセンサリング)として解析できるのである。検査値のような場合には,1年追跡の計画が半年で脱落したとして,半年時点での検査値を1年時の値とみなして解析することがある。このようなアプローチのことを,last observation carried forward(LOCF)と呼んでいる。このように,RCTでは不完全例であったとしても,何とか方策を講じて解析除外しない方向で扱うのが好ましいといえよう。
◆資料 医薬開発のための臨床試験の計画と解析 朝倉書店

●解析対象集団に関する問題

試験の対象母集団は,組入れ基準によって定められる.試験の結論は,直接的にこの基準を満たす現在および未来の患者全体からなる仮想的な集団に適用される.統計解析の結果が統計的偏りをもたず対象母集団に適用できるためには,解析対象とする被験者標本は対象母集団からの無作為標本でなければならない. しかし,現実には試験に組み入れられた被験者は試験が実施される施設を利用でき,その施設を訪れて試験に同意した患者である.また,試験実施施設はある一定の基準で選択されており,全医療機関の集団からとられた特別な部分集団である.それゆえ,被験者集団は対象母集団の代表性を満たしていないと考えるべきであろう. したがって結果の適用可能性は,そのような被験者であることを認識した上での一般化可能性の判断に依存する。 解析対象集団は,試験に参加した被験者全体とするのが基本である.しかし,すべての被験者が定められた期間,試験治療を継続できるとは限らない.例えば,有害事象や無効による中止または既存治療への切替えが必要な場合がある. また,試験途中で音信が途絶え試験が完了しない場合もある.試験が完了できなければ,当初意図した被験者全員の観測値が得られない. また,試験に組み入れられた被験者が,組入れ条件を満たしていないことが後になって明らかになることもしばしば発生する.このような被験者が解析に含まれると,対象母集団に含まれない被験者の結果によって試験結果が乱される. さらに,試験途中で試験に規定されていない治療や手順がとられ,観測結果が試験治療の効果を適切に反映しない場合がある. 治療・観測規定からの逸脱または違反が治療効果と関連している場合もあるので,このような被験者を除外して解析すると結果に偏りが入ることは明らかである.したがって,このような問題を含む被験者の解析における取扱いが,試験結果の信頼性にとってきわめて重要な問題となる. SchwartzandLellouch13)は,実践的試験では問題の有無にかかわらずすべての被験者を追跡し,得られたすべてのデータを割付群に従って解析すべきことを示唆した.Peto,etal.14)もこの方針を受け入れている. 一方,GentandSackettl5)およびScakettandGent16)は,割り付けられたすべての被験者の解析が偏りあるいは精度の低下をもたらす場合を例示し,Schwartzらの取扱いと若干異なる立場をとっている.Sherry17)は,Schwartzらの取扱い方針をintention-to-treat(ITT)と呼び,その問題点を議論した. 無作為化されたすべての被験者を,試験中に発生する問題の性質にかかわらず予定期間追跡し割付群に従って解析する方法は,それ以後ITT解析と呼ばれるようになった18). 近年,ITTの解析方針が広く受け入れられるようになり,米国食品医薬品局(FDA)が有効性の根拠とする試験についてITT解析を主要な解析とすることを推奨している(Ellenberg19)の議論参照). しかし,ITT解析を支持する研究者は多いが,他方では極端すぎると考える研究者も多い.これに関しては文献20~25)を参照されたい. また,この用語の適用については多くの誤解と混乱がみられる.海外の臨床試験論文では一般にITTに従って解析したという記述が多いが,それらはICHで合意された「臨床試験のための統計的原則」1)でいうところの厳密なITT解析の定義に必ずしもあてはまるものではない. この事実を背景にして,「臨床試験のための統計的原則」!)では解析対象集団として最大の解析対象集団および試験実施計画書に適合した対象集団という概念を導入し,最大の解析対象集団はITTの原則を反映したものと位置づけている.
この本に書いてあるように近年はITT解析が用いられるようになったとある。 つまり、マスタードガス療法などの古典的な多剤療法の延命効果臨床試験と結果の解析がPBB解析で行われていたとしたら、最終クールまでできた人間の生存成績がよく出たのはトライアスロンでゴールできた人に体力があったのと同じく、当たり前のことである。それが薬理効果による治癒とか延命効果でないことは結論の出し方を分析してみれば、誰でも気がつくことだ。 次に近年は主流の最初の計画の割り当てで全て解析するITT解析には別の欠点があることを述べている。

●ITTの原則

a.定義 治療対象として組み入れたすべての被験者を対象とし,当初意図した(すなわち割り付けられた)治療群のもとで,あらかじめ定めた最終の評価時点の結果を解析すべきであるとする考え方をITTの原則と呼ぶ. 「臨床試験のための統計的原則」1)では,ITTの原則を「一つの試験治療グル…一…プに割り付けられた被験者は・予定された試験治療のコースを遵守したかどうかにかかわらず,割り付けられたグループのまま追跡され,評価され,解析されるべきである」と解説している.この原則を適用すると次のようになる. (1)解析対象集団は試験計画違反や中止の有無にかかわらず,すべての無作為化された被験者からなる. (2)無作為化された被験者は,試験実施計画書で定めた試験期間の全体にわたって追跡され,その期間の最終時点での測定値が収集される.すなわち,解析の対象となるデータ集合は,無作為化された全被験者の測定値からなる. (3)すべての被験者は,実際に投与された薬剤が無作為化によって割り付けられた薬剤であるか否かを問わず,無作為化によって割り付けられた薬剤を投与されたものとして扱われる. b.ITT解析の意義 来院が不規則であったり服薬が規定どおりなされないことは,日常生活の中ではきわめて普通に起こることである.試験においても,すべての被験者が規定どおりに来院し服薬することは困難であろう. またこのような治療規定からの逸脱の一部は,試験治療に由来する場合もある.治療の誤りや試験計画書違反,計画からの逸脱も発生する.試験治療が中止された場合には,それ以後は最善の既存治療が施されるであろう. したがってITTによる評価とは,試験で最初に実施された治療(通常は割り付けられた治療)の効果,試験治療中止後に施された治療併用された治療ならびに試験治療とそれら治療の相互作用のすべてがもたらす,試験治療開始から一定期間後の被験者の状態を評価することを意味する・ いま試験薬が有効であると仮定して,プラセボ対照試験でITT解析がどのような結果をもたらすかを考える. 海外の論文でよく議論される割付の誤りによる試験薬剤と対照薬の入れ違いの場合には,治療群間の差が小さくなるような偏りが入る. 無効脱落は,試験薬群よりプラセボ群に多く発生する可能性があるが,無効脱落被験者は通常治療に切り替えられる可能性が高いので,結果的にここでも治療群問の差が小さくなるような偏りが入るであろう. また,有害事象による中止は,プラセボ群より試験薬群に多く発生しやすいであろう.これらの被験者も通常治療に切り替えられる. 試験ではこれらの場合が混在しているので,一般にITTでは治療間の差が小さくなるような偏りが入りやすく,治療間の差が検出しにくくなると考えられる. したがってこの解析方針では,被験薬が対照薬に優れることを検証する場合には,第一種の過誤が増大する可能性は小さく,検出力の低下が生じやすくなる. したがってそのような状況で被験薬が対照薬に優れるとの結果が得られれば,その結果は信頼できるといえるであろう.このような意味で,優越性試験においてはITT解析が妥当であるといえる.しかしこの場合の偏りとは,何を基準とした場合であるかを考えておく必要がある. ITTの考え方では,どの治療法で治療を開始した場合が最終的に最も好ましい状態であったかを知ることが目的であれば,最終評価時点に至るまでの治療の変遷をすべて含んだ結果を比較することになるので,偏りとみる必要はないといえる. 無効中止の場合には,無効判断を解析に用いるべきだとすれば,この解析方針は途中の経過を問わず最終の結果を比較するというITTの原則に沿わないといえる 高血圧の治療の場合を考えよう.試験計画では,投与前値と8週間投与後の血圧値の差を治療群問で比較することを計画しているとする. ある被験者はある薬剤で血圧を適度に管理されていたところで試験に参加し,プラセボ投与の導入期間を経て試験治療を開始したとする. 4週後に血圧の異常な上昇を示して試験薬投与が中止され,試験前に投与されていた薬剤に切り替えられた結果,再び投与前の良好なコントロール状態に戻ったとしよう. 試験の組入れにあたって,プラセボを投与して血圧が再度上昇し安定した時点で試験治療を開始するので,ITTの原則ではこの被験者は8週後には優れた改善を示したことになる. それでは,最初に投与された薬剤を選択したことが適切であったという判断になるのであろうか? むしろ,試験を中止したことは試験薬が被験者を治療できなかったことを意味するので,試験治療は無効と判断すべきであり,この事実を薬効の評価に反映すべきであると考えられよう. プラセボ対照試験で,被験薬に薬効はなく有害作用のみがあるとする.試験中止後は既存治療を受けられるので,中止した被験者は相対的に好ましい結果を示すと期待できる.無効による中止はプラセボ・被験薬とも等しく,有害事象による中止割合は被験薬の方が高いとすると,被験薬群の方が全体としてよい結果を示す可能性がある. このような問題を避けるためには,脱落の経時的な発生状況と脱落理由,およびこれら事象の発生以後の治療実態と,評価変数の全期間にわたる経時的な変化を詳しく吟味しなければならない. しかし,もし脱落発生状況を考慮して判断するのであれば,中止や併用治療違反を治療の不成功として扱うことが意味をもつことになり,当初予定した終了時点での治療結果の比較は無意味になる.このような意味で,ITT解析を無条件に主要な解析とすることには議論の余地がある. 97~
これによって薬剤や治療法の効果を正確に測定することは出来ない。その曖昧さに解釈の捏造がつけいる隙がドンドン膨れあがるわけである。 よって効果があることを科学的に確認されたことはなく、確認されたという結論を出した事例があるだけである。 また無治療方針に割り当てられる比較に使われる無治療群というのは、まったく現代医学の治療は何もせずに様子見する人という意味ではないことを説明している。

●無治療同時対照試験

患者群を無作為に2群に分け,一方の群には被験薬を投与し,他方の群にはプラセボの投与も擬似治療も施さない試験を無治療同時対照試験という. この無治療群を無治療同時対照群という.無治療といっても,患者を全く治療しないことを意味するのではなく,通常は被験群も対照群も試験薬の投与の有無以外では同一の基礎治療あるいは各患者にとって最良の治療を受けることを妨げるものではない. 試験治療を受けているかいないかは患者,医師ならびに関係者には明らかなので,試験開始後の応答ならびに観測・評価に偏りが入りやすい. したがって,可能な限り避けることが望ましい. やむを得ず無治療同時対照試験をする場合には,次のようにして可能な限り偏りを除くよう試験実施方法を工夫することが必要であろう.54~
このことから、無治療群というのは現代医学のガン治療を全く受けずに死んだ人のことどころか、無治療という比較対照群に配置された後にも現代医学の薬物を投与されない人という意味でもなかったことに気付くはずだ。無治療とはあくまでも比較対象に対する積極治療の意味で言われているに過ぎない。(積極治療と言ってももちろん実際には治療などしていないが) それにも関わらず、医者の説明では無治療との比較とは、まったく現代医学の治療を最後まで受けなかった人のことであるかのように語られているのである。現代医学では言葉の曖昧な解釈につけ込んだ説明が多い。人が勘違いすることを前提に言っているのである。無治療群という言い方も無治療なのではなく、言葉の曖昧さにつけ込んだ詐欺である。 比較させる無治療群の本質は詳しく言えば、 「それまでのてんこ盛り治療でボロボロになり、麻薬など以外の積極的なガンに対する攻撃治療は、それ以上はしないことにした群」という意味である。印象とは裏腹に無治療どころかタップリ治療漬け群なのだ。 それなのに、巷では、「現代医学の治療を最後まで断って受けなかった人」という意味だと思われている。そんな人が地獄の臨床試験現場で比較対象になっているはずもない。 それを現代医学信仰というカルト信者は、 「無治療なら、数ヶ月で死ぬところを抗ガン剤を使った場合は…」と反論してくるのだから滑稽きわまりない。

カプラン・マイヤー法にも重大な欠点があった

●個々の死亡例を計算に取り込むカプラン・マイヤー法とは何か

おそらく、リタイア群を斬り捨ててしまうPBB解析で抗ガン剤の延命効果は作られているというと、医猟従事者たちは、現在はITT解析やカプラン・マイヤー法が編み出されていると反論するだろう。 私はそう言ってくる医猟従事者たちにこう聞いてみたい。 「その方法はいつから解析ルールが確立して行われていたのですか?古典的なマスタードガス療法のときにも使われていましたか?」と。 私はカプラン・マイヤー法も調べた結果、どれも大きな欠点があることに気がついた。 PBB解析の欠点を改善したのがカプラン・マイヤー法である。カプラン・マイヤーの方法は,死亡が1例ずつ起きた時点で,その時の生存率などを計算するという方法である。PBB解析のような脱落群に対して単純に解析対象から斬り捨てを行わない。解析から除外するだけなら、単純に計算できるが、その方法だとトライアスロンを走りきった人には体力があるというような結論になる。 カプラン・マイヤー法をトライアスロンに例えれば、ゴールした人だけを対象にせず、参加した人は、どこまでをどのタイムで走れたのかということも計算して平均値を割り出す。

●実際にカプラン・マイヤー法の理論通りに計算する事は不可能

しかし、これは後述するように厳密に個々の脱落例、死亡例を膨大に計算しなければならないから最終結果が出た頃の計算の手間がかかりすぎるので、厳密にカプラン・マイヤー法で計算はされていないはずである。参加者が多くなるほど、莫大な事例を細かく追跡し、計算しなければならないからである。その追跡調査を誰がやるのか? 15年生きていたとしたら、その人がどうしていたかを追跡するのは病院関係者にとって莫大な手間とコストになるから、もし本当にやるとしたら、臨床試験ビジネスはコスト倒れになる。 だから私はカプラン・マイヤー法は理論上、比較的に生存成績を割り出す方法に近づいたとは思うが、実際には出来ない机上の空論だと思っている。 脱落群というのは単に脱落しただけでなく、自分でなんとかしようと他にさまざまな治療を行おうとしたりする。問題は、その他の要因をどう計算するかである。 カプラン・マイヤー法とはいえ、他の治療をしたときに受ける後遺症や毒性の要因とか逆に他の代替療法による延命効果の要因を含めて計算すると言うことは出来ていない。 カプラン・マイヤー法とはいえ、他の治療が、その後の寿命にどう影響したかということまで計算することは出来ない。そんなことまで追跡して、計算するとなると途方もないことになるからだ。

●実際には複数要因が寿命に影響するが、単一要因で計算する欠点は同じ

カプラン・マイヤー法では多重要因の計算に関しては一切無視して、単純にCMF療法をしたからどうなったかという計算はPBB解析よりは正確に近づいたが、単一要因での結果としか計算しないことについては従来のPBB解析の欠点と同じである。他の要因を計算すると言うことはできない。また他にやった治療要因がどの程度、その後の参加者達の寿命に影響を及ぼしたかを数値化すること自体が難しいはずである。 だから、生存成績というのは、いくら理論上はいい計算方法を編み出したとしても、それを計算に採り入れる手間とコストの都合上、多かれ、少なかれ、難しいことは、ほとんど斬り捨てて計算せざるを得ない。 だから医猟従事者たちがカプラン・マイヤー法でやっていると反論してもそれは机上の空論で実際には行われていない。 個々のケースも計算して採り入れるというカプラン・マイヤー法であろうと、そもそも最初の比較前提が累積後遺症、累積毒性の甚大なボロボロの人間を比較実験に使っているという実験の前提までは一切変えようがない。

●カプラン・マイヤー法は結果に対する解析法に過ぎない

カプラン・マイヤー法は結果に対する計算法に過ぎないからである。いくら優れた計算法を編み出したとしても、実験の前提がおかしければその時点で頓挫していたのである。 そういう意味でカプラン・マイヤー法は解析法をいくら正確に厳密に計算するという計算方法を編み出したとしても、それ以前の実験の前提がメチャクチャであるから、臨床試験の不確定性原理は、どうにもならないのである。 たとえ解析法をいくら正確に採り入れたとしても最初のメチャクチャな前提が変わるわけではないからだ。 正確に計算しようとすればするほど計算に手間がかかるからタテマエ上は行ったことにしても実際には行われなくなる。 カプラン・マイヤー法とはあくまでも正確に計算したと医猟産業が装うためのタテマエ上の理論に過ぎないと思っておいた方がいい。反論のための単なる理論武装だから実際には正確には行われていない。 カプラン・マイヤー法だとPBB解析と違って、リタイヤや途中死亡の不完全例を完全に斬り捨ててしまって、除外してから最終的に解析するのではなく、死亡例一例ずつも採り入れて生存率を計算する方法である。 ITT解析やカプラン・マイヤー法がある程度までは採り入れられた現在となっては、「マスタードガス療法には無治療群の2倍以上の延命効果が確認できた」というほどの極端な生存成績は作りにくくなっているがかなり以前に行われた臨床試験結果は解析方法が作り出した数字のマジックに過ぎない。。

●さらに臨床試験を行う病院に集まる患者の特徴が似ている問題がある

臨床試験には脱落した人のことをどう数えるのか?という隘路がある。なぜなら、もともとボロボロで死にかかった人たちを集めてやる上に、抗ガン剤のような猛毒では過酷すぎて、治療群に分けてやった人のうち、最終クールまで到達する人よりもリタイアする人や途中で死ぬ人のほうが完走群よりも多くなるからである。 このような問題があるから、どちらの考え方で測定しても臨床試験で正確に延命効果を測定することは出来ないという臨床試験における不確定性原理が生じているのである。 医者の反論としては、 「だからこそ臨床試験では大勢を集めて、できるだけ平均化するのだ」と言うだろう。この問題はそもそも臨床試験をするような治験ビジネスをしている病院に集まってくる患者は、どの人も似たように追い詰められたパターンに陥った人が集められてくるから、全体の癌になった人という意味では、けっして平均化などできないということである。 だいたい抗ガン剤の猛毒の治験に参 加する人はどういう人か?他に治療法のないがん患者だからこそ、そんなどうなるかわからないような猛毒の半丁バクチに参加するのではないか。 それは、がんサポート情報センターのサイトにもこう書いてある。 「第1相臨床試験では、すでに確立した治療法により手を施し尽くした末、『ほかに治療の手立てがない』という患者さんから治験参加の希望者を募ることになる。」と書いてある。 このように書いてあるとおり、そんな人でなければ、どうなるかわからないような猛毒に手を出すはずがない。 これは多かれ、少なかれ、第2相臨床試験、第3相臨床試験、第4相臨床試験も同様である。 医者は臨床試験の前提について、偏り(バイアス)をなくすためにさまざまな無作為試験や二重盲目試験を実施していると反論するかもしれないが、そもそも治験をしているような病院に集まった病人でやること、それに同意するような人でやること自体が既にトンデモなくある種の人間に偏っているのである。偏りの極みだ。

●最初の比較前提から偏りがある

ましてや抗ガン剤のように一般の人間は使えず、ボロボロになって行き詰まった人間でなければ臨床試験ができない抗ガン剤や劇薬、毒薬の臨床試験はますます不確実になる。 彼らがクジ引きだの無作為でやっただのと言っているのは、その中からは、偏らないように末端で偏りを避けているだけに過ぎないから、もともとの前提がひどく偏っていることからすれば、滑稽なる言い訳である。 そもそも治験をやるような病院にいる患者が最初から自然療法をやったり、医者に近寄りもしない本当の無治療患者や累積後遺症、累積毒性を持たない患者などいるわけがないからである。現代医学に累積後遺症や累積毒性を負わされていない人が参加することは、前提を考えてみればまずないのだ。 その限定された条件からして、そのような場に集まってくる人間の数をいくら増やしても、平均化などできるはずがない。どれも程度の差はあっても、累積後遺症、累積毒性を抱えているからである。 これは毒性の強い化学薬品の臨床試験ほど、この偏りは大きくなる。抗ガン剤のような猛毒発ガン物質はなおさら偏る。 患者の特徴はどれも似たような治療漬けでボロボロになった人ばかりになるから、同様の条件にはまり込む人をいくら増やしても平均化すること自体が不可能だ。治験病院には治験にすがりつかざるを得ないような人しか集まらないからである。その人たちを使った実験でマスタードガスの延命効果が科学的に実証されたと言っているのだ。 現代医学の治療を一切受けないような人を臨床試験に参加させることが出来ないはずである。 マスタードガスの投与を最後まで続けられたのは、その中から比較的体力が残っていて、ある程度の若さがあったから最終クールまで出来たと言うだけに過ぎない。

●延命効果は製薬会社や医者達の解釈による産物である

おそらく、医猟従事者たちも猛毒発ガン物質を投与して獲物が悶絶死をしている現場で騙されていることには薄々気付いているだろう。 しかし、なぜ私のような初歩的な指摘をしないかというと、それは自分も騙されていたほうが合法的に悪化させて、リピートで稼げるから気持ちいいのである。 本質は騙されているのではない。医猟従事者たちは騙されたらフリをしているだけなのである。 マスタードガス療法が有効だと判定された時代には、最後のクールまできっちりできた人、つまり、評価可能例のみの解析(per-protocol 解析) で判定されていたケースがかなりあるから、今から考えれば、マスタードガスによる治癒効果や延命効果でも何でもなかったことは判明していたのである。これでマスタードガス療法の有効性どころか、すべての抗ガン剤と称した化学薬品の有効性や延命効果は完璧に崩れたのである。 彼らの言う延命効果の証明は、その結論が導き出された過程を分析すると解釈の間違いの産物だったのである。その間違いは欲望が導き出した勘違いなのだ。

書きかけ項目


病院はなぜほとんどが赤字経営とよく報道されるのか?



●仕組まれたイメージ作戦に騙されるな


医猟産業が患者たちを悪化させることで、暴利を得ることに成功してるのであれば、どうして「病院が破綻しそうだ」とか「医療は赤字で破綻しそうだ」と言った話を情報産業は流すのだろうか?
これは他の項目のページにも書いたことなので、あちこちで重複するが、このプロパガンダのカラクリについては徹底的に書いていかなければならないことだろう。
これには様々な理由がある。彼ら医猟産業の人間にはそのように思い込んでもらわなければ困るいろんな理由があるからだ。困ると同時にそう信じてもらうことが得なのである。
つまり、赤字で困ったことになっているというイメージこそが医猟ビジネスにとって次の投資や暴利を呼び込むカラクリになっているからだ。
これも医療産業にさらなる暴利をもたらすために情報産業や役人を支配して行われているプロパガンダなのである。
その本当の理由は、医療産業がこのような凶悪犯罪を繰り返しているということを悟られないようにするためのカモフラージュの意味と医療が赤字で破綻したがっているというメッセージを人々に強烈に刷り込んでいくことで、人々に病院の必要性を訴え、
「医療が破綻してしまっては、あなたたちの生命が危ぶまれる」
「医療は決して人につけ込んで利益を上げている産業ではない」
「もっと予算をあげて医療に投資してもらわなければ、私たちはやっていけない」
ということなどを訴える意味があったのである。
これは悪魔達の仕掛けているイメージ作戦なのだ。

●わざわざ予算が余っているとアピールする人間がいるか


この本質は、こう考えてみると、わかりやすい。
自分が会社で何かを任されている人間だとして、
「渡された予算内で十分間に合っています」とアピールしてしまったのでは、
「そうか、多すぎて余っているなら削減させてもらうか」と予算が減らされかねない。
そこで十分間に合っていたとしても、
「次の予算はこれでは、行き詰まってしまうからどうにかしてくれ」ということを訴えなければならない。そうしないともっと大きな予算が取れない。投資をしてくれないと困るワケだ。
つまり、第1の目的は、人々に対してに投資をしてもらわないと医療はやっていけなくなるのだということをアピールするため、医療は予算不足で困っているのだということを人々に信じてもらわなければならないからである。
人がそれを信じてくれれば、さらに薬代や医療費を上げることが出来るようになる。なぜなら、大衆は医療が赤字で困っているなら、医療費を上げなければならないのは仕方が無いとナットクくれるからである。
医療は儲かっている産業であると勘付かれてはマズイのだ。

●病院は清貧のイメージで無いとマズイ


次に、こう考えたらわかりやすい。
自分が苦しい治療をして、高い金を毎度払っているのに、医者や病院は最高利益で凄まじい黒字になっていると知ったらどう思うだろうか? それは当然、不信感を抱くであろう。医師と患者の関係は崩れる。
医療産業が儲かっているということになると、イメージとしては非常に悪いであろう。医療というのは人の病気や人の苦しみというものによって成り立っている産業である。
医療が儲かって、ホクホクに潤っているということがわかってしまうということは、人の不幸によって、産業が儲かっていることが人々の中に定着してしまうことになる。
それは人の不幸につけ込んで潤っているというイメージが定着することになり、儲かっているのにこんな暴利の治療代を取るのか!と国民の怒り爆発を買いかねないから、極めて都合が悪い。
では、赤字ということを信じてもらえるとどうなるか?
「これでも医療は赤字で足りないから、むしろ赤字でやってくださっている」と思うだろうし、暴利の支払い請求でも仕方が無いと思うだろう。
つまり、儲かっていることになると、「もっと値下げしろ」と怒鳴られるから儲かっていることが悟られてはマズイのである。
だから医療は赤字で困っている人を助けているのだというふうに思ってもらわなければ、彼らにとっては都合が悪いわけだ。
実際はどうか?
医師の年収は東証一部上場企業のような企業の社員の平均年収と比べてもダントツで高いはずである。歯科医を除くと平均1500万円くらいはもらっている。それも30代程度でだ。
かといって私が書いているように彼らのやっていることというのは極めてレベルの低いことである。
それにもかかわらず、製薬利権のいいなりで投薬を繰り返したり、過剰治療を繰り返したりすることによって、彼らは莫大な利益を得ているのだ。
役人があちこちで天下りして暴利を上げているのに日本国家の予算では赤字というのと同じである。病院の赤字というのは関係者が赤字と言うことではない。これは人が勘違いしていることだ。

●あらゆる業種で最高利益の製薬会社


製薬会社の利益は凄まじい。私は製薬会社というのはどれぐらい儲かっているのだろうと興味を持って過去の四季報を図書館で調べたものだ。
比較するにはわかりやすい対象がよい。任天堂がファミコンブームで全盛期だった時代、トヨタが1兆円の利益をあげた頃のと比べ武田薬品や日本の製薬会社が売り上げに対してどれだけの純利益を上げるかということを調べてみたら良い。
武田薬品などは、ファミコンが全盛期当時の任天堂等よりも遥かにすさまじい利益率をたたきだしているのである。売上げに対して30%~50%の利益を上げている。
私は四季報で全社を全部調べてみたが武田薬品より利益率の高い企業はない。任天堂がファミコンを売っていた全盛期の頃はムチャクチャ儲かっていただろうと思って調べてみたら、儲かってはいるだろうが武田薬品の利益率にはあしもとにも及ばないのである。
しかし、そんなことが大衆に気付かれたら人はどう思うか?
「医療って儲かっているらしいね?オレ達の苦しみで儲けてるのか」とイヤミを言われたり、恨まれかねない。
さらに、「そんなに儲かっているなら予算をもっと減らせ!」という国民の怒りでそうなるだろう。儲かっていることになると、それ以上医療費の予算を国費から吸い出せない。
つまり、病院は儲かっていることになると都合が悪いことばかりなのである。だから医療は、さらなる暴利を得るために、
「医療は予算不足で破綻寸前だ。私たちは赤字で困っている。もっと投資してもらわなければ、やっていけなくなり、あなたたちは医療を受けられなくなる。それでもいいのか?」と訴えることで、脅迫し、次の予算をもっと増やさせようとしているわけである。

●薬価差益ゼロにしたことで薬価差益の丸儲けが可能になった


法律の改正で医薬品の薬価差益がほとんどゼロになった。
「1986年に23.0%だった薬価差(率)は、度重なる薬価切り下げで2004年には6.3%まで急減した。しかし、薬の維持・管理、期限切れ薬の処分などの費用なども考えると、薬価差益どころか薬価差損を生じていると主張する人もいる。」
これは薬価差益はゼロではないが、そこに仕入れコスト、維持管理費などのコストを考えると6%程度では、ゼロ、もしくは損になるという制度だ。
オモテ向きはいくらクスリを出しても病院は1000円で仕入れた薬を1000円で売らなければならないという制度だ。6.3%のコストは維持管理費のコストで消えるということになるから薬価差益はゼロである。
つまり、いくら患者を薬漬けにしてもタテマエ上は利益がほとんどないのである。技術料と称したものがあるから厳密には薬価差益はまったくゼロではないが、ほとんどゼロと言うことに変更されていったのである。
もし、本当にクスリを出せば出すほど病院は赤字になるのであれば、どうして病院はあれ程、不必要なクスリをドッサリと患者に処方するのだろうか。
クスリを出すと言うことは管理したり、薬剤師の人件費など、さまざまなコストがかかる。自分たちは使えば使うほど薬剤師などの給料で損をするというのにである。
考えてみたら妙なことをやっていることに気付くはずだ。経済至上主義の原理で本当に損をするならそんなことを続けているのはおかしいことに気がつくはずだ。
もっともタテマエ上は彼らのような悪魔なら「患者さんを救うために身を削っているのです」などと平気で言うだろう。
これは彼らにとって極めて都合の良い法律の変更だ。オモテ向きはクスリを出しても病院は儲からないと見せかけるためのポーズに過ぎない。本質はまったくウソで利益率は大幅にアップしているのだ。
まず、この問題は大衆からの病院は薬漬けにして稼いでいるのではないかという不信感がたかまったことによって彼らはマズイと感じたわけである。
つまり、薬漬けで稼いでいることがバレると批判を受ける厚労省になるからだ。
しかし、薬価差益がゼロとなると無駄に薬漬け医療をしても仕方が無いということが本質を見抜けないバカにはアピールできる。
そして薬価差益がゼロで儲からないのに丸儲けになったとはどういうことか?
病院経営や医学部狂育の経営というものは、実際にはウラで寄付や研究費や協賛金や接待と言ったさまざまな暴利が還元されている。一晩数十万の接待や車のプレゼントなど当たり前の世界である。

●使わない医者に還元などあるはずもない


これは、当たり前のことであるが、言うとおりにクスリを使ってくれない病院や大学や医猟従事者にそんな還元が配られるはずもない。使わないほうの医療従事者に還元はゼロだ。当たり前のことであるが、自分が本当に損をしてまでクスリを使う病院は滅多にないだろう。
つまり、薬価差益ゼロというのは名目が変わっただけで本質的には薬価差益増しそのものなのである。薬価差益がゼロになることでさまざまなメリットがある。
タテマエ上は儲からないことになるから、病院経営の決算が赤字にしやすくなる。これが「私たちは儲かってませんよ」というアピールにも次の予算を取り付けることにもなるから、次の投資を促したり、税金で補填させたりするには、きわめて都合が良いのだ。全体の決算が下がれば、税金を払う必要も無い。決算上の経営状態というのはあくまでもオモテのカネの流れに過ぎないのだ。
そうすると
「先生たちは赤字で私たちを助けてくれているのか」と感謝されるというシカケ。医療の信頼がますます高まるわけだ。
もし、薬価差益で儲けが出ると、それは利益であるから、税金を払わなければならない。だから、医師会は自民党などに献金して、法律を薬価差益はないことに改正させたわけである。本当に損をするなら猛反発するはずではないか。
また獲物にクスリで儲けていないというアピールが出来ることはきわめて重要である。医療の経営では獲物が勝ってくれるだけでなく、出したクスリを律儀に飲んでくれなければならない。そのときに、「オレにこんなたくさん飲ませて、稼いでいるんじゃないか」など勘ぐられるとマズイ。だから、薬価差益があるという制度はオモテ向き上はやりにくかったわけである。
医師会にとって、薬価差益ゼロにしてくれたことで、ありがたいことありがたいこと。これはオモテのポーズでは病院は利益が無いことになるから、いくらクスリを打っても儲からないと嘆く。オモテのポーズで嘆いて、ウラのホンネではホクホクなのだ。オモテ向きのポーズに騙されるな。

●オモテ赤字、ウラ黒字でホクホクの病院


つまり、これは巧妙な利益独占のカラクリである。まず、一旦、獲物や健康保険から騙し取ったカネを病院から全部を製薬利権の利益にしてしまって、病院や医者は一切クスリではオモテ向きの決算上では儲からないようにしておく。これでオモテ向きは病院ばかりで損をしていることになる。こうすれば、
「利益のためのクスリを飲ませているのではないか?」と獲物は疑心暗鬼に疑わなくなるしいうシカケ。
しかし、ウラから寄付や研究費や協賛金や接待やプレゼントといった還元をしてもらえれば、丸々税金のかからない利益として手元に戻ってくるから丸儲けになる。よく考えたものだ。
しかも、ウラから返ってくる分は病院経営という決算上の利益にする必要が無いから、きわめて都合が良い。オモテ向きは薬代では儲からず、赤字でがんばっている病院というポーズが成り立つ。利益なのにオモテ向きは利益と報告する必要が無い。ウラの隠れ利益が出るわけだ。
つまり、これはタダで引き受けるといって、仕事を名目上は無償提供で、あとでプライベートのつきあいでゴルフセットを提供してもらったりして、本当の報酬を還元してもらうというのと似ている。薬価差益丸儲けが可能になったわけだ。
武田薬品の凄まじい利益は、そこから病院や関係者に流れ込んでいるわけだ。

●国家機関、情報産業も一体となった壮大なペテン


彼らにとってはウラで手を繋いで丸儲けなのに、オモテでは税金も払わず、赤字を垂れ流しながら患者さんのために働いていることになるし、もっと投資してくれないと医療が受けられなくなると思ってくれるのだから、獲物は薬価差益もないのだから、まさか過剰治療もないだろうと信じるわ、丸儲けになるわ、願ったり叶ったりの制度なのだ。
医療が赤字で困っているというプロパガンダは、さらなる投資を呼び込む呼び水となり、暴利を貪るためのプロパガンダであり、医猟産業が肥え太っていくカラクリなのだ。
そんなプロパガンダに騙された獲物が安心して屠殺解体場に飛び込んでくるシカケ。
つまり、薬価差益というカタチでとると税金の分が損するかゼロにして、ウラで受け取る方式に変えただけのことなのだ。税金がかからない分だけ、利益率は当然ハネ上がる。本質はますます暴利体質になっている。
このカラクリがわかると、まったくのペテンであり、脱税の世界である。国税も脱税を見逃すことで暴利の恩恵を受けているわけだ。買収されているわけである。
だから国税は日本最大の脱税犯罪の組織である。それはもちろん、国家機関そのものがグルであるから彼らが捕まるはずもない。厚労省が保険金殺人ビジネスの中央司令塔であるのと同じだ。国家機関そのものがマフィアだったのである。
医療産業にとってはどんなに暴利を上げても大衆には赤字であると思ってもらわなければ困るのだ。


●薬漬けで悪化させるほど他の点数も稼げる


薬漬け医療は暴利の薬価差益で医猟従事者たちを潤してくれるだけで無く、様々な副次的な効果をもたらしてくれる。クスリというのは副作用情報の資料を見ればわかるように発病剤や発ガン物質である。

これが彼らにとって次の余病というリピートを生み出し、彼らにとってさらなる利益をもたらしているのである。
つまり、このような薬漬け医療を堂々と正当化する意味でも薬価差益はゼロにしてもらわないと彼らは困るワケである。
もし、儲かっていたら反発されたり、薬漬けで儲けるためのに処方しているのではないかと飲まなくなるだろう。
だから医療は儲けが出ないというカタチで無いと彼らは困るのだ。だからこそ日本の全国982の公立病院の約 3分の2は赤字経営であるという。
これは前提を考えれば当たり前のことである。公立病院というのは、税金でまかなわれているから赤字と言っても関係者が困るワケではない。病院は絶対必要と言うことになっているから、赤字になってもたいていは補填される。たとえばいくら生活病院が赤字になっても補填してくれる制度があれば贅沢三昧の豪遊をして出してもらったほうが得だ。
病院が儲からない商売だ、医療は儲けていないとアピールするには、公立病院は赤字であってくれる方が得なのである。赤字になったほうがトクなのだ。もっと予算を取り付けるためにはどうする必要があるかというと医療産業にとっては、赤字決算が出て予算が足りないことにしないといけない。黒字だったら、次の予算が吸い出せない。
つまり、公立病院が赤字というのは、医療産業にとってきわめて都合が良いのである。本当に赤字になるなら、あんなにドッサリ不要なクスリを処方するわけが無いではないか。
これは官民が一体となって行われている大衆を騙すための演出だったのである。
医療従事者が助けようとしても助けようと全力を尽くしても患者の病魔は虚しく猛威を振るって悪化していくという虚構の細胞分裂伝説が都合が良いのと同じく、暴利をもたらすための演出だったのである。
オモテ向きのホーズを真に受けているとしたらアホである。まったく虚構の演出に騙されたいい獲物なのだ。
オモテ向きの仕組まれたカタチでものを見て、本質を見抜いていないからチンケな詐欺にひっかかる。



人は本当の真相を統計学的に物事を分析していない


医猟産業の利益に都合の良いことしか報道されないシカケ


●悪魔の産業に騙される巧妙なカラクリ


これだけ凶悪な保険金殺人犯を引き起こしている悪魔たちが、どうして最も尊敬されるような職業になっているのか?
ここで経済至上主義社会で人が、いかに医猟利権に都合良くだまされて骨の髄まで都合の良いカネヅルとして洗脳されていくメカニズムの本質ということに徹底的に分析して、どうしてそんなことになるのか気がつかなければならない。
それは自分では物事の本質を理解しているような気にさせられているだけで、本当は経済至上主義社会の支配者たちから、利益に都合の良い思考回路を作られて飼われているだけである。本当は物事の本質をまったくといっていいほど正しく認識していないということである。
これは、狂育産業でも、あらゆることで言えることだが、ひとつの例として医療にまつわるイメージこそが意図的に利益を生み出すために作られた心証そのものなのである。
例えば、日本人の多くは病気にかかったら、医者やクスリに頼らないと病気はどんどん悪化していくかのような印象を持っている。
子供が病気になると親は病院に連れて行っていろんな処置をしないと、たいへんなことになるように思う。それは本当の意味での医学的統計から分析して本当なのかと言うことだ。ここでいう本当の意味での医学的統計というのは、実際には作られていないから自分の分析である程度作るしかない。

そして多くの人はどうして自分がそのように思い込んでいるかということすらも考えたことがないだろう。
そこには巧妙な"心証の錯覚"を作り出す悪魔的な医療マーケティングのからくりがあったのである。その印象の多くは"心証の錯覚"を作り出しているカラクリに気づいてしまえば、ほとんどが溶けてなくなってしまう程である。

●何もしなくてどうもならなかった人は数千倍


私はわかりやすい例としてインフルエンザの例を出している。接種が遅れて重症化し、人が死亡したというニュースが流れたりすると、ワクチンの接種と人が列をなすわけだ。
ここで重要なのは、インフルエンザにかかったけれども、勝手に治った人の統計は一切カウントされていないということである。
世の中には死亡した人や重症化した人の数千倍、何もしなくてかからなかった人、インフルエンザにかかったけれども勝手に治った人のニュースは全くニュースにならないということである。
つまり、インフルエンザが大流行した――そして、日本人のうち、20%の人がインフルエンザの予防接種を受けた――ということは実は80%の人はインフルエンザの予防接種など全く受けていないわけである。受けていない人の多くの人がインフルエンザにも感染しなかったということはクローズアップされない。

或いは、このうち5%の人はインフルエンザに感染してたけれども症状が出るところまで行かなかった。残り5%の人は症状が出たけれども、数日で医者にも行かずにほっといたら勝手に直ってしまったとする。


●人は"心証の錯覚"に踊らされているだけ


ここが問題である。さて、インフルエンザワクチンや治療を受けなくて結局どうもならなかった人、インフルエンザにかからなかった人、数日で勝手に治った人よりもはるかに莫大に存在している何も起こらなかった人、潜在患者、すぐ自然治癒力で治った人の統計は誰が作るのか?

そしてワクチン無しでかからなかった人、どうもならい人のニュースは誰が作って報道するのだろうか?

NHKなどのマスコミが「日本の70%の人がワクチンを受けなかったにも関わらず感染していないことがわかりました」というようなタイプのニュースを見たことがあるか?
ここが医猟プロパガンダから解き放たれるために気がつかなければならない非常に重要なポイントなのである。
つまり、大衆が最も気が付いていない巨大な大盲点こそが本当は一番重要なポイントなのだ。
私が今書いた重要ポイントというのは一切誰も報道しないし、人は注目していないということである。経済至上主義社会の中では何も起きないと言うことはまったく利益をもたらさない。よほどパニックでも起きたら沈静化させるために言うことはあるが、通常は、利益をもたらさないことをわざわざ持ち上げて強調する人はいない。私はこれを書いたところでビジネスモデルがないのである。
医療利権に都合のいい情報だけが流され、利益を生み出す印象だけが大衆に積み重なって、自然治癒力のおかげというのは自分では意識しないから印象としては残らないという巨大な盲点に人は気づいていないわけである。

●人が気づいていない盲点にこそ真相がある


実はその印象に残らないほうのことこそが実は重要な盲点なのだ。
インフルエンザを何人の人が受けたかというのは、受けた数と人口比で引けばわかるかもしれないが、そこまで考えて分析する人は滅多にいない。
ここで重要なのは受けなかった人の人数というのはあまりクローズアップされることがないということである。そして受けなくてどうもならなかった人、感染もしなかった人、かんせんしているのかもしれないが何も起きなかった人というのは、たいていが自分に何も起きなかったことについては無関心であり、考えてみることもない。
そして、ワクチンを接種しなくてどうもならなかった人というのは、けっして医療機関に報告してこないということである。
これは自分がそのような立場になってみればわかることである。自分は、あまり関心がないのでインフルエンザの予防接種を受けに行かなかった。あるいは痛いのが嫌から受けにいかなかった。

その結果、別にどうもならなかった。「打たなかったけれども助かったなぁ」という、その印象というのは自分の記憶として強く残るだろうか?
受けに行かないくらいであるから、あまり関心もなかった。世間がインフルエンザで大騒ぎしていることもあまり気にしていなかった。
そしてしばらくして騒動が収まった。
その後で、
「ワクチンの受けていないのに私はどうもならなかった人です」という報告をして、それを医療機関は、カウントして厚労省に報告し、厚労省はどうもならかった人の統計を作っているのだろうか?
さらにインフルエンザにかかったけれども自分で気が付く程の自覚症状が出なかったという人も自分でほとんど気が付いていないのだから、もちろん全く統計になるはずもなければクローズアップされるということは一切ない。
そしてかかって一時的に1~2日しんどい思いをしたけれども医者に行かずにかってに治った人がその後、ケロッとした頃に「私は自然治癒力で治りましたヨ」といちいち医療機関に報告することなどあるはずもない。またすぐに治った場合はあまり自分の記憶として印象に残らないものだ。

●本当にクローズアップしなければならないのはどうもならなかった人のこと


そもそもどうもならなかった人は、その人自身すらもどうもならなかったときのことをあまり印象として残らないのである。
そして、その人が本当にインフルエンザだったのか、そもそも、あとになってみると診察されていないのだからわからないのである。しかし、一時的に病気にかかっていたけれども結局どうもならかった人がいるということは理解できるはずだ。
あとでよくよく考えてみることがあるとすれば、
「あの時、予防対策もせず、何も受けていないのに自分にはどうもならなかったなぁ」と思うが、そもそも何も起きていないのにその印象が自分では自覚がないのである。印象にないことをあとでよく考えてみるということ自体が非現実的なことである。
つまり、人はどうもならなかったときの印象は残らないと言うことだ。
人はいちいち、何も起きなかったことについて考えて生きていない。
たとえば
「きょうも交通事故にあわなかったなぁ」とか
「きょうも人に襲われなかったなぁ」とか何も起きなかったことについては考えないし、その印象は残らない。
「きょうは嵐にならなかったなぁ」とは考えない。これらは起きたときの印象だけは強く残る。
また、インフルエンザが大流行したと騒ぎになっている中、何もしなくてどうもならなかった人は、結局どうもならなかったということを仮に報告したとても、それが医療機関で集計を重ねて厚労省がまとめて、厚労省が発表し、NHKのニュースになどなろうはずもない。そういう逆のことは一切行われないということに気がつかなければならないのである。
しかし、ここで、医学的に本当に重要なのは、何もしていないのに結局どうもならかった人のことなのである。
このような医学研究は正当な医学と偽装している現代医学では研究されない。なぜなら、クスリや医療に頼らなくても勝手に治るメカニズムなどというものが大衆に知れたら彼ら病気をいじくりまして利益を出している連中はオマンマの食い上げになるからだ。
このようなことをクローズアップする授業というのは医学部であるのだろうか?おそらくないだろう。
なぜなら、医学部とは人の健康を守るというのはタテマエ上の美名に過ぎないのであって、その本質は医猟経営学部だからである。
医者がもし、こんなことを深く考えるとしたら、医療産業は瞬く間につぶれてしまうだろう。
なぜなら、医者は人が病気や症状が出たとなれば、悪化すると判断し、いじくり回して商品を販売するロボットとして立派に成長していなければ、医療産業には利益が入らなくなるからである。

●日本の医者一人当たりの売上げは年間1億4千640万円


2010年の日本の医療費は年間36兆6千億円である。これほ日本の医者の数の約25万人で割ると一人当たり1億4千640万円もの売上げを上げていることになる。
癌医療はその3倍と計算すると約4億4千万円の売上げになる。

どおりで医者の年収が1500万円にもなるわけだ。医療商品を売った歩合なのである。

この金額は実際には医者が販売する以外にも含まれるから、このように単純計算ではないが、本質は医者が治療と称して医療商品を売りつけないと医療産業の利益は動かないことである。つまり、医者は医療産業の販売営業マンである。

医薬品には必ず副作用と言われるものがついてくるが、この副作用というのはタテマエではないほうが理想だが仕方がないとされている、そのホンネは病院経営にとっては実においしい口実なのである。

副作用を治療するためにまた次の治療薬を投与しなければならないという口実が出来る。その副作用の治療代ももちろん保険金や患者持ちである。当然、その副作用治療薬にも副作用が出るから、またその治療薬が必要になる。

つまり、こうしてひとつの病気の治療と称して次から次へと余病が発生し、投薬の口実が作れ、患者は毒物漬けで虚弱体質になり、終身カネヅルが作られていく。医療商品の販売がドンドン広がっていく。こうして誇大化し続けた虚構が年間36兆円の保険金殺人産業てである。



●医者に行って大丈夫だった人は医者に行かなければどうなっていたのか?


