バカを作る学校狂育のカラクリ
子供たちよ、学校なんか行くな!! 明日から学校を辞めなさい 狂師の横暴告発を募集当サイトでは狂師の横暴、録音も含めて公開します。狂師は犯罪者として扱います。子供たちよ、今こそ、立ち上がれ、自分の人生をこんな狂育産業の連中に奪われるな!
当サイトでは子供たちの人権を重視し、学校狂育と狂師達の犯罪を追求する。
悪質な狂育の本当の狙い
●学校の本質は指令通りに動かすためのバイオロボット工場
このページではバカをつくる学校という本を中心に悪魔的な医猟を作り出した教育産業(その本質はバカを作る狂育産業)の正体と狙いについてである。私は医猟産業のガン医猟が最強の発ガン因子を植え付けて悪化させていきながら暴利をえるペテンであること、さらには他の医猟も含めて悪化させるための悪意であったことを証拠を挙げながら説明した。その悪意の本質は狂育産業もまったく同じである。
バカをつくる学校、バカを作る狂育とは、時代とともに意図に反して時代遅れとなり、バカを作る狂育になってしまっているという意味では断じてない。
最初からバカを作ることこそが本当の狙いで作られた狂育カリキュラムという意味だ。それは生きたバイオロボットを作るためのロボット製造工場だ。
学校教育とは意図的にバカを作るために仕組まれた計画なのである。そしてなぜそんなことをする必要があるかのか?それは政治家や役人がアメリカのロックフェラー政権の奴隷となり、莫大な国債を騙されて貢いでいることや医猟で活躍する医者達が教えられるが○○○○に発病剤を打ち込み、製薬利権に莫大な利益をもたらしていることがひとつの例だ。
●バカは奴隷として使うには都合が良い
なぜわざわざバカな人間を作る必要があるのか?それはバカは奴隷として使うには都合が良いからである。高学歴とはそれだけバカである証拠だ。バカは詐欺のババを掴まされてバカだから思う支配者のツボにはまり、優越感に浸っているわけである。支配者からすれば笑いが止まらないだろう。
抜粋内容は半分程度であるが、やはり革命のためにはこれくらいの引用は必要である。全編読みたい是非は是非本で読んでいただきたい。
これを読めば学校というものの正体が医猟産業と同じく、都合の良い奴隷、バカな奴隷人材を作りだす悪意が根底にあるであることに気づくだろう。
今こそ真実に気づき、この悪しき習慣をやめるべきではないか。義務教育は本人か親の決断ひとつあれば明日から辞めることは出来る。行かせない、行かないという強い意志を持てば良いのである。
そして自分の子供はけっして学校に行かせるべきではないことに気づくだろう。
なぜなら学校の本質は病院が病院という仮面を付けた屠殺解体場であるのと同じく、学校の本質はけっして税金で教育をほどこしてくれる学校ではなかったからだ。学校や教育という仮面を付けたバカを作るための奴隷生産工場である。
この本はベストセラーになり、この本を読んだことで、学校に行かせない親が続出した。医猟も狂育も本質を見抜いてみればその本質はウルトラペテンワールドの世界である。今から40年近くも前から教育の本質が奴隷製造工場であることに気づいていた人がいたのである。
●意図的にバカを作ることが目的で行われている学校狂育の本質
この著者が言いたい「バカを作る学校」とは、言葉の受け止め方によって意味が違ってくるだろう。多くの人は先入観から、「現代の学校は結果的に古くさいカリキュラムが子供の発達を阻害してしまっているから、その時代に合わない部分を指摘したり、カリキュラムについて改良の提案を提示しているのだろう」という先入観を持つかも知れない。そういう意味の「バカを作る学校」という意味では断じてない。
「そもそも学校狂育とは意図的に支配者に都合よく動き、自分では何も判断する能力を持たず、指示されたとおりに動くバカを作り出すために行われている奴隷支配制度であることに気がつきなさい」と言うことである。
バカという言い方をもっと本質的に言えば指示されたとおりに動くバイオロボットの製造工場である。
家畜奴隷者下垂の存続の維持のために学校制度はなくてはならないものである。そしてその本当の本質と目的を大衆に悟られると支配者たちにとってはマズイのである。
これは現代医学という悪魔の産業が間違った勘違いで行われているのではなく、本当は意図的に悪化させて稼ぐために研究されてきた悪魔の産業であったということと同じである。
現代文明の真相は非常に残酷な社会に生きていることに気がつかなければならない。
告発書 「バカをつくる学校」の抜粋
『バカをつくる学校』ジョン・テイラー・ガット著 試験制度の恐るべき弊害「義務教育は人間をバカにするために存在する?」
内容は
学校という神話―はじめに
義務教育における七つの大罪
精神病の学校
学校教育の「第四の目的」
私はこうして教師になった
もう学校はいらない
終わらせよう、学校教育の悪夢
[要旨]
集中力を育てない「チャイム」、対立させる「クラス分け」、敗者だと自覚させる「競争」、階級を意識させる「成績評価」、自分の頭で考えない人間の生産工場…それが義務教育。日本の教育もまるで同じ惨状だ!!ニューヨーク州最優秀教師の全米覚醒のベストセラー。
この本は義務教育の実態はバカを作って都合の良い奴隷を作るためであるということをバラし、アメリカでも日本でもこの本を読んで学校に行かせないことを決意する親がたくさん出てきた。
そういう意味では学校教育が正しいのであれば平岩医師はすばらしい医者になっているはずだ。その実態はどうか?
添付文書の説明書、注意書き、一枚すら自分で読む能力がないのである。
平岩正樹の本や発言はすべて原爆ドームと同じく、二度とこのような悲劇の過ちを繰り返さない負の遺産という意味でも殺戮が繰り返された平岩の病院、本、大学医学部の建物などを世界遺産にするべきであろう。
学校狂育が実は裸の王様であることは多くの人は気づいているのである。ただ、結局、自分が行ってしまったから自分の掴まされたババを否定できなくなっているだけだ。
医者や平岩のような究極のバカが作られるメカニズムは多くの人は説明されれば納得するはずだ。
その本質は大日本帝国の軍隊と同じく、意図的に指示されたように動くバイオロボットを作ることが目的で行われているのである。
以下は"バカをつくる学校"のレビューである。この本のレビューを読んで、世の中には私と同じように想っている人が多いことに気がついた。多くの人が愚行のメカニズムに気づくことで少しは世の中がよくなるだろう。義務教育における七つの大罪
●七つの教育方針
今から三十年前、私はやりがいを求めて、教師の世界へ飛び込んだ。教員免許によれば、私は国語と国文学の教師ということになっているが、実際はそうではない。
私は国語を教えているのではなく、学校を教えているのだ(それでニューヨーク州最優秀教師賞までもらった)。
では、学校を教えるとはどういうことか。それは、ハーレムからハリウッドヒルズまで、どこの学校にも共通する[七つの教育方針」を教えるということだ。これは国の教育課程を構成するもので、すでにご存知の方もいるだろう。学校教育については、みなさんの税金も使われているので、それをどう考えるかはみなさんの自由だ。
しかし、これから私がお話しすることは、けっして単なる皮肉ではない。
①一貫性のなさ
先日、インディアナ州に住むキャシーという女性から、こんな手紙をもらった。
子どもたちにとって一番重要な認識とは何でしょう。私に言わせれば、それは、彼らの学習が体系的なものであるという認識です。
つまり、学校の授業には一貫性があり、教師はただやみくもに知識を押しつけ、吸収させようとしているのではないということです。それは首尾一貫した、論理的な内容なのです。
キャシーさんは間違っている。というのも、学校の七つの教育方針の一つ目は、一貫性のなさ」だからだ。
実際、私の教えることにはまったく脈絡がない。何もかもがばらばらで、めちゃくちゃである。惑星の軌道、大数の法則、奴隷制、形容詞、設計図、ダンス、体育館、合唱、集会、びっくりゲスト、避難訓練、コンピューター言語、保護者会、教員研修、個別プログラム、ガイダンス、実社会ではあり得ない年齢別のクラス……。
いったいここにどんな一貫性があるというのだろう。
一流の学校でさえ、カリキュラムとその順序については、多くの矛盾を抱えている。
しかし、子どもたちはそうした矛盾に怒りや困惑を表わすことも許されず、それを「質の高い教育」として押しつけられている。
学校の論理は、生徒が何か一つのことに熱中するよりも、たとえ表面的であれ、経済学や社会学、自然科学といったひと通りの専門知識をもっていた方がいいというものだ。そのため、多くの教師が子どもたちに混乱を強いている。だが、教師の世界は非常に閉鎖的で、そのほとんどがじつは専門知識などもっていないのである。
まともな人間が求めるのは、ばらばらの事実ではなく、意味である。教育とは、生のデータから意味を引き出させることなのだ。パッチワークのような時問割や、事実と理論ばかりを優先する授業の中では、意味を模索することなどできない。
これは小学校ではもっとむずかしい。そこでは、子どもにできるだけ多くの体験をさせることが望ましいとされ、親たちはまだその嘘に気づいていない。
そもそも、物事には自然な順序というものがある。人間がまず歩くことを覚え、それから話すことを覚えるように、日の出から日没までの太陽の動きや、鍛冶や農作業といった昔ながらの手仕事、あるいは感謝祭のごちそうの準備など、どんなことにも流れというものがある。そこでは、一つひとつの動きに正当な理由があり、前後との結びつきによって、全体が完全に調和している。
ところが、学校教育においては、一つの授業にしろ、一日の時間割にしろ、つねに順序がめちゃくちゃである。教師も教師で、学校の方針には逆らえないため、批判の手段になるようなことはけっして教えない。生徒が何かを「学ぶ」とすれば、それは宗教の教理問答を暗記するようなものだ。
子どもたちは、こうした一貫性のかけらもない学校教育を、みずからの運命として受け入れるしかないのである。
②クラス分け
七つの教育方針の二つ目は「クラス分け」である。私は生徒たちに、それぞれ自分の所属するクラスにいるように教える。誰がそう決めたのかは知らないが、そんなことは関係ない。彼らには番号がつけられていて、もし逃げ出しても、すぐ所定のクラスへ連れ戻せるようになっている。
学校はあらゆる方法で子どもたちに番号をつけるが、番号だけで人を判断していいものだろうか。親がそれに何も言わないのも不思議である。
こうした年齢別の区分があるのは学校だけで、大人の世界には絶対に存在しない。
五十五歳の社員を全員同じ部屋で働かせるような会社があるだろうか。
義務教育が導入される前の時代は、あらゆる年齢の子どもが一つの教室で学んでいて、年長の子どもが年少の子どもを教えるようになっていた。このシステムは、子どもたちを席に縛りつけ、「教官」の話をただ受動的に聞かせるだけの授業よりも、ずっと効果的であることがわかっている。子どもたちはまさに戦場の兵士と同じだ。鬼軍曹は新兵たちをしごくため、朝の四時に箒の柄でごみ入れの缶をガンガンと叩く。
しかし、学校教育にはこれよりもっと徹底した統制手段がある。
いずれにせよ、私の仕事は、生徒を番号によってクラスへ閉じ込め、それに順応させることだ。上のクラスは厳しいもの、下のクラスはダメなものという先入観を植えつければ、彼らは自分の地位に満足し、クラスは軍隊のようにビシッとまとまる。
しかし、その一方で、教師は褒美をちらつかせ、少しでも成績を上げて、上のクラスへ行けるように生徒を促す(結局は、学校全体の計画として、九十九パーセントの生徒はそのままのクラスに残される)。実際、テストの点や成績は就職にほとんど関係ないが、教師はそれが雇い主へのアピールになるとほのめかす。
ソクラテスが何千年も前に言ったように、現実と学校教育とは根本的に両立しないのだ。クラス分けの目的は、子どもたちに自分のレベルを自覚させ、そこから脱出するには、点数を上げるしかないと信じ込ませることである。
③無関心
三つ目の教育方針は「無関心」である。私は、たとえ子どもたちが何かに興味を示しても、あまりそれに夢中にならないように教える。そのテクニックはじつに巧妙だ。
まず、私は念入りに計画を立て、子どもたちを私の授業に熱中させる。彼らは興奮して立ち上がったり、私に褒められようと活発に競争したりする。教室が熱気に包まれるのを見るのは嬉しいもので、生徒はもちろん、私までもが気分が高揚する。
しかし、いったんチャイムが鳴ると、子どもたちにはそれまでやっていたことをすべて中止させ、ただちに次の授業の準備をさせる。
彼らは電気のスイッチのように、素早く頭を切り替えなければならない。私のクラスでも、他のどのクラスでも、重要なことは何一つやり遂げられたことがない。生徒たちがまともにやり遂げるのは学費の納入くらいのものだ。
それどころか、子どもたちはチャイムを通して、やり遂げるだけの価値のある仕事はないと教えられる。そのため、何かに深く興味を持つこともない。何年間もチャイムに従って過ごすうち、一部の耐性のある子を除いて、もはや社会にはやるべき重要な仕事はないと思い込むようになる。
チャイムは時間割の隠れた原則で、その原則は絶対だ。チャイムは過去も未来も打ち壊し、どの時間も均一なものにしてしまう。それは、自然の山や川が実際にはそれぞれ違うのに、地図上ではどれも同じように抽象化されるのと似ている。チャイムによって、授業はすべて無意味なものになるのだ。
④感情的な依存
四つ目の教育方針は「感情的な依存」である。子どもたちは、教師に褒められたい、あるいは怒られたくないと思うように条件づけされる。私が生徒の答案に○や×をつけたり、特別な褒美や罰を与えたり、優しい顔や怖い顔を使い分けたりするのは、彼らの感情的反応を私に依存させるためである。
つまり、教室の中では教師が支配者であるという感覚を植えつけるのである。
その意味では、たとえば、生徒がトイレに行くという口実で席を立ち、授業をサボったとしても、それは条件づけの一つの効果だと言える。
なぜなら、その生徒が嘘の口実を言ったのは、彼が私に怒られたくないと思ったからであり、私に気をつかったからである。教師にどう思われようと平気なら、もとより嘘をつく必要はなく、勝手に教室を出て行けばいいのである。
しかし、学校に自由は存在しない――言論の自由さえも。教師は生徒を自分の基準に合うように動かし、それに反する者は厳しく罰せられる。若者の間でしきりに「個人の自由」が叫ばれているが、自由は学校制度とは矛盾するものだ。
⑤知的な依存
五つ目の教育方針は一知的な依存」である。子どもたちは、何事も自分で判断せず、教師の指示を待つように教えられる。彼らが何を学ぶべきか、彼らの人生に何が必要かなど、重要な判断はすべて専門家が行なう。専門家とは、私のような教師であったり、その背後にいる「影の雇い主」であったりする。実際、こうした判断はむしろその雇い主の仕事で、私の仕事は彼らの命令を実行し、逸脱者を罰することだ。学校にとって、優等生と劣等生の違いは、こうした思考のコントロールがどれだけ行き届いているかによる。
「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、適度な熱意をもって、それを受け入れる生徒のことである。何をいつ学ぶのか、一影の雇い主」が決めたことに従順で、他のことには興味を抱かない。
一方、「劣等生」とは、教師の示した考えに抵抗し、何をいつ学ぶのか、自分でそれを決めようとする生徒のことだ。教師としては、そうした生徒を野放しにしておくわけにはいかない。そこで、彼らの意志を砕くため、親に連絡するという効果的な手段を使う。
たしかに、親が子どもの味方になるような場合もあるが、そういうケースは稀である。実際、私がこれまで会った中流家庭の親で、我が子よりも学校が悪いと言ってきた人はいなかった。長い教師生活の中で、たった一人もいなかったのである。
これは驚くべきことだが、おそらく、親自身が学校で七つの教育方針を叩き込まれてきたからだろう。
『優等生」は、大人になっても専門家の指示を待つ。今日の経済社会は、そうした人びとによって成り立っていると言っても過言ではない。もし子どもたちが従順であるように訓練されていなかったら、すべては破綻してしまうだろう。社会システムは機能せず、カウンセラーやセラピストは休業を余儀なくされる。人びとが自分で楽しみを見つけるようになれば、テレビなどの商業的娯楽も衰退する。
また、他人のつくった食事に頼らない、自給自足の生活が見直されれば、レストランや加工食品といった飲食産業も衰える。学校教育が無力な人間を生み出さなくなれば、学校はもちろん、現代の法律や医療、工業なども衰退するだろう。
つまり、職を失いたくなかったら、学校改革に賛成票を投じるのは軽率だというわけだ。私たちの社会は、自分で考えることを知らず、ただ言われたことをするだけの人間によって成り立っている。それは、学校教育のもっとも重要な方針の一つなのである。
(編注 これこそが私の言う学校教育とは、強制的な徴兵制度であり、指示されたとおりに奴隷として働くロックフェラー歩兵団を作る制度である。子供たちは、犯罪を犯す以前から奴隷制度によって禁固刑を受けているわけである。)
⑥条件つきの自尊心
六つ目の教育方針は「条件つきの自尊心」である。親から無条件に愛されている子どもは、自尊心が強く、従わせるのがむずかしい。しかし、こういう自信家が大勢いては、社会は維持できない。そこで私は、子どもたちに、自分の価値は専門家の意見に左右されるということを教える。
つまり、彼らはつねに教師に評価され、審査されるのである。
実際、生徒の家庭には月に一度、通知表が送られ、テストの点などが報告される。
点数が一桁だったりすると、親は我が子にがっかりするだろう。学校の存在意義をアピールするためには、そうした不満を持続させることが重要である。
これは、企業が消費者に不満を抱かせ、そこから需要を掘り起こすのと似ている。
教師は通知表をつくるのに手間も時間もかけないが、こうした客観的(に見える)データの積み重ねによって、子どもの自尊心は大きく左右され、自分の未来は他者の評価にかかっていると考えるようになる。自己評価は、哲学の世界では重要な要素でも、学校教育ではまったく問題にされない。
通知表の目的は、子どもたちに自分や親を信じるのではなく、資格をもった専門家の評価を信じるように教えることである。自分にどれだけの価値があるのか、それは他人が決めることというわけだ。
(編注 学校狂育というロックフェラー歩兵団では自分で考えたり、判断して行動することはあってはならないことである。学校制度とは上から指示されたとおりに動く人間を作るための奴隷バイオロボットとして訓練である。)
⑦監視
七つ目の教育方針は「監視」である。私は生徒たちに、彼らがいつも見張られていて、教師の監視から誰も逃れることはできないと教える。子どもたちには、プライベートな場所もなければ、プライベートな時間もない。五分間の休み時間は、彼らをさりげなく接触させ、お互いにスパイさせるためである。
生徒はお互いの秘密や親の秘密を聞き出し、それを密告するように奨励される。もちろん、教師は親にもそれを促し、我が子の反抗的な態度を学校に報告させる。密告が徹底されている家庭では、どんな秘密も筒抜けだ。
また、私は「宿題」という授業の延長によって、生徒の家庭生活にも監視の目を入り込ませる。学校と違い、家では自由な時間を与えられている彼らは、親の許可なく、何かを調べたり、賢者に知恵を求めたりするかもしれない。宿題はいそうした自由時間をなるべく拘束するためのものだ。
つまり、「小人閑居して不善を成す」のを防ぐのである。
絶え間ない監視の目的は、子どもたちにプライバシーなど存在しないこと、他人は誰も信用できないことを教えることだ。
こうした監視の必要性は古くから指摘され、世界中の偉大な思想家や、偉大な書物――『国家』、『神の都』、『ニュー・アトランティス』、『リヴァイアサン』など――によって支持されてきた。彼らはその著書の中でこう言っている――もし社会を中央統制の下で維持したいなら、子どもには厳しい監視が必要だ。勝手な行動をさせないように、画一的な集団に入れるべきである。
●「読み書き・計算」は百時間で学べる
どんなに優秀な教師であれ、どんなに立派な親であれ、彼らのほとんどは物事を決まった方向からしか見られない。これは政府による集団義務教育の偉大な勝利である。蝋子どもには読み書き・計算を教えるべきだ」とか、「命令に従うことは社会人の務めだ」とか、人びとはそう思い込んでいる。
ほんの二、三百年前まで、事情はまるで違っていた。社会は独創性や多様性にあふれ、アメリカは世界に類のない自由の国だった。階級の垣根も低く、人びとは自信と創造力をもって、たいていのことは自分で考え、自分ですることができた。
一人ひとりが尊重され、政府が市民の生活に首を突っ込んだり、思想を押しつけたりすることはなかった。私たちは個人として、アメリカ人として、誰もが自立していたのである。
ところが、南北戦争の直後から、アメリカでは中央統制が強まり、そうした社会を維持するために、義務教育――政府が支配する学校教育――が求められた。それまでは学校の数も少なく、あっても任意的なものだったが、それでも人びとはきちんと読み書き・計算を覚えた。
独立戦争当時の識字率を示す研究によれば、少なくとも奴隷以外の東部の人びとについては、ほぼ百パーセントに近かった。トマス・ペインの『コモンセンス』は六十万部を売り上げたが、当時の人口は約三百万人で、その二十パーセントは奴隷、五十五パーセントは年季奉公人だった。
植民地時代の人びとは天才だったのだろうか。そうではない。本人に学ぶ気があれば、じつは、読み書き・計算は百時間もあれば教えられる。
その秘訣は、誰かから質問が出るまで待つこと、生徒の気分が乗っているうちにどんどん進めることだ。
読み書き・計算の能力を独学で身につけた人も多く、本当はそれほどむずかしいことではない。
一八五〇年に使われていた五年生の算数や作文の教科書を見てみると、その内容が現在の大学レベルに相当することがわかる。
学校はしきりに「基礎学力」の養成を叫んでいるが、彼らはそのために子どもを十二年間も拘束し、「七つの教育方針」を叩き込んでいるのである。
南北戦争を境に中央統制が強まったアメリカでは、人びとの生活、服装、食べ物、あるいは東西に走る幹線道路など、あらゆる面に支配の影響が表われた。
おそらく、麻薬や自殺、離婚、暴力、虐待といった問題が蔓延しているのも、社会の閉鎖的な階級意識とともに、私たちの生活が非人問的になり、個人や家族、地域社会の重要性が顧みられなくなったからではないだろうか。
つまり、これは中央統制がもたらした衰退である。当然、義務教育はますますエスカレートし、子どもたちを地域社会から遠ざける。彼らは子どもの教育を専門家の手に委ねることで、地域社会を崩壊させ、子どもを成熟した人間にさせないようにしているのだ。
アリストテレスによれば、人は地域社会で積極的な役割を果たさないかぎり、健全な人間にはなれない。彼の教えが正しかったことは、学校や老人ホームを見れば明らかである。
学校は、モデルとなる社会を支えるための体制としてつくられた。それは、支配階級を頂点とするピラミッドにおいて、大多数の人びとをその従順な土台にしようとする制度である。彼らはそうしたピラミッド社会の秩序を絶対的なものに見せているが、それは独立戦争の理念に反するものだ。
植民地時代、共和国時代をとおして、アメリカにはこれといった学校はなかった――ベンジャミン.フランクリンの自叙伝によれば、彼は学校へ通う余裕もなかった――が、民主主義の理念は見事に実現されようとしていた。
ところが、私たちは古代エジプトのような圧政を目指すことで、この誓いに背いたのである。プラトンの『国家』には、グラウコンとアデイマントスの質問に答える形で、ソクラテスのこんな思想が述べられている。それは階級社会を維持するために、国家が人びとの生活を完全に支配するという思想である。[私はそうした熱病に冒された国家のつくり方を知っているが、君たちはそれに違和感を覚えるだろう」――こうして、今の学校教育の青写真が初めて語られたのである。
現在、アメリカでは国の教育課程をめぐって、激しい議論が行なわれている。
しかし、それは的外れな議論だ。国家の目的は、私が説明した七つの教育方針によって、すでに実行されている。それは子どもの肉体や道徳、知性を麻痺させ、取つ返しのつかない、恐ろしい影響をもたらしている。
学校は子どもの学力低下を叫ぶ一方で、じつは計画どおりに「教育」を進め、大きな成果を上げている。その「教育」とは、子どもに従順な態度を叩き込み、ピラミッド社会での地位に満足させることである。
●隠れたカリキュラム
しかし、この事態は避けられないものではない。私たちには子どもをどう育てるかについての選択肢があり、正解は一つではないからだ。社会の錯覚を打ち破ったときにこそ、真実が見えてくる。マスコミは嘘の事実を煽っているが、実際、この国の存在を脅かすような国際競争は存在しない。エネルギー資源も含めて、アメリカはあらゆる面で自給自足できる国なのだ。これは一般的な政治経済学者の意見とは異なるが、彼らの言うアメリカ経済の「重大な変化」もまた、避けられないものではない。
グローバル経済は、人びとの真の要求に応えていない。私たちが求めているのは、やりがいのある仕事、手頃な住宅、充実した教育、適切な医療、美しい環境、誠実で責任感のある政府、社会や文化の再生、あるいは純粋な正義である。
ところが、この国は生産性ばかりを追求し、大衆の現実とはかけ離れた生活を提案している。私はそれが明らかな間違いだと思うし、別の生き方を知っている人なら、ほとんどがそう思うはずだ。
人生の意味とは、家族や友人、自然、季節の移り変わり、ささやかな儀式、好奇心、寛容、情熱、他者への奉仕、適切な自立やプライバシーの中にある。また、自由でお金のかからない真の家族、真の友人、真の地域社会の中にある。こうした人生哲学を取り戻せば、私たちはみずからの生活に満足し、世界経済の「専門家」が提唱する物質的満足は必要なくなるだろう。
●学校制度の有害度
そもそも、「学校」という牢獄はどうやって生まれたのだろう。簡易的な学校はさまざまな形で存在したし、それなりに子どもの育成に役立っていた。
しかし、いわゆる現代の学校教育が生まれたのには、次の三つの要因が考えられる。一つは、二度にわたる「赤の恐怖」――一八四八年と一九一九年――で、当時、有力階級は貧しい労働者による革命を恐れていた。
もう一つは、一八四〇年代のケルト系、スラヴ系、ラテン系移民の流入だ。アメリカの伝統的な人びとは、彼らがもち込んだ異質な文化とカトリック教に反発を感じた。さらに、この伝統的な人びとは、南北戦争をきっかけに、アフリカ系アメリカ人の運動にも脅威を抱くようになった。
ここで、例の七つの教育方針を振り返ってみよう――一貫性のなさ、クラス分け、無関心、感情的・知的依存、条件つき自尊心、監視。これらはいずれも、下層階級の人びとを社会の底辺にとどめておくためのものだった。
しかし、それはやがて、貧困層の管理という本来の目的をさらに拡大させた。一九二〇年代以降、学校は、その制度によって利益を得ていた産業界とともに、貧しい家庭の子どもばかりか、中流家庭の子どもをも巻き込んでいったのである。
(編注 これこそが著者の言いたい学校狂育とは、そもそも奴隷として都合良く使われていることにも気が付けないバカな奴隷支配を行うための本質である。
それを現代では「優れた教育を受けさせるため」とタテマエを偽装し、奴隷工場に強制的に入れる支配システムが確立している。こういうプロパガンダをやっているのは、現代医学が「早期発見、早期治療で多くの人を救いたい」と連呼している悪魔の"医猟"産業のタテマエと同じである。 つまり、狂育でバカな獲物を作り、奴隷として働かせて屠殺解体することがロックフェラー牧場の狂育→働き蜂として使いこなす→屠殺解体して資産を収奪する→国税が回収というシステムになっている。
この支配システムを維持するための基礎作りとして現代文明の支配者たちにとって、義務狂育に言ってもらわなければ困るのである。義務狂育とは元気よく奴隷として働いてくれ、搾取の支配システムに気づけないバカを作るための制度なのだ。)
ソクラテスが、金を取って教えることを非難され、憤慨したのは当然かもしれない。当時でさえ、哲学者の間では、教育が専門職として特化されていくことは明らかだったのである。
今の学校教育を考えれば、アメリカはたしかに危機的状況にある。
しかし、その内容はマスコミが伝えていることとは違う。子どもたちは、大人の世界や将来に無関心で、ゲームや暴力といった気晴らし以外、ほとんどすべてに冷めている。裕福な家の子であれ、貧しい家の子であれ、何事にも集中力が続かず、過去や未来といった時間感覚にも乏しい。
彼らはまるで両親が離婚した子どものように、愛情を信じない(それは学校が彼らを親から引き離しているからだ)。彼らは孤独を嫌い、残虐で、物質主義的で、依存的で、受け身で、暴力的で、予期せぬことに臆病で、娯楽に中毒になっている。
ゆがんだ学校教育は、幼少期のちょっとした傾向を異様なまでに増長させ、望ましい人格形成を妨げている。
実際、学校や教師が生き延びているのは、子どもたちのこうした未熟さのおかげである。その証拠に、批判的思考の手段i論理や自由な発想を教えようとする勇敢な学校は、どこも長続きせず、やがて破綻してしまう。現実の社会では、学校が教会の代わりとなり、人びとにその教えを信じさせているのである。
●学ぶ機会を奪われる子どもたち
子どもたちにとって、こんな学校制度が有害であることは明らかだ。教師も含めて、誰もがその七つの教育方針に影響されている。隠れたカリキュラムはひどく破壊的で、少し手を加えたくらいではどうにもならない。
皮肉なのは、学校教育に必要な意識改革を行なうと、新しい学校は今よりずっと金のかからないものになるため、利権者がそうした改革に消極的だということだ。
彼らにとって、教育はビジネスであり、たとえ子どもの育成に役立つとしても、そのために業務を縮小したり、商品を多様化させたりして、利益を削ることはできない。教育は特別なビジネスであり、通常の会計手続きにも、健全な自由競争にも従わないそれが学校制度の鉄則である。
(編注 学校狂育の本質は奴隷の生産工場である。奴隷を作るには、まず自分で成長させないように国家によって監視、発育できないようにしなければならない。ロックフェラー体制に支配されたこの現代文明では、子供の大事な成長の時間を奪ってしまうことで自分で考えたり、自分の技術を身につける時間を奪うことである。どおりでバカを作る狂育でのしあがったぺーパー秀才の東大などでは平岩正樹のようなバカが多いわけだ。)
しかし、教育がビジネスなら、何らかの自由市場システムが働いてもいいはずだ。
個人の学校、企業の学校、宗教の学校、職人の学校、農業の学校など、たくさんの学校が存在し、政府の学校と競争する。それはちょうど、南北戦争以前のアメリカにあった自由な学校制度と同じだ。子どもたちはかつて、独学も含めて、それぞれ自分に合った方法で勉強していた。
現在でも、こうした選択肢はわずかに残っているが、それを選べるのは、一部の金持ちか超優等生、あるいは勇気や幸運に恵まれた者だけだ。貧しい家庭や崩壊した家庭、中流階級の端くれにいるような家庭の子どもには、こうした選択肢はまずない。
つまり、私たちが今の学校教育に断固たる措置を講じなければ、七つの方針の悪影響はますます広がっていくということだ。
そもそも、集団教育の価値はその内容によって決まる。カリキュラムがいいとか、設備がいいとか、教師がいいとかいったことは、子どもの教育の決定的要因にはならない。大切なのは、彼らが自分や自分の家族を信じ、自発性や忍耐、勇気や自信、品位や愛情といったものを学び、他者への奉仕を学ぶことである。今の子どもたちが病んでいるのは、あの七つの教育方針によって、こうしたことを学ぶ機会を奪われているからだ。
三十年前なら、それらはまだ放課後に学ぶことができた。
しかし、今では、そのだんらん時間のほとんどがテレビに奪われ、共働きや片親の家庭が増えたことで、一家団攣の時間も失われている。今の子どもたちには、成熟した大人になるための時間も、そのための豊かな土壌もないのである。
未来は、私たちにもっと心の学習をするべきだと言っている。物にあまり金をかけない、自然な生き方をするべきだと言っている。こうしたことは、いわゆる学校では教えてくれない。
学校教育は十二年の禁固刑のようなもので、そこで教えられるのは悪い習慣だけだ。「七つの教育方針」、すなわち[七つの大罪」をなし、それで最優秀教師賞までもらった私にとって、これは紛れもない事実である。
精神病の学校
●学校は「階級分類装置」
現在、学校は深刻な危機にある。そしてそれは、さらに深刻な社会の危機と関係している。
アメリカ人の読み書き・計算能力は、十九の先進国の中で最下位である。世界の麻薬取引はアメリカを中心に行なわれ(私たちアメリカ人が麻薬を買うのをやめたら、このビジネスは成り立たない)、学校はその重要な販売ルートになっている。
十代の自殺率は世界最高で、自殺する子どもの大半は、貧困家庭ではなく、裕福な家庭の子どもである。マンハッタンでは、新婚夫婦の七十パーセントが五年足らずで離婚する。この国は明らかに狂っているのだ。
学校の危機は、地域社会の危機と関係がある。子どもと高齢者は隔離され、世間から完全に無視されている。もはや彼らに話しかける人はなく、日常生活で両者がふれあうこともない。そんな地域社会では、未来も過去もなく、ただ現在が続くばかりだ。実際、「地域社会」という言葉は死語かもしれない。
私たちは地域社会ではなく、ネット社会に生きており、そこでは誰もが一人ぼっちだ。学校はこうした悲劇の主人公として、社会の階級差を広げる要因になっている。私たちは学校という分類装置を使って、ピラミッド型の社会をつくっているのであり、その最下層にいるのが、地下鉄で物乞いをしたり、公園で寝たりする人びとである。
三十年の教師生活をとおして、私はある興味深い現象に気づいた。学校は、世の中の創造的活動から取り残されている。もはや科学者が科学のクラスから生まれるとか、政治家が公民のクラスから生まれるとか、詩人が国語のクラスから育つなどと思っている人はいない。
実際、学校は命令に従うことしか教えていない。優しく、思いやりのある多くの人びとが、教師として、助手として、管理者として働いているにもかかわらず、彼らの努力は学校の抽象的な論理に押しつぶされている。教師たちが奮闘する一方で、学校は精神病にかかったかのように、分別のかけらも示さない。学校がチャイムを鳴らすと、詩を書いていた生徒はノートを閉じ、別の教室へ移動して、今度は進化論を覚えなければならないのである。
●義務教育はこうして生まれた
義務教育という形態は、一八五〇年ごろ、マサチューセッツ州で考案された。当初、住民の約八十パーセントがこの制度に反対し、銃で抵抗することさえあった。
最後の砦となったケープコッドのバーンステーブルでは、一八八〇年代までそうした抵抗が続いたが、街はついに義勇軍に包囲され、子どもたちは護衛つきで学校へ向かった。
ここで、おもしろいデータを紹介しよう。同州の上院議員エドワード・ケネディの事務所が発表した文書によれば、義務教育が導入される以前、州の識字率は九十八パーセントだったが、導入後は一九九〇年の九十一パーセントが最高だという。
もう一つおもしろいデータがある。現在、ホームスクーリング(自宅学習)の運動が静かに広がり、約百五十万人の子どもが親から教育を受けている。先月の教育専門誌によれば、自宅学習の子どもの思考力は、学校に通っている同級生より、五年から十年も進んでいるという。
私は学校がすぐになくなるとは思わない。おそらく、私が生きているうちは無理だろう。
しかし、無知による悲劇をこれ以上広げないために、私たちは「学校」という教育制度(教育などしていないが)をよく知る必要がある。学校の問題点は、何よりもその目的にある。それは教師の質や予算不足とは関係ない。そもそも、教育と学校制度とは、同義語になり得ないのである。
最初に学校制度の構想をまとめたのは、教育改革者のホーレス・マン、シカゴ大学のハーバーとシアーズ、コロンビア教育大学のソーンダイクといった人びとで、その目的は大衆を厳しく管理することだった。