さらに重要なポイントがある。医者に行ってワクチンを受けた。あるいは受けいなくてインフルエンザにかかっから医者に行った結果、すぐに治ったとする。
クスリの信仰の日本人からすればワクチンや医者に救われたような気分になるだろう。またワクチンを受けていないがしんどい思いをしたが医者にかかって治ったと思うだろう。
ここで本当に注目すべきところなのは、その人はワクチンを打っていなければ、インフルエンザにかかってたいへんなことになっていたのだろうか?ということや、インフルエンザにかかって医者に行って治った人は医者に行っていなければどうなっていたのかということである。
これは同じ人間の体を二つにコピーして両方試してみるということができない以上は確認しようのないことである。
しかし、先に書いたことから推測できることは、インフルエンザのワクチンのを受けていないのにどうもならない人の割合が実は圧倒的に多いということなのである。
その人たちも受けていなくても何も起きていない可能性が確率論的には圧倒的に高いのである。
つまり、インフルエンザワクチンや医者の治療によって助けられた可能性は莫大な何も起きなかった群の確率から考えればその率のほうがはるかに高いことになる。この部分に注目してニュースになることはまずめったにない。ごくまれにサイエンス科学みたいな番組で言うことがあるかも知れないという程度だ。

●何も起きなかった人の確率99.9%がクローズアップ報道されないワケ


ワクチンを受けないでインフルエンザで死亡者が20人、重傷者80人に達したとする。世の中はパニックのように大騒ぎになる。この部分がニュースでは非常に強調され大騒ぎになるように報道されるのである。
しかし、日本の人口の1億2000万人だとして、1億19999900人には別にどうなっていないか、かかっても軽症でケロッと放置しても治っているわけである。受けていないのに何も起きていない人の、何も起きなかった人の割合ははるかに膨大である。そのような人たちが何のおかげなのかは言わない。その正体は人間の免疫力や自然治癒力である。これらが助けたと言うことを話題にしてもらっては医猟マフィアたちは困るのだ。
この部分は誰もニュースにしないし、「受けなくても大丈夫な人が大勢居ますよ」と医療機関が呼び掛けることは、よほどワクチン不足でパニック暴動になるようなことでもならない限り、まずめったにない。
通常、そのようなことを医療機関が言うことはない。言うとしたら、需要不足で苦情が殺到し対応できないような事態にパニックを沈静化する目的くらいだ。
そしてワクチンの害によって○○が起きたと言うことも抗ガン剤と称したマスタードガスなどの化学兵器剤が人々を大量殺戮しているのと同じく、報道されない。常に悪者にされるのは医療の商売として都合の良い細菌とかウイルスとかガン細胞とか患者自身の病魔なのである。
それはなぜか。悪化しないニュースは経済至上主義社会では医猟産業にも、そこから協賛金や広告費を得て成り立っている情報産業にも何の利益ももたらさないからである。情報産業の利益のカラクリとは商品のニーズを作り上げることで利益を生み出すことである。だからこそ彼らは情報産業に広告費を払うわけだ。

●情報産業を飼い慣らすことで行われている医猟プロパガンダの事例


次はNHKのニュースだ。
 
インフルエンザの流行では、患者が検査を受けないまま死亡したり、感染と死亡との因果関係が明らかでなかったりして、正確に死者の数を把握することが難しいため、国立感染症研究所が毎年、人口動態統計を基に死者の数を推計しています。この方法で推計すると、季節性インフルエンザの死者の数は、多い年には1万人を超えますが、ことし2月までの新型インフルエンザでは、死者はおよそ200人となり、季節性インフルエンザの数十分の1以下だったことが初めてわかりました。

 専門家は、医療機関でタミフルなどの治療が迅速に行われたことや学級閉鎖などで重症化のリスクの高い中高年に感染が広がるのを防いだことが、死者の数を減らすことにつながったとみています。
国立感染症研究所の安井良則主任研究官は「日本の死者数は欧米に比べ非常に少ない。医療機関で対策を取り、迅速な治療をできたことが死亡者を少なくできた大きな要因だろう。患者の多くが、重症化のリスクの高い高齢者でなく比較的体力のある若い世代だったことも影響していると考えられる」と話しています。


ここで重要なのは専門家とか国立感染症研究所といわれるところは、すべて医猟産業から金をもらって飼われているところであるということだ。
医学の専門家と言えば医学狂育の洗脳をタップリ受けて合格しないとそのような職に就いているはずもない。
また国立感染症研究所といえば、戦後の731部隊が歓迎され、所長や幹部が731部隊の関係者で占められていたように医猟プロパガンダ機関である。
このような人々がまかりまちがっても自然治癒力などという医猟マフィア側に都合の悪いことを言うはずがない。
仮に言ったとしてもNHK側が採用しないだけである。
彼らが医療技術、医者の尽力のおかげ、タミフルなどのおかげと解釈したり、医療産業が莫大な協賛金が流れ込んでいるNHKがそのように報道するのは当たり前のことである。
もし、そのように言わなかったらたちまち左遷されて立場を失うだろう。つまり、専門家は…というのは確実に医療のおかげとしか言わないように狂育された人たち以外は滅多にいないはずである。また一部はいるにしても、安保徹氏のような人にNHKが意見を求めるはずもない。
ここで重要なのはタミフル…云々というのは、その人間の主観に過ぎないと言うことだ。

●医療データとは主観によるカウントに過ぎない


彼らはタミフルや日本の優れた医療技術によって多くの人が救われたと結論づけるだろう。私はその専門家たちにこう訊いてみたい。

「あなたたちはタミフルや迅速な治療をしたことで犠牲者が少なかったと言うが日本にはまったくそれらの予防も治療もせずにどうもならなかった人々が莫大に居る。その人たちは自分が何もしなかったことを一切報告してこない。これはたいへん巨大な盲点である。それはあなたたちが医療やクスリで救われたと言っている人の数十万倍、それ以上である。この人たちはどうして、どうもならなかったのだろう?それらの人の結果についてはどう説明するのか?」と。

これは彼らとしては非常に痛いところを突かれたことになるはずだ。
つまり、結果的には死なずに治ったにしろ、治療したから長引いていただけの可能性もたかいのである。また受けた人は、そのときは治療や予防ワクチンのおかげで助かったことになっているが、今回の治療によってすぐに死ぬわけではないにしても、寿命を縮めている可能性もある。
○○をしたから、○○の結果になったというのは医猟側に都合の良い主観に過ぎない。またそう解釈することで彼らは医猟ビジネスをしているのである。
厚労省に出されるデータの解釈やカウントというのはほぼすべて製薬会社や治験ビジネスの医者側に任されている。厚労省が監視したり、厳密なチェックなど一切ない。
つまり、自分の答案を自分で採点して、それを見て効果有りと判断して承認されるという世界である。医療データというのはそういうものだ。
本当にタミフルを使ったことでその人が死なずに住んだのか?ということである。
このニュースはあたかもタミフルを使ったり初期治療がなければ人々が大勢死んでいたかのような印象が強く残るがしていなければどうなったかということは誰も確認していない。○○のおかげで○○に済んだというのはあくまでも主観に過ぎない。これは科学的根拠にはならない。
科学的根拠のように思われていることも実は主観による心証操作の積み重ねである。
こうしたコメントを求められる専門家の正体とは何か?それは医療を持ち上げることで医猟産業からカネをもらっている人間のことである。医療のおかげではないと開設したら誰がその専門家の給料を払うのだろうか?そのような人間にコメントを求めたらそのような解釈しか言わないのは考えてみれば当たり前のことである。
また、そのようなコメントでなければNHKは流さなければ良いだけのことだ。

●最初からシナリオが決まっている


情報産業は100%ではないが、基本的に医療産業に都合の良い主観しか紹介しない。なぜなら、NHKや朝日新聞などじたいが医療側を持ち上げることでエサをもらうビジネスになっているからである。
もし、そういう解釈がとれなかったら、NHKや朝日新聞などの情報産業はその医療専門家の意見はボツにして出さなかっただろう。
つまり、最初からこのように見せて医療産業を持ち上げるというシナリオがあったわけである。
ここで重要なのは「タミルフルなどの治療が迅速に行われたこと…」というが、何もしなくてもどうもならなかった人の割合のほうが圧倒的に多いと言うことを情報産業はどこもクローズアップしないことである。当たり前のことだが、情報産業は本質を分析する気など最初からサラサラないからである。
また、その比較からすれば、タミフルで救われた人たちも使わなくてもどうもならない確率のほうが圧倒的に高いはずである。これは自分でよっぽど考えてニュースをかみ砕いてないと気がつかないことだ。
これは、タミフルなどの治療が行われたという人たちがタミフルを使っていなかった場合は死亡者数が増えていたかのような印象を植え付けていることに気がつくはずである。
ニュースとは最初からそれが目的であるからだ。シナリオのパターンが決まっているわけである。
医猟産業としては、どうもならなかった人のことに大衆が注目するとマズイのである。そして無治療でどうもならなかった人の統計を作る機関や企業などあろうはずもない。なぜなら統計とは何かの利益をもたらすために作られるものだからである。そして統計とは利益を得るための本人達が作るものである。

●統計学的な辻褄としてはクスリや治療の効果とは無関係


実際の真相は推定であるが、状況証拠から考えるとこうである。何もしなくて結局どうもならなかった人の率は莫大にいるのだから、タミフルなど使っていなくても何も起きていない確率のほうが本当の統計学上では、はるかに高いことに気がつくはずである。
医療統計をよく考えてみると気づくように、どうもならなかった人の統計と言うのは作っていない。当たり前のことだが、どうもならなかった人の盲点を出してもビジネスにならないからである。
これは医療産業が情報産業に協賛金を支払うことで大衆にクスリにすがらせる印象を植え付けるために意図的に操作された医猟プロパガンダなのである。
NHKにはこのようなニュースを作る度に「よく作ってくれた。今度はこういうふうにしてほしい」と医猟マフィア側から注文が入り、協賛金が入ってくる。これらに関してはこうしたスキャンダルの雑誌資料などでまとめて提示する。
つまり、医猟産業と情報産業は裏で手を繋いでいるわけである。
だから、
「専門家は今回の件をどうもならなかった人の割合は99.99%もありました」という医猟側の商品に都合の悪いニュースは流さないのはビジネスのカラクリとしては、ごくごく当たり前のことである。
もう虚構に気づいて私のように自分で調べて自分の身は自分で守るしかないのだ。私はこの件だけで相当時間をかけているがやられてから気づいても遅いのである。NHKも朝日新聞も民放もワナなのである。
国も情報産業もあてにならない。私は化学兵器で日本だけで毎年10万人以上が保険金殺人で殺害されて罠が仕掛けられていることを書いたが、そんなことは40年前にはわかっていたのにマスコミは一切報道しない。そのマスタードガス猟は莫大な利益をもたらし、その巨利がマスコミに高級なエサとして配られているからである。
インフルエンザもタミフルもその本質はまったく同じ。
大衆がこんなことに気づいてしまったら医療産業も情報産業もオマンマの食い上げになるからだ。
このような"心証の錯覚"を作り出すためにNHKなどはタミフルを打てなかったために海外では日本より人が死んでいるというニュースをさりげなく流させることで、対比による日本の医療技術の優秀さをアピールする意図があったわけである。
情報産業の大手は、ほぼすべて医猟マフィアの味方である。
北朝鮮の放送が北朝鮮政権を賛美する番組しかやらないのと同じことである。
本当は悪化させて稼ぐ悪魔の医猟犯罪であるにも関わらず、こうして大衆に医療技術が人を救っているかのような利益を生み出す心証を日々植え付けているわけである。その目的はもちろん、あの残酷で阿鼻叫喚の収奪工場に獲物たちをおびき寄せるためだ。


●医猟プロパガンダの実態は官民一体となった壮大なウルトラペテンビジネス


"あなたが病院で「殺される」しくみ―システムとしての医療過誤"という本がある。この本は当サイトで読み上げで出したいほどオススメの本だ。
化学兵器マスタードガスを打たれた女子高生抗ガン剤薬殺事件のことも取材して書いている。著者の古川利明氏は元新聞記者である。この人が書いた、
"「新聞記者」卒業―オレがブンヤを二度辞めたワケ"という本がある。
読めばわかるが、新聞記者というものの本質的な実態はニュースとこじつけた広告屋なのである。だから当然、ニュースであっても一字一句スポンサーに都合の悪いことは何も書けないし、書いたとしてもボツにされる。そういうことを続けると飛ばされるのである。
つまり、新聞記者とは広告をくれる会社を持ち上げてカネをもらう、出世するという商売なのである。
その本質は報道でもジャーナリストでもなんでもない。ペテンの産業にしがみついてエサをもらう商売だ。
新聞やNHKは一切医療側に都合の悪いことは一切書かないということもないが、その割合は圧倒的に彼らに都合の良い内容である。
それは広告というカタチではなく、先のNHKのようにニュースというカタチでうまく書けば信憑性も出せるというシカケ。
テレビも民放は当然であるが、もちろんNHKも同じ。NHKには協賛金が企業から入ってくるからディレクターなどは接待で潤うわけである。
ニュースになったようにNHKのディレクターがいろんな企業からの接待や贈り物などで美味しい生活をしていることは知っているはずである。プロジェクトXには取りあげてもらうために1社からだけでも、数千万円の協賛金が入っている。
タミフルのおかげではない、ひとつの根拠としてタミフルの添付文書を見たら良い。これが人の命を救ったのかはなはだ疑問に感じるはずだ。
事実、投与されていないのに死亡されていない人の率は、99%以上だからである。
しかし、このニュースには医療の迅速な治療とか、タミフルをたくさん使ったから日本は死亡が少ないとは言っても投与しなくてもどうもならなかった人のことは一切無視していることに気がつくはずである。その人たちはどう説明するのかと聞いてみたい。
しかもそっちのほうがはるかに膨大なのである。人がこのような疑問を感じていないのは、人は情報産業が示してくれない盲点の部分には着眼していないからである。狂育や情報産業というのは当たり前のことであるが、教える側にとって利益をもたらすことしか提示するはずもない。

●新聞も体質はテレビ局と同じ


ここで気がつかなければならないのは医療データもそのニュースもすべて大衆というカモを相手にしたペテンビジネスであると言うことだ。わざわざコストをかけて作っているのだから自分たちに利益をもたらさないものをわざわざ作るはずもない。
ビジネスになるからニュースする。ビジネスになるから医療統計を作る人がいるということである。
朝日新聞やいろんな新聞を見ればわかるように、たいていドッサリ製薬メーカーの広告漬けである。
三共製薬とか武田薬品とか、製薬メーカーの巨大広告が一面に出ていたりする。朝日新聞は、もしそれらの広告がなくなったら莫大な巨額損失になる。
そんな朝日新聞が医療のおかげ、クスリのおかげという新聞記事ばかりになるのは考えてみたらごくごく当たり前のことである。
製薬会社に都合の悪い記事でも出したら、製薬会社から「オマエの所には、もう広告頼まないぞ」という苦情が入る。あるいは苦情は言わないにしろ、控えるだろう。
そしてそのような記事を出した編集長や記者は左遷される。新聞ビジネスとしては当たり前のことである。
タミフルのおかげで人を救ったというような印象の記事を書けば、わざわざお礼までは言ってこないにしろ、発売元の中外製薬として「次は朝日に広告をまたとってやろうか」とご機嫌になるだろう。スポンサーのご機嫌斜めになるような記事をわざわざ出すメリットはない。
医療よりのニュース記事を出すことで新聞社も製薬会社も潤うわけである。逆のことをしていたら情報産業はオマンマの食い上げだ。
つまり、人はニュースを知りたくて新聞をとっているつもりが経済至上主義社会のなかではわざわざワナに首をつっこんでいるわけである。
プロパガンダ新聞をお金を払って読んでいるだけなのである。もちろんこれは学校もまったく同じことである。世の中、本質が見えてくるとまったく滑稽なる世界である。

●利害関係がない情報に本質がある


この世界の本質は茶番劇場である。仕掛けて、脅して医猟産業が稼ぐ虚構だ。ニュースの記事自体が朝日新聞に広告を出している企業群から、「こう書いてくれ」「こう書いて広告主を持ち上げて広告費を上げたい」という企業や新聞社の打算が作り出した広告そのものだからである。
彼らは大衆を騙すことで生活しているわけである。たとえ本人達にその自覚がなくても、結果的に、そのように利益に都合の良いことを持ち上げ、都合の悪いことは隠し、利益のために団結して回るのが経済至上主義社会の仕組みである。
インフルエンザの恐怖のニュースが踊る度にタミフルは飛ぶように売れて、病院は儲かり、医者は尊敬される。
自分たちが治療薬やワクチンと称して仕掛けた虚構の病原体が暴れ回ってくれるほど、ホクホクの利益確定である。すべての詰みはその病原体がかぶってくれる。
そこで得た莫大な利益から情報産業にも"配当金"が配られているというシカケ。
しかし、その裏でも何もしていないのにどうもならなかった無治療患者が莫大にいるのである。
人はそのようなテレビや新聞のニュース漬けであたかも、医療が人を救っているかのような印象だけが積み重なっていく。年を取るほど医療盲信になるのは自分でよく考えずにタレ流しのデタラメニュースを受け入れて、その心証だけが積もっていくからである。
産業側にとって都合の良い医猟奴隷、カネヅルが作られていくわけである。
経済至上主義社会の本質は自分の生きていくために他者を餌食にすることである。畜産産業の実態を見れば明らかだ。しかし、情報産業はその暗部を流さない。
他者を餌食にして生活している連中の代表は狂育産業、畜産産業、医猟産業、情報産業である。もちろん国家機関の役人もそうだ。
新聞社は広告主に都合の悪い記事を書いてくる記者など雇うはずもない。
物事の本質を見抜くとは情報の背景を考えたら良い。
「このニュースや紹介は背景で利益が動いているのか?」
たとえば私の書いていることは何か医療商品を売るという意味では何の利益ももたらしていない。
「現代医学がダメだからこの代替療法を受けましょう」と何かの代替療法の商品を勧めていることもない。
また私はこの記事で誰かから金をもらっているのでもない。何かを売って誰かが儲かる話ではないのだから、わざわざ、こう書いて欲しいと頼む人もいるはずもない。なぜなら無治療の勧め、自然治癒力のススメでは何も売れないからである。
この記事がウソだとして、意図的に嘘をつくメリットがない。
しかし、情報産業には、そのように報道することが巨利をもたらしている彼らの利益のカラクリそのものであることに気がつかなければならない。
このように世の中の情報は何者かに利益をもたらす情報が駆け巡り、私が書いたように何の利益をもたらさないことを懸命に書く人はあまりいない。だからこそ、人は悪の牛耳る経済至上主義社会の中で医猟地獄の犠牲になるのである。
情報産業側が提示する情報ばかりに目を向けて読んでいれば数万人を虐殺した平岩正樹のようにあれもこれも手当たり次第使えば使うほどいいような気分になる。
こうして平岩正樹のような狂った凶悪保険金殺人ロボット、医猟殺人兵器は作られているわけである。
悲劇の原点は物事の本質を見抜いていないからである。利潤関係のないところにこそ本質的な答えがある。

●ガンが勝手に治った自然治癒はカウントする方法がないだけ


現代医学もガンが自然に治ることを完全に否定しているわけではない。次のように言っている。

「がんには、極まれに、自然退縮と呼ばれる自然治癒例が存在することが分かっています。 自然退縮が起きるのは数万人に1人とも言われるけれど、正確な確率については分かっていません。 また、がんの種類によっても自然退縮が起きる確率に差があります。」

要するに自然治癒することはあるが、その確率は奇跡と言われるほど少ない確率だから、そんなことに期待するなということだ。
この真相は現代医学側の主張とは違い、自然に治っているような事例を統計上カウントすること自体が難しいと言うだけのことである。
彼らは何でも刊でもデータ化できているような気になっているが、それ自体が間違いなのだ。よく起きていることは何でもデータ化されていることではない。むしろ、データ化するには手間もコストもかかるし、それをデータ化する目的がなければ誰もデータ化などするはずがない。データ化する目的のほとんどは商売で者を売るためである。
ガンが自然治癒することをデータ化したところで、誰にとって、どういう商売になるのだろうか?
そもそも彼らは起きていることを正確に何でもカウントできるような気になっている前提自体が大きな誤謬を冒している根本的な誤りなのである。
彼らが自然治癒を確認するような場にいないだけのことである。
そもそも病院の治療は凄まじい発ガン因子をてんこ盛りに重ねていく凄まじい発ガン作戦である。
乳ガンの治療ガイドラインは化学療法の80%はWHO指定発ガン物質のマスタードガス療法である。これは猛烈な発ガン因子である。さらにホルモン剤療法のタモキシフェンもWHOの指定発ガン因子の最高ランクである。放射線もWHO指定発ガン因子の最高ランクである。
ここまですべてWHO最高ランクの発ガン因子である。さらに検査のCTも放射線であるから発ガン因子であり、検査薬と称した放射性物質の検査薬も発ガン物質である。
つまり、乳ガン治療とか検査のすべてがどれも発ガン因子のてんこ盛りなのだ。
要するにガン医療現場でそんなことをやっている滑稽な医者たちが発ガン因子を植え付けながら観察している状態で無治療でガンが治った事例に出会うこような場ではないからそのような事例に出会うケースが滅多にないだけである。だからそのよう人をカウントをする状況にないだけである。
最初から自分にはガンがあると気づいていない患者が、気付いていない状態から、その後で勝手に自然治癒力で治って消滅したとしても、そもそも本人も医者も気づいていないのだから誰も自然治癒が起きたとは認識しようがない。
こうした誰にも気付かれていない自然治癒は世の中には膨大にあると考えられているがそれをカウントすることが出来ていないだけだ。
つまりデータとはカウントする人がいなければ統計にならないだけで、ほとんどの統計とはカウントする人もカウントする方法が確立していないだけなのである。
ほとんどのデータは起こっていても作ることが出来ない、もしくは作る人はいないだけでそれをデータがないから起こりえないと判定するのは愚者である。





●医療産業の儲けのカラクリに気づいている人もいた


実はこのことに気がついている人々がいた。


それをニュースにして誰がカネくれんの?この話題はボツだ。

●悪化して死亡したり重症化した100人はどうしてそうなったのだろう?



さらに分析しなければならないのは、死亡したり重症化した人というのは、99.99%の人はどうもならず、インフルエンザウイルスにさらされても何も起きていないのに、どうしてその人たちは、そうなったのだろう?ということをよく考えてみることだ。


今例え話で書いたインフルエンザの事例は解熱剤を飲まないと悪化して死亡するとかガン細胞を放置したら暴走分裂して手遅れになるとか、病院で出産しないと母胎が危ないとか、暴利を生み出している医猟プロパガンダのほとんどにあてはまる。それらは虚構の医猟プロパガンダの巧妙な心証のシカケが作り出した罠なのである。



長引いたインフルエンザが病院で薬を投与した途端に治癒したケース

●クスリのおかげで助かったように思いこんでしまうカラクリ


私はサイトで書いているようにクスリは病気を治していない。病人を作って悪化させているだけである。医療が病気をつくる」という説を展開すると複数の人が猛反発を食らったことがある。
それは人は自分の体験という強烈な印象があるからだ。その人たちはクスリでなければ病気は治るわけがないだろう。クスリを飲むのが遅れて脳症になったようなケースはどう説明するのかと怒り出す。それも私はそのように思いこんでしまう真相をだいたい解明できた。まったく
身近でこういう話を聞いた。たとえばこういう例だ。


しかし、それも私はこう分析する。

私はその時の真相をこう推測する。
1週間も苦しい思いをしたのはおそらく間違った処置を信じているからである。たとえば熱が出たらアイスクリームを食べたり、氷枕をしたりするのは間違いである。あれらの処置は長引かせて稼ぐための医猟技術が考えた悪知恵である。熱が出るときは熱を出して短気で治した方が良い。
それをアイスクリームをたべたり、氷枕をしたり、自然治癒力にハンすることをするから自分の間違った医猟知識で治りがドンドン遅くなる。そうして1週間にのびたまま苦しい思いをする。
そして我慢できずに1週間後に病院に行って解熱剤の注射を打ってもらったら、その日のうちに苦しいのが治ってしまったとする。
「ああ、やっぱりクスリの力は偉大だ。クスリを飲まなければ病気は治るはずがない」という印象が体験として強烈に残る。
実はこのとき本人は病院に行ってクスリを投与されたとたんにわずか半日にして治ったと思っていることは間違いなのである。
これは医療が麻薬で痛みを抑えると平然とするのと同じトリックみたいなものだ。私の推測はこうだ。本当はその日のうちになおったわけではなかったのである。ただ、解熱剤という毒で熱を上げる反射作用を邪魔するから、そのときしんどいという自覚状態からは解放される。本当は病気じたいはそれから数日かけて治ったのかも知れないが病気というのは本人が自覚しているとは限らない。
たとえばのたうちまわるガン患者も医者から麻薬を打ってもらったときは普通の状態のようにケロッとしている。

誰が考えても、それは病気が治ったのとはまったく関係ないことがわかるだろう。しかし、本人はそのときだけは通常通りに戻ったような錯覚に陥るわけである。それは苦しいとか痛いという感覚を感じなくなっているだけである。平岩正樹のような抗ガン剤治療医のところでは、抗ガン剤(発ガン剤)と同時に制吐剤など本人が自覚するための吐き気などを抑える薬も同時に混ぜて投与する。そうすると人間が危険を察知するための感覚も一時的に麻痺するからどうもないような気分になり、バカな医者はまだまだいけると通常より三倍くらいの投与量にする。
そうするとどうなるかというと、例えて言えば柿の木みたいになるのだ。柳の木はよくしなるから、折れにくいが柿の木はしなりがないから、木に登ってもあまり曲がらずどうもならない。ただし限界点が来ると急にポキッと折れる。平岩正樹が副作用がないと言っているのは本当に副作用が起きていないのではなく、麻薬や強力な鎮痛剤のようにして本人にその作用を感じさせないようにしているだけなのである。副作用がないのと強力な薬の毒性で感じさせないようにしているのではまったく意味が違う。バカだからその違いがわからないのである。
では、インフルエンザの場合はどうか?
彼のケースも半日で治ったように思ったのは自分の自覚症状として感じなくなっただけで実は病気は続いていたのである。
しかし、しんどいという状態は主に高熱であるから、それが下がると麻薬の投与で痛みがなくなるのと同様にそのときは何も感じなくなる。その後、自覚していない状態から数日かけて自然治癒力で治っただけなのだが、本人はそこまで分析していないから、クスリのおかげでその日のうちにインフルエンザが治ってしまったように錯覚したわけである。
ここで猛烈なクスリ信仰を生み出す強い印象が情報産業から植え付けられた印象だけでなく、自分の体験という強烈な印象からも生じてしまったわけである。

●何も起きていなかったとき、自然治癒力の心証は残っていない


私はこう訊く、
「では、インフルエンザワクチンも打たず、放置してもインフルエンザにかからなかったこと、インフルエンザにかかったような感じの時も何もしなかった時にどうもならなかったことのほうがほとんどではないですか?」

「そう言われてみれば、その一回の体験以外はそのとおりです」と言う。

「クスリでないと病気は治せない、放置するとたいへんなことになってしまうというのに、何もしなくてどうもならなかったときのことは、どう説明するのですか?病院に行かなかったこと、飲んでないときの方がはるかに多いのだから、何度も手遅れでとっくに死んでいるはずではないですか?」

「考えてみれば、どうもならなかったときがほとんどですね。そこまで深く分析しているわけではありませんから、やっぱり医療のおかげで治っていたのではなかったのかも知れません」

つまり、こういうことである。人は指摘されないと自分の思い込みに偏りがあることに気がついていない。"心証のトリック"という術中にかかっているからだ。

これらの説明を聞いた後、
「その時は医学やクスリの発達のおかげですぐに治った、医学の進歩は本当にすごい、自分で治すなど甘いことだな」と医療技術の進歩に感心していましたが、今から思うとその可能性のほうが高いです」という。

人は何も起きなかったり、放置してどうもならなかったときの印象は薄すぎて意識していないだけなのである。
そして麻薬や痛み止めのように自覚症状を消す毒物の作用で自覚がなくなったときだけは苦しい状態からラクになる状態がジェットコースターのような体験になるから、その後インフルエンザのような長引かない病気だと、ラクになった瞬間が、てっきり病気の治った瞬間だと感じてしまう。
解熱剤や痛み止め剤を特効薬のように勘違いしてしまうのだ。
その時は単に自覚する状態が収まっただけなのであるが、クスリのおかげで、その日のうちに手品のように病気が治ったような印象だけを強くカウントして、強烈な印象として残ってしまうわけである。
何も起きなかったときの免疫力、自然治癒力によるカウントは毎度ゼロなのに、そのような体験だけは数百点を付けて評価してしまう。人間の感覚とは実に曖昧である。
これが体験による"心証の錯覚"である。それに加えて情報産業による"心証の錯覚"も加わるから、ますます医療盲信の泥沼に踏み込んでいくわけである。

●自然治癒力や自己免疫力を意識することはめったにない


自然治癒力や免疫力で病気にならない体験を1000回も日常的に経験していても本人はそういう経験をしているという印象がないから残らない。
たとえば、免疫が下がると抗ガン剤を打たれたガン患者のように生きているうちにカビだらけになって他の人はどうもないのに肺炎になったり感染症が続発する。
しかし、普通の人にはそうならない。そのときにいちいち、
「自分は自然治癒力や免疫力で病気にかからないでいるんだな」などという印象はカウントしない。
それは情報産業がそういうことはあまり言わないからである。自然治癒力や自己免疫力というのはよく考えてみれば…の話であるが、そのよく考えてみることがないのである。
情報産業は医療技術のおかげで…と強調することで医療産業から広告費を得て成り立っている産業である。情報産業の儲けのカラクリそのものである。自然治癒力のことを説明しては利益にならない。情報産業は自然治癒力を言わないことはないが比率が低い。
だから自然治癒力や自己免疫力で助かっているという印象は自然治癒力を日常的に当たり前のように日々体験しながら人は自分では意識的にカウントしていないわけである。
カウントしないように経済至上主義社会のなかで意図的に利益を生み出す心証を狂育や情報産業から植え付けられているわけである。

包丁でちょっと指をケガした。一ヶ月後にはほとんど治って跡形もない。これについて、自然治癒力ってすごいなぁ」とか、「お医者さんに行っていないのに治ったよ」とはいちいち思わない。自分の中にある免疫力や自然治癒力には目を向けないように洗脳されているわけである。

●情報産業は利益を生み出すためのプロパガンダ機関である


情報産業は医療の手柄は持ち上げるが自然治癒力の手柄は持ち上げないからである。
なぜなら自然治癒力は利益をもたらさないからだ。医療産業の商品を持ち上げることで情報産業は利益を得ているのである。情報産業の言うことはそのニュースを発信すること事態が何らかの利益をもたらすからである。けっして視聴者のためになるというだけの慈善行為を行っているのではない。
その証拠に最近のインターネットのYouTubeなどが発達する以前はフジテレビ社員の平均年収は約1500万円であったという。これは日本の企業の中でも平均ではトップクラスだ。いかにテレビ産業は高給な世界であるかがわかるはずだ。それらは広告主に都合良く情報を流すことで成立している虚構である。テレビは利益をもたらすものを演出することで利益を得る。
もし、フジテレビが医療技術を否定する番組やニュースばかりで、「放置しても治るんです」のような番組ばかりだったらこんな利益は出るだろうか?
情報産業は医療商品を持ち上げたり、そういうニュースを流すことで彼らは医猟産業からも莫大な広告費をもらっているからである。つまり、番組自体が利益を生み出すための広告そのものだったのである。
医療産業の手柄はこのようにして、人為的に作られた"心証の錯覚"である。

つまり、人はどうもならなかったときの印象の積み重ねはほとんどゼロであるから、そのときの印象や経験だけが強烈に残ってしまうわけである。

●医学統計にはどうもならなかった人、勝手に治った人の統計は一切無視される


本当はどうもならなかった回数も全部カウントして統計を取らないと医学的な統計としては重大な欠点が生じているのである。
しかし、どうもならなかった人というのはそもそも報告してこない上に本人も自覚していないのだから、この潜在患者という莫大な巨大盲点を正確にカウントすることはどれだけの費用をかけても無理である。
なぜなら、本人も気づいていないし、人はどうもならないことには意識しないからである。毎日歯が痛いとしたら、痛くない肝臓や心臓のことをいちいち意識して生きていない。
さらにそのような統計を作ることは経済至上主義社会で商売をする側に利益をもたらさないからメリットがない。統計とはつまるところ、○○だから○○の治療やクスリを使った方が良いと言うことです」という医療商品をアピールするために作っていることである。
よく、ミクシィとかで代替療法を紹介したり、船瀬さんの本のレビューや講演動画のツッコミで医猟カルト信者が
「無治療で治癒したというデータを出してみろや」とか、
「無治療で治るデータがあるの?」とか書いているが、こういう人間は簡単な本質がどうしてもわからないから、そもそもどうして統計データというものがあるのかという初歩的なことすらもわかっていないのである。データはどうして発表されるのかという本質がわかっていない。知能が低いからだ。
そんなデータなどあるわけがないだろう。なぜなら、誰もそんなデータを作っていないからである。
しかし、誰かが統計化していないことは、起こらないと言うことではない。単に誰もそれをデータにしていないだけのことである。データがないと言うことは、そういうことは起きないということとはまったく無関係である。
そういう医猟信者達は、まさか、本気で世の中に起こるあらゆることは正確に誰かが統計化しているとでも思っているのだろうか?
たとえば、刃物で手を切ったから自然治癒力で治るという話をしたとする。ここで、
「無治療で自然治癒力で治った人のデータを出してください」と反論したらなんともトンチンカンである。

●世の中で起きていることでデータ化されていることはごくごく一部だけ


なぜなら、刃物で手を切って勝手に治ることなど日常であることなのに、日本各地でいちいち人々が刃物で手を切った総回数と勝手に治った回数を正確にカウントして発表している人などいない。そんなことをするメリットがないからやっていないだけのことである。またメリットがあるとかない以前に、そもそも個々が勝手にケガして放置して治っていることについて、
「私は刃物でケガしました、その後でどうなりました」と報告して集計する機関などないのだから、どんな大金をかけたところで作れるはずもない。統計とは作るメリットがないから作る人がいないのと咆哮されないから全体の分母がわからず、つくりようがないという二重の原因で存在しないだけである。
世の中で当たり前に起きていることでデータ化されていることなどごくごく一部だ。
これを彼らの滑稽なツッコミで表現すればこうなる。
「手を切ったけれども、病院に行かずに無治療で勝手に治った人のデータを出してみろや」
「ほら、出せないやろ。なぜなら、ケガした人が無治療で勝手に治るわけがないからだ」
彼らの精神状態、物事の考え方というのはは、これなのである。
手を切って勝手に治るのもインフルエンザもガンも本質は同じことである。

あまりにも当たり前のことであるが、医学論争ではこの原点を無視していまだに低級な議論が繰り広げ競られているわけである。
いちいち、データを出せと言うことは、逆に考えると、その人間は残酷な医猟産業を信じている人間であるから医猟産業の作り出したデータや数値という術中に見事にはまっているのである。
データがないとなると、「それみたことか、データは出せないだろう」とクスリ信仰の医猟信者は言うわけである。そもそも医猟界が発表しているデータとは利益を生み出すために意図的に作っていると言うことがわかっていないのだろうか?また不都合なデータになったときは出さなければいいだけのことである。
これがカルト信者特有の精神状態だ。カルト信者はきわめて端的にしか物事を考えれないわけである。カルト信仰は、やはりカルトである。


●代替療法で治るデータがないのはなぜか


代替療法で治ったデータがないというのも同じことである。個々の人間が勝手に自分でいろんな組み合わせでやっていることを誰がまとめて、一律にデータ化するのだろうか?
そもそも代替療法とは一律に500人集めてデータを作りますので、
「5年間これを続けてください、データを性格に取るために現代医学はいっさいやらないでください。他の代替療法もしないようにしてください」といったような大規模な調査は出来ない。それに協力する人がいないからである。
つまり、データがないと言ってくる人間は本質的、論理的ではなく、提示された数値というもので単純に白か黒かを判断しているから、自分でなぜそうなるのかを考えないし、自分で考えるという分析がないわけである。
そして何でもかんでも世の中のあらゆる事は統計化し、データ化されて発表されて当たり前のことであると思っているのである。バカを作る狂育を受けているからだ。だから簡単な道理がどうしてもわからないのである。
そもそも自然治癒した統計を利益を得る以外に誰が何の目的でわざわざ費用をかけて統計など作るのだろうか?それは厚労省の統計も同じことである。厚労省の統計とは医療産業を持ち上げるために行われているのだ。
今の医学統計はどうもならなかった人のケースは一切無視する。自分たちの商売に都合の悪い分母は最初から存在しないものとして扱うわけだ。そもそもガンの場合なら、病院には悪化した人や自覚した人しか来ない。病院に来なかった人のことは無視するわけである。


なぜなら、どうもならなかった人という莫大な潜在患者を統計に入れると「医者に頼ってクスリでないと人は助からない」ということを強調したい医療産業にとってはクスリを使わなくてもどうもならなかった莫大な潜在患者を入れると説得力がなくなってしまうから入れたくないわけである。医療商品や病院のありがたみが相対的に激減してしまうから無視するわけである。
また仮にいれようと思ったところで、そもそもどうもならなかった人は報告してこないのだからカウントしようもないという問題がある。
こりように医療統計はけっして正確に作ることはできないという意味で私は"医療統計における不確定性原理"と呼んでいる。
これはちょっとやそっとのズレが出てしまうと言う程度の誤差ではなく、1万回サイコロをふったうち、1以外の眼が出たときの振った回数はカウントしないということに似ている。自分たちの利益に都合の良い対象者を都合の良い主観でカウントしただけのもののどこが医療データと言えるのか。
つまり、医療統計というのはすべて都合のいい分母だけを選び出して主観でカウントした捏造であると言うことに気がつかなければならない。
それは捏造しているつもりがあろうがなかろうが同じことである。つまり、バカな人間が統計を作るほど捏造データなのに本人達は正気で正確なデータが取れたような気分になっているだけなのである。

この説明で医療統計はすべて無効であると言うことがわかるはずである。なぜなら、使わなくてもどうもならなかった人という肝心の比較分母がまったく入っていないからだ。
医療統計、医学データとは不都合な人間を排除することで出したい数字を作り出すマジックである。
たとえばよく発表されている病院別生存率だ。○○病院の生存率なんてものは、経営者がその気になれば、いくらでも作り出せる。死にそうな人間は退院させるなり、転院させて残さないようにしておけば良いだけのことである。また正確に数えなかったところで厳密な査定が入るわけでもない。


これこそが人は本当の統計学的に物事を分析していないと言うことである。印象に残らないことはカウントしない、思い込みにならないという統計上人間の印象上の巨大な盲点があるからだ。

●自分で考えないバカを作る狂育



今書いたことこそが物事の本質を統計学的に正しく分析してみることである。しかし、このように論理的に分析して人間は物事をかみ砕いて情報を消化していることは滅多にないと言うことだ。
自分で考えない支配者に都合の良いバカをつくる狂育を強制的に受けさせられているからだ。
人は植え付けられた印象だけが強く残り、その印象に無意識のうちに動かされているのである。
私がここで書いているような自分で考える技術は学校ではけっして教えない。それは当たり前のことである。なぜなら、自分で考えてできる人間になられては、狂育産業で利益を得ている人間達にとってはオマンマの食い上げになるからだ。自分で考えない、いちいち人から支持してもらわなければならないバカを作ることが狂育産業のリピートビジネスになる。
学校とはタテマエで言っているような教育をする虚構など最初からサラサラないからである。学校に行けば行くほど本質がわからないバカが増える。高学歴であればあるほど知能が低いのである。教育と称した狂育の本当の目的は支配者に都合良く踊るバカを作ることだ。
子供たちに、自分で考える人間になられたのでは狂育産業はリピートがなくなり、オマンマの食い上げである。病人を作ることでシャブリ尽くすのが医猟産業なら、自分で何も考えない、自分で行動出来ないバカを作ることでしゃぶるのが狂育産業の本質である。


医療データが科学的根拠のないデタラメであるこれだけの理由


延命比較は他者との相対比較であるところに

人を騙すペテンのトリックがある


医療現場では、どうしてマスタードガスのような猛毒発病剤のほうが無治療よりも延命効果があることになっているのか?
これはそのカラクリに気づいてみると実に単純な方法を複数組み合わせているだけである。これについては詳細に書くと本数冊になるほど、手口は多彩である。

詳細は本文で解説するとして、まず、ここではそのトリックの要点だけ書くことにする。
これには複数の方法を組み合わせて使われている。以下の通り、

病院の生存率にいて
データが悪くなりそうな人間は先に退院、転院させておく
発表しないだけ
行方不明は生きている生存者として計算する
期間の判定
治験の比較による延命比較試験について


最終的に治療のほうが長く生きたという解釈結果が出たときのことしか公にならないだけ。


●臨床試験の実態は効果があることを偽るためのデモンストレーションである


私は治験や臨床試験の方法を分析していくにつれて、その判定方法は科学的根拠や証明とはとうてい言えない多重のトリックほ使った印象操作であることに気がついた。
そのカラクリに気付けば科学的根拠とはまったく無関係であることに気がつくはずだ。
製薬会社や医猟産業の解釈の仕方にトリックがある。臨床試験は同じ人間の身体で両方の治療法を試すことが出来ないからやむを得ないという都合の良いタテマエにつけこみ、解釈のあいまいさを利用して製薬会社に都合の利益に良い結果を作り出すマジックである。
世界一使われている抗ガン剤と称した治療薬のマスタードガスが地球最強クラスの猛烈発ガン物質であることが証明されたように彼らは安全性や効果を確認しているのではなく、獲物の病気をいかにら悪化させられるかを確認しているのである。
製薬会社や医猟犯罪者たちは膨大なもののなかから、検査で駄目なものはふるい落とされ効果のあるものだけが選ばれているというだろう。
ここでいう効果のあるものというのはタテマエでは病気を治すものという意味だが、その本当の実態は獲物の病気を増悪させる効果を確認しているのである。なぜならね彼らには最初から人を救う気などサラサラないからだ。
そして、効果がないものはふるいおとされていくというタテマエの実態は、獲物の病気を増悪させる効果の低いものからふるい落とされているのだ。
つまり、臨床試験の本当の本質は安全性でも治癒効果の確認でもなく、増悪作用、つまりこれが経営効果であるから、どれだけ患者の病気を増悪させ、治癒を遅らせる効果があるか、病院経営効果がどれだけ出る効果があるかを確認しつつ、タテマエではそのように厳密な審査が行われていることを演出し、安全性や有効性ををアピールするためのデモンストレーションだったのである。
この悪質な医猟詐欺の実態は抗ガン剤と称してもつとも使われているマスタードガスが最強発ガン物質であることが確認されながら認可され、今も最多使用になっていることで、そのペテンの実態は証明できる。

●1960年代と2011年では治験のいい加減さも違う


まず、この臨床試験、治験のデタラメなトリックを書く前に2011年1月頃の週刊文春と文藝文春で行われた近藤誠医師と他の医者の論争の欠陥について書かなければならない。
そうしないと医猟従事者たちから同様の低レベルな反論を受けかねないからだ。だいたいどう書けばどういう反論やツッコミがあるかは予測ができるようになってくるから先に書いておく必要がある。
このときの議論では近藤誠医師が治験のいい加減さ、経済至上主義社会でデータが歪むことや審査のやり方の欠点を文藝文春で批判していたことに対して他の医者が週刊文春で
「臨床試験はそんな甘いものではない。現在は、こうこうこのように行われている」という反論をしている。
このときに、どうしてこんなトンチンカンな議論になったかというと、いつの問題かという前提を近藤誠医師が書かなかったからである。だから、今の腫瘍内科医が「それは昔の話だ」と反論してきたわけである。
1960年代に承認されたマスタードガスなどの古典的な抗ガン剤と最近の抗ガン剤の臨床試験のやり方をごっちゃにして論じてしまっていることである。
そこで他の医者が「臨床試験は近藤誠医師の言うような甘いものではない」と反論したわけである。
これについては船瀬さんの"抗ガン剤で殺される"に対しても同様の反論がある。
このサイトでも同様の反論が起こる可能性があるから、前提をハッキリさせておく必要があるが、近藤誠医師が他の医者に反論されたように、現在の治験は比較的にましになっているから、このサイトのあちこちで書くことは2000年以降に行われている臨床試験のやり方だけでに限定すると当てはまらないことがあり、今のやり方だけしか知らない医者から見ればムチャクチャなことを書いているように思われることはあるかもしれない。

●近藤誠氏が反論しない重大疑惑を追求する


しかし、ここで重要なのは反論した医師達も認めるように昔はデタラメな不正や改竄や前提操作が横行し、研究者が製薬会社のカネで豪遊していたということ、社会問題になったからやり方が変わってきたことを認めていることである。
そして、ここがもっとも重要な争点なのだが、反論した医者もいい加減であったと認める、おもに2000年以前に承認された古典的な抗ガン剤や治療ガイドラインの組み合わせは今も何ら再審査されることなく伝統としてそのまま治療と称して投与されていることである。
当サイトで疑惑の発ガン剤として取りあげているシクロホスファミドなどのアルキル化剤はもちろん、シスプラチンやほとんどの抗ガン剤やクスリがその当時に承認されているものだ。そしてこれらはいい加減な時代に承認されたからと言って何ら再検討もされていない。
そしてこの欠点はその後、発売された近藤誠氏の「抗ガン剤は効かない」という本でも残念ながら追求されていない。この事実、この疑惑の痛いところを反論されれば彼らは現在もその当時に承認されたものが今も再審査されることなく、そのまま使われているから、それは当時の承認された治療方法の欠陥を認めてしまうという致命傷を負ったにも関わらずである。
つまり、最近も多用されているクスリや抗ガン剤と称した発ガン剤、発病剤のほとんどの治療ガイドラインがそのデタラメ時代に臨床試験が行われ、承認された化学薬品が、そのまま再審査、再検討されることなく伝統で今もそのまま使われ続けていると言うことである。近藤誠氏は反論してきた医者の反論をうまく利用して投げ飛ばすことが出来たにも関わらずそれをしなかったのである。これは疑惑の本質に気付いている者からすると非常にものたりないことだ。
ちなみに、このようなサイトでの批判は彼らとしても反論したり批判しにくいだろう。なぜなら、インターネットは雑誌と違って反論や批判されたことは、その後に批判を封じる内容に書き足したり、勘違いしていた部分は変えることが、すぐに出来るからである。
批判したり、穴を指摘して、そのページを人が見に来る頃に穴がふさがれて、批判した人間のほうが恥を掻くと言うことが起こりやすいからである。

●無治療患者とは、最初から無治療だった患者のことではない


多くの人は「無治療患者との比較臨床試験において延命効果が科学的に証明されています」という医者の説明が一体どの様に行われて導き出された結論なのかを知らないだろう。医療詐欺には言葉の広い解釈を利用したペテンのトリックが多いが、この臨床試験のカラクリを知るとトンデモナイ悪質な実態がわかってくる。科学的根拠でもなんでもない。サリンでもなんでも、延命効果を作り出せるトリックである。
だからこそ、医学狂育では自然治癒力とか治癒力というものを教えないのである。そういうことを知らないバカを配架しないと成り立たない虚構であるからだ。人間に治癒力なるものがあることに気付かれてしまったら、これらの科学的根拠はすべて崩壊するからだ。
多くの人々が言葉のトリックから、仰天するような勘違いをさせられている。医療データは言葉のトリックを駆使した詐欺的なことが常套手段として使われているが、この臨床試験における無治療群という言葉もそのひとつだ。。
まず、医者が薬の効果を説明するときに無治療と患者と比較して半年の延命効果が科学的に証明されています」という説明をしたとしよう。
この説明を聞いた人のほとんどは、てっきり比較された無治療の患者とは最初から最期まで現代医学の治療を受けなかった人のことだと思ってしまうだろう。ここが人の勘違いにつけ込んだ現代医学の悪魔的なところなのである。実はそういう意味の無治療とはまったく違う。
延命試験の比較対象に使われる"無治療群"とは言葉の印象からまったく現代医学の治療を受けずに最初から最期まで放置して様子見した人々という印象で世の中では語られているが、その実態は”比較のスタート日から無治療に切り替えた群”という意味の無治療だ。
現代医学のガン治療を最初から最期まで受けていない本当の無治療患者が薬漬けの治験ビジネスの現場に参加することなど状況から考えて、まずありえない。そのような人間が配置して比較することはまず不可能である。
それはなぜか?前提を分析すれば気づくことである。そもそも治験ビジネスというのは製薬会社とつながりの深い製薬ビジネスの根幹である。
本当のクスリ嫌い、医療嫌い、さらに症状が悪化しないから最後まで来なかったような世の中にいる莫大な潜在患者患たちが製薬会社とビジネスをするほど治療漬け方針の臨床現場のような場違いなところに参加しているはずが無いではないか。

●臨床試験における無治療とはスタート日からの治療方針のことである


そもそも無治療でどうもなかった人、病院嫌いで無治療の人は最初から気づかずに病院に来ない潜在患者が莫大に居ることは先のインフルエンザのとおりである。
本当の無治療患者が、製薬会社と治験ビジネスを行うような、そんな猛毒投与の比較病院という場違いな場に参加しているはずもない。
延命試験における無治療群とは、比較する臨床試験のスタート日からは、その病気としての治療方針を比較期間からは無治療で比較対象になったという意味に過ぎない。
つまり、臨床試験の比較において、それ以前の治療歴がどれだけあるか、どんな治療をされてきたかはいろんなことをされた人間がごっちゃに集められて行われているのだから統一などしようがないのである。
なぜなら、臨床試験などという場に、本当の現代医学の治療は一切受けない無治療患者などが参加してくるはずがないから、本当の意味での無治療患者と比較しようがないからである。
だから、無治療患者との比較という無治療とは現代医学の治療をまったく受けなかった人、受けられなかった人と言うことはまったく違う。これ自体が多くの人が騙されている勘違いにつけ込むペテンである。
臨床試験で比較に使われる"無治療患者"とはそれ以前にどれだけドッサリ治療漬けの日々を送っていても比較するスタート日から、その比較対象の病気としての治療をしなければ無治療患者という定義である。
それまでに既に抗ガン剤(と称した発ガン剤)、手術、放射線を限度いっぱいまでめいいっぱいやってきてボロボロになり、それ以上できなくなった人は無治療患者として最適である。4期になった人間でも、比較するスタート期間からは最後まで様子見であれば無治療患者となる。
つまり、重要なので繰り返すが、比較対象の無治療患者とは"比較する期間から無治療"という意味であって、それ以前の治療歴は考慮されていないのである。
それまでの有害な治療による累積後遺症については一切考慮されない。あくまでも進行ステージという単一のレベルだけが比較対象の規準になる。極端な話、それまでの過剰治療でホスピス行きのボロボロの廃人状態でも比較対象に使えるのだ。
そして実際に臨床試験の無治療群という扱いで比較されているのはホスピス行きのような現代医学にボロボロにされた人たちのことだ。


●無治療という定義はあくまでも比較対象の病気の治療としてのみ


さらにこの無治療という定義は、驚くべき欺瞞性がある。無治療というのはあくまでも比較する対象の病気としての治療の意味であるから、他にリウマチ、膠原病といった持病をかかえている場合、その治療薬としてマスタードガスやホルモン剤を常時使われていたとしてもガン治療の試験としては無治療患者である。他の治療と称して薬漬けにされていたら、それが寿命に影響しないはずがない。こうしたノイズは臨床試験にとっては関係ないのだ。

他の病気治療や痛み止めの麻薬としてはどれだけ投与されていてもガンに対しては無治療であれば無治療患者扱いになるのである。なぜなら、それはあくまでもリウマチ治療としてのマスタードガスの投与であって、ガンの治療としての治療ではないからである。
毎日8錠の薬漬けでもガン治療としては無治療ということであれば無治療患者である。それは無治療比較というのはあくまでも、"その病気の治療としてやっているのか"という意味で定義されているからである。
ここが多くの人が勘違いさせられている重大な間違いだ。延命比較試験で無治療群のほうが早く死んだというのは現代医学の治療を最初から最期まで受けなかった人という意味では全然ない。最初から最期まで治療を拒否するような人が治験ビジネスで貪欲に利益を求める病院の試験に参加するはずもない。
残念ながらこのような重大な治験データの欠陥については近藤誠医師ですら、書いていないし、あまり言われないことである。現代医学の科学的根拠を崩す重大疑惑であるにもかかわらず、まだ書かれていない。
この重大なトリックを説明していないというのはまだまだ医療のデタラメさに気づいていないからである。
あるいは気づいているけれども自分も現代医学でやってきた人間であるから抑えて書いているのかも知れない。
もう一度、臨床試験における無治療患者の定義をまとめると、
臨床試験当日から治療を辞めた無治療であればよい。それまでの膨大な治療歴は問わない。
その病気に関する治療として無治療であれば他の治療や緩和ケアでどれだけ薬漬け、他の病気の治療はやっていてもよい。ガン治療の臨床試験であれば、ガンの治療としては無治療であれば無治療患者である。

●クジ引き割り当てはランダムさを装うための茶番である


そして、ここから「タキソールの治療をやったほうが延命効果が確認できた」という結論を出すためのさまざまなトリックが駆使される。細かい操作は多数あり、ビッグファーマなどの本でエンジェル医師によって、暴露されているが、ここでは主張の要点として、主に絞り込んでとくに大きな要因だけを取りあげる。
その大きな要因になっているのは、クジ引き試験での患者の割り当てである。タテマエ上は、この比較試験で、治療群か比較の対象となる無治療群のどちらに割り当てるかはランダムでなければ公平な比較にはならないから医者が決めて割り当てるのではなく、クジで引いたとおりに治療群にするか無治療群にするかを割り当てることになっている。
そして彼らはこのクジ引きとかランダムに選択すると言う選び方によって不正がないと反論してくるだろう。
しかし、ここにもさまざまなデタラメを作り出すトリックがある。ひとつはタテマエではクジでひいて割り当てたことにはなっているが、実際にクジで選んだのかというのはあくまでも治験ビジネス側のモラルにまかされ、クジで選ばずに配置してもクジで選んだという報告をすればいいだけであるから実際には誰も監督、監視しようがない。
本当はどうにでも配置できると言うことである。それを本当にクジで選んだかは確認しようがない。
だとすれば、重篤な後遺症を負って早く死にそうな患者を無治療群に配置すれば相対的に無治療群の平均余命のほうが短くなるから、○○の治療をしたほうが延命効果が確認できたという結論が作り出せる。なぜなら、治験をやる病院と製薬会社は無治療患者群が早く死んでくれることで○○の治療薬には延命効果が証明されたという結論を出したいからである。欲望が前提操作のノイズになってしまうのだ。
ただし、いくら配置を自由に行っても極端な結果が出てはあまりにも作為的になるからマズイ。全員を無治療群に配置するなどということをすれば極端に作為的になるから、無治療群には早く死にそうな重篤な後遺症の人間を多めに配置するという調整は簡単にできるであろう。

●クジ引きの割り当てに不正がなくてもクジ通りの配置には出来ない


もうひとつはクジ自体はちゃんと引いて割り当てているとしても最終的な配置には患者の同意が必要であるという問題から、それまでの苦しい治療に懲りた人間は無治療にしてほしいという希望があるし、まだ累積後遺症が少ない人間は、まだまだ治療したいという余裕があるから、結果的に無治療群はボロボロにされた人が配置されていくという欠点だ。
もし、絶対にクジで決まったとおりに配置するとしたら731部隊の実験棟と同じ患者には逃げ出したり、変更したりする権利のない強制人体実験になってしまうから、そこまでできないことくらいは予測できるはずだ。
つまり、クジ引き試験は必ずしもクジの結果のとおりに配置されていないと言うことである。あるいは、そもそも最初からクジなど引かれていない可能性すらあるのだ。
なぜならクジで選んだというのはあくまでも治験ビジネスをやる医者のモラルに任せられているだけで誰も確認していないからである。
また仮に本当にクジで引いているとしても割り当てる対象自体が治験をする病院に集まっている人間であるから最初から医者に都合の良い分母が選び出されている。
先に書いたようにそのよな治験病院のような場に本当の無治療患者が集まっているはずもないからである。

●最初から早く死にそうな人間が無治療群に割り当てられる


最終的に以降の治療方針を無治療方針に同意して無治療群に割り当てられるのは、苦しい治療に懲りた人間、限度いっぱいまでやってこれ以上治療ができないボロボロ群が割りあてられる率が高くなると言うことだ。なぜなら、無治療にしたいのは懲りた人間、もしくはこれ以上できない患者だからである。
たとえば、逸見政孝さんの場合でも手術後の次の日から、一切治療はしないことにすれば無治療患者である。
いくら延命比較治験とはいえ、あそこまで極端な患者が比較対象に使われることはないだろうが、要点としては重篤な後遺症を負わされた人間のほうが最終的に比較対象となる無治療群に割り当てられやすい構造になっていることが
「無治療群のほうが早く死んだから○○をやったほうが延命効果があったのだ」という結果になる大きな要因の一つである。
一方の○○の治療群は比較的まだ余裕のある人間が配置されやすくなる。
これはクジではランダムに選んでいるというタテマエにはなっているが、患者の拒否やリタイアというノイズが生じるから実際にはランダムに配置することは出来ていない。これらの前提に偏りが生じてしまうことについては無視されている。
これは彼らの言う"キチンとした科学的根拠"が崩れる重大なトリックだ。
なぜなら、その前提の累積後遺症という不都合な前提は一切考慮されていないからである。これこそが無治療群が早く死ぬ要因であり、最大のトリックなのだ。そもそも本当の無治療の人間など最初からそのような治験に参加させることはほとんど不可能であるから、後遺症のない人間が参加することなどまずめったにないだろう。そして累積後遺症を考慮すると最初から比較試験が成立しないのである。
つまり、無治療群が平均3年半で死んだ、治療群は平均5年生きたという統計は、無治療群にはもともと重篤な後遺症が重くのしかかっている人間に偏って比較がスタートするからである。
当たり前のことであるが、比較試験による実証とは、同じ人間を何々をするのと無治療で比較した結果ではないのである。
これだったら累積の後遺症が多い無治療群のほうがマスタードガスを打たれてジリジリ殺されていく治療群よりも先に死ぬのは当たり前のことである。本当は無治療ではない無治療群が早く死ぬことで、何々の治療をやったほうが効果があったという効果はその治療法とは何の関係もないのである。
データの数字が後から都合良く改ざんされているというよりも、そもそも最初の配置前提からトリックがあったわけである。

●延命比較試験の生存率成績のデータは、なぜ10年以上のものがほとんどないのか?


私は延命比較試験の結果発表データをいろいろ見ていくうちに、それらの発表されたデータには、共通した特徴があることにハタと気付いた。
それは延命効果比較試験の結果データというのは、対象の治療後、あるいは無治療患者群の平均生存期間というものが、どちらの群も10年を超えるデータがほとんど出ていないということである。
これはいったい何を意味しているのか?この事実を分析すると呆れるほどズサンな実態に気づくのである。
延命効果結果データには、10年、20年、30年というデータはまったくないのかは全部を調べているわけではないから知らないが、おそらく、あまりないだろう。
それはなぜか?
この本質に気付くと臨床試験のペテンのカラクリもわかるのである。
そもそも無治療群にしろ、治療群にしろ、一般の世界では治療後から20年以上も生きている人はザラにいる。どうして臨床試験のデータではそういうデータにならないのか?
これはガン治療薬の臨床試験というものが、もともとボロボロにされた累積後遺症の多い人間が最後に治験されている証拠であり、私が書いている「累積後遺症の多い人間が治験という治療法の効果の演出に利用されている」ということを裏付けているはずだ。
つまり、臨床試験で発表されていることは、現代医学のペテンに利用されている患者達が臨床試験に参加する前の状態が本当に無治療患者だとしたら、実験後の平均寿命がこんな短くなるはずがないのである。
これは現代医学にとっては突かれると痛いことであろう。彼らの示していたデータの根底が一瞬に崩れることになるからだ。
そもそも最初から累積後遺症の多い人間で臨床試験などしても、それまでの膨大な有害な毒性の蓄積、累積後遺症、臓器の破損とった他の要因をたくさん抱えているのだから、実験で確認するという治療法や治療薬や無治療による放置作用以上に、既に抱えている累積後遺症のほうが、もともとはるかに強烈に残りの余命に影響していることに気づくはずである。
それは純粋に、臨床試験でやってみる治療法や無治療ならどうなるかという効果だけを確認することなどできるはずもない。
なぜなら、参加しているのは、どの道、放置しても累積後遺症によって、死んでいくことがほとんど確定している人たちだからだ。
累積後遺症を抱えていること自体が普通の人間よりもはるかにデータを歪ませる強烈なノイズを持っているから、そんな人間で効果を確認するなど、前提自体がまったくバカげた茶番である。しかし、彼らはその結果を真顔で科学的に証明された根拠だという。
累積後遺症がある患者は、それ以前に受けたダメージや発ガン因子などの要因によって死んでいくことを私は臨床試験におけるノイズといっている。
この猛烈なノイズは、そのような累積後遺症の多い人間を使う限り、絶対に排除できない。

医龍のマンガ、ドラマのシーンを付ける

●最初の初期治療から、いきなり治験に参加するはずもない


前提を考えればわかるように、自分が患者なら、最初の初期治療から効果もわからない、毒性がどれだけあるかもわからない抗ガン剤の臨床試験をいきなり勧められて参加するだろうか?
これは自分が患者の立場や自分の家族の立場に立ってみたらわかるはずだ。

「冗談じゃない!ふざけるな!オレを人体実験に使うのか!」怒り出すはずだ。つまり、初期の人間に持ちかけても、こうなるから、本来なら比較するにふさわしいノイズの少ない人間を抗ガン剤治験に使うことは難しいのである。
なぜなら、患者側としてはリスクの高いどうなるかわからないような治療法の臨床試験に参加する必要性が心理的にもまったくないからである。

ドラマなどで、こういうシーンを見たことがあるはずだ。その時のワンシーンを思い出して欲しい。
もうさんざん、いろんな治療をやってきたけどドンドン患者は悪化していく。治療と称してマスタードガスや放射線をされているから、複合的な発癌作用で体中にガンがボンボンできて手術も放射線もできる状態ではない。
これは当たり前のことであるが、猛烈な発ガン因子、発病因子を植え付けられてきたのだから当然である。

そして、医者は絶望的な哀しい顔をしながら、こう言う。
「できるだけのことは、やってきましたが残念ながら、もう鈴木さんには、治療法がありません」と。
そして、患者と家族がワッーと泣きついて、
「センセー、なんとかなりませんか!」と泣きついて、すがりついてくる。この展開になれば、治験で稼ぐ病院としてはシメタものである。

そこですかさず、製薬会社から金を積まれて持ちかけられている実験を切り出す。
「今、ハーセプチンという新薬が開発されています。これは分子標的薬という作用で世界的にも画期的な抗ガン剤として期待されているものです。もしかしたら鈴木さんには…」という。

●獲物が新薬にすがりついてくるシカケ


ここで先にどん底に叩き落としておいた獲物は、もう追い込まれてどうにもならないという心境に達している。あとは死を待つのみという背水の陣に追い込まれているから、新薬でも一縷の望みがあるなら奇跡が起こるかも知れないと凄まじい食い気で、仕掛けられた疑似餌に食いついてくる。
要するに臨床試験というのは、先にボロボロにされて追い詰められた人間が利用される新薬の演出なのだ。
そうして新薬と称した詐欺の効果演出に利用されているわけである。知らぬが仏とはこのことである。
これこそが臨床試験の判定データになっている参加者達の悲惨な実態である。最初から無治療の人間が参加などしているはずもない。まったく無治療とは逆の治療漬けでどうしようもなくないところまで追い込まれた人々なのである。
前提を考えてみたら妙なはずである。なぜ、そのような患者が自ら治験でもいいから打ってくれと得たいの知れない猛毒に自らすがりついてくるかもわかるはずだ。自らすがりついているのではなく、そのように治験の檻に追い込まれて参加しているのである。
これらの人も実験ではプラセボ薬を飲ませるなりしたら、立派な無治療観察群となる。どおりで開始後からの余命が極端に短いはずだ。無治療とは臨床試験として比較のスタート日からの無治療という意味だからだ。
つまり、こうしたドラマのようなワンシーンは獲物を治験という檻に追い込むための茶番劇なのである。悪魔の医者たちは笑いが止まらないだろう。
要するに臨床試験というのは、ボロボロにされて追い詰められた人間が利用される最後の屠殺解体の檻なのだ。

●治験をする病院は獲物の追い込み方を心得ている


それを計算して未承認新薬を使うような製薬会社から金を積まれて参加している病院は、こうして新薬と称した人体実験をやっているのだ。
こういう方法なら、ちゃーんと未承認の新薬を使うという承諾書がきっちりととれたことになるから無断で人体をしたと責められる心配もないし、実験途中に副作用で悶絶死したところで、遺族には、
「自分たちから頼んだんだし、どの道ほっといてもダメだったんだからしょうがない」と潔く諦めてくれるというシカケ。
もし訴えられても承諾書にも書いてあるから、遺族が強気に出るのは難しいし、状況的には裁判では勝てないだろう。
つまり、タテマエ上は自分から参加を志願させたことに出来るから安心だ。いくら治験が美味しい病院ビジネスとはいえ、恨まれたり、訴えられたりでもしたらバカをみるのは医者のほうだ。
これを読んでいる遺族は、まんまと悪魔たちの仕掛けたワナにハメられたことに気付いて天を仰いでいるかも知れない。
臨床試験とは、最初から計算された収奪のワナなのである。
自分たちで発ガン因子を仕掛けてボロボロにして、さんざん暴利を貪ったあとに、さらにマスタードガスなどを夢の治療薬に見せかける実験に参加させて演出に利用する。まさに731部隊の悪魔の所業ではないか。
本人と遺族はまんまと芝居に騙され、仕掛けられたワナに落ちていたわけだ。このような結末になるのも自分が人間がどんな悪魔の所業を繰り返しているかを考えて生きていないから悪魔の檻で、彼らの邪なホンネに気づけないである。
こうして得たいの知れない猛毒を打ち込む臨床試験に参加させるように持ち込めば、堂々と投与して実験できると言うわけだ。
さらにバタバタ死んでくれるからホクホクの新薬延命効果のデータも採取できるというシカケ。追い込んだ医者も病院も製薬会社も潤うわけだ。どおりで一晩の接待が40万円にもなるはずだ。
こうして行われて画期的な新薬と言われているのが0.1グラム10万円のタキソールにしろ、ハーセプチンにしろ、画期的な治療薬と称されている抗ガン剤の本当の実態だ。
もちろんその実態は当たり前のことであるが、猛烈な発ガン物質であり、凄まじい発病剤である。添付文書を見たらわかる。
そもそも、ボロボロにされてすがりついてきた患者が無治療という比較群になっているのだから、無治療群が短期間で死ぬのは当然である。
短期間で死ぬのは実際に投与される群も同じだが、平均確率で言えばどちらも実験前の段階からボロボロなのだから、無治療群のほうがはやく死んでくれる確率はクスリの効果とは無関係に考えても50%だ。それと比較して本当に延命効果などあるかなど、まったくわからないはずである。

◆資料 成人病の真実 近藤誠著/文藝春秋

●夢の「ガン新薬」を採点する、外科医が煽ったハーセプチン



「外科医・平岩正樹のスクープレポート『ガンを治す』外資のあの新薬がついに承認された!」という記事が目にとまりました(「週刊現代」2001年7月14日号)。

平岩氏は、抗がん剤治療を積極的に推進している外科医で、米国で開発された「ハーセプチン」という抗がん剤が六月に発売された。従来の抗がん剤と比較して、決定的な違いがある。「二一世紀のがん治療」への明るい可能性を秘めた新薬なのである、という論調でした。

・・・ハーセプチンの使用対象は乳がんです。・・・臓器転移をもつ乳がん患者をあつめて臨床試験をしてみると、ハーセプチン単独でも腫瘤の縮小効果が認められ、従来の抗がん剤に比べ副作用も少なかった。
また、抗がん剤と併用すると、寿命延長効果も認められました。それで米国でいち早く認可され、最近、日本でも認可されたわけです。ハーセプチンの臨床試験には、米国の乳がん患者団体が協力し、認可までの期問を二年は早めたといいます。

二〇〇一年六月、NHK教育テレビで「がん患者に学ぶ」というシリーズが四夜連続で放映されました。日米の患者やがん治療現場などをルポした意欲的な番組で、なかで二回にわたり映された、ハーセプチンで乳がんの腫瘤が消失したとの報に歓声をあげるおおぜいの米国患者たちの姿が印象的でした。
が、それをみながらわたしは、この人たち(患者団体のリーダーや番組作成者たち)はハーセプチンの本当の実力を理解しているのだろうか、との思いをいだきました。そういう理由は、臨床試験のデータにあります。

●「夢」という罠


まずハーセプチン単独による成績をみると、乳がんで他臓器転移をもつ222人中、転移病巣が検査でわからなくなるほど縮小した者(完全反応)が八人で、腫瘤が少し縮小した者(部分反応)が26人。両方をあわせると34人で、率にすると「反応率」は15%です(「J Clin Oncol」17巻2639頁.1999年)。従来の抗がん剤治療は、反応率が50%程度ありますから、ハーセプチンの反応率はかなり悪い。

(編注 従来の抗ガン剤という比較がきわめてあいまいな比較であることに注目。量を多くしたりすればはやく死ぬから、この操作はどうにでもできるあいまいなところだ。臓器転移が起きているという前提から、最初から無治療の人間ではなく、さんざんいろいろやってきた累積後遺症の溜まっている人間との比較であることがわかる。この判定の仕方も相対比較の対象を決めて、延命したという判定に過ぎない。相対判定であって絶対判定ではない。絶対比較とは比較規準無しにその人が投与しなければどうなったすかはわからない。)

・・・研究者たちは、ハーセプチン単独治療では将来がないと感じたので、別の臨床試験を実施しました。臓器転移がある乳がん患者を、くじを引いて二群にわけ、片方は従来の抗がん剤だけで治療し、他方は、従来の抗がん剤とハーセプチンとを併用した試験です。結果、反応率、再発なく生存している期間、平均生存期間のいずれも、ハーセプチン併用群のほうが良好でした(「N Engl J Med」344巻783頁・2001年)。それで米国の抗がん剤治療専門医たちは患者に、ハーセプチンと抗がん剤を併用する方法を勧めるようになりました。・・・

では、併用療法の何が問題なのか。グラフはその試験で得られた生存率曲線です。抗がん剤単独群の曲線と(ハーセプチン十従来の抗がん剤)併用群の曲線は、途中は少し離れているものの、最後には交わってしまいます。
つまり延命効果は、あって五か月程度でしかない(・・・前述の理由で実際に延命効果があるかどうかも疑問)。・・・これでは平岩氏がハーセプチンをして「ガンを治す」というのは嘘です。

では乳がん臓器転移の場合、抗がん剤だけで治療するほうがよいのか。転移による症状がとれるか否かに着目して・・・、生存率のデータをみてみましょう。すると、抗がん剤治療をした場合、10年目の生存率は3%ほどになります(「J Clin Oncol」14巻2197頁・1996年)。
・・・日本における、乳がん再発で抗がん剤治療をしなかった場合、9年目の生存率が15%。これに対し、抗がん剤治療をうけた場合の9年生存率は5%(「日本癌治療学会誌」21巻1177頁.1986年)。

・・・これらに抗がん剤治療による副作用を考えあわせれば、おのずと答えに到達するはずです。それでもテレビや雑誌でこれほど喧伝されるのですから、今後、ハーセプチンはどんどん使われることでしょう。
するとどうなるか。まずお金がかかります。推奨されているのは、毎週一回打つ方法で、初回が体重一キロあたり四ミリグラム、次からはニミリグラムです。そしてハーセプチン一瓶は、一五〇ミリグラム入っていて、薬価が八万円(!)。体重が七五キログラムまでの人だと、初回は28万円、次週からは8万円づつかかります。・・・

こうしてみると問題は、専門家、製薬会社、そしてマスコミによって根拠のない夢が語られ、・・・その結果、臨床現場では、・・・つぎからつぎへと新たな抗がん剤が提示され、患者は襖悩しながらもそれをうけ、副作用に苦しみ、死ぬまで気持ちと身体がやすまる暇がない、という状況になっています。抗がん剤治療を最後までやっていた場合の死因は、まず間違いなく副作用死であるはずです。

(編注 ここからの指摘は、経済至上主義社会では欲望によって解釈が歪むことを書いている。ここを突かれると、かなり痛いはずだ)
画期的といわれるハーセプチン。その臨床試験結果を報告した論文には、著者として12人の専門家(医者や薬学博士など)が名をつらねています。そしてそのうち9人が、企業から給料をもらっていたり、株式を所有するなど、ハーセプチン開発企業と深い関係があります(前掲「N Engl Med」344巻)。
現代においては、新薬のデータはこのような構造のなかから産みだされ、それら専門家が解釈したところが結論になります。こうしてできあがった結論は、信頼性がないか低いとみなすのが、一般人のふつうの感覚です。
人びとや病人はそういう感覚を研ぎすますことでしか、この構造が仕掛ける「夢」という罠から逃れることはできないでしょう。

このハーセプチンは医療を賛美する映画にもなっている。映画「希望のちから」

●人間の"心証の錯覚"を利用した延命効果の呆れた実態


この近藤誠医師の批判的な分析は医者として、すばらしいが、そもそもの臨床試験の前提の滑稽さを論じずに出た結果の枝葉末節的なことで議論しているのはものたりないところだ。私から見ればこの論点は枝葉末節的である。もっと根幹を鋭く突かないのかと物足りなさを感じる。
近藤誠医師が言わない臨床試験の最大のトリックは累積後遺症という重大なノイズを無視していることである。
つまり、逆に言えば臨床試験の前提自体は半ば認めていることである。もしここが崩れているとしたら放射線治療もやっていないはずだ。
たとえ、ハーセプチンのほうが長生きしても、あるいは短命になっても、それはたまたま累積後遺症の影響からそのような結果が出たに過ぎない。
それを経済至上主義社会ではあいまいなところをクスリのおかげと解釈しなければクスリの延命効果など証明しようがない。
なぜなら、治療薬の演出に使われている参加者は、それまで平穏に生きてきた普通の人間ではないからである。
つまり、こんなことは治験をやっている人間なら、まったく効果の判定とは関係のないデモンストレーションであることに気づくことである。人を騙すためにはこういう結果が出たという口実が必要なのである。
最初から彼らは効果を確認するつもりなどまったくなかったのだ。効果を確認したというアリバイ造りが重要だったのである。
臨床試験とは単に「これだけの効果が出ました!」と発表して人を騙すためのデモンストレーションにすぎないのである。
よく考えてみれば、ハーセプチンにしろ、タキソールにしろ、その成績は10年も生きていないほど惨憺たる結果である。もちろん、ボロボロにされた人間が打たれたのだから、タキソールの毒性だけが殺したわけではない。それがなぜ、夢の新薬と人は錯覚するのか?
それは相対的な比較を付けて判断させる"心証の錯覚"である。比較対象が無ければ5年という平均寿命も効果があるとは思わないはずだ。
それよりももっとはやく死んだことになっている無治療患者群という相対効果をつけることで、猛毒が0.1グラム10万円のダイヤモンドに化けるわけである。
本当にタキソールやハーセプチンを打たなかったら、その人がもっとはやく死んでいたのかはまったく確認しようもない。これは無治療群という相対比較対象を打った人が使わなければその期間で死んでいたとこじつけることで、その差を延命効果と言っているだけである。
つまり、0.1グラム10万円のダイヤモンドに見せるトリックは臨床試験のやり方と判定の解釈に猛毒がダイヤモンドに化けるカラクリがあったのだ。



◆資料 世界医薬産業の犯罪 化学・医学・動物実験コンビナート ハンス・リューシュ 太田龍訳


PART1 詐欺師の教義


「法」を作るのは誰か


今日の薬品市場の状況は言語道断、悲劇的でさえある。政府は製薬業界が無用の薬を市場にあふれさせるがままに任せている。彼らに言わせれば動物実験によって、それらの薬の有効性・安全性は十分にテスト済みだという。

しかし、これは詐欺である。しかも政府公認の詐欺である。というのは、薬のメーカーも、それを認可する政府も、動物実験などは元来まったく無意味なものであるということを百も承知しているからである。それでありながら、新薬の発売に先だって、一応動物実験さえ経ておけばその薬の副作用が隠蔽不可能という段階に至っても、「必要なテストはすべてクリアした。法律には反していない」と言いわけができるというのが本音なのである。

しかし、この「法律」なるものを作らせたのが、実は自分たち自身なのだということは、メーカーも政府も、おくびにも出さない。実際に立法に携わる人々は医学の専門知識などもち合わせておらず、立法の際、最終的には「医学専門家」と呼ばれる人々の意見に従わざるを得ない。

ところがこの専門家というのが誰あろう、薬メーカーの代理人なのである。しかもこれらの代理人は政府の保健機関と密接なつながりがあり、両者が同一人物である場合さえある。一般には、「立法者」とは全能者のごとく考えられており、彼らを陰で思いのままに操っている「専門家」の存在は、あまり知られていない。

レダリー研究所医学研究部長、ジェームズ・D・ギャラハー博士がこの現状を憂いて次のように述べたことがある。



――基本的問題点のひとつが、動物実験に対する非科学的先入観である。動物実験は科学的根拠に基づいて行なわれているものではなく、法律的意図に沿って行なわれているのであり、薬の人間に及ぼす影響を予測するという観点からは無意味なものである。すなわち、我々の研究そのものが無意味なものかもしれないということである(一九六四年三月十四日、アメリカ医師会誌)。

実際、医薬探求の試金石として動物実験を義務づけてきたこの「医学専門家」と呼ばれる集団は、利潤追求に溺れ、人類に多大な害毒を及ぼしてきた、史上最大最悪のペテン師集団なのである。

今日、この主張に同意する医療関係者が増加しており、本書の目的も、この主張を論証することにある。



迷信


自分でペットや家畜を飼ったことのある人にとって、経験から知ったにせよ獣医から教えられたにせよ、「人間用の薬をそのまま動物に与えれば死ぬことがある」ということは常識にさえなっている。これは何を意味するのだろう。

動物の体は人間の体とは異なった反応をする、それゆえに人間に効く薬であっても、動物には害を与える場合がある、ということを意味しているのは明らかだろう。

しかし、この常識を十分にわきまえているはずの人でさえ、ひとたびマスコミの手練にかかればすっかりだまされてしまう。金権支配下にあるマスコミの大宣伝にのせられて、「新しい薬が何らかの形でテストされなければならないのなら、私自身がモルモットにされるよりは動物を使った方がいい」などと言い出す始末なのである。

しかし、この一見、人道的とも見える言い分の根底にはふたつの大きな誤りがある。第一に、新しい薬が必要であるという思い込み、第二に、動物実験で満足な情報が得られるという思い込みである。

このふたつの誤った思い込みは、組織的洗脳過程を通し、人々の頭にしっかり植えつけられた一種の宗教的教義教義というものは、議論の対象とはならないなのである。この教義は、まず家庭で論理的思考が芽生える以前の幼い頭に叩き込まれ、やがて学校で、その後はマスコミによって植えつけられるのである。目の前にはさまざまな反証が上がっているにもかかわらず、多くの人はすでに植えつけられた信仰――迷信――に固執する。それは中世の人々が、聖水の治癒力を信じたり、魔女狩りを正当化したりしたのと同様の頑固さである。しかし、現代の我々の過ちは中世の人々の過ちよりはるかに明々白々であろう。



***

「動物で得られたデータはすべて人間にも完全に適用しうる。毒物あるいは悪条件を用いた動物実験は人間のための毒物学および衛生学に完全に適用しうる。また毒物に関する研究は治癒上の見地からみてすべて人間に応用しうる」。

これはクロード・ベルナールの言葉である。ベルナールは動物実験を基礎とする今日の医薬研究の先駆者であるが、一八六五年に上梓されたその著書『実験医学序説』の中で上記のごとき馬鹿げた論を展開している。『実験医学序説』は、今日、その誤りを立証する証拠が急増しているにもかかわらず、いまだに現代の「公的」医学の原点とされ、医学研究者と呼ばれる人々のバイブルとさえなっているのである。

現在、アメリカでは「科学」という言葉は「研究」の意味をもつらしい。しかし「科学」の本来の意味は「知識」である。その原義において今日の「医学」は「科学」ではないと言えるだろう。

今日の医学は偽りの教義にすぎない。それは、化学工業界とがっちり手を組んだ医学権力が、大衆に無理強いしてくる教義である。アメリカに限らず、すべての先進工業国において状況は同じなのであるが、その無理強いの手段がどのようなものであるか、またその手段が合法的か否かなどは問題にもされない。その上、この権力グループの目標とするものは、国民の健康などではない。健康は国民から多額の金を絞り取る口実として使われるにすぎず、真の目標は自分たちの富と力の増大なのである。この点については後の章で詳しく述べることになるだろう。

真の科学は、自由な情報提供と、異なった意見の交換が前提である。ところが今日の医学界にはこの大前提が存在しない。もっとも、これまでも公的教義に対立する見解を口にする正直で勇敢な医師がいなかったわけではない。たとえば、医学界が癌をネタに金もうけを企んでいるという事実を暴露したり、ある種の予防注射の集団接種は医薬業界の営利主義の産物だと公言したりする医師もいた。が、これらの勇敢な医師たちは、皆、すぐさま口を封じられたり、医学会への参加を拒否されたり(これでなぜ、学会発表の数カ月も前に発表原稿を提出しておかねばならないかがお分かりになるだろう)、二度と有力発言ができないような低い地位に左遷されたり、果ては医学界から完全.追放の憂き目に合わされたりしてきたのである。この、医学界にのさばるさまざまな形式の検閲についても後の章で再び検討することにしよう。

医学権力が誇大宣伝と併行させ、このような組織的検閲を行なっているため、前述のギャラハー博士や次に引用するモーデル博士などが、たまに歯に衣きせぬ爆弾発言をしたとしても、その声はすぐに闇に葬られ、二度と日の目を見るチャンスが与えられないのである。



医者はストライキをせよ


一九七三年にイスラエルで、二九日間におよぶ医者のストライキが行なわれたことがある。この間、イスラエル国民の死亡率が空前絶後の低さであったという事実は、決して偶然とは言えないだろう。エルサレム埋葬組合が発表した統計によれば、このストライキ中に行なわれた葬儀の数は普段の半分近くにまで減ったという。

一九七六年十一月のコロンビアでも同じことがおこった。首都ボゴタで五二日間もの医者のストライキが行なわれたのであるが、カトリック教会関係者の話では、この八週間のボゴタでの死亡率は三五パーセント減少したという。コロンビア葬儀組合もこの事実を認めている。

同じような現象が、数年前にはカリフォルニア州で、また七八年にはイギリスでおきている。

医者が本気で人々の長生きを考えるのなら、ずっとストライキを続けて、釣りにでも出かけてしまった方がいいだろうと、自身医師で『医学の異端者の告白』の著者であるロバート・メンデルソン博士が語っている。

とは言うものの、今日ほど高い医療水準の恩恵に浴している時代はないーという大多数の人々の信仰に揺さぶりをかけるのは容易ではない。彼らはすでに徹底した洗脳を受けているため、どんなに、本当はそうではないのだ、と説かれても、聞く耳を持たないのである。



基本原理は「利益」


ヒューストン=ナルの記事以前にも、『罪なきものの虐殺』の中で指摘したように、医学エスタブリッシュメントの基本原理は、国民の健康ではなく自分たちの利益である。もちろん医学の世界に限らずどんな職業でもそうであるように、医師の中にも知的で良心的な人はいるだろう。しかし大勢として、医学界は利益のために動いていると言っていいのである。彼ら医師の思考回路が、医学校で最初の生物学の講義を受けた日から、間違った方向に向いてしまったのは、医師個人の責任ではない。当時、彼らには選択の余地などなかったし、ましてや現在、支配者として君臨する医学シンジケートの構造を変革するなどという選択はあり得ないのだろう。

ここでもう一度、さきのヒューストン=ナル・リポートを引用してみよう。



ACSとNCIは「癌戦争」プロジェクトの目玉商品として、二八万人の女性を対象とする乳癌の集団検診を共催した。悪名高きX線乳房撮影(マンモグラフィー)である。医師たちのさも親切げな微笑や楽観的な説明にのせられて、いけにえの小羊たちは科学という名の祭壇で、発癌のリスクを高めるとされているX線に我が身を晒したのである。

しかも重点は五〇歳以上の女性におかれていた。この年齢層はX線による発癌の危険性がきわめて高いのである……。

ACSの開くセミナーは、言ってみれば春のファッションショウである。医学記者や科学記者に、多額の研究費の行方を華々しく披露しておこうというわけである。現実には、その大金は失敗以外の何も生み出していないのであるが。このショウではいつも必ずひとつやふたつの「大発見」が発表される。

これが、うまい具合にちょうど寄付金募集の頃に発表され、その上、みごとに科学記者会議の時期とぴったり重なっているのである。この華やかな年間行事を見ると、科学記者というものが、報道よりも宣伝に関わっているということがよく分かる。彼らは医学エスタブリッシュメントの利益の増大の片棒を担いでいるのである。

国民はこの時期、科学記者の書く膨大な量の「癌研究さらに前進」なる記事を集中的に読まされることになる。彼らの癌意識は高まり、はかない偽りの希望を持たされて、不毛な癌研究への攻撃の矛先は鈍る。この辺りでACSの資金集めのエンジンがかかる。

すぐそこまで来ている勝利までもう一歩!という歌い文句につられた何百万人という人々からの小切手が、ACSのもとに殺到するのである。確かに「すぐそこ」――地平線のすぐ向こうまで来ているに違いないが、一九一三年にACSが「緊急臨時団体」として発足して以来、ずっとそこに留まったままなのである……。

医学エスタブリッシュメントが地平線目指して走らせている純金製癌研究馬車の用心棒をつとめるのが、体制派科学記者たちなのである。彼らは決して、代替療法などについて報道しない……。

一九六四年、一人のロンドンの医師が、外科手術は癌を根絶するよりも癌の成長を促す可能性の方が大きいと発表した。その年以来、外科手術による切除とその痛みに果敢にも反対してきた多くの癌専門医たちの研究の理論的帰結がガーソン式食餌療法である。ガーソン以前の医師たちも、癌が全身の病気であり、適切な食事が、癌と戦う体を助ける、との見解を持っていた……。

一九世紀の癌治療医で、外科手術に反対した人々の多くが、適切な食事の持つ治癒力を認識していたという事実は注目に値する。

しかし一方で、いわゆる公的医学が、このような栄養学的アプローチに対し、露骨な嫌悪を示して、いずれはにせ医者の烙印を押されるに違いないと考えていたのも事実なのである。

マックス・ガーソンへの攻撃は執拗に繰り返された。もっとも激しい攻撃は身近な仲間からのものだった。

それでも彼はニューヨークの診療所でかなりの年月、頑張った。癌患者は彼の診療所に最後の望みを託してやってきた。そしてその患者の癌が治ると――事実、多くの場合治った。以前の担当医は、その患者が確かに癌であったということを示すカルテを処分してしまうことさえあった。


一九四六年、上院は、癌の予防と治療研究用の予算承認のための公聴会にガーソンを招いた。

彼は五人の治癒患者の病歴を紹介し、委員会のメンバーに大きな感銘を与えた。この時の二二七ページに及ぶ記録(公文書八九四七一号)は、今では連邦印刷局の古文書の中に埋もれてほこりをかぶっている。