つまり、学校は公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである。
この役割は見事に果たされ、社会ではますます階級化が進んでいる。そこでは、「支配階級」だけに自立と個性が許され、それ以外の大衆は問題にされない。弱者を守る地域社会は衰退し、孤独なネット社会だけが生き残る。従うことに慣れた人びとは、写真のフィルムやかみそりの刃を売ったり、単純な事務処理をしたり、電話のオペレーターをしたり、パソコンの入力をしたりするだけで、自分の頭で考えることを知らない。要するに、他人に対しても、自分に対しても、役に立たないのである。
こうした悲劇の原因は、三十年前にポール・グッドマンが言ったように、馬鹿げた学校制度にある。教育改革をするなら、この不条理な制度を何とかしなければならない。
同じ年齢、同じ階級の人びとをまとめて監禁するような制度に従うことは、人生を台無しにすることにほかならない。それは人間のあらゆる可能性を奪い、人びとを過去や未来から切り離して、ただ連続する現在にとどめようとするものだ。
チャイムの音で教室を移動させ、個人のプライバシーどころか、家庭という聖域にまで踏み込んで「宿題」をやらせようとする学校そんなところで子ども時代を過ごすのは、じつに愚かで、不自然なことである。
「でも、読み書きはどうやって覚えるの?」と思う人もいるだろう。マサチューセッッ州の話を思い出してほしい。狭い教室での授業より、自由を与えられた子どもは、それが自分の人生に必要だと思えば、簡単に読み書き・計算を覚えるものだ。
ただし、アメリカでは、読み書き・計算ができてもあまり尊敬されない。この国では、話すことがもっとも重視され、言葉を口に出して初めて富や賞賛が得られる。
そのため、子どもたちはそんな大人を真似して、話してばかりいる。彼らに「基礎」を教えるのはむずかしい。
なぜなら、それはもう今の社会にとって基礎ではないからだ。
●テレビ・学校・習い事
現在、子どもたちの生活は二つの慣習に支配されている。それは「テレビ」と「学校」である。この二つは、彼らが分別や節度、勇気や正義といったものを学ぶ機会を奪っている。そもそも、幼少期や思春期というのは、実際に仕事を体験したり、冒険したり、思いやりを知ったり、自分が本当に学びたいと思うことを見つけたりする時期だった。
子どもはその時期の大半を地域社会で過ごし、あらゆる人びととの交流をとおして、家庭を築く方法など、一人前の大人になるための知恵を学んだ。
ところが、今の子どもたちにはそうした時間がない。週百六十八時間のうち、五十六時間は眠るとして、彼らの自己形成のための時間は週百十二時間である。
報告によれば、最近の子どもは週五十五時間テレビを見るというから、残りは週五十七時間になる。
しかし、彼らは週三十時間を学校で過ごし、約八時間を通学とその準備に使い、さらには週約七時間を宿題に費やす(合わせて四十五時間)。
しかも、彼らはこの間ずっと監視され、プライベートな時間どころか、個性を示そうとすれば罰せられる。
結局、彼らに残された時間は週十二時間だが、当然、食事もする家族揃っての夕食はめったにないため、それほど長くはかからないので、それを週三時間と考えると、自由な時間は実質週九時間ということになる。
これではとても時間が足りないのではないだろうか。たしかに、裕福な家の子どもはテレビを見る時間が少ないが、その代わり、彼らは意に沿わない習い事に追われている。
こうした「時間割」は、依存的な人間をつくり出すための隠れた手段だ。彼らは自分の時間の使い方がわからず、自己の存在の意味も目的も、その喜びもわからない。この依存的で無目的な生き方は、国民的な病気である。それは学校やテレビ、習い事と深い関係があるはずだ。
深刻な社会問題麻薬や暴力、愚かな競争、性の乱れ、ギャンブル、アルコール、そして金品への執着1もまた、じつは依存的な人格による病気であり、学校教育の産物にほかならない。
●そして子どもはこうなった
では、このように成長に必要な時間を奪われ、抽象的な概念しか与えられない子どもたちは、いったいどうなるのか。この点をよく理解しておかなければ、どんな教育改革も意味をなさない。
①「大人の世界に無関心になる」。昔の子どもにとって、大人が何を考えているかを探るのはじつに刺激的な行為だった。
しかし、最近では、誰も子どもが成長することを望まず、何より子どもたち自身がそれを望んでいない。彼らを責める資格は誰にもない。大人はただのおもちゃになったのである。
②一集中力がほとんどなく、あっても長続きしない」。今の子どもは、自分で選んだことに対してさえ、集中力が持続しない。これはチャイムによる強制的中断と関係があるのではないだろうか。
③「未来に対する認識が乏しく、明日が今日とつながっているという感覚がない」。
先にも言ったように、彼らは現在の連続の中で生きており、その瞬間、瞬間が彼らの意識の境界になっている。
④「歴史に関心がない」。彼らは過去が現在をどう運命づけ、自分たちの選択にどう影響し、価値観や生活をどう形成したかということに興味を示さない。
⑤「他人に対して残酷になる」。彼らは不幸な人への思いやりに欠け、弱い人や助けが必要な人を馬鹿にする。
⑥「親しさや正直さを拒絶する」。彼らは他人と親しくすることができない。それは、テレビの影響による偽りのイメージや、教師を操るための見せかけの態度の中に、本当の自分を隠してきたからだ。他人の親しさに触れると、その見せかけのイメージが崩れるため、彼らは親密になることを避けようとする。
⑦「物質主義的になる」。彼らはあらゆることに成績をつける教師や、何でもかんでも商品にしてしまうテレビの影響で、精神的なものを無視する傾向がある。
⑧「依存的で、受け身で、新しい挑戦に臆病になる」。彼らはしばしばこの臆病さを、強がりや怒り、攻撃的な態度によって隠そうとするが、その下には無防備な弱い自分がいる。
この他にも、教育改革が取り組むべき問題はたくさんある。
しかし、同意を得られるかどうかは別として、私はこうした病的パターンの原因が、学校もしくはテレビ、あるいはその両方にあると思っている。
ちょっとした計算でわかることだが、子どもたちは他の原因が生じる余地もないほど、この二つに時間を奪われてしまっているのだ。
ここまで誤植確認済み●非人間的な教育
では、私たちにできることは何だろうか。
まず、マスコミをうんざりさせるほどの徹底した議論が必要だ。学校制度が修正されるか、あるいは修正不可能なほどに解体されるまで、激しく議論を闘わせる必要がある。もし学校制度が修正できるなら、それはそれでいい。
しかし、修正できない場合は、ホームスクリーング(自宅学習)に希望を見出そう。私たちが学校教育に費やしている金を家庭教育に費やすことで、子どもだけでなく、家族の回復にもつながるかもしれない。
ただ、真の改革のためとはいえ、余分なコストをかけるべきではない。今の学校にどれだけ多くの金や人材を費やしても、病気をさらに悪化させるだけだ。私たちに必要なのは、学校教育とは何かといった根本的な問題を考え直し、子どもに何を学ばせたいのか、なぜそれを学ばせたいのかを明確にすることである。
この百四十年間、アメリカは「専門家」からなる司令部中央のエリート集団の命令を、人びとに押しつけようとしてきた。
しかし、それはうまくいかなかったし、これからもうまくいかないだろう。そもそも、国民を中央の命令に従わせることは、民主主義というこの国の壮大な実験を否定するものだ。ロシアは、東欧にプラトンの共和国を築こうとして失敗した。アメリカもまた、学校を利用して、同じく中央集権的な制度を確立しようとし、滅亡に向かっている。
今の学校教育の問題は、その根本的な前提が非人間的で、家庭生活を否定しているところにある。
非人間的な教育によって子どもたちの生活を支配できたとしても、それは必ず麻薬や暴力、自己破壊、無関心といったさまざまな社会的病弊を生むだろう。
●自由な時間の大切さ
歴史を振り返ってみると、ヨーロッパの支配階級が行なってきたエリート教育は、一つの教育哲学として機能している。私自身、義務教育という現行制度が許すかぎり、みずからの授業でこの方針を実践している。それは裕福な家の子どもだけでなく、貧しい家の子どもにも有効だ。
エリート教育の根底には、自己認識こそ真の認識の土台だとする信念がある。そこでは、どの年齢の子どもも、自分一人で対処すべき課題を与えられる。ときには、馬を全速力で走らせるとか、ジャンプさせるとかいった危険を伴う課題もあるが、十歳足らずの子どもでも、ほとんどがこれをクリアしている。それまでまったく自分に自信がなかった子どもが、課題を見事に克服したというケースもある。その課題には、ソローがウォールデン湖でしたように、あるいはアインシュタインがスイスの税関でしたように、孤独に打ち勝つということも含まれる。
ところが、今の学校教育は、子どもたちが自己認識を深めるための時間を奪っている。私たちは、彼らにそうした時間を与えるような学校制度をつくらなければならない。どんなに幼い子どもでも、自分で学習できることを信じなければならない(おそらく、「自学」は学校環境とは別のところで生じるだろうが)。私たちは、子どもたち一人ひとりが、それぞれの個性や自信を深められるようなカリキュラムをつくらなければならない。
つい最近のことだ。私は七十ドルをかけて、クラスの十二歳の女子生徒をニュージャージーへ行かせた。彼女は英語を母国語としない母親とともに、バスで海岸線を下り、シーブライトという小さな町へ向かった。彼女はそこで警察署長を昼食に誘い、空き缶のポイ捨てによって浜を汚したことを謝った。私はその警察署長と取り決めし、謝罪と引き換えに、彼女に警察の仕事を一日体験させてもらった。
数日後、別の二人の生徒がハーレムから西三十一丁目へ出向き、そこで新聞の編集の仕事を学び始めた。さらに、三人の生徒が朝六時にジャージーの湿地帯へ行き、ダラスやシカゴ、ロサンゼルスに十八輪トレーラーを派遣している運送会社の社長に話を聞いた。
これらの生徒は、[特別な」プログラムの「特別な」子どもたちなのだろうか。
ある意味ではそうだ。
しかし、このプログラムのことを知っているのは、私と生徒たちだけである。彼らはハーレム出身の普通の子どもだ。頭がよく、用心深いが、学校にひどく汚染されていて、私のクラスへ来たときは計算もろくにできなかった。
おまけに、ニューヨーク市の人口も、カリフォルニア州との距離も、誰一人として知らなかった。
たしかに、これは憂慮すべきことだ。
しかし、自己認識さえ身につけば、彼らは自力でどんどん学んでいくだろう。そして、そうした自己教育にこそ、永遠の価値がある。
子どもたちには、今すぐ自由な時間を与えるべきである。そして、できるだけ早く、現実社会との接点を取り戻してやるべきである。これは緊急事項であり、そのためには抜本的な改革が必要だ。
●家庭のカリキュラム
もう一つ教育改革に必要なのは、学校に社会への寄生をやめさせることだ。この国は、子どもたちを公的な施設に収容し、世の中に貢献することから遠ざけている。
私はつねつね、ボランティア活動をカリキュラムの必須項目にするべきだと思っている。社会奉仕は、子どもたちに無私の精神や責任感を体験させる格好の手段だからだ。
五年間、私はゲリラ的な授業をとおして、子どもたち全員裕福な子も貧しい子も、頭のいい子も悪い子もに、年三百二十時間の厳しいボランティア活動をさせた。彼らの多くは、人助けというあの体験が自分の人生を変えたと、後に私に話してくれた。それは十三歳だった彼らに、新しいものの見方を教え、目標や価値観を考え直すきっかけを与えたようだ。
ただ、そうした実践プログラムが可能だったのは、私の学区が混乱していたからで、「安定」が取り戻されると、実践教室は閉鎖された。それはあまりにも少ない費用で、あまりにも大きな成功をもたらしたために、継続を許されなかったのである。
自立学習や社会奉仕、冒険、プライバシーの保護、多様な研修プログラム(一日以上の体験学習)これらはいずれも、学校教育の真の改革にとって有力で、安上がりで、効果的な方法である。
しかし、どんなに大規模な改革を行なおうと、教ヘへ育の中心に家庭を置かないかぎり、病んだ子どもや病んだ社会を救うことはできない。学校が子どもを親から引き離すかぎり、悲劇は終わらないのである。
豊かな人生の基礎となるのは、国のカリキュラムではなく、[家庭のカリキュラム」だ。健全な教育のためには、まず学校が率先して家庭生活を尊重し、親子の交きずな流を促して、家族の絆を強めなければならない。私があの女子生徒と母親をニュージャージーへ行かせたのは、これが目的だった。
抜本的な教育改革にとって最大の問題は、巨大な既得権益がマスコミを支配し、学校制度そのものから利益を得ているということだ。
私たちが耳にするのは、じつはマスコミが伝える公認の意見だけである。
しかし、教育の専門家が言うことはいつも間違っている。彼らの[解決策」はやたらと金がかかり、利己的で、中央集権を促すようなものばかりだ。
私たちはすでにその結果を見てきた。そろそろ、民主主義や個性、そして家族の大切さを思い出すときではないだろうか。
学校教育の「第四の目的」
●つくり変えられた学校
現代の学校教育に「第四の目的」があるとするなら、その前の三つは何だろうか。
アメリカの伝統的な教育制度には、建国当初から次のような明確な目的があった。
①善良な人間を育てること
②善良な市民を育てること
③生徒一人ひとりの能力を最大限に伸ばすこと
ところが、一八九〇年以降に導入された新しい集団教育には、さらに第四の目的が加わり、先の三つの目的を脇へ追いやった。この第四の目的とは、ドイツの学校のように、子どもたちを企業や政府のために奉仕させるというものだった。
つまり、マインドコントロールによって、子どもたちの購買意欲を刺激し、学校を消費拡大のための精神的訓練の場にするというわけだ。
そのためには、学校はまず退屈な場所でなければならなかった。
なぜなら、退屈こそ消費の原動力となるからだ。また、幼稚な人間は簡単に納得させられるため、大人になっても幼稚なままの人間を生み出すことは、学校という"工場"の最優先事項だった。当然、教師や管理者はこの計画の対象外だったが、中央当局からの指クビ示に従わない場合、彼らはすぐに誠にされた。
この新しい義務教育制度によって、学校は大企業の要望に合わせてつくり変えられていった。企業が求めるのは、規格化された消費者や従業員だった。
なぜなら、規格化された人びとは数学的な公式によって厳密な予測が可能だからだ。
つまり、企業(と政府)が効率性を実現するためには、単純な仕様に設計された人問が必要なのである。こうして、学校は時代とともに少しずつ商業化されていった。
ただ、このプロセスは均一に進んだわけではなく、地域によって強い反発があったり、時期によって大いに支持されたりすることがあった。とくに、第一次世界大戦や大恐慌、第二次世界大戦やスプートニク危機といった国家の非常事態やその直後は、計画が急激に進展した。一方、より平和な時期には停滞や譲歩を余儀なくされた。
しかし、どんなに激しい抵抗の中でも、第四の目的の背後にいる組織大企業や有名大学、賞罰の権限をもつ政府機関やマスコミは、二十世紀をつうじてますます中央集権化され、支配を強めていった。彼らは競争相手を消耗させ、根負けさせるだけの豊かな資源をもっていた。
子どもたちのマインドコントロールという目的には、それだけの計り知れない価値があったのだ。
●学校は危険な場所
一九〇〇年以降、学校は非人間的な場所になっていった。そこでは、子どもたちは「人的資源」と見なされた。この言葉を耳にするとき、あなたの前には、第四の目的にかなった多くの労働者がいるはずだ。それまでのアメリカでは、子どもは個性や自立を期待されて育ったが、人的資源としての子どもたちは、「職場」に合わせて形作られることになる
その職場とは、ほとんどの場合、大企業や主要政府機関である。
アメリカンドリームを揺るがすこの革命は、不快な副産物をもたらした。雇用主は、従業員が組織の歯車としてひたすら働くことを求める。
それはつまり、自分の頭で考えない人間こそが、企業や政府にとって最高の働き手であるということにほかならない。
マディソンやジェファーソンといった独立当初のアメリカ人は、この矛盾に気づいていた。
しかし、現代人はそれを忘れてしまっているようだ。もしそうなら、社会的効率のためにその事実を完全に葬り去ることが、義務教育制度の最大の課題でなければならない。
一方、学校は精神的にも肉体的にも危険な場所になった。
実際、学校はつねに一定の緊張感をつくり出し、子どもたちに自分や友人を信頼しないように仕向けている。その息苦しさから解放されるには、当局に訴えるしかないが、たとえ訴えたとしても、慰めが得られることはほとんどない。
十九世紀半ば、教育改革者のホーレス・マンは、義務教育が善良な子どもを育てる「警察」の役割を果たすとして、実業家たちに売り込んだ。しかし、二十世紀に入ると、学校は企業や政府の下請け機関として、地獄への入り口にされたのである。
学校の無意味なプレッシャー
二十世紀が進むにつれて(とりわけ第二次大戦後)、学校は企業と政府のための行動訓練センター、あるいは実験施設になっていった。この計画の当初のモデルはプロイセンだったが、それを覚えている人はほとんどいない。
学校生活は懲役そのもので、繰り返される「標準」テストのプレッシャーが子どもたちを苦しめた。
しかし、そのために彼らがどんなに勉強しても、結果は現実を測る尺度にはならなかった。
たとえば、ビル・ブラッドリーとジョージ・W・ブッシュの例を見てみよう。彼らは二〇〇〇年の大統領選挙で最終候補者に残った四人のうちの二人である。民主党候補のブラッドリーは、SAT(標準学カテスト)の言語スコアが四百八十点だったが、それでもプリンストン大学を卒業し、ローズ奨学金を得て上院議員になった。一方のブッシュも、イェール大学を卒業し、テキサス州知事からアメリカ大統領になったが、スコアは五百五十点だった。
このように、たとえSATのスコアが平凡でも、知事や上院議員、大統領にもなれるなら、こうしたテストはいったい何を測っているのだろうか。
優秀な科学者とそうでない科学者を区別しているのだろうか。もしそうなら、ヒトゲノム解析計画に参加しているような科学者が、お世辞にも立派とは言えない学歴をもっているのはどういうことだろう。
●支配精神の変化
学校教育の新たな目的企業や政府への奉仕ーを効率的に果たすためには、子どもたちを現実社会から隔離することが必要だった。そこでは、大人もまた現実社会から隔離され、誰もが互いに監禁されている。
このように子どもも大人も孤立させてはじめて、混乱と退屈の中での訓練が可能になる。そうした訓練は、頼れる消費者や頼ることしか知らない市民を生み出し、彼らは社会に出てもなお、テレビのCMやニュースキャスターといった「教師」の指示を待っている。
ときに、私たちは目の前のものに気づかないことがある。私自身、集団義務教育が十九世紀の偉大な石炭パワーの産物であるとわかるまで、七年もの読書と思索を
必要とした。それは私のごく身近にあったにもかかわらず、私はずっとそこに何があるのか見ようとしなかった。というのも、誰もそれに注目しなかったからである。
義務教育は産業時代の新しい論理から生まれたもので、その論理は石油や高速…機械によって次の世代にも強いられた。
この単純な事実は、集団教育に対する当初の哲学的期待によって見えなくされている。多くの書物が、社会秩序や人間性といった面からそれに多大な期待を寄せていたからだ。
しかし、チャールズ・フランシス・アダムズは間違っていた。一八八○年、彼は新しく提案された学校制度がじつは子どもたちへの罠にほかならず、集団教育の実態は工場と刑務所が一体化したようなものであることを知った。
南北戦争後、子どもたちをこうした管理施設に隔離することについての非現実的な議論彼らはそこで厳密に規格化されるが、北東部の企業や政府、大学のエリートたちによって真剣に行なわれるようになった。こうした議論が生じたのは、石炭パワーに無限の潜在的生産力があるとの認識が高まっていたからだ。
石炭が可能にした鉄道の発展や、電報のような驚くべき新発明によって、農村の生活や地域の夢は急速に色あせていった。そしてこの新しい現実にともなって、新しい支配的精神が生まれようとしていた。
家庭生活や地域生活をこれほど大きく変えた原因は、表面的には豊かさへの欲望と見えたかもしれない。
しかしその下には、哲学的理想に対する一種の宗教的熱狂があった。それは子どもたちを早くから効果的に教化することによって、整然たる科学的社会がもたらされるとの幻想であり、その社会は一部の優秀な人びとによつて支配され、民主主義の伝統や自由の精神はもはや時代遅れなものとされていた。
義務教育制度は、人びとをこうした計画に従わせるための手段であり、その結果、子どもたちは「職場」の「人的資源」と見なされるようになった。
もはやベンジャミン.フランクリンやトーマス・エジソンのような創造的な人間は許されず、彼らはむしろ悪い見本となった。この体制を維持するための一つの方法は、人びとが高齢になり、若い頃の情熱や自信を失うまで、みずからの職業生活に興味をもたせないということだった。
●子ども時代の延長
義務教育には、当初から隠れた目的があった。それは親や子ども、地域社会が求めるものとはまったく無関係のものだった。義務教育の背後には、企業経済の中央集権化、金融システムの国際化、そして、中央集権国家の強大化という壮大な目的があった。
二十世紀の最初の十年、学校は産業の一部門、政府の一手段と見なされた。流入する移民に対する人びとの怒りや軽蔑といった風潮も手伝って、学校制度に対する政治家の発言も大胆だった。
第一次大戦に先立つ実業家へのスピーチで、ウッドロー・ウィルソン大統領は平然とこう言った。
人格教育も重要だが、それよりも専門的な技術を身につけさせる職業教育の方がもっと重要だ。
一九一七年までに、アメリカの学校制度の主な管理職は、当時のマスコミに「教育トラスト」と呼ばれていた組織の支配下に置かれた。この企業連合の最初の会合には、ロックフェラー、カーネギー、ハーヴァード大、スタンフォード大、シカゴ大、さらには全米教育協会の代表者たちも含まれていた。一九一八年、イギリスの進化論者ベンジャミン・キッドは、この組織の主な目的を、「子どもたちに服従という理想を押しつけること」と記した。
まず、彼らが第一の標的としたのは、自立というアメリカの伝統だった。おそらく、北部人の起業家精神が失われないかぎり、少なくとも一般大衆の間では、大量生産経済が必要とする莫大な設備投資は認められないと考えたからだろう。
そのため、子どもたちは経営者に気に入られようと競争する「従業員」としての自覚を叩き込まれた。もはやフランクリンやエジソンのような自由で判断力のある人間は求められなかった。
アメリカの「過剰生産」の脅威を抑えることができるのは、壮大な心理作戦だけだった。過剰生産アメリカの要人や学者たちは、国民がそれぞれ自立した生産者になることをそう呼び、それを阻止しようとした。アレグザンダー・イングルズは著書の中で、この計画(最終的には成功した)における学校制度の役割は、個人が大企業に反発しようとする傾向を抑えることだったと示唆している。一八八〇年から一九三〇年にかけて、過剰生産という概念は支配階級の間で重要な意味をもつようになり、集団教育の発展に大きな影響を与えた。
もちろん、庭の芝刈りをしたり、犬の散歩をしたりする普通の人びとにとって、こうした壮大な社会工学的計画が存在することは理解しがたいだろう。ましてや、それがほぼ一世紀も前から義務教育を支配するようになったとは、とても信じられないはずだ。
しかし、エルウッド・P・カバリーの一九三四年版の『合衆国の公教育』には、当時の状況とその理由が明確に記されている。
子どもが生産的労働に従事することは好ましくないとされるようになった。
それどころか、最近では彼らがそうすることに反対する考え方がほとんどだ。
組織的労働と国家の利益が子どもの労働に反対している。
同書の中の「依存期間の新たな延長」という項で、カバリーは王場制度の到来」
によって、子どもたちはかつて農村の生活が教えてくれた知恵や技術を奪われ、子ども時代が延長されたと説明している。彼は極端な分業(と機械化)をともなう大量生産によって、家庭や集落の仕事が失われ、日々の雑用や徒弟制度が消滅して、無知な労働者が大量に生まれたと言っている。
さらに、現代の産業はそうした労働者を必要としている。感傷で発展を阻むことは許されない。カバリーによれば、「マスコミの嘲笑」によって、それまでの教科書を中心としたカリキュラムは打ち捨てられ、目的も変化し、代わりに海外から「新しい心理的教育」がもたらされた。
この「新しい心理的教育」という謎めいた言葉は、イギリス、ドイッ、フランスといった世界の石炭主要国(アメリカ以外で)に共通する愚かな学校制度を指しており、これらの国々はいずれも、すでに大衆を産業プロレタリアートに変えていた。
アーサー.カルフーンによる一九一九年の『家族の社会史』は、当時、アメリカ社会で起こっていた状況を学者たちに知らしめた。カルフーンは、夢想家の一番の望みが実現しようとしている、つまり、子どもたちが家庭から「地域の専門家による管理」へと移されようとしていると指摘した。
彼は、やがて「不適当な人間を排除するための」公教育が行なわれるとの重大な予測をした。三年後、ニューヨーク市長のジョン・F・ハイランは演説で、学校は「目に見えないえじき政府」の餌食になったと述べた。それはロックフェラー財団をはじめとするニュー
ヨーク市の企業組織を指しており、一九一七年の学校暴動に先立つ彼らの活動を意味していた。
一九二〇年代は、株式市場と同様、義務教育制度にとっても好況期だった。一九二八年の『教育の社会的哲学』という精緻な本によれば、「教師の仕事は学校だけでなく、世界を管理することである」とされている。
一年後、教育心理学の創始者であるコロンビア教育大学のエドワード・ソーンダイクは、「学問教科にほとんど価値はない」と発言し、同僚のウィリアム・カークバトリックも、『教育と社会的危機』の中で、子育ての伝統はすべて専門家につくり変えられていると述べた。
●遺伝学者の声明
一方、そうした専門家たちの雇用主であるロックフェラi財団では、理事のマックス・メーソンが、「人間行動の支配」を可能にする包括的な国家計画が進行中だと話していた。この驚くべき野望が発表されたのは一九三三年四月十一日で、学校制度はそれに大きく関わっていた。
ロックフェラーは、科学者ハーマン・マラーの遺伝子研究に深い関心をもっていた。マラーはX線を用いてショウジョウバエに突然変異を引き起こし、遺伝の法則をくつがえすことに成功した。これは科学が生命を支配する時代の始まりのように見えた。マラーは計画繁殖が神よりも速く人類に楽園をもたらすと述べ、その考え方は有力企業ばかりか、当時の優れた科学者たちからも熱狂的な支持を得た。
その後、ノーベル賞を受賞したマラーは、みずからの提言を一千五百字の『遺伝学者の声明』にまとめ、米英の著名な生物学者二十二名がそれに署名した。マラーは国家が人間の性淘汰を意図的に管理する必要性を訴えた。
つまり、学校は繁殖させる価値のある者とそうでない者を区別しなければならないというわけだ。
この提言が発表されるわずか数カ月前、全米教育協会の事務局長は、「ヨーロッパの支配者たちが強制的にやろうとしていることを、協会は教育によって実現する」つもりだと述べた。これほど決定的な言葉があるだろうか。第二次世界大戦によって、この計画は水面下に追いやられたが、その勢いはほとんど衰えることがなかった。他国との戦争が終わると、学校は強制的洗脳によって社会問題を科学的に
正当化するための国内の戦場となり、民間の有力企業財団がそれをリードした。
●直接民主主義の死
それから三十年余り後の一九六七年から一九七四年まで、アメリカの教員養成システムは一部の民間財団、一流大学、グローバル企業、シンクタンク、政府機関などの連携によってひそかに改造されていった。こうした連携はすべて、アメリカ教育管理事務所やカリフォルニア、テキサス、ミシガン、ペンシルヴェニア、ニューヨークといった州の主要教育機関をとおして行なわれた。
この変革の一里塚となった文書が、
①政府による・『将来のための教育設計』
②『行動科学教員養成プロジェクト』
③ベンジャミン・ブルームの『教育目的分類法』
である。他にも重要な文書はあるが、この三つは全体の試金石として適当で、進行中のプロジェクトの性質を明らかにしてくれる。
では、三つの文書を一つずつ見ていこう。まず、教育省の『将来のための教育設計』は、「教育」という言葉をプロイセン風に、「国家の重要な経済的・社会的目的を達成するための手段」と定義しなおした。これにより、各州の教育当局は連邦の現地執行官となり、地元の学校を中央の指示に従わせることを請け合った。ただ、「変革の代理人」の任務を与えられた彼らは、「連邦政府との連携のため」、幽それまでの権威や独立性を失う」ことになった。
二つ目の『行動科学教員養成プロジェクト』は、一九六七年以後に施行された教育改革の概要を述べたものである。この文書の創案者の意図は、将来の学校制度をとおした「非人間的操作」にほかならない。
そこでは、「みずからの思想の自由を維持できる者はほとんどおらず」、誰もが生まれたときから多目的の識別番号を与えられている」。それを使って、雇用主をはじめとする支配者は彼らを追跡したり、必要なら、彼らに直接的あるいは無意識的な刺激を与えたりすることができる。
この文書を読めば、一九六七年以後の社会では、未成年者への「化学実験」が普通に行なわれていることがわかる。それは現在の義務教育にともなう抗精神薬リタリンの大量使用を鋭く予言したものである。
『行動科学教員養成プロジェクト』は、「ごく少数のエリート」が重要事項のすべ
てを支配し、直接民主主義がほとんど失われてしまった未来のアメリカを示している。子どもたちは学校生活をとおして、クラスメートがひどく無慈悲で、無責任で、無力で、無知であるため、社会のためには管理・監督される必要があるということを知る。
そうした論理の下では、学校の恐ろしさは格好の宣伝にしかならない。集団教育は人間の欠陥を広く見せつけるための手段であり、しかも、それは学校の役割の一部にすぎない。
ポストモダンの学校制度の目的は、「娯楽の奨励」と「仕事以外の世界にも通用する姿勢や技術」の育成と言われている。
つまり、二十世紀初めに社会主義の場となった学校それ自体、人格教育との決別だったは、一九六七年までに、今度は大規模な心理的実験の場へと進化したのである。
こうした学校の変化を強力に後押ししたのが、一九六〇年代後半の奇妙な現象である。
当時、子どもの教育は裁判制度の「適正手続き」に準ずるものでなければならないとする政策が発表されると、なぜか全米で校内暴力が急増し、あちこちで混乱が生じた。教師や管理者は突然、学校の秩序を保つ能力を奪われた。
というのも、この適正手続きは煩雑で慎重な対応を要し、頻発する子どもの非行にはまったく無力だったからである。
それまでの臨機応変な教育法に頼れなくなった学校では、生徒たちの間で教師は体罰に訴えられないという認識が広まり、混乱がさらにエスカレートして危険な状態になった。また、マスコミに取り沙汰されるような残忍な事件も、教育は専門家に任せた方がよいという宣伝に役立った。
子どもたちの非行に驚いた人びとは、もはや地域社会は無力であり、教育はプロの管理に任せるべきではないか、そして非常手段として、特別指導やリタリンのような薬物も使うべきではないかと考えるようになった。こうした時期が五年から七年続き、その間、フォード財団のような外部機関によって、「子どもの人権」が守られているかどうかの監視がなされた。
『行動科学教員養成プロジェクト』は、こうした暴力のピークに出版され、全国の教育大学に、これからの教師はセラピストとしての訓練が必要であると知らしめた。
つまり、教師は社会心理学による処方箋を教室で実践しなければならなかった。カリキュラムの定義が変わったために、現場の教育もそれに従ったというわけだ。
三つ目は、ベンジャミン・ブルームの『教育目的分類法』で、一千ページを超える膨大な手引きである同書は、アメリカのあらゆる学校に影響を与えた。彼によれ
ば、これは「一人ひとりの行動や思考の仕方を一連の指導の結果として分類する手段」である。行動心理学にもとついて、子どもたちは適切な思想、感情、行動を学び、家庭からもち込まれた不適切な態度を「修正」されることになる。
学校における実験のどの段階でも、テストは子どもの精神状態を正式な尺度によって測るために不可欠だった。ブルームの本は、その流れを汲むものとしての完全習得学習、成果重視教育、そして、学校と職場を結ぶ政府と企業の連携をもたらした。
いずれも、子どもたちを社会の管理者や企業の便宜に合わせて分類し、そこから得たデータは彼らの思想や行動のコントロール、さらには、大人になってからの予測に役立てられた。
しかし、その目的は何なのか。なぜそんなことが行なわれていたのだろうか。
●単純な労働者をつくるために
その答えは、『フォーリン・アフェアーズ』誌の一九九八年六月号の記事の行間にある。『USニューズ&ワールドレポート』誌のオーナー、モーテイマー・ザッカーマンによって書かれたその論文は、アメリカ経済を賞賛している。彼によれば、ヨーロッパやアジアに対するアメリカの優位は、今後百年間、どの国の追随も許さないほど構造的に強固なもので、アメリカの労働者とその管理システムは独特だという。
たしかに、生物学的に優った支配者民族というものがないとすれば、アメリカ経済の強さは、学校内外での子どもたちの訓練によるものにほかならない。それは管理に適した態度を生み出す訓練であり、経済が成功するための決定的要因である。
ザッカーマンによれば、第一に、アメリカの労働者は単純である。これは私の解釈であって、彼の解釈ではないが、アメリカ人は給与の明細書以外に関心がないというザッカーマンの表現からして、私の解釈は妥当だと思われる。アメリカ人は自分の会社について上司に意見を言ったりしない。これに対して、ヨーロッパには、労働者が意思決定に大きな発言権を求めるという古くからの伝統がある。アジアはさらに極端で、伝統と政府がビジネスの可能性を阻んでいる。
第二に、アメリカの労働者はつねに不安のなかで生きている。彼らは企業が労働者に何の恩義も感じていないことを知っている。そうした不安は隠れたスーパーチャージャーとして機能し、経営陣に他のどの国にもない柔軟性を与えている。実際、
レイ五年間の好景気が続いた一九九六年、大企業に勤めるアメリカ人のほぼ半数が一時オフ解雇を恐れていた。この恐怖が賃金上昇に歯止めをかけたのだという。
また、アメリカでは、判断は人間ではなく、抽象的な公式によって下される。
つまり、労働者はもちろん、経営者も数学的法則によって管理されているのだ。
最後に重要なのが、私たちの終わりなき消費である。新しいものへの飽くなき欲求から生じる消費は、アメリカ企業に世界でもっとも信頼できる国内市場をもたらしている。他国なら、不景気には企業も衰退するが、アメリカは違う。私たちは良いときも悪いときも、未来を抵当に入れてまで買い続けるのである。
たしかに、ザッカーマンの言うとおりではないだろうか。アメリカの大企業が豊かなのは、心理の面でも、手段の面でも、学校教育という形態にもとついているからだ。学校は個人が集団として反応するように訓練し、男子も女子も、退屈で、恐がりで、嫉妬深くて、感情的に乏しくて、概して不完全であるように教え込まれる。
大量生産経済が成功するためには、そうした人間が必要なのだ。中小企業や、アーミッシュのような小規模な農業経済では、個人の力量や思慮、情熱、参加が必要とされる。
しかし、私たちのような社会で必要とされるのは、画一的で、不安で、消極的で、家族も友人も神もない、ただ従順な大衆であり、人気ドラマ『チアーズ』と『となりのサインフェルド』の違いに議論の価値を見出すような愚かな人びとである。
アメリカの大企業が極端に裕福なのは、新しいものを欲しがるように私たちを訓練した学校教育の結果である。チャイムもそのための手段だ。チャイムはただ鳴るだけで、「さあ、何か違うことを!」と促している。