この記録の閲覧を申し込んだある新聞記者は「コピーは一部も残っておりません」との素っ気ない応待を受けた。この公聴会の五年後、とうとうガーソンは、ニューヨーク内のすべての病院での医療行為が許されなくなってしまった。今ではすっかりお馴じみになった「抹殺」の犠牲者になったのである。新しい療法の考案者は杜会的に完全に孤立させられ、医学雑誌に論文を発表させでもらえない。どこかで何とか発表したとしても「非科学的」と一言のもとに切り捨てられる。これが抹殺である。

この間にも切除手術や放射線治療を受け、墓場へと急ぐ犠牲者はどんどん増えた。「あれ以上手の尽くしようはなかった」というのがエスタブリッシユメント側の医者の決まり文句だった。

犠牲者は検査も済ませ、支払いも済ませ、お決まりの苦痛と死への一方通行の道をひたすら辿った。


一九五九年、ガーソンは死んだ。アルベルト・シュバイツァーの妻の結核を治した医師、しかし公的医学界からはまったくかえりみられることのなかったガーソンを、シュバイツァーはこう悼んだ――彼を知り、彼の価値を知る我々は、今日この医学の天才に哀悼の意を表する。

医学界の弾圧を受けてきたさまざまな治療法の詳細な説明の後に、ヒューストンとナルはこう書く。



科学の世界では、革新に対しては、信じ難いような弾圧が、これまでも常にあったのは確かだろう。しかし、第二次大戦後、強大な権力をもつ石油化学工業の抬頭に伴って、弾圧の激しさは一段とエスカレートした。


●APと『タイム』に抹殺されたニュース


一九六〇年代から七〇年代にかけて、化学療法は癌治療の新しい希望としてマスコミでももてはやされていた。薬品の副作用の恐ろしさや、その発癌性、致命性についてはほとんど触れられることはなかった。

七三年、NCIの細胞化学部部長ディーン・バーク博士が当時のNCI所長フランク・ラウシャー博士に宛てて公開状を出したことは本書の「ヒューストン=ナル・リポート」で触れた通りである。その中で、バーク博士は、従来の抗癌剤は事実上そのすべてに発癌性があるということがNCI自身の研究によって発見されたと告発している。

APと『タイム』の一般ニュース担当の編集長は当初、このニュースの報道に非常に乗り気だった。ところが医学科学担当の編集長がこれを握りつぶしてしまった。

なぜ、APのごとき大通信社や『タイム』のような有力雑誌がこの種のニュースを抹殺するのかという事情については後述する。



●独自の考えの抑圧


今日、医師たちは、医学界という威圧的なシステムの中で、常に上層部の意向を気にし、独自の考えを抑えながら仕事をせざるを得ない。医師たちは他の何を差しおいても検査を行なう。彼らの診療は、ひたすら防衛的であり、良い診療をしようという積極性がまったくない。彼らは独自の判断で新しい学説を取り入れることを恐れ、どうひいき目に見ても非科学的としか言いようのないやり方でお茶を濁しているのである。

CAST(農業科学技術協議会)、IFT(食品技術研究所)というふたつの半官半民「非営利」団体がある。CASTの場合を見ると、その運営は、加盟メンバーからその規模に応じて年会費を五〇〇〇ドルかそれ以上を徴収して成り立っている。現在のところ、ダウケミカル、モンサント、ホフマン・ラロシュその他九四社からの会費がCASTの収入の半分を占める

非営利とはいえ食品工業、化学工業の営利第一主義の影響をもろに受けたこのような団体が、アメリカ国民のための「食事プログラム」なるものを作り上げ、現在のような問題の多い食習慣を国民の間に定着させてきたのである。その上、発癌性食品添加物の問題では、これを過小評価し、国民に誤った意識を植えつけてきたのもこれらの団体である。ヒューストン=ナル・リポートは、CASTのような団体の実態の暴露を試みた全国規模の報道が、これまでまったくなかったことに気づかせてくれる。





●10年以上の結果は集めることは難しい







●プラセボ偽薬を使う臨床試験にも前提に重大な欠陥がある


近年では治験の方法としてアピールされている方法ではあるが、無治療群には偽薬を使う方法である。これは病院単位で行われていることもあるから、場合によっては主治医も外見は同じで中身は単なるデンプンだとは知らないで処方する場合もある。もちろん医者はその場合も偽薬が送られてくる可能性がある前提はわかっている。
この場合は、ランダムに割り当てて、本人の断るとかのブレが生じないという反論があるかも知れない。
ここで重要なのは、この方法はあくまでもクスリの臨床試験でしかできないこと、クスリの中でも比較的作用の少ないものでしかできないことだ。
劇薬のようなものでは医者も知らないと言うことで使えない。つまり、これは抗ガン剤のような劇薬には向いていないから、この方法は抗ガン剤ではほとんど行われないということになる。
また、仮に百歩譲ってこの方法でやったとしてもさまざまな欠点が生じる。
この方法も先と同じく、無治療群、つまりデンプンなどの無害なクスリとは無関係なものを飲ませる群と新薬を飲ませたり、投与する治療群のうち、無治療群というのはスタート日からデンプンを飲まされるという意味での無治療にすぎず、多くの人が騙されているように現代医学の治療を受けていない人という意味ではない。
あくまでも比較する対象に対してプラセボ群という意味にしか過ぎない。
そして、偽薬の無治療群と治療群が比較したとしても無治療群というのはそもそも後遺症を負わされているわけだから、その後遺症が原因でで治療群より短命になる確率はおおざっぱに計算すれば約50%くらいである。そのときに上回った場合は発表して効果があったと言い、下回れば発表しなければいいだけのことである。
しかもこれは捏造せずに正直に報告すればと言ういいほうの前提である。
なぜなら、治験というのは最近の臨床試験は週刊文春で反論していたように何度やるかと言うことは自由である。それも製薬会社が知り合いの医者に頼んで極秘で試しもらえばできる。とくに以前の臨床試験の方法はそうだ。

●回数を増やせば組み合わせの偶発性から治療群のほうが長生きすることはある


サイコロで言えば振った回数という分母とどの眼が出たかという分子が正確に報告されなければならないが、そもそも治験というのはサイコロを振った回数という分母があいまいである。野球では打席数を増やせばヒットの数も増やせるのと同じだ。
つまり、野球のように500打数180安打のように分母と分子をハッキリ審査されるなら厳しいが、臨床試験の場合は、やった回数、つまり野球の成績で言うところの打席数という分母があいまいである。悪い結果が出たときは報告したり、発表する義務がないからである。サイコロを増やす回数を増やせば、どの眼や連続して同じメカニズムが出る回数を増やせることは誰でもわかる原理である。
つまり、偶発的な組み合わせで治療群のほうが平均余命が長くなるときがあれば、いいときだけの結果を強調して、その治療薬のおかげで延命できたことが科学的に証明されたことに出来るてしまうのである。
クスリの延命効果などなくても組み合わせによって偶発的に治療群のほうが成績が上回る確率は約50%だとしたら、クスリのおかげで延命など出来ていなくても、申請する臨床試験結果はよかったことにできるということである。
ここで、先の治療もせず、クスリも使わないのにインフルエンザが勝手に治っている潜在患者が莫大に居ることを考えたらわかるはずだ。クスリなどなくても治る人、結局どうもならない人は莫大にいると言うことである。
しかし、現代医学や臨床試験というものは人間が勝手に自然治癒力で治るなどと言う前提があっては商売にならないから、その当たり前の事実を一切無視するし、基本的に認めない。それらの事例は強調されることは無い。
ほとんどの場合、それは医療の技術によって助かったのだという解釈をしたがる。
さらに何もしなければ猛烈に悪化して早く死ぬという強烈な思い込みを大衆や本人に植え付けていないと成り立たない虚構である。
この前提自体がクスリをダイヤモンドのにように輝かせるために仕掛けられた"心証のトリック"なのである。
インターネットやミクシィなどの体験談を見ているとうちのおばあちゃんは病院のガン治療を断って、そのまま家で過ごして20年も生きたと、こういう話があちこちにある。こういう結果は潜在的には膨大になるだろう。統計にする人がいないだけのことである。
一方、新薬と称した化学薬品の生存成績はせいぜい5年である。冷静に考えたら、そんなものにすがりついたところで平均5年程度で死ぬと言うことだ。
医療が自然治癒力で治った事例をクローズアップしないのは当たり前のことである。自分たちの手柄ではないことをわざわざ話題にするハズもない。
彼らは自然治癒力で治るケースがあることは認める。しかし、それは何万分の一だという。そもそも勝手に起きて報告などしてこないことなのに、どうして何万分一の確率であるであることをカウントしたのだろうか?
彼らの医療わ受ければ猛烈な発ガン因子を植え付けられるのだから勝手になる人が滅多にいなくなるのは当然だ。
マスコミは医療マフィアの味方であるから彼らが医療の進歩によって…」という医療プロパガンダの情報を流しても自然治癒力にはあまりクローズアップしないのは当たり前のことである。ただし、マスコミはまったくクローズアップしないわけではないが比率は低い。マスコミは医猟マフィアから金をもらって生活しているから当たり前のことである。

●判定の解釈は自然治癒力、自然治癒例を隠すことによる手柄の横取り


治療群のほうが長く生きたり、治ればそれはそのクスリのおかげでそうなったという判定をするわけである。これらはすべて彼らの主観で採点していることに過ぎない。自分の答案を自分で正解の定義を決めて、自分で採点しているわけである。だから、WHO指定の発ガン物質あり、化学兵器のマスタードガスでも良く治る抗ガン剤ということになる。彼らの判定する定義ではそのような解釈が出来るわけである。
認可するための厚労省にはそのような分析能力などない。報告されたことを信じるしかない。
そもそも彼らは取りあげたがらないだけで悪化せずにかってに治っている人は膨大にいるはずである。また、子供のガンであるそれは神経芽細胞腫の検査で何もしなかった児童の追跡調査で勝手に治って自然消滅していた例が余りにも多いので検診が廃止になったことからも証明されている。つまり、ほったらかしにしておいてどうもならないだけでなく、自然に消えていくということだ。
そもそも最初から検診などされておらず勝手に治った人は莫大にいるだろう。あなたも私も自分で気がついていないだけで、その一人かも知れない。
これについて詳しくは神経芽細胞腫と自然消滅で検索すればわかる。
「必要もないのに見つけて、治療と称して猟奇的なことをやっていたことが原因で殺していたのではないか?」と言うことをオブラートに包んで書いているサイトはある。勝手に治った人のガンは何も起こらないから、結局病院に来ないだけである。そしてその結果が永久に医療データになることはない。それらを誰かがカウントしているはずもなければカウントなどしようもない。
それにも関わらず治療されていた患者のほうも惨憺たる結果で、バタバタ死んでいたから神経芽細胞腫は10年以内に数十%の確率で死亡する恐ろしい病だったのである。これは老人の死亡率ではなく、子供だ。
そして治療しなかった子供たちは結局どうもならなくて勝手に治っていたのである。
これはマスコミが医療犯罪について、騒がなかったから、殺害の実行犯達は九死に一生を得ていたが、ガン医療が殺していただけであることは他の状況証拠も含めて考えれば推測できる。これらが追求されないのは、医猟産業がガンの病魔を演出して暴利を上げ、そこで得た利益を惜しみなく情報産業にも撒いてきたおかげだ。その本質は口止め料であり、自分たちの配下にするためのエサである。だからそのような医療犯罪は報じられなかったのである。現在もマスタードガスの犯罪が発覚しないのとおなじことだ。
癌の自然消滅は残念ながらめったに起こらないというのは統計学的に単にカウントできていないだけである。できていないし、彼らが統計として発表するつもりなどサラサラあるはずもない。
誰にも気がつかれない状態で起きていてもデータにならないだけである。できるできないの問題だけではない。それがわかったところで不都合なことを医療産業がデータにするはずもない。

●因果関係のあいまいさにつけ込む医猟犯罪


彼らはその自然に消えた例については自分たちではあまり取りあげない。当たり前のことであるが、自分たちの犯罪をわざわざ自分たちでアピールする犯罪者はめったにいない。気付いた人はいるだろうが、マスコミが騒がないと日本人はおおごとであることには気がつかないのだろう。
本当はそのように、クスリを使っていなくても何の治療も受けなくても治癒したり、どうもならないことは膨大にあるのだから本当にクスリによる治癒効果なのかという因果関係はわからないのである。
これは考えてみれば科学的に証明されたことでも何でもない。サイコロを振る回数を増やせば中には1→2→3と連続で数字が続いたり、同じ数字が3回連続で出たりするのと同じような偶発性の産物である。
つまり、治験の判定というのは回数を多くして同じ番号の眼が連続して出たらそこだけ取りあげて、俺は同じ数字を連続させるサイコキネシストだと主張するようなものである。単に回数を増やしたことで、たまたまそういう結果が出たときのことを取りあげているに過ぎない。これが現代医学のいう科学的根拠の正体だ。
だからこそ、マスタードガスが抗ガン剤になって、猟奇的なブードゥー教の黒魔術儀式さながらの殺人が行われているのである。それは架空の病魔を作り出して、悪化させて骨の髄までシャブリ尽くす悪魔の保険金殺人である。それでいてデータだけは人を救っていることになっている。データをどのような解釈でどのように作ろうが彼らの自由であるからだ。
人を殺しまくって、多くの人を救いまくったことになっているのである。これは駄目な人間を削除するという人口削減という意味では確かに本当に救っている一面はある。もうひととつの解釈で言えば間違った人生を途中で、はやく終わらせる意味で殺して救っている一面もある。これも一面の真理だ。
クスリに延命効果や治癒効果があったと判定するのはあくまでも治験をやる医者や製薬会社の主観に過ぎない。

●因果関係のあいまいなことをどうカウントするか


物事の因果関係ががあいまいになればなるほど、統計データのカウントはカウントする人間の主観や定義づけに依存するようになる。そこに都合の良いことを誇大カウントし、悪いことは過小カウントや無視していく医学データの歪んだ誇大解釈がどこまでもつけいるわけである。
これは10になったところを20に書き換えて報告するような、あきらかな捏造ともちょっと違う。そういうハッキリしたものなら、不正は発覚しやすいだろうし、さすがにやりにくい。私のしている捏造は5の数字になっていたところを10に書き換えたとかでは無い。そういう不正も行われているだろうが、そうした書き換え捏造は中心的な手口ではないと見ている。
中心的な手口はあいまいな解釈を自分たちの都合の良いように定義づけてカウントすることである。そもそものカウントの仕方が曖昧なのだから本人達も捏造しているつもりはないだろう。
医学では、人間の身体に起こる現象など、複雑な要因が絡みすぎて、なぜそういう結果になったかはひとつの原因だけではない。マスタードガスが殺しているとは書いているがマスタードガスだけが殺している要因ではない。
つまり、効果などなくても単なる毒物でも、毒性が低ければ、もともとマスタードガスと同様の有害な殺人療法を施されて、ボロボロになった累積後遺症の多い患者が比較対象なのだから、まったくランダムに分けたとしても、マスタードガスを投与する群の約50%は効果有りの判定が出せると言うことだ。
これは科学的根拠でもなんでもない。偶発的な組み合わせの確率と分母自体を報告する必要がないという欠陥から生じる妄想の産物である。
このような結果がまかり通っているからマスタードガスのようなものも延命効果があることにできたわけである。マスタードガスだけではない。あらゆる治療法の解釈の仕方にペテンのトリックがあったのだ。
また、近藤誠氏が反論されたように今の時代はそこまで審査が甘くは無いとしても、その規準の当時に確立した治療ガイドラインが今も行われていることは否定できないはずだ。

マスタードガスを使うと延命効果が出るトリック


●サリンを使っても毒性を薄めておけば延命効果結果は出せる


彼ら医猟犯罪者達は
「科学的には、抗がん剤は、延命効果があることが立証されています」というだろう。ここでいう科学的立証とは同じ人間の身体をコピーして使うことなど出来ていないのだから、第三者の無治療患者(実際には無治療ではない)と比べて長く生きたと言うことである。このトリックは比較対象となる人間の配置にカラクリがある。
つまり、自分たちのやる治療より、早く死ぬ人間を配置さえすれば良いのである。
たとえば逸見さんを使うことも彼らのやり方なら可能である。実際には逸見さんほど寝たきりになったような極端な人を使ってはいないとは思うが、程度の差はあれ、やっていることの原理は同じことである。逸見さんのように手術で重篤な後遺症を負わされた人も手術の翌日からガン治療をしなければ彼らの言う"立派な無治療患者"である。
まず、手術以降は無治療という方針に決まったら逸見さんにはそれ以降の癌医療は施さない。緩和ケアだけでガン治療はしないのだから、逸見さんのような人を集めた無治療群が、スタート日からは無治療で三ヶ月で亡くなり、薄めたサリンを投与するサリン療法でサリンを投与した患者群は6ヶ月後に死んだ。

彼らはこういうだろう。
「サリンには延命効果があることが科学的に立証された。なぜなら、無治療患者との比較において、サリンを投与された患者のほうが平均で3ヶ月長く生きたからである」
逸見さんのように手術と発ガン剤で死にかかった人も臨床試験のスタート日から無治療方針に切り替えれば、それは立派な無治療患者だ。延命比較試験では治療群の延命効果の証明に利用できる。3ヶ月後に死んでくれればめでたし、めでたしである。
なぜなら、現代医学の延命効果の証明とは比較する対象に対しての時間差を延命効果と判定しているからである。比較対照群が先に死んでくれるほど、クスリの効果のおかげで長く延命することができたのだという解釈になるのだ。
延命効果が証明されたというのは、よく考えてみれば妙な話である。本当にその人に投与した方が長生きするか、ということなど同じ人間で同じ状態から両方比較することは不可能なのだから証明など出来るはずがない。
つまり、延命効果の証明とは比較対照群の配置の仕方にトリックがあったわけである。だから比較対象群がいつまでもピンピンしていたら困ったことになる。
これで厚労省はサリンを延命効果があったと認定し、ガン治療薬として認可する。実際にこうした論理でマスタードガスは今も世界最多使用の抗ガン剤と称した使われているのである。

この比較方法の場合なら、彼らの判定方法ではサリンには3ヶ月の余命効果があったということになるからだ。

●逸見さんのような人を無治療群に配置することと原理は同じ


ここで彼ら医猟犯罪達は
「いくらなんでも逸見さんのようにボロボロにされた人を臨床試験には使うことは実際にはない。例え話としては極端だ」と反論するだろう。
たしかに、実際の現場では、そこまで極端な人を臨床試験では配置はされていないだろう。
ここではトリックをわかりやすく説明するために、手術後の逸見さんを臨床試験の比較対象に無治療患者として配置するという多少誇張して説明したのであるが、程度の差はあれ、原理は同じことである。
重篤な後遺症を負わされた人間を無治療患者と称して相対比較に利用しているのは事実である。反論してきたとしても、それは負わされた重篤な後遺症の程度が違うというだけにに過ぎない。
原理としては、手術後の死にかかった逸見さんを無治療比較群として配置していることと同じなのである。

この場合、あくまでも同レベルの進行ステージの人間と比べて投与した方が長く生きたと言うだけで、本当に同じ人間に投与していなければ早く死んでいたのかどうかはわからない。
つまり、延命効果の科学的実証というのは、相対的に比較する対照群よりも平均でやった長く生きたというだけのことに過ぎないからである。これを科学的に証明された根拠と言うにはたいへんな誇大解釈であることに気付くはずだ。なぜなら、比較に使われているのは、もともと重篤な後遺症や累積毒性を抱えて死にかかった人たちである。その人たちより少しでも長く生きたら、それが延命効果の実証だと彼らは判定するのだ。
その比較の規準はあくまでも同じ進行ステージと言うだけだ。同じⅣ期の進行ステージでも治療漬けでボロボロにされたⅣ期と、はじめての治療のⅣ期では残りの寿命が違うのは当たり前のことである。

●比較群が抱えている重篤な累積後遺症、累積毒性は一切無視


こういった累積後遺症といった巨大要因は無視される。なぜなら、医猟側が自分たちが負わせた後遺症のせいで寿命が縮まっているなどと認めないのは当たり前のことである。
そんなことを認めたら臨床試験の前提自体がすべてパーになって、臨床試験など行いようがなくなってしまうからだ。
これが猛毒で延命効果が確認されたという最大のトリックである。つまり、累積後遺症の多い人間が無治療群に配置された場合は、たいてい、まだ累積後遺症の少ない治療群のほうが平均で相対的には長く生きるのである。
それを投与した治療薬サリンのおかげであると判定しているのは単なる主観である。この判定が科学的根拠になりえるのかということを素人も交えて徹底的にもっと広く議論しなければならない。私はこの方法では科学的根拠にならないと思うが、これを読んだ人はどう思われるだろうか?
今まで、こうした現代医学というウルトラペテンが野放しにされてきたのは、そのようなやり方を詳細に分析して議論されていないのである。なぜなら医学の専門家というのはみな一様に悪魔の医猟利権側の人間であるからだ。
こうして認可されたのがマスタードガスや膨大な抗ガン剤といわれる猛毒発ガン物質である。それらは本当に使うことで延命効果が出ているのかは誰もわからない。あくまでもそのような相対比較を作り出すやり方で判定し、主観で延命効果が出たと言っているだけである。延命効果確認の定義づけ自体が彼らが作り出した誇大解釈である。このへんのこと自体、近藤誠氏はわずかに書いているが、たいして書いていない。
実際には、効果が証明されたと言っている医猟犯罪達たちもこのようなやり方出は実際には証明になっていないことに気付いているだろう。
つまり、このようなやり方で認可されているから経済至上主義社会の中で効果が出たのだと言っているに過ぎないのである。彼らも稼いで生活していかなければならないからだ。

●たまたま治療群のほうが長生きしたときの結果を取りあげているだけ


つまり、医者はCMF療法をやった場合は5年生存成績で無治療群よりもCMF療法のほうが6ヶ月長生きしたことで延命効果が証明されています」と説明するだろう。くどいようだが、この"無治療"とはあくまでもスタート日からの治療方針のことである。もちろん比較するのに都合の良い累積後遺症はタップリ抱えた人たちのことだ。ここまで読んだ医者はランダムに配置していることを知らないのか、最近はそのようなブレが出ないように…というかもしれない。それについては後で述べる。
それは、たとえ前提配置に作為がなかったとしても、たまたまその時の比較では治療群のほうが平均で6ヶ月長く生きるという結果が出たに過ぎない。なぜなら、無治療群は重篤な後遺症を負っているから、放置しているだけで死んでいくからだ。そうならかったときの結果を医療界は取りあげなければ良いだけのことである。
つまり、マスタードガスを使った群のほうが平均で長生きした結果の真相は無治療群が早く死んだのは累積後遺症のダメージにより、まだ余裕のあった治療群よりも早く逝ってしまっただけに過ぎない。
しかもそれはあくまでも平均年数であるから、無治療群のほうで直ぐに死ぬような逸見さんのような人がいれば、それだけで無治療群のほうの平均余命は短くなる。これがクスリによる延命効果があったと言いたい製薬会社や医者や病院経営にとっては非常に都合が良い演出の道具になっているわけである。無治療群が早く死んでくれるほどクスリのおかげになるからだ。この欺瞞性の本質は比較群の平均が治療群が無治療の場合の死んでいた平均と同じであるという仮定による推測に過ぎない。
この仮定は医猟産業にとって、非常に都合が良い。
治療群が長く生きた差は抗ガン剤とか治療法のおかげで長く生きられたということにできるからである。自然治癒力であろうがすべて医学の手柄になる。
ここで気付くことは自分たちがボロボロに痛めつけて殺した人間も自分たちの手柄を演出するための道具さして再利用している現代医学界にたかる医猟犯罪達の悪魔性である。
つまり、現代医学の科学的根拠とか手柄というのは、すべて大衆の無知と信頼につけ込んだ彼ら自身の主観、自画自賛に過ぎないのである。だから残酷な凄まじい被害を出しているマスタードガスでも、強引な解釈やこじつけた判定をすれば、多くの人を救ってきた治療薬というタテマエに化けるわけだ。虚構の医猟データが犯罪の発覚から守っているのである。
たとえば、極端な、たとえになるが、100人のうち、80人は10年生きても20人は臨床試験開始の翌日に死亡したらこの20人が1日しか生きていないので極端に平均を下げる。平均年数でとは何年以上生きた人の数の比較ではない。
翌日に20人死ぬというのは極端だが、このようなことが起きれば相対的に治療群のほうが長く生きたことになる場合が出てくる。あくまでも延命効果の判定とは配置された無治療群が平均すると早く死んだというだけの相対的な比較結果に過ぎないからである。
比較の対象群が、臨床試験の開始後に、すぐに死んだ場合は治療薬を使った方も使わなければ、それと同じだったという規準をつくっていること自体が、強引きわまりないこじつけであるということに気が付くはずだ。つまり、比較群が早く死ねば死ぬほど、実験するほうとしてはありがたいのである。
これも臨床試験がまったくのデタラメな前提に行われている科学的根拠のひとつだ。
もちろん実際にはここまで極端なことが起きるほど死にかかった人は配置されないだろうが原理は同じである。、
実際には延命効果があったことにはならないが、彼らの言い分からするとそれは延命効果が科学的に証明できたことになっているのである。
本当にその人間がマスタードガスのおかげで延命できているのかはわからない。彼ら現代医学者達はそれをマスタードガスのおかげだと強引に解釈して、主張しているのである。だからこそシクロホスファミドは世界最多使用のガン治療薬なのである。

●悪い結果が出たときのこともすべて発表されていることをどうやって確認した?


私はそう説明する医者にこう訊いてみたい。
「CMF療法が行われていたすべての臨床試験で100%治療群のほうが長生きした結果が出たのですか?
あなたは科学的に証明されたと言うからには、現代医学ではそうならなかったとき、つまり、CMF療法のほうが短命になる結果が出たときの結果もすべて同じように発表されているのでしょうね?。あなたはどうやってCMF療法として行われた、臨床試験のすべての結果が毎度使ったときのほうが長く生きられるという結果が出たことを確認したのでしょうか?」と。
つまり、発表されている結果というのは、良い結果が出たときのことを持ち上げているに過ぎない。軽い毒性であれば、偶発的な確率論で考えても無治療群やCMF療法群がどちらかが平均で一方より、平均余命が短くなる確率は約50%である。毒性が強ければマスタードガスを使う方が先に死ぬ確率のほうが高くなるが、それでも毎度マスタードガスを使う群が平均で短くなるとは限らない。なぜなら、比較に使われているほうも重篤な累積毒性、累積後遺症でいつ死んでもおかしくない状態だからである。
そうして、比較群が50%を下回る結果が出たときのことだけを取りあげて、
「今回の結果はCMF療法のおかげで患者達は延命できたようです」と発表して演出しているに過ぎないのである。
マジックで考えてみて欲しい。こんな低レベルなマジックは見たことがないだろう。人前でリアルタイムに先に宣言した数字を二回連続して出すと宣言し、人が見ているライブでリアルタイムで二回立て続けに宣言通りの数字を出せたとしたら本当にマジシャンかサイコキネシスもしれない。
しかし、リアルタイムではない、動画なら誰でも簡単に出来ることである。
ビデオで撮影するなら、その結果が出るまで撮影を繰り返せば良いのである。CMF療法のほうが延命効果があったというのは、それと同じ原理のことをやった報告を聞かされているに過ぎない。

●天候を当てる予言ビデオはこうやって作る


仲間由紀恵と阿部寛が主演のトリックというドラマで予言を的中させる女のトリックを仲間由紀恵が解説するシーンがあった。

やり方はこうである。まず、いつ収録したかを示すために公でビデオ撮影の日付を裏付けるために東京都庁の日付と時刻の表示がある場所で予言のビデオ撮影をする。
これは、あとでいつビデオを撮ったのかを証明する証拠になる。前日の収録とかなら、ある程度、天気予報で予測が付いてしまうから、これが重要だ。
何月何日の天候という予言ビデオを当日に見せて、当日の結果と的中させるのはカンタンなことである。
あらかじめ、晴れ、雨、曇り、大雨、嵐、台風など、ほとんどの天候パターンをビデオで収録しておき、当たったパータンを選んでみせれば良い。あとは、何月何日に予言していたビデオは…と見せれば良い。
これはその予言した日の前日とか前に先に見せると言うことなら、うまくいかないが、後出しであれば、たいていの天候のパターンを全部収録しておけば、当たったパターンの録画だけを見せれば良いのだ。
これなら、よほどめずらしいことが起きない限り、ほとんど百発百中である。また、もしどれも当たらなければ、その話は持ち出さなければ良いだけである。
これはまさか、いろんなパターンをいろいろ収録していたということに気付かれなければ見た人は凄い的中だと思う。
つまり、都合の良いパターンを選び出して提示しているだけなのである。
医療産業のやっている科学的証明は、やり方のプロセスは予言とは違うが、いろんなところでいろんなパターンが収録されているという意味では同じ原理だ。
いろいろ出た結果に対して、都合の良いものを提示し、そうでない不都合な結果はあたかも存在しなかったかのように振る舞うという意味で、天候の予言が的中するトリックと同じ原理のことをやっているに過ぎない。
大衆はこのインチキのワナにまんまとひっかかっていたわけだ。人は深く分析しないと気がつかないものである。

●偶発的に出た良い結果が出たときのことだけが大々的に取りあげられる


闇に葬られた悪い結果に関しては、そもそも発表されないのだから、いつどこで行われたのかどうかすらも知りようがない。
この手法は2011年現在では、さすがに、ここまでカンタンではなくなっているし、いまはそんな甘くないと反論するだろう。
しかし、古典的なマスタードガス療法やシスプラチンが認可され、今も何ら再検証されることなく、根拠になっている治療効果の科学的証明はこうして作られたのだ。
だからこそ、WHOの指定の猛烈発ガン物質が今も経営効果のためにタテマエでは治療効果が高いという昔の結果をいいことに続けているわけである。
臨床試験とはオリンピックのように全世界にテレビ中継された舞台で行われていることではないのである。
これこそが彼らの言う滑稽なる科学的根拠の盲点なのである。
そして多くの人はその言い分を自分ではどのように導き出された結論であるかも一切検証することなく、盲目に信じて医療に任せているのだ。

●臨床試験では累積後遺症のことは考慮されていないことが治療群の成績を相対的には良く見せるカラクリだ


ここで重要なのは彼らが無治療患者といっている人間の本当の実態はまったく現代医学の治療を一切しない本当の無治療患者ではないという意味で言えば本質は同じことである。重篤な後遺症を負わされた治療患者がスタート期間からは無治療という扱いによって都合良く延命効果の演出に使われているからである。
つまり、無治療というのは比較のスタート期間からの無治療に過ぎないのであって、それ以前にどれだけ治療漬けで後遺症を負わされたのかと言う累積後遺症のことは現代医学の臨床試験では関係ないのである。
私は医者に質問できるインターネットサービスで、
「無治療患者とは最初から最期まで現代医学の治療を受けない無治療患者のことか?」聞いてみると、
ケースバイケースだが、ガン治療をまったく受けたことのない人という意味の無治療では無いことを認めた。そんな最初から最期まで無治療の人間がいきなり治験の現場に参加することなど、前提を考えてみたら、おかしいことに気付くはずだ。
そのような最初から最期まで無治療の人が治験の場に混じることはごくまれにあったとしても、それはきわめて少数であろう。なぜなら、治療を受けたくない人は最初から病院に頼らないからである。ましてや治験をする病院は普通の町の病院に頼るのとはワケが違うのだ。
だから臨床試験に配置する組み合わせ次第では偶発的にマスタードガス療法のほうが平均では長く生きると言うことは普通にありうる。なぜなら、無治療群は重篤な後遺症を抱えているからである。
それを比べることは、サイコロを振ったら奇数が出るか偶数が出るかという程度の確率に過ぎない。投与した方が長く生きたら、それはすべて投与した治療薬のおかげであることが立証されたことになるのだ。
その結果はマスタードガスのおかげで治療群は延命できたのでも何でもない。まったく無関係であることは、この臨床試験の行われ方と解釈の仕方にペテンのトリックがあること気付けば誰でも気づくはずである。
読者は累積後遺症を考慮しないなどというバカなことがあるのか!と驚くかも知れない。現代医学の世界ではこうしたデータに影響するノイズはほとんど考慮されて行われていない。そもそも考慮するもしないも最初から同じ人間ではないのだから、比較など出来るはずもない。比較されているAさんとBさんはそもそも違う人間なのだ。
つまり、あいまいなところこそがアイデア次第でどんな解釈も可能になっているのである。

●科学的根拠でもなんでもなく、たんなるこじつけ


これは次のような珍説の解釈と同じだ。
東京に嫁いだA姉さんは長野県に嫁いだB姉さんより10歳も長生きしたとする。
「これは都会の刺激が脳を活性化し、東京で生活していたA姉さんは田舎に嫁いだB姉さんよりも10年も長く生きたのだろう。これで科学的に都会は長生きすることが証明された」と言っているのと同じである。この原因と結果の解釈はその人の主観に過ぎない。
つまり、科学的根拠でもなんでもなく、臨床試験とは悪化させる治療を正当化ための茶番劇なのである。人を騙すための口実が臨床試験と称して行われているのである。
マスタードガスは彼らの医学研究では抗ガン作用があることになっている。乳ガンの初期化学療法では最多使用である。その治療薬の実態は広島のマスタードガス工場の工員達の死因の癌発生率は平均の40~50倍と発表されていたにも関わらずだ。
どうして近藤誠医師は、この重大疑惑を追求しないのか?私は近藤誠医師の告発を読んでいて毎度思うのは、本気でやっつける意志がないとしか思えない。実に頼りないことである。あるいは知らないとか、気付いていないとしたら殺している医者と変わらないほどまだまだ低レベルである。
とにかく、これでわかったことは、逸見さんのような手術後に死にかかった人でもスタート日から治療をしない方針なら現代医学の臨床試験の定義においては、立派な無治療患者だ。臨床試験ではクスリの効果を証明すると称してムチャクチャなことが行われているのである。
なぜなら、現代医学の前提そのものが利益を生み出すためのウルトラペテンだからである。臨床試験というのはそのペテンのクスリを使う口実を作り出すための茶番劇に過ぎないからだ。私はこのトリックに気付いたとき腹の底から怒りがこみ上げてきた。自分たちでボロボロにして死にかかった患者を次は自分たちが売りつけたい薬品や治療法を良く見せかけるための相対比較として利用する。731部隊が人体実験使って、利用できるところは利用し尽くすのとやっていることの本質は同じだ。
臨床試験の治療よりも先に無治療患者が死んでくれれば、めでたく、その治療法やクスリは延命効果が科学的に証明されたこととなる。
つまり、比較する前提をうまく操作しておけば、どんな猛毒も最強の発ガン物質も延命治療薬に出来るわけである。

●悪い結果が出たときのことは一度公表はされても言い伝えられないだけ!


その良い例が猛烈発ガン物質のマスタードガスが世界最多使用の抗ガン剤になっていることである。
医者が書いた乳ガンや悪性リンパ腫の本を読んでいるとマスタードガス療法であるAC療法やCHOP療法をやったほうが延命効果が確認されていると書かれている。
ここで気がつかなければならないのは、では世界中で行われた臨床試験のうち、CHOP療法をやったほうが短命になったり成績が悪くなった結果はあるのだろうか?ということだ。
そして悪い結果が出た場合についてはちゃんと教えられているのだろうか?ということだ。
ここで考えてみれば気付くようにたとえば世界のいろんなところでCHOP療法の臨床試験が100箇所で行われたとする。100箇所のうちたとえば50箇所はCHOP療法のほうが生存成績がよかったとする。では悪い結果が出た場合のことはどこで書いてあるというのだろう?
医学の教科書や治療ガイドラインでは悪い結果が出た件数もちゃんと書いてあるのだろうか?ということだ。
当たり前のことであるが、100やったうち、10の箇所で良い結果が出て、その10の結果だけを証明されたと言っているのではダメである。100箇所で行われたとして、悪いほうの結果が出た場合のことは誰がそれを言い伝えるのだろうか?
医者が科学的に証明されているというならこう聞いてみたらいい。CHOP療法の行われた回数の分母と、そのうち成績がよかった回数という分子を教えてください。
これを聞かれたら自分はその分母も分子も知らないということにハタと気付くはずだ。
そしてこう聞いてみたらいい。
「証明されたと言うからには行われたCHOP療法の臨床試験では世界中で一度もCHOP療法をやったほうが短命になるという結果は出なかったのですか?悪い結果のことも学会誌では同じ規模の記事で取りあげられるのですか?」と。
知らないと言えばこう言えばいい。
「それがわかっていないのに、どうして科学的根拠と言えるのでしょうか?」と。彼らが科学的根拠などと堂々と主張してくるなら敵の痛いところを鋭く突かなければならない。所詮、現代医学というペテンはイメージで偽装しただけの詐欺である。
近藤誠医師もこうしたデータを信じて、日本の医療にマスタードガス療法というペテンの治療を持ち込んだ医者である。このようなペテンの臨床試験のカラクリはいまだに明かされていない。
ただ、部分的にペテンに気付いて公開されたことは尊敬に値するが問題は放射線などまだまだ抜け切れていないことである。
こうした臨床試験による効果というものの多くがはやく死にそうな人間と相対的に比較させて延命効果があったと主張するペテンである。そういう結果が出なかったときのことは公表せず黙っておけばいいだけのことである。現在のように必ず公表しなければならない規定に改正しても本質は変わらない。悪い結果はごく小さな扱いし、都合の良い結果は大々的に取りあげれば良いのだ。

●マスタードガスにはなぜ延命効果があると言われているのか?


実際、延命効果が確認されたという彼らの言い分は医者を追求してみればわかるように、比較対象者と比べてそれを使った治療群のほうが平均で長生きしたという意味に過ぎず、本当に、その本人が使わなかった場合と比較して延命できたのかどうかは確認しようがないことを認めるはずである。確認できないことを科学的に確認できたと拡大解釈してしまうのが現代医学の実態である。この確認というのは使わなかった群が平均で短命になったから使ったほうは、その治療のおかげで延命できたのだろうという主観に過ぎない。実際はクスリのおかげでもなんでもなく、それまでに負わされた重篤な後遺症によって先に死んでいるだけである。
治療漬けでボロボロにされた患者が、その後何も治療しなくても負わされた重篤な後遺症のせいで短命になっているのは気づいてみれば誰でもわかることだ。
もちろん、こうした治験の前提には当たり前のことであるが、後遺症を抱えているのは無治療群だけでなく、治療群も後遺症を負わされている人がいるという意味では同じである。
ただし、より過酷な治療で懲りた人のほうがクジの結果で逃げ出して無治療群に偏りやすくなると言うことだ。
現代医学のペテンは何も難しいことをやっているわけではない。呆れるほど単純なトリックが使われているに過ぎない。なぜなら、それは延命効果が確認できたことになっているからである。この方法ならサリンでもタブンでも殺虫剤でも可能だ。すぐに死なないようにすればいいのである。
こうしたトリックがあるからこそ、猛烈発ガン物質であるマスタードガスは世界最多使用の抗ガン剤になっているのである。
彼らからすればマスタードガスは延命効果が出たことになっているからだ。
こう説明すれば臨床試験のデタラメは何がトリックなのかわかるだろう。科学的根拠でもなんでもない。科学的根拠とはほどとおいものが人の無知につけ込んで科学的に証明されたことになっているのである。
無治療群のほうが平均余命ではやく死ねばマスタードガスには延命効果が認められたという判定が下る。最初からその結論は決まっていたのだ。

●このトリックなら、サリン療法でも延命効果は証明できる


このように配置の前提を作ればどんな猛毒でも比較する対象を早くする人間に置けば延命効果は証明されたことにできるわけだ。
この方法は他者との相対比較で判定していることに重大な欠点があるが、なぜか多くの人はこのトリックの欺瞞性に気付いていないため、あまり指摘されていない。
これなら、サリンを致死量よりかなり薄めて投与するサリン療法でも配置さえ確実に行えば、サリンには延命効果があったという結論を作り出すことは普通に可能である。
松本サリン事件の河野義行さんの妻がサリン事件の14年後に亡くなられたようにサリンの被害を受けても人はすぐに死ぬとは限らない。
もし、河野さんの奥さんがガン患者でサリン事件の後に14年生きたとする。
抗ガン剤の研究者は「サリンによって奥さんは延命できたのではないか」と解釈するかも知れない。
サリンという新薬を投与後に14年も生きたら、彼らはサリンのことを夢の延命効果と解釈するだろう。それが医者や製薬会社というものの考え方である。
ここで客観的に考えたらわかるように河野さんの妻が事件から14年も生きられたとしてもそれはサリンの毒性にやられながらも人間の生命力で生きたに過ぎない。
それを「サリンのおかげで、ここまで…」といえば、これほど人をバカにした話はない。マスタードガスが人を救っていることになっている医療の言い分もまったく同じだ。
マスタードガスを投与された後も、20年以上生きている人もたくさんいるだろう。それはマスタードガスのおかげということは、どうやって確認するのだろう?
マスタードガスを打っていなければもっと早く死んでいたことはどうやって確認するのだろう?
つまり、確認などしようがないのである。自分たちの治療のおかげで今も長く生きられていると思ったとする。これで科学的にマスタードガスに延命効果があることが確認されたというデータを作るのは、その人間の主観に過ぎない。医療のデータというのはすべてこの解釈の問題で作りあげられているのである。
医療の現場では、何でもかんでも治療のおかげで生きられたということになっているのだ。悪化させたことは自分たちの治療のせいで…とは思わない。

●医療の手柄は人間の錯覚を利用したマッチポンプ


つまり、医療の手柄は先にマスタードガスなどの最強発ガン物質でムチャクチャな暴走細胞分裂伝説の病魔を演出し、大量殺戮の悶絶死をマスコミに流させて、
「ガンはすぐに悪化するものだ、死ぬのだ」と強く思い込ませておくことでイメージを作り出しておく。これが凄まじい利益を生み出すドル箱の原点だ。
その思い込みという相対比較を利用した架空の手柄である。どうもならなかった人がどれだけいてもクローズアップされないだけのことである。していなければ死んでいたというのは何の根拠もない、単なる主観である。
しかし、患者に投与した医者はそうは判断しない。本来ならすぐに死ぬところをサリンのおかげで延命できたのだという。そうしてそう思う人間の主観でカウントされて医療データが作られる。先に無治療群が死んでくくれば効果があったことになる。
なぜなら、どんな猛毒でも相対的に比較対象とする患者群を早く死にそうな人間を配置し、毒の投与量を調整すれば可能だからだ。
そしてこれが医者の言うマスタードガスなどの治療剤は乳ガンでは投与しないより、「AC療法、CMF療法をやったほうが延命効果があると試験で確認されています」というデータの根拠になっているのである。


●サリン療法もマスタードガス療法も本質は同じこと


サリン療法というのは、ひとつのたとえ話として出しただけであって、実際にサリンをガン医療に使うことはまずないだろう。サリンは揮発性の高さ、即効性から扱いがマスタードガスよりも難しいからである。
いくら獲物を終身カネヅルにすることができても仕掛ける側の人間が被曝で重体に陥ったら元も子もないから使われないのである。
それに医猟犯罪者たちにとってのマスタードガスの魅力は糜爛毒性による発ガン作用である。
サリンは神経毒であるから、作用機序が違う。ガンにはガンを悪化させる作用機序でなければ、系統が違うから使いにくい。なぜなら、現代医学とは患者の病気と同じ病気を悪化させてしゃぶりつくすための学問であるからだ。
現在、既にマスタードガスやアルキル化剤という優れた発ガン作戦が確立しているからわざわざ扱いの難しいサリンやVXガスなど使わなくても間に合っているからだ。

実際は当たり前のことであるが、現代医学の言う科学的根拠とは、その結論の出し方を分析してみると、まったく証明になっていない。
つまり、臨床試験による延命比較試験というのは、その前提からまったくの茶番なのである。
おそらく医猟信者はその結論がどのように導き出されたかについてはまったく分析もしていないだろう。
この結論の出し方のカラクリに気づいてみればマスタードガスなどの化学兵器による延命効果とはまったく無関係であることは誰でも気づくが、人はどのように治験が行われているのかをそもそもまったく分析していないのである。
おそらく、公正なやり方で検証されたのだろうと。
つまり、CHOP療法の臨床試験が世界の100で過去に行われていたとする。世界の100箇所でCHOP療法の臨床比較試験をやってCHOP療法の治療群のほうが長く生きた成績が50対50であれば、それは単に50の事例は無治療群のほうが重篤な後遺症により平均の余命年数としては早く死んだと言うだけのことに過ぎない。なぜなら、重篤な後遺症を負わされた患者は放置しても勝手に早く死んでくれるからである。
もちろん、残りの50の悪い結果のほうはまったく無視して闇に葬るか、たいして取りあげなければよい。
大々的に取りあげるのは、常に成績が良かったほうである。それは単に重篤な後遺症で先に死んだだけだ。
しかし、良い結果だけを強調されれば、その治療のおかげで効果があったように思い込んでしまう。つまり、このようにしておけばマスタードガスが多くの人の命を救っていることになる。
これはあとで書くように最近はこの批判が指摘されたことで、悪い結果も公表しなければならない規定に変更されたが、今もその本質は同じことである。

●なぜそうなったかを断言できる根拠は何か?


つまり、医者がその結果を信じているとしたら記事の扱いが圧倒的に強調されている良い結果が出たときの記事のほうのことを強く印象づけられているに過ぎない。
単に悪い方の結果のことは学会誌は大きく扱わないだけのことだ。当たり前のことだが、学会誌に載せるには印刷のコストなどがかかるし、発表する順番もあるから、人にアピールする機会が回ってきたのに自分たちの商品を否定するような結果から人は
「こういうよくない結果が出ました!」と出すだろうか?
どうしてわざわざ自分たちの持ち上げたい治療法を否定する結果のことをコストをかけて人に大々的に見せる必要が彼らにとってあるのだろうか?
悪い結果が出た時のことはほとんど発表されないようになっているだけなのである。
大きくどころかまったく扱わないだろう。なぜなら、悪い結果をわざわざ印刷費などのコストをかけて人に配る意味が医療産業側にとっては全くないからである。
つまり、真相は抗ガン剤の治験の場合は、かなりの累積毒性や累積後遺症の溜まった患者で行われるから、比較群が先に死ぬことも多い。だからマスタードガスを打った群のほうが長生きする可能性は平均でサイコロの奇数か偶数かの法則で言えば50%である。
その50%の結果を強調して出す。悪い結果が出たときのことは単に取りあげていないだけのことである。これでマスタードガスが人を救う抗ガン剤であるかのようなデータと印象は作り出せる。このような結果が彼らの言うキチンとした科学的根拠だ。彼らはその科学的根拠を分析したことがあるのだろうか?
そのCHOP療法のほうが成績が良かったというのも分析によっては単に無治療群は負わされた後遺症が治療群より高かったか、緩和ケアなどに使う麻薬などの作用の累積毒性により、短命にしただけではないかという見方も出来る。
先に書いたように緩和ケアと称した麻薬はいくら使っても癌治療ではないから、臨床試験での分類としては無治療扱いになる。他の病気の治療はいくらやっていても無治療群である。
素人が考えても、それらも含めて余命に影響していないはずはない。臨床試験の判定では、そうした自分たちに都合の悪いノイズは無視されているのである。そんなことを言い出したら他者と比べて効果を確認するということ自体がデタラメな茶番劇であることを認めることになるからである。

●悪性リンパ腫を引き起こすシクロホスファミドがなぜ悪性リンパ腫の治療薬なのか


科学的根拠とまで言い切るなら、その差がCHOP療法のおかげで長く生きたと断言まで出来る根拠は何なのだろうか。それを騙された患者側は鋭く徹底的に追求しなければならない。
悪性リンパ腫の治療薬はCHOP療法の主剤であるシクロホスファミドだが、そのシクロホスファミドの添付文書には、
「(6)二次性悪性腫瘍(急性白血病,骨髄異形成症候群,悪性リンパ腫,
膀胱腫瘍,腎盂・尿管腫瘍等)が発生したとの報告があるため,
本剤の投与終了後も長期間経過を観察するなど十分注意すること。」と注意書きが書いてあるのに、悪性リンパ腫や白血病の治療薬はこのシクロホスファミドである。
医者は悪性リンパ腫の治療をするときに主剤であるシクロホスファミドの添付文書を見たら重大副作用が悪性リンパ腫になっているのを見てどう思いながら投与しているのだろうか?聞いてみたいものである。

他にもたくさんあるが、シクロホスファミドの(1)重大な副作用のひとつは、
「5)間質性肺炎,肺線維症(頻度不明):間質性肺炎,肺線維症があらわれることがあるので,観察を十分に行い,異常が認められた場合には,投与を中止するなど適切な処置を行うこと。」
と書かれているのに間質性肺炎の治療薬はシクロホスファミドの大量投与である。日本では商品名からエンドキサンパルス療法という。重大副作用を引き起こす薬品が、その副作用で起きる病気の治療薬なのである。ということはシクロホスファミドを打って重大副作用の間質性肺炎が発症したら、その治療として追加でシクロホスファミドを又と投与すると言うことになる。
現代医学の治療ガイドラインを分析するとこれと同様のことばかりである。滑稽なる実態がわかってくる。シクロホスファミドを投与して間質性肺炎や白血病や悪性リンパ腫が出てしまったらその治療にまたシクロホスファミドを主剤として投与するというのである。つまり、これで延々と治療と称してカネヅルから治療費をとり続けられるわけだ。
美空ひばりも治療と称して発病させられ、死亡したのである。
現代医学の治療を詳細に分析していくと、治療ガイドラインの正体は獲物の病気を最も悪化させるためのマニュアルであることがわかる。なぜなら、獲物と同じ病気ならいくら悪化させていっても獲物自身の病気が増悪して、医者は助けきれなかったという言い訳が出来るからだ。まったく違う病気だとさすがに、なんで治療された途端に急にまったく別の病気が出てきたのかと獲物や獲物一家は疑問に思うだろう。
良い隠れ蓑があるときこそがどさくさに紛れて増悪させて終身カネヅルを作り出すチャンスだからである。これが滑稽なる現代医学というカルト宗教の毒ガスの崇拝の実態だ。
病院に行った頃からガタガタ悪化して死んでしまう人が多いのは医猟従事者というのは悪化させて、もっとも利益をたたき出すために狂育された殺人兵器であるからだ。
船瀬さんの本、ボコタ

●獲物の病気を悪化させる方法が使われることは現代医学ではごくごく当たり前


私が間質性肺炎の治療薬はなぜ間質性肺炎を引き起こすシクロホスファミドなのかについて追求したら医猟従事者は「間質性肺炎にもいろんなタイプがあるんです」と答えてきた。
間質性肺炎にもいろんな種類があって、○○性間質性肺炎などいう分類があるのかと思って調べたら特発性間質性肺炎と剥離性間質性肺炎があるようだ。どちらがシクロホスファミドの重大副作用で引き起こされるほうでどちらが治療薬として使える間質性肺炎なのだろうか?その定義を聞いてみたいものである。ある主の間質性肺炎はマスタードガスで起こるが、一方の間質性肺炎はシクロホスファミドの大量投与で治癒すると彼らは主張しているのだ。
突発性とは単に急に起きたという意味だから種類でも何でもない。
つまり、彼らが診断したときには間質性肺炎などではなくても、その後、彼らが治療を開始した後に間質性肺炎→肺線維症になったと考えれば、添付文書や医学書に書かれていることと、すべて辻褄が合うのである。それが彼らの治療と称した悪質な詐欺だ。
インターネットで検索したら間質性肺炎の治療薬はシクロホスファミド、つまりマスタードガスであることがわかる。マスタードガスといえば、重篤な肺障害を引き起こしたことも検索でわかる。彼らはこのマスタードガスが肺病気から救っていると言うのだ。その滑稽さがわかるだろう。
この矛盾こそが私が提示する彼らが悪化させているという科学的根拠である。他にもマスタードガス工場の工員や被害者がその後どういう余病を患って苦しんだかという記録は莫大にある。そしてそれはガン医療を受けた人々に次から次へと起こる現象と添付文書の重大副作用の記載と一致するのである。治療される前はそのような現象など起きてなかったにも関わらずだ。
逆に言えば私の主張である治療が悪化させていると言うことなどは過去のマスタードガスなどの被害の歴史などの膨大な資料や画像や被害者の体験談が裏付けているのである。
要するに人が知らないことを良いことにやりたい放題の解釈でシカケ剤を打ち込んでくるわけである。無知と信頼につけこんでマスタードガスを投与した方が長生きすればマスタードガスのおかげで長生きしたという結論に出来る。マスタードガスのおかげで長生きしたのかはあくまでもカウントする医者やクスリを高く売りたい製薬会社の主観に過ぎない。
治験とはシクロホスファミド(窒素マスタード)であれば、マスタードガスには延命効果をもたらすという結論を出すために行われている茶番劇なのである。


被験者に使用される治験薬の内容が事前にわかると、患者、医師の双方に心理的なバイアス(偏り)が生じてしまいます。例えば、治験薬の内容を知ることにより、被験者には反応性に、医師には患者選択、補助療法、観測評価などに偏りが生じる可能性があります。

これらのバイアスを除くために、治験薬の内容を、医師、患者の双方に知らせない方法が二重盲検試験(ダブル・ブラインド・テスト)です。

まず治験薬(実薬)と、実薬と外観は同じですが薬理作用のないもの(プラセボ:偽薬)を用意します。統計の専門家がこの二つを無作為に順序づけ(割り付け)、記録を保持します。

こうして実薬かプラセボかわからないものが医師に送られ、患者に投与されます。投薬後、医師は有効・無効を判定し、全症例の結果が出てから割り付け表が公表されます。これをキーオープンといいます。

この結果を統計処理し、治験薬の成績がプラセボの成績よければ、薬理作用があることが証明されたことになります。

二重盲検試験は治験の第Ⅲ相(フェーズ3)で主に行なわれますが、現在は薬理作用のないプラシーボに代わって市販の標準薬を用いる比較試験が多く、この場合は治験薬が標準薬より効くか効かないかを調べることになります。

製薬会社の治験アルバイト募集の治験の説明には、
「プラセボ(有効成分が入っていない偽薬)との比較が行なわれることもあります。」と書いてあるようにこの二重盲検試験は必ず行われているものではない。
これは一般の人間を治験に使われるほどのクスリには行われることもあるという程度で、ガン医療には適応されない。
つまり、ガン医療の場合はやはり選択が生じるからクジ引き通りの割り当てが行われていない。



「がんは切ればなおるのか」近藤誠著 新潮社



●病気違いに刃物



「メスをもつ医師たちはなぜ手術にこだわるのか、ひとつには、手術の価値を信じこんでいることがあるのでしょう。


 しかし信じるというのは宗教もどきで、疑問を出発点とする科学とはなじみがたいおこないです。……これまでのデータや経験を科学的に分析してみれば、ほとんどのがん手術に合理性がないことは、すぐにも明らかになるのです。


……もしかすると医師たちは.手術の価値を信じてはいず、それよりも単に、仕事がなくなることを恐れているのかもしれません。メスを握ってこそ外科医、手術がなくなったら何をすればいいんだ、と考えている外科医は多いことでしょう。


 あるいはメスをもつ医師は、手術をしたくてたまらないのかもしれません。この点わたしは、手術がきらいな外科医をみたことがありません」二〇〇ページ)




●本人達は捏造をしているつもりは無いのかも知れない


臨床試験での比較試験の配置にはいくつかパターンがあるようだ。ひとつはクジ引きでやっても、そのクジ結果の方針について患者に同意をとって配置する方法と、もうひとつはデンプンのような偽薬などを飲ませたり、治療しているふりだけをして騙す方法である。フリだけであるから無治療であるが、本人は主治医の方針に従って治療している気になっている。
ここで前者の治療方針を告げる場合に関しては先に書いたとおり、重篤な後遺症を負わされた方は逃げ出したりして累積後遺症の多いほうが無治療群に偏るという欠点がある。
もうひとつの偽薬で騙す方はタテマエではどちらも治療を続けることになっているから配置のブレはましである。
しかし、実際には後者の騙して行うことはきわめて問題が多いから無理であることに気づくはずだ。治験にはタテマエとはいえ、参加する人の人権が守られることと言うタテマエがあるから本人の意志を無視して長期間これはできない。
しかし、同意を録っていれば先の通り累積後遺症の多い人間が無治療に偏り安くなる。
臨床試験にはこの隘路があるから決してクジでランダムに配置することなど実際には出来ていないことに気がつかなければならない。この曖昧さこそがデータの歪んでトリックなのである。倫理的、科学的に行われていることと言うのはオモテのポーズだけである。
もし治療と称して偽薬を使い続けるだけだとしたら、その病院は患者の意志を一切無視して騙し続けていることになる。これは731部隊の人体実験と同じである。
このことからやはり、どの方針にするかは同意を得なければならない。同意を得てしまえば累積後遺症の多い人間のほうが治療したくない傾向が強いのだから無治療群に偏りやすくなり、治療歴の浅い累積後遺症の少ない患者のほうが治療する群に偏りやすくなることに気がつくはずだ。
このことから臨床試験というのは、最初の患者の配置をたとえ、公正さを装うためにクジでやろうが、どのようにしてもランダムに患者を配置することが出来ないという欠陥が生じているのである。
つまり、たとえクジでやっているとしても、無治療群の配置には最初から累積後遺症の多い人間が配置される率が高くなると言うことだ。これこそが無治療群のほうが○○の治療をしたほうよりも早く死ぬことが多くなる最大のトリックなのである。
これは捏造とか不正という以前に、本人達はまじめにちゃんとやったつもりであっても結果的に彼らに都合の良いデータが作成されやすくなるカラクリである。人為的に数字を書き換えている捏造とは違って彼ら自身もその不正確さに気がついていないのかも知れない。

●臨床試験のあとにいろいろやった人のノイズはどうするか?


無治療、あるいは、その治療で最後まで何年生きるかという生きた年数を比較する臨床試験には、細かい指摘をすれば、まだまだ膨大に問題がある。その最大の問題は比較の治療薬や治療法以外に絡んでくる膨大な影響である。
生きた年数を比較する臨床試験というのはスタート日から死ぬまでトータルの比較であるから、1ヶ月でどういう副作用が出るかを確認する一般薬の臨床試験と違って、参加者の人生が終わる日まで続いていることになる。これがよく考えてみたらたいへん複雑なことなのである。
このときに、ある程度正確に調べようと思ったら、寿命に影響する他の医療を受けてはいけないという制限をしないと比較することは出来ないと言うことである。
これは有害事象の頻度を4週間に限定して調べる治験のアルバイトとはわけが違うほど長いのである。
当然、そんな長い比較になると、最初のスタート日で決まったことから患者本人の意志で変更したり、抜けだしたり、リタイアする人間が続出することは当然だ。それらもすべてその後の余命年数影響してしまう。
治験の参加では抜けだすことは可能と言うことになっている。これは当たり前のことであるが、「どんなことが起きても最後(つまり、死ぬ日)まで、決まった方針をやりとげ、それ以外のことはやりません」などという念書を書かされたら誰も参加する人がいなくなるからだ。
そもそも医者にそそのかされて、臨床試験に参加してくる人はどういう人かというと、何らかの可能性にかけて危険なギャンブルをするような人たちである。
つまり、可能性があるという情報を聞きつけると一縷の望みで、その治療薬に飛びついてくるような人たちなのである。そのような人が臨床試験が終わった後に何もしないということがあるだろうか?
そのあとにやった治療というノイズはどう排除して、結果を判定するのだろうか?
つまり、このことをよく分析するとわかるように、こうした他の要因となるノイズは面倒くさいから一切無視して、自分たちの比較の時にやった比較群ではどっちが長生きしたかとに単純に判定されるわけである。
新薬に飛びついてくるような人が、その後に何もしていなかっただろうと考えるのは、単なる推定に過ぎない。つまり、本当はあまりにもノイズが強すぎて比較できないのである。これは仮にクローンをコピーして同じ人間の人体でやった場合ですら難しいことに気がつくはずだ。スタート日はまったく同じクローンであってもその後は他の要因が複雑に能力絡んでくるからである。
たとえば、治験を1ヶ月やったけども気が変わった人が別のことをやれば当然、その治療方針の影響で寿命がどうなるかは変わる。
臨床試験の結果に違う要因が加わってくるから何々をやったほうとしなかったほうの違いを正確に測定することは当然、出来るはずもない。
無治療群で比較した人があとで気が変わって他のところにいって「センセー、抗ガン剤治療してください」と頼んでいるかも知れない。その場合は、何々薬の臨床試験をしたときは無治療群として参加していても結局は後で、いろいろされていることになる。そのときのことも残りの寿命に影響するのは当然のことだ。それらのノイズをどう排除して、5年前にやった何々の臨床試験の結果を判定するのだろうか?

●臨床試験を抜けだした人、途中で勝手に変更した人の解釈はどうするのか?


ましてや、治療した後に何年生きたかという比較は、それ以外は比較の要因がさまざまに加われば、何が原因でどうなったかというのは複雑化し過ぎて判定は出来ないはずである。現代医学の判断はそれらの要因を一切無視して平均化して、都合の良い結果のときだけ、
「ホラ、何々という治療薬のおかげで延命できたでしょう」という判断をする。伸びたというのもあくまでも、無治療群が平均で先に死んだと言うだけのことである。
それもその治療薬が他の要因に比べてどれぐらい影響したのかなどわかるはずもない。彼らはそのノイズをどうやって排除したのだろう?
それもメチャクチャな治療でボロボロにされた人たちのことだ。それ以外に治療薬のおかげであるという根拠は何があるのだろうか?キチンとした科学的根拠というなら、それを聞いてみたいものだ。
つまるところ、その根拠は比較した方が平均で先に死んだと言うだけのことに過ぎない。それも臨床試験のあとからもいろいろやっている可能性がたかい人たちである。
また、途中で抜けた人、あるいは気が変わって、また治療することにした人をどうするのかと言うことによっても成績の数値は変わってくる。
無治療群というのは、臨床試験のスタート日から、とりあえずの臨床試験終了日まで無治療だった人といういみしか過ぎない。その後でまたバンバン治療しているかもしれない。

●無治療群とは臨床試験以降も無治療で通さなければならないという意味ではない


なぜなら、臨床試験というのは「この臨床試験の後で、死ぬまで他の治療を一切受けません」という拘束をすることなどできないからである。
つまり、比較群というのはたとえば、2000年1月から2003年1月までの間は無治療だったという意味に過ぎない。終了後に放射線治療に乗り換えるのは本人の自由である。それも当然寿命に影響する。彼らはどうやってこの膨大なノイズを排除して、純粋に2000年1月から2003年1月までの無治療の効果を測定したのだろう?
誰が考えてもそんなことは不可能なことに気付くはずだ。
ここまで気付くと、さらにいろいろ気づくことがある。
そもそも臨床試験を100人でやって、結果を確認する頃に本人が死んでいたとしたら、その人が他の病院でどういう治療を受けたかすら調査するのはたいへんなことである。国立がんセンターでハーセプチンの臨床試験に参加した人が、あとで本を読んで他の抗ガン剤治療医に行ったとして、そこでいろいろな抗ガン剤治療を受けた可能性もたかい。なぜなら、治験に飛びつくような人は危険なギャンブルをしてでも可能性にかけたい人たちが参加しているからである。
そんなことになれば、中外製薬が臨床試験をしたときの純粋にハーセプチンの延命効果を測定できるはずもないのは当たり前のことである。なぜなら、それ以降にいろんな治療を受けているからだ。
そもそも、あとでどういう治療を受けたかなど臨床試験を実施した側の病院や製薬会社の人間が調査するとなると凄まじい手間がかかるし、他に治療を受けていた場合はノイズが生じているからハーセプチンじたいの延命効果測定は無効にせざるをえないはずだ。
そうすると純粋に何々療法と無治療だけの比較など絶対に不可能であると気付くはずだ。何年生きたかという比較はその死ぬまでに受ける治療すべてが影響するのである。
その当たり前の前提を科学的根拠だと信じている医者はわかっているのだろうか?
参加者はハーセプチンの臨床試験に参加したとしても、それはいろんなことをやったうちのひとつにすぎない。他にも膨大な薬剤や治療の影響が絡んでいる。それをハーセプチンを打ったほうとそのときは無治療だったという単純化をして判定するのである。そうしなければ、すべての抗ガン剤の延命比較試験は測定不可能という結論しか出しようがないからである。
最初のスタート日は1000人でも、比較対象薬だけで最後までやらない人は、ほとんどゼロかも知れない。くどいようだが、どうなるかわからないような臨床試験に参加するような人はもともと手当たり次第に示された可能性に飛びつくような人たちであるからだ。
当たり前のことであるが、あとで受けた治療もすべて、被験者たちの残りの寿命にすべて影響しているからである。それを彼らは一切無視して何々の治療薬のおかげと莫大なノイズを無視して単純な結論を出したがるわけである。私から見れば、その判定はまったく無効である。まったくの茶番劇である。
F1のレースで言えばスタートした車の台数は最後までゴールする台数ではない。問題なのは途中でリタイアした人、乗り換えた人、臨床試験終了後に他の治療に変えた人たちのノイズはどうするかだ。

●個々が勝手に変更して入り込んでくる別の要因は、どう解釈して結果を出すのか?


また無治療群にした人も同じである。最初の1年間は無治療で終了したとする。その後、何をするかは本人の自由である。他の病院で何をしようが、代替療法をしようが、その患者の勝手だ。またそれを臨床試験をした側の主催者が個々が何をやっているかを調査することなど不可能である。
つまり、決められた期間にそれをやった人が、その後で何年生きたのは、その限られた期間に何をやったから○○のおかげで延命効果が確認できたというのは、主観によるこじつけにすぎないのである。
そんなことを言い出したら代替療法のデータでもカンタンに作れる。まず乳ガン4期のガン患者に1年間、キトサンを飲む群とキトサンと称した疑似薬のデンプンを飲ませたとする。
その後でその人たちが10年後何年生きたかの平均を取るという方法だ。
この時に重要なのは、この治験の参加者に、
「それ以外のことは他の要因が加わると正確な実験が出来ないので、死ぬ日まで他のことは一切しないでください」とは拘束できないことである。
実際にやったとしたら、1年間という機関について発病剤マスタードガス猟もつてクレタとしても、それ以降の拘束力はない。好き勝手に他の医者に行ったり、手術をしたり、抗ガン剤を打たれたりするから、最初のスタート日にキトサンを飲んだ群が最終結果として、平均で長く生きていても、それはキトサンの効果が証明されたという結論を出すことは出来ない。
なぜなら、もとも違う人間の比較であることに加えて、個々の患者がやっている他の要因がすべて違うからである。たとえばそのキトサンを飲む群が病院に行って抗ガン剤治療を受けたとする。
それだけで、キトサン以外に寿命を変えてしまう大きな要因が生じてしまう。たいていは一回抗ガン剤をやるだけということではなく、まだまだ他にもいっぱい要因が絡んでくるだろう。それらすべてがいつまで生きられたかという最終結果に影響しているのである。何が要因でどういう結果が出るのかと言うことは膨大な因果関係が影響した結果であるからだ。
また○○していなければ死んでいただろうという仮定の比較規準も判断する医者の主観である。いろいろ調べていくと医者から治療はできないと見放された人が、その後で無治療で10年も20年も生きていたという話を聞くからだ。
つまり、何もしなければ、その後で、当分は生きていた可能性もたかいのである。

●何が誘因でどうなったかを結論づけるのは判定する人の主観に過ぎない


こんなことで単純にキトサンの延命効果が科学的に立証されたとなれば、現代医学の医猟犯罪者たちは、ここぞとばかりに「ツッコミどころは満載のトンデモ」と言ってツッコミを入れてくるだろう。そしてキトサンのほうが早く死んだ場合重篤は発表しなければいいだけじゃないかと言うだろう。
しかし、その原理は、現代医学の臨床試験の延命比較試験も同じことである。つまり、良い結果になったときだけ、取りあげて、○○の効果だったという解釈を当てはめているに過ぎない。なぜなら、本当の効果は同じ人間の身体でスタート日から両方試さないとわからないのである。
つまり、このことから代替療法はもちろん、延命効果の比較データを正確に取ることは絶対に不可能だと言うことである。なぜなら、最初の状態がバラバラであるし、その後でやることも個々の人間がバラバラであるからだ。
代替療法にデータがないのは、当たり前のことである。
「船瀬俊介氏のいうようなキトサンで治るというデータはありません」などとトンチンカンなことを言っている医者がいるが知能が低いからまったく本質がわかっていないのである。
データ化することが不可能だからデータが存在しないだけである。まして代替療法というのは個々の人間がいろんなことを組み合わせて勝手にやっていることだ。もちろん現代医学を受けている患者でも同じことである。
一律に拘束して延々と比較させることなど不可能である。代替療法にはちゃんとした科学的根拠、つまり現代医学が出しているような数値化されたデータがないというのはごくごく当たり前のことである。
彼らはそのデータがないことはいかがわしい、効果がないと決めつけて、けっして認めない。そのホンネは自分たちの猟奇的な商品以外は認めたくないからである。いい加減に本質を見抜かなければならない。
データがあるほうがおかしいのである。あると言い張るなら、それは勝手な解釈で主観で作り出した幻想に過ぎない。絶対に作れるはずがないものを作れたと主張しているのであるから当然現代医学は悪質なペテンである。

●データ化できないことはデータ化できない理由を説明するほうがよほど良心的


そして人間の身体を二つにコピーして比較できない以上は、臨床試験で正確に効果を比較したり、測定することは不可能である。
これはたばこを吸っている人が100歳まで生きたからといって、
「おじいちゃんはたばこを吸っていたから100歳まで生きたんだ」と言うのは単にその人の主観的判断に過ぎない。その人が100歳まで生きたことは他にも膨大な要因が複雑に絡んでいるからである。
こういう解釈は膨大にある。たとえば、松崎という学者が書いた、
「長寿世界一は沖縄 その秘密は豚肉食だった―ダイエット食は、ボケ・早死を招く」だったという本がある。
本当に長生きした人が豚肉をたくさん食べていたのかはわからない。食べていたとしても他に寿命に影響した要因は膨大にあるはずである。それも日本人はどこでも豚肉を食べているから、その長寿だった人と限定して比較したとしても、その人たちが平均よりもかなり多い頻度で食べていたのかはわからない。
これは日本は世界一の長寿国であり、その日本でも沖縄が日本一の長寿県だから世界一の長寿は沖縄だという本である。

「○○をしたほうが長く生きたから効果があったことが科学的に証明されています」という考え方は物事を極限まで他の要因を斬り捨てて、物事を単純化していって解釈しないと何が原因でその人が100歳の長寿まで達成できたのかは判断が難しいはずである。
延命比較臨床試験では、リタイアや途中で変更する人間の問題も出てくるから、ますます不確定な要因が増えていく。そのリタイアした人間のことはどのように処理しているかだ。治験の方針をリタイアした人間の扱い方や解釈の仕方だけでもデータは大きく変わってくる。
つまり、抗ガン剤の延命比較臨床試験で、CHOP療法をやった人のほうが長く生きたという結論は本当にCHOP療法のおかげで、CHOP療法の治療群が長生きしたのかと言うことはわからないはずである。ダメだった結果はいちいち公に出してこない。現在のように悪い結果も公表義務にしたとしてもあまりにも小さい扱いになるので探すのは困難である。
延命効果など測定できないにも関わらず、現代医学は科学的に証明されたと断定しているのである。その本質は彼らが自分たちの猟奇的な商品を売って儲けたいからだ。

●延命できたのはマスタードガスを打ったからなのか?


世界一多用の抗ガン剤が有機燐チッソマスタードガスであることも彼らは科学的に効果があると証明されているという。彼らはマスタードガスには延命効果があると断定しているが、同じ人間がマスタードガスを打たれなければもっと早く死んでいたこと、マスタードガスによって延命できたことをどうやって証明したのだろうか?
発ガン物質を投与された被害者が病院を追求したら病院は苦し紛れに添付文書やインタビューフォームに発ガン物質であることが書かれていることやWHO指定の発ガン物質であることから、
「発ガン物質ではありますが、これを使った方が延命効果があると証明されております」と説明するだろう。
ここで、被害者はどう証明されたのか、彼らが答えられない突かれると痛い弱点を徹底的に攻めなければならない。

私はホスピスに行ってボロボロにされた人に話を聞きに言ったがマスタードガスを打たれた後も多種多様の膨大なことをやって自費だけで2000万円以上は使っているという。その後にもいろんな薬剤を投与され、ホスピスだけでもいろんな麻薬を打たれている。

●現代医学の医者ほどバカな生物はいない


よほどの低知能でなければわかることだが、それらすべてが何年生きられるかに全部、複雑に絡み合って影響しているわけである。
つまり、治験を受けた人もその後の拘束力はないのだから、いろんな治療をされたり、自分でも代替療法のようなことをやっているから、死ぬ頃には他の要因が膨大に重なっているわけである。
それを現代医学の延命比較試験では単純にこれを受けた群は5年、そのときの比較期間だけは無治療(その無治療もその対象の病気のことだけ)では4年だから○○の治療は証明されたという。これが○×試験だけ上り詰めた医者の知能なのである。
現代医学の延命比較データはそれらのノイズは一切排除して、当時これを受けた人が先に死んだのは無治療のせい、平均で長かったのは○○のおかげという単純化した解釈しかしない。これが彼らからすれば科学的に証明されたことになるという。
やっていることが多すぎて何がどれだけの要因でどうなったかなど複雑すぎて検証することは出来ないはずである。またその人が治験に参加後、参加者達が何をやったかなどいちいち結果を調べた人間が把握しているはずもない。その中には事故で死んだり、自殺したり、行方不明など、いろんなケースもあるだろう。
マスタードガスを打たれた人がその後、10年生きたとしたら、医者はこう言うだろう
「それはマスタードガスのおかげでここまで延命できたのです。マスタードガスには助けられてきたからね」と。
彼らからすると治療をやっていなければ、すぐに死んでいて、
「自分たちの治療のおかげでこうなったのだと手柄は全部横取りして科学的に証明できた」と自分たちに酔っているわけである。
私が出している根拠はそんな荒唐無稽な主観ではない。
被害者はふざけるなと怒らなければならない。
つまり、現代医学の解釈の仕方、科学的根拠と証明されたという主張は他のことは一切関係ないのである。人間の寿命がこんな単純化できるわけがないではないか。つまり、臨床試験などというものは、その根底から人を騙してシャブリ尽くすためのデモンストレーションとして行われている茶番なのである。騙すためのシカケの第一弾が虚構の手柄を作り出す臨床試験なのである。
どうしてこんな狂った殺人兵器、悪魔の言うとおりに踊るバケモノが出来てしまうのか?それは意図的にバカを作る狂育を受けているからだ。
解釈の仕方は常に自分たちの治療のおかげだと手柄は何でも自分たちの商品の手柄にし、早く死んだら無治療だったからだという。こうして猛毒発ガン物質、発病剤を自分たちの手柄と強引に解釈して作られたのが、凄まじい終身カネヅルを作り出して暴利を生み出す現代医学の標準治療だ。それは彼らの主観でカウントしただけの等位であるにも関わらず、もっとも効果があると科学的に証明された方法だという。
人の無知と信頼につけこんでやりたい放題のことをやっているのである。弱い立場の家畜が何も言えないことをいいことにやりたい放題の鬼畜の所業に明け暮れているのが人間という生物である。人間に対しても本質的に同じことをやっているのは当然だ。人間だけは強制的にはできないから、ナイチンゲール作戦で騙しているのである。
つきつめていけば、マスタードガスによる延命効果などを証明など出来るはずがないのである。被害者は当サイトをよく読んで論理的矛盾を徹底的に突かなければならない。

●全体の分母を出すこと自体が不可能なはず


さらに臨床試験が行われた全体の分母がハッキリ提示できなければ無意味である。データがあると出してきたならこう訊いてやればいい。
「では、すべての延命比較試験の行われた場所と結果を出してください。当たり前のことですが、その治療のほうが早く死んだときの悪い結果のほうもちゃんと出してください」と。サイコロで言えば、振った全体の回数とそれぞれの眼が出た回数を示さなければならないもし悪い結果がなんのことはない。医猟としたらおかしいはずだ。打率は10割だったと言うことになる。そんな都合の良い結果がありうるのか追求しなければならない。
なぜなら成績というのは全体数と何々の結果が出た割合で決まるからである。
野球の成績で言えばヒットを100本打ったというだけではまったくダメである。どれだけの安打があったのかというのは、何打席中、何安打だったかの分母と分子を出さなければならない。何打席中という分母がわからないのに科学的根拠とはふざるけるな!と怒るべきだ。
病院側は科学的に証明されているとは説明してもその分母を出すことはできないはずである。なぜなら、どれだけの件数行われたうち、提示したような結果が出たのかは把握していないからである。被害者側はその欠点を突くべきである。
つまり、これはサイコロを振ったら6が出たでしょうというビデオを証拠と称して見せているのと同じことである。
たまたま6が出たときの映像を出しているに過ぎない。これは、6が出たときの映像を見せられて、サイコロを振れば必ず6が出るという根拠だと思い込んでいるのと同じ知能である。その映像資料は、たまたま6が出たときの映像を抜き出しているに過ぎないからだ。
これで全体の分母を出せなければ、説得力がないはずでである。
その返答に対して、
「だったら証明されていないではないか!全体の分母も把握していないのに証明されたと騙してきたのか!」と徹底的に追求しなければならない。つまり、良い結果が出たというのは、厳密に審査するなら、すべての臨床試験の結果を全部出せて、その比率まで出せなければならない。
しかし、そもそも悪い結果が出たときのことは発表されないのだから、全体の分母を把握することは不可能である。

●数値は無くても論理的な説明のほうがはるかに強い


彼らは「サイトや講演のときのグラフでこういう結果が出ています」と都合よく使える結果が出たときのことを出しているが、それはそういう判定が出たときの結果だけを出しているに過ぎないのである。
これはサイコロで1が2回連続したときの動画を出して、
「サイコロを振ると1が2回連続して出ることが科学的根拠に証明されています」と言っているのと同じである。たまたま、そうなったときの結果を取りあげて強調しているに過ぎない。よく考えてみれば、これは科学的根拠でもなんでもないことに気付くはずだ。
この矛盾からも現代医学はデータを偽装した悪質な詐欺であるとわかるはずである。また再三書いているように何々療法のほうが早く死んでしまった結果が出たときのことは取りあげなければいいだけのことである。
わざわざ自分たちに不都合なことを出版コストをかけて出す必要などない。現在のようにすべての結果を公表しなければならないとしても扱いを小さくしておけばいいだけだ。誰も重箱をつついてその結果を調べ上げるようなことはしないはずである。
人の印象は聞かせられる回数の多さで、それが正しいと印象づけられているに過ぎない。つまり、科学的根拠ではなく、印象というあいまいさにつけ込んだ"心証のトリック"なのである。
私の場合はそもそもデータで説得しようなどとは思っていない。なぜなら、データというのは正確にカウントできないものだからである。このサイトで自説を裏付けるデータは出しても、それは状況証拠としてのひとつとして出しているにすぎない。主たる根拠はデータなどではなく、論理的な説明が出来ることだ。
データよりも論理的に、なぜそうなるのかを書いた方が説得力がある。現代医学にはそういうものはほとんどない。臨床試験の結果のように単に物事を数値化して自分たちの都合の良い数値で騙す手口である。という根拠とは詰まるところそういう結果が出て効果が認可しているというぐらいのことだ。
それ以上聞いたとしても、「医学についてわからない素人の方に説明してもわかりません」というだろう。現代医学がペテンだとすれば、論理的に説明などしようがないからである。
彼ら自身も教えられた通りにマルかバツで答えられるかどうかを審査されて選ばれただけのバイオロボットに過ぎないからである。

臨床試験における不確定性原理


●臨床試験の公正さを装う宣伝文句に騙されるな


もともと前提から臨床試験は茶番である。そもそも臨床試験では他人との比較でしか効果は判定していない。この最初のやり方の前提が完璧に狂っているわけである。
まったくランダムに治療群と無治療群の患者を配置することは出来ない。なぜなら、そこには「こういう結果を出したい」という製薬会社や病院側の無意識の期待感が心理的なノイズとなって、公正な比較を邪魔しているからである。
これは彼ら自身が気づいていようが気づいていまいが必ず生じていることは認めざるを得ないはずだ。あいまいな結果に対してはなおさら、このノイズは増幅する。
つまり、彼らは患者や大衆に対して、自分たちの作り出した虚構のデータに対して、そこまで分析してこないだろうと前提からバカにしているわけである。だからこんなチンケなデータとなどというもので人を騙してくるのだ。
さらに患者側には「苦しい治療はもう懲り懲り」とか、治療歴の浅い患者は「まだまだ治療して病気と戦える」といった人間の感情という強烈なノイズが入るから比較の前提じたいが歪んでくるのである。
つまり、これらの感情を一切なくして臨床試験を行うことはけっして出来ない。だから臨床試験は単に人を騙すためのデータを作るデモンストレーションにすぎず、その結果は無効なのである。
クジで引いたとか医者にも患者にも偽薬とわからないように飲ませるとか、ランダムに選択されたというのは、あくまでも臨床試験の公正さをアピールするためのタテマエにすぎない。
そこには必ず人間の感情が正確な測定を邪魔しているのであるから、実際にランダムに配置することは不可能である。そうして無治療群が先に死にやすい配置が行われ、自分たちの商品を持ち上げる解釈が主体になっているのである。
サイコロのようにハッキリと数字の結果が出るならそれを捏造するのはやましさが生じるが、あいまいなことをどうカウントするかについては甘くなる。そもそも医療データというのはあいまいである。あいまいなものであればあるほど、そこには主観のつけいる余地が多くなる。あいまいなことであるほど都合良く解釈してデータは作れてしまう。
だから、代替療法にはデータがないから信用できないと現代医学の医者は言うが、本当に良心的なものであればデータなど作れないことを論理的に説明してデータはありませんというほうが良心的である。データがあるとしたら人間の身体のような複雑なものを複雑な要因が絡みながらどうやって数えたのかと言うことである。そんなものを白黒ハッキリ見分けて、単純にカウントできるということ自体がおかしいではないか。

●前の抗ガン剤が再発させた原因ではないという根拠はどう判断しているのか


たとえば、ここでひとつ例をあげれば、「抗ガン剤による二次発癌の発生率は20年間で4.2%です」などと医学書には書かれている。そして医者に問い詰めてもその医学書に書いてあるデータを持ち出してきて、二次発ガン性はありますが、その頻度はわずかですよ」と言い訳するだろう。
しかし、突き詰めて言えば今回の再発がその二次発癌でないとか二次癌であると言うことはどうやってハッキリと見分けているのだろうか?
では、それ以外の癌が再発した人が前の抗ガン剤(発ガン剤)が原因ではなかったというのはどのように確認してカウントしないのかということである。これらはすべてカウントする人間の主観に過ぎないことに気づくはずである。
つまり、医療のデータというのは、単に医者が○○が起きたのは○○とは関係ないと思ったらカウントしていないだけのことである。
なにを根拠に前に打ったマスタードガスと今回の乳ガンの再発は無関係だと断言できるのだろうか?
医療産業が作り出している医療データというのは、つまるところ、すべて彼らの主観によるカウントであるから、余計なことをシビアにカウントしすぎる病院には製薬会社が依頼しなくなるだけのことだ。
つまり、数え方は単に気分で決めているだけなのである。製薬会社がここまではカウントして、この程度ではカウントしないでという暗黙の了解で調整しているだけである。気分でカウントしたものが科学的に証明された根拠だというのだからムチャクチャである。

●副作用データは「全て頻度不明、カウント不可能」が正解


ファイザーの売っているシスプラチン(商品名プラトシン)は副作用情報がすべて頻度不明になっている。
全部の記載が頻度不明とはいい加減な記述のように思われるかもしれないが、この書き方のほうが、まだ良心的なほうだ。
ある意味で、これが正しい報告の仕方なのである。頻度など、どれだけの量を使うか、何日投与するかなどですべてケースバイケースで発生頻度が変化して当然だ。
さらに程度の低いもの、強烈なものをどこまで数えるかにもよる。数え方次第でどんな数字にも変わる。平岩正樹のように決まった量より医者の自己判断で三倍も打てば当然、発生率はハネ上がる。書いてあるとおりの頻度だと思うこと自体がわかっていないわけであるし、一律に書くことじたいがオカシイのである。
ガンで死んだという死因のカウントもすべて彼らがガンのせいで亡くなったのだという解釈にしてカウントしている統計に過ぎない。
ガンによって肺炎が起きた。肺炎を引き起こしたのは癌の悪化でしたという遺族への説明も統計も主観に過ぎない。抗ガン剤や医薬品の添付文書には膨大に肺障害の記述があるが、それが原因で死にましたという説明やカウントは、ほとんどしていないだろう。
死因の統計もまったくのデタラメである。彼らの自己都合でカウントしているだけのものである。医療データというのは医者や製薬会社の気分で数えているだけなのである。どれだけ血液製剤や輸血で殺されても輸血や血液製剤で殺されたというカウントをする人がいないだけである。どれだけ悪化しても病気が悪化したということにしているからである。なにがし員だというのは医者の主観による判定にすぎない。
彼らは「○○治療法の成績はこれです」という。医療の結果ををいちいち数値化できると思っている知能自体がまったく本質がわかっていないのである。
だから彼らはデータがない治療法はダメだと代替療法をハナから馬鹿にする。代替療法で科学的に有効性を証明されたモノはありませんという。それにも関わらずマスタードガスは非常に有効性が証明されている標準治療だという。
わかっていないのにわかったような虚構の自信を植え付けるバカを作る医学狂育を受けているからだ。
そのデータは気分でカウントしたものである。この滑稽なる本質に気付くとマスタードガスが人を救うことが証明されたという不可解なデータの謎も解ける。欲望が解釈を歪ませているのだ。
製薬会社も医療現場で獲物と接する医猟犯罪者たちも、みな一様においしいカネヅル剤の登場を待ちわびているのだ。
その本質は動物の苦しみなど考えずにお肉を食べる人間社会全体の本質も同じである。一発20万円のカネヅル剤よりも一発100万円の終身カネヅル剤を欲しいのは人間の性である。彼らが医薬品開発を続けるのはタテマエは、
「一人でも多くの患者さんを助けたいから」
そのホンネは、
「もっと暴利のカネヅル剤が欲しいから」である。家畜たちに悪魔の所業を平然と行っている人間が本気で人を救いたいなどと荒唐無稽なことを信じているとしたら荒唐無稽にもほどがあるというものだ、心がないから、おかしな世の中の本質が見抜けないのである。
悪化させてシャブリ尽くす終身カネヅル剤を作りたい気分で数えているから、その主観で数えて、マスタードガスが人を救う治療成績ができあがる。医療のデータは真実とはまったく関係ない。主観で数えると言うことは、自分たちの主観で数えていくことで、どんな数字でも作れるわけである。
それを彼らは、ある程度怪しまれないように数え方を主観で調整しているにすぎない。彼らの言う科学的根拠は欲望と主観が作り出した虚構である。
日野原を見ていると欲望が作り出した虚構のバケモノだ。医療産業にたかるモノたちの欲望が毒ガスを操る追い込み猟の名人を持ち上げているのである。

●自分で正解を定義づけて自分の答案を採点する


医薬品とは、つまるところ、作る側と売りたい側が自分たちの主観でカウントして、
「このような結果が出ました」と宣言しただけのものであり、そのデータはまったく信用できないものであることに気がつかなければならない。
初歩的なことではあるが、近藤誠医師が、このことを本で書いたのはすばらしいと思う。
彼らは何が起きても被害者側が施された治療法と起きた結果の因果関係を証明することが難しいことをわかっているわけである。どうせ自分たちのワナに屠殺解体場に頼ってきたような獲物であるから見抜けないと思っているのだ。
彼らにとっては、これらは安心の砦だ。自分たちを守るためのデータはタップリ作ってあり、国家機関も認めているからである。それも日本だけではない。世界的にである。
それにも関わらず、良いことはすべて自分たちの手柄だという。まかり間違っても自然治癒力などとは認めるはずもない。
自然治癒力でガンが治ったデータなどないのは当たり前のことである。そう数える人がいないだけである。
○○が起きたら、これは○○のおかげだと自分たちの治療法を絶賛する。悪いことはほとんどすべて病魔のせいにしてカウントする。
医療が人を殺しているデータなどないのは当たり前のことである。それを誰がいちいち数えて発表するのか?
まさか犯人が自分で数えて発表するはずもない。いい加減に世の中にある数値で物事を判断することは彼らの思うツボであることに気がつかなければならない。
要するに因果関係の実証が難しいことは彼らにとって安心して殺人ゲームを満喫できる強力な囲いなのである。

●因果関係がハッキリした医療犯罪だけが発覚している


過去に発覚した医療犯罪、薬害事件でウイルス性のものに関しては、薬害エイズや薬害肝炎などで発覚したのは、あれらの場合は本人の病魔とは、まったく違うハッキリとした境界線があったから、彼らもさすがにのらりくらりはできず、逃げ切れなかったから因果関係を認めただけで、ほとんどの病気は何が起きても患者の病魔が悪化したと説明が付くからダイジョウブと思っているわけである。そうして今も莫大な薬害が隠されているわけである。
だからよほど、被害者達が気がついて問題が覆い隠せない段階にならないと世間には公表されない。マスコミはみな医猟マフィアの味方であるからだ。9・11の犯罪はマスコミは公式には言わないのと同じだ。
問題が発生しても因果関係を否定して時間を稼ぐのが毎度の常である。とくにガンの場合、本人のガンが全身に転移したとかの絶妙な言い訳をするに都合のいい理論や事例がある。自分たちがシカケたマスタードガスなどの演出が彼らを守る強靱な守り駒になっているわけである。よほど被害者が賢くならない限り、因果関係は説明したり、追求はできない。輸血や血液製剤の巨悪犯罪も同じである。
だから私は彼らを倒す論理的武器は全部お膳立てするつもりだ。もちろんそのためには、誰でも容易にわかるように、すべて音声読み上げできるようにして、見ているだけでカラクリがわかる動画をつくり、ボタンを押すだけでペテンのカラクリに気づけるようにしなければならない。これで敷居は格段に下がる。
彼らは、その猟奇的な商品を売りつける口実を作るために先にマスタードガスなどの猛烈発ガン物質でガンの暴走細胞分裂を演出しているわけである。
先に暴走細胞が暴れ回って、残酷な被害を出してくれるほど医療産業としては出番が増えれば頼られるから都合が良い。
マスタードガスがすさまじい発癌物質であるということに気が付けばわかるように、そのような現象は、治療された人にしか起こっていないのである。もしくはそうならなかったときのことはクローズアップしなければいいだけだ。
放置して最後までどうもならなかったち人のことはインフルエンザと同じくクローズアップしなければいいだけのことである。
だからこそ、乳ガンの初期化学療法、術後化学療法は80%がマスタードガスが主剤なのである。先に病魔を仕掛けておかないと演出効果が盛り上がらないし、暴利の治療が売れないからである。
そうして再発乳癌になるとマスタードガスも使われるが薬剤価格がハネ上がる暴利抗ガン剤に変わる。シカケは安く、追い込んで高く売りつける追い込み作戦である。
彼らはどんなに凄まじい発ガンで爆発的に発癌させて悶絶死させても、獲物は因果関係が証明できないし、ガンとはそういう病魔だから仕方が無いと思い込んでいるので安心しているのだ。だからやりたい放題の暴利を堂々と貪り続けることができるのである。

●マスタードガスによる発癌演出が1グラム17億円のお宝に化けた!