●子どもたちへの囲い込み運動
アメリカの学校教育の目的は、子どもたちに勉強を教えることではない。学校は、秘密の計画経済と意図的につくられたピラミッド社会に奉仕するもので、子どもや家族のためのものではない。
学校は、子どもが初めて組織化された社会を知る場所であり、概して、そうした第一印象はずっと続く。学校生活は単調で、退屈で、消費だけが唯一の慰めになる。
つまり、コーラやビッグマック、最新流行のジーンズといったところに、現実の意味が見出されるのであり、それが授業の内容である。
義務教育が健全な人間形成に有害であることは明らかだ。教室での仕事は大した仕事ではなく、生徒の真の欲求を満たすものではない。それは子どもたちの経験かそうぐうら生じた疑問に答えるものでもなく、実生活で遭遇するどんな問題の解決にも役立たない。教室での仕事を本人の望みや経験、疑問、問題とは無関係にすることで、学校は生徒を無関心にさせようとしている。
エンクロ ジャ この手法は、イギリスの「囲い込み運動」小作人を農地から追い出し、工場労働に従事させる運動ーの時代からよく知られている。そもそも、成長や熟練といったものは、自分の頭で考える人間だけに与えられる。
しかし、何か新しいことを始めたり、創作したり、行動したり、とことん考えたり、自由に交流したり、私生活を楽しんだりすることは、学校教育が何かと名目をつけて阻止しようとすることだ。
私自身の経験として、子どもを無気力な環境に閉じ込め、彼らのほとんどをダメにするのには約三年かかった。そうした環境では、歌ったり笑ったり、明るい色を取り入れたり、いっしょにゲームをしたりするなど、緊張を和らげる行為の方が、怒ったり罰したりするよりも効果がある。
何年も前、私はプロイセン政府が、多文化主義の楽しい心理学的初等教育を考案したハインリヒ.ペスタロッチや、幼稚園の創設者フリードリヒ・フレーベルの後援者だったことに少なからず驚いた。また、J・P・モルガンのパートナーであるピーボディーが、南北戦争に負けた南部にプロイセン流の学校教育をもたらしたというのも意外だった。
しかし、しばらくして、私はその慈善行為の背後に、したたかな経済目的が潜んでいることに気づいた。
学校という罠の本当の狙いは目に見えない。子どもたちはつねに他人の注目を得るように仕向けられるが、それは嘘や泣き言、敵意や裏切り、残忍といった現代の子どもに共通する性質を生み出す。教室という水槽の中で教師に気に入られようとする彼らは、次第に臆病になり、慢性的に退屈になり、やがて生きる目的を失ってしまう。
本来、教室は感動的な場所であるべきなのに、そうした教室の意義は一度も見直されてこなかった。
おりえさ子どもをもっともダメにするのはマンネリである。橿に入れられ、餌を求めて回転バーを押し続けるネズミが発狂するように、学校に監禁され、同じことを繰り返させられる子どもたちは、やがて思考が停止する。こうして罠にはまった子どもたちは、ネズミと同じく、徹底した管理が必要になる。
●中国ヘロシアへ、そして日本へ
二十世紀最初の十年、コロンビア教育大のジョン・デューイとエドワード・ソーンダイク、スタンフォード大のエルウッド・P・カバリー、クラーク大のG・スタンリー・ホールといった後の有名教育学者たちと、モルガン、アスター、ホイットニー、カーネギー、ロックフェラーといった財閥企業に支援された一部の野心家によって、義務教育は国家と産業に奉仕させられることになった。一世紀前のプロイセンと同じように。
カバリーは当時こう言ったー「国が何を必要とするかよって、教育の性質が決められるべきだ」
また、一九三〇年の全米教育協会は、管理指導部のこんな決議を発表した
「どんな学校を奉仕させるかによって、未曾有の富を生み出す資本の有効な使い方が決まる」
左派であれ、右派であれ、彼らのレトリックの背後には、学校という組織が新しい経済社会の一部になったことが隠されている。
ただ、この壮大な計画の設計者や管理者には悪意があったわけではない。彼らはそれを自然の法則のように感じていただけで、資本主義を万能と信じていたにすぎない。
つまり、学校のこうした変化を推進していたのは、確固たる信念をもった人たちで、彼らは家族と教会という時代に逆行した組織が教育の発展を阻んでいると考えていた。実際には複雑な経済的思惑があったにせよ、彼らは究極の探究者として、夢想家の夢を実現し、信者の情熱をいっそう燃え立たせようとしたのである。
この当時のアメリカや他の国々の学術界は、ダーウィンやゴルトンの影響を受け、学校は進化の運命を管理する手段のように思われていた。ソーンダイクの印象的な言葉を借りれば、新しいアメリカの産業プロレタリアートが國自分で物事を運ぶ」
前に、選抜育種の条件が決められなければならなかった。
しかし、自由の伝統をもつアメリカは、こうした管理革命を培養するペトリ皿には適さなかった。ただ、有力な人物や主要機関の支援のおかげで、一部の学者たちは中国本土を訪れ、一新思想の潮流」として知られる近代化プロジェクトに乗り出すことができた。
実際、中国に二年間暮らしたデューイは、急進分子にみずからの教育理論を説き、新しい国のあり方に戸惑う人びとにそれを試みた。同じようなプロセスが、一九二〇年代の新生ロシア国家でも行なわれた。
アメリカの世論はこうした企てに気づいていなかったが、大都市の教育長の中には、これが地球規模の実験の一部であることを知っている者もいた。カンザス州の州都トピーカの教育長H・B・ウィルソンはこう言っている。
アメリカの学校制度を東洋に紹介することは、四千年におよぶ保守主義を崩壊させた。それは新しい中国、新しい日本をもたらし、トルコやフィリピンでも目覚ましい発展を生んでいる。学校は、発展の道筋を決める立場にある。
(『学校事業の動機』一九一六年)
ただ、こうした考えは、ウィルソン博士のような人びとの頭でひらめいたものではなく、そこに植えつけられたものにすぎない。
西洋の影響と出資にもとつく中国の改革は、イギリス政府の麻薬取引を阻止するというこの国最後の必死の挑戦に続いたもので、当時の中国は意識改革の実験にふだんあんさわしい混乱状態にあった。
この時期から、政府が管理する「梢案」という個人情報手続きが始まった。これは、国民一人ひとりの生まれてからの記録をすべて記した情報ファイルで、そこにプライバシーは存在しない。今日の中国では、誰もがこの「梢案」とともに働いている。
一九六〇年代半ばまでに、アメリカでも梢案の準備がなされ、学校付属の情報機関が個人情報を蓄積し始めた。
カーネギー財団のラルフ・タイラーをはじめとする専門家集団が、ひそかに生徒の個人情報を集め、それをコンピューターでつなげてリファレンス相互参照できるようにした。こうした秘密の情報収集は、タイラーによって噛組織の道徳的権利」として正当化された。
●ロックフェラーの「特別書簡」
一八九六年から一九二〇年にかけて、一部の実業家や資本家は、大学教授や大学研究者、学校管理者などに対し、みずからの民間慈善財団をとおして寄付や助成金を与え、義務教育に政府以上の金を費やした。一九一五年には、とくにカーネギーとロックフェラーの投資が目立った。こうした自由放任主義的なやり方によって、近代の学校制度は国民の参加なしに構築された。
この投資にはさまざまな動機があったはずだが、その参考資料として、ロックフマニュフェストェラー総合教育委員会の最初の使命記述書の抜粋を紹介しよう。それは『「特別書簡」番号1』(一九〇六年)という文書の一部である。
われわれの夢は、人びとがわれわれのつくる型におとなしく身を委ねることである。もはや現在の教育の慣習〔知的・人格的教育〕は色あせ、われわれは伝統に制約されることなく、人びとに善意をもたらし、その感謝と共感を得ることになる。われわれは彼らやその子どもたちを哲学者や学者、科学者にするつもりはない。
また、彼らの間から作家や教育者、詩人や文学者を育てるつもりもない。
われわれは彼らに偉大な芸術家や画家、音楽家の卵を求めるわけでも、弁護士や医師、牧師や政治家を求めるわけでもない。そうした者はもう十分にいるからだ。われわれの使命はごく簡単である。子どもたちを組織化し、彼らの親が不完全な方法でやっていることを、彼らには完全な方法でやるように教えることだ。
マニュフェストこの使命記述書には、何度でも読み返す価値がある。
●変革推進者の浸潤
一九七一年までに、アメリカ教育事務局〔訳注一九八〇年にアメリカ教育省が設立されるまでの連邦機関〕は、子どもたちの私生活や思想に深く関与するようになった。その年、事務局は民間シンクタンク、ランド・コーポレーションに対して、全七巻の「変革推進」研究書制作の契約を結んだ。変革推進訓練は、教職発展法案の下、連邦資金によって着手された。
やがて、『教育革新のための変革推進ガイド』が出され、変革推進のための教員養成プログラムに助成金が与えられた。続いて、もう六巻のランド便覧が配布され、変革推進の展望を広げた。
一九七三年、全米教育協会会長のキャサリン・パレットは、「子どもの育て方をめぐる劇的な変化が、とくに学校制度に関して生じています。私たちは変革の推進者なのです」と言った。
一九八九年、内陸部地域教育研究所の専務理事は、義務教育についての会議に集まった五十人の州知事に対して、「われわれがしようとしていることは、まさに社会の完全な立て直しである」と述べた。これほど明確な言葉はない。そして、それに反対した知事の記録もない。
二年後、義務教育の推進専門家ジェラルド・ブレーシーは、クライアントに対する年次報告にこう記した「われわれは無学な社会階級を生み出し続けなければならない」
一九〇〇年当時の実業家にとって、前述した「過剰生産」は障壁だった。
その一世紀後、「バカをつくる学校」によって「過少生産」が可能になったが、それでもまだ生産を食い止める必要があったのである。
●優生学の登場
二十世紀に義務教育をもたらしたのは、大企業や連邦政府、有力一族や主要大学の権力や資源だったが、そこに今、衰退しつつあるプロテスタント教会という新たな勢力が加わった。この流れをたどるのは簡単だ。
しかし、その核心はずっと複雑で、古くからの宗教的信条や夢想的哲学、さらにはヨーロッパやアジアの大国政治を互いに混ぜ合わせ、純化したものである。表面的には、これは新たな「啓蒙」という偉大な概念として、十九世紀後半、ドイツの科学研究によってアメリカにもたらされた。
ただ、大学を産業や国家に奉仕させるという近代ドイッの伝統は、個人や家族に奉仕させるというアメリカの伝統とは激しく矛盾するものだった。
そんな折、インディアナ大学は、学校教育をめぐるマスコミの無意味な議論ー十九世紀初期の流れにもとつく議論iをよそに、SF的な意識の発展に目を向けた。それは優生学というエリートのための特別な学問だった。このコースを創設、指導していたのは、学長のデーヴィッド・ジョーダンで、彼によって選りすぐりの客員が集められた。
優生学は、新しい進化的支配階級がなぜ、どうやって生まれるかを研究する学問だが、いわゆる王や君主の出現についてのものではない。優生学が対象とする支配階級とは、新しい科学の時代の幕開けにあたって、新しい体制のために訓練された管理者のことだった。
優生学で成功を収めたジョーダンは、やがて一流大学(個人的には鉄道王リーランド.スタンフォード)に招かれ、スタンフォード大学の初代学長となった。スタンフォードはアンドリュー。カーネギーの有名な論文『富の福音』に影響された大学で、ジョーダンは三十年にわたってその学長を務めた。
優生学が義務教育と結びついたのは偶然のことだった。インディアナを離れるとき、ジョーダンは優生学の優れた弟子だったエルウッド・P・カバリーを誘い、彼をスタンフォードの教育学部の学部長に据えた。
この夢のような地位によって、新しい組…織の特権階級となった若きカバリーは、アメリカの学校教育の歴史を記し、それは以後五十年にわたって学校ビジネスの基準となった。彼は全国的な連合組織をつくって、全米の管理職を支配し、アメリカ教育界の黒幕として確固たる地位を築いた。
では、優生学という抽象的で難解な学問は、現実の生活にどんな影響を及ぼしたのだろう。当時、アメリカでは強制避妊を認める世界初の法案が可決され、一九二七年、インディアナ州の有名な「バック対ベル裁判」がその初めてのテストケースとなった。判事は、十七歳の少女に対し、彼女の「退化した子ども」が生まれるのを防ぐため、本人の意思に反して避妊手術をさせるという多数派の意見に従った。
この重大な判決から二十年後、ニュルンベルクの裁判で、ナチスの医師たちは断種の先例はアメリカにあり、その目的は人種的退化を防ぐことだったと証言した。ナチスは強制避妊を「インディアナ流処置」と呼んでいた。
こうした優生学の精神が学校教育に影響を及ぼしたのは明らかだ。その原理は学校ばかりか、あらゆる分野で一般的になり、優れた洞察と考えられた。一九二二年、『世論』の著者ウォルター・リップマンは、知能の低いアメリカ人がたくさんいるという観点から、「公の論議に厳しい制限」を求めた。リップマンにとって、直接民主制という古い理想は狂気でしかなかった。
繁殖を科学的にコントロールするという考え方は、プロイセンの古い理想国家に忠実な専門家によって支配された論理的社会と複雑に作用した。また、それは神自身が社会階級を決めるというイギリスの国家宗教や政治社会の概念にも共鳴した。
ここから次第に生じてきたのが、ダーウィニズムにもとつくアメリカ版「カースト的」学校制度である。それは中央に遠隔操作され、その手先に管理された学校制度で、古代ローマの分断攻略の原則にもとつく複雑な教育的階級をなしている。
一方、学校の外の世界でも、新しい電子媒体電信電話の所有権が激しく集中したことにより、急速に発展が進んだ。
コマ シャル一九二八年、いわゆる「宣伝」という新しい支配手段の創始者であるエドワード.L。バーネイスは、著書『世論の結晶』の中で、アメリカ社会のあらゆる側面
が今、「目に見えないカ」によって支配されていると述べた。
バーネイスによれば、民主主義は社会を陰で操るための隠れ蓑にすぎなかった。見えない支配に必要な知カネ識は実業家や政治家に金で買われ、大衆の想像力は子どものマインドコントロールによって操作された。
一九四四年までに、人間は生まれながらに権利を有するというジェファーソンの考えは学者の間で否定されるようになった。財団や企業、政府機関から金を得ていた教授たちは、誰もが科学的管理の正当性を主張しなければならなかった。
一九六一年、統治国家としての概念は、ジョン・F・ケネディの有名な演説によって一気に表面化した[国が諸君に何をしてくれるかではなく、諸君が国のために何ができるかを問うてほしい」
三十五年後の一九九六年、ケネディの高尚なローマ帝国的レトリックは、『タイム』誌のカバーストーリーで乱暴な表現に書き換えられた凹民主主義は国家目つらよご標の面汚し」
『タイム』の記者は、「現代社会はあまりにも複雑で、一般大衆はその管理に干渉できない」と記した。民主主義は敗者のための制度と見なされたわけだ。
大衆がその権利と可能性に鈍感になり、国の議論から疎外され、運命を専門家の手に握られている一方で、その秘密は内部を読める者たちにとっては明らかだった。
つまり、アメリカの当初の理念は、その擁護者によって否定されたのだ。彼らの新しい見方によれば、学校は「エプコットセンター」(ディズニーワールド内の未来都市)のような理想郷をつくるための重要な生産拠点とされた。
しかし、ある重要な優生学的制限により、その理想郷はすべての人に開かれたものではなかった。
一九九六年、ジョンズ・ホプキンズ大から驚くべき知らせが届いた。
アメリカ経済は一九六〇年半ばから大きく発展してきたが、労働者が実際に使える賃金は三十年前より少ない。
これは『分断されるアメリカ』という本からの抜粋である。一九八〇年代から一九九〇年代にかけての好況期、購買力が増したのはじつは人口の二十パーセントで、残りの八十パーセントは逆に十三パーセント減少した。実際、そこにインフレの要因が加わると、一九九五年の共働き夫婦の購買力は、一九〇五年の単身男性労働者のそれを八パーセント上回るだけだった。
九十年間にわたる着実な繁栄に対するこうした実態は、両親を家庭から遠ざけ、子どもたちを託児所や延長保育、商業的娯楽施設といった管理体制に放り込ませた。学校制度は貧富の差に対する救済策であるとの熱弁にもかかわらず、富は二十世紀末には初頭よりも二百五十パーセント偏り、正反対の事態が生じた。
私はべつに怒りを煽るつもりはない。
しかし、義務教育は人びとを賢くするどころか、バカにした。家族の絆を強くするどころか、逆に弱めた。それは神を強引に排除することによって宗教を破壊した。子どもたちをクラス分けし、互いに対立させることによって階級構造を確立した。そして、富と権力を一部の人間に危険なほど集中させた。
三十年の長い教師生活をとおして、私はほとんど毎朝怒って目覚め、学校にいる問も怒り続け、夜も怒って眠った。私にとって怒りとは、この破壊的組織に立ち向かうための原動力だったのだ。
もう学校はいらない
●心の栄養欠乏症
そもそも、義務教育という学校制度は、マサチューセッツ州やニューヨーク州でごく最近考案されたものである。また、四十年ほど前までは、放課後は誰もが学校から解放された。
ところが現在では、テレビという集団教育が社会に広まり、学校以外で関心事をもつ機会が奪われている。
つまり、一九六〇年以前とは異なり、今の子どもたちはテレビという幻覚剤の中毒になっており、集団教育から逃れることができないのだ。
学校ばかりか、企業や大学、軍隊、病院、政府機関といった組…織も、じつは地域社会とはまったく共通点がない。この事実は概して無視されているが、これらの組織は人びとの交流をほとんど認めず、つねに彼らを画一化しようとしている。
たしかに、クリスマスパーティーやソフトボールの試合など、組織内で親睦会が行なわれることもあるが、それはあくまでも儀式にすぎず、家に帰ればみな一人である。また、緊急事態に同僚が手を貸してくれたとしても、彼は家族や友人のように、その苦しみをあなたと分かち合ってくれるわけではない。
地域社会に似た親近感を経験できる学生寮でさえ、卒業後は、仲間の名前も顔も思い出せなくなる人がほとんどだ。もし思い出せても、当時の親交を復活させたいと願う人は少ないだろう。
気づいていないかもしれないが、制度の中の「思いやり」は単なる見せかけである。それは悪意によるものではないが、たとえどんなに純粋な気持ちがあったとしても、制度という環境の中での親切はしばしば演技であり、つくられた台本に従った行為にすぎない。同じく、制度の中で感じる親しみは、地域社会で感じる親しみとは価値が違う。若い頃に軍隊やクラブ活動で素晴らしい一体感を経験しても、多くの人はかつての仲間を忘れてしまう。
しかし、自分の家族や親戚のことを忘れる人はいないだろう。
その昔、荒野の探険者たちは川マスばかり食べていた。彼らは川マスで空腹を満たした味もよかったが、それだけでは必要な栄養素が摂れず、欠乏症にかかった。現在の学校制度もこれと同じで、地域社会が与えてくれる真の栄養に気づかないかぎり、人びとは心の欠乏症に苦しむことになる。
学校は地域社会ではないし、学校での訓練は教育ではない。それは子どもたちの時間を半分も占領し、彼らを同じ年齢の子どもと一緒に隔離する。それは同じときに、同じことを、同じように考えることを要求し、野菜を品定めするかのように成績をつける。
学校はこうした馬鹿げた方法で地域社会の活力を奪い、それを不毛な組織にしてしまう。こんな非人間的な場所にいたら、子どもであろうと、教師であろうと、管理者であろうと、親であろうと、誰もが人間性を損なわれるはずだ。
地域社会は、人びとが良い面も悪い面も含めて、あらゆる人間とじっくり交流する場所である。こうした場所があってこそ、参加型の人生が可能になるのであり、質の高い人生が送れるのである。人生にどんな形で参加するかはわからないが、あなたが他人の言いなりになったり、学校のやり方に従ったりしているかぎり、何かに深く関わるという経験はできない。学校の訓練にとらわれるか、そこから逃れるかによって、あなたの一生は決まるのだ。
たとえば、都市改革委員会といった組織では、ホームレスの問題を会議で話し合う。一方、地域社会では、ホームレスをそうした抽象的な存在としてではなく、現実の人間として考える。ロンやデーヴ、マーティーなど、地域社会は彼らを名前で呼ぶ。それが両者の違いの一つである。
地域社会では、人びとは目に見えない方法で交流し、豊かな精神的見返りを得る。
一方、制度は見せかけの社会環境をつくるだけで、その見返りもほとんどない。もちろん、私もいくつかの組…織や制度に属しているが、それは見せかけの社会を否定し、限界を認め、私の仕事をひたすら助けてくれる安全なものばかりだ。
しかし、学校という制度は、地域や家庭生活のための時間とエネルギーをほとんど吸い取ってしまう。そんな吸血鬼のような学校は、心臓に杭を突き刺し、棺に入れて封印すべきだ。貧欲な学校は、親子の関係を引き裂くことで、私たちが他者とむしば結びつこうとする力を蝕む。
だからこそ私は、これ以上学校はいらないと言っているのである。
たしかに、制度も何らかの役に立つことはある。
しかし、そこには構成員の心を育む力が欠けている。人間の理性を重んじたフランスの啓蒙運動と同じく、制度の基礎にある極端な國合理性」は、人間性を誤解している。私たちはもとより理性を超越した存在であり、理性は人間の低次元の機能にすぎない。コンピューターが人間に勝てないのはこのためで、合理性を追求するコンピューターには限界がある。
制度は、効率的に任務を遂行するため、人びとをまず自己から引き離し、次に他者から引き離す。たしかにそれは効果的な方法かもしれないが、けっして豊かな人生はもたらさない。制度は人びとを孤独にし、冷酷なまでにその目的を追求する。
この見せかけの体制の裏には、集団教育の恐ろしい秘密が隠されているのであり、学校制度の拡大は、社会の危機をさらにエスカレートさせるものなのだ。
何度も言うが、制度の中の社会は見せかけにすぎない。それは人びとの孤独を癒すような期待感を抱かせるが、じつはそうではない。ブリッジクラブやチェスクラブ、アマチュア劇団やボランティア団体など、本来は無害なはずの組織でも、その友情が偽りなら、いくら多くの人びとに囲まれていても孤独である。
つまり、どんなに多くの組織や制度に属しても、どんなに頻繁に電話が鳴っても、本物の地域社会を得ることにはならないのだ。
そもそも、制度から得られるものは何もない。あっても、それはあなたがすでにもっているものである。制度は良くも悪くもならない。彼らの目的は、つねに同じ状態を保つことであり、そこではほとんど発展がない。薄っぺらな人間関係を維持することで生まれるのは、あなたの「友人」がじつはあなたのことを少しも気にかけておらず、あなたの生き方はおろか、あなたの望みや不安、成功や失敗にもまっ
たく興味がないという病的な状態である。あなたを心配しているようなふりをする「友人」は、真の友人ではない。彼らは単なる同僚にすぎず、共通の利益に関すること以外、何の期待もできない。
しかし、私たちがいかに激しく地域社会を求めても、制度の中ではそれを得られないとするならば、私たちはこうした表面的な人間関係で自分をごまかすしかない。
たとえ見せかけの「友情」でも、ないよりはましだからだ。
●国家は家庭に勝るのか
人間社会の発展にとって、これまでは家庭が最優先され、その次が地域社会で、制度はほとんど重視されなかった。また、どの制度についても、その価値観は健全な家庭の価値観にもとついていた。
ところが、この百五十年間、アメリカではその立場が逆転し、制度が家庭や地域社会に命令を下すようになった。しかも、テクノロジーの進化によって、その命令は社会の隅々にまで行き渡り、もはや聖域はない。
制度側の政治学者によれば、制度は家庭よりもうまく人類を統率できるという。
そのため、彼らは制度を家庭に従わせるのではなく、家庭を制度に従わせようとした。指導者は指導者で、みずからを大衆という子どもの親として自覚するようになった。この論理によれば、国家は大衆の父であり、母であって、私たちはその子どもとして、抽象的な家族関係をつくっているわけだ。
したがって、国は私たちに何よりも忠誠を求める。
かつてケネディ大統領は、「国が諸君に何をしてくれるかではなく、諸君が国のために何ができるかを問うてほしい」と言った。これはまさに、大衆としての「諸君」と、きわめて抽象的な存在としての「国」との力関係を示したものであり、「国家」の要求が「家庭」の要求に勝るという政治哲学を表現したものである。もしあなたがこの考えに抵抗を感じないなら、あなたもその哲学の信者ということであり、現在の学校制度はうまく維持されるだろう。
しかし、もし自分や自分の家族が国家の付属物であることに抵抗を感じるなら、私たちは同志だ。もうこれ以上、学校を増やしてはならない。
●学校教育の完成品
制度の要求することは、個人や家庭生活に破壊的な影響を及ぼす。それは政府の要求であれ、企業の要求であれ、深刻な破壊力をもっている。
そもそも、国の制度は、人びとをその人間性のごく一部によって分類しようとする。学校制度においては、年齢や成績がその分類の材料だ。
もしこうした限られた世界での成果たとえば、すべての科目でAを取る
が唯一の尺度とされ、その人の価値がこの抽象的な目的を達成できたかどうかで決められるのなら、そこには必ず不健全な社会システムが生まれる。それは無意味な行為に意味と目的を与えることで、子どもたちの人間性を奪い、親子の絆を引き裂こうとする。
これが集団教育の実態であり、彼らの最大の目的だ。あなたはこれでも学校を増やすべきだと思うだろうか。
二十一世紀が近づくにつれ、アメリカは地域社会の国から、制度の国へと変化した。都市部の荒廃の原因は、よそ者の出入りが激しいことや、人口過密、環境汚染といった問題とも関係があるが、何よりも、あらゆる制度が子どもと高齢者を活動の場から追いやり、その中間の人びとの時間を拘束していることだ。働く世代から子どもと高齢者を引き離すことによって、制度は世代間に根本的な断絶をもたらした。そこに生じる悲しみを癒す薬はない。もはや活気に満ちた地域社会は過去のものとなり、子どもと高齢者はいつも暗闇に閉じ込められている。
たしかに、文化的同一性が厳しく守られてきた民族社会ブルックリンのベンソンハーストやピッツバーグのポリッシュヒルなどのように、再生を目指して努力している地域もある。
しかし、都市や郊外の「地域社会」はほとんど幻想にすぎず、取ってつけたような祭りが行なわれる程度だ。
現在、アメリカに住む人びとの九十パーセント以上が、五十の都市に集中している。彼らは長い学校教育の完成品としてそこに集められ、どんなに結びつきの強い社会においても、他者との交流を否定される。もとより、彼らは人間的な興味を完全に失っている。その証拠に、選挙登録されているのは有資格者の半数にすぎず、しかも、その登録者のすべてが実際に投票するわけではない。
つまり、この国の二大政党による選挙は、両党の問で票が二分されるとすれば、国民のわずか八分の】によって決まるというわけだ。もはや選挙は義務ではなく、一つのオプションとなりつつある。それは地域生活との断絶がもたらした結果であり、無関心がもたらした結果にほかならない。
学校であれ、企業であれ、制度の中の偽りの社会では、人間の基本的欲求はほとんど満たされない(子どもの場合、それは深刻な事態である)。そうした制度の目的は、いかに良識や善意を含むものであっても、個々の人間の目的とは相容れない。
また、制度の運営者がいかに善良であっても、物事を数字で判断するかぎり、そこに慈悲はない。
制度とは、その職員全体を指すものでも、幹部全体を指すものでもない。それはどちらからも独立した存在として、職員や幹部がすっかり入れ替わっても継続される。制度とは生きた概念であり、そこでは職員は歯車にすぎない。
この巨大な組織の究極の目的は、管理と画一化である。一方、家庭や地域社会の論理は多様性を認めるものであり、制度が個人の生活に介入することは、これに大きな損害をもたらす。実際、私たちは生活の中心を家庭や地域社会から、制度や組織に向けることで、機械の手先になろうとしているのだ。
●教育は世界最大のビジネス
百年ほど前のフランスの社会学者によれば、あらゆる制度の暗黙の目的は、生き残り、発展することであって、それが名目としている使命を果たすことではない。
つまり、政府の郵便事業の第一の目的は、郵便物の配達ではなく、その職員を保護し、彼らの中で比較的野心のある者に適度な出世の機会を与えることである。また、国防省の第一の目的は、国家の安全保障ではなく、その職員に分配する国富の一部を確保することである。
そう考えると、学校という制度の目的は、子どもの教育ではなく、教師の保護ということになる(古代ギリシアの時代に、ソクラテスがソフィストを激しく非難したのは、そこに実利主義が潜んでいたからだ)。
この考えに納得できない人のために、私の所属するニューヨーク市の公立学校制度について見てみよう。市という抽象的な親に管理されたこの「教育制度」は、あらゆる批判を受けているにもかかわらず、その任務の遂行を警察に保証されている。
また、歴史をとおして、義務教育はつねに破壊をもたらしたにもかかわらず、学校
はさらにその勢力を拡大しようとしている。
発展の遅れた地方の町が、めまぐるしい都市部と根本的に違うのは、単なる風景の違いではなく、家庭生活に対する制度の介入が少ないということだ。
もちろん、「父なる国家」の存在がもっとも強く感じられるのは学校であり、地方の子どもたちも競争と階級制度を叩き込まれている。
しかし、そこには家庭や地域社会も、解毒剤として存在している。
私たちが「教育」と呼んでいるものは、じつは世界最大のビジネスの一つであり、そこには伝統的な地域社会の価値観とは相容れない、制度の価値観がある。この百五十年間、学校の主な目的は、子どもたちに経済的成功のための準備をさせることだった。
つまり、いい教育を受ければ、いい職に就け、いい稼ぎが得られ、いい物が手に入るという図式があるわけだ。この考え方は全米に広まり、各地の高校ばかりか、ハーヴァード大生にも支持された。
たしかに、これはその信愚性や哲学的真理が問題にされないかぎり、親と生徒の両方を容易に支配できる思想である。おもしろいことに、アメリカ教員連盟は、企業が生徒を学校の成績によって採用し、昇進させるように促している。
そうすれば、カネ成績1ー金という図式が成り立つからであり、それは医学界や法曹界が長年のロビー活動によって確立した図式と同じである。これまで、企業は経歴や個人の資質といった昔ながらの基準で採用・昇進を行なってきたが、そうした抵抗もこれ以上は続かないだろう。
教育が地球環境を脅かす消費の拡大に加担しているとすれば、教育を経済発展の手段とするのは明らかな間違いだ。私たちはもう、「金で幸せが買える」などいう嘘を教えるべきではない。
また、麻薬中毒やアルコール中毒、十代の自殺、離婚といった悲劇が、貧しい人びとよりも、じつは裕福な人びとの間に多いという事実を無視するべきではない。
今、私たちが直面している問題を理解し、それを解決するためには、集団教育の意味を根本から問い直す必要がある。そもそも、学校は何のためにあるのだろうか。
読み書き.計算のためというのは答えにならない。適切な環境と時間があれば、それは百時間足らずで教えられるのであり、誰もが容易に独学できるものだからだ。
ではなぜ、私たちは子どもを十二年間も学校に閉じ込めているのだろう。ごく一部の生徒を金持ちにさせるためだろうか。たとえそうだとしても(私はそうは思わ
ないが)、なぜ人びとはそうした学校教育に反対しないのだろう。
学校は子どもを分類し、競争させ、敗者には公然と「劣等生」の刻印を押し、勝者にはさらなる「物質的消費」を促す。私は教育について真剣に考えている人が、一こんな馬鹿げた制度に賛成するはずはないと思っている。
子どもたちを閉じ込めて、いったい何を期待するのか。それがわかれば、私たちはどこで方向を間違えたかに気づくだろう。アメリカは豊かな想像力をもった国だ。その点で、私は必ずいいアイデアが出てくると信じている。
ただ、一つ明らかなのは、家族の愛情を少しでも知っている人は、我が子に何らかの絆を感じてほしいと願うことだ。結局、私たちは町や自然、人間など、何かと結びついて生きている。
そうでなければ、永遠の漂流者として、孤独な人生を送ることになるだろう。みずからの目的、みずからの存在価値を見出させることは、教育の重要な役目である。そのためには、世間から子どもを遠ざけてはならない。
競争は服従と尊敬を強いる
地域社会と制度の大きな違いは、地域社会では誰もがお互いに関心をもっているということだ。私たちは他人から関心を向けられてはじめて、自分に価値を見出せる。そのため、健全な社会では、裕福な人も貧しい人も、誰もが自分をかけがえのない存在と感じることができる。
一方、制度の中では、誰もが他人に関心をもつことなく暮らし、知らない人間に対してつねに脅威を感じている。その偽りの社会では、人びとはみな自分の殻に閉じこもり、目立つことを嫌う。
なぜなら、もし他人に自分の存在を気づかれたら、どんな危害を加えられるかわからないからだ。
無関心がはびこる社会では、自分から注意を引かないかぎり、他人に関心を向けられることはない。そこでは、友情も忠誠心も一時的なもので、他人のトラブルにはいっさい関与しない。子どもや高齢者は厄介者扱いされ、人びとは「より多く」
の物を買うことに夢中になっている。
また、地域社会が一定の限界をもつのに対し、制度は無限に拡大する。人びとが「より多く」を求めれば求めるほど、それは制度で働く者に利益をもたらす。
つまり、学校制度を拡大しようとする動きの背後で、多くの人間が多くの金を得ようとしているのである。
さらに、地域社会は私たちの心を深く満たしてくれるが、制度はつねに表面的な数字で人を判断する。Aをいくつ取ったか、何キロ痩せたかなど、業績は厳密にランクづけされ、組織の原動力としての競争を促す。
●有害な競争、不正な嘘
一般に、企業の品質競争は消費者にとって望ましいことだ。彼らはライバル会社せつさたくまに負けまいと、お互いに切磋琢磨する。
しかし、学校での競争はこれとはまったく違う。学校で競われるのは、いかに教師の好意を得られるかであり、多くの場合、その勝敗Aをもらえるか、トイレに行かせてもらえるか、「上級」クラスへ入れてもらえるかなどは教師の気まぐれによって決まる。それはときに有害で、子どもたちの間に嫉妬や不満、魔術信仰さえ引き起こす。
しかし、教師も教師で、校長の好意を得るために競争しなければならない。手の掛からない上級クラスの担任になれるか、きれいな教室を回してもらえるか、あるいはコピー機を使わせてもらえるかなど、この競争に勝つためには服従と尊敬が強いられる。
つまり、学校という制度では、教師や校長の気に入られるかどうかによって、物質的な褒美や罰が与えられるのであり、人間の好奇心や自発性は問題にされない。
嘘もまた、地域社会と制度の重要な違いである。地域社会では、約束を守らない人間は嫌われる。
しかし、制度では、個人的利益のために嘘をつくことは戦略の基本であり、学校ではそれがゲームの一部とされている。とりわけ、親はたいてい敵と見なされるため、学校はしばしば保護者に嘘をついたり、中途半端な真実を言つたりする。少なくとも、私が働いていた学校ではそうだった。嘘をつかない職員は損するだけで、嘘をついてもほとんど罰則がなく、成功の見返りも大きい。こうしクビた組織の不正を密告した者は、誠になるか、迫害されるかのどちらかだ。しかも、一度密告を行なった者は、どの学校へ行っても出世できない。
私にとって、フランスのランス大聖堂は、人間の団結の素晴らしさを教えてくれるものだ。ランス大聖堂は、機械をいっさい使わず、百年におよぶ人びとの労働によって完成された。誰もがみずからの意志で働き、強制労働させられた者は一人もいなかったという。
彼らを百年間も労働に駆り立てたものは何だったのだろう。それが何であれ、学ぶべきものであることは確かだ。当時、労働者たちは家族のような深い絆で結ばれ《
理想の聖堂に対する共通のイメージをもっていた。そのゴシック式教会は、教皇や大司教の指示とは関係なく、純粋に人びとの願望から生まれたものだった。
つまり、ランス大聖堂は、人間の団結が生み出した傑作であり、現代社会が失ってしまった価値を示しているのだ。
ランス大聖堂には、農民たちの手によって、世界でもっとも美しいステンドグラスの窓が取りつけられている。
しかし、そこには誰の名前も記されておらず、誰がその図案を描いたかも、誰が制作したのかもわからない。これは、当時の人びとの問に、共同社会の一員としての意識が根づいていたからであり、現代のような組織的なうぬぼれがなかったからである。聖堂は時代を超えて、今も私たちに人間らしくあることの意味を伝えている。
●学校を人工的な家庭にする愚
地域社会は、家族や友人が集まってできたものであり、そこでは他者との深い絆が重んじられる。それは共通の利益と義務が複雑に絡んだ関係で、その範囲は身内だけにとどまらない。
しかし、真の地域社会が失われてしまった今、私たちに残された選択肢は、孤独な生活を受け入れるか、あるいは制度の中の見せかけの社会に溶け込むか、そのどちらかだ。だが、見せかけの社会の見せかけの絆は、強固なように見えてじつは壊れやすく、永遠のように見えてじつははかなく、頼れるように見えてじつは役に立たない。
学校という制度の社会もこれと同じだ。私たちは教育改革について真剣に考え、この閉鎖的な組織が私たちの金と時間、そして子どもたちを奪うばかりで、何の見返りももたらさないという現状を何とかするべきだ。
最近では、子どもたちをもっと学校に拘束しようとする動きがあり、義務教育の拡大を主張する有力団体がひっきりなしにマスコミに登場する。
学校を九時から五時まで、あるいは九時から九時までの年中無休の体制にしようとか、現代はもう農村社会ではないのだから、子どもに作物の世話をさせる授業は必要ないとかいった意見もあれば、子どもたちに夕食や晩の娯楽、医療やセラピーといったさまざまなサービスを提供し、学校を人工的な家庭にしようという意見まである。
しかし、現役教師の私に言わせれば、家庭や地域社会の崩壊の原因は、学校その
ものにある。
学校は親子を引き離し、健全な家庭生活に不可欠な時間を奪うことで、家族の創造性を破壊している。
にもかかわらず、教師たちは家庭崩壊を家族のせいにする。それは自分が写真を現像液から早く出しすぎたくせに、出来ばえの悪さをカメラマンのせいにする人と同じである。
前述したが、マサチューセッッ州の上院議員によれば、同州の識字率は義務教育を導入する以前の方が高かったという。これは注目すべき事実ではないだろうか。
つまり、学校の機能はすでに最大に達しているのであり、これ以上増やしても、事態を悪化させるだけなのである。
●学校で身につく有害な習慣
どんな教育であれ、子どもは個人として尊重されるべきであり、けっして集団に従わされるべきではない。教育は子どものやる気を引き出し、人生の道しるべとなる価値観を見出させるものであるべきだ。また、教育は子どもの心を豊かにし、どんなときも思いやりを忘れない人間に育てるものであるべきだ。そして、人生にとって何が重要かを教えるものであるべきだ。
アメリカの教育で障害となっているのは、二つの正解」によって発展を継続させようとする社会工学の理論である。それは古代エジプトの考え方に由来するもので、一ドル札の裏に描かれたピラミッドに象徴される。頂上に目のついたそのピラミッドでは、人びとはみな石であり、それぞれの地位を決められている。この理論はさまざまな形で説明されてきたが、基本的には、大衆が一部の人間によって支配され、その支配を維持するために、さまざまな干渉を受けるという世界観を示している。
ただ、これは古代エジプトでは通用したかもしれないが、従来のアメリカでは通用しなかった。実際、子どもたちを=つの正解」によって支配することには歴史的根拠がないし、それが実現に近づいたこともない。フランシス・ベーコンや、『眠りから覚めたとき』のH・G・ウェルズが予見した巨大なハチの巣社会は、最近になって顕著になったのである。
個性や多様性、個人のプライバシーといったアメリカの理念が守られるかどうかは、私たちが子どもをどう育て、彼らがどんな生き方を学ぶかにかかっている。子どもを教室に閉じ込めれば、彼らは地域社会から孤立し、目に見えない機の中で生きることになる。
チャイムによっていつも活動を中断させれば、彼らは何にも関心をもたなくなる。トイレという生理現象にさえ許可を得なければならないなら、彼らは嘘やごますりを覚えるようになる。人から馬鹿にされれば、彼らは自分の殻に閉じこもり、恥をかかされれば、執拗に仕返しをするようになる。学校制度の中で身についた習慣は、きわめて有害なのである。
一方、家庭や地域社会といったものは、個々の仕組みの集まりであり、けっして=つの正解」に縛られたりはしない。プライベートな時間は、個性の発達や価値観の発達に不可欠なものであり、それがなければ、私たちは個人になり得ない。子どもも家庭も、本来の性質を伸ばすためには、政府の監視や脅迫から解放される必要があり、そうでなければ、「自由」に意味はない。
集団教育を見直そう
私が長い教師生活から得た教訓として、集団教育の理論と構造には致命的な欠陥がある。たとえ現在の社会がそれに見合うものでないとしても、アメリカはやはり民主主義の国だ。
しかし、集団教育はそうした民主主義の原理に反するものであり、国の論理を支えることはできない。
また、集団教育は公正な社会を生み出すこともできない。それはアメとムチを巧みに使い分け、毎日のように不正な競争や抑圧、脅迫を実行している。私たちが発展を許してきた学校では、どんな人生にも意味があるといったような精神的価値観を教えない。教師の好意や成績は、教育でも何でもなく、単なる服従の見返りにすぎないのだ。
集団教育は、子どもたちに大きな被害を与えるものである。もうこれ以上、学校を増やしてはならない。何千年も前にソクラテスが予言したように、学校は教育という名の下に、私たちから金を奪い取ってきた。
しかし、真の教育とは、ほとんど金がかからず、高価なおもちゃにも、道具にも頼らないものである。「自学」を生み出す実験に金は必要なく、一ドル使うのさえむずかしいくらいだ。
ところが、天才的なペテン師である学校は、あの手この手で、私たちから莫大な金をかすめ取ろうとする。
六十五年前、偉大な数学者であり、哲学者であり、おまけにイギリス国王とも親しかったバートランド・ラッセルは、「アメリカの集団教育は反民主主義的である」と指摘した。それは人間の多様性を排除し、多様性の源である家庭を排除することで、人為的に国を統一しようとするものだった。
ラッセルによれば、集団教育はいかにもアメリカ人らしい生徒を生み出した。
つまり、知性を信じず、迷信深く、自信に欠け、どの国の子どもたちよりも「内面の自由」に乏しい生徒である。こうした子どもたちは、貧弱な「集団的性格」をもち、美徳や美学といったものを軽蔑し、人生の危機に対して無力な大人になったという。
アメリカにとって、国の統一はつねに重要な課題であった。それは、この国がもともとモザイク社会であったこと、また、大陸を征服してできた国であったことに起因する。この事実は、一七九〇年当時においても、二百年後の現在においても変わらない。南北戦争の頃から、私たちは人為的な手段を使って、手っ取り早く国の統一を果たそうとしてきた。
義務教育はその手段の一つであり、おそらく、もっとも重要な手段だったに違いない。「子どもたちをつかまえろ!」と、ボストン植民地に戻ったジョン・コットンは言った。「統一」を宗教的教義のように思っていた人びとは、結局、それを実行した。反対派を倒すのに三十年かかったものの、義務教育は一八八〇年までに導入され、子どもたちは「彼ら」の手に渡ったのである。
それから百二十年が過ぎたが、コつの正解」を信じた人びとは、今も子どもたちの教育に頭を悩ませている。
そろそろ、私たちは何か別のことを試してみるべきではないだろうか。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるが、他者と共存することを学ぶには、まず個人として、家族として、自立して生きることを学ぶべきだ。
なぜなら、私たちは自分に満足できて初めて、他人にも満足できるからである。
ところが、私たちは機械的な手段で統一の問題を解決しようとした。多様な家庭や地域社会を、学校という大きな制度の下に収め、それを均質化しようとしたのである。その結果、アメリカをアメリカたらしめている民主主義の理念が、裏切られることになった。
この国は今も統一のための近道を探り、そのために家庭や地域社会を犠牲にしている。
しかし、家庭や地域社会が再生されれば、子どもはかつてそうだったように、自分の力で学ぶようになる。今の彼らには、金銭以外に努力する目的がないが、金はけっして根本的な動機にはならない。こんな学校は早く破壊し、教員免許も取り払って、教える意志のある人なら誰でも教師になれる、そんな自由で民主的な教育
を始めようではないか。もちろん、それは口で言うほど簡単ではないが、他に選択肢はない。もうこれ以上、学校は必要ないのだから。
終わらせよう、学校教育の悪夢
●植民地時代の教育
現代は「超現実主義」の時代である。国の基準、国の教育課程、国の改定標準テストなど、科学的な学校制度は、中央集権を強化するための計画を次々と提示している。
役人たちは魅力的な約束をいろいろと示すが、それと引き換えに求められるのは、機械の導入であり、大規模な介入であり、新しい就学前教育であり、野球のバットや拡声器、南京錠による管理である。私たちは一世紀半にわたって「正解」を探してきたが、結局、見つからなかった。にもかかわらず、人びとはまだどこかに正解があると信じているようだ。
しかし、そんな決定的な解決策が本当にあるのだろうか。あなたがそのことに少しでも疑問を感じるなら、私といっしょに植民地時代のニューイングランドを振り返ってみよう。そこには今とは違った体制論があった。それは私たちに大きな発想の転換深刻な誤りは市場原理によって自然淘汰されるをもたらしてくれるかもしれない。
セーレムやマーブルヘッド、フレーミングハム、デダム、ウェルフリート、プロヴィンスタウンなど、当時のニューイングランドの町には、新世界の土壌から生まれた独特の考え方、他の国々にはない豊かな気風があった。
この新しいシステムを初めて導入したのは、セーレムで最初の清教徒教会で、一六二九年、それは「セーレム流」として始まった。当時は、教会の決定を承認する「お偉方」はいなかったため、会衆みずからがその責任を負った。
つまり、教会はそれまで正式な専門家のものだった権限を取得し、それを信徒たちの手に委ねたのである。彼らの有権者としての条件は、まじめに教会へ通い、礼拝に参加するということだけだった。これはまさに地域密着型の制度であった。
伝統的な権限がこうして分散されたことで、その後二百年間、事実の解釈を統一しようとする国や教会の独占力は弱まった。中央集権的な外部当局の判断ではなく、みずからの議論を重んじることで、会衆はそれぞれの教区の個別化に積極的な役割を果たした。
彼らは自分たちの問題教育の問題、経済の問題、あるいは教義の問題ーをみずからの力で解決しようとし、イングランドの古い権威や新興の専門家階級には頼らなかった。
●アメリカが統一されていた頃
昨秋、私はデダムの町の教会で講演を行なった。その教会が建てられたのは一六三八年で、それは非国教徒を乗せたアーベラ号がボストンに到着したわずか九年後のことである。そこはユニテリアン・ユニヴァーサリストの教会だったが、もとは会衆派の教会だった。白い尖塔と端正な輪郭会衆派教会の建物には共通した特徴があり、間違いようがない。
ご存知かもしれないが、じつはこの会衆派教会こそ、マサチューセッツ湾植民地の本来の教会だった。それはセーレム流が生まれた=ハニ九年から一八三四年まで、二百年以上にわたって、「正解」とされた信仰だった。会衆派でないということは、どこか怪しい人物、少なくとも、人から避けられたり、迫害されたり、あるいは火あぶりにされたりする危険のある人物ということを意味した。ここまで極端だと、義務教育よりも悪く聞こえるのではないだろうか。
当時の会衆派の人びとは、他の宗派を激しく警戒していた。百八十年前、ユニテリアン派がやってくるとの知らせを受けた牧師のライマン・ビーチャーは、英国軍の進撃をいち早く知らせたポール・リヴィアのように、「ユニテリアン派が来るぞ!」と叫びながら、通りを馬で駆け抜けた。
言うまでもなく、牧師は彼らの到来を歓迎していなかった。
ところがその後、驚くべきことが起こった。何と会衆派は、強制されたわけでもなく、次第にその考えを変え、一八〇〇年代の終わりまでには、ユニテリアン派がニューイングランドの主流となったのである。
植民地時代のニューイングランドは、アメリカがもっとも統一されていた時代の代表とされることが多い。
しかし、皮肉にも、会衆派教会の本質はそうではなかった。彼らは画一的な管理よりも、個人主義的な生き方を求めた。礼拝でも儀式にこだわらず、地域に根ざした説教を重んじた。これは多くの場合、会衆の間に「不和」
をもたらし、信徒はそれぞれ、自分が司祭や専門家であるかのように意見を主張した。ただ、そうやって議論を交わすことで、彼らは真理に近づくことができた。
つまり、これはアリストテレスやカール・マルクス、トマス・ホッブズといった多くの哲学者たちが「弁証法」と呼んでいる論法である。会衆派のやり方は、この弁証法にもとついたものであり、トップダウンの意思決定とは正反対のものだった。
一方、中央の立案者にとって、こうした弁証法的プロセスは厄介なものだった。
それは物事の一正解」を広めようとする彼らの仕事を妨げたからである。
半世紀前、バートランド・ラッセルは、アメリカは子どもに弁証法的な考え方をわざと教えないようにしている、世界で唯一の主要国だと言った。当然ながら、これは二十世紀のアメリカ、政府による義務教育が行なわれているアメリカについての指摘であって、会衆派が主流だった頃のニューイングランドについてではない。
「ヤンキー(北部人)」がなぜ、強情で偏屈、物事に細かいといったレッテルを張られるようになったのか、もうおわかりだろう。ロードアイランド植民地を建設した聖職者のロジャー・ウィリアムズは、不和と生活の質が密接な関係にあることをよく知っていた。
つまり、二つは表裏一体なのである。
最近の研究によれば、十七世紀のマサチューセッッでは、統一どころか、地域ごとにさまざまなスタイルが試されていた。どの町もかなりの柔軟性をもち、中央政府の支配にはほとんどこだわらなかった。昨秋、私が講演に行ったデダムの町は、もともとイングランドの東アングリア出身の入植者による町だった。東アングリアは財産の私有と個人の選択が重んじられる土地で、そうした体制は新世界でもすぐに確立された。
一方、デダムの隣にあるサドベリーは、サクソンおよびケルト系入植者の町で、仕事を分かち合う伝統をもっていた彼らは、アメリカでも開放耕地を共有した。当時のマサチューセッツ植民地では、その地方に共通する文化と、集落ごとの文化との問で創造的な対立があった。詩や音楽の世界で、本来の様式とそのアレンジとの対立が新たな発展を生むように、町どうし、教会どうし、会衆どうしの対立は驚くべきエネルギーを生み、マサチューセッツ植民地に独特の豊かな気風をもたらした。
つまり、ニューイングランドの社会には、不和や対立といった厄介な面もある一方で、大きな創造力が秘められていたのである。それは今日の学校制度をつくり、維持している社会工学者が目を向けようとしないカである。当時の町は、気に入らない人間を排除することができた。人びとはいっしょに働きたい相手を選び、自分に合った「生きたカリキュラム」を選択することができた。
デダムの最初の設立勅許状には、彼らのこうした姿勢がよく表われている。彼らは「自分たちに合わない性質の人間、自分たちに損害を与えそうな社会の人間」を締め出そうとし、実際にそうした。
つまり、人間の種類を適切に管理できる範囲に絞り込むことで、町は会員制クラブのような機能を果たしていたのである。
たしかに、弁証法的なプロセスが大きな緊張をもたらすことーそこでは誰もが自分を司祭であり、最終決定者だと思っているーを考えれば、会衆派社会の可能性を全面的に肯定するのはむずかしい。
しかし、性格や考え方にかかわらず、来る者をすべて受け入れなければならないとしたら、町はたちまち致命的な対立に陥るだろう。そして、人びとの結束に不可欠な共通の大義や目的が失われ、機能しなくなってしまうだろう。
グローバルな考え方の限界
ニューイングランドの弁証法的プロセスは、今日の学校のように、あらゆる種類の人間がごちゃ混ぜにされている場所では成立しない。こうした場所では、混乱を防ぐために、管理者はすべてi時間、空間、教科書、手順をできるだけ統一しようとしなければならない。ギリシア神話に出てくるプロクルステスという男を知っているだろうか。彼はひどく杓子定規な人間で、捕らえた旅人をベッドの大きさに合わせて、切ったり伸ばしたりした。この方法はうまくいったが、旅人には悲劇となった。
ニューイングランドの人びとは、気の合う仲間とともに暮らし、ともに働けるシステムを考案した。そのうえ、彼らは地域全体の繁栄ー物質面、知性面、社会面のすべてにおいてーも見事に果たした。それは、個人の働きが公共の利益につながるという魔法のような仕組みだった。彼らの自立、自信、勇気、民主主義、地域への忠誠といった習慣が、豊かな社会を育んだのである。
一方、現代の義務教育は、これとは違う青写真にもとついている。子どもたちは大きな「ため池」から無理やり引き出され、標準テストの得点に応じて教室へ投げ込まれる。そこでは、他人に合わせて行動することが重んじられる。
クリストファー。ラッシュは、『唯一本当の天国』にこう書いている。
忠誠心という力は、人類の団結などという仮説に当てはめようとすると、ひどく弱まる。それは普遍的な人権とかいった抽象的な理念ではなく、特定の人、特定の場所に当てはめなければならない。私たちは特定の男女を愛するのであり、人類全体を愛するのではないからだ。
これは学校教育の問題点――カリキュラムや方針、クラスメートさえ選べない――を示唆している。
また、思想家のウェンデル・ベリーは、雑誌の編集者へ宛てた手紙にこう記している。
私は「グローバルな考え方」がくだらないとは思わないが、不可能だと思う。
全世界のことを知っている人はいないし、知らないことについて考えることはできないからだ。たしかに、世界のごく一部について多少知っている人はいる。
(中略)グローバルな考え方をする人というのは、世界をただ抽象的な数字によってとらえているだけである。政治家や実業家はとくにそれが上手で、彼らの抽象的な考え方や貧欲さはつねに破壊をもたらす。もし正しい行ないをしたいなら、私たちは地域志向の考え方や行動をするべきだ。たしかに、正しい行ないをしようとすれば、グローバルな競争には勝てない。だが、二つを両立させることはできないのだ。(中略)正しい行ない、正しい生き方とは、アレグザンダー・ポープの言う「土地神」に受け入れられるものでなければならない。これには地域の知識、地域の技術、そして、グローバル志向の人間にはない地域への愛が必要だ。それを育むためには、何世代にもわたって地域への忠誠を維持しなければならない。(中略)私は、自分をよく知らない人びとに愛されたいとは思わない。それは地球も同じではないだろうか。
地域の知識、地域の技術、地域への愛、地域への忠誠は、ニューイングランドの会衆派教会がつちかった財産である。
しかし、こうした地域主義にもマイナス面はあった。
当時のニューイングランドでは、宗教的差別が地域の調和を確保するための手段だった。三百年前、マサチューセッッのデダムの町では、クエーカー教徒の女性が半裸で鞭打たれるという光景がみられた。これはクエーカー教の性質がデダムに合わなかったという事実を裏づけるものだが、その点では長老派教会も同じだった。
ジョン。ミルトンに「新しい長老は古い司祭と変わらない」と言われた彼らは、ニュージャージーの荒野に追いやられ、そこでプリンストンを建設した。言うまでも
なく、デダムではカトリック教徒も、水平派も、真正平等派(ディッガーズ)も、ヒュッテル派も、同じように迫害された。彼らはこうした極端な方法により、二百三十四年間にわたって宗教的純潔を保ったのである。
しかし、問題はこうした宗教的差別を地域主義のマイナス面とするだけでは終わらない。というのも、その後の会衆派教会は、次第に態度を和らげ、すべての宗派を受け入れるようになったからである。彼らはそれまでの保守的な姿勢を改め、マサチューセッツは合衆国でもっともリベラルな州と言われるまでになった。これは強制や脅迫、あるいは法による強大な権限付与がなかったとすれば、きわめて大胆な方向転換だったと言える。
デダムをはじめとする町は、なぜこれほどの変化を遂げたのだろう。ちなみに、彼らは専門家の指示も、中央の介入もなく、信徒による投票だけで改革を決めた。
おそらく、会衆派教会の組織内で「何か」が生じ、それが彼らに排他性を捨てさせたのだろう。
その一何か」とは、自己修正にほかならず、その決定はほとんど無条件に優先された。当時、町の教会は一つの制度として連携していた今日の学校制度がそうであるようにわけではなく、それぞれが互いに独立していた。また、人びとは教会のやり方に賛成なら出席、反対なら欠席することで意思を表明し、そうした自由市場的なシステムによって、悪は正され、善は報いられた。
たとえ一部の人びとが町や教会を堕落させようとしても、一つの考え方がすべてを支配するという仕組みが働かないかぎり、その弊害はごくわずかだった。真の危険とは、中央を正統とする状況が生まれ、人びとがその毒に冒されるときに生じるのである。
●中央統制は必要なのか
たしかに、地域主義のマイナス面に比べれば、プラス面ー民主主義の基本
はわかりにくい。そのため、地域に不正や欠陥が生じると、人びとは中央当局に権限を譲り、すべてを公正に管理してもらいたいという誘惑に駆られる。学校に国の教育課程があるのはこのためで、それは悪い学校を排除するための合理的かつ公正な方法とされている。もし植民地時代に国の教育課程があったら、デダムもサドベリーも、フレーミングハムもウェルフリートも、あんなふうに発展しなかっただろう。それどころか、今日の学校のように、中央に支配されていたことだろう。
弁証法的に言えば、中央統制という実験はあまりいい結果を出していない。世界は危機に瀕していると言う人もいるほどだ。実際、ニューイングランドの宗教的排他性が自然消滅していったようには、アルコール中毒も麻薬中毒も、人種差別も消滅していない。むしろ、法律によってさらにエスカレートしているようだ。
もちろん、差別是正措置やポルノの販売規制、女性の地位向上など、さまざまな権利が歴史的な裁判によって勝ち取られてきた。
しかし、もしそうした権利が裁判ではなく、国民の総意によって獲得されていたとしたら、その価値はもっと大きかったのではないだろうか。
事実、現在のアフリカ系アメリカ人の立場は、ほとんどの面で、一九六〇年代よりも悪くなっている。学校も含めて、あらゆる場所に卑劣な人種差別が存在し、彼らを支援しようとする努力を台無しにしている。
女性の立場はもう少し微妙だが、自殺や心臓病、情緒障害、不妊などの割合が急増していることを考えると、職場での男女平等はまだまだ不完全なようだ。さらに、一九九〇年における共働き夫婦の収入は、一九一〇年における平均的な男性労働者一人の収入をわずかに上回る程度というデータもある。
つまり、現代では二人の労働者が一人分の賃金で働かされているということであり、その結果、子どもたちは安らぎの場としての家庭を奪われている。
そもそも、中央の法的支配は本当に必要なのだろうか。つい最近まで、アメリカでは麻薬が合法だった。もちろん、麻薬は有害物ではあるが、それが法律で禁じられる以前は、これほど蔓延していなかった。もしかしたら、法律で何かを強制的に禁じることで、人びとの理性がかえって乱されているのではないだろうか。もしそうだとしたら、人間性を損なってまで、法律をつくる意味はあるのだろうか。
教育の世界でも、あらゆることが法律で禁じられている。公認の教師や管理者、何千という当局機関が閉鎖的な官僚主義を掲げ、政府主導の学校制度を支えている。
この巨大な病的組織は、多くの欠陥を抱えているにもかかわらず、自由市場のルールを無視して、ますます拡大しようとしている。
彼らが淘汰されないのは、国の警察権を利用して、子どもたちを強引に教室へ押し込んでいるからだ。また、一部の社会工学者たちが、義務教育によって利益を得ている業界ー教育大学、教科書出版社、備品の納入業者などの支援を受けて、子どもたちに徹底した訓練を行なっているからだ。
しかし、学校が地域性や多様性を禁じることは、人びとの倫理観
に恐ろしい影響を与える。それはかつての禁酒法が与えた以上の影響だ。
宗教と切り離して考えた場合、会衆派の原理とはこうである調和の取れた集団では、人びとの判断に任せることが最善の結果につながり、判断を任されたときにこそ、人間の能力は最大限に引き出される。
実際、デダムはみずからのカで町の運命を切り開いた。この町はかつて、クエーカー教徒の女性を鞭打つような排他的な社会であったが、昨年、私はローマ・カトリック教徒として(妻はスコットランド長老派、同行した親友のローランドは異教徒とユダヤ教徒のハーフ)、彼らの教会で講演した。
今はユニテリアン・ユニヴァーサリストの教会となっているが、会衆派教会だった当時は、他宗派の人間が壇上に立つことなど許されなかったはずだ。デダムの人びとが他宗派を受け入れるようになったのは、三百年間、たとえ間違った選択もあったにせよ、すべてを自分たちで決めてきたからである。
部外者を排除するよりも、折り合いをつける方法を見つけようとしたのは、彼らがみずから考え、みずから選択してきた結果なのである。
もし中央から改革を命じられたり、地域の文化を否定されたりしたら、彼らは選択の自由を奪われることに反発し、報復しようとさえしただろう。あるいは、すっかり正気を失い、従順で合理的な人間になっていたかもしれない。
しかし、こうした会衆派時代の地域主義を評価してきたにもかかわらず、現在の学校制度は完全に政府に支配されてしまっている。ただ、こうした体制が劇的に崩壊し、真の教育が行なわれて、平等で民主的な社会が実現される可能性は十分ある。
そのために必要なのは、失敗の理由ーなぜこんな学校制度になってしまったのかーを知ることだ。私たちは中央からの指示を許すことで、会衆派の原理を見失ってしまった。
一人前の人間になるには、調和した集団の中で自分の判断力を磨き、みずからの人間性に合った夢を追求することが必要なのである。そして、その夢の根底には、自己、家族、仕事、地域社会など、人生に大切な意味をもたらすものがなければならない。
●学校に寄生する教育産業
現在、アメリカの教育問題に対しては、二つの「公式の」見方があるようだ。一つは、制度改革によってそれを技術的に解決しようとするもので、そこでは制度の良し悪しが判断されるだけで、会衆派の人びとが信じていたような個人の可能性は
考慮されない。もう一つは、学校制度を法廷ドラマに見立て、問題の原因になっている悪者を探すというものだ。悪い教師、悪い教科書、悪い校長、悪い政治家、悪い親、悪い子どもといったように、誰であれ犯人を探し出し、非難し、告発し、処刑さえする。それで事件は解決というわけだ。
また、この二つの間違った見方から生まれたのが、巨大な教育産業である。彼らは金と引き換えに、学校制度の悪を退治してやろうと主張する。教育評論家、教育コンサルタント、教育研究家、教育学者、教育ライター、教育アドヴァイザー、教育コラムニスト、教科書委員会、教育委員会、試験代行業者、教育ジャーナリスト、教育大学、教育省庁、教育監視員、教育コーディネーター、教材メーカー、教師、校長、教育番組など、無数の教育関連ビジネスが政府の学校制度に寄生している。
多くの人が社会工学や反社会的な悪魔論を信じるのは、根本的に、どちらも手っ取り早い解決を約束してくれるからだ。金も、健康も、美しさも、そして教育も、しかるべき呪文が見つかりさえすれば、簡単に手に入るそんな迷信がアメリカ社会の根底にあり、それを国営事業としてのマスコミが広めている。
しかし、彼らの「約束」の背後には、機械としての人びとのイメージが潜んでいる。これはカルヴァン主義の名残りであり、「世界とすべての生き物は単なる機械にすぎない」というメッセージである。感傷さえ捨てれば、機械を操作することは簡単で、悪者の象徴を火あぶりにすることも、時代によっては、実際に火あぶりにすることもできる。
つまり、ほとんどの人にとって、教育改革とは、社会工学による技術的なこじつけか、犯人探しの法廷ドラマなのである。
●「植木鉢に入れられた植物」
結局のところ、私たちが社会の問題をどうとらえるかは、人間をどうとらえるかによる。人間をどう思うか、人間にどんな能力があると思うか、もしあるとすれば、人間存在の目的は何だと思うかー。
仮に人間が機械だとすれば、学校はこの機械をより正確なものにするための手段パ ツにすぎない。機械に求められるのは、それぞれの部品が均一で交換可能であること、すべての動作が規則的で、予測可能で、効率的であることだ。これはまさに学校そのものではないだろうか。
たしかに、人間を機械と見なす概念は古くからあったし、画一的管理が財政的・
社会的に有益であることは南北戦争によってはっきりと証明された。
しかし、それが実践されるようになったのは、第一次世界大戦後からである。
アメリカの学校教育は、まったく…機械のようである。チャイムが鳴り、回路が開閉し、エネルギーが流れたり止まったりし、品質が数字で表わされ、各パーッの知らないところで計画が進められる。一九九〇年にノーベル文学賞を受賞したメキシコのオクタヴィオ・パスは、アメリカの学校制度についてこう言っている。
北米の人びとは、子どもの頃から厳然たる制度に支配されている。簡潔な教義にもとつく特定の原則が、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、教会、そして何より学校によって延々と繰り返されている。こうした体制に閉じ込められた人間は、ひどく小さな植木鉢に入れられた植物のようなものだ。その人は成長することも成熟することもできない。こうした陰謀は、人びとの暴力的な反乱を招きかねない。
私たちは、小さな植木鉢に入れられた植物のように、成長することも成熟することもできない。依存に慣れてしまったせいで、国が今のような危機にあっても、ただ教師の指示を待っている。
しかし、橋が崩れ、人びとが路上で眠り、銀行が不正を行ない、善意が失われ、家族が崩壊し、政府が嘘をついても、教師はけっして現われない。世の中がどんなに汚職や恥辱、病気や扇情にまみれても、学校はそれを解決できない。
かつての会衆派の人びとなら、こんな学校制度は必ず崩壊するとして、すぐにその原因を突き止めることができただろう。
ところが、今の階級社会は、物事には「正解」があり、教育は専門家に任せておけば大丈夫と思い込んでいる。だが、状況がつねに変化している現場では、専門家の知識などすぐにすたれてしまう。
義務教育は、ハチの巣社会の重要な訓練制度であり、専門家の特権を保証するものだ。いったん特権を得た者は絶対にそれを手放そうとしないため、そこには強固な特権体制が生まれる。どんなに厳しい批判を受けても、彼らは国の政治的・経済的システムの根幹を支えているため、どんどん拡大する。実際、学校制度を変えることは不可能だ。それは彼らが人間であることをやめ、効率を重視する機械になったからであり、人間本来のメカニズムとは無関係だからである。この悪魔を倒すためには、餌食を奪うことによって餓死させるしかない。
国や個人のアイデンティティーを失わせているのは、義務教育にほかならない。
それは階級社会の陰の立役者であり、アメリカ建国の理念に矛盾するものだ。彼らは家庭崩壊など、あらゆる方面から力を取り込んでいる。
しかし、もっとも大きなカとなっているのは、消費者を永遠に満足させない商業経済である。
●まずは学校の支配から逃れよう
もういい加減、こんな体制は終わらせるべきだ。こんなシステムは機能しないし、世界を崩壊に導くだけである。ただ、どんなにいじくり回しても、学校という機械に人間を教育させることはできない。誰もが経験してきたように、教育と学校制度とは同義語になり得ないのである。
七十年前の一九三〇年、ハーヴァードで講演したトマス・ブリッグズは、「この国の中等教育への莫大な投資は、何の成果も上げていない」と批判した。その二十年後の一九五一年には、ロサンゼルスの児童三万人を対象とした調査によって、八年生の七十五パーセントが地図上で大西洋を探すことができず、ほとんどが「36÷2」の計算ができないことがわかった。
個人的な経験から言えば、この状況は今もまったく改善されていない。
学校はいったいどうなっているのだろう。私たちは、政府の義務教育がことごとく失敗していることを真剣に議論しなければならない。学校ばかりか、学校とよく似た構造をもつテレビ・メディアの体制も拡大し、以前はあったはずの逃げ道がすべてふさがれている。両者を合わせると、今の集団教育の破壊力は凄まじいものだ。
私たちは成長期の子どもたちを学校に支配させ、その選択権を奪うことによって、彼らの心や個性を破壊してきた。たとえこのピラミッド社会を覆す方法が見つかったとしても、未来の世代は、失われた人間性に対する莫大な代償を払うことになるだろう。とにかくまず、この支配から逃れることが先決だ。
デダム、サドベリー、マーブルヘッド、プロヴィンスタウンの例を見てみよう。
それぞれ性質は違うが、彼らはみな自分の町に何が必要なのかがわかっていた。私たちに必要なのは、国の解決策ではなく、豊かな実験室としての地域社会に目を向けることである。そして、みずからの内面を見つめ、「己を知る」ことである。健全な地域社会とは、「親しき仲にも礼儀あり」の格言どおり、誰もがお互いの違い
を理解し、尊重することのできる社会である。
会衆派の社会はそのモデルであり、会衆派の原理にこそ答えがある。当時の社会では、人びとが積極的に実験し、みずからその責任を負っていた。子どもや家族にとって何が最善かを知るためには、まず彼らを信頼することだ。子どもと老人の問の垣根を取り払い、企業も高齢者も、地域社会のすべての人を教育に参加させることだ。そして、解決策を地域に求め、一人ひとりの判断を尊重することだ。教育の結果を恐れる必要はない。読み書き・計算を教えるのはむずかしいことではないし、実際、百時間もあれば、それを独学でマスターできるという証拠もある。学校の脅しに屈して、子どもたちを専門家に引き渡してはならない。
また、教員免許という制度も早く撤廃するべきだ。学校には私のような「教育のプロ」が必要だと思われているようだが、それは違う。周りの学校を見れば、免許制度のもたらした結果がわかるだろう。教えたいと思う人を教師にさせればいい。
税金と選択権を家庭に取り戻し、真の自由市場による競争を促して、会衆派のような弁証法的社会を復活させよう。個人や家庭、地域社会を信頼し、[教育とは何か」という根本的な問題の意味を理解しよう。もし自分の考えと違う人がいても、それは関係ない。大切なのは、そうした問題を口に出して言うことであり、たとえ偽りの民主主義が広まろうとしても、教育の原点を見失わないことである。専門家にそれを答えさせるのは問違いだ。植民地時代の豊かな社会を蘇らせるには、まず私たち自身がみずからのカを信じなければならない。当時の人びとが築いたシステムは、今も大きな可能性をもっている。それを取り戻すことで、学校教育の悪夢を終わらせよう。
◆資料 "バカをつくる学校"のレビュー
以下はバカをつくる学校を紹介しながら、学校狂育の本質をするどくついた意見だ。●アマゾンでのレビュー
7 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 大企業のための奴隷工場, 2010/9/15