製薬会社の名前は言わないが、日本のある製薬会社の抗ガン剤開発の研究員はこういったものである。発ガン物質であるとも発病剤であることも暗に認めた上で、
「国が認めていますから…。でも(ここまで悪質なことは良心も咎める部分も感じているので)最後までは続けられないと思っています」と言った。
これは日本の製薬会社の抗ガン剤開発現場の人間たちのホンネだ。ここまで気付くとなぜ、製薬会社は人を助けたい助けたいと宣伝で連呼しているかと言うことも本質が見えてくる。
オモテのタテマエでは製薬会社は、
「私たちは多くの人を病から救いたくて、日夜医薬品の研究開発を続けています」などとアステラス製薬のCMでは言っている。
彼らが人を救いたいとか、やたら美辞麗句を連呼する本質は逆のホンネを悟られるのが怖いというやましさがあるからだ。
その悪魔的な本質を悟らないようにするためにカモフラージュ行動に出るわけである。日野原が「患者さん、患者さん」といいことを言うのも本質は同じである。毒ガスで演出した病魔という虚構が虚構の名医を作り出しているわけである。ナイチンゲールが地獄の戦場で活躍したことにより、偉人になったのと原理は同じである。その本質は"心証の錯覚"にすぎない。
会社名まで書いたら犯人捜しが起きるだろうし、そこまでしたら、証言をしてくれた人にも悪いから書けないが、彼らは添付文書を分析したらわかるように動物実験で発ガンしたことを書いているくらいだから、それに加えて、膨大な副作用群である。考えてみれば作っている人間が発ガン剤であり、発病剤であることを気がついていないはずがない。なぜならラットが短期間で発癌すると言うことはラットの寿命から推定すれば、ごく短期間で発癌作用が生じていることがわかっているからだ。さらにそのラットはもともとガンではない。

●「獲物たちよ、私たちを潤してくれ」


彼らは医者のニーズを熟知している。医猟犯罪者たちのみんなの願いは「獲物たちよ、私たちを潤してくれ」ということだ。その願いを叶える経営剤を作ることが製薬会社の利益のカラクリだ。日々、医猟犯罪者たちが喜ぶ経営の特効薬を開発しているわけである。
自分たちが治療薬として売っているモノの正体が発ガン物質であり、発病剤であることはよく考えてみたら誰でもわかる。虚構の世界から目が覚めるかどうかだ。
彼らはとっくに、その正体に気がついて、あまりの暴利にやめるやめられないでいたのだ。もちろんその利益は役人、マスコミと山分けである。国税にも脱税の見返りに相当なカネが流れているはずだ。
つまり、国税の本質は最大の脱税犯罪者である。最大の脱税組織が脱税は犯罪だと宣伝しているのだから医猟産業の実態と同じくマンガである。国税についてはここではくわしくは書かない。
彼ら医猟犯罪者たちの虚構犯罪には三つの強力な守り駒がある。ひとつは国が治療効果有りと認可したというお墨付きである。
そして、どんな悲惨な結末を引き起こしていようとも、患者の暴走細胞が無限にドンドン分裂して転移していく病の性質であるという彼らが地球最強の発ガン物質マスタードガス(イペリットガス)などで仕掛けた作り出した細胞分裂伝説が人々の心に根付いているからだ。
そして虚構の医療データである。この守り駒が剥がしとられたとき、彼らは史上最大のゲームオーバーに向けて窮地に陥る。
本当は彼らの治療と称した行為が起こしている演出であって、細胞分裂伝説とは何の関係もないのである。
なぜ、こんな殺人兵器開発現場を辞めないのかを訊いたら、とにかく給料がいいのである。彼らはそうして左から、発ガン剤、発病剤を売りつけて、獲物が追い込まれた頃に右から1グラムが17億円もするようなものを売っているからである。悪魔も仰天だ!
マスコミが彼らを批判したり、抗ガン剤の発ガン疑惑を報じないのは当然だ。製薬会社からの広告費はホクホクの契約額であるからだ。自分に毎日美味いエサをくれている人に噛みつくメリットなどあるはずもない。
なにしろ、1グラム17億円で稼ぎ出した金は湯水のように口止め料の意味も含めてマスコミに撒かれているのだ。
こうしたムチャクチャな実態は過去の薬害事件からもわかるだろう。

●国家が認めたらダイジョウブ


過去をいくら知っても今の本質に気がつかないのが人間である。心がないからおかしな世界に気付かないのだ。
たとえばアメリカが撒いた枯葉剤はベトナムでバラ撒くことは当然知っていて、高く買ってくれるから作り続けていたわけだ。兵器メーカーにしてもそうである。国が認めているからダイジョウブというのは製薬会社も医者もホンネでは同じだ。彼らは自分たちを信頼してくれ、すがりついてきた獲物を殺害することくらい屁とも思っていないのである。
なにしろ、卒倒するほどの暴利が転がり込んでくる暴利の殺人収奪ゲームだからだ。マスタードガスを打ち込めばあとは、札束の銃弾が懐に飛び込んでくる。彼らが自ら幕を下ろせるハズもない。
彼らにとって自分たちを信頼した患者は解体処理をしていく、獲物に過ぎない。
最高価格の抗ガン剤である商品名ペガシスは1グラム換算で17億円だ。こんな高価な商品は地球上に他には存在しないだろう。マスタードガスなどの演出が作り出した病魔の恐怖はとてつもなく、医薬品の価値を高めていく。
猛毒が夢のダイヤモンドに化けさせる化学兵器錬金術である。だから再発したガン医療の治療費は1ヶ月の医療費が100万くらいは当たり前のようにかかるわけである。獲物の屠殺解体の過程こそが利益確定になっているのだ。これらは国民健康保険から騙し取られてる。
マスタードガスのシカケが本人の資産も国民の資産も蛇口をひねったように絞り尽くせるわけだ。医者はその悪魔に踊らされた死の商人である。
こうした犯罪は因果関係がハッキリと証明できるまで、彼らはのらりくらり認めないはずである。
彼らは裁判で負けても名前を変え目的・効能を変えて化学構造を多少変えて、別の名前で売り出すこともあるし、他の国で禁止されても騒がれていない国では平気で販売を続行する。
たとえば良い例が海外では発売が禁止されても日本では売られている抗ガン剤のマイロタークである。
こうした虚構の医学理論をいいことに上り詰めた日野原を私は究極の悪魔と断罪する根拠はここにある。その本質は虚構の病魔の演出が作り出した悪魔の殺人バイオ兵器である。

●昔の基準で認可されたモノが今もそのまま使われている


そんな悪魔達によって作られている医療データというのは、その根本からまったくの虚構なのである。
だから、臨床試験では本当の効果を正確に測定することはまったく出来ない。なぜなら、何が原因で何が起きたか、どこまでをカウントするかはすべて実施する人間の主観にすぎないからである。
本当はあまりにも膨大な要因が絡みすぎてわからないはずだ。しかし、そう結論づけていては、オマンマの食い上げである。
つまり、製薬会社は都合良くカウントしてくれる病院に依頼しているだけである。これは現在では多少改善されて、製薬会社が好きなように選べるわけではなくなってきたが、その本質は同じである。
治験ビジネスの病院はある程度製薬会社に好かれるようにカウントしないと治験ビジネス自体が成立しなくなる。
大多数の医薬品は今よりもずっとずさんな時代に認可されて、何ら再検証もされていないから、今の臨床試験はそんなやり方ではないという反論は無意味である。
なぜなら、その当時に認可された医薬品という仮面をかぶった発病剤、発ガン剤、経営の特効薬が、そのまま今も再検証もされずに使われているのだから。その当時の臨床試験のやり方や認可の基準で今も議論するべきである。
疑惑の抗ガン剤である古典的なマスタードガスなどの臨床試験が行われた当時もそうだ。
このトリックの解明により、彼らが科学的根拠としていた臨床試験による科学的証明はすべて崩れたのである。医療データの全部が崩れたのだ。死因統計も全部崩れたのである。おそらく日本人の半数は医猟産業による凶悪保険金殺人が死因の一位である。もちろんそんなデータを誰かが数えて正確につくっているわけではない。論理的な矛盾に気付いていけば、本質的に実態がわかるはずである。
臨床試験では正確な結論を測定することは不可能である。これを私は"臨床試験における不確定性原理"と言っている。
なぜなら、本当の延命効果とは同じ人間の身体でその治療したほうと治療をしなかった場合と比べないと同じ人間の状態からどうなったかという結果はわからないからである。この方法ならマスタードガスを投与したほうがはやく死ぬだろう。それは素人が考えても推定できるはずである。
このような同じ人間では確認できないというあいまいさに彼らの欲望と悪意の拡大解釈がどこまでもつけこんでくるのである。

●悪い結果が出た場合は発表しなければ良いだけ


延命データのカラクリはサイコロの眼で同じ数字が3回連続で出せるという映像を撮りたいときと同じである。
たとえば、自分がどの数字でもいいから同じ数字が3回連続で出るという無編集動画をつくりたければどうするか? これは簡単なことである。
回数をたくさん振って同じ数字がたくさん出るまで降り続ければ良い。人に見せるときは何回振ったかは言う必要はないし、他の人にはわからない。ランダムに出たときのことは出さなければいいだけのことである。
医療データというのはテレビ中継された野球選手の打率のように全打席を他の人が監視しているわけではない。
つまり、医療データは人に監視されているプロ野球と違い、何千回でも打席に立ってヒットを打つシーンだけをまとめることは可能である。
では、どうすればいいか。膨大な回数のサイコロを振って一が3回、ニが3回、三が3回、四が3回、五が三回、六が三回でるまで何万回でもサイコロを振れば良い。
そしてあとで、1から6まで連続で出る動画をトリミングして繋げば良い。これで自分は同じ数字を連続して出せるマジシャンだと言えばよい。
もっとも、サイコロの動画は編集部分で映像がカクカクするから簡単に手法がバレルが、医療データは無編集で記録したものではないからわからない。
トランプマジックでフォーシングというマジックがある。これも解釈のあいまいさを利用した人間の"心証の錯覚"を利用しているに過ぎない。
たとえばこの動画を見たら、私が言わんとしている人間の"心証の錯覚"を利用したペテンのカラクリがよくわかるはずだ。

これは解釈の仕方がいくつもあるから、結果が出てもすべて治療の効果が証明できたという結論と同じだ。あいまいな解釈ができるところにいくらでもこれは効果があるという主張が出来るわけである。

●なぜその統計は作られるのかという動機は何か


医療データの公開を使った科学的根拠に基づく標準治療ガイドラインはこのサイコロの編集動画やトランプマジックと同じ原理のことをやっているわけである。
医療のトリックを解明したかったら、マジックのトリック研究とか、推理モノのトリック解説を研究したらいい。
私はそれらのものもいろいろ調べて、医療産業のペテンも原理は非常に単純でマジックやサスペンスドラマのトリックと同じであることに気がついた。トリックに気付いて、「なんだ、こんなことか」と思うように原理は単純である。
そのキーワードは人間の"心証の錯覚"やあいまいな解釈を利用した強調である。人は眼では見えているはずの盲点を心の眼で見えていないために気がついていないのである。
この法則については近藤誠医師が多少説明していて、悪い結果の時は出さなければいいだけで、都合の良い結果になったときだけ世間に公開して金を配ったマスコミに騒がせれば良いということを書いている。
治験ビジネスとは本来の目的が「○○という治療はいいのだから、○○というクスリを買って使ってください」というセールス以外の目的では行われない。
つまるところ、統計とは作る人間に都合のいい統計しか作られず、都合の悪い結果が出たときは解釈を歪ませて捏造するか、そこまでしないとしても発表されないだけである。
また現在のように公表義務を課したとしても扱いが小さくなるから比率では全然違うことになる。そうなれば人の印象は強調されたことを真実だと思い込んでしまう。公表する義務だけは何も変わらないのである。
つまり、延命比較試験の本質とは○○という治療ガイドライン薬や最初からこういう結論を出すためにやるという結論は決まっているわけであるから、その結論を出すための配置が行われ、そのようにならなかったデータはすべて破棄され、発表されない。

マスタードガスに延命効果が判定されるシカケ


●トリックのカラクリはきわめて単純


つまり、マスタードガスに延命効果が判定されていくカラクリは単純なことである。まず、前提が累積後遺症が多い人間でやるから何度かやれば、組み合わせの偶然からマスタードガス投与群のほうが少しは長く生きることもある。それはもちろんマスタードガスの効果とは何の関係もない。
そこからの解釈は臨床試験をして、なぜそうなったのかを判定する側の人間の自由な発想がどこまでも広がっていくのである。だから猛烈発ガン物質のマスタードガスは世界一最多使用のガン治療薬なのだ。解釈の世界だけはたいへんな抗ガン作用で人を救っていると言う統計になっているからである。
彼らは口実を付けてなんとしてもマスタードガスを使いたいから、臨床試験をやると毎度のように、
「これはマスタードガスのおかげでガン患者が延命できたことを完全に証明された!」と結論づけて発表される。だからマスタードガスであるシクロホスファミドを主剤に使う多剤療法の標準治療ガイドラインは抗ガン剤の中で圧倒的に最多である。
これは回数を繰り返せば、累積後遺症によって、たまたま比較群の法が先に死んでいたに過ぎない。
それをここぞとばかりに長く生きられたのはマスタードガス、シクロホスファミドのおかげであると強引に解釈する。
そうならなかったケースのことは取りあげられないから、仮にごく小さな扱いで公表されるとしてもトランプマジックのフォーシングで、"どの結果が出ても当たり"であると解釈するのと原理と同じである。
どの結果でも比較群が少しでもはやく死んだことになれば、それはマスタードガスのおかげで長く生きられたのだ、延命効果が確認できたと判定するのである。

●医者も昔の臨床試験は不正が多かったが…と反論しているとおり


これが現代医学の標準治療を作り出している科学的根拠の実態だ。
しかも、この判定は、まだ良心的なほうで、私の推定では実際にはもっと意図的な患者の配置操作や出た結果に対する捏造操作が行われていた可能性もたかい。
すべての過程をビデオ撮影のようなモノで不正が入らないかを確認することは不可能であるから、臨床試験において、どういう操作が行われたかということは、今となっては確認しようがない。
1960年と言えば今の医者も当時は今と違って、臨床試験の不正な操作が行われていた時代で、その後何度もやり方が厳しくなっていったと反論で認めているとおりだ。
つまり、その当時に効果有りと判断されたことをいまだに何ら再検証すること無く、自分たちがその当時に確立した治療法を行いながら、マスタードガス療法が科学的根拠に証明されたと言って反論していることじたいが矛盾しているのである。
医療界は夢の発病剤、経営の特効薬をなんとしてもマスタードガスを認可したかったわけである。医者も獲物がバンバン発癌して出番が増えるから、それが正しいと主張することで使いたいわけだ。欲望が前提を歪ませるのである。この累積後遺症という重大なノイズ強すぎて判定など出来ないことに気付いた医者はいないのだろうか?
私が近藤誠医師にはがゆさを感じるのは、このような致命的な前提の欠陥について指摘しないことである。枝葉末節的なことをいくらつついても根幹が崩れるわけでパソコン無いから、かれらにとってはそれほど痛くはないだろう。だからのらり、くらりと反論してくるわけである。そこにはまかりまちがっても彼らに愛の心はない。

●重篤な累積後遺症によって、比較群がたまたま早く死んだ結果を持ち上げている


私から見れば、その真相は単に累積後遺症によってマスタードガスの投与群が比較群よりも長く生きたのではなく、偶発的な誤差を誇大解釈で強引にマスタードガスと延命効果を抗ガン剤こじつけて科学的根拠と言っているだけである。
さらに、今よりもはるかに臨床試験のやり方が甘かった1960~1980年代、当時の状況を考慮すると、おそらく比較群には早く死にやすい重篤な後遺症を抱えた患者を多めに配置する前提操作と解釈の強引な操作で結果の数値が改竄されただろうし、仮に改竄や患者の前提配置の操作が、まったくなかったとしても、比較の無治療群、もしくは他の治療としての比較群はもともと重篤な累積後遺症によって、組み合わせの偶発性からマスタードガス投与群よりは早く死んだという結果が出たに過ぎない。
この累積後遺症というノイズこそが比較群を先に死なせているカラクリであることに気付くと現代医学の底なしの悪意が見えてくるはずである。自分たちで痛めつけてボロボロにした獲物を次は自分たちの手柄の演出に再利用するわけである。
つまり、マスタードガスにより、延命が証明されたという科学的根拠の真相は、あいまいな正解定義によるフォーシングマジックで的中したと錯覚させるマジックと同じく、どのようにも正解と解釈できる判定のあいまいな定義につけこんだ誇大解釈、妄想の産物に過ぎない。
この前提のカラクリに気付けば、誰でも延命効果とマスタードガスの関連性はないことに気付くはずだ。やろうと思えばサリンでもマスタードガスでも延命効果は作り出せる。
彼らが言う、
「膨大な候補の中から、ほとんどのものがダメで…その中から効果があったモノだけが選ばれる」という説明のダメという意味の真相は理想通りの発病をさせる効果が無いという意味のダメなのだ。
その証拠が地球最強の猛烈発ガン物質が世界最多の万能ガン治療薬になっていることだ。それをアホな獲物は、てっきり治癒効果が無いからダメという意味だと錯覚するというシカケ。
つまり、彼らはサイコロを振って、たまたま同じ数字が連続したりしたときの結果を取り出して法則性が証明されたと主張しているだけなのである。
そのホンネはもちろん最高の発病剤、経営の特効薬を認可させて使えるようにするための口実を作るためだ。
私は強引に現代医学を悪者にしているのではない。ひとつひとつ詳細に歴史的事実と照らし合わせながら、そう結論づけているのである。

利益を求める欲望がさまざまな解釈、公表の偏りを作る


●効果があるという情報は、発表バイアス過ぎない


その証拠に科学的に証明されていると反論してくる医者にこう訊いてみたらいい。
「それでは、世界中で行われた過去のCHOP療法などのマスタードガスを使った臨床試験の全体数という分母と、その結果、良い結果が出た割合がどれくらいだったのかというデータを提示してください」
もしだしてきたこう居てやればよい。
「これが行われた臨床試験のすべてであることはどうやって確認したのですか?」と。つまり、闇に葬られた臨床試験の結果は公開されていないだけである。とくに2000年以前は全体の分母の記録がないから古典的な抗ガン剤は全滅だ。
この一発はトドメの一撃になるはずだ。なぜなら、彼らは臨床試験の全体数がわからないからである。単にいい結果が出たという時のことだけが医学の教科書や論文に発表されているだけのことだ。
統計の世界ではバイアスという言葉がよく使われる。バイアスとは偏り、偏るということである。
医療統計では起きた結果はまんべんなく同じ分量だけ取り上げられるということは経済至上主義の原理から考えて起こりえない。

それは産業にたかる人間の数が多くなればなる程、利益を得るための打算や欲望が偏りを生じさせるからである。
ましてや人間の生命現象というのは、0と1のようなはっきりとした境界線のある判定ではなく、極めて曖昧なグレーゾーンの多い現象であるから欲望と打算が、利益に都合の良い方に偏って判定され取りあげられ、注目され、発表されていくことは当然のことである。
医者も製薬会社も自然治癒するという情報は不快であるから取りあげない。なぜならそれは自分たちの存在感を否定する情報であり、結果だからである。彼らにとっては放置すると悪化するという情報が欲しい。
私たちが受動的に聞かされていることのほとんどは、そうした欲望で歪みきった産物である。そうした情報が正しいわけが無いことに気がつかなければならない。
医療産業が誇大化していくカラクリは、つまるところ獲物たちの病気がどんどん悪化するか、慢性化してもらわないと困る。
そして解釈や判定を勘違いして悪化させる解釈をする研究者のほうが結果的に都合が良い。現代医療は失敗する医者ほど儲かり、治す医者ほど儲からないシステムになっているからだ。さらなる利益は、そうしたバカな教授を持ち上げて、医学狂育でバカを増やしていくことが繁栄である。
ガンの情報も都合の良いことだけが演出されているだけだ。しかも悪質なことに能力発癌のシカケが彼ら自身であったことは地球最強の発ガン物質マスタードガス疑惑で読者は気付いたはずだ。
勝手に治った病気と、どうもならなかった人の情報が取りあげられないのは、インフルエンザで何も起こらずに勝手になった人の統計は全く調査されていないのと同じことである。ただし、当サイトではそうなった人の情報も集めている。

●勝手に治る情報が広がったらオマンマの食い上げ


つまり、発表されたり、強調されることは必ず経済至上主義の原理にしたがって、たいへんな偏りが生じてしまうということに気がつかなければならない。
船瀬さんが森下敬一医師に、
「先生、医学部教育では、どうして自然治癒力のことを教えないのでしょうか」と訊いたときに、
「船瀬さん、痛いところつくね。『患者の病気がほっといても治る』なんてことを教えてごらんなさい。医者もクスリ屋も出番が無くなってオマンマの食い上げだヨ」と言ったとおりだ。
医学部狂育では自分たちの利権に都合の良いことしか教えない。情報産業では、流す情報のすべてではないが、広告主である医療利権に都合の良い情報に大きく偏る。我々はそれを受動的に繰り返されて思い込まされているにすぎない。
医療情報の世界は都合のいいこと、良い結果だけ、やたら強調され、都合の悪い事はあまり強調されないどころか場合によってはまったく出てこない。
これは医療産業というものが自分たちの医療商品を売って利益を上げるための産業である前提に気付けば当たり前のことである。
極端に情報量として少なくなるという意味で発表バイアス、取りあげられバイアスということができる。
専門家や
医師の論文というのは、利益に都合の良い解釈をした論文だけが偏って取り上げられる。医療産業というのは患者が悪化してリピートが増えれば増える程、潤う産業である。つまり、悪化させてくれる誤解釈のセンセーはありがたいのだ。まともなことを言う千島喜久男のような学者はまかりまちがっても持ち上げるはずはない。本当にガンを治すクスリができちまったら、ガン産業はゲームオーバーだ。そんなものを彼らがつくろうとしているはずがないということである。タテマエで助けたい助けたいというのはそう言わなければ獲物がワナにかからないからである。
住宅街に食肉の屠殺解体場があるような世界である。必然的に医療もこのようなことになってしまうのは当然のことだ。
こうした医療産業の盲点は誰も教えてくれないのである。自分で調べようとする人以外は真相に気が付けない情報なのである。

●行われた回数という分母がわからない成績など有効なのか?


つまり、つきつめて問い詰めれば、治療ガイドラインに従っている医者は全体の行われた件数という分母、彼らの言う証明された結果という分子は答えられないのだから、科学的根拠であるという説得力などあるはずもない。反論ができないことに気付くだろう。
これは野球の成績で考えてみて欲しい。何打席中、何安打ということがわからないとその野球選手の成績がわからないのと同じである。ピッチャーも同じく登板回数(イニング)と防御率が無いとわからない。防御率0.00は最高の成績であるが一回のスリーアウトをとるまでしか登板していないだけかも知れない。
ヒットを5本打ったと言うだけではわからない。100打数5安打なのか、10打数5安打なのかで違ってくる。つまり、行われている回数という全体の分母を示せないのに科学的根拠などといえるはずもない。これは彼らが突かれると痛いところだ。的の弱点を徹底的に突きまくることで彼らは追い込まれていくだろう。
彼らはまず根拠として、効果があるという発表は多くされていると言うだろう。
論文を示してCHOP療法のほうが長く生きているでしょ」というのは、たまたま比較群の累積後遺症の関係から、そういう結果が出たときのことを論文で大々的に取りあげて、CHOP療法の延命効果であると演出しているだけのことだ。
その成績が良かったというのは、比較群が累積後遺症により、平均では早く死んだだけで治療薬とは何の関係も無いではないかと論破すればいい。なぜなら、その治療薬のおかげで長生きしたことをどうやって確認するのだろうか?
抗ガン剤の臨床試験は普通の健康人で試せないのだから、実験を行う患者の前提が凄まじい累積毒性、累積後遺症の蓄積した患者で行われているのである。それらのもともと患者自身が抱えている猛烈なノイズをどうやって取り払って、純粋にクスリや治療法の効果を判定したのだろうか?
所詮、現代医学という魔界にたかる医猟従事者というのは、チンケな魔物であるから私だったら彼らが突かれると痛いところをつきまくって1時間もあれば論破できるだろう。

●トドメの一撃は「臨床試験全体の文母数を出してくれ」


彼らが代替療法にはデータが無い。現代医学にはキチンとしたデータがあると主張してくるのであれば、そもそもやった件数とという分母(野球で言えば打席数)と彼らが言う良い結果が出た分子(野球で言えばヒット、本塁打の回数)ということを示すべきである。
CHOP療法は世界的に証明できているというなら、世界中で行われたCHOP療法の全体数を出すべきである。そもそも闇に葬られた結果は発表されていないのだから、全体の分母を示しようがない。常識的に考えれば発ガン物質の化学兵器剤のマスタードガスにより、人間の余命が伸びるなどと言う荒唐無稽なことがあるはずもない。荒唐無稽なことをいかに植え付けさせるかがバカを作る国家狂育である。
近藤誠医師はマスタードガス療法のひとつであるCHOP療法を日本に持ち込んだ先駆者だ。そして多くの人を殺害してきたことは間違いない。近藤誠氏はCHOP療法を広げた責任から、この問題を根本的に解決するべきである。
近藤誠医師がこの問題を取りあげて、ストップさせれば殺した数よりも救った数のほうがはるかに多くできるから、まだ取り返しは可能だ。
これを議論して論破すれば、ゲームオーバーになるのは、彼らがドル箱にしているマスタードガス療法だけではない。放射線も手術もガン医療の築きあげてきた治療成績のすべてが振り出しに戻ってしまうのである。
なぜなら、重篤な累積後遺症、重篤な累積毒性という巨大ノイズを抱えた人間を集めて、いくら臨床試験で比較しても、その効果を測定することは出来るはずがない。正確に測定できないどころかまったくできない。
さらにガン医療だけではない。癌以外の治療も大半が同じ原理で作られているからだ。まだ普通のクスリの判定法のほうが多少はましだ。
重篤な累積毒性、重篤な累積後遺症を抱えた人間を使っているガン医療はもっとも不確定である。この前提のトリックを大衆が気づきだしたら、いよいよ現代医学はゲームオーバーに向けて崩れ始めるのである。これがバレたら過去の膨大な治療成績や医療の功績のほとんどはデタラメな解釈の産物に過ぎないことに気付くだろう。
近藤誠医師がCHOP療法が間違いであることに気付いて、抗ガン剤は効かない、無効だと発表したこと、自分の誤りを認めて謝罪したという意味では、すばらしいのだが、彼が気付いたことは、そのデータの欠陥を示す枝葉末節的な欠陥の部分で、もっと根本的なことからインチキだったことに気付いていないとしたら近藤誠氏はいまだに真相の三合目程度までしか、たどり着いていないのである。

●近藤誠氏はノイズだらけの患者の成績データは無効なことをなぜ語らないのか


近藤誠氏の本を読むと枝葉末節的な指摘については、なるほどなと思うことは多い。しかし、それは枝葉末節的なことの指摘だから全体を根底から否定するような内容ではない。週刊文春の反論記事のように彼らが反論してくるのは、この程度なら、まだまだ反論の余地があると思っているからだ。本当に強すぎたら恐ろしすぎて誰もかかってこないはずである。
近藤誠氏はそろそろ、そんな枝葉末節的なヘボ将棋から脱却して、
「根本的にこんなデータは全部無効、それはなぜか…。治療成績を取っている患者達は、重篤な累積後遺症、累積毒性という凄まじいノイズを抱えており、微妙な治療効果を測定することなど到底出来ない」と言うことを言わなければならない。おそらく彼はそこまでのことは気付いても言えないだろう。
もし、ここまでのことを書いてしまったとしたら、これは手術や抗ガン剤だけの問題ではないからである。根幹から崩すということは、その方法で成り立っていたことすべてを根底から破壊することになるからだ。
当然、自分の放射線治療の実績にもその法則は該当し、すべてパーになるからだ。
書けば書くほど、自分の実績さえ全面否定していくことにもなり、自分の首がしまっていくからである。
だから医者は、宿命的に真実を語ることができない立場に置かれているのである。医療産業という産業には自浄作用がほとんど働かないのはそのためだ。だからまったく医療とは関係の無い私が破壊するしかない。
なぜなら、彼らは悪魔の殺人ゲームに加担してきた卑劣な犯人であるからだ。
近藤誠氏は累積毒性、累積後遺症という巨大なノイズを抱えた患者たちでは、治療成績など、とれるはずがないという事にも既に無意識的には気がついているのではないかと思う。あるいはハッキリと気付いていているが、言わないだけかも知れない。
しかし、その事に気が付いてしまうこと、もしくは書いてしまうことは、ガン医療を根底から破綻させてしまう気づきであるために、無意識的に気づきをブロックしているのかもしれない。私には近藤誠氏が医療界の真相に踏み込めているとは思えない。
人間は自分に不都合なことは気づきたくないという無意識の心理にふさがれているからである。
そして、自分の都合のいいように考えようとする偏りが生じている。欲望や打算が解釈を歪ませているのである。これは解釈バイアスといってもいいかもしれない。

●気がつかないのではなく、気がつきたくないだけである


自分を徹底的に否定するということは、自分の存在を殺してしまうことである。現代医学という土台でやってきた自分の実績を徹底的に否定していくことである。もちろん殺すというのは、物理的な肉体を殺すという意味ではない。
このサイトで書いている医者がわざと殺しているというのは、獲物を目の前にして、「こいつをやる殺るぞ!」というハッキリした殺意という意味では無い。
彼らは真相に向き合うよりも殺し続けて、患者に寄り添い病魔と闘う崇高な医師という虚構を続けている方が気持ちいいのである。
これはわかりやすい例で言えば、家畜が悶絶死していることを漠然と知っていても食べ続けた方が気持ちいいから、人は、
「どうして、こんなお肉がスーバーで売られているのだろう?これはどんな過程を得てここに並べられたのだろう?」とは考えようとしない心理と同じだ。
その事実と向き合ってしまうと自分たちの食べる楽しみが減ってしまうから、不都合なこととは向き合わない、考えないように無意識的に制御しているだけなのである。
医猟従事者たちも同じだ。私のサイトを読んでも心底驚いたということはないはずだ。それは多くの人が屠殺解体場の動画を見てもやっぱりなと思う程度である。
私は病院名や医者の名前を出して、彼ら医猟犯罪者たちのことを悪魔だ、凶悪保険金殺人犯だ、数万人殺害したと書きまくっているが、メールはほとんどのページで公開しているにも関わらず、いまだに関係者からの反論、クレーム、削除依頼は一切ない。
つまり、私の言う彼らがわざと殺しているということの真相は無意識的には漠然と悪魔の産業であることに気が付いているけれども、気がつかないフリをしているという意味である。気がつかないで殺し続ける方が気持ちいいからだ。本当の事を言い出す人間が出たとしても怒り出すわけにもいかない。なぜなら、事実そのものであるから怒りようがないのである。つまり、医猟従事者たちは騙されている方が気持ちいいから騙されたフリを演じ続けているのである。騙されているフリを演じ続ければ、知らなかったという口実になるからだ。
医猟従事者たちが殺し続けるほうが気持ちいいと言えば、何かムチャクチャ極端なことを言っているように思うかもしれないが人間と牛の関係をよく考えたら、その本質に気づくはずである。

●本質に気付いて、現代医学の膿を出し切るべきである


私は言ってはいけない、聞いてはいけない人間社会のタブーをそのまま言っているだけに過ぎない。違うというなら牛と人間の関係を説明してもらいたいものだ。
その精神性は人間に対してもコロコロと変わるものではない。本質は殺戮ゲームである。
もう、ここで、騙し騙し、おかしな社会を続けるのではなく、この悪魔の現代文明、悪魔の現代狂育、悪魔の現代医学の膿を出し切るべきなのである。
医者がやたら発ガン物質を打ちたがるのも、屠殺解体業を続ける心理も、人がお肉を食べ続ける心理と本質は同じである。その本質はそれのほうが楽しいからだ。
彼らは自分かわいさで自分を守るためには今までの虚構が正しいことにして同じことを続けるしかない。これも広い意味でわざと殺しているのである。人間が肉を食べることは、家畜をわざと殺しているのと同じことだ。気付かない、問題意識がないというのは考えようとする心がないからである。
気付かないというのは、人間性そのものである。だからいろいろそろっていないと気付く段階も言うことも書くことも出来ない。
気づきや強い態度で言うというのは根底は自分を捨てられるかである。だから、近藤誠氏は無意識的に浅い気づきにとどめて、自分のやってきたことは否定しない範囲で調整しながら語っているわけである。そうなると、どうしても毎度の議論は自分の功績には差し障りのない枝葉末節的なことに限られてくる。
人は自分を殺してまで人を救いたいとは思わないものだ。

●放射線治療医が手術と抗ガン剤を否定するのは客の取り合いである


近藤誠氏が手術や抗ガン剤しか批判しないで、ライバル治療の批判の後の結論には「こういう場合は放射線治療で…」というのは、商売のシェア争いによる主張に過ぎないのである。客にトヨタの車を批判して次に「当社の車は…」と勧めるのと同じだ。
放射線治療医が手術や抗ガン剤を否定するということは、単なる客の取り合いという意味にも受け止められる。
近藤誠氏の気づきや指摘がどれほど低いかということは読んで支持している人の行動でもわかる。
2010年に出版された"乳がん 後悔しない治療──よりよく生きるための選択 渡辺容子著"という本がある。この本はかなり以前から近藤誠氏の支持者が書いている本であるが、結局マスタードガス療法も受けているし、近藤誠氏のススメから放射線も受けている。乳がんで化学療法といえば、たいてい一発目はマスタードガスである。
放射線治療をされたことはマスタードガスを打たれたのと同じだ。結局、ダブル発ガン因子を植え付けられているのである。近藤誠の本を読み込んでいるにも関わらずだ。私はこの本を読んで、放射線治療を勧める近藤誠のやり方を見て絶望的な気分になった。
彼の理論はその程度なのである。本当にハッキリ書いてやれば自分の専門である放射線はともかく、マスタードガス療法を受けるはずがないではないか。
その本質は限られたパイである客のひっぱりあいをしているだけだ。近藤誠氏の本を読んで抗ガン剤や手術のワナから逃れた獲物は次は放射線のワナにひっかかって殺されるだけだ。
近藤誠氏はいまだに代替療法にはデータが無いから信用できないというようなことを言っている。近藤誠氏の気づきは、まだその程度なのである。これも彼が根本的に現代医学の何が間違っているのか、まだまだ本質には気付いていないからである。真実と虚構のはざまから抜けきれないのである。
近藤誠氏のようには世間では取りあげられていないが、私が尊敬に値する医者だと紹介している小澤博樹医師は、このベージで書いたようにもっと根底のペテンから指摘されている。

代替療法には、ほとんどデータが無い理由


●代替療法の話題になると「データを出せ」と連呼する現代医学信者たち


現代医学の医者は「代替療法にはデータが無いから信用するな」と言ってくる。近藤誠氏もこの点では現代医学の医者の主張と同じだ。
そもそもこのレベルにとどまっている限り、枝葉末節的な議論しかできないのである。根本的な本質がわかっていないからだ。データは無効だと言うことまで気がつかなければ本物ではない。
さらに私は、その代替療法や断食療法のデータを出すことは出来ないというから彼らからすれば馬鹿にした存在だろう。
たとえば、船瀬さんの本や講演のことで、掲示板やコミュニティなどでよくある現代医学信者の言い分や反論はこうだ。

「まず、何々さんに言いたいことは、その治療法で治るデータやエビデンスを提示してくださいと言うことです。
「どこどこの何々という有名人は代替医療で直りました、うちの知り合いの何々はこれで治りました」
「医療関係者は現代医療なんか受けません」、「現代医療は悪です­」・・・
こういった話は嫌というほど語られるんですが
肝心の「データ」、「エビデンス」を全然語ってくれません。
私たち患者側が欲しいのは「データ」です。「エビデンス」なんです。
どの国の、どこのどういうがん患者の何例に投与されて、何名の­何%にどのくらいの治癒・寛解が見られたのか?
何例が治癒・寛解しなかったのか、治癒・寛解した人たちの生存率­、再発率はどのくらいなのか。
私たちはどれぐらいの実績があるのか知りたいのです。
代替療法は、そこがあいまいです。だからこそ、きちんとしたデータがほしい。
データもなく、「信じろ、信じろ」だけでは、情報リテラシーすら­ままなりません。」

言い方はいろいろあるが、こういう現代医学信者の滑稽な反論はインターネットの掲示板やコミュニティなどにたくさんある。
こういうデータ至上主義の人間は、形式主義者である。そもそも、現代医学がどういう判定で成績データを作っているのかわかっていないのである。カタチでしかものを判断できないから簡単なことがどうしてもわからないのである。

●言ってくれている人がいる場合は騙されるほうも悪い


こういう人間の誤謬は、そもそも現代医学が治療成績データというものをちゃんと作れていると思い込んでいる前提である。人間の生態反応を正確にデータ化できると思っていること自体が根本的に間違いなのだ。
私は根本的に代替療法をデータで説得しようとは思っていない。中にはデータらしきものを使って、それを補助的に使うことはあるだろうが、それはあくまでも補助的な参考文献程度のものにすぎない。

私だったらこういう要求をしてくるトンチンカンな人間には、こう言うだろう。
「あなたのような人に信じて頂く必要はまったくございません。怪しい人間だと思われるなら、それでけっこうです。どうぞ、現代医学のお医者さんに頼って、指示されるとおりの標準治療を受けてください」と。

要するに、こういう人間は判断を数値化で比較しようとしているから、まったく人体の本質がわかっていないわけである。本質のわからない人間には、そもそも助かってもらいたいとも思わない。
医猟犯罪に騙された人が悪いとは必ずしも言えないが、船瀬さんが20冊ほど医療の本で説明しているし、同様のことを言っている本は多数あるのに、こんなことをいまだに言っているような人間は自分で答えを見つけることが出来ないのである。そして人の作成したデータに依存しようとする。この心構えが根底からダメなのだ。
治療成績データを求める心理は、論理的思考で本質に気付くという過程がめんどくさいから論理的思考、論理的理解を省いて、データ、データと物事を単純化して、本質ではなく、形式で比較しようとするわけである。そのバカさ加減に現代医学のインチキがつけこんでくるわけである。
こういう人間が船瀬さんの動画を見た後にひっかかって殺されたとしたら、騙される方も悪いのである。バカを作る狂育を受けているからどうしようもないところまで、虚構のワナにはまりこんでいるのだ。
データが無いから信用できないという批判は多いが、本当に病気を治そうと思ったら世の中の何がダメなのか、何が良いのか、その本質的な精神から悟らなければならないのである。
データが無いから、信用できないと、その人が結局データを示している現代医学に行って屠殺剤を打たれたのだとしたら、その人の人生観の集大成が招いた災いと言える。

●データ化したがる心理の本質は形式にこだわる心理


代替療法でも、ある程度のデータを作ることは不可能ではないだろうが、それは厳密に正確なものではない。ガン医療のように膨大なノイズが生じている中で、
「この結果になったのは何々のおかげである」という単一の要因に絞り込む解釈の仕方は結局、現代医学の臨床試験の作成法と同じく、主観によるカウントにならざるをえない。その結果が出たと言うことは膨大な要因が複雑に絡み合っているのである。現代医学はそうしたことを自分たちの都合の良い判定に単一化する。ノイズを主観で無視するのだ。
その主観というのはマスタードガスが人を救っていることにカタチだけはなっているように、どうにでも解釈できてしまうことを主観で解釈しながらカウントしていく作業だからである。
このデタラメさ、不確定さの本質に気付いたら、良心的な医者は、あえて代替療法をデータ化しようとは思わないはずである。
現代医学はたしかにデータは作っているが、その本質はメチャクチャである。WHO指定現代医学の医者や薬剤師は発ガン物質であるマスタードガスでもガンが治るというデータがあるという。データという数値があるだけで、論理的矛盾はメチャクチャなのである。現代医学の医者は
「数値があるから、これでいいのだ」ということだ。現代狂育、現代医学の誤りは、ものごとを単純化して、本質ではなく、形式化しているわけである。
これは人体の本質を見ずに治療する彼らの欠点だ。猟奇的医猟の殺人ロボット、バカを作る狂育の原点である。無機質に感情を殺して、指令通りに動く、定義づけられたように判断させる軍隊狂育と同じだ。そこには心がない。
だから、成績をマルとバツという答えを単純化し、マークシートで成績をつけて人を選択していくわけだ。もちろんその本質はどんなバカげたことでも盲従できるかどうかの知能のレベルを確認するためだ。
つまり、学校教育とはバカを作るための教育であり、医学部教育とは、そのバカさ加減を確認するための試験なのである。こうしてバカさ加減確認テストを優秀な成績で卒業したために、どおりで発癌物質をがん医療に使うならという荒唐無稽なことを現場で疑問に感じることも無くやっていけるわけだ。
こうして選ばれたのが究極の低知能である平岩正樹や日野原重明のような犯罪者達だ。バカな人間ほど、患者を悪化させて次の治療ができ、利益を出すから出世するのである。その本質は何もわかっていないのに、わかったような気分だけは誇大している裸の王様である。

●現代医療では「病気は治ったが患者はすぐに死んだ」が多い理由


本当の真の医学とは、主観で作ったデータを作るより、本質的、論理的に根拠を示していく方がよほど親切だ。
だから治癒率などがしっかりとデータ化されているのは、本質的に考えてみるとおかしいのである。
人間の身体の反応は数字の0と1のようにハッキリと区別できるものではない。きわめてアナクロ的なものである。
しかし、現代医学ではそれを単純にデジタル化して0と1のように分けたがる。それがそもそも根本的に犯している誤謬である。
人間の身体は白と黒のようなハッキリとした境界線があるわけでもない。つまり、グレー地帯が広いから、それをどうカウントするかは判定する人の主観になってしまう。早期発見、早期治療などといっているが、ガンという判定にしてもそうである。これが悪性、良性という明確な境界線はないから、判定する人の主観に過ぎない。
これはトランプマジックのフォーシングでは定義づけ次第で何でも正解に出来るのと同じだ。気分で決めているだけである。気分で作ったデータが判定になり、治療成績になっているのである。
そもそも治癒という前提自体があいまいである。現代医学の医者が考えているように、ガンが縮小、または消えさえすれば良いとか、ガンは変化せず、もしくは大きくなっても本人さえ、普通に元気に生活して、通常通りの人生がまっとうできれば良いという考え方では判定基準がまったく違う。後者の場合は縮小率や寛解などの成績はまったく意識していない。そのようなことを気にしない方が残りの人生を心地よく生きられるものだ。
縮小率にこだわって猛毒を追加投与していく現代医学のほうが狂っているのである。しかし、これが成績の定義になっているから患者は悲劇である。その凄まじい地獄はビデオのとおりだ。
このように治療成績というものじたいの概念、定義じたいがきわめて曖昧である。個々が勝手に決めているだけのことだ。
それはつまるところ、現代医学という産業が定義づけた主観に過ぎない。本質的には後者の定義のほうがよっぽどいいはずだ。
つまり、現代医学の成績の定義からすると、本当に多くの人を救っている代替療法は全然ダメなのである。現代医学は治療成績が良くても奇怪な悶絶死が多発しているのだ。この矛盾がわかるだろうか?