By ぽん - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: バカをつくる学校 (単行本)
昨日一気に読みました。
義務教育という私たちに与えられた権利…一見正義に満ちた授かりもののようでありながらその実そこで行っているのは一部の支配層の地位をささえるための奴隷量産工場。
階級に満足し、考えることをせず、システムを疑わず、消費欲で己を満たし、、資本主義をささえる労働力として。また、その利益を支える消費者へと育てられます。脱線するものには罰をあたえ、従うものにはアメを与え…。
資本主義が生みだした機械化されたシステムに身を投じ、人間らしさを失うのです。。はたして生きているといえるだろうか?だれかの金のために自分の人生をささげている。それも管理されることに嬉々として。
不登校が悪いんじゃない。それも人間疎外に抵抗する、自然からなる人間の心なのかもしれません。
ただ、自学自習を行った子供もまた、いつかは資本の荒波のなかにさらされることになります。
どこまでいっても、その驚異から人間はもう逃れられない。ただ相手の手の内を知り、抵抗し、自分を守ることだけが許された最後の砦かも・・。
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6 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 意識を変えた、革命の書, 2010/4/4
By とうはん (茅ヶ崎市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: バカをつくる学校 (単行本)
この本を読むまで、子どもが学校に行くのは当然で、何の疑いも持ちませんでした。
図書館で借りて読み、返してまた借りて読み、ついに買ってしまいました。
そして妻を説得し、子どもを学校へ行かせることを止めました。
子どもは私の手で育てます。
学校に行くことでバカになったら困りますから。
今私の子どもは毎日嬉々として遊びまわっていますが、
それでも学校へ行く子どもたちよりはるか先を行っています。
学校は何のためにあるか、考えさせられた一冊です。
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18 人中、17人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 教育論の中でトップクラス!, 2008/6/14
By keita (埼玉県) - レビューをすべて見る
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サスペンス・ドラマのようなショッキングな本です。
子供の頃から、どうして学校に行かなければならないのか、言うとおりにしなければならないのか、
思いやりが大事と言いつつも、形だけの思いやりを思いやりだと思い込んでた人たち…
そして、社会人になってから、本を500冊くらい猛勉強しての実のある知恵を身につけて、
なぜ使える知恵や、好奇心からつなぐ自発的な学習を取り入れないのか、
教員たちは子供のために何もできないのか、不良たちを無理やり抑えつけようとするのか…
数々の謎がスッキリ、点が線に繋がりました。
学校の義務教育というのは、中央統制の人たちが莫大な富を手にする社会システムの歯車の工場だったのです。
そのためには教師の指示を言うとおりに聞いて、自分で考えたり、自らの判断で動く人間を打ち砕く必要があった。
それが学校という収容施設だった。
そして、社会秩序は保たれ、階級制や規格化された消費者・労働者によって富が流れるという仕組みです。
何かこう世界が違って見えるような錯覚感が、すごくおもしろいです。
少しでも学校に疑問に感じてた人には買いだと思います。
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16 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 義務教育は何のために存在するのか、当たり前を考えさせられます。, 2007/3/24
By わははせいじん - レビューをすべて見る
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日本に生まれた人ならばほぼ大多数の人「義務教育」を受ける中
「義務教育」の生まれた歴史と意味を教えていただきました。
「義務教育」はみんなが受ける
=当たり前のこと
=疑問に思わない
=考えず大衆の考えとして受け入れる
=一部の人が管理する社会の実現(一世紀前からの歴史)
衝撃です。信じる信じないは別として、考えさせられます。
学校でみんながグループ分けされ、同じ教育内容を受け、
成績で優劣をつけ子どもを順位付けし、競争しいい点を取った子が褒められ
学校に馴染めない子どもは劣等生というレッテルを貼られ、
均一の知識を刷りこまれる・・・。
この当たり前と言われているルールは何のために存在するのか。
その問いの答えとして本書では以下のように書かれている。
学校は
★公式どおり行動する人間の育成するため(コントロール可能な人間づくり)
★単純な労働者をつくるため
★子ども達の購買意欲を刺激し学校を消費拡大のための精神的訓練の場にするため
(学校=退屈=簡単に納得する人間=消費の原動力)
★企業(と政府)が求める規格化された消費者や従業員をつくるため
・・・等
学校を否定するわけではありません。
ただ、確かに私も自身も義務教育を受けていた時
「何故学校に行かなくては行けないのか」という疑問を持ちながら
生きている意味を1人模索する時期ががありました。
目的なく、テストでいい点とるために、授業を受け、
みんなと同じようにふるまい、規格人間だった私のような人間にとって
この本から色々感じることがありました。
この本の存在を教えてくれた、副島隆彦さんの著書
「最高支配層だけが知っている日本の真実」に感謝します。
最後に副島隆彦さんの著書「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」も
興味があれば読んでみることをおすすめします。
ありがとうございます。
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20 人中、18人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 義務教育の問題を鋭く指摘しています, 2007/3/14
By 大西 博之 (神奈川県川崎市麻生区) - レビューをすべて見る
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ニューヨーク州最優秀教師のジョン・テイラー・ガットが、現在のアメリカの義務教育制度を正面から批判しています。
この本を読めば現在の教育の問題がわかります。
アメリカの現状について書かれていますが、日本の教育にもあてはまります。
いかに義務教育が良くないかを鋭く指摘してあり、批判だけでなく、解決案も書かれています。
評論化の意見でなく、現役の教師だから書ける内容ですごく参考になります。
また、現状の教育を変えていくヒントをたくさん得ることができました。
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32 人中、13人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0 何でもかんでも学校のせいにするのは気持ちがいいものですね, 2007/1/21
By それゆけ!!残飯マン (日本国) - レビューをすべて見る
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●読み進むうちに最終的には分権論の政治パンフレットのように思えました。学校というよりそれをバックアップしている中央集権が敵の本丸のようです。
●ただその集権的な画一主義が滔々とまくし立てるほど諸悪の根源でないような気もします。たとえ学校教育が悪影響を与えているとしても子供の生活は外でも回っています。向こうの貧困層は何より経験主義でストリートの知恵を大事にしています。学校の影響力をかなり低減できる環境であるにもかかわらず彼らの示す投票行動は彼らの首を絞めるような候補を利するような結果しか起こしません。
●今の制度は自分の興味や関心なりたい職業がはっきりしている場合邪魔ですね。しかし著者の主張も極端だと思います。完全分権か現状を肯定するか、どっちを選ぶんだって脅迫されているようなヒステリックな論調でした。こっちの利点とあっちの弊害を針小棒大に宣伝しているみたいです。集権的な効率性と分権的な細やかさは両方必要です。あっちは完全に悪い、だからこれからはすべてこっちのやり方でやらせろってのは極端すぎます。
●これから分権化を進めるとして壮大な試行錯誤があっちこっちで起きるわけですよね。著者も完成形の道乗りは長いことを認めています。じゃあ完成する前段階で教育を受ける子供の立場は?完全分権ではなくある程度の最低ラインを上の立場から示す必要があるでしょう。
●溢れんばかり才能が学校によって潰されてしまったという主張は甘美で心地よいですが今の先進国では言い訳にしかなりません。いろいろな価値観に手軽にアクセスできます。強制でもないし。かわす方法は沢山あります。そもそも学校の課す命題を自明と考えている時点で危うい判断力の持ち主です。その危うさは学校教育のせいですか。私は学校よりそういう危うい人が恐ろしいです。学校の本質よりもそういう人の巻き添えから逃れる方法を切実に知りたいです。
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31 人中、29人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 本当のことをここまでバラした公認ベスト教師に感謝する, 2006/12/18
By silvermoon - レビューをすべて見る
(トップ500レビュアー)
レビュー対象商品: バカをつくる学校 (単行本)
学校が裸の王様であることは、学校に違和感を持っている知的な人間にとっては既に認識されていたと思うが、米国の教育管理組織からベスト教師と認定された教師が、証拠とその検証をもってはっきりとそれを示したことには大きな意義がある。日本の義務教育もアメリカのそれのコピーであるのだから全く当てはまる。
これにより、教育問題に関し、学校や教師を責めることが悲しいまでに的外れであることも分かるようになる。そもそも、学校自体が我々の期待する教育を行う目的を持っていないことは明らかであるからだ。
著者は問題を嘆くのみでなく、すぐに取り組むべき解決策や理念も示す。子供は地域社会に参加しなければならない。精神的に自立したまともな大人と接しないといけない。子供がほとんど唯一接触する大人である教師が一番危ないということは別に驚くべきことではない。
教育問題を解決する根本がここにある。ただ、学校に行かないと「落伍者になる」「教養や知性を持てなくなる」「大変なことになる」と思い込まされた人が理解するのは困難かもしれない。
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●ミクシィでのレビュー
著者はニューヨーク州で最優秀として表彰された経験を持つ教師。
教師の視点から学校制度の矛盾を指摘・批判して、学校という場からの脱出を訴えています。
全体として著者の視点、著者の考え方の表明であるため、言及している実例も、本書の中で唱えられている主張も偏ったものであることは否定できませんし、これらが遍く正しいとは到底いえません。
しかしながら、学校制度を批判する観点は、今日の教育界が抱える問題を見事に捉え、その背後にある社会的な事情についても非常に鋭い示唆を含んでいます。
冒頭に書いた通り、普遍的に妥当する内容ではないと思いますが、そのことを念頭に置いて、外的・鳥瞰的な視点から分析する研究者・評論家の意見ではなく、現場にいた一教師の内的な視点からの主張であると思って読めば、得るものは大きいと思います。
-本文から引用-
・学校は「階級分類装置」
・幼稚な人間は簡単に納得させられるため、大人になっても幼稚なままの人間を生み出すことは、学校という「工場」の最優先事項だった。(中略)企業が求めるのは、規格化された消費者や従業員だった。
・教育は世界最大のビジネス
・大衆が一部の人間によって支配され、その支配を維持するために、さまざまな干渉を受ける
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めぐ★174cm
2010年07月05日 02:48
☆七つの教育方針
①一貫性のなさ
・教育とは、生のデータから意味を引き出させることなのだ
・パッチワークのような時間割や、
事実と理論ばかりを優先する授業の中では、
意味を模索することはできない
②クラス分け
・年齢別の区分があるのは学校だけで、
大人の世界には絶対に存在しない
・現実と学校教育とは根本的に両立しない(ソクラテス)
・クラス分けの目的は、子どもたちに自分のレベルを自覚させ
脱出するには点数を上げるしかないと信じ込ませることである
③無関心
・チャイムは時間割の隠れた原則
・チャイムは過去も未来も打ち壊し、
どの時間も均一なものにしてしまう
・チャイムによって、授業はすべて無意味なものになる
④感情的な依存
・子どもたちは、教師に褒められたい、
あるいは怒られたくないと思うように条件づけされる
・教室の中では教師が支配者であるという感覚を植え付ける
・自由は学校制度とは矛盾するものだ
⑤知的な依存
・子どもたちは、何事も自分で判断せず、
教師の指示を待つように教えられる
・「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、
適度な熱意をもって、それを受け入れる生徒のことである
・「劣等生」とは、教師の示した考えに抵抗し、
何をいつ学ぶのか、自分でそれを決めようとする生徒のこと
彼らの意思を砕くため、
親に連絡するという効果的な手段を使う
・私たちの社会は、自分で考えることを知らず、
ただ言われたことをするだけの人間によって成り立っている
⑥条件つきの自尊心
・子どもたちはつねに教師に評価され、審査される
・自分の価値は専門家の意見に左右されるということを教える
・自己評価は、哲学の世界では重要な要素でも、
学校教育ではまったく問題にされない
・通知表の目的は、子どもたちに自分や親を信じるのではなく
資格を持った専門家の評価を信じるよう教えることである
⑦監視
・生徒はいつも見張られていて、
教師の監視から誰も逃れることはできないと教える
・休み時間は、彼らをさりげなく接触させ、
お互いにスパイさせるためである
・「宿題」という授業の延長によって、
生徒の家庭生活にも監視の目を入り込ませる
☆「読み書き・計算」は百時間で学べる
・人は地域社会で積極的な役割を果たさないかぎり、
健全な人間にはなれない(アリストテレス)
・「教育」とは、子どもに従順な態度を叩き込み
ピラミッド社会での地位に満足させることである
☆隠れたカリキュラム
・グローバル経済は、人びとの真の要求に応えていない
・私たちが求めているのは、
やりがいのある仕事、手頃な住宅、充実した教育、
適切な医療、美しい環境、誠実で責任感のある政府、
社会や文化の再生、あるいは純粋な正義である
・人生の意味とは、
家族や友人、自然、季節の移り変わり、ささやかな儀式、
好奇心、寛容、情熱、他者への奉仕、
適切な自立やプライバシーの中にある
また、自由でお金のかからない真の家族、真の友人、
真の地域社会の中にある
こうした人生哲学を取り戻せば、
私たちはみずからの生活に満足し、
世界経済の「専門家」が提唱する物質的満足は
必要なくなるだろう
☆学校制度の有害度
・ゆがんだ学校教育は、
幼少期のちょっとした傾向を異様なまでに増長させ、
望ましい人格形成を妨げている
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■おりィ
2010年05月18日 14:32
義務教育に疑問を持とうよ!
義務教育になってバカになった国もあるほど効率が悪い
時間割りは子供にバラバラの事実を押し付ける。つながりのない知識は身につかない、、
授業を時間で区切り、算数の後に国語、理科、、多くの体験をさせることが望ましいの?親たちはそのうそに気づかない
チャイムにより、どんなに集中している子供もすべて中止させられる。やり遂げることができなくなり、集中力を失っていく
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スナック たちばな
2010年05月12日 22:13
義務教育こそが、高度成長期に、従順な労働者を作り出し、
成熟した現在は、大量消費する消費者を作り出しているとの内容。
すごいのは、徹底的に義務教育を批判し、ホームスクールニングを提案しているにも関わらず、
アメリカの公的機関から講演のオファーが絶えないこと。
さすが、アメリカと感心してしまった。
そうだよな、カリキュラムやクラスメートを選べないのって、必ずしもいいこととは限らないな。
反面、全て選べるようになってしまうのも怖いけど。
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JJ
2010年03月03日 19:56
教育というものを根本的に考えさせられた、
自分にとっては衝撃的な本。
学校という場も、子どもの成長のためではなく、
カネを生むためのものだったことがわかった。
まず疑うことさえなかったシステムが、こういうことか・・・。
学校の目的の一つ 「善良な人間を育てること」
これは、なんの疑問も持たずに、ただ言われたことを遂行する人間。
そして、テレビやCMを見て行動が煽られるような人間。
これで、会社はコマである人間がせっせと働き、
マスコミの操作で消費は黙っていても促進される。
義務教育システムに投資した
ロックフェラーの衝撃的な言葉が書いてある。
「われわれの夢は、人びとがわれわれのつくる型に
おとなしく身を委ねることである」
型にはまって大人になり、会社を辞めた人が、
またどこか違う会社に入ることしか見えていないのは、このためだろう。
同じ理由で、一つの会社に勤め続ける人も。
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zimazimazima
2009年07月10日 23:04
この本は私の年間ベスト10に入る本でしょう。
サブタイトルが「義務教育には秘密がある」…正に義務教育には秘密がありました。
自己形成の為の限られた時間の中で子供たちはどのように時間を過ごすのか?制度化されたカリキュラムによって、基盤と経緯を失ったパッチワークのように継ぎ接ぎだらけの教育を受けさせられ、牢獄のように管理された学校により不満やストレスを蓄積させ、自主性を失わせ「依存しかできない人間」を生み出すのが義務教育の目的。これらの創造性を失い依存に頼るしかなくなった愚民化した人間達には真実は伝えられず(自らも学ぼうという気概が既にない)支配側としては都合のいい労働者となる。
依存しかできない子供達は不満やストレスを常に抱え、消費欲で解決し、追い討ちのように低俗で暴力的なメディアによって愚民化させられる。
南北戦争以前のアメリカでは各地域により創造性と自主性が富んでいた社会が形成されていた。
南北戦争以降、中央体制に切り替わった際に支配しやすい国民が必要となり義務教育の導入となる。現代まで続く義務教育体制は家族の絆や教育の本質を喪失させ低階級層を作り出す為の機関にすぎない。
日本のゆとり教育は理念としては正しかったんだろうが、親を含めた教育者に本質の理解がなかった。無知な教育者が単に子供へ自由を与えてしまったが故に管理教育よりも酷い更なる悲劇が起きた。
この本を読んでも完全な理解には至らないだろう。理論と背景だけで実証が存在しないから。本書の実証と呼べる本がある「競争やめたら学力世界一-フィンランド教育の成功」を本書と合わせて是非通読してほしい。
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くまがいもも
2009年06月08日 16:46
題名がインパクトありすぎて、一見トンデモ本かな?と思うかもやけど、これは読んでほんまに衝撃的でした。是非、教員を目指してはる人に読んでほしいと思います。
学校の先生は気が狂いそうな書類の山と格闘しつつ、授業をこなし、部活動を監督し、連日会議、行事等、毎日ほんまに長時間熱心に頑張ってはるのに、なんで世の中オカシイままなのか、この本を読んで、がっくり、すっきりしました。
高校の時オカシイな・・・と思ってたんやんなぁ。なんで昼食後の5時間目に数学や歴史やって、眠たくて効率悪いな・・・と思って、いつも寝てたの思い出すわ。
アメリカの話やけど、ぜんぜん日本の話と思って読めます。
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柚葉
2009年04月11日 00:36
学校の先生が義務教育の問題点を語る本。
著者は学校教育とはどんなもので、誰がどういう目的で導入しているのかとか、義務教育を導入した結果、どのような弊害が起こっているのかなどをとき、その結果から「義務教育はもういらない」と主張している。
実際、米国のとある州で義務教育導入以前と導入後の識字率を調査した結果、義務教育導入後の識字率が下がっているというデータが出ているらしい。
近年、日本で「ゆとり教育により子供の学力が低下している」という主張がなされることがあるが、実際は義務教育の問題点が浮き出てきただけなのだろう。
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ゆきえ
2009年03月14日 15:49
過激な思想を持っている思想家や学者が書いた本ではない。
帯にも書かれている通り、ニューヨーク州最優秀教師として表彰されたこともある現場の教師が、
アメリカが義務教育制度で生産している人材の本質について告発している。
教師になる前は売れっ子のコピーライターだったという著者。
商品を売るには、いかに消費者をその商品に対して依存させるのか、というノウハウについて熟知していた。
その観点から、現実の教育現場を眺めたときに、
実はアメリカの義務教育というのは、
自発性、自主性といった人間性をいかにして子どもから剥ぎ取り、
産業界にとって都合の良い、上の言うことだけを鵜呑みにする「労働者=消費者」に育て上げるか、
ということが第一命題として練り上げられているものだという。
日本の現在の教育状況もアメリカ追従になっているので、
事態は似たり寄ったりのものだろう。
学校社会で起こっている様々な問題は、
学校や教師の問題ではなくて、
「学校制度」そのものの問題なのだということが見えてくる。
私が子どものときから感じ続けていた、
学校教育や消費社会に対する居心地の悪さや違和感の理由が、
この本を読んで少し垣間見えた気がする。
私の塾をそんな産業に依存させる人材養成の状況から、
いかにしてブレークスルーさせていくのか、
挑戦のしがいがありますね~
学校教育について真剣に考えてみたい方には、
ぜひ読んで欲しい本。
でも近所の図書館には置いていませんでした。
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2009年03月04日 13:42
時間のある時、レビュー書きます。
『我々の夢は、人々が我々の作る型におとなしくゆだねることである。我々は子供達を哲学者や、教育者、詩人や文学者、芸術家卵や弁護士や医師、牧師や政治家を求めるわけではない。そうした者はもう十分にいるから』
テリー
2009年02月20日 13:53
この本は副島隆彦さんの研究グループの一人が勧めていた本ですが、この本が陰謀論者ではなく、ニューヨーク州の一人の教師によって書かれた本だということが驚きです。
この本の中で、ロックフェラーからの書簡が紹介され、
『我々の夢は、人々が我々の作る型におとなしくゆだねることである。我々は子供達を哲学者や、教育者、詩人や文学者、芸術家卵や弁護士や医師、牧師や政治家を求めるわけではない。そうした者はもう十分にいるから』と述べています。
要するに上の命令に逆らわずに、たとえばウォルマートやマクドナルドなどで、単純労働をしてくれる労働者を作るための教育、そのための学校なのだ、とはっきりと語っています。
学校の問題点として、子供の能力が伸びないような教育法、子供が知的に興味を持たない方針を挙げています。
①一貫性のなさ
自然界にはすべて意味があって存在する。だが、1つの授業にしろ、1日の時間割にしろ順序がめちゃくちゃで意味をなさない。
②クラス分け
年長者が年少者の面倒をみるのは自然な事。社会に55歳の社員だけを同じ部屋で働かせることはありえない。
③無関心
興味を持たないように教える。どんなに興味がわいてもチャイムがなったらやめなくてはならない。
④感情的な依存
子供達は教師に褒められたい、怒られたくないと思うように依存させる。教室の中では教師が支配者であるということを印象づける。
⑤知的な依存
何事も自分で判断せず、教師の指示を待つように教えられる。彼らが何を学ぶべきか、彼らの人生に何が必要かなど重要な判断はすべて専門家が行う。優等生とは教師が示した考えにほとんど抵抗せず、劣等性とは教師の示した考えに抵抗し、自分でそれを決めようとする生徒のこと。
⑥条件つきの自尊心
自分の価値は専門家の意見で左右されると子供達に教える。通知表の目的は、子供達に自分や親ではなく、資格を持った専門家の評価を信じるように教えること。自分にどれだけ価値があるのか、それは他人が決めること。
⑦監視
子供達に、いつも見張られていて、教師の管理から誰も逃れることはできない、と教える。宿題という授業の延長によって、生徒の家庭生活にも監視の目を入り込ませる。子供達にプライバシーは存在しないこと、他人は誰も信用できないことを教える。
さらに、生きるのに必要といわれている『読み書きソロバンは100時間もあれば学べる』というデーターがあるそうだ。
劣等感を植え付けるこれまでの学校はいらない。江戸時代の寺子屋で十分だ。
アメリカでは、成績も良くなく、高等教育を受けるお金のない子供はドラッグ中毒になるか、うつ病になるか軍隊に入る、しかないようです。
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2008年09月30日 09:31
従順な従業員を作るのが義務教育の目的です。自分の頭で考え、自分で歩く人間は企業には要らない。
あ~~~、そうか。
大学出のバカが多いのは、教育システム自体の欠陥なんだ、と得心したしだい。
もうさー、読み書きそろばんだけでいいよ。
株式投資とか英語とか小さいうちから教えるのは大反対。
K☆J
2008年02月11日 22:08
アメリカの義務教育について説明されてます。
チャイム、クラス分け、競争、客観的だと思われている成績評価。
バカ=自分の頭で考えられない状態に洗脳
という感じでしょうか。
古くは南北戦争後から、
今の教育制度になった様ですね。
ある意味、この学校のおかげで資本主義経済がまわっているのかもしれませんが・・・大企業というのはどこまで人類の足を引っ張るのでしょうか?
そして戦後の日本の教育も同様に進められているわけです。何とかしたい。
ぜったい先生の友達には読んでもらおうと思います
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そばかす♪
2007年11月01日 15:58
以前「下流志向」を読んで、教育のあり方や教育の現場に興味を持ったので読んでみました。
著者がアメリカ人なのでアメリカの教育現場について書かれています。日本の例とするには合わない部分もありますが、
そもそも義務教育という制度が、プロイセンから発した考え方を元にしていて、国にとって都合の良い国民を育てる事が目的であったと言う部分には大いに納得しました。
人間は昔に比べて精神的にも肉体的にも、弱くなったのではないかと思う事が多々あるからです。
それらが全て義務教育の所為であるとするには、少し無理も感じますが、著者の言いたい事は分かります。
学校運営に民間企業が参入するようになった日本では、
今後どのような中央監視の手が入るのか、また、どこまで自由なカリキュラムで運営出来るのか、今しばらく見なくてはならないでしょう。
時々、推測だけの部分があり気になりましたので、☆3つ。
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まさ
2007年10月10日 00:07
私は国語を教えてるのではなく、学校を教えているのだ(それでニューヨーク州最優秀教師賞までもらった)。では、学校を教えるとはどういうことか。それは、ハーレムからハリウッドヒルズまで、どこの学校にも共通する『七つの教育方針』を教える事だ。
① 一貫性のなさ
実際、私の教えることにはまったく脈絡がない。何もかもがばらばらで、めちゃくちゃである。惑星の軌道、大数の法則、奴隷制、形容詞、設計図、ダンス、体育館、合唱、集会、びっくりゲスト、避難訓練、コンピューター管理言語、保護者会、教員研修、個別プログラム、ガイダンス、実社会ではあり得ない年齢別のクラス・・・・・。いったいどんな一貫性があるというのだろう。
② クラス分け
義務教育が導入される前の時代は、あらゆる年齢の子供が一つの教室で学んでいて、年長の子供が、年少の子供を教えるようになっていた。このシステムは、子供たちを席に縛りつけ、『教官』の話をただ受動的に聞かせるだけの授業よりも、ずっと効果的であることがわかっている。
③ 無関心
私は念入りに計画を立て、子供たちを私の授業に熱中させる。彼らは興奮して立ち上がったり、私に褒められようと活発に競争したりする。教室が熱気に包まれるのを見るのは嬉しいもので、生徒はもちろん、私までもが気分が高揚する。しかし、いったんチャイムが鳴ると、子供たちはそれまでやっていた事をすべて中止させ、ただちに次の準備の授業をさせる。
④ 感情的な依存
教師は生徒を自分の基準に合うように動かし、それに反する者は厳しく罰せられる。若者の間でしきりに『個人の自由』が叫ばれているが、自由は学校制度とは矛盾するものだ。
⑤ 知的な依存
子供たちは、何事も自分で判断せず、教師の指示を待つように教えられる。
⑥ 条件付の自尊心
親から無条件に愛されている子供は自尊心が強く、従わせるのは難しい。しかし、こういう自信家が大勢いては、社会は維持できない。そこで私は、子供たちに、自分の価値は専門家の意見に左右されるということを教える。
⑦ 監視
もし社会を中央統制の下で維持したいのなら、子供には厳しい監視が必要だ。勝手な行動をさせないように、画一的な集団に入れるべきである。「P31」
解説
~ガットはこの謎をとくためのカギを与えてくれた。つまり、学校は破綻しかかってなどいないという事実だ。破綻するどころか、学校は当初の計画を着々と遂行している。
学校の目的とは、増大する資本主義経済を支える従順な労働者を生む事だ。当時の言い方をすれば、『二十世紀の新しいニーズに応えるため』というわけである。
この仕組みを完成させたのは、シカゴ大、コロンビア教育大、カーネギー・メロン大、ハーバード大といった大学で、その制度を資金面で支えているのが産業界の指導者たちである。「P184」
しかし、問題はここからだ。もし学校がそうした公的施設として成功しているのなら、なぜ『学校の破綻』といった話がよく聞かれるのだろう。ガットによれば、それは学校教育への投資をさらに引き出すためである。「P185」
『コンバイン(アメリカ社会の体制)』にとって、その後継者となる少数のテクノクラートを除けば、判断力のある自立した大人は必要ない。むしろ彼らはみずから発言し、自ら意思決定する人々を恐れ、時にはそれに口先だけのお世辞を言う事もある。しかし、結局のところ、芸術家や工芸家、農夫や職人、自然主義者や精神主義者といった人びとは抑圧され、社会の隅に追いやられている。『コンバイン』が欲しいのは、ウォルマートの店員であり、ハンバーガーの調理係である。そして、安い賃金でも献身的に働く、教師という『公務員』である。彼らはあらゆる資源の搾取を進める一方で、大衆が反逆しないように監視している。「P187」
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mitsu
2007年09月11日 09:59
なんで学校にいかなきゃいけないの?
なんで同級生は同じ歳ばかりなの?
なんで日本全国、似たような本を使って、
似たようなカリキュラムで教えられなきゃならないの?
なんで先生はいばってるの?
義務教育には不思議がいっぱいだなぁ。。って
思ったコトがある人には、
面白い本だと思う。
この本の著者はアメリカ人なんだけど、、
アメリカの義務教育も日本の義務教育も同じ悩みを持ってるんです。。。
義務教育に疑問を持つ意味を知る一冊だったです。
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ロベルト ナカシマ
2007年04月09日 07:53
義務教育は所詮洗脳でしかあらへんな、ということを再認識させてくれる素晴らしい一冊。
読めば読むほど、「ゆるめる」と言う要素が
義務教育には絶望的といっていいほど存在せず、
子供達を固めることで洗脳するシステムであることを痛感させられる。
殴られる覚悟でよく書いた、と思う。
ゆとり教育の視点に関して持論です。
「ゆとりを持たせたから学力が低下した」のではなく、
「ゆとりさえ使いこなせないくらい疲弊しきった結果が学力低下という形で出たにすぎない」
のですよ結局。
進学校の成績の良さなんて所詮上っ面。
一部のエリートの成績でしかない。
疲弊しきった子供達の学力こそが現実ですよ。
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2007年01月30日 12:57
教育について考えるとき
これまではっきりしない部分があったが
この本を読んで
その原因と仕組みが見えた気がした。
ホームスクーリングのあり方や
教師との向き合い方を
元教師の著者が語ってくれている。
成長の必要な子供にとって
教育環境が良質なものでありますように。
そう言えば
「ゆるさが子どもの才能を伸ばす」
なんて内容もあったけど、
日本のゆとり教育も元を辿れば
そんな思いが基本にあって…
なのに
今はあらぬ方向へ進んでいっている
のだろうか…ひょっとして。
326
2007年01月25日 22:36
学校はバカしか作らないと思いました。
印象に残った箇所を引用します。
・「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、適度な熱意をもって、それを受け入れる生徒のことです。
一方、「劣等性」とは、教師の示した考えに抵抗し、何をいつ学ぶか、自分でそれを決めようとする生徒のことだ。
・私たちは、小さな植木鉢に入れられた植物のように、成長することも成熟することもできない。
依存に慣れてしまったせいで、国が今のような危機にあっても、ただ教師の指示を待っている。
・教育と学校制度とは同義語になり得ないのである。
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2006年11月04日 15:32
検討中
江戸川らんぷ
2006年10月19日 22:20
書いてある内容は面白いんだけど
文章があんまりおもしろくない
義務教育とは資本主義社会において
企業、資産家の為の従順な歯車を作る制度である
という考え方をまとめた本
本来人間が持っている学びたいという欲求を
抑え誤魔化し霧散させてしまう学校とは?
抜粋
「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、適度な熱意をもって、それを受け入れる生徒のことである
一方、「劣等生」とは、教師の示した考えに抵抗し、何をいつ学ぶのか、自分でそれを決めようとする生徒のことだ
抜粋2
30年の教師生活を通して、私はある興味深い現象に気づいた。
学校は世の中の創造的活動から取り残されている。
もはや科学者が科学のクラスから生まれるとか、
政治家が公民のクラスから生まれるとか、
詩人が国語のクラスから育つなどと思っている人はいない。
ところどころ論拠に乏しく
判るだろ?な?的な説明が気になるのと
教育ビジネスの羅列の中に
反義務教育活動家、反義務教育評論家としての
著者自身を含めていないのは少々疑問を覚える
●その他のレビュー
ツンさんさん (218件) お気に入りに登録
ツンさんさん
40代/男性
購入者
評価5.00
投稿日:2009年11月16日
う~ん、何から書いたらよいのか。非常に衝撃的な内容なので、何から書けばよいか迷ってしまいます。?本書は、誰がどういう目的で義務教育を推進しているのか、そしてその義務教育を受けている子どもたちへの弊害は何か、などについてアメリカの現状をもとに書かれています。
もちろん、その多くは日本の義務教育にも当てはまります。そして、もともと義務教育の目的が【教育】でないことがはっきりと書かれています。簡単に書くと、・従順な労働者を育成する・購買意欲に満ちた消費者を育成するなどが、その目的であると書かれています。?また、この本の良いところは、批判にとどまらず、上記の弊害を減らし、本来の教育を実施するためにはどのように変えていけばよいかについても筆者の考えを述べている点です。?
私自身、学校自体を否定するつもりはありませんが、現在の教育の在り方、特に義務教育の在り方については、疑問を持っていました。
しかし、この本を読んで、確信に変わりました。?学校に行っているお子さんをお持ちのすべての親御さん、そして教育に携わっているすべての方に読んでもらいたい本です。
http://finalrich.com/sos/sos-education-make-baka.html
なかなかインパクトのあるタイトルに、思わず購入してしまいました。バカを量産している日本の学校
若者のバカさ加減には驚くばかりでしょう。これはもう、若者のレベルが下がったとかそういった個人の問題ではありません。 「最近の若い奴は・・・」 とかお説教するレベルの問題をすでに通り越して日本国全体をゆるがす社会問題になっているです。このようなバカで思考力が無いまま社会へ出てしまう若者たちは、今若年層のワーキングプアや偽装請負など非常に厳しい環境におかれています。
しかしそんな状態にも関わらず、日本の学校はたとえ卒業する生徒が分数がわからなくてもイラクの位置がわからなくても、学校を卒業させて大学に入学させてしまったり卒業させてしまったりしています。このように、知識も知恵もなく、思考力ゼロのまま社会へ放り出された若者のことを、自分の無知の重大性をわからず楽観視していることを皮肉って 「元気のよいバカ」 と称されます。では、どうして日本の学校はこれほどまでにバカを社会へ送り出すようになったのでしょうか?それは一部の人間にとってバカが世の中に増えれば増えるほど、非常に都合が良くなるからです。
なぜ元気のよいバカを作るのか?
なぜここまでバカが増えているにもかかわらず日本の学校は改革されないのか? なぜ日本の学校はバカを量産しているのか? 結論を先に述べてしまいましょう。それは帝王学の観点から
バカが増えると支配者にとって都合がよい
ということがあるためです。ここでいう支配者とは今の日本を支配している政府や大企業ということです。つまりバカな人間がどんどん社会に出てくれば、そういったバカな人間を一生使い捨ての労働力としてコキ使うことができて支配者にとって都合がよいということが根本にあるのです。このようなバカな人間たちは、ゆとり教育のおかげで最低限の ”よみ、かき、計算” は身についていますが、労働に関する法律やマネーに関する知識が著しく欠けています。その上、主体性が全くなく思考力もないために、低賃金でコキ使っても全く反抗することもなく従順に働くのです。実に都合がいい存在です。「何をふざけたことを!」 と怒る方もいらっしゃるでしょうが、この捉え方は決して私一人のものではありません。実はアメリカのニューヨーク州最優秀教師であるジョン・テイラー・ガット著の 「バカをつくる学校」 において、義務教育が支配階級の都合のよいように作られていることが述べられています。
ジョン・テイラー・ガット氏は教育制度を痛烈に批判しています。義務教育制度がチャイムによる集中力と思考の分断、まとまりのないパッチワークのような時間割、年齢による区別、番号による機械的なクラス分け、教師の感情や評価への受動的依存、プライバシーの欠如、敗者だと自覚させる競争、絶え間ない監視、指示待ち人間の生産工場、同じように考えることのを要求、野菜を品定めするかのような成績主義、他人は誰も信用できないと教えること……といったように、子どもに主体性を持たせず、他人に依存的な人間にしようとしていると述べています。カンタンに言ってしまうと、義務教育の学校というのは子供を知識も力ももたない他人依存型の人間にして支配者に一生尽くす奴隷に育てる所であるということです。
では、主体性がなく他人依存型の人間は支配者にどのように役立つのか見てみましょう。
バカは一生奴隷として扱われる
それでは日本の支配者の側の人間がバカな若者をどのように捉えているのか簡単に説明しましょう。
●【バカは非常に都合のいい存在】
バカは勉強できません。そして主体性がないために自分からは絶対に勉強しません。なので知識や知恵がありません。そのようなバカは容易にコキ使うことができます。労働契約などはちょっと難しい契約をしてしまえばバカだから理解できません。理解しようとしません。偽装請負などその典型的な例です。そして必要が無くなればカンタンに使い捨てることができます。そして必要になったらまた集めればいいのです。バカは学校から次々と量産されているので、バカ集めには苦労しないのです。支配者である大企業にとってバカというのは実に都合のいい存在なのです。
●【バカは完全にナメられている】
このようなバカな人々は、バカですから賃金制度のこともよくわかっていないので非常に低賃金のままコキ使われることになります。バカですから自分の賃金がどれぐらい搾取されているかわかっていません。ごまかし放題です。たとえ文句を言ってくるようなバカが出ても、クビにして使い捨てればいいのです。バカですから反撃する知識も知恵もありません。すぐにやっかいばらいすることができて、そういう ”見せしめ” をすることで他のバカの反乱を抑えることもできます。この見せしめはパナソニックの偽装請負のケースでも行われていました。
「そんなことない!」 と思いますか?あなたの手元にあるケータイを見てください。その携帯電話の料金がどうやって決まるかわかりますか?どうしてあんな複雑な料金制度になっているのかわかっていますか?ケータイを使うのは主にバカな若い世代なので、料金制度を複雑にしてしまえばバカな若者には理解できないと思われているからです。バカは完全にナメられているのです。事実バカな若者は理解できないまま、高いお金を払い続けるのです。バカですから。
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10年以上前からバカ作りは始まっていた
このようなバカをたくさん世の中へ出して使い捨て労働者として一生コキ使う傾向は、すでに10年以上前から大企業の間で暗黙の領域として認知されていました。1995年に日経連(日本経済団体連合会)が出した報告書 「新時代の『日本的経営』―挑戦すべき方向とその具体策」 には、その傾向を意図した驚くべき内容が掲載されています。
●その内容の一部
1995年はバブル崩壊で不景気に突入する真っ最中でした。
そのため、これまでの企業経営を転換する必要があると提言されていました。
つまり終身雇用や年功序列を主とする昭和の固定的な雇用形態から、
柔軟な雇用形態への転換をする必要があると述べられています。
その中では労働者を次の3つのグループに分けて、階級制度をつけることが示されています。
●労働者の階級制度:
1. 長期蓄積能力活用型グループ…将来的に会社を背負う幹部候補エリートたち
2. 高度専門能力活用型グループ…高度な専門知識を有する技術系職人集団
3. 雇用柔軟型グループ…短期単純作業など会社の都合に応じて柔軟に雇用できる者たち
「1.」 は会社経営の根幹を成すグループ、つまり始めからエリートとして大事に育てていくことが決まっている金の卵たちです。安部元総理など三菱財閥関係者が通った成蹊学園、谷垣氏・橋本元総理・福田元総理・中川昭一氏・鈴木俊一氏など政界の著名人が通った麻布学園、そして麻生氏や天皇・皇族一族が通った学習院などのエリート私立学校で大事に育てられます。
[2.] は司法書士や行政書士、公認会計士 、日商簿記 、社会保険労務士 など ”金になる資格” をもっているある分野のスペシャリストたちです。こういった方々はその分野で独立することもできますし、いろんな会社から引く手あまたなので気に入らない会社に依存する必要もありません。手に職をもって独立できているのです。
しかし 「3.」 は専門の知識は必要なく、いつでも使い捨てられる労働力のことです。1995年の時点ですでに、労働者を階級別にわけることがすでに決まっていたのです。そして 「3.」 に相当する労働者こそが、ゆとり教育から生み出された 「元気のよいバカ」 なのです。この元気のよいバカはゆとり教育のおかげで最低限の ”よみ、かき、計算” は身についていますが、労働に関する法律やマネーに関する知識が著しく欠けています。その上、主体性が全くなく思考力もないために、低賃金でコキ使っても全く反抗することもなく従順に働くのです。そのため大企業は、ゆとり教育から生まれた元気のよいバカを非常に重宝しました。ゆとり教育のおかげで大企業は一生コキ使えて、いつでも使い捨てることができる労働力を手に入れることに成功したのです。このようにゆとり教育から生まれた思考力ゼロのバカというのは、一生使い捨てられる労働力として意図的に育てられたのです。ゆとり教育は支配者にとって非常に都合がよいものでした。
バカは一生奴隷として扱われる
それでは日本の支配者の側の人間がバカな若者をどのように捉えているのか簡単に説明しましょう。
●【バカは非常に都合のいい存在】
バカは勉強できません。そして主体性がないために自分からは絶対に勉強しません。なので知識や知恵がありません。そのようなバカは容易にコキ使うことができます。労働契約などはちょっと難しい契約をしてしまえばバカだから理解できません。理解しようとしません。偽装請負などその典型的な例です。そして必要が無くなればカンタンに使い捨てることができます。そして必要になったらまた集めればいいのです。バカは学校から次々と量産されているので、バカ集めには苦労しないのです。支配者である大企業にとってバカというのは実に都合のいい存在なのです。
●【バカは完全にナメられている】
このようなバカな人々は、バカですから賃金制度のこともよくわかっていないので非常に低賃金のままコキ使われることになります。バカですから自分の賃金がどれぐらい搾取されているかわかっていません。ごまかし放題です。たとえ文句を言ってくるようなバカが出ても、クビにして使い捨てればいいのです。バカですから反撃する知識も知恵もありません。すぐにやっかいばらいすることができて、そういう ”見せしめ” をすることで他のバカの反乱を抑えることもできます。この見せしめはパナソニックの偽装請負のケースでも行われていました。
「そんなことない!」 と思いますか?あなたの手元にあるケータイを見てください。その携帯電話の料金がどうやって決まるかわかりますか?どうしてあんな複雑な料金制度になっているのかわかっていますか?ケータイを使うのは主にバカな若い世代なので、料金制度を複雑にしてしまえばバカな若者には理解できないと思われているからです。バカは完全にナメられているのです。事実バカな若者は理解できないまま、高いお金を払い続けるのです。バカですから。
10年以上前からバカ作りは始まっていた
このようなバカをたくさん世の中へ出して使い捨て労働者として一生コキ使う傾向は、すでに10年以上前から大企業の間で暗黙の領域として認知されていました。1995年に日経連(日本経済団体連合会)が出した報告書 「新時代の『日本的経営』―挑戦すべき方向とその具体策」 には、その傾向を意図した驚くべき内容が掲載されています。
●その内容の一部
1995年はバブル崩壊で不景気に突入する真っ最中でした。
そのため、これまでの企業経営を転換する必要があると提言されていました。
つまり終身雇用や年功序列を主とする昭和の固定的な雇用形態から、
柔軟な雇用形態への転換をする必要があると述べられています。
その中では労働者を次の3つのグループに分けて、階級制度をつけることが示されています。
●労働者の階級制度:
1. 長期蓄積能力活用型グループ…将来的に会社を背負う幹部候補エリートたち
2. 高度専門能力活用型グループ…高度な専門知識を有する技術系職人集団
3. 雇用柔軟型グループ…短期単純作業など会社の都合に応じて柔軟に雇用できる者たち
「1.」 は会社経営の根幹を成すグループ、つまり始めからエリートとして大事に育てていくことが決まっている金の卵たちです。安部元総理など三菱財閥関係者が通った成蹊学園、谷垣氏・橋本元総理・福田元総理・中川昭一氏・鈴木俊一氏など政界の著名人が通った麻布学園、そして麻生氏や天皇・皇族一族が通った学習院などのエリート私立学校で大事に育てられます。
[2.] は司法書士や行政書士、公認会計士 、日商簿記 、社会保険労務士 など ”金になる資格” をもっているある分野のスペシャリストたちです。こういった方々はその分野で独立することもできますし、いろんな会社から引く手あまたなので気に入らない会社に依存する必要もありません。手に職をもって独立できているのです。
しかし 「3.」 は専門の知識は必要なく、いつでも使い捨てられる労働力のことです。1995年の時点ですでに、労働者を階級別にわけることがすでに決まっていたのです。そして 「3.」 に相当する労働者こそが、ゆとり教育から生み出された 「元気のよいバカ」 なのです。この元気のよいバカはゆとり教育のおかげで最低限の ”よみ、かき、計算” は身についていますが、労働に関する法律やマネーに関する知識が著しく欠けています。その上、主体性が全くなく思考力もないために、低賃金でコキ使っても全く反抗することもなく従順に働くのです。そのため大企業は、ゆとり教育から生まれた元気のよいバカを非常に重宝しました。ゆとり教育のおかげで大企業は一生コキ使えて、いつでも使い捨てることができる労働力を手に入れることに成功したのです。このようにゆとり教育から生まれた思考力ゼロのバカというのは、一生使い捨てられる労働力として意図的に育てられたのです。ゆとり教育は支配者にとって非常に都合がよいものでした。
学校で金儲けを教えないのは都合が悪いから
あなたは学校でどうしてお金の知識を教えてくれないかわかりますか?主な意見としては 「教育には金銭の問題をいれるべきではない」、「教育は神聖な場でありお金の問題は必要ない」、「子供のうちはお金のような俗なことに触れさせるべきではない」 といったものがあります。確かにこのような意見のとおりであることも事実です。
しかしそれ以外に、もっとも利己的な理由も存在するのです。それは都合が悪いからということです。
カンタンに説明しましょう。今の日本を支配している大企業は、日本の学校は意図的にバカを作るのページでも説明したように一生コキ使えていつでも使い捨てられる労働力求めています。それにはゆとり教育によって生み出されたバカは最適な存在でした。しかし、いくらバカであっても労働者というのは最低限の知識はもっていなければ困ります。一方で余計な知識や知恵をもたれても非常に困ります。コキ使ったり、使い捨てることが非常に難しくなるからです。そのため支配者は次のようなものを労働者に求めています。
1. ”よみ、かき、そろばん” といった最低限の識字をもっていること
2. 法律やお金儲けの知識など高度な知識はもっていないこと
3. とにかく命令を良く聞いて従順なこと
一見人権を無視したような自分勝手なものですが、これを踏まえて学校教育を見てみると、驚くべきほど学校教育はこれに当てはまるような教育をしていることがわかります。
最低限の識字は与える学校
1. ”よみ、かき、そろばん” といった最低限の識字をもっていること
この条件は社会生活をする上では絶対に必要なことです。文字が読めなかったり書けなかったり、計算できない人間は、いくらなんでも使い物になりません。支配者は確かにバカな労働者を求めてはいるのですが、あまりにもパーフェクトなおバカでは困ってしまうのです。ただし、教育崩壊しているとはいえ、今の学校教育ではいくらなんでも ”よみ、かき、そろばん” を教えられなくなるほど崩壊しているわけではありません。よって最低限の識字はゆとり教育でも若者には与えられているものでした。
都合の悪い知識や知恵は教えません
2. 法律やお金儲けの知識など高度な知識はもっていないこと
法律やお金の知識は労働者にとってはぜひとも身に付けたい知識です。しかし一方の大企業にとっては、労働者が法律やお金に関する知識や知恵をもってしまうと非常に都合が悪くなります。理由は単純です。法律の知識をもたれてしまうと、「名ばかり管理職」 や 「偽装請負」 などの複雑な契約内容でゴマかすことが難しくなります。
またお金儲けの知識をもたれても非常に困ります。お金儲けの知識をもてば自分で稼ぐことができるので、わざわざ劣悪な環境へ応募してこなくなります。これは大企業にとっては非常に困るのです。このように支配者である大企業にとっては、労働者には絶対にお金儲けの知識を与えたくないのです。そのため学校では法律やお金儲けの知識を全くといっていいほどに扱わず、「お金のことを考えることは悪いことだよ」 といった洗脳まで押し付けています。今の学校は支配者にとって実に都合がいいしくみになっています。
従順で反抗しない ”いい子” は重宝します
3. とにかく命令を良く聞いて従順なこと
この条件はもう説明する必要がありませんね。とにかく支配者というのは ”自分に都合のいい人間” を求めます。それが、全く文句も言わず反抗もしない従順な人間です。ほとんど奴隷のような存在ですね。
そんな人間なんか学校で作っているわけないだろ?と思う人もいるかもしれません。ではお聞きします。よく親や先生がホメる ”いい子” ってどういうものですか?いい子とは親や先生の言うことをキチンと従い、命令に絶対逆らいません。そして非常に従順です。・・・もうおわかりですよね、親や学校で重宝され、ホメられるタイプである ”いい子” こそが支配者にとって都合のいい人間なのです。
このような ”いい子” というのは親や先生からホメられるのが嬉しいために非常に勉強を良くがんばります。そのため頭がいい人が多いです。しかし、このタイプの人間は自分のために勉強したのではなく、結局他人のために、他人に言われたから勉強した人間が大多数です。いわゆる偏差値エリートという奴ですね。こういう人間は偏差値は高くとも、主体性がありません。論理的な考え方はできても行動力はありません。自分で考え判断して行動することがほとんどできないのです。そのため他人に完全に依存してしまいます。つまり優秀なのに意思がなく、命令を良く聞いて従順であるという、支配者にとって非常に都合がいい条件を満たした存在なのです。考えてみれば当然ですね。学校というのは支配者にとって都合のいい人間を作り出すのが仕事なんですから。皮肉な話ですが、親や先生の話を良く聞いて従順に従う ”いい子” こそが一番搾取されてしまう人間なのです。
社会とは支配者に都合のいいように作られているんだ
このように学校で法律やお金に関することを教えないというのは、支配者にとって非常に都合が悪いという理由が存在しているのです。学校の教育というのは実に支配者にとって都合がいいものですね。そして都合の悪いところは一切明かしません。これはあの有名なドラゴン桜の桜木のセリフにも現れています。
●ドラゴン桜:桜木の言葉
「(賢い)大人は社会について教えないんだ。代わりに未知の無限の可能性なんて何の根拠もない無責任な妄想を押し付けているんだ。それを知らずに(社会へ)放り出される。そこに待っているのは不満と後悔だけだ」
「社会のルールってやつは全て頭のいいやつが作っている。そのルールは頭のいいやつに都合がいいように作られているんだ。逆に都合の悪いところはわからないように隠してある。つまり頭使わずに面倒くさがっていると一生騙されて高い金払わされるんだ。騙されたくなかったら、損して負けたくなかったら、お前ら勉強しろ」
このように学校というのは社会について、お金について全く教えません。代わりに根拠の無い妄想(お金のことを考えることは悪いこと)を押し付けています。それを知らずに社会へ出れば、無知と無力に足元を見られて支配者によって一生搾取されて悲惨な人生を迎えます。このように法律やお金のことを学校で教えないのは支配者にとって本当に都合がいいんです。そしてお金のことを教えないでバカを作りだすといった都合の悪いことはわからないように隠してあるんです。世を支配した人間が自分に都合のいい社会を作ろうとするのはいつになっても変わりません。現在だって例外ではありませんよ。
そのため格差から脱出するには、司法書士や行政書士、公認会計士 、日商簿記 、社会保険労務士 など ”金になる資格” を取って悪質な経営者に依存することのないスペシャリストになる以外に道はありません。最近のZ会のような実力のある資格講座や通信教育にはそれを反映してか応募者が殺到しています。「お金が無い・・・」 とか言われそうですが、LECオンラインなどでは分割払いができて月に数千円程度の負担できるため、資金不足は理由にはなりません。
「バカをつくる学校 義務教育には秘密がある」
ジョン・テイラー・ガット著 高尾菜つこ訳 成甲書房
評価 ★★★★
先月だったか、たまたまネット書店でこの本のタイトルが目に留まり、なんとも気になるタイトルに、外国の本の和訳であるにもかかわらず購入してしまいました。
本の帯には「全米覚醒のベストセラー」と書かれており、著者であるジョン・テイラー・ガット氏はアメリカの公立校教師で、ニューヨーク州の最優秀教師に選ばれた方だそうです。
1990年にニューヨーク市で、1991年にはニューヨーク州で最優秀教師に選ばれたようですが、翌1992年にはこの著書をアメリカで出版し、今年の9月に日本でも出版されるに到ったようです。
アメリカの学校の現状について書かれているため、日本にそのまま当てはまるとは思えない部分も少なくはないのですが、私にとってはこれまで考えてもみたこともなかった視点で書かれている本で、先日ご紹介した「いじめ」に関する本に続き、また何かに気づかされた、目を覚まされた、そんな感じを受ける本になりました。
著者が著書の中で「義務教育における七つの大罪」と題し、こんなことを書いています。
① 一貫性のなさ
② クラス分け
③ 無関心
④ 感情的な依存
⑤ 知的な依存
⑥ 条件つきの自尊心
⑦ 監視
それぞれについて簡単にまとめると、①は授業や時間割が細切れで順序もめちゃくちゃであるということ。②は子ども達には無条件に年齢別、成績別などのクラス分けがなされ、異なる年齢の集団にはまず属せないということ。③はどんなに盛り上がっていても、チャイムが鳴ればそこでおしまい、すぐに次の授業の準備をさせるということ。④は子どもに「教師に褒められたい」「怒られたくない」という感情的依存をさせるということ。⑤は子ども達は何事も自分で判断せず、教師の指示を待つよう教えられるということ。⑥はテストの成績などによって得られる「条件つき自尊心」を教え込むということ。⑦は言葉通り。
この7つに関して著者が述べていることで、特に印象に残ったことがいくつかあるので、それについて、もう少し詳しく引用しますと・・・。
①より引用。
実際、私の教えることにはまったく脈絡がない。何もかもがばらばらで、めちゃくちゃである。惑星の軌道、大数の法則、奴隷制、形容詞、設計図、ダンス、体育館、合唱、集会、びっくりゲスト、避難訓練、コンピュータ言語、保護者会、教員研修、個別プログラム、ガイダンス、実社会ではあり得ない年齢別のクラス・・・・・・。(中略)
学校の論理は、生徒が何か一つのことに熱中するよりも、たとえ表面的であれ、経済学や社会学、自然科学といったひと通りの専門知識をもっていた方がいいというものだ。(中略)
まともな人間が求めるのは、ばらばらの事実ではなく、意味である。教育とは、生のデータから意味を引き出させることなのだ。パッチワークのような時間割や、事実と論理ばかりを優先する授業の中では、意味を模索することなどできない。これは小学校ではもっとむずかしい。そこでは、子どもにできるだけ多くの体験をさせることが望ましいとされ、親たちはまだその嘘に気づいていない。(後略)
②より引用。
こうした年齢別の区分があるのは学校だけで、大人の世界には絶対存在しない。五十五歳の社員を全員同じ部屋で働かせるような会社があるだろうか。
義務教育が導入される前の時代は、あらゆる年齢の子どもが一つの教室で学んでいて、年長の子どもが年少の子どもを教えるようになっていた。(後略)
③より引用。
(前略)しかし、いったんチャイムが鳴ると、子どもたちにはそれまでやっていたことをすべて中止させ、ただちに次の授業の準備をさせる。彼らは電気のスイッチのように、素早く頭を切り替えなければならない。(中略)子どもたちはチャイムを通して、やり遂げるだけの価値のある仕事はないと教えられる。そのため、何かに深く興味を持つこともない。何年間もチャイムに従って過ごすうち、一部の耐性のある子を除いて、もはや社会にはやるべき重要な仕事はないと思い込むようになる。(後略)
⑤より引用。
「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、適度な熱意をもって、それを受け入れる生徒のことである。何をいつ学ぶのか、「影の雇い主」が決めたことに従順で、他のことには興味を抱かない。
一方、「劣等生」とは、教師の示した考えに抵抗し、何をいつ学ぶのか、自分でそれを決めようとする生徒のことだ。教師としては、そうした生徒を野放しにしておくわけにはいかない。そこで、彼らの意志を砕くため、親に連絡するという効果的な手段を使う。(後略)
⑥より引用。
親から無条件に愛されている子どもは、自尊心が強く、従わせるのがむずかしい。しかし、こういう自信家が大勢いては、社会は維持できない。そこで私は、子どもたちに、自分の価値は専門家の意見に左右されるということを教える。つまり、彼らはつねに教師に評価され、審査されるのである。
これらは、もちろんすべてその通りだとは思いませんが、何か大きな問題提起をしているように感じます。
また、ここに書かれていることも、今の日本でも考えさせられることが多いように感じました。
そして子どもはこうなった
①「大人の世界に無関心になる」
②「集中力がほとんどなく、あっても長続きしない。」
③「未来に対する認識が乏しく、明日が今日とつながっているという感覚がない。」
④「歴史に関心がない。」
⑤「他人に対して残酷になる。」
⑥「親しさや正直さを拒絶する。」
⑦「物質主義的になる。」
⑧「依存的で、受け身で、新しい挑戦に臆病になる。」
そして、何より強烈な印象に残ったのは、「ロックフェラーの『特別書簡』」という項目でした。
ロックフェラー総合教育委員会の最初の使命記述書(マニュフェスト)の抜粋として紹介されているのだが、皆さんはどうお感じになるでしょうか。
われわれの夢は、人びとがわれわれのつくる型におとなしく身を委ねることである。もはや現在の教育の慣習〔知的・人格的教育〕は色あせ、われわれは伝統に制約されることなく、人びとに善意をもたらし、その感謝と共感を得ることになる。われわれは彼らやその子どもたちを哲学者や学者、科学者にするつもりはない。また、彼らの間から作家や教育者、詩人や文学者を育てるつもりもない。われわれは彼らに偉大な芸術家や画家、音楽家の卵を求めるわけでも、弁護士や医師、牧師や政治家を求めるわけでもない。そうした者はもう十分にいるからだ。われわれの使命はごく簡単である。子どもたちを組織化し、彼らの親が不完全な方法でやっていることを、彼らには完全な方法でやるように教えることだ。
アメリカでは一部の実業家や資本家が、義務教育に政府以上に寄付や助成金でお金をつぎ込んだと書かれており、ロックフェラーはカーネギーと共にかなりの投資をしたようです。
その背景に上述のような目的があったということは、とても恐ろしいことだと感じます。
著者は、これ以上学校はいらないという主張をしておられ、ホームスクーリングを支持しておられるようです。
もちろん、アメリカと日本では違いが多いと思いますが、今日の日本の義務教育を見たとき、著者の述べていることと重なる部分も決して少なくないように思えるのは私だけでしょうか。
教育関係者はもちろん、世の大人に読んでみて頂きたい1冊です。
投稿者 TOH 時刻 17時00分 教育, 書籍・雑誌 | 固定リンク
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» 子供が育つ魔法の言葉・・・ あなたの子育ては? [子供の救急最前線!!育児に関わる人すべてへ]
ああしなさい、こうしなさい、といった躾の言葉よりも、子どもは親のありのままの姿をよく覚えています。親は子どもにとって、人生で一番最初に出会う、最も影響力のある「お手本」なのです。子どもは、日々の生活の中で、親の姿や生き方から、いいことも悪いことも全て吸収し、「お手本」としているのです。よく「子は親の鏡」と… ... [続きを読む]
『バカをつくる学校』という本を読んで
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ここに面白いタイトルの本がある。
先月発売され新聞でも紹介されていたからご存知の方も多かろうと思う。既に読まれた方もいらっしゃるかもしれない。
『バカをつくる学校』(ジョン・テイラー・ガット著、高尾菜つこ訳、成甲書房)
という本である。サブタイトルに「義務教育には秘密がある」とあり、帯には「ニューヨーク州最優秀教師の全米覚醒のベストセラー」「日本の教育もまるで同じ惨状だ!!」とある。
かなりセンセーショナルなタイトルの本で、逆に「これはゲテモノではないか?」とも思わせかねないが、中身は至って真面目な内容の本である。一言でまとめるなら、「原著出版社からのことば」にあるように、学校の義務教育とは「全人教育から政府の下請け教育への転換」にほかならないということになる。
彼は現場の教師の立場から(彼は売れっ子のコピーライターとしての仕事を投げ打って一介の教師に転身した)、国家が行う義務教育制度に根源的な疑問を投げかける。
たとえば、
チャイムによる集中力と思考の分断、まとまりのないパッチワークのような時間割、年齢による区別、番号による機械的なクラス分け、教師の感情や評価への受動的依存、プライバシーの欠如、敗者だと自覚させる競争、絶え間ない監視、指示待ち人間の生産工場、同じように考えることのを要求、野菜を品定めするかのような成績主義、他人は誰も信用できないと教えること……
といったように、国の教育制度全体が、子どもたちを自分で考えて行動することから遠ざけ、依存的な人間にしようとしていると言う。
それに対して、彼が教師としてやろうとする仕事は、「もはや教室で生徒に知識を授けること」ではなく、「生徒一人ひとりの可能性を引き出そう」とすることだと言う。「正しい教育」とは「子どもたちのやり方を尊重し、彼らにそのための場所と時間を与えること」だと彼は言う。
アメリカも二、三〇〇年前頃までは独創性や多様性にあふれた社会であった。そして、そこには自由な学校制度があったという。ところが、南北戦争の頃から中央統制が強まり、国家による学校教育制度、つまり義務教育が始まったという(当初はアメリカでも--日本でもそうであったが--反対派が圧倒的に強く、銃で抵抗したらしい)。ひとことで言えば、国家による義務教育制度とは「大衆を厳しく管理する」装置、言い換えれば「人的資源」として大企業や政府に奉仕する規格化された消費者や従業員、「公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられた」ものだという。結局のところ、自由や個性は「支配階級」にだけ許され、それ以外の大衆には必要ないものとされたというのだ。
では、国家が行うこの「非人間的な教育」によってどんな子どもたちが生み出されたか。彼は例を挙げて説明する。
(1)大人の世界に無関心、(2)集中力がなく長続きしない、(3)未来への関心がない。(4)歴史に関心がない、(5)他人に対して残酷である、(6)親しさや正直さを拒絶する、(7)物質主義的である、(8)依存的受身的で、新しいことに臆病…
今の子どもたちがこのような病的なパターンにあるのは学校とテレビに負うところが大きい。学校は子どもたちが自己認識を深めるための時間を奪い、個性や自信を失わせていると彼は言う。学校は時代と共に商業化され非人間的な場所、例えれば「学校という工場」となった。さらに言う、「学校は企業と政府のための行動訓練センター、あるいは実験施設になっていった」と。
本書を紐解けば、国家が主導するアメリカの義務教育制度がどんな危機的状況にあるかが良く分かる。そして、「今の学校教育にどれだけ多くの金や人材を費やしても、病気をさらに悪化させるだけである」と言うことも(これは日本でも同じではないか)。そこで、彼はこれからの教育方法としてホームスクールやヨーロッパでのエリート教育の方法を推奨する。日本ではさしずめフリースクールというところであろうか。
ここに、面白いデータもある。
▼マサチューセッツ州の上院議員エドワード・ケネディ事務所が発表した文書によると義務教育が導入される以前の方が識字率が高く(98%)、導入後は1991の91%が最高なのだという。
▼現在のアメリカではホームスクーリングの子どもが150万人に上り、しかも思考力は「学校に通っている生徒よりも5年も10年も進んでいる」のだとか。
▼ ジョージ・ブッシュとビル・ブラッドリーというかつて大統領選を争った二人が標準学力テスト(SAT)の言語スコアーで前者が550点、後者が480点だったと言うが(つまり凡庸な成績だった)、前者はイエール大学をへて大統領になり、後者はプリンストン大学をへて上院議員となっている。つまり、学校での「標準学力テストの結果が平凡であっても、知事や上院議員、大統領にもなれるのである。その他、ヒトゲノム計画に参加している科学者などお世辞にも立派な学歴ではなかったという例はいくらでもあるらしい。つまり、学校での評価は社会での実際の働きとはあまり関係ないのである(日本でも、東大で建築学を教えている安藤忠雄さんの学歴は確か高卒であったと思うし、優れたゲームソフトを開発し後にIT会社を設立した飯野賢治さんはもと不登校生の中退者であった)。エジソンやアインシュタインのような偉人や天才は集団的な学校教育の中からは生み出されないのである。
結論を急ごう。
結局「義務教育は人々を賢くするどころか、バカにした」。だから、「もう、学校はいらない」のだと。「学校の訓練にとらわれるか、そこから逃れるかによって、あなたの一生は決まるのだ」とも言う。
この学校教育制度と大企業が家庭を壊し、地域を壊してきたという彼の説には得心のいく部分が多い。管理と画一化を目的とする組織や制度は人を阻害することはあっても人を育てはしない。だから、彼は「国や個人アイデンティティを失わせているのは、義務教育にほかならない」と言い切るのだ。
今、日本でも安倍新政権になってから教育基本法改定の動きが活発だ。教育バウチャー制度も俎上に乗り、箍が外れてきた学校教育を今一度再生しようとしている。だが、公教育の補完と延命を図ることで今の教育の危機を乗り切れるのだろうか。
この本の著者が言っているように、本当に「もう、学校はいらない」のではないか。湯水のように金を注ぎ込んでも、浪費に終わるだけで自由で創造性あふれた教育を再生することは不可能なのではないか。これは一貫して子どもの側から教育を考察してきた私の偽らざる感想でもある。
この際、教育の再生を民間の教育力に任せてはどうかと私は思う。江戸時代の寺子屋のように民の教育力は近代国家が学校制度を作り上げるはるか以前から営々と営まれてきたのである。
なかなかの衝撃作「バカをつくる学校 義務教育には秘密がある」。
バカをつくる学校
タイトルが激しすぎるとか、アメリカも昔は良かった的内容など、今一つピンと来ない部分もありましたが、それでも義務教育に対する問題提起はとてもおもしろく読めました。まず自分にできそうなことは、テレビを消して、ネットを切断して、家のお手伝いから、、となるとよく言われていることと同じになりますが。。他にも思うことあれこれあり。
売れっ子のコピーライターから公立学校の先生になり、さらにはニューヨーク市最優秀教師、ニューヨーク州最優秀教師などを受賞した先生が教壇に立つ一方で、義務教育の問題点を堂々と指摘しているのがさすがアメリカ自由の国という気がしました。
以下、特に印象に残った点を引用。
学校ばかりか、企業や大学、軍隊、病院、政府機関といった組織も、実は地域社会とはまったく共通点がない。この事実は概して無視されているが、これらの組織は人々の交流をほとんど認めず、常に彼らを画一化しようとしている。
確かにクリスマスパーティーやソフトボールの試合など、組織内で親睦会を行われることもあるが、それはあくまでも儀式にすぎず、家に帰ればみな一人である。また、緊急事態に同僚が手を貸してくれたとしても、彼は家族や友人のように、その苦しさをあなたと分かち合ってくれるわけではない。
地域社会に似た親近感を経験できる学生寮でさえ、卒業後は、仲間の名前も顔を思い出せなくなる人がほとんどだ。もし思い出せても、当時の親交を復活させたいと思う人は少ないだろう。
気付いていないかもしれないが、制度(引用者の注:例えば、学校、企業、大学、軍隊、病院、政府機関など)の中の「思いやり」は単なる見せかけである。それは悪意によるものではないが、例えどんなに純粋な気持ちがあったとしても、制度という環境の中での親切はしばしば演技であり、つくられた台本に従った行為にすぎない。同じく、制度の中で感じる親しみは、地域社会で感じる親しみとは価値が違う。若い頃に軍隊やクラブ活動で素晴らしい一体感を経験しても、多くの人はかつての仲間を忘れてしまう。しかし、自分の家族や親戚のことを忘れる人はいないだろう。
ここまで言い切ってしまわれるとドキドキします。よく言われる中国人のつながり(圏子)もこんな感じかも。血縁(地縁)重視と。著者はアメリカ人だけど。。
投稿者 はんちょう 時刻: 10:14
”バカをつくる学校”を読んで
05 13, 2010
この本は学校教育を批判する内容です。家族や地域といったコミュニティから引きはなし
同じ年、同じカリキュラム、時間割の弊害について詳しく書かれています
ちょっと気になった部分を抜粋します。
************************
・教育は「油絵」よりも「彫刻」に似ている。素材を削ってイメージを浮かび上がらせる。子供の可能性を削って、削って形にするものが教育である。
・時間割りはバラバラの事実と理論を押し付ける作業だ、まともな人間が求めるのは意味である。物事には自然な順序がある
・子供にバラバラの事実を押し付け、多くの体験をさせることが望ましいとされている、親たちはそのうそに気づかない
・チャイムにより、どんなに集中している子供もすべて中止させられる。やり遂げることができなくなり、集中力を失っていく
・自主性をもった子供は、何をいつ学ぶか自分で決めようとする。その子供は「劣等生」と呼ばれ、従順で決められた通りにする自主性のない子供は「優等生」と呼ばれる
・通知表は、自分や親の評価よりも、他者や専門家の評価を信じるように押し付けることである。
・実は読み書き計算は100時間あらば学べる。1850年に使われていた5年生の算数や作文の教科書の内容は現在の大学レベルに相当する
・義務教育は1850年ごろ、マサチューセッツ州で考案された。当時住民の約80%がこの制度に反対し、銃で抵することさえあった。義務教育が導入され 98%だった識字率が、導入後は91%が最高である
************************
これらの情報のソースはハッキリしているものと、そうでないもの。また作者(この作者の書き方は部分部分癇に障る)が教師として感じたことです。
中でも気になったことは
・義務教育が採用されてから識字率が低下してしまったこと。
・同い年だからと同じ教室に閉じ込めてそこでコミュニケーションが取れるという大人の大きな勘違い(実際はいじめやストレスの温床となる)の指摘。
・時間割という強引なカリキュラム
があります。
6年間学んだはずの英語を話せる日本人が少ないことから考えれば識字率が学校により下げられたということも頷けます。社会に出て50分で切れる時間割なぞありません。時間割により子供たちの集中力が削られて行くのは事実でしょう。
本当に学校って必要なの?