●おたまじゃくしとカエルの数はどう数える?


生命の変化というのは、単純にカウントとして、データにすること等できないということの例を挙げてみよう。
例えば、これは多くの人が見たことあるようにオタマジャクシがカエルになっていく過程の写真である。
私はこれを見せて、医療データを根拠に現代医学の正しさを主張する医者に、こう訊いてみたい。
「あなたのいうデータは不正確なものであることを説明しましょう。(カエルの変化の写真を見せながら)たとえば、この写真はどこからどこまでがオタマジャクシで、どこからどこまでがカエルといえますか?あなたならどう数えるのでしょうのか?
このようないろいろなパターンのカエルの状態の写真が沢山散らばっていた場合、オタマジャクシの数を数えてください。カエルの数になった状態の数を数えてください」と複数の医者に写真を渡して質問したとする。
ここからが重要なポイントなのである。
これを見た人はどこからどこまでをオタマジャクシとして数えるのか?どこからどこまでの状態をカエルになった状態と考えるのか?ということである。
おそらく写真を渡された医者たちは、それぞれ人によってカエルの数とオタマジャクシの数が違った基準で考えることになるはずである。
ここであることに気がつくはずだ。
鋭い人なら何を言わんとしているかということに気が付くはずである。自分たちが絶対視して信じていたデータというのは、考える人間の主観によって、数値がコロコロと変わってくるあいまいなものであるということだ。なぜなら生命は0と1のように急に変化しているハッキリとしたものではないからである。
その算定基準が明確に決まったことではなく、極めて曖昧なものを自分たちの主観によってカウントしたり省いたりしているだけなのだ。
つまり、いろんな医者が数えても、オタマジャクシの数とカエルの数は人それぞれ違ってくるということだ。なぜなら、オタマジャクシとカエルの明確な境界線の定義が決まっていないからだ。
これは一つの事例としてカエルの変化というものを話題に取り上げたが、実は生命現象というのは、多くのことにこれと同じことがあてはまる。病気の変化や症状や結果というものもこれと全く同じことがいえるのである。

●どの状態をどうカウントするかは製薬会社や医者の自由


ガン細胞と正常細胞の判定も同じである。ここからはガン細胞、これは正常細胞という明確な境界線が決まっているわけでは無く、どちらとも判定できるグレーゾーンが広い。
生命の変化というのは、どちらとも言えない曖昧なグレーゾーンの状態が広くて判定する基準が曖昧になっているということである。
なぜなら、生命現象というのははっきりしてをした境界線があるわけではないからである。
医者はそれを白か黒か0か1かのようにハッキリと決めてカウントしたり省いたりできるような気分になっている。誰が数えても同じカウントになるようになっているような気になっているが生命とはそんな単純なものではない。
私が医療の結果はデータにできないという本質はそこである。
ここで、カエルの数を多く考えたい前提があれば、わずかに足が出た状態のオタマジャクシもカエルとしてカウントすることは可能であるし、オタマジャクシの数を多くカウントしたい前提であれば、しっぽがわずかに残っている状態のものは、オタマジャクシと数えることもできるはずである。
ここで重要なのは生命というのはいきなり、オタマジャクシがカエルに化けるといったマンガのような世界ではないということだ。その中間体が広いわけである。
カウントする人の主観によってデータの結果が変わってくる等という曖昧なデータを絶対的な比較の基準にしてもいいのだろうか?
つまり、医療データ、治療成績のカウント基準というのは判定する医者や製薬会社の主観や希望で判定してカウントしながらデータを作成しているにすぎないのであって、正確な定義がないがゆえにどこまでも都合の良いことを拡大解釈し、悪いことは過小カウントできるということに気がつかなければならない。
またこれは、曖昧な定義という意味においては、ねつ造とも言えないという言い訳ができることである。
サイコロを振って出た数字をカウントする場合、一と二の結果は完全に違う結果であるから、出た数字の統計回数を変更することは、製薬会社も医者も良心がとがめるるだろう。
しかし、一とも二ともとれる曖昧な結果を自分の判断で数えたい場合には、その結果をどちらに取り入れるかは自由になり、本人たちもねつ造したということには気がつかないし、ねつ造であると追及することは難しい。
つまり、私は医療データは捏造されているということはこういう広い意味も含めて自分たちに都合のいいようにカウントされて、統計として作られているということを指摘しているわけである。

●グレーゾーンの判定基準のあいまいさにどこまでもつけ込んでいる


判定の規準は何で決めているかというと自分たちの主観や気分で決めているのである。これを読んだ人は呆れてひっくりがえるだろう。よく考えてみたらそのカウントの仕方はおかしいということに気が付くはずである。
生命現象ではどちらとも解釈できるグレーゾーンは広いからどうカウントするのも自由なのだ。定義が無いと言うことはどうカウントしても罪にならない。なぜなら、それは数値を書き換える捏造とは違うからである。
「マスタードガスのおかげで、この人たちは長生きした。オレの抗ガン剤治療成績は天才だ!」と悪魔に操られた平岩正樹のような究極のクルクルパーのようにカウントすることも医療の世界ではまったく自由である。
これはこのような判定しなければならないという定義がないのであるから、それを違うと追求することも、よほど論理的に様々な状況証拠提示できる人でなければ難しい。
生命というのは0と1、白と黒のようなはっきりとした境界線は無く、その境には非常に広いグレーゾーンがある。
それをどちらに取り込むかはまったくの自由だ。そして製薬会社や利益の出るように数える研究者や医者でなければ出世するはずもない。
なぜなら、医療産業も利益を出す能力で評価を問われる世界だから駄目な医猟従事者ほど出世する。その基準が利益になっているからだ。
こう数えなければいけないとか、これが捏造というのは定義がないのだから犯罪を証明しようがない。
そのあいまいな定義付けに、地球最強発ガン物質が抗ガン剤とし称して世界最多使用になっているようにやりたい放題のことがまかりとおるわけである。それでもグレーゾーンをどうカウントするかは自由だから、何をどうカウントしたかは捏造ではないのである。マスタードガスで1万人以上殺した日野原が「私は毒ガス兵器で人を救ってきた」と反論されれば、それは救ったのか殺したのかを判定するのは難しい。

「これはカウントしよう」
「これは、認めたくないからカウントしないでおこう」ということはどこまで自由な裁量で解釈は可能である。マスタードガスだけで殺しているわけでもない。
もちろん、あまり極端なカウントをしてはダメだということは彼らもわかっている。あまり不自然な結果だと、いくらバカな大衆とは言え、おかしいと勘付かれるからだ。
医療データ、治療成績の実態は単に不自然にならない、人が思わずナットクするような、この結果ならちやんと数えただろうと思える程度に調整して作って発表しているに過ぎない。
カウント方法の定義が曖昧なものを監督、監視するということは難しい。それを捏造データとは言えないということである。なぜならその定義が決まっていることではなく、白と黒の結果を水増しカウントしてるのではないからだ。無罪を主張できる。
だからこそ、彼らはいくら人を惨殺して暴利を貪っても罪に問われることはないのだ。声明のグレーゾーンこそが彼らの利益を生み出すドル箱であるからだ。

●「現代医学にはきちんとした科学的根拠がある」の呆れた実態


これが彼らのいう「現代医学にはきちんとした科学的根拠に基づくデータがあります。代替療法にはありません。」という彼らの守り駒である。キチンとしたデータの本当の実態なのである。これが果たしてキチンとしたデータなのかと言うことは議論するべき所だ。
これで彼らの守り駒は、ほぼ完全に剥がしとられたのだ。私はデータで対抗しようなどと思っていない。現代医学のインチキのトリックは極めて単純なことである。
この論理的な矛盾に彼らはどう反論するかである。
私もデータらしきものは沢山出しているが、それはあくまでも根拠としての副次的な証拠資料に過ぎない。
例えば、私が書いている現代人の2人に1人が殺されているとか、年間60万人が現代医療に殺されているというのもはっきりとした定義づけで統計データがあるわけではない。
要するにその本質は60万人であろうが80万人であろうが20万人であろうが問題の深刻さという本質は同じことである。
生命の現象をカンタンにデータ化できるほど生命現象は単純なものではないということに気がつかなければならない。
現代医学は、その根底から大きな誤謬を犯しているのだ。
つまり、現代医学は1ページ目の1行目の1文字目の根底のモノの見方、考え方から完璧に間違っているから、現代医学は大衆が賢くなって、このバカげた実態に気がつくと、その根底から崩壊するのである。
現代医学の医者というのは、全く何もわかっていないにもかかわらず、わかったような気分だけが誇大化して自信満々に殺せるバカを作る狂育を受けた裸の王様たちなのである。

●データが無い医者のほうが信用できる


だから正解はデータのない医者ほど信用できると言うことだ。それはなぜか?
現代医学では滑稽なことに、抗ガン剤や放射線でガンが消えた、あるいはガンはごっそりとったのに患者は猛烈な苦しみで死んだという話があまりにも多いからである。
ある部分のデータにこだわると、バンバン、バンバン苦しい治療を受けさせると言うことになりかねない。それでも定義次第では成績がいいことになる。
現代医療では「病気は治ったが患者はすぐに死んだ」ということが多いのに、成績はいいということになっているのである。
データを出せというようなバカな患者は、生命の本質がどうしてもわからないから、いつまでも間違った考えから抜け出せないのである。
殺される人間が必ずしも悪いは言えないが、こういう人間が殺されるのは殺されるほうも悪いのである。私だったらこんな人間ほっといたらいいのではないかと思う。こんな愚かな人間を説得するぐらいなら、他の人を助ける時間に充てるべきではないか。

良心的な医師である小澤博樹医師はこれらの反論にハッキリと言う。要点はこうだ。

「同じ人間の身体をコピーして、まったくクローンを作り、その両方に別の治療法を試して同じ状態から試した結果を測定するというようなことができない限り、治癒効果の程度をデータ化することなど不可能である。
もちろんこうしたSF映画のようなコピークローンを複製して同時に試すというようなことを現実の医療で行うことは不可能だ。
別の人間でやるとしたら、そもそも比較する人間と別の人間は前提がまったく違うのであるから比較になっていない。
現代医学のやっていることは別の人間を比較対象に配置し、その比較対象者に起きたことを無治療だった場合の余命として仮定規準を作り出しているに過ぎない。こんな方法で正確な結果を測定などできるはずもない。

これこそが現代医学の犯している誤謬なのである。つまり、何をしたからどうなるというようなことを統計化することは出来ない。なぜなら、その結果には膨大な要因が複雑に絡んでいるのであり、比較対象にしている人間も全然違う人間だからである。だから本当は成績のデータというのは無効であり、作りようがない。」


●複雑な要因を無視して、単純化して作られた医療データ


この考え方があるからまともな医者にはデータが無い。データのない医者のほうが信頼できる。きっちり成績を出してきたら、それは自分たちで比較規準をつくり、主観でカウントしたものに過ぎない。それは人間のように複雑な生命現象判定するには、向かない考え方であり、意図的にデータを作ることは人をだますことになることに気付いているからである。
そんなことにも気付いていないこと自体が人体や生命現象というものをまったく何もわかっていないからである。
まだ素人のほうが理解力があるはずだ。現代医学の医者は私の言っている意味がわからないであろう。これで反論してきたら晒し者である。
バカを作る狂育を受けて、どうしようもないところまで墜ちているからだ。現代医学の医者は人間の中でも最も知能が低い。だからブードゥー教の黒魔術まがいの猟奇的儀式に明け暮れているのだ。治癒という意味すらもわからないのである。

●数値だけをよくすることはカンタンである


基本は同じ状態の人体から同時に別の治療法の測定をすることは出来ないということに気がつくことである。
これこそが医療統計における不確定性原理である。キチンとしたデータが揃っていたら、それのほうがおかしいのである。
生命の猟奇的現象はそんな単純にカウントできるものではない。
それは主観でカウントしたモノと判断して間違いない。当然その定義は主観による定義付けとカウントである。人を騙すために医者や製薬会社はデータを作る。その本質は獲物をワナに誘う道具である。
例外的にまったく同じように、同じ家で生活している双子が同じ病気になり、同じ程度の進行や病巣の位置であれば、ある程度クローンに近い比較は出来るだろう。
そんな偶然はめったにない上に、人体実験のような比較は、ほとんどの場合は都合良く出来ないから実際に測定することはほとんど無理である。双子とはいえ、毎日同じような生活をしていること自体が滅多にないからだ。
生存率など、いくらでもよくすることは可能だ。そもそも、具合の悪い人間は最初から分母に入れなければいいだけだ。最初の分母の受け入れる患者という選定をうまくやればよい。
生存率というのは、その病院で死なせなければ良いだけのことである。死にそうな人間には「もう出て行ってください」と途中で追い出すか、転院させればいいだけのことだ。もちろん他にもいろいろある。
そうすれば死んだ人間は激減するから良い成績だけが採取できる。手術の術死率を下げるには、脅して不必要な浅い手術に持ち込んで繰り返せば良い。
なぜなら、術死率成績とは件数という分母と死亡した件数という分子の比率に過ぎないからである。
無駄で浅い手術をすればするほど術死率はゼロに近くなる。どんな下手くそな素人外科医が不要な乳ガンの手術を多数こなしても乳房を斬ったくらいでは人は死なないから、成績数値だけで言えば名医である。
これは本質的な成績とは何の関係もないのに、数値の成績だけならいくらでもよくできるからである。
このことから、医療の世界では本当の治癒効果を治療成績データにすることは出来ないということがわかるはずである。

●不要な手術をするほど名医になるカラクリ


再発率成績だったら、あやしいものは片っ端から斬れば良い。ガンでないもの、悪性でない患者を斬れば斬るほど、もともとガン体質ではなかったのだから再発率は低い。
悪性のガンだからすぐに手術しなければ命に関わると誤診をすればするほど、
「あの先生は再発率は低い名医だ!」と門前市を賑わすというというシカケ。こんな狂った名医をマスコミは持ち上げるわけである。斬れば斬るほど他の治療と称して薬剤も使える収奪、点数が稼げるから稼ぐ医者になる。それをマスコミも持ち上げる。
日野原のように、獲物が飛び込んできたらいの一番に毒ガスを投与し、獲物を悪化させて、寄り添い、殺せば殺すほど病魔に寄り添い、患者を励ましてきた医者に見えるから尊敬される。こんな虚構の犯罪者が医猟界には多い。
現代医学は人が本質に気付いていないことをいいことに無知につけ込んで、メチャクチャなことをやっているわけである。本質に気付いた人間から見たら滑稽な世界である。
つまり、成績が良すぎるとしたら騙して斬りまくっている詐欺である可能性がたかいのだ。そして、さらに良い数値を作ろうとする。誰一人救っていない殺人犯が数値だけは多くの人を救ったことになるカラクリだ。
そのような前提操作は成績の数値では全然わからないのである。治癒効果をデータ化することは出来ない。
なぜなら、その治療をしていなければどうなっていたかという前提自体が医者の主観を比較対象しているだけだからだ。
医者がこの治療をしていなければ、あなたは悪化して死んでいましたよというのは、その医者がそう思い込んでるだけに過ぎない可能性がたかいのである。
つまり、何もしなければ悪くなると思い込んでいる医者から、患者は相対比較として、そのような思い込みを前提に植え付けられているから、悪くならなかった、少し良くなったという結果に対して、その医者に救われたような気分になっているだけなのだ。
この本質に気付けば、本当は規準がわからないから、あなたの結果は治癒成績データになりませんというのが厳密に言えば正解である。そこまで気付いている医者であればデータ化しないはずである。論理的なことのほうが説得力がある。
患者は成績データを重視すればするほど、こんな魔物の仕掛けたワナにひっかかりやすくなるという簡単なことがどうしてもわからない。
普通の人が最初からそこまで医猟の本質に気がついていないのは仕方が無いとしても、あれだけ、本質をわかりやすく説明されている船瀬さんの本を読んだり、講演を聴いてもわからないとしたらどうしようもない。

つまり、データだけを良くするだけだったら、いくらでも前提操作が可能なのである。それは優秀さとはまったく無関係である。
医療のデータというのは、本質的な優秀さとは無関係であるから判断してもしょうがない。こうした医猟データの本質が見抜けない人間がチンケなワナにひっかかるのである。
つまり、数値で物事の善し悪しをカタチで判断しようとする限り、騙され続ける人生から抜けだすことは出来ないのである。

●本質に気付けないバカを作る狂育


こういう搾取されても気付かないバカを作るために義務狂育は行われているのだ。騙され続けても認識できないアホな働き蜂を作るためだ。こうした狂育ビジネスの実態は ”バカをつくる学校”という本に書かれている。この本は学校に行かせない親が続出したほどの狂育ビジネスの実態を暴露した本だ。日本でも翻訳された。
バカを作る学校とは、たいていの人は、まさか根底から義務教育を否定しているとは思わないから、結果的に、今の学校教育のカリキュラムは、やり方が時代遅れになり、馬鹿を作ってしまう、時代遅れなカリキュラムになっているという指摘で、現在のシステムの欠点の改善案のことと思うだろう。バカを作るという過激なタイトルは出版社の誇張だろうと思うかもしれないが、そういう意味ではまったくない。
学校教育そのものが最初から意図的にバカをつくり、知能の発達を止めるための目的で行われているという意味である。北朝鮮の中央統制のために行われている国家狂育と同じでく、自分で考えないバカ、指令通りに動くバカをつくるためである。
こういう時代遅れな部分を改善した方が良いというような改善案などではなく、義務教育など最初から入学させるべきではないという意味だ。
「学校など今すぐ辞めよう。義務教育など廃止しよう」という意味である。この本に多くの子供が忌まわしい牢獄から解放されることとなった。
この本はミクシィやアマゾンのレビューやブログでも、かなり紹介されて評判は非常に良い。本質を鋭く突いたから否定できないのである。
学歴が高いほど知能が低いバカな人間であると言うことに多くの人が気付き始めたのだ。バカを作る狂育であるから、学校に行けば行くほどバカになる。
他にも"子どもが学校に行かなくなったら赤飯をたきなさい!"などの本がある。主張は同様だ。義務教育の本質とは現代の徴兵制度であり、奴隷制度である。

●現代狂育の最高傑作は医者と役人


バカを作る狂育の惨劇は、この医猟産業の凄まじい犯罪で証明されたはずだ。狂育された人間ほど滑稽なる生物はいない。狂育された人間は人間という言葉すらあてはまらないシロモノになる。その本質は大日本帝国時代の軍隊で作られた殺人兵器と同じ。それが言い過ぎなら悪魔の指令通りに踊るバイオロボットである。
こうした狂育を受けた人間が非常にタチが悪いのは自分の狂ったカルト信仰を人に押し付けてくることである。だからいつまでも悲劇の連鎖は終わらない。その良い例がブードゥー教の黒魔術まがいの猟奇的な儀式にあけくれている現代医学の病院である。
カタチでものを判断する限り、必ずババを掴まされ続ける人生は続く。最後は屠殺解体代に2000万円も盗られて、あの世に行くわけだ。
学校狂育で騙されて、1000万円も搾取され、医猟に騙されて2000万円である。本質がわからない人間は、いつまで経っても本質がわからないから悟れないのである。その滑稽なる人生の集大成の結末が屠殺場で殺されるわけである。
数値化されたモノとは形式に過ぎない。数値の成績だけをよくすることなど、いともカンタンにできるのである。カタチだけ見て本質を見ないから、チンケな詐欺にひっかかる。誰も指摘してくれないから自分で気付くしかない。
さきのようなデータ、データという人間が仕掛けられたワナにひっかかって殺されるとしたらニセデータで騙す方も悪いが、騙された本人も悪い。船瀬さんの動画を見ても悟れないくらいだから重症である。
私が医者だったら「本質がわからない人は来て頂かなくてけっこうです」と言うだろう。

●本質がわからないから数値化という形式に頼ろうとする


データを出せない、データは無いと言えば、
医者は「それ見たことか。データも提示できないヤツが何を言うてんねん」と言うだろう。これが本質を見ず、示されたカタチだけでものを判断するバカを作る狂育の結末だ。
私は代替療法には、そのようなカウントは不可能であるという意味で代替療法にはデータが無くて当たり前のことであると論理的に言っているのだ。
起きた結果には膨大な要因が絡んでくることを一律に大勢の人をまとめて、単一の要因と絞り込んで比較するデータを作成するなどということは不可能である。
たとえば断食療法をした人が、その後どれだけ生きられたか、あるいはガンが縮小したのかというのも、そもそもその人たちが現代医学の累積後遺症を抱えている人ならうまくいかない。なぜなら、その人の余命の要因は膨大な因果関係が絡んでいるからである。
それを断食の効果で20年生きました」とそんな単純なものではないのである。これは言われてみれば当たり前のことであることに気がつくはずだ。
さらに、他にもデータになど出来ない理由は多数ある。そもそも代替療法のようなものは個々の判断で各自が個々の判断でいろいろ組み合わせてやるものだから、同じ条件の人間を一律に集めて、一利に指示して、それ以外はやらないように念書を書かせたり、監視して比較すること自体がほとんど不可能である。それをどうやってデータにするのだろうか?ちょっと考えたらわかるような簡単なことすらも築けないのが元大学の信者なのである。カルトはやはりカルトである。それだけの知能しか持っていないのだ。
これは一人の結果だったら、最初に厳密に現代医学の検査方法だけは利用して、その後も検査結果を取り寄せることで、ある程度は可能である。
しかし、彼らは言うだろう。「自分のお母さんが治ったとか、一人の人間でそうなったことは科学的根拠にはならない」と。
つまり、彼らは偽装した科学的根拠という数値を自分たちの正当性を立証する守り駒にしているから、ハナから現代医学が認めない代替療法を馬鹿にしているわけである。そもそも最初から彼らには人を救う気などないからだ。彼らにとっては悪化させる治療以外が普及したらオマンマの食い上げになるからである。

●膨大な要因で起きる人間の生理現象をデータ化できると思っていることが間違い


ましてや集まってくる人間、そして比較する人間の累積後遺症や普段の生活など、すべてがまったく違う状況に置かれた人間なのだ。それを一律に分けて、データ化することができるというほうがおかしいのである。データがあればそれはインチキである。なぜなら、データ化できるはずのないことをデータにしているからである。
医療の結果というのは観客が見ているプロ野球の何打数何安打というような成績のように単純ではない。
現代医学の標準治療と称した科学的根拠の悪質さは、結果に対する解釈というあいまいさにつけ込んで、自分たちに都合のいいことを誇大解釈して、自分たちの治療薬の有効性を示す数字を持ち上げ、都合の悪いノイズ、たとえば、もともと重篤な累積後遺症があることなどは一切無視して、それは結果とは関係ないこととする。
累積後遺症が重大なノイズとなって作用していることを取りあげたら彼らのやっているガン医療の臨床試験はすべて根底からペテンであることを認めることになるからだ。
人の信頼につけこんで、やりたい放題のことをやっているのである。もし、累積後遺症や累積毒性があるから測定できないという前提を認めたら、すべての臨床試験は無効になる。
つまり、それは現代医学の根拠としていたものが一気に、一部を除いてほとんど全部パーになると言うことだ。この医猟犯罪が発覚すれば史上最大のゲームオーバーが待っているのだ。
さらに抗ガン剤やガン治療の臨床試験というのは、一般人に参加して持って臨床試験を行う治療薬よりも、さらに正確に測定が難しい。
なぜなら、抗ガン剤は劇薬や毒薬であるし、放射線も手術もガン患者ではない人間にやるのは、たいへん有害で重い後遺症がつきまとうから、なおさら、普通の人間を使った実験など出来ない。
そのためには、必然的にデータを採取するにはもっともふさわしくないノイズだらけのボロボロにされた患者を中心に人体実験が行われる。
かといって健康人を使って試すことは出来ない。だからこそ私はこれを臨床試験における不確定性原理といっているのである。こうした欠陥に気付いている医者はまだいいほうだ。もし気付いているとしたら、鶴見隆史医師のように、とっくに現代医学などやめているだろう。現代医学ではこのようなノイズはほとんど問題にされない。現代医学自体がバカな人間の狂った集団であるからだ。
要するに彼らのホンネは、
「ガン患者はどう殺してもすべての罪を病魔がかぶってくれるから、これだけ慎重に測定しましたというポーズだけやっていればいいじゃん」という、いい加減、デタラメな世界なのである。だからハーセプチンではハーツー分子とかなんとかもっともらしく言い、分子標的薬などと説明しているが、こんないい加減な測定をしている医猟がそんなものを作れるわけが無かろう。まったくのデタラメである。

ガン利権にたかる悪魔たちのホンネ


●効果の測定は累積後遺症、累積毒性のノイズでかき消される


私の推測ではあるが抗ガン剤はおそらく、医薬品の中でももっともデタラメなことがまかりとおっているやりたい放題の分野である。メチャクチャな暴利を貪り、どう殺したところで病魔が罪をかぶってくれるからだ。そのために最初の抗ガン剤は病魔演出薬としてマスタードガスが大活躍したのである。このイメージが定着すればシメタもの。
前提を考えてみれば、重篤な累積後遺症や累積毒性を抱えている人間ばかりで死亡時期の測定や反応を試すと言うことは累積後遺症という強烈なノイズが強すぎて判定しようがないのである。
普通のクスリであれば、一般の健康人を使うから、累積後遺症というノイズは比較的には少ないが、ガン医療の臨床試験には、この累積後遺症や過去に行われた薬物や手術や輸血や放射線の後遺症というノイズが強烈に強すぎて、同様の条件の人間を揃えることも出来ないから、まったく測定不可能になっているのである。
つまり、彼らはボロボロになった患者、正確には自分たちでボロボロにして収奪した患者を臨床試験に使うことついて、タテマエでは抗ガン剤は人道上、健康人では試せないから、悪化した人たちの協力で試すしか仕方が無いと言っているが、そのホンネは、
「累積毒性、累積後遺症により、死にかかったノイズだらけの人間なら、正確な測定など出来ないのだから、どんなデタラメでもまかりとおるからダイジョウブ」というところだろう。
他の人や遺族が違う方法で、その結果は違うということは証明も出来ないからである。彼らは一見善意でやっているように見せかけて、そのホンネは都合の良い隠れ蓑にしていたわけである。ボロボロにした患者であれば突然死んでも因果関係はあいまいになるから、抗ガン剤を作るほう、仕掛けるほうとしては安心だ。この心理が指定発ガン物質のマスタードガスをいつまでも使うというズサンさを招いているわけである。
ノイズが多ければ、いくら発ガンさせようが毒殺しようが何が原因でどうなったのかは、激しいノイズにかき消されてわからないし、疑ったところで再現しようもない。
最後の末期癌が猛烈に全身に転移するという現象は、抗ガン剤や放射線という猛烈な発ガン物質投与の集大成が免疫が落ちた患者に降りかかるためで、現代医学が強調するガンの細胞分裂伝説とは何の関係もない可能性がたかいのである。それは罪をかぶらせて堂々と逃げ切るために演出で作り出した身代わりである。
彼らが再発の化学療法と称して発ガン物質で演出することで、次の獲物を獲得するための演出だったのである。どうせすべての罪は病魔がかぶってくれるからダイジョウブ。安心して殺人ゲームが満喫できる。
よく考えてみたら、そんなノイズの温床から作成された臨床試験データは全部無効と言うことだ。

●人間の凄まじい悪魔性には果てがない


なぜなら、比較するクスリや治療の作用で、どうなるか以前に、すでに累積後遺症や累積毒性や感染症などによる爆弾を抱えているからである。
これらをいっさい存在しないことにして無視して、判定しないと有効性を作ることは不可能だ。別の項目で取りあげるがハンス・リューシュが本に書いてきた動物実験のデータも本質は同じである。
臨床試験は比較する群もスタート時点では同じ状態の人間であると強引に解釈している最初の1ページ目の1行目の1文字目から頓挫している。
そもそも健康で同様の健康状態の数値が出た双子のような人間では実験できないから臨床試験や測定自体が不可能である。彼らは最初からそれに気付いているだろう。
臨床試験とは単に大衆を騙すため、人を救いたいという誠意やポーズをアピールするのデモンストレーションに過ぎなかったのである。地球最強の発ガン物質のマスタードガスを採用した歴史からもわかるように、最初から人を救う気などサラサラないのだから当然だ。
そんなデタラメな猛毒発ガン物質を0.1グラム10万円で売りつけているわけである。
実際には、打たれた当事者はマスタードガスにより、他人と比較する相対余命ではなく、絶対余命としては短縮されたであろう。それは比較する方法がない臨床試験の不確定性原理に隠れて、彼らは延命できたことに偽装しているのである。
そもそも、もともと死にかかったような患者を使って、累積毒性や累積後遺症という死因に深く絡んでくる要因がまったくといっていいほど無視されて判定されていることじたいが信じられないほどズサンの極みであることに気がつくはずだ。
これが現代医学の科学的根拠なるものの滑稽なる実態である。どおりで発ガン物質が承認され、標準治療ガイドラインになっているわけだ。こんなバカな結果を真に受けている医者がゴロゴロいるのだ。バカを作る狂育の最高傑作である。

●肉食をすると不幸になりやすい理由


こうして現代医学の悪魔の正体に気がついてみたら、人間が牛や豚にやっている残忍さ、悪魔性とまったく同じである。対象によってコロコロ、コロコロ扱いの態度が変わると思っていること自体アホである。
家畜奴隷牧場で飼育され、殺される価値!の苦しみを考えず、お肉をホクホクと、ほおばっているようなヤツがチンケなワナにひっかかるのである。
そのような無慈悲な人間にハッピーエンドなどありうるはずもない。私はこうした駄目な人生を生きてきた人間が最後には自分も同じように扱われて殺されるという因果の法則にハッキリと気がついたわけである。肉を食べれば食べるほど不幸になるのは当然だ。
これは薬物漬けの家畜の肉を食べると化学薬品の毒性が蓄積するなどの化学的な根拠としてもいえるし、肉を食べているようなレベルの低い精神性がワナを見抜けず、同じような魔物と導通、見抜けないから次から次へと罠にはまるという精神的要因の二つの視点から説明が付く。
私は肉も乳製品も卵も魚もそれらを原料にした調味料も食べないようにしている。スーパーデ売っているようなモノのほとんどがダメなのである。
余命一ヶ月の花嫁は異常なほど大の肉好きだったようだ。映画でも死ぬ数日前にもステーキハウスに行ったり、「お肉が大好きな千恵さんのために…」というナレーションか゛入ったり、映画でも父親が、
「(ガンで死んだ)千恵の母さんは毎日肉料理だった」と言っていたり、余命一ヶ月の花嫁の本にはわざわざ神奈川から松阪牛を食べに行ったと書いてあったから、普段はほとんどボロボロにされて屠殺された乳牛の廃牛肉や海外の格安肉を食べていたのではないだろうか。毎日の肉料理の毒性蓄積で20代で早々に発癌し、現代医学に殺されたのだろう。
久和ひとみさんは新聞のインタビューで「好物は?」と訊かれて「お肉です」と答えていた。そうした生活が悲惨な結果を招いたのではないか。

●人は同じ精神性の人間を引き寄せて結果が出る


肉食と現代医学の殺戮収奪の精神性や本質は同じである。その精神状態はまったく同じだ。
こうした人間は弱い者の苦しみをまったく考えて生きていないから、類は友を呼ぶ法則で殺しても屁とも思わない医者の所に転がり込んでいくというシカケ。肉を食べれば食べるほど早々に不幸になる典型的な事例と言える。
結局、本質に気付いた人間の心眼から見ると彼女らの人生は自分が何にも考えずに欲望で食べて、同じような人間にしゃぶられて早々に殺されたわけである。彼女らが弱いモノがどれほど人間のせいで苦しめられているかということを考えていたら、あのような保険金殺人事件で殺されるという結末にはならなかったはずである。彼女は殺されることで自分の人生の間違いを多少は清算できたわけである。
この因果と結果の解釈は単なるこじつけだろうか?これは統計やデータによる説明では無いが論理的な説明である。
世の中、愛のある人は毒牙から助かるようになっているのである。そうでなければ不公平だ。本質的に美しく生きていないと自分がチンケな魔物のワナにひっかかって苦しまなければならないことになる。人生は悟れるまで、その繰り返しだろう。弱いモノが何も言えないことをいいことに調子に乗っていると自分も医猟でやられるということだ。
悪魔の畜産産業と悪魔の現代医学の精神的根幹もやっていることの本質は同じである。
肉を喰っている人間も
「法律で認められているからダイジョウブ」というわけで、なんにも考えずに安心してるわけであるが、心眼が開いてくると、これが全然ダイジョウブではなかったのだ。
法律で逮捕されることとはまったく違うところから災いはやってくる。逮捕されるくらいのほうがよっぽど軽いだろう。
人は現代文明に乗っかっている限り、思わぬところでトンデモナイ落とし穴があったことは最後まで気がつかない。医猟産業のやっていることで現代文明の本質がわかったはずである。脱現代文明こそが本質主義の普及である。

●物事の本質は数値化するものではない


医療統計の欺瞞性の話の中でどうして、こういう精神論を書いたかというと、話がそれていっているのではない。これがデータ化できない物事の本質だからである。
つまり、本質に気づくということはデータ化することとは違うということである。
肉を食べることは不幸な結果になりやすいのかということは決してデータ化できことではない。それは心で論理的に気づくことである。
この問題も現代医学の信者の思考回路で反論するとすれば、
「だったらお肉を食べている人が、そのうち、どれぐらいの人が不幸になったかというデータを出してみろよ」と言うだろう。この時点でカタチで物事を判定しようとする形式主義者の現代医学信仰の規準とは、まったくかみあっていないのである。
本質がわからないからこういう荒唐無稽な質問がでてくるわけだ。
現代医学の信者は物事を単純に考えようとするから、「ホラだせないじゃないか。何を根拠に言うてんねん」と言うだろう。
本質に気づいてる人から見たらこれこそトンチンカンな質問であり、滑稽なツッコミなのである。
当たり前のことであるが、そもそもどれだけの人がどれだけのお肉を食べているか等ということはいちいち誰も正確な統計などとっているはずもない。
不幸になるというのは、どの程度のことをどれぐらい不幸になったという境界線、判定基準があいまいである。曖昧なことをどうやって判定するのか。
例えば悪い人間と結婚して苦しむというのも不幸であるし、道でこけて、すりむいたことも不幸であるし、解釈によっては、オークションで買い損ねたことも不幸である。殺人療法のワナにかかって5年かけて保険金殺人で惨殺されることも不幸だ。
不幸の程度は千差万別である。
また肉食をしているという規準も曖昧だ。厳密に言えば、例えばカップラーメンにもわずかにお肉が含まれているわけであり、カップラーメンを1年に一回程度しか食べない人でもお肉を食べていることになるからだ。厳密な意味での肉食をしているという境界線はそうとう曖昧である。
この問題を、どのように統計にして何をどれだけカウントするかということは、極めて曖昧であり不可能である。
また、そのような調査をすること自体がほとんどできないという事に気がつかなければならない。
仮に理論的には簡単にできることであったとしても、このようなデータを作ることで、何らかのビジネスにならない限り誰もやる人はいない。
そのような前提を考えてみると、このような問題についてデータ化して議論すること、データで判断するということは全くもって本質はかけ離れたトンチンカンな発想である。
つまり、論理的になぜそういうことになるのかという本質に気づくということは、現代医学の信者のように数値化された成績や統計になるものではないということに気がつかなければならない。道理に気付くことはデータでは無いのである。

●形式主義が現代医学信仰の根幹


つまり、現代医学は形式主義者が陥る滑稽なる形式信仰の世界なのである。医者のやり方は数値で成績を考える。腫瘍マーカーがどうこうと、そこだけ見て抗ガン剤を連続投与する。その結果、現代医学の成績データでは治ってきているのに、患者は奇怪な悶絶死が多発する。
これが死の宗教である現代医学病院という殺戮モルモット工場の暗い実態だ。本質のわからないバカを作る狂育で屠殺解体作業を行わせるのが医学部狂育の本質であるからだ。成績をデータ化して結果を判断しようとする発想が根底から間違っているのである。
この医療の問題が見えてくると、出会った人の人間性もよく見えてくるのである。
「なぜ、この人はこんな荒唐無稽なものを何を根拠に熱心に信じているのか?」ということだ。たいてい現代医学信仰は学校狂育信仰とセットでついてくる。その本質は形式主義である。
現代医学のような凶悪な犯罪宗教を信じているということは、その人の心の中に根本的に間違った精神性や判断基準があり、本質がわかっていないからである。
現代医学の問題を持ち出すことによって、その人が何を根拠に、こういう荒唐無稽なブードゥー教の猟奇的な黒魔術儀式を信じているかということをそれとなく聞き出すことで、その人のモノの見方や価値基準や人間性が見えてくるのである。
自分の中に物事の本質を見抜く価値基準がしっかり根づいていれば、現代医学の医者のようなチンケな魔物にひっかかって不幸になるリスクがかなり減らせるはずだ。


●豚は太らせてから喰えと同じく、「患者は発ガンさせてから収奪せよ」


豚は太らせてから喰えということわざがある。
現代医学の利益の本質もまったく同じだ。現代医学でいうところの"豚を太らせる"とはワナにかかった獲物にマスタードガスや発病剤などで病魔を育てて暴利を得やすくしておく前処置のことである。いきなり最初から暴利治療を提示したら獲物に逃げられてオマンマの食い上げになるからだ。
肉食も現代医学の医者が殺して生活しているのも、狂った現代文明に産まれてきて、最初からある流れの中でやっている。そのなかで自分がもの言えぬ弱いモノを苦しめて殺戮しているという感覚が麻痺しているのである。自分が悪魔の檻に産まれてきた事に気がついていないのである。
なぜ駄目なのかに気付いて抜けだすには、自分で現代文明の本質に気がつくしかない。
現代文明の本質は情報化社会とは名ばかりで、その情報とはピンクリボン運動の本質がマスタードガス猟だったことで、わかるように屠殺解体場への追い込み猟である。
獲物が食いついてくるように撒き餌をしているのが情報産業なのだ。情報産業が人の苦しみなど考えているわけが無いではないか。情報産業の本質は撒き餌産業である。
いまだに虚構の世界に気付いていないクルクルパーの多いこと、多いこと。誰も病院の本質が屠殺解体場だとは教えてくれないのだ。
ピンクリボン運動は一番盛んであるが、私はその理由をこう推測する。これは乳ガンはマスタードガスの最多使用のガンであることを考えると辻褄が合う。
獲物を化学兵器剤で残酷に殺すほどナイチンゲール効果で人々は早期発見、早期治療に熱心になるのである。
乳ガン治療の化学療法治療ガイドラインを調べると最初の初期乳ガン治療の90%はマスタードガスを主剤にした療法である。化学兵器剤の残酷さがピンクリボン運動を支えているのだ。
化学兵器剤を使うから…というのは、多少こじつけてきな面はあるかもしれないが、マスタードガスを打たれてのたうち回る獲物の映像がピンクリボン運動を盛んにしている一面はあるはずだ。
そしてワナに誘い、再発乳癌になった頃に0.1グラム10万円とかの高額治療ガイドラインを行う。ウソだと思うなら乳ガン化学療法のガイドラインをインターネットで検索したら良い。これで仕掛けて追い込んでシャブリ尽くす治療ガイドラインの実態が見えた。
つまり、マスタードガスの残酷な病魔が心理的背景を暗くしてピンクリボン運動を盛り上げ、早期発見、早期治療を促して、ワナにかかった獲物にマスタードガスを打ち込んで、暴利の檻に追い込んでいるのだ。この毒ガス猟にもっとも成功した医師は日野原重明医師である。病魔に寄り添う姿というのは他でも無く、仕掛けている犯人も彼らなのである。現代人とはまことに哀れかつ滑稽なる宗教に導かれた奇妙奇天烈な家畜奴隷の世界である。私から見れば世の中滑稽なことだらけだ。
どれだけバカな人間になっているかを確認する難しい暗記試験、学校の入試に受かって胴上げをする。医者に頼ってお礼を言う。その本質は悪魔に踊らされているだけの虚構の人生なのだ。日野原が凶悪な悪魔というのは言い過ぎだとしたら、日野原の本質は悪魔の思い通りによく踊る人形である。
この暴利と崇高な演出効果に赤十字社などの悪魔達がつけこんでくるのは当然である。この演出されたマスタードガス猟の本質に気がつかなければ、次はあなたが殺される!