当たり前のことを疑うことってやっぱり必要と思う一冊です。
『バカをつくる学校』リンク
成甲書房
ジョン・テイラー・ガット著
高尾 菜つこ訳
ニューヨーク州の一人の教師によって書かれた、学校教育がバカを量産するために存在する事を告発した本。
この本の中で、ロックフェラーからの書簡が紹介され、『我々の夢は、人々が我々の作る型におとなしくゆだねることである。我々は子供達を哲学者や、教育者、詩人や文学者、芸術家卵や弁護士や医師、牧師や政治家を求めるわけではない。そうした者はもう十分にいるから』と述べている。
要するに上の命令に逆らわず、単純労働をしてくれる労働者を大量生産するための教育、そのために学校というのは存在する、とはっきりと語っている。
学校の問題点として、子供の能力が伸びないような教育法、子供が知的に興味を持たない方針を挙げているので注目。
①一貫性のなさ
自然界にはすべて意味があって存在する。だが、1つの授業にしろ、1日の時間割にしろ順序がめちゃくちゃで意味をなさない。
②クラス分け
年長者が年少者の面倒をみるのは自然な事。社会に55歳の社員だけを同じ部屋で働かせることはありえない。
③無関心
興味を持たないように教える。どんなに興味がわいてもチャイムがなったらやめなくてはならない。
④感情的な依存
子供達は教師に褒められたい、怒られたくないと思うように依存させる。教室の中では教師が支配者であるということを印象づける。
⑤知的な依存
何事も自分で判断せず、教師の指示を待つように教えられる。彼らが何を学ぶべきか、彼らの人生に何が必要かなど重要な判断はすべて専門家が行う。優等生とは教師が示した考えにほとんど抵抗せず、劣等性とは教師の示した考えに抵抗し、自分でそれを決めようとする生徒のこと。
⑥条件つきの自尊心
自分の価値は専門家の意見で左右されると子供達に教える。通知表の目的は、子供達に自分や親ではなく、資格を持った専門家の評価を信じるように教えること。自分にどれだけ価値があるのか、それは他人が決めること。
⑦監視
子供達に、いつも見張られていて、教師の管理から誰も逃れることはできない、と教える。宿題という授業の延長によって、生徒の家庭生活にも監視の目を入り込ませる。子供達にプライバシーは存在しないこと、他人は誰も信用できないことを教える。
そんな教育に順応した子どもは「大人の世界に無関心」「集中力が長続きしない」「未来に対する認識に乏しい」「歴史に関心がない」「他人に対して残酷になる」「親しさや正直さを拒絶する」「物質主義的になる」「依存的、受け身、新しい挑戦に臆病」といった人間になる。
さらに、生きるのに必要といわれている『読み書きソロバンは100時間もあれば学べる』というデーターがあるそうだ。
劣等感を植え付けるこれまでの学校はいらない。江戸時代の寺子屋の方が優れている。
アメリカでは、成績も良くなく、高等教育を受けるお金のない子供はドラッグ中毒になるか、うつ病になるか軍隊に入る、しかない。
で、教育を受けたとしても従順な大量生産の労働者になるしかない。
格差は無限に広がるわけである。
バカをつくる学校
これはアメリカでの話ですが、日本でも事情は同じでしょう。日本の教育制度はアメリカの
コピーなのですから。初めに原著出版者の言葉を抜粋転記します。
...親として私たちは当然、我が子に「最善」のものを望む。しかし今日の学校教育では「最
善」は、しばしば「最多」を意味する。これはまさに質から量への転換であり、全人教育から
政府の下請け教育への転換にほかならない。しかし、こうした教育の結果はどうなるのだろう
大量の知識を詰め込まれるだけで、自分のミスとは関係なく競争に負けることに、彼らはど
う反応するだろう。またそうした子供たちが、自ら判断して行動したら、社会はどんな代償を
払うことになるのだろうか。それはすでに、暴力や薬物依存、十代の妊娠といった社会問題と
して表れている。著者ジョン.ティラー.ガットが30年の教師生活を通して訴えているのは
子供たちに「質」のいい選択肢を与え「学校教育」に対する彼らの批判意識を高めることであ
る。今日の社会システムに対するガットの味方は暗い。しかしその一方で彼は新しい学校教育
によって、自由な発想と正しい判断力を持った人間が育てば、社会は病から回復し、明るい未
来が見えてくるという一筋の希望も示している。
①学校という神話.....ジョン.テイラー.ガット
学校制度を維持している神話は、学習意欲を持たせるのはむずかしいという、誤った概念であ
る。チャイムによる中断、まとまりのない時間割、年齢による区別、プライバシーの欠如、絶
え間ない監視といった国の教育制度全体が、子供たちを自分で考えて行動することから遠ざけ
依存的な人間にしようとしている。私にとって教育の成功とは、子供たちが自由に試行錯誤で
きるような無条件の環境を築くことだ。それがなければ、彼らは他人の行動を真似するだけで
いつまで経っても経験が身につかない。
バカをつくる学校?
http://www.asyura2.com/0601/idletalk20/msg/369.html
投稿者 あっくん 日時 2006 年 10 月 09 日 20:18:46: hhGgKkD30Q.3.
『「教育をできるだけ学校や地域の自由に任せ、子どもたちをのびのびと育てていこう」とした結果が現状であるとするならば、
「任せた結果、こうなってしまいましたので、あとは国でやらせてもらいます」と言われても仕方がないような気もします。』
という意見を見ましたが,こういった考えをどう思われますか?
どういった教育が行われれば,子供たちは現状から変わることができるのですか?
反対意見だけでなく,実際どういった教育をしていくのが良いか教えてほしいです。
僕にとって教育基本法はとても身近な問題なのでもっと勉強しないといけません。ただ改悪は断固反対です。
これから先,ますます実験台にされるような気がして嫌です。なんでも押し付けられては,たまったものではありません。
最近特に「なぜ学校に行かなければならないのか。」と,学校に行くことがあまり意味があると思えなくなってきました。
ほとんどためになることを教えてもらっているような気がしないのです。学校に行かなければならない理由ってなんですっけ?
「バカをつくる学校」には行きたくなくなってくる今日この頃なのだ。(笑)
バカをつくる学校 義務教育には秘密がある
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31765999
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
MSN-Mainichi INTERACTIVE 社説
http://msn.mainichi-msn.co.jp/sq-kiji.armx?817432100000
社説:教育再生 締め付けを強めたいのか
「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障するため、公教育を再生します」。安倍晋三首相は、臨時国会での所信表明演説や代表質問への答弁で、再三にわたってそう力説した。首相が目指す「美しい国」づくりのために、教育再生が国政の最優先課題だという。
いじめ、校内暴力、不登校、学力低下など、教育現場が抱えるさまざまな問題を解決するために教育改革が必要である、と多くの国民が思っていることは確かだ。前政権では教育問題への熱意が感じられなかっただけに、安倍政権の手腕に国民の関心が集まる。
問題は、改革の方向性とその中身である。「規律ある人間の育成」を目標に掲げる安倍首相は、教育への国の関与の度合いを強め、管理の徹底を目指しているように映る。しかし、その方向は、教育をできるだけ学校や地域の自由に任せ、子どもたちをのびのびと育てていこうという教育本来の理念から、かけ離れてはいないか。
今国会で安倍政権が最初に取り組むのが、教育基本法の改正だ。先の通常国会に提出された改正案には野党が強く反対し、審議は約50時間に及んだ末、臨時国会に引き継がれた。改正案には「公共の精神を尊び」「伝統を継承し」「我が国と郷土を愛する」と、安倍首相が好みそうな言葉が並ぶ。
改正案のポイントの一つは「国は教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」との条文を設けて国の関与を明確にし、教育振興基本計画の策定を政府に義務付けている点だ。現行法の下でも文部科学省が教育の指針となる学習指導要領を策定しているにもかかわらず、あえて明文化することによって、教育内容への国家の介入を強めることにつながらないかとの懸念が生じる。
安倍首相が強調する教員免許の更新制度や国の監査官による学校評価制度の導入も、運用によっては教育現場を一層締め付けかねない。こうした管理強化により、学校や教員はこれまで以上に教育委員会や文科省の顔色をうかがうようになり、教育現場にぎすぎすした雰囲気と混乱をもたらすのではなかろうか。教育への国の関与はできるだけ抑制的であるべきだ。
一方で、安倍首相は著書「美しい国へ」で、教育バウチャー制度の導入も提唱している。バウチャーとは利用券のことで、子どもたちは自治体から支給される利用券を持って、行きたい学校を選択できるという制度だ。しかし、学校間に競争原理が持ち込まれることになり、格差の拡大を招く恐れがある。教育現場の管理と競争が強まることで、子どもたちの心からゆとりが消えてしまいかねない。
安倍首相は教育再生を「百年の計」と訴えてきた。首相の私的諮問機関「教育再生会議」で施策の具体化を図り、来年3月には早速、中間報告をまとめるという。百年先を見据えた教育改革とするために、ここは焦らず、じっくりと幅広い議論を重ねていってほしい。
毎日新聞 2006年10月9日 0時04分
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主張/10・14大集会/教基法改悪反対の流れ大きく
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-10-08/2006100802_01_0.html
2006年10月8日(日)「しんぶん赤旗」
主張
10・14大集会
教基法改悪反対の流れ大きく
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十四日、東京の明治公園で「教育基本法改悪反対大集会in東京」(同実行委員会主催)が開催されます。集会は、国民的にも大きな意義をもつものです。
すべての国民にかかわる
教育基本法改悪案は、今国会の最大の焦点です。安倍首相は、所信表明演説で教育基本法改悪案を「早期成立」させたうえで「教育再生」を断行することを表明しました。安倍首相がめざす「教育再生」の中身は国民にとって極めて危険です。
安倍首相がやろうとしているのは、公立小中学校に(1)序列化と競争をまねく学校選択制、(2)国による監視と統制の学校評価、(3)学校を予算で差別するバウチャー制の導入です。政府がめざす教育基本法改悪が、競争主義とふるいわけの教育、教育に対する無制限の国家統制であることをあからさまに示しています。
日本共産党は、「教育基本法改悪反対のアピール」と志位委員長の講演や国会論戦で、政府案の狙いは「海外で戦争する国」「弱肉強食の経済社会」づくりという二つの国策に従う人間をつくることにあることを明らかにしてきました。
法案には憲法上の二つの問題があります。憲法一九条に保障された国民の内心の自由を侵害し、「愛国心」など徳目の強制をはかる問題と、憲法の諸条項で保障された教育の自由、自主性を侵害し、教育への無制限の国家統制をはかる問題です。
この点で、東京地裁が、九月二十一日、東京都で行われている「日の丸・君が代」の強制について、憲法一九条違反、教育基本法一〇条違反であり、違法行為をやめよという判決を出しました。これは、日本共産党が指摘してきた政府案の問題点―違憲、違法な教育への介入が司法の場から厳しく批判されたもので、重要な意義をもちます。
政府が狙う改悪を許すかどうかは、教育に携わる人々だけでなく、子どもの教育とすべての国民にかかわる大問題、二十一世紀の日本の未来を左右する大きな問題です。
通常国会で政府案を強行させなかったのは、日本共産党の論戦と広範な国民の運動の力です。その後も改悪案を廃案にするための全国各地の運動は発展しています。
全教の教育基本法改悪反対の全国キャラバンは全国各地で大きな反響をよび、改悪反対アピールに小・中の公立学校の元校長百六十八氏が賛同(高知)などの新たな動きも生まれています。
全教と日教組傘下組合のゆるやかな共同は二十を超える県・地方に広がり、東京、大阪などで組合の違いをこえ未組織も含め一致して職場から反対決議をあげる運動が始まっています。新日本婦人の会や建設労働者でつくる労働組合(土建)、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)なども学習会や宣伝を行っています。各地の集会も、宮城で三千八百人、佐賀で千七百人、山口で二千百人が参加しています。国会では日本共産党など野党四党が政府案阻止での連携を確認しています。
東京地裁判決や安倍首相の「教育」論は、教育基本法改悪が何をもたらすかをわかりやすく示しています。これらを広範な国民に知らせ、運動の輪を、草の根から急速に大きく広げていくときです。
廃案への総決起の場に
「10・14大集会」は、臨時国会の序盤での国民的総決起という重要な意義を持っています。全国の力を結集して成功させ、政府案を廃案に追い込む流れを大きくつくりあげていきましょう。
本:ジョン・テイラー・ガット 『バカをつくる学校』
学校選択制の弊害が出てきたと少し報道されましたが、そもそも学校を選ぶだけでなく、学校に行くか行かないかも選択できてよいのでは??
この本は、アメリカでよい教師として表彰された著者が、実感をこめて書いた本です。タイトルをみると、バカをつくる学校とバカを作らない学校があるかのように思えますが、この本が言わんとしていることは、そういうことではありません。この本が言わんとしていることは、
そもそも学校はバカをつくる場所だ
学校によってわれわれはバカにされてしまうのだ
ということです。
一年次必修の政治学概論で勉強せいと盛んに言い、中学校の教科書を復習しろと言っている僕は、たぶん、とっても学生さんに誤解されていると思いますが、実は僕はこの本のこういう考え方に大賛成です。
学校って変です。本来動き回ったりはしゃいだりするものなのに、子どもたちを机の前に長時間縛り付けて、気持ち悪いです。今の学校制度は、人間の歴史の中では、近代資本主義が発達してきたときに、工場というしくみで物質を人間に都合のよいものに変換するように、人間を生産に都合のよい存在に変換するしくみとして発達してきたものです。当初の目的には(良くも悪くも)機能的だったかもしれないけど、もう制度疲労を起こしてます。著者も言うとおり、人間の集団が、無理矢理年齢で輪切りにされた単位で生活させられるなんて、史上なかったはずです。異常です。みんなあまりにも当たり前に思っちゃってるから、学校が大事だと思っています。しかし、経済のほうでは大量生産型で発展させる資本主義経済が終わってもう次の段階にきています。なのにまだ学校で人を改造して、言われたとおりに動く人間を大量生産しようとしているために、たくさんの不幸を生産してしまっているのだと思います。
不登校は病気のような言われ方をします。あくまでも「登校」するように戻すことが目標とされています。しかし、管理され自分で決めたわけでもないことに拘束されることだらけの学校に行きたくない子どもがいるのはごく自然なことではないでしょうか。
読み書きそろばんを身につけることは確かに誰にとっても必要でしょうけど、著者が言うように、それは学校という仕組みでなくても十分やれることで、別に学校が必要ということではないです。だいたい中学校の学習内容の半分くらいと普通科高校の学習内容のほとんどは、現代社会で知的な生産活動をするのにすら必要ないです。大人はみんなそれを知っているはずです。でしょ?現に、自分の仕事に関係ない分野の高校の学習内容を覚えている大人はほとんどいないでしょう。勉強しろ勉強しろと言っているお母さんたち自身がすっかり昔やったことを忘れて普通に生活できているのですから、子どもからすれば何だかなあとなるのはむしろ自然です。なのになんで学校が必要??
アメリカではこの本の影響なのかは知らないですが、ホームティーチングが急速に増えているそうです。今は全ての州でそれが認められているとこのです。まあ、ホームティーチングでも、フリースクールでも、何でもいいのですが、学校を選ぶ学校選択制ではなく、そもそも学校に行かせるかどうかを選択できるようにしてよいのではないかと僕は思います。。。
最近この本を読みました。
過激なタイトルですが、著者は過激な思想を持った思想家や活動家ではなくて、
本の帯にも書いてあるように、ニューヨーク州で表彰されたこともある本物の学校の教師です。
学校の教師が現場で教えていた感じた、学校教育の矛盾。
子どもが本当に必要だと思えば、
たった100時間で習得させることも決して難しくはない読み書き計算を、
12年間もかけて教えるカリキュラムの矛盾。
これは結局、自ら考えることをしないで、権力に逆らうことを知らない、
経済界にとって都合のいい労働者を育成するために作られたカリキュラムに過ぎないそうです。
日本の学校制度もアメリカの指導の下に作られているのでしょうから、
現在の日本の教育が抱える問題の原因もほぼ同じでしょう。
この本の記述は思い込みや推測で書かれている部分もあり、
すべてを鵜呑みにすることはできませんが、
私が小中学生の時に強く感じていた、
「これが本当の勉強なんだろうか?」という疑問に対する、
大きな答えが出せたような気がします。
「どうして数学を勉強しなければならないのか」と問いかけた私に対して、
納得する答えを返すどころか、
「そんなくだらないことを考えている暇があるなら勉強しろ」といった、数学の教師がいました。
彼はきっと自分でも気がつかないうちに、
疑問を持たずに単純労働をできる人材の養成を忠実に行っていたのでしょう。
しかし、時代は大きく変わっています。
単なる計算ドリルを早く正確にこなせるだけでは対応できないような、
学力が今後求められるようになってきます。
この時代の変化に柔軟に対応し、
21世紀を豊かに作り上げていってくれる子どもを育てたい。
これがやはり学習塾かたつむりを立ち上げた私の願いであることには変わりありません。
学校制度について考えてみたい方には、
ぜひお勧めの1冊です。
人間を幸福にしない日本というつくられたシステム
という本を読んでいるが(「バカをつくる学校」という本も)、肝心の誰がこれをつくり、
誰が管理しているかはせいぜい官僚止まりだ。
誰がその官僚制度を押し付け、誰の為のものなのか?
そこら辺は一切出てこない。
つまり悪いのは日本人ばかりだと言うわけだ。
ただ、この産業発展のみの仕組まれたシステムに関しては、分析がするどいところがままあり、そこだけを参考にしようと思う。
つまり戦後の日本の社会は何者かに準備されて、その押し付けられたシステムの上でしか生きられないように、ガッチガッチに管理されてきた至上最悪の部類に入る仕組みの社会できたという事。
右翼に刺殺された?民主党の石井こう基議員などはソ連にいたせいか、日本の社会とソ連の社会が似ている事に気づき、仕組まれた官僚独裁社会はロクなもんじゃない事を著書などで警告している。
戦前は軍部と官僚の思うがまま支配できて、戦後は経済人(産業人)と官僚による支配で至上命令である無制限経済発展(無制限産業発展)のみを日本国内で実行する為に、あらゆる機関がその邪魔をしないように様々な手が打たれていて、結局全部かほとんどの影響力のある機関はこの邪魔だけは出来ないように仕組まれていたらしい。
タテ割り権益で対立していた省庁間でもこのご下命にはウムを言わせず、不気味なくらい対立がやみ、お互いに協力してきたという。
この財界と官僚による経済発展計画(俺は別のやつらがつくったと思うのだが)の邪魔をするものをことごとく排除する為、この件に関しては裁判所も警察も政治家も官僚もマスコミも学者も大学教授も政財官・学・マスコミ・暴力団の主力をすべてコントロールしてきた。
産業自体は業界団体と企業間持ち株持ち合い制度と企業系列により、絶対につぶれない?また業界保護で外国との競争もしないですむ誠に産業発展が約束された温室?社会になっていた。省庁の天下り団体である業界団体を通して各業界団体を支配誘導し、決して潰れない?日本の経済が発展したのは当然といえる。
つまり奇跡でも何でもなく、ある勢力が社会をほぼ完全にコントロールして人間もコントロールしてきたのでただ単に発展したというだけだ。
明治に新しめの武器を与えられ、急激に軍事発展したのと同じだ。
極度に政治化された明治以来の日本の社会は日本人のためにあったのではなくて、日本を丸ごと利用したある勢力のためのみだったとは・・・・。無論おこぼれはあっただろうが、あくまでもおこぼれである。
戦前はコンバットモルモットとして利用され、戦後はエコノミックモルモットとして利用されてきただけだ。
産業は発展しても国民はひどい状態だと言われてきたのは一理あったのだ。
もともとの目的が日本国民を豊かにする為ではなくて、別の者たちを富ます為の仕組みなので、その中にいる限り決して報われないし、幸福にはなれない。
ただし例外はあるし、幸福とは真実は誰にもわからない抽象的なものかもしれず、それは置いておいての話。
業界団体が重要な情報を握ったままそれを利用して業界をリードし、大企業各系列が効率のいい産業構造を運営して、公害や薬害などで邪魔されないように、裁判所や検察や議員や官僚がガードし、つまり国民の命や健康や幸福など二の次三の次以下できたわけだ。
この著者は日本の検察官に注目し、権力が多すぎる、集まり過ぎている事を指摘している。
それにも関わらずこの検察権力はまともに機能しておらず、3権分立どころか3権癒着しており、特に行政にベッタリできたという。
例えば、日本全国土建と県知事や市長などの癒着は常態化してきており、いくつかの県では首長が収賄で起訴されているが、検察がちゃんと機能していればもっとあちこちでこれらの癒着の起訴が起きているはずだ。
つまりもう疲れてきたのでまとめて言うと、
大勢の日本国民を騙して、洗脳して、家畜動物のように誘導するために、ほとんどの権力が癒着し、結託し協力して日本国民を利用こき使ってきたのだ。
アメリカはいまだコンバットモルモットを中心にエコノミックモルモットも沢山おり、利用されつくしているが、この事はこの本には書いていない。
なぜこんな騙しが今までバレなかったのは、これはこの本には政財官の癒着以外書いていないが、
思うに、大勢の大学出の連中のせいが大きいと思わざるを得ない。
勿論大学を出ていなくても協力してきた黙ってきた連中はいるが、きつい学歴社会の中で各場面で重要な立場にいる可能性が大いに高かった大学出の責任は重い。
ただ、大学などで洗脳されていればそれはまた詳しく考える必要がある。(俺は大勢が大学などで洗脳されていたと考えるのだが)
彼らがもっと弱い立場の者のために闘ったり、告発していたりすればもっと今とは社会が違っていた可能性がある。があまり変わっていない可能性もある。
なぜならそこまで手が打たれていた可能性があるからだ。
誰も責任を取らないでいい法律になっており、
外国ではある官僚の説明責任すらない日本の社会。
この著者の提案としてまずこの官僚や権力者の(経済人も)説明責任を法律で明確化し、これを果たせない者には厳しいペナルティを課すようにすべきだという。
また、真の民主主義と官僚とは相容れないといい、
まずこの官僚独裁システムをやめなければいけない。
また経済界はもっと国民や従業員に利益を還元しなければならない。その為の法整備も必要だという。
その他外国と自由な競争をさせよとか言っているが、これは陰謀につながっている為、俺が却下した。
疑惑のあるこの本だが、ひとつの大きな収穫は、
何者かが日本国民すべてを利用しようとしている、
してきた事を明るみに出した事である。
本当かどうかは疑わしいが、日本国民に訴えているのは、このままの国民軽視や無視の社会のままでいいのか?ということがいえる。
くだらぬシステムの中で踊らされている日本人に向けたメッセージかもしれない。またバカをつくる学校、ジョンテイラーガット著のほうも、元ニューヨーク州教師だった著者がロックフェラーが誘導する型に子供達を型にハメてきた事を暴露、義務教育には裏があり学校は監獄であり独房に閉じ込めて無気力で従順にさせる為にあると喝破。さらに化学実験も行われており学校給食も廃止せよという。(学校給食廃止は俺が言っているのだが)わざと退屈で単調な繰り返しを押し付けて、自分で深く考えない、自分を無力で何の取り柄もないと思い込ませて工場などの歯車にさせていく。その為に義務教育があり、つまり産業や支配階級の為に今の教育制度があり、こんなものはいらない。
廃止すべきだと訴えている。俺も同感だ。
この世は全て逆さまであり、義務教育も大学教育もロクデモないものばかりで、真の本当に有益な教育は一般公開されておらず、一握りの支配階級だけで独占しており、クソばかりを大勢の家畜養殖人間に押し付けているのだ。それを有難がっているクソバカ大学出の奴らは本当は一番のクソバカである事に気づけ!
何か動けば罠しかないこのくだらない地獄で、何でもいいからやれとか、努力しろとか言われてきたが、これなんかも自分で深くとことん考えない薄ら洗脳バカがこういう事を言うのだ。何をやってもマイナスになるようにうまく逆さまに作られているのだ世の中は。
それもわからず、愚弄されているのにも気がつかず、
愚弄されながらも彼らに奉仕する、誠にM奴隷な連中ばかりだな。日本の女もよく「現実を見なさいよ」と言うが、これも同じ。こいつらゴミクソンズがつくった「現実」だけをひたすら追随し、それを変える事も別の現実なのだが、それは認めようとしない。洗脳されている日本のほとんどの女性は、教祖様の現実だけしか見ようとしない。この世は全て逆さまなのだから、
とりあえず何もせず、とことん深くこの事を考えよう!この点からこの世をひっくり返す鍵が出てくるかもしれないぞ!現実に振り回されるな!惑わされるな!全部いかさまだと思っていい。現実に逆らっていると見せている暴走族やアウトローもいかさまだ。
こいつらも本当にこの世をひっくり返そうとは思っちゃいない。騙されるな!!
ヒントは今までの常識では一番ダメだと言われているものにあるのかもな。(しかし罠もあるので注意!)
踊るのに疲れた時に一度読んでみるといい。
また死ぬ前にも、読んでからでも遅くはないと思う。
あと死ぬ前に読んで欲しいのは「静かなるドン」新田たつお著のマンガです。
テレビドラマ化やVシネなどでも取り上げられたが、肝心なところがカットされていたり、編集されて逆に捻じ曲げられていたりして、何かしら得るところはあるかと思うが、絶対マンガを読んで欲しい。この俺も最初はVシネだけを何か縁があって見たのだが、何か引きつけられるものがあり、その後ネットでマンガのほうが断然いいという書き込みを見て、マンガを見たところこちらのほうが断然納得する内容だった。誰かはわからないが、書き込みしてくれた人にありがとうを言いたい。久々に誠に出会った気分だった。このウソだらけの社会で。ネットもウソだらけだが、マンガが全然違うと伝えてくれた者には誠があったと信じる。いまだに誠とは何かとわからないのだが、少なくともゴミクソンズとは反対のものらしい。それだけでも好感が持てる。
100巻ぐらい出ているらしいが、50巻くらいまでは読んでもらいたい。宣伝とかでは一切なく、あなたの為にもあなたの愛する者の為にも是非読んで下さい。この通りです。頼むから死ぬ前に読んで欲しい。
俺の独断ですが、単なるヤクザマンガとは一線を画しているのは間違いない。
ただ、ドラマや映画では、肝心のヤクザもサラリーマンもどちらも利用する側と利用される側が同じことをマンガではわかり易く描いている(俺はリアルだと思うのだが)のだが、ドラマや映画ではそれを捻じ曲げて、サラリーマンはえらいという画一的な権力者側が喜ぶシナリオに捻じ曲げられているので、誠(まこと)があるのはマンガだけだと思われるので、何としてでも死んでもマンガを読んでくれ!頼む!お願いだ!!
俺はどう思われようとかまわない。誰でもこの文面を読んでいる者は縁だと思って滅多に頭を下げない俺がお願いしているんだ。お願いだから、静かなるドンのマンガを、読んで下さい。この通りです。ペコリ。
あと神社の神は本当の神を祭っているのではなくて、本当の神を隠した歴史を改ざんした人間を祭ってあるみたいだ。つまり神を祭っているのはウソで、彼らの先祖を祭っているだけだという説がある。
俺は前から神社は肝心なことを隠して一般人には決して知らせず、また御利益などと神を冒涜した事を平気でやってきたなど、こいつらはペテンの一族ではないかと疑ってきた。
だから推測では、神社は神を祭っているのではなく、反対に悪魔を祭っている秘密結社の一角ではないかと思ってきた。(フリーメーソンなど)
もっと詳しく言うとユダヤ人の中のユダ族ではないかと、あるいはレビ族かベニヤミン族か。
ユダヤ人のユダ族は昔京都にやってきて(秦氏ではないかと)太秦を中心に(山背に)日本を乗っ取ったのではと。
とにかく神社で祈らないほうがいいかと思われる。祈るのはどこでも祈れる。何も疑惑の多い所でやる必要はないどころか危険ですらある(悪魔の場合など)。
またお寺もほとんどか一部かは未だにわからないが、
大黒などを祭ってある所や、真言などは危険だと考える。その根拠は、大黒は破壊の神インドのシバ神と同じだという説があり、もしそうであれば神というより悪魔に近いか悪魔である。また真言宗や密教などは超能力なども含めて非常に秘密結社的な臭いがプンプンし、呪いや錬金術など魔法の呪文とも似ていて、疑いの目が昔から晴れない。また寺社の中には危険な秘密結社があり、カルト的な悪魔教などの組織が浸透しているという情報が前からある。いずれにしても、御利益とかお賽銭とかグッズなどもペテンと紙一重かペテンであり、我々をだましている連中に近づく事はない。どうも日本の中には昔からとびきりの腐った人間達がいて、そいつらはどうもユダヤ人くさいのだ。
ユダヤ人の特徴として同族だけを愛し、(同族同士だけの結束も異常に強い)その他を極端に貶め利用し支配しようとする。また神の敵対者であり、悪の側の者であり、実践者達である。
神や神の被造物(我々人間や動物や植物や地球など)を憎み、出来うる限り攻撃や犠牲にし(殺し)特に人間を動物と同じレベルに留めようとあらゆる方法で実践し、神や人間を貶め堕落させ喜んでいるゴミくそに遠隔操作されているゴミクソンズどもだと思うが。
巨悪の元祖や本家はどうも昔から日本にいる気がしてならない。秘密結社やフリーメーソンの元締めは実は白人ではなく、ユダヤ人で(黄色人種)、彼らは昔にこの日本にやってきて、大衆を徹底的に厳しく支配してきて、今も日本にいる?!と俺は思うのだが・・・・。もう火星に避難しているのかな。
あと日本の多くの山のピラミッドには岩や石の封印などがしてあり、本来の力を発揮させない為に色々邪悪な方法で(例えば石に悪い念をこめてピラミッドの要所に(上部。山頂部など)置き、地中のエネルギーを誘導したりワヤにしたりしているのでは?)またオベリスク(塔。主に石の塔など)やドームは悪魔教の男性自身と女性自身をあらわし、これはアメリカのワシントンや世界の主要都市にあり、町並み自体が悪魔教に都合がいいように作られており、日本の国道や県道市道の数字などもカバラ的に悪い数字がほとんどで、(足すと15や18や17や6になるものがやたら多い)
これなども執拗に日本の国土を悪くしたい勢力の結果で、山も国土も人間も動物も植物さえ弱体化や堕落化や無力化や汚染・病気・毒まみれにされており、神と人間と自然がつながった時の人間本来の力を発揮されないように、ありとあらゆる方法で誤魔化している。精神が成長すると神に近くなり、自然のエネルギーとも同調するようになり、そうならないように、洗脳誘導(ミスリード)操作(催眠術や化学物質や電磁波などによる脳や身体の操作)だまし誤魔化しで(例えばマスコミや大学制度などで何が大事なのかをミスリードしてきた)精神の成長こそが大事なことを隠したいした事のないように騙し誤魔化し、間違いばかりを教え実践させてきた。
今までのほとんどは全て間違いだらけだと思ったほうがいい。
全部逆さまだと考えるとわかり易い。現にその通りだと思うのだが・・・・・。
くだらぬ人間を持ち上げ、先生と呼び勲章やノーベル賞などをやり、真に立派な人間は決して浮かび上がらないようにあの手この手で邪魔ばかりをし、さも努力が報われる実力世界のように騙し誤魔化している。
もう長くなるので今の文明の土俵内では何もかもが間違いで(例外は除いて)、決して報われる事はなく(真の意味で)、やつらに勝てない気がしてしょうがないのだが。
やつらに勝てる鍵は今ある文明の土俵の外にしかない気がしてしょうがない。
つまり都市部より田舎。関西より東北。観光地より人の少ないところ。(秘境なども)
平地より山。(ただし山には様々な罠が仕掛けられている。岩や石には注意!)