●統計学的偶発性も彼らにとっては科学的根拠になる


臨床試験の話に戻ると、比較群を配置してデータを作成するのは、あくまでも比較群との相対比較だから、回数を増やせば治療群のほうが長く生きした結果が出ることもあるという程度の結果に過ぎない。
これはサイコロを振ったら偶数か、奇数のどちらかが出るという程度の確率だ。もともと比較群にも重篤な後遺症や多重の累積毒性を抱えているのだから、何もしなくてもバタバタ死んでくれる。もちろん累積毒性があるのは投与群も同じである。
マスタードガス投与群、あるいはサリン治療群が比較群よりも平均で長く生きても、それは単に重篤な後遺症の関係から、たまたま比較群が平均でははやく死んだというだけにすぎない。
おそらく、実際にはたまたまではなく、さらに、意図的な捏造や前提操作も加わっているだろう。
仮にまったく何も操作しなくても臨床試験の前提からして、偶発的な確率からも、無治療群が先に死ぬ確率は約半分である。
シクロホスファミドやシスプラチンのような1960年年代に認可されたものであれば、悪い結果の公表義務はないから、使った方が早く死ぬという悪い結果が出たときの報告数はゼロでもおかしくない。つまり、上回った結果だけを取りあげて、さらに学会発表やマスコミを使って持ち上げればよいのだ。
そもそも行われた臨床試験全体の分母を同じように扱わないこと自体がすでに広い意味で捏造なのである。
これは言わない、出さない、なかったことにしておくという消極的な捏造の手口だから、数字を書き換えると言った積極的な捏造手口と違い、本人達もやっている自覚がなかったのかも知れない。こうして発ガン物質はインチキの臨床試験で世界一使われる抗ガン剤になったわけである。
それは野球で言えば三振や凡打の打席はなかったことにして、打率を高く見せかけるのと同じことだ。三振や凡打の打席はなかったことにすれば10割の超人天才バッターになるというシカケ。

●医療関係者も認める以前の臨床試験のデタラメ


たまたま配置でマスタードガスが良好な成績になったときのことを持ち上げて天才バッターならぬ、延命の特効薬のように宣伝したわけである。もちろんそれは患者に投与し、ガンを爆発させて稼ぎやすい土壌をつくるためだ。宇宙で一番レベルの低い魂である人間のやることだから、こんなことは、ごくごく当たり前のことである。
1960年代に作られた臨床試験データであればマスタードガスなどの猛烈発ガン物質でも治癒効果が出たことに出来るほど、いくらでも改善できたはずである。
その当時の臨床試験にはデタラメや改竄が多くてズサンだったことは多くの医者や臨床試験の本が認めているとおりだ。そしてその当時に確立した治療ガイドラインが今も何ら再検証されることなく、行われていることの疑惑について、多数の医者が気がついているのだろうが、既にまわり出している暴利の方程式に現場の医者もやめるに辞めれないのである。なぜなら、この方法で凄まじい利益が出ているからだ。
つまり、彼らが偽装した科学的根拠の正体はきわめて単純明快な初歩的なトリックを複数組み合わせているだけである。
マスタードガスを打った患者が早く死んでしまったという悪い結果の時のことは発表せずに闇に葬れば良かったと言うだけのことである。これは週刊文春で、近藤誠医師に対して、
「以前の臨床試験は悪い結果は公表しないということを批判されたので、現在では公開しなければならないことになっている。今の臨床試験はそんなには甘くはない」と反論したとおりだ。
逆に言えば、悪い結果を公表しなければならないことが義務化されたのは近年であるから、それ以前に確立した臨床試験の証明はすべて無効になるはずである。そうなるとマスタードガス療法もシスプラチンの科学的根拠もすべてパーになることを、この反論は暗に認めたことになる。そのことに読者が気付いたかどうかである。
逆に言うとその当時は公表せずに闇に葬っていたと言うことの証言である。ペテンのカラクリに気づいていれば、彼らの反論を利用して、逆に追い込むことも出来るはずである。

●あいまいな解釈の判定は全部、「医療技術のおかげで…」


現代医学は悪化させて、殺して、シャブリ尽くして、それでも
「ここまで生きられたのは、自分たちの医療技術のおかげ」と獲物を騙していたわけである。
彼らにとって、獲物がたった5年で殺されたことは、
「5年も生きられたのは私たちのおかげ」なのだ。2年で殺されても「2年も延命できたのは私たちのおかげ」なのだ。
1ヶ月で殺されたら「もともとそれぐらい悪かったので現代医学も完璧ではない」という。だから彼らは平気で治療しないと余命半年とかいう。先にどう殺しても諦めてくれるようにしておくわけだ。もちろんこれには、脅すことで自分たちの医療商品の食い気を誘う意味もある。
つまり、この架空の手柄に酔いしれる前提には、「自分たちが治療をしていなければもっと悪い結果になっていた」という。
あるいは2ヶ月で死んでも「どの道、よくない結果になっていたのだから仕方が無いだろう」という彼らに都合の良い仮定が相対比較になっているのである。アリバイ次ぐ猟奇的のためにもムチャクチャマスタードガスを使いまくって病魔の印象を猛烈に演出しておく必要があったわけだ。逃げ出した人がピンピン数十年生きていても逃げ出して生き延びている人の統計など誰も作れないのだから安心である。

●「素人に立証できるわけがない」


5年で死んだ場合、おかしいと思うことは多いだろう。ただし、医者も獲物一家の弱みをよく熟知していて、
「治療しなければ5年以上生きられたことを証明しろ」と言われれば一般の人間に、それを証明するのは難しい。私ですら、4年くらい図書館に通い詰めて、いろいろ証拠を集めて、クスリの事典など膨大に検証していってやっとある程度の因果関係を見抜けるようになってきたほどである。もちろんすべてを細かく特定するとなれば個々のケースではさらに時間もかかるから一般の人間が被害に遭って仕事を辞めて研究に没頭し、病院を追求するのは困難だ。
被害者が医者から、そう言われれば患者側の立場としては治療をやっていなければ、きょうまで生きていたのか、もっと早く死んでいたのかを証明することは難しい。
限りなく、あやしいことまでは気付いている人は多いだろう。そこまではわかっていても、医者は卑劣な人間であるから、のらりくらりと患者の無知につけ込んで認めようとしないだろう。犯人は一手詰めまで追い込まれないと非を認めないものだ。だとしたら、彼らの反論は徹底的に崩して一手詰めまで追い込むしかないのである。それほど彼らは心のない凶悪保険金殺人犯たちである。
つまり、医者や医療信者が言う、「何々していなければ…、もっとはやく悪化して死んでいた…」というのは、知識のない患者にとっては、あいまいで不確定なことだから丸め込みやすいのである。
今まで、どれほどの人たちが、この立証の壁を越えられず悔し涙を流してきたことだろう。医猟従事者たち獲物の弱みをよくわかっているのだ。獲物が無知で信頼してきたとなればどこまでもつけ込んでやりたい放題の事をやるのが人間である。
そして殺したあとはすべての罪を病魔におしつけて堂々と逃げ切る。そんな悪魔の殺戮解体工場で平然と勤務しているのだからまともな人間が残っているハズもない。まともな人間は医学部の動物を殺す実習の段階で逃げ出しているのだ。

●虚構の医療データが虚構の名医を作り出す


それが医猟従事者たちの本質である。その良い例が虚構の名医の日野原重明だ。彼も本当は相当恨まれているだろうが、遺族や被害者はされていなければ、どうなっていたかという規準を示せないから公にならないだけである。その証拠に治療など受けなければどれだけ良かったかと後悔している人は多い。みな泣き寝入りしているのだ。
聖路加病院などは下でマスタードガスで仕掛けて、ホスピスで吸い出す屠殺解体の奴隷を作り出して、発ガン剤で再発させて、暴利の治療費を騙し取り、そこでもさらに発ガン剤を仕掛けてボロボロになった良い頃合いにホスピスで一日五万円の入院費という暴利を貪っているのだ。それで、さらに尊敬までされているのだから、悪魔達の笑いが止まるはずもない。すべての罪はマスタードガスなどの演出で築きあげた架空の病魔が罪をかぶってくれるのだ。病魔さまさまである。
傍目から見たら、獲物にたかってしゃぶりつくしているシーンを病魔と闘う患者に寄り添い、共に戦い続けた崇高な医師に見えるというシカケ。
私の心眼から見たら医猟従事者たちが患者に寄り添うシーンはライオンなどが群で肉をほおばっているシーンと同じに見える。
ライオンのほうが馬を倒して食べているほうが、まだよっぽどましだ。この世界はブラックマンガの世界だ。
彼らは凶悪な悪魔達であるから、人の無知や信頼や判定や解釈のあいまいさにつけ込んで日本は世界一の医療技術と言っている。
そして、
「せっかく日本人は恵まれた環境で世界一の医療が受けられるのだから早期発見、早期治療をしよう」という。その真実は早期発見、早期殺害。殺害という言葉すらも真相からすると生ぬるい言い方だ。
その惨状はビデオで見せているように牛豚の屠殺にも劣る惨殺だ。豚は太った頃に屠殺解体する。マフィアから見たら、すがりついてくる獲物は家畜工場にいる一匹の家畜に過ぎない。
きょうもマスコミに金を撒いて、次の獲物を物色して、下の階でマスタードガスや発病剤を打ち込んで終身カネヅルを作り、上のホスピスで資産を根こそぎ収奪して、ホクホクの利益確定をしているのだ。その本質は悪魔の屠殺解体場である。それが真実でないのにこんなことを書かれたとしたら断固警察に被害届を出すべきである。
悪魔の凶悪保険金殺人犯の日野原が多くの人を救ってきたことになっているのも、マスコミなどの情報産業を利用したイメージ操作、医療データという前提操作から生じた虚構の産物である。
その医療データじたいが彼らの主観で作り出した虚構なのである。北朝鮮が唯一の地上の楽園というプロパガンダと同じ。現代医学は自分たちの自画自賛では世界一の医療技術水準で多くの人が救われていることになっているが、実際は惨憺たる殺戮モルモット工場である。
今もブードゥー教の黒魔術儀式さながらの猟奇儀式で人々は悶絶、絶叫しているのが現代医学の本当の実態だ。
何から何までウルトラペテンだ。日本人の平均寿命も1921年頃に限定すると産まれた年と現在の90歳の生き残り人口から算出して計算すると推定ではあるが、現在の90歳の人手言えば、40~50歳である。
つまり、医療技術のおかげで日本人は長生きなどしていないのだ。平均寿命が86歳になるというのは今年産まれた赤ん坊が死ぬ頃には、それくらい長寿になるだろうという推定しているにすぎない。そんな推定で今の医療技術のおかげで人が長生きしているとプロパガンダされているのだ。日本は世界最多のクスリ消費大国である。その家畜に毒物を消費させるために世界一長寿と偽装しているに過ぎない。
私は「現代医学の実態は北朝鮮政権とか大日本帝国とまったく本質は同じだな」とつくづく思うのだ。その虚構の檻で飼育された家畜奴隷は最高の医療の恩恵を受けているような気分にさせられているのだ。
そして私のように告発した人間は殺害されて闇に葬られている。私も最後まで生きられるかどうかわからない。だから、今までこれだけのことに気付いていてもハッキリと告発できなかったのである。私は真相に気付いた怒りの余り、怖さなど吹き飛んでしまった。
ただ、医猟界を支配しているマフィアたちや製薬会社が私を殺害しても、これらのファイルを保存した人がいずれネットワークでバラ撒く日が来るだろうから、どの道、虚構の産業が崩壊するゲームオーバーの運命から逃れることは不可能である。

できあがる成績データと優秀さは無関係

●届け出の決まりによっても平均寿命は変わってしまうカラクリ

そもそも統計というのは、どのように数えるかということによって全く違う数字になってしまうということに気がつかなければならない。 例えば日本の出生届は法律上では、生まれた日から14日以内に役所に届ければいいことになっている。 この場合、もともと死にかけで生まれた子供の場合は、親は急いで出生届を出さずにしばらく様子見をしてから14日以内に死ななかった場合は届けに行くという可能性もある。 つまり、生まれてから2日以内に届け出なければならない国と30日以内に届けなければならない国では、提出期限以内に死亡した子供に関しては0才児で死亡という極端に平均寿命を押し下げる原因としては含まれにくい採取法になっているわけである。 このカラクリに気がつくと、生まれた日から出生届を出さなければならない法律の定めた日数によっても平均寿命というのは、かなり違ってくるわけである。なぜなら、すぐに死ぬ子供は一ヶ月以内ですぐに保育器で死んでしまうことが多いからだ。 すぐに届け出なければならない国の場合は、とりあえず届けたけれどもすぐに死んでしまったという場合は平均寿命が極端に押し下げる原因になる。 しかし、出生届だだけは1ヶ月にしても良いという場合は、非常に悪い状態で生まれた子供は、すぐに届け出ずに1ヶ月間近く大丈夫だった場合は届けるというケースもありうるわけである。 この場合は30日以内に死亡した場合は、そもそも産まれた人間の数としての統計に含まれないために、平均寿命を押し下げる乳児死亡率の低下という原因にはならないわけである。つまり、この日数を変更するだけでも実際には産まれていても報告されない人間の数が盲点になるという欠点が生じる。 このように出生届を出さなければならない義務日数を変えるだけでも、平均寿命の簡単に押し上げることはできわけである。 以前の出生届はもっと短期間であったから、これを緩和しただけでも日本の平均寿命は大きく伸びたことになるのだ。数え方が変わるだけでも統計は変わる。

●統計はまじめに作るほど成績が悪くなる

法律では、原則的に出生の届出の前に子が死亡したときは死亡届とともに出生届をなさねばならないことになっているが、実際に正確に届け出を出されているかは国によってまちまちだ。 正確に調査するのであれば、盲点になっている生まれてすぐに死んだケースも含めて同じように正確にカウントしていなければならない。 そして正確に数えれば、数える程、その国の平均寿命は短くなってしまうという欠点が生じるから、いい加減にカウントするほど、平均寿命が高くなるのである。 自分たちの不利になるような統計を作るのに正確にカウントすることにこだわる必要などないだろう。 つまり、いい加減に作ろうとすればする程、都合の悪いことはカウントしないようにカウントの漏れが生じるから、統計というのは優秀になるわけである。このカウント漏れをどこまで正確さにこだわるかによって成績は変わってしまう。 だいたい医療統計にしろ、難のデータにしろ、自分たちにとって都合の良いことは、きっちりと数えるが、都合の悪いことに対しての数え方はいい加減になるものである。その盲点がどの程度多くなるかということは各国バラバラである。それは平均寿命に限らず、全ての医療データについていえることである。

●日本の優秀な医療という成績データは作り方がズサンなだけ

日本のように自分たちに都合良く数えるようにおけば成績はどんどん都合良くなるのは当たり前のことだ。優秀なのではない。数え方のルールや厳密さにトリックがあったのである。 自分たちの都合の悪いものは数えないようにしたやり方によって、世界一優秀な医療統計がつくれるわけである。 私は日本は世界随一の医猟屠殺国家であるといっているが、医療データが優秀なのは単に医療データのつくられ方も投薬のズサンな実態のとおり、一事が万事でデタラメなだけに過ぎない。数字だけは優秀にするペテンの才能とそれに服従する盲信の才能が優秀なだけである。そしてそれを鵜呑みに信じるバカな国民性がこのような虚構の無法地帯を放置してきたわけである。 だから私は、作られた統計というのは、ごくごく参考にする程度であったとしても、それを根拠にする程の強い証拠にはならないということである。 最終的に医療データよりもはるかに強いのは、論理的な説明がつくかどうかである。 現代医学信者は作られた統計を科学的根拠の証拠であるかのようにいう。それはいつどのようにして考えられているかということまでも徹底的に論理的に分析しなければならないのである。 つまり、この統計のつくられ方のルールが完全に万国共通にしていない限り、ちゃんと平均寿命や治療成績を比較することはできていないのである。 数え方の違う国どうしで本当に平均寿命や医療の優秀さとして作られたデータを比較することはできないという統計の不確定性原理に気がつかなければならない。

●がん治療医で死亡診断書を書いた事のない医者は優秀なのか?

批判的な話なので名前は書かないが有名なガン治療医で、 「私は自分の患者で死亡診断書を書いた事がない」と堂々といっ自分の治療成績をアピールしてる人がいる。 この人の言ってることは、論理的に比較的に良いほうではあるから批判するほど悪い医者ではないと思っているが、死亡診断書を書いたことがないということが事実であるたとしても、この医者が優秀であるかどうかということは無関係であるという論理に気がつけるだろうか? その医者のやってることは、内視鏡手術である。ということはそもそも、内視鏡手術で済ませられる患者以外は、その医者の所に紹介されたこないわけである。 その程度の内視鏡手術で解決してしまうようなガン患者というのは、そもそもその医者の患者である状態ではガンで死亡するはずがない。大腸のポリープを内視鏡で切り取る程度なら術死死亡率など低くて当たり前のことである。 仮に、その患者が突然の交通事故や脳梗塞で死亡したとしても、その医者のところに運ばれてくることはないから、その医者のところで死亡診断書を書く機会などあろうはずもない。 つまり、自分のガン患者は自分のところで死んだことがないから死亡診断書を書いたことがないとアピールしているのは治療成績の優秀さや治癒率とは何の関係もないのである。ただし、その医者の言っていることは理論的にいいから数字とは無関係に治っている人は多いのではないかと思う。 多くの人が気がつかなければならないのは、成績データと医者の優秀さは何の関係もないということである。

現代医学の医者が反論するほどボロが出る


●昔の治験はそのとおり欠陥であることを認めた上野直人医師と勝俣範之医師


わざわざ自分に都合の悪いデータを発表するメリットなどないから出さなければいいのである。そして医学生には、その都合の良い結果のことしか教えなければいいのである。なぜなら、悪い結果は闇に葬られてオモテには出て来ないからだ。
良い結果の時しかクローズアップされないし、悪い結果は隠すからあたかも、彼らの出した結果がすべてであるように思いこまされるということだ。
ただし、この指摘は医者も反論しているように以前はあまりにもこの手法を使ったデタラメが酷すぎたために最近では以前と比較すれば、悪いデータも出すようにはなってきてはいる。
ただ、それは以前に比べたらと言うタテマエに過ぎないのであって、依然としてこの手法は中心である。
なぜなら、治験の配置やデータのカウントやその公表はすべて治験をやる製薬会社と治験ビジネスの医者にまかせられているからである。
医療データの世界は自分の答案を自分たちの主観で採点して提出するという自己採点方式である。週刊文春で近藤誠医師のこの指摘について上野直人医師と勝俣範之医師が反論しているのは、「以前はたしかにそのとおりであった」ということを認めつつ、「最近はその欠点はいくつも改善されてきているから、近藤誠医師が言っているほど今の延命比較試験は近藤誠医師が言うほどは甘くはない」という反論だ。
週刊文春の2011年1月20日号の150ページで
「確かに、10年、20年以上前は、問題のある臨床試験が幾つもありました。臨床試験に同意してない患者さんを登録したり捏造したデータの報告をしたりする等の不正が発覚したこともありました。こうした問題が厳しく非難されたことから…」と認めている。
ここで問題なのはシクロホスファミドやシスプラチンなど今も多用される治療ガイドラインのほとんどがその10年、20年以上前の臨床試験の結果にもとづいて、科学的根拠とされて行われていると言うことだ。

公正さをアピールする"心証のトリック"に騙されるな


両方の結果の公開義務ルールは扱い量の比率とは関係ない


●臨床試験はどちらの結果も発表するルールにしても欠陥がある


「臨床試験は都合の良いことしか出さなければ良い」というと医猟犯罪達は反論したくなるはずだ。最近の2000年以降の臨床試験のやり方だけで言えば、
「悪い結果は出さなければいいだけのことだ」と書いたこと指摘は近年の臨床試験だけでいえば、必ずしも当てはまらなくなってきた。(あくまでも近年の話である)
これは週刊文春で上野直人医師と勝俣範之医師が「臨床試験はそんな甘いものではない。昔はそうしたズサンなことが行われて批判されたことから、近年では臨床試験では良い結果も悪い結果も両方とも公表しなければならない決まりになっている」と近藤誠医師の指摘に反論しているとおりだ。
同様に、
「あなたの言う都合の良い結果が立てたとき以外は隠せば良いという反論は当てはまらない。最近では、悪い結果もすべて公表しなければならない」と言うだろう。
私は週刊文春の反論を読んで、すぐに彼らの反論には素人を欺く"心証の錯覚"があることに気がついた。これは反論している本人達も気がついていないことかもしれない。そのように教えられて、本気で公正な臨床試験が行われていると思いこんでいるのかもしれない。
これはよほど分析していないと気がつかないことである。
彼らの反論の「両方とも公表しなければならないルールになっている」ここが心証のトリックを作り出す重大な疑惑のポイントなのである。これで公正な臨床試験が行われていると思いこんだとしたら、まったくペテンを公正と装う本質が見抜けていないのである。

●保険の説明では、口頭では、なぜ、ほとんどが良いことしか言わないか


発表しなければならない義務をルールにするというのは、本質的に言えば不都合なことを発表しなくてもいいという以前の状態とほとんどたいして変わらないのである。
それはなぜか?
これは臨床試験の印象だけを公正に行われているかのように思いこませるための"心証のトリック"なのである。
たとえば、保険の契約で、死に方や事故の起こり方によっては、あとで契約者側の「支払え」と、保険会社側の「このケースは支払い義務がない」という、もめ事でも、このトリックのカラクリがわかるはずだ。
たいていの人は知っているとおり、保険の契約では保険のセールスレディが口頭やパンフレットで勧める以外に、契約時にはさまざまな支払いの免責事項が膨大にあるために説明しきれないことは契約事項の冊子に書いてある。
これは必ず渡され、タテマエ上はその記載事項にすべて同意しないと契約者はハンコを押してはいけないことになっている。
ここで重要なのは本気でわかるようにしようと思えばCDにしろ、あるいは当サイトで用意しているように音声読み上げで契約事項という読み上げファイルでも用意すれば容易に契約者が確認できるようにすることは可能である。どうしてそういうことはしないのかということだ。
これはよく言われるとおり、虫眼鏡で見ないとわからないような小さな字で書かれているし、すべての意味や支払い能力免責事項を理解してハンコを押していないことはたいていの人が知っているとおりだ。
つまり、この本質は事前に悟られたら困ることはあまり印象が残らないように情報量や印象に差を付けて都合良く契約させるためなのである。
この手法が両方公開させるルールにしても可能であるというところに人の印象の錯覚を利用したトリックがあったのである。
経済至上主義社会では、都合の良いことはわかりやすく、繰り返し演出することで人の印象を強める。
逆に都合の悪いことは義務であっても極力、控えめにしか出さないのはごくごく当たり前のことである。

●本質は無公開時代とあまり変わらない


つまり、公表義務があるといえば一見もっともらしく聞こえるが、その本質は公開義務が全くなかった時代とほとんど変わらないのである。この盲点につけ込んだ、"心証のトリック"にすぎない。本質は産業のアリバイ工作だ。
どんな小さなわかりにくい表現や扱いであっても公開義務は果たしているいうタテマエは通用している。なぜなら、一応書いてあるからである。
ここで言えることはどんな小さな扱いであっても事前に渡したものに書いてあれば、あとで揉めたときには事前に告知していた、それを読んでいないあなたが悪いという主張が後からはできると言うことだ。そのためにも印象に残らないような記載であっても先に渡しておく必要があるのが契約事項の詳細なのである。
たとえばサイトで言えばわかりやすい。ほとんど誰も気がつかないようなところにリンクを付けて、出さなければ罰則があるという情報を出していたとする。
でも、よほど読み込んでいるような人にしか気がつかないわかりにくいリンクだとする。そこに出さなければならない情報を書いておけば、タテマエ上はちゃんと公表義務を果たしていることに出来る。公表義務とは、公開していることの、わかりやすさということは問われないからだ。
人の印象は多く取りあげられたほうのことを強く信じてしまう傾向がある。人は扱いが小さいことをわざわざ製薬会社のサイトを隅から隅まで読んで、悪いほうの情報はちゃんと出しているかを逐一確認して両方の結果と比較して分析することなどしない。
たとえば、厚労省ではクスリの認可のときのやりとりも出しているが、それら医薬品情報だけでも数十万ファイルも出ているのである。タテマエ上、一応は公開義務があるからだ。
それにより、情報開示はしていることにはなっている。それらのどこかにわずかでも書いてあれば公表義務を果たしていることになる。それはほとんど目視からのリンクからではたどりつけないようなレベルである。
医者はもちろん、素人がそのようなものを重箱の隅をつつくようにいちいちチェックして確認しているはずもない。
このような方法であっても公開義務を果たしていることになる。

●どんな小さな扱いでも目だたなくても、ルール上は出せば良いというだけ


つまり、上野直人医師と勝俣範之医師が反論している両方の結果の公開ルールとは、「ただし、不都合な結果はどんな小さな扱いでも良い」という人がイメージに覆い隠されて気がつきにくい盲点、彼らに都合の良い逃げ道があったわけである。それでいて、カタチだけ見たら改善されたことをアピールできるから近藤誠氏に反論しているわけだ。その本質は不都合な結果は出さなくても良かった頃と本質はたいして変わっていないのである。
これこそが彼らの反論の言葉のトリックなのである。人の盲点につけこんでいるわけだ。
つまり、公表しなければならないというルールは、彼らがアピールしたいほうの結果と同等の扱い量として公開して同じ比率だけ学校やマスコミで言い伝えさせなければならないという決まりとはまったく違うのである。
当然、プロパーと言われるクスリのセールスマンやパンフレットや大衆向けの情報の扱い量は圧倒的に都合の良いほうのデータのことばかりになる。一般の人間がいちいち学術書の両方の結果の報告など、調べ回って確認するはずもない。
つまり、公開しなければならないという義務とは、扱い量や扱い量の比率のことは何の関係もないということである。極端な話、アピールしたい都合のいいデータと都合の悪いデータの扱い量の比率は数百分の1でも可能なのだ。
どれだけわずかでも公開すれば公開義務を果たしていることになる。だから、私がマスタードガスの発癌報告の資料を出しているようにシクロホスファミドなど抗ガン剤は猛烈な発ガン物質であるという情報が公開されていたわけである。それがNHKや患者の説明ではどうなるかというとほぼゼロに近くなり、効果があったというデータだけが見せられる。
つまり、都合の悪いほうの公開義務を果たしていたとしても扱われ方の量の違いは問われないのである。だから以前の都合の良いほうのデータだけを出せば良かった時代と何ら変わっていない。
たとえば、製薬会社の誰も見に来ないようなリンクで小さくテキストで
「○○病院の結果はこうでした」と出しておくだけでも公開したことになる。またそれは悪い結果だというわかりやすい言葉で書く必要もない。悟られにくいように、どんな難解な言葉でもよい。逃げ道はいくらでもある。
つまり、公開したことは都合の良い結果と都合の悪い結果が同じ量だけ取り扱わなければならないという意味ではないことに大衆を欺くためのトリックがあったのである。

●同じ比率と同じアピール力で悪い情報も同量出さなければ意味がない


だから、上野直人医師と勝俣範之医師が反論しなければならないとしたら、
「良い情報と悪い情報は同じ比率でマスコミも医者も患者に説明しなければならないようになっている」と反論しなければならなかったのである。
しかし、これはとうていそのようになっていないから、彼らも反論することはできなかったわけだ。私が近藤誠医師であれば、人を騙すための見せかけの改良について徹底的に追求しまくったことだろう。そのことを近藤誠医師は何も言わないのだ。チンケなカルト信者相手に苦戦しているわけである。
その都合の悪いほうの結果は医学生に教えたり、医者に売り込むときやマスコミにしゃべらせるときは都合の良い結果のことしか言わない。医学生や大衆にアピールするときにも同じ量だけ都合の悪い情報も言わなければならないという意味ではないからである。
しかし、どんな小さな扱いでも週刊文春で上野直人医師と勝俣範之医師が反論したように、出せば公表義務をちゃんと果たしていると反論は出来る。
素人の患者が医者に「都合の良いときの結果しか出さないだけじゃないですか?」と聞けば上野直人医師と勝俣範之医師のように、
「そういう不正が行われないために、両方の結果を公開しなければならない決まりがあるんです。それを違反したら罰則があるんですよ」と言うだろう。
医者に頼って来るぐらいのカモであるから、この言葉のトリックにコロリと騙される。

つまり、これは近藤誠医師のような批判をする人間が出てきたために大衆が臨床試験のペテンに気付き始めたので、そのペテンをカモフラージュするため、公正な臨床試験をアピールするためのデモンストレーションだったのである。そこにアホな獲物がまんまとひっかかるというシカケだ。

●実質的には以前の都合のいいことだけを出す臨床試験とたいして変わらない


添付文書を読めば、通常では使わない言葉のために広辞苑を引きながら読まなければ、どういう意味なのかわからないくらい極めて難解な言葉で書かれている。それは意図的に言わんとしていることを悟られないように書いているのである。
しかし、まったく書いていなければあとで訴えられたとき、
「そんなことは事前に書いてなかったじゃないか!」という追求があると困るので真意を隠す意味と公開義務を果たす意味で中間を取って極めて難解に書いているわけである。
訴えられたら、予定通り、難解な言葉を解説して、
「ほら、ちゃんと添付文書にもインタビューフォームにも書いてあるでしょ。ホラこれはこうこう、こう意味ですよ」と反論すれば良い。
医者がそこまで考えていない事はもちろん計算済みだ。要するに「ちゃんと事前に書いておいた」というアリバイをつくっておくことが大事なのである。
つまり、生命保険の契約事項と同じく、どんな小さな字でもわかりにくい難解な言葉でも後から追求されたときのために目だたないように出しておけば公表義務を果たしていると言うことになるのである。それは誰も気がつかないような小さな公開であったとしても
「ちゃんと公開している!」という反論が出来る。
つまり、これは本質的に言えば以前の臨床試験のときと同じく、都合の良いデータ以外は出さなくてもよいと言うルールと実質的には同じことが出来ているわけである。本質は何も変わっていないのだ。
上野直人医師と勝俣範之医師の反論は公表しなければならないという罰則付きのルールと取りあげられる比率を同じにしなければならないという意味ではないという詐欺的な"心証のトリック"があったのである。
しかし、またしても近藤誠医師はこの重大な疑惑についても反論していない。
私がなぜ、この"心証のトリック"にすぐに気がついたかというと、現代医学のやることなすことのあらゆることすべてが、いかに人を騙して罠にかけて獲物を追い込んでいくかという現代猟学の悪意が根底にあることに気づいているからである。
そしてそれは保険の契約のことと同じく搾取のテクニックなのである。
現代医学は大衆を騙すための学問であるという強烈な疑念が前提になければ、彼らの反論に思わずナットクしているはずだ。週刊文春の反論を読んで、そこまで気付いた人はごくわずかだったはずである。
要するに、こんなチンケな子供だましの論理で反論をされているということは近藤誠医師はバカにされるほど弱すぎるのだ。
彼らが一気にゲームオーバーに追い込まれるくらいの疑惑は多数あるから、私には何も反論してこないだろう。

昔に確立した古典的な治療ガイドラインは何の再検証も行われず、今も続いている


●古典的な化学療法の再審査は行われていない
上野直人医師と勝俣範之医師はこの当時の臨床試験結果は問題が多いと認めたと言うことは百歩譲って、最近のものはいいとしても、現在の大多数の治療ガイドラインの土台になっている古典的な化学療法の根拠については根拠が崩れたことを認めたことになる。
私が論争相手なら、この弱点を徹底的に突きまくるだろう。
週刊文春の反論で重要な注目すべきところは以前はそうであったことを認めていると言うことだ。そして比較的に最近はその欠点は改善されていると反論したことである。
つまり、初期のシクロホスファミドなどのマスタードガス療法の併用療法はかなり以前に確認されたデータがそのまま今も使われている。
しかも初期乳ガンの治療ガイドラインの8割は昔の治験をもとに作られた古典的な組み合わせである。
これらは上野直人医師と勝俣範之医師が反論した方法で振り出しに戻して再度延命効果の判定をやり直したのだろうか?やっていないはずである。
古典的な抗ガン剤と称したマスタードガスとの併用療法はその当時に比較されたデータが今も主体になって行われていると言うことである。これらはその後、再確認調査はされることもなく、昔のやり方で出た結果に基づいて今も行われている。
つまり、上野直人医師と勝俣範之医師は「最近は○○○○と改善されている」と反論したことで逆に昔はそうであったこと、昔の古典的な併用療法はそのままデタラメな治験結果で得た結論が今も行われていることを暗に認めてしまったことになる。彼らが週刊文春で反論したのは昔はそういう一面はあったが、最近はそうではなくなってきているということだ。
しかし、それはひとつの例として私が先に書いたように、彼らが反論している改善策も実態は批判をかわすためのオモテ向きのポーズに過ぎないのである。
まだまだペテンのトリックはあるのだ。ここではあまりにもくわしく取りあげると長くなるので他のページで書くが、彼らがホームラン級の抗ガン剤と絶賛するハーセプチンなどの実態もマスタードガスが認可された当時とほとんど変わっていない。
彼らは臨床試験の本質ではなく、オモテ向きは大衆を欺くための改善をしているにすぎない。
上野直人医師と勝俣範之医師らが本気でそのペテン宗教を信じているのだとしたら悲劇である。
乳ガンの化学療法治療ガイドラインを見れば、その8割は反論でも認めているように10年とか20年どころか、それ以前のマスタードガスなどの古典的な治療ガイドラインが今も80%を占める。
それは彼らが認めているデタラメ時代に検証された抗ガン剤だ。
これについてはどう説明するのか?認めていることからするとこれらはデタラメであることを認めざるを得ないではないか。
これは半数以上の古典的な化学療法はデタラメである可能性を認めてしまった大きなミスである。もし現代の治療ガイドラインも肯定するなら彼らは昔も今も公正に行われていると言うしかないのだ。

●昔の古典的な治療ガイドラインが今も続いていることはどう反論するか


週刊文春と文藝文春で行われた議論の欠点は昔も今もあの抗ガン剤もこの抗ガン剤も全部一緒ごたにして議論していることである。もっと具体的にしぼって詳細に追求するべきである。
たしかに昔と今ではやり方も変わっていることは確かだ。それを一律に議論したために近藤誠医師は反論されている。本当に議論しようと思ったら字数の限られた、資料提示も限られた場ではなく、無制限で書けるインターネットでやらなければならない。
近藤誠医師は古典的なシクロホスファミドなどの療法はデタラメな操作が行われているということを鋭く突いて、
「それでは、まず、現在も行われているシクロホスファミドやシスプラチンなどを使った古典的化学療法に絞って議論しましょう。現在の乳ガンの初期治療、術後治療のほとんどは古典的なマスタードガスなどの発ガン物質との組み合わせですね。
あなたたちの言う最近の抗ガン剤が使われる治療ガイドラインは主に再発ガンに対する高額な治療ではないですか。初期治療ガイドラインである古典的な抗ガン剤は本当に公正なやり方出延命効果が確認されたのですか。あなたたちは以前はたしかにデタラメが多かった、研究者が製薬会社のカネで豪遊していたというなら、その当時に作られた治療ガイドラインや延命効果があったという結果はすべてもう一度再検証するべきでしょう。」と切り出せば相当痛い追求になったはずであるが、なぜか、それはやらない。
なぜできないのか?
それはシクロホスファミドなどマスタードガスを使いまくる抗ガン剤治療、つまり発ガン剤療法を日本に広めたのは他ならぬ近藤誠医師だからである。近藤誠医師自身がマスタードガスで多くの患者を殺害しているからである。
そしておそらくその患者や遺族には何ら謝罪もしていないから言えないのである。一応、本では患者と遺族に謝罪しているが、敵の痛いところをつけないのは自分の過去に問題があったのである。
つまり、近藤誠医師は問題の核心の部分は突かず、彼らののらくら反論を助長しているわけである。
肯定する医者側の反論ではこう書いてある。

「しかし、それだけで抗がん剤が効くかどうかを判断しようとする。近藤氏の考えは誤りです。
延命効果だけが抗ガン剤の目的ではなく、他にも使う目的はいろいろあります。
例えばガンの増悪を防いで症状の悪化を抑える、つまり、緩和ケアの一環として患者さんの生活の質 (QOL)を維持するのに、抗ガン剤が役立つことも多い。つまり痛みを抑えたり、苦しさを緩和することによって患者さんをラクにしてあげることができるのです。」


●マスタードガスがクオリティ・オブ・ライフを上げている?


戦時中にあの残酷な被害をもたらした最強クラスの発ガン物質化学兵器剤マスタードガスが乳ガン治療では80%も使われているのに
「抗ガン剤は延命目的だけではない。クオリティ・オブ・ライフやガンの増悪を防ぐために行われている」とはどういうことか?
あの残酷な被害を出した化学兵器剤マスタードガスなどがクオリティ・オブ・ライフやガンの増悪を防ぐため、緩和目的に使われているというのである。広島の毒ガスマスタードガス工場で癌の発生率を平均の40~50倍にしたにも関わらずだ!
私だったら一発で論破撃沈できることをこんなことまで言わせているのである。
おそらく実際にはマスタードガスを使った療法のほうが短命になるという結果は膨大に出たことはあるだろう。強調して発表されないだけである。
たとえば「催奇形性等発生毒性に関する薬品情報」東洋書房にはそのようなデータがたくさんある。それはわざわざ医療側や製薬会社側が目だつようには発表していないだけだ。単なる本としては多数報告例が載っているはずである。
それは医療側がわざわざ出さなければいいだけのことである。1万回そのような結果が出て、マスタードガスのほうが延命効果があるという結果が100回でも、その100回のほうだけをクローズアップして教えれば良い。出すか出さないかはやる側の人間の自由である。出さなければ罰則があるわけでもない。
そもそも悪い結果が出たときは研究者や製薬会社はその結果を闇に葬ればそのような結果が出たことなど世間の人は知りようがない。良い結果だけを出せばそういものなのかという印象だけは広がる。ある結果を出すために、やった回数という分母は出す必要がないからである。
つまり、何回でもできるから、ヒットが出たときだけの打席を見せれば打率は10割にも出来る。なぜなら、医療データの作成というのは野球のようにリアルタイムで人が見ているものではないからである。人が見ていないときの三振や凡打はカットすればいいのである。また野球のように試合数や最大の打席数が決まっているのでもない。

●上野医師と勝俣医師は薬害マスタードガス疑惑についてどう思っているのか?


私から見れば近藤誠医師も医猟犯罪者たちの一味である。本当はもっと突かれると痛いところがあるのにいつまで経ってもそういうことは言わない。
本当に論破したいならまず、1950年代にガンを40~50倍にも発生させたマスタードガスが抗ガン剤と称して世界最多用の抗ガン剤になっているマスタードガス猟疑惑から徹底的に突けば良いのである。
たいして痛くもない枝葉末節的なことで追求してトドメを刺さないのは、医療産業を潰すことには躊躇があるからである。
このような昔から行われていたデタラメな操作によって現在も最多使用になっている猛烈発ガン剤、薬害シクロホスファミド疑惑について上野直人医師と勝俣範之医師はどう反論するのだろうか?
私なら、こう訊いてみたい。
「上野医師と勝俣医師は最強クラスの指定発ガン物質であるマスタードガスがシクロホスファミドやアルキル化剤と称して乳ガンの治療では80%の使用率で打たれていることについてどう思っているのか?」と。
残念ながら私が気づいているよう事を近藤誠医師はまったく追求しないのである。いつまでレベルの低い議論をしているのかと思う。バカにされるのは弱いからである。将棋で言えばそれほど相手が痛くない手を指してくる。
上野直人医師と勝俣範之医師は船瀬さんが"抗ガン剤の悪夢"で書かれたように地球最強の発ガン物質でWHO指定発ガン物質のマスタードガス、シクロホスファミドが世界最多使用の抗ガン剤になっていることについてどう考えているのだろうか?
近藤誠医師が本当に医療界を正す気があるなら、問題の枝葉末節的なことより、こういうことこそ、徹底的に追求するべきではないか。

●被害者達よ、犯人の追及を開始せよ


コレを読んだ被害者達は証拠資料を突きつけながら、実行犯である医者を追求してみるといい。彼らはおそらくこのように反論するだろう。
「たしかにあなたに打ったマスタードガスは発ガン物質かもしれないが、それは医学的に検証されて延命効果があると証明されているから使われているのである」と。
私が医猟犯罪者達に突きつけたときの彼らの反論もこれである。
しかし、彼らは「私の追求に対して抗ガン剤は発ガン物質ではない」とは反論しなかったことだ。そして、発ガン物質であることもそれを患者にも一切説明せずに投与している事実も認めたのである。
ある医者は添付文書を見せない言い訳についてこういったものだ。
「こんなもの見せたら患者が逃げ出して、治療ができなくなります。人でなしと怒り出しますよ」と。
彼らは自分たちの使う治療薬の添付文書が患者に見せられるような内容でないことも患者に見せたら人でなしと怒り出すであろうこともアッサリ認めたのだ。
そしてこう反論した。
「患者に見せないで使うことは不安にさせないためである」と。
おそらく患者の立場からすれば、
「こんな内容なら知らせずに治療してほしかった」とは言わず、
「こんなひどい内容なら治療など受けなかった」という人がほとんどだと思う。

船瀬さんの本で添付文書を絶対に渡さないということについて医療信者がインターネットで公開されている」と反論していたが、2000年以前はインターネットですらも公開されていないし、2005年くらいまでは公開されているといっても医者が登録してパスワードを打たないと見れない状態であった。
誰でも検索して自由に添付文書でもインタビューフォームでも見られるようになったのは、近年のことだ。
私はホスピスに行ってボロボロにされた患者に使われている添付文書を見せた。すべて現代医学というペテンに騙されていたことにも気付かれた。発ガン剤であることも気付かれた。

●彼らの反論を逃がすな


ここからが真相に気付いた人間の強みである。今までなら、追求する被害者側が彼らが自分たちの守り駒にしている科学的根拠のトリックに気づいていなければ具体的に何がデタラメのトリックなのかがわからないから、追求できず、泣き寝入りせざるを得なかっただろう。

こう聞き返してみたらいい。
「では、具体的にその科学的に証明された方法を具体的に説明してみよ」と。彼らはなぜ、堂々とこんなことをしてくるか。それは被害者側がトリックを崩せないだろうということがわかっているからである。
つまり、それがデタラメであるカラクリを見破らなければ、医療の治療を否定することも出来ない。そのあいまいさ、人の無知に彼らはつけ込んで暴利を貪っているのである。

彼らはその科学的根拠の方法を突かれると怯むはずである。なぜなら、彼ら自身は科学的に証明されているという結論を教えられただけであって、自分でそれがどう証明されたのかは検証もしていないし、わかっていないからである。
ここで被害者は徹底的に「発ガン物質が延命効果があると、どう証明されたのか。ちゃんと説明してみろ」と徹底追求するべきである。彼らは穴を突かれると狼狽えるはずだ。
なぜなら、ここで書いたように、彼らの言う科学的根拠や証明は都合の良い第三者を利用して、相対的に対比させることで、こじつけたペテンだからである。
彼らが説明できないとなれば被害者側から説明してやればよい。
「オマエはそんなことも自分で検証せずにこのような毒ガスを打ち込んでいたのか」と言ってやればよい。

次に、この本は放射線治療医の書いた本だ。現代医学を批判している私としては、半分は現代医学を批判しつつ、半分現代医学を称賛しているというものたりなさもあったが、1章と10章は医者から見た現代医学の矛盾という意味でかなりいい。

◆資料 インフォームド・コンセントは患者を救わない























<乳がん治療薬>服用患者は子宮体がんの検診受診を 学会

  【毎日新聞】

 乳がんの治療薬として使われている「タモキシフェン」とその類似薬について、日本産科婦人科学会の婦人科腫瘍(しゅよう)委員会は13日までに、「服用している患者は、少なくとも年に1回、子宮体がんの検診を受けることを勧める」との見解をまとめ、同学会誌の最新号に発表した。

 タモキシフェンなどは、乳がんの再発予防のための飲み薬。欧米のデータに基づく試算では、乳がんの手術を受けた患者1000人がこの薬を飲むと飲まなかった場合に比べ、乳がんが再発する人が約100人減る。一方で、子宮体がんにかかる人が約2人増えるとされる。このため薬の添付文書は「子宮体がんの発生増加がみられたとの報告があるので、(使う患者には)定期的に検査を行うことが望ましい」と記している。

 委員会は、欧米のデータを検討し、あらためて「少なくとも1年に1回の受診を推奨する。また、不正出血などの症状が出た場合はただちに精査すべきだ」との結論を出した。


ひどい話です。乳癌の治療に良かれと思って(医者を信用して)まじめにお薬を飲んでると、子宮ガンになる可能性があるから、子宮ガン検診を毎年受けなさいだって!
これこそ近藤医師やメンデルソンそしてハンスリューシュが訴えていたことなのです。近代の病気のかなりの部分は製薬会社が製造し医者が勧める薬、それこそが原因だと彼らは主張してきました。それが図らずも実証された形です。
そして腹の立つことに、このことが分かったというのに「申し訳ない・・この薬を使うのは止めましょう」とならず、「この薬を飲んでる人はこの病気になるから、その検査を受けましょう」と宣うのです。製薬会社や医師(学会)の考え方これほどはっきり分かる記事はないでしょう。 (他の例もご覧下さい)

●なぜマスメデイアはガン検診の真実を伝えないのか?

 第1章を「ふたつの風景」としながら、
まだ「闘いの風景」しか書いていない。
それもガン治療では圧倒的に「闘い」が主流になっているからだ。
 「ガンは恐い。ガンは悪魔だ。だからガンを一刻も早く見つけ出してやっつけてしまおう!」…。そうした「ガン呪縛」が早期発見に拍車をかけていて、職場での健康診断の法的な義務づけもその流れの中にある。

 しかしここにきて、厚生労働省は「X線検査の廃止」に踏み出した。その理由は、「X線検査には害あっても益なし」と判断したからだ。これだけ明解な理由がありながら、しかし「早期発見の流れ」にほとんど変化はない。それもそのはず、「害あっても益なし」の事実が全くと言っていいほど伝わっていないからである。

 実際、7月17日の朝刊トップで毎日新聞は、厚生労働省が「X線検査の廃止」に踏み出したことを報じたが、そのほかのマスメディアはどうだったか。・・・それにしてもマスメディアが厚生労働省のこの動きを無視、軽視するのはなぜだろう。その理由は、あの記事の中で業界を代表して連合会の梶川専務が言っていたのと同じように、それが「死活問題にもつながっていくから」であろう。

 早い話、その構図はこうだ。
 ガンは恐い。毎年ガンで30万人以上もの人々が亡くなっている。だから早くガンを発見するために、進んでガン検診や職場検診をしようという空気が社会全体を覆っている。 その結果、職場検診だけでも年間3000~4000億円の市場が維持でき、市町村などによるガン検診や、人間ドックなどでの精密検査なども含めれば、検診のための巨大な市場が日本社会にできあがっているのだ。しかしもしここで、「検査には害あっても益なし」などと報じてしまったらどうなるか。それはそのまま医療産業を直撃し、それこそ医療業界の死活問題にもなってくる。

 マスメディアは広告という収入で経営が維持できているのだから、巨大な医療産業に甚大な影響が及べば、それは回り回って
「自らの死活問題」にならざるをえない。
なぜなら医療産業はテレビや新聞などの大切な広告スポンサーであり、だから医療産業を窮地に追い込むような報道はできない。広告に全面的に依存しているテレビやラジオは特にそうなのである。

 そんなこともあってか、毎日新聞が一面トップで報じたニュースは、テレビでは全くお目にかかれなかった。・・・テレビを含めた毎日新聞以外のマスメディアが、この問題を軽視したと言わざるをえない。その結果、厚生労働省が「X線検査には害あっても益なし」と打ち出した事実は、ほとんど伝わらなかったと言っていいだろう。
事実があっても、マスメディアが伝えなければなきに等しい。それは「ガン検診の真実」だけに限らず、ガン問題に関するすべてで全く同じことなのだ。

・・・このように「害あって益なし」のガン検診が、なぜいつまでも行われているのか。これに関して近藤医師は次のように述べている。医療の現場からの生の声だけに、その指摘は非常に鋭い。

 専門家たちががん検診を死守する理由は、歴然としているように思います。自分たちの生活です。
 がん検診は、いまやおおぜいの人たちの生活を支えています。病院は検査の部分で稼ぐだけではなく、発見したがんを治療するところで二重に稼ぐことができますから、いまやがん検診は病院の大きな収入源になっています。人間ドッグや職場健診も、がん検診に意味がないとなれば、受診者ががた減りします。がん検診を統計的に解析する学者も、検診の無効が明らかになれば、研究対象がなくなってしまい、研究費を打ち切られる立場にいます。行政も、保健婦や技師たちをかかえていますし、検診専門の施設をつくってしまった自治体もあります。ことに厚生省は、老人保健法などという法律をつくって、がん検診をそのなかに書き込んでしまいましたから、検診の無効を認めたら、法律作成に携わった先輩たちの非を認めることになるわけです。
 こういう構造がある場合、だれが自分たちの不利益になることを言い出すものでしょうか。みなさんはここでも、専門家に頼らずに自分の頭で判断する必要があるわけです。
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