便利より不便なものや所。楽よりもしんどい所や事。(これも罠だらけなので注意!)
とにかく俺はやっているのだが、今の文明の価値観などから出来うる限り離れ、加担・利用せず、誘導されず、心を磨き、悪の結晶のような今の文明の土俵から(土俵内は呪いや魔術やカバラやペテンでどうにもならない)離れるべき事をお伝えする
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2009年09月23日
やはりネットはいんちきだった?上関原発から緊急呼びかけ!
NECのウェブリブログのブログが凍結されている。
何度開いても、送信エラーが出て開かない。
ITや原発やネットなど時期が来ればどうとでも操作出来るいかさま、いんちきな陰謀だったのだよ。
こんなものに依存していると今に大変な事になるかもな。
大勢がわかっていないのは、信じてはいけないものや人を信じる傾向がある事だ。
この腐った逆様の世界で信じれるものや人はわずかだという事を認識していない。
ほとんどが間違いだらけで、人も物も間違いだらけなのだから、信じべき人やものはそこら辺にはないと思え!
待っていて来るものもクソばかりだし、背に腹は変えられないという輩もクソだし(そうやってどこまでもゴミに従っていく愚か者共)、物事を深く考えないダメな人間ばかりだし、ほんとくだらない世界だなここは。
マスゴミが腐っているからと言って、ネットのほうがもっと腐っているかもしれない事を深く考えない、調べない、調査研究しないバカは結局踊らされる運命にある。一所懸命努力して(実際はさせられている)、
悪事に誘導されて貢献し、その後処分される。
山口県の上関原発を強行しようといているらしいが、
祝島や全国の反対派の人達が体を張って?測量阻止をしているらしい。中国電力が知事に認可申請を出していないのに、知事が勝手に認可をしたらしく、脱法して埋め立てを強行しようといているらしく、祝島の漁師や島民達が船で妨害活動をしているらしいが、俺は正直漁師は好きではないのだが(例外は除くが)、遠方の人達が布を送っていると聞いて俺も送る事にした。
全くどこまでクソの世界なんだろうか?
電磁波や化学物質やナノロボットや遺伝子組み換え動物や放射線照射植物やバイオ兵器や人口ウイルスや催眠術その他で人間や動物や気象を操作して、粛々と人口削減を実行し
時限爆弾ともいえる原発を作り続けるゴミクソンズ。
全国のウォーターマンの参加を呼びかけているみたいだが、俺にはボートが何もない。
テントぐらいあれば車で駆けつけるのだが・・・・。
せめて布だけでも送っておこう。(関係機関に抗議や陳情のファックスや手紙などは送ったが。署名も)
中国電力は9月10日から山口県平生町田名埠頭に仮置きしてある埋め立て区域を示すための浮標灯(ブイ)の搬出を始めようとしていますが、その動きに対して海上では祝島の漁船団数十隻とシーカヤックがもやいを結び、陸上でも祝島の人たちをはじめ上関原発に反対する人々による抗議の座り込みが続き、今日まで一週間にわたってこれを阻止しています。
【緊急!】シーカヤッカーからの呼びかけ
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-f19a.html
【緊急!】現地に届ける布メッセージ大募集
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-61a8.html
とてもきれいな島らしいが、行って見たいのだが。
Posted by plasman at 21:13 |Comments(0) |TrackBack(0) | ニュース , 政治 , 陰謀 | |
2009年08月30日
愛国はユダヤの罠 自由平等と同じ対立の源である
諸星さんのコメント返しでやっと日本の何を好きなのか概要が見えてきましたが、日本の国土や文化や慣習や日本人と言っていますが、深く考えていないのでは?同じ国土でも北と南はかなり国土的に環境が違い、そのどこの国土が好きなのか?違う南北とも好きなのか?嫌いな国土はないのか?文化もそう。いつの時代のどこが好きなのか?コメントにあった礼儀正しくて公明正大を重視する日本の文化など幻想ではないのか?
君達は本当にわかっているのか?戦後の日本人は特に卑怯者ばかりになってしまったが、さりとてそれまで大勢が卑怯者ではなかった事はないはずだが?いつの時代も大勢の人間は生き残る為こすい言動を取り、仲間を裏切り、卑怯な選択を取ってきた者のほうが多いと思うが。とても公明正大や正義を重んじる人が多かったとは思えんが?誰かに騙されてはいませんか?
本当の現実は君達が思っているようなキレイなものではなくて、もっとドロドロとした卑怯で情けなくてみじめで自己正当化を過去を美化する、いつの時代も強いほうをよく計算し、勝ち馬に乗ろうとする従って正義も公明正大も後回しという訳だ。
果たして君達が言う日本人が多くいたのか?それとも私の言う人間が大勢いたのか?真実はどちらの側にあるんだろうね?どちらも的外れかもしれんが、君達はそういう思考はしないみたいだが?
一口に日本人と言ったって、君の好みの日本人もいれば、嫌いなタイプの日本人もいるだろう。それは見てくれやまた考え方イデオロギーや性格・好みなどにより君の愛する?日本人もその数が少なくなって行く事だろう。君達は今被害にあっているから敵以外はあまり考えないのでは?実際敵がいなくなってみれば、今度は仲間だと思っていた味方?同士今言ったイデオロギーの違いや性格などにより君達が今愛国だと思っている日本人も違って見える時が来るかもしれない。今だって深く考えないからおおざっぱに大勢の日本人が好きだと言うが深く付き合ってみると大喧嘩のあげくあんな奴は俺とは絶対に噛み合わんというのが結構出てくると思われるが、
そういう事までわかって考えて主張しているのかね?私にはそう思えない。誰かの受け売りみたいにろくにウラもとらないで、信じて?いるだけのようにしか見えない。
国土ひとつとってもすべてが好きなはずはなく、好きな場所と嫌いな場所、どちらでもない場所などがあるはずであり、人間も文化も慣習もそうだろう。という事は君達もユダヤと同じで、君達の好みの日本の国土や人間や文化を愛すが、それ以外の国土や日本人などは愛国ではないという事。もっと詳しく言うなら君達が好きな?正義や公明正大な日本人のみは愛しているので愛国の一部だ。しかしそんな日本人戦後から今まで一体どれ位いたと考えているのだ?私ならほとんどいなかったと思っているのだが。これには弱いがいくつかの根拠がある。
過去の告発者がほんの少数しかいなかった事や悪事に加担しなければ金が入らない日本の社会でそれを貫き通すのは至難の技で現に例外と言われるほどのわずかしかいなかった事。
戦前までは違ったとか言うやつがいるが、戦前は別の意味で今の北朝鮮のようなまたある部分北朝鮮よりひどい厳しい全体主義国家社会があり、とくに治安維持法が出来てからは軍部や右翼がでかい面をし始め、またその前だって君達の好きな正義や公明正大を重んじる日本人は逆に迫害されて来た事を知らんのか?君らの歴史観とやらは本当に間違いないのか?根拠は証拠は?
私の歴史観?こちらには君達のような不遜な思い上がりはないが、それによればむしろ逆であって、治安維持法前から明治初期までだってそういう正論?を吐く人間は疎まれ、隅に追いやられ、なぜなら欧米社会ではそういう輩は決して重視されず、むしろ邪魔者とされ隅に追いやられてきたからだ。いや現実はもっと醜く大勢皆殺しやそれに近い事をされてきている。つまり彼らの嫌う、彼らの好みでない正義や公明正大を振りかざす者を徹底的に殺すかそれに近い処分をしてきた。
では明治以前か?それならまだわかる気もするが、それだってあくまでも一部であって、大勢は中世より卑怯で姑息で強い方を勝つほうをじっくり見定め一族が絶えないように汚い?生き様をしてきた者のほうが多いはずだが?君らは違うと言うのかね?それなら何か根拠などを添付してもらいたいね。そうやって考えると結局愛国など自分の好きな国土や日本人だけを見ているのであってその数さえはっきりしないまま、夢見ている側面がある。そんなものならよっぽど日本の国土や日本人のほとんどが嫌いでなければ誰だって持っているものであって、
わざわざ愛国とか訳のわからない抽象的な言葉で言う必要はなく、単なる好みである。好みは人それぞれだから色々な愛国?がある事になり、これもそれぞれが強力に主張し始めたらそれこそイデオロギーと同じでぶつかり合うだけの消耗戦に突入する。これって罠ではないんでしょうかね?偶然?ですかね。
私には君らが見えない罠のように見えるのだが、君等には罠には見えないという事か。
簡単に言えば国というあいまいな表現をする事により人により色んな解釈を想定し、イデオロギーと同じ分裂・対立を必然的に起こす為の罠なんですよ。これでもわからないなら俺もサジを投げるわ。おそらく電磁波などで脳まで操作されているくちだろう
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2009年08月05日
創価学会は北朝鮮みたいだな
創価学会は北朝鮮みたいだな
最近創価学会についての本を読んでいるが、(福本潤一元公明党議員の金と品位、矢野恂也元公明党委員長の黒い手帖、アエラ刊創価学会解剖など)なぜか図書館などにほとんどなく、まれにあってもなぜかいつも貸し出し中になっていて、ものすごいいんちきをキャッチした。
仕方なく、ない身銭を切って新刊を買い(中古が全く売っていない)読んでみると、これおもしろいと感じ、またあまりにも北朝鮮や共産勢力に似ているところはくだらなすぎて、特に池田大作名誉会長?俺にはただのくそじじいにしか思えんが、(昔たまにいたイケイケドンドンクソバカ人間)をなぜか崇拝するくだりはあまりのくだらなさに読み飛ばそうとしたくらいだ。
これらの情報を信ずれば、やはり公明党と創価学会は癒着しており、選挙などでは大いに協力しているらしいが、こいつらも最低だな。。(各創価文化会館などを選対事務所にして?選挙の何ヶ月も前から選挙活動をしていた?公示日より何ヶ月も前から選挙活動する、選挙事務所開きをする連中は自民党を中心として大勢いるが、(本当は公職選挙法違反で犯罪であるがなぜか取り締まらない。取り締まれない?)この公明党支持母体である創価学会も同じか?)
勝手に日本全国を13のブロックにわけて(13は秘密結社(オカルト)が使う数字です)、県長とかブロック長とかを置いており、知れば知るほど共産組織の細胞に似ているなと思う。我々の知らぬ間に国家内国家があり、これらの情報を信ずれば、公明党など役者集団に過ぎず、創価学会がいや池田大作というくだらないやつが、
仕切る、ほんと北朝鮮のこれまたくだらない金正日が仕切るシステムと同じにおいがしてムカムカしてきた。くだらない人間をあえてかしらに据えて、それを拝ませるとは人間を愚弄するにもほどがある。よほど人間が嫌いな連中が陰謀をやっているのだな。俺はゴミクソンズのほうがよっぽどくだらない愚の骨頂の存在だと思うのだが。
聖教新聞の販拡ノルマなどがあり?また折伏(友人知人を洗脳騙して仲間にさせる事)のノルマもあり?また地域で脱会者が出ると責任者やその地域の学会員の査定?に響くので、やめないでくれと日参するらしい。逆に、その地域で聖教新聞の売り上げを伸ばし、学会員を増やし、脱会者もなく、査定がよくなり、出世?していくくだらないシステムらしく、それに踊らされてバカどもが必死に努力してきたらしいが。
また、公明党のトップの選挙などしておらず?議員の選考は細かい所まで、学会本部が決めているらしく(全国の県長などを集めて協議?それか池田が全部決めておりあとは建前的なショー?)、この党ちっとも公明ではありませんね。不公明党と直して下さい。もともと、池田大作が会長になるまでは、政治には縁遠く、初代会長までは政治活動はやっておらず?2代目会長の時に、政治には参議院までで、あくまでもお目付け役程度のスタンスだったらしいが、池田大作が仕切るようになって変貌?していったらしい。
何か金日成に似ていませんか?反吐が出るほど似ている気がします。
こいつが強制して?年末に財務という名の寄付を全創価学会員や公明党議員に要求し?それまで、金とは無縁だった?(矢野・福本両議員によれば2代目会長までは。特に2代目会長はPL教団や天理教などを金の亡者と呼び、金集めに否定的だった?という。なのでその当時までは金のかからない集団だったらしい?これは他の情報も見ないと即断出来ないが・・・)創価学会を卑しい集団に導いた元凶は池田ゴミ作であると。(ゴミ作は俺の主張)
最初やらしていた公明党議員への財務は、世間がうるさくなってきた?為、アメリカの創価大学に寄付しろと迂回献金らしい事をさせていたらしい。
また、P献金というプレジデント献金もあり、これは池田大作個人に上納金するらしいが、これもしていたのであれば、これは法律違反であり、いくつもの犯罪に抵触するのが確実だ。その他、地方や地区では生活保護の融通?や公団住宅などへの優先入居?などの斡旋もやったいたらしく、ほんとこれらが本当ならこいつら死んでくれ!
悪魔のゴミを拝む者には助けてやるが、(生活保護や公団当選など?)そうでない者は死んでいく・・・。こんな世界など滅んだほうがマシではないか!
一番いいのはこいつら悪魔の勢力だけ(俺はゴミクソンズと呼んでいる。文字通りゴミクソ達の意味)滅ぶのが一番いい。こいつらに我々の子孫の未来の為の捨石になってもらい、こいつらの自己犠牲の上に新しいまともな世界が始まる事しかない!
それしかない!!それっきゃない!!やるしかない!!
俺が昔引越し屋の時にわが事のように心配してくれた人や、自殺しかけた知り合いのもとに熱心に通っていたのは全部そういう事だったのか・・・・・。
人間性のいい部分?をたくみに利用して信じさせ、学会員の人柄などでも信じさせ、
それで悪魔のシステムに引きずり込む。
全く最悪、最低の愚の骨頂の連中である!
池田大作が何が名誉会長だ!ふざけんな!!死ねバカ!!
ペテン師め!!ゴミクソンズの操り人形のただのクソバカ野郎じゃねえか!!!
政教分離の憲法違反を平気ですっとぼけ、政治資金規正法にも抵触どころかドンピシャみたいな事を結構やってきたみたいだが、こいつらをム所にぶち込め!!
池田大作を証人喚問に呼んで問い詰めろ!!キャリアと池田の悪事を糾して、
証拠が固まり次第、ム所にぶち込め!!!
大体、宗教法人法では、教祖とご本尊と信者だっけ?教団の教則だっけ?が日蓮正宗の信徒団体だった創価学会にあるのか?
教祖は誰なんだ?池田ゴミ作か?北朝鮮と同じで、こんなやつを拝まなければ、生きていけないのならば死んだほうがマシではないか!!!
全くこの世は愚の骨頂のゴミクソ地獄だな。
自民党も最悪なら創価学会も最悪だな。
政党などどこもゴミクソのひもつきの最低、最悪ばかりなのだよ。
俺は日蓮宗自体がおかしいと思っているし、ましてやそれを利用して、まったくそれとは違う悪の哲学がある創価学会などは即刻廃止すべきである!!
宗教法人の認可も取り消して、たっぷり税を搾り取るべきである。
それをしない自民党や公明党などはまったくいんちきの集団であり、こんなペテンな連中に日本の権力は支配されているのだ。
右翼も最悪だが、左翼も最悪で、創価学会や公明党も最悪だな。
こんな日本に誰がした?
やはり、既存の組織や団体や会社などでいくら頑張っても無駄に近い!!!
反対の方向へと誘導されるようにたくみに出来ているのだよ。
手記などを読むと、彼らも一生懸命良かれと思い、寝る間も惜しんで頑張っていたらしいが、その結果が裏目に出るとはね・・・・・。
そんなのばかりだよ。既存の仕事や職業や宗教やスポーツや音楽や趣味など全ては!!!!
だから、今ある土俵で頑張るな!と言っているんです。
今ある仕事や会社や宗教やスポーツや趣味の会などでは報われないどころか、
子孫の未来を暗くするため、あるいは亡くす為に墓穴を掘っている者がほとんどである。
それが嫌なら、今ある土俵以外を探して、見つけて、作り出して、そこで頑張るべきである。今までの支配者が嫌がる土俵を探して、そこを足がかりにそちらへシフトしなければ、たいした意味などないと思われる。
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2009年07月16日
HPが凍結されていた?
とあるきっかけで、外部から自分のHPを見たのだが、最初のページしか開かない!どれをクリックしても最初のページしか出てこないようになっていたとは・・。
勘ぐれば何か見せたくない内容があるのではと思い、急遽こちらにコピーした次第です。
俺の存在をブロックするというのなら、こちらも検索に出て来ないはずなので、そうではなく、HPだけに載っていたデータではないのか?と勘ぐりアップしました。(違うかもしれないが・・・)以下がそうです。
別件ですが、肉食はやめた方がいいのでは?
動物は食肉にされる前、涙を流して泣いているんですよ。
植物はどうなんだ?と言われるが、野菜も果物も汚染されていて、出来るだけ食わないほうがいいと思うよ。
しかし栄養を取らなければ死んでしまうから、出来るだけ動物を食うのをやめて、植物も栄養がとれる必要最低限度にしたらどうだろう?
坊さんみたいできついかもしれんが、俺は4年前からやっているよ。ただ、栄養の知識を先につけないと、危険性はある。
植物のどの野菜にどの栄養があるか知らないと、栄養がかたより危険だ。それに植物のほうが汚染されている可能性もある。(俺は動物の方がはるかに汚染されているとは思うのだが・・・)
動物が殺されて食肉になる過程はむごたらしい。
それだけでも調べてくれたりしたら少しは違ってくると思うのだが・・。
とにかく感謝して残さず食べればいいとは、思えない。
それは動物がどのように殺されて商品になるかを見ればわかる。
今は実際に見に行かなくても探せば写真とか動画とかあるから、一度探して見て欲しい。
我々が食えば食うほど動物は殺されるのだ。動物を救えるのは君かもしれない。
あと俺は宗教は嫌いなのだが、動物を食べると
波動が低いのと同調するとか、霊性が落ちる?
という説もある。
また逆に、超能力がつくという説もある。
また回り回って、巡り巡って自分に、
はね返ってくるという説もある。
別件の肉食の詩
命乞い哀歌 (原題 牛豚鳥哀歌)
ママを食べないでと泣く子牛。
死を待つみなし子豚。
人生は子供の内だけとあきらめた。
ママのおっぱいを一生懸命飲む子牛。
頼むから助けてくれと豚絶叫。
時をつげているはずが腹の中。
まだ生きたいとのねがいむなしく非情の手。
共に生きていたはず明治まで。
人間は選べるはず肉食獣の道、草食獣の道。
食物連鎖は、はたして弱肉強食なのか。
自然界は弱肉強食だけではない。
お互いがお互いを支え生かしあっている生物同士の関係がある。
(生物以外でも)
(例えば植物と動物。植物は生きていてこそ、酸素を与えてくれる。)
P.S. そして処分される犬、猫、人間。
犬 猫 人間 哀歌
(命乞い哀歌 原題 牛豚鳥哀歌の続き)
なぜ?と訴える処分される犬の目。
もう二度と生まれてくるもんかと丸まる処分される猫。
車にひかれるか、餓死するか、変態に殺されるか、病気死か、
そのほとんどのものを見た。
あなたの子孫がいつの日かこの哀れな犬猫のようにならないと
断言できますか?
人間よりすぐれた者が現れた時、あなたや、あなたの家族、子供は
黙って死んで行きますか?
子孫は、納得するのだろうか?
(岐路に立つ人間)
作.山本 和志(ただし自分一人で思いついたわけではない。めずらしくひらめいたので、いんちきくさく言うと何かおりてきた?ので、これは広めなければいけないのではと思い付け足した次第であります)
これは随分前にHPのほうに載せていたものですが、
今日、外部から自分のHPにアクセスしたところ、
何と、最初のページしか開かなく、どれを開いても最初のページが出てきているのを発見した・・・・。
これは最初からこうなっていたのか?(やられていたのか?)
とにかく、向うに載せていたものをこちらに移します。最初がこれで、5年くらい前に、まだ少し肉を食べていた頃に、珍しくひらめいたみたいな(昔一度だけある。むずかしいパズルを解こうとしていた時に、延々何時間も考えていた時にふっと頭に浮かんだのだ。それ以来一度も何もなかった。この5年前までは・・・・。しかしこれはひらめきではないかもしれない)頭にイメージが浮かんできて、結局書き留めて、それが妙に気にかかり、ベジタリアンやヴィーガンを実験中なのですが、未だにどうなのかわかりません。この詩も、必ずしもいいものだという保証は何もありません。むしろ、人間を利用してばかりいる、ゴミクソンズの罠かもしれません。
なので、判断はあなたがして下さい。
逆に意見を聞きたいくらいです。(昔掲示板でやりとりしていた時にくだらない意見しか来なかったので、
そういう根拠のない意見ならいりませんが。勘とか感じのほうがまだいいです)
この肉食、家畜制度全廃論に関しては、未だにどうなのかはっきりせず、ただ、肉を食わないようになってよかったとは思っています。(色々な意味で)
心配なのはよくヒトラーなど超能力やオカルトなどの連中は昔よりベジタリアンが多いらしく、オカルトの罠にはまるかもしれないのが気になります。(もうはまっているかもしれませんが)
それが違うのであれば、今の暫定の結論としては、
肉食は出来るだけしないほうがいいと思うし、(飢餓になれば食べるし、人間だって食うと思うが、だからこそ食べないでいられる今は肉など食べない)
味覚が変わるのではないか?病気にもなりにくい?
動物も地獄から開放されるだろうし、動物の飼育など扱いは本当に悪いし、低いと思う。
それも大量に大勢が食べるからで、大量生産、だから無理に無理を重ね、薬漬けやせまい牢獄?で短い人生を生きるはめにもなる。
日本人の食べ過ぎやグルメブームは本当に間違いで、
悪魔勢力の陰謀です。
彼らは人間や動物の悪想念を作り出すのをやめようとせず、その裏には何かやつらにとって必要なものがある可能性が考えられます。
無理に?肉や牛乳など動物性の食べ物を食べる必要はありません。今「牛乳は体に悪い」という本を読んでいますが、これは一理あるかと思われ、牛乳の糖分を分解する耐性が白人以外は生まれた時意外は低く、(生まれた時は活性化し、母乳の栄養を採るために。牛の母乳ではない!牛の母乳は牛の赤ちゃんのものではないか?何で人間が泥棒しているのだろうか?
泥棒専科の白人が強制してきたからです。給食などで。オカルトについては話すと巻き込む事になるのであまり話したくないですが、これと関係しています)
なぜか?白人だけは年をとっても耐性があるみたいで
だから精神性が幼児のままなのかと納得もしますが、
どうもこの牛乳は体に悪いというのは本当のような気がしている所でございます。まだ全部読んでいないし、他のデータも見ないと結論は出せませんが・・。
ただ、いいも悪いもわかりませんが、HPに載せてあったので、それもなんか見れないようになっていた?
みたいなので、こちらで紹介しておきます。
家畜制度全廃論に関してはほぼ間違いないのではないかと今現在考えていますが、肉食問題は、陰謀渦巻く、すなわち食糧難などの陰謀も考えると、一概には言えないし、はっきりしないのが今の成果です。
ただ、正直洗脳?が解けたみたいで、よくこんなものを今まで喜んで食べていたなとは思い、正反対の意識には変わっていますし、植物にも興味が湧き、また他の生命にも興味が広がっていき、これが罠でなければ
やめてよかったと思っています。(心から)
ただ、これのせいかわかりませんが(俺は巨悪にやられたと思っているが)体を壊した(内臓が病気)ので
お勧めはしません。各自で判断して下さい。
こういう詩が浮かんだとお知らせするだけです。
それぞれの経験や知識や勘などと照らし合わせて判断の参考にして下さい。
ただこれだけは言いたいので言います。
魚ももっと泳いでいたいだろう。
牛も豚ももっと生きていたいだろうに。
鳥ももっと飛んでいたいだろう。
植物も(雑草も)もっと茂っていたいだろうな。
人間だけずるいな。
カルマがあるなら、そのうち人間にも回りまわって来て(その為に巨悪が強制しているという説もある)、
もっと生きたいのに生きられない地獄が来るのかな。span>
2007年12月19日
国民の敵はこいつらか?
わが国では国民の敵はロスチャイルドの支店である日銀と、国民の為どころか国民を監視、管理、利用する為に設置された各省庁と検察、裁判所、大学、マスコミ、暴力団、製薬・化学会社、100%かわからんが自民党、社会党、共産党、公明党?
国連もロスチャイルドの手先らしいし、各国政府も似たようなものだ。各中央銀行を中心に経済力を中心に支配、コントロールしているそうだ。
この社会はくそが支配するくそ地獄であるにも関わらず、肯定、協力してきたクソバカどもくたばれ!
薬害はなぜなくならないのか理由がある。
毒ガス部隊の731部隊の生き残りが戦後、アメリカ軍に協力するかわりに命乞いをし、厚生省や京大や東大の重職につき、またはミドリ十字などの会社を興し、細菌、ウイルス兵器開発の手助けをしてきたらしい。
このくそ国ではエイズや肝炎など原因不明な病気は大学病院でないとわからんと誘導し大学病院では治そうとはせず、(治ってしまっては治験データが取れない。御領主アメリカ様のお怒りに触れる=出世出来ないどころか路頭に迷う)
細かくデータを取り続け、それをアメリカ軍様に奏上して、おこぼれとして名誉教授に出世しているごみくそ教授ども死ね!
エイズや薬害は日本だけで起こっているのではない。
世界各国で起きている。それぞれの違う人種の治験データがいるのである。
日本ではこの731部隊のゴミ生き残りどもが協力し、ウイルスをばらまき、大学へ誘導し、データをクソどもに渡してあとは知らん顔。
ミドリ十字と厚生省と自民党のやつらと大学病院の教授ごみどもがそれぞれ協力して国民を売り渡した。
人間モルモットが定期的に作られてきた原因ではないか?
2007年12月07日
URに約1000億円の補助金(毎年)!政府約800億円県約300億円払う
先日用事のついでにURの決算書を見たが、毎年国から約800億円の補助金と地方公共団体(各都道府県)から約300億円の補助金をもらっている。
地方の土木や建設、小売、漁業その他が厳しいというのに、県から300億円もこのくそゴミ団体に金が流れている。
この300億円があれば各都道府県の土木や小売、漁業などどれほど助かることだろう。原発の巨額の推進費用もこれらの業種に回すべきである。一部のくそゴミ団体だけがうるおい、その他は見殺し。
誠にひどい政府と省庁のゴミクソン達である。こんなくそゴミどもを信用するとはどこまでおめでたい連中なんだろうか。
原発はいいかげんなものだよ。こんなものは必要悪とは言わない。
各省庁や政府は国民の為につくられたのではない。
国民を監視し、管理し、利用する為につくられた。
原発もそうだが、国際金融を支配する影の政府(わかりやすいのはロスチャイルドやルキフェラーゴミクソンども)が各国を支配し、利用して絞り上げる為に、まず各国中央銀行を設立し、そこから金を通して権力を掌握し続ける仕組みをつくりあげた。(日銀はロスチャイルド銀行の日本支店です。FRBはアメリカ支店)
中世、初代ロスチャイルドは「私に中央銀行を任せれば金融の力でどんな権力も思いのままだ」と豪語したそうだが、そのとおりになったらしい。中世より戦争すら巨額の金が勝敗をわけた。(中世以前からだが)
その影の政府の各国支配の拠点である中央銀行(日銀)を中心に傀儡政府と傀儡省庁をつくり支配を強固のものにしてきた。さらに暴力団を育て、暴走族を作り出し、アホなエリート?(自分でエリートだと勘違いしているだけだが。真の支配者からすればアホな奴隷でしかない)をつくりだしてきた。右翼も左翼も彼らがつくり誘導してきた。(例外は除く)
マスコミもかれらがつくり国民を欺いてきた。スポーツやセックスやスクリーンで肝心な事から興味をそらし、(3S政策)化学物質や薬で全生命体を弱体化して支配しやすい状態に誘導してきた。(原発も)
日本がましなのはこれらゴミクソンズのおかげなどではなく、一部の例外のわずかな人間が努力することによって我々の知らない存在が助けてくれてきたからだ。かれらの助けがなければこんなくそ国とっくにつぶれて国土さえなくなっていたことだろう。 終わり。
2007年08月30日
毎年2万頭のイルカがこの日本で殺され、食べられている。
主に岩手県が約1万5千頭の捕獲で、あと和歌山、静岡、北海道、等で約5千頭。
秋にやるらしい。(10~11月頃)
岩手のどこでやっているのかわからないが、和歌山は鯨で有名な太地町の漁協でやっているらしい。
この件をいくらマスコミに取り上げて広く知らしめて欲しいと言ってきたが、取り上げない。知らせない奴ら。
肝心な事は一切知らせないで(アスベストもそうだった)国民をだましてきた日本のマスコミども。
昔は新聞社を中心にだましてきたし、途中からはテレビ局を中心に国民をだましてきたくそども。
アメリカの傀儡政権だった自民党と変わらん。
スポーツで重要事の目くらましを励行(特に読売グループ、日テレの野球を中心に)し、体制側のくせにそうではないようなフリをしてきたペテン師ども!
腐った国を作ってきたのはこいつら傀儡自民党と騙し屋マスコミと売国奴官僚とペテン医者とごまかし弁護士と泥棒警察と売国奴暴力団のくそどもとペテン野郎の大学教授といんちき銀行と証券会社と不動産会社と売国土建会社とごまかしに協力してきた目くそ鼻くその会計士、税理士、など俗に言うエリートと呼ばれてきた蛆虫どもを中心にそれにこびへつらい、エリートではないのにおこぼれにあずかろうとして協力してきた大衆どもも共犯である。それとその間にいて見てみぬふりをしてきた、見殺しにしてきた、大勢のくそ人間達。こいつら全員共犯でした。程度の差は全然違うがな。
2007年08月30日
加速度をつけてIT管理ハイテクコンピュータくそ愚の骨頂社会へと移行してきているな。
コントロールした馬鹿人間を使って、マッチポンプをし、(事件を起こして自分で解決して手柄にする汚い手口だ)さもITが効果があるように誘導しているが、でたらめだ!
人間もでたらめばかりになってきたな。
こんなくそ社会、くそ世界、愚の骨頂の世の中を賛美し始めた。ノセタラダマスの大予言にある、幸せのうちに支配するというくだりかな。
もともと愚かな人間が多かったがここまでひどくはなかっただろうな。しかし今は違う。コントロールされ愚の骨頂にさせられている。
なぜかポジティブ作戦をとっているようだが、くだらん。またもスポーツや野球やドラマのように、目くらまし、ごまかし誘導だろう。
ネガティブだけというのもおかしいが、ポジティブだけというのもおかし過ぎるのも気がつかないのか?
その裏で粛々と誘導が進んでいる。
強力な味方がいる可能性について。(いないかもしれんが・・・)
先に遺伝子組み換え問題を少し。
「遺伝子組み換えでない」と表示してあっても、5%以内は、遺伝子組み換え作物が入っているのを知っていましたか?
5%以内なら入っていても[遺伝子組み換えでない]と表示してもいいという事に法律でなっているんだと。
すなわち僕もそうだったが、5%までは遺伝子組み換えのものを知らずに食べさせられていたのだ。
ひどい話ではないか。
国産100パーセントと表示していても、40%位はいんちきらしい。
ましてや、国産だけの表示や、有機と表示してあっても、何が入っているかわかったもんじゃない。
種を輸入していれば(特に遺伝子組み換えを推進しているアメリカ等から)その種の中に遺伝子組み換えの悪影響の種が入っている可能性があるらしい。
この問題は情報があまり入ってこないので、引き続き調査して報告するつもりです。
僕自身は並みの人間ではない存在に助けられたので、味方がいると思っているが・・・。(敵にだまされていなければの話)
とにかく人間離れした存在だった。
しかしあきらかに人間のようだった。
地中に道のないところに道が出来ていくのを見た。
信じてくれとは言わないが、頭がおかしいわけではない、念の為。
そこにいるのはまちがいなくわかるのだが、見えず、何か霊体のようなものにも会った。
指をパチンと鳴らされたあと、耳がキーンとなって、それが何回か続いた。あれは一体何なのか未だにわからない。
地中の失われた10部族ではないかと思っているのだが、確証も何もない。
何も話はなく、こちらから話しかけた時はもう、いなかったからだ。
そいつは敵かもしれないが、何か試された感じがある為、自分ではどうにも敵とは思えないのだが・・・。
誰か似たような経験か、わかる人はいませんか?
わかるようなことを言ってだましてくるやつはいらん
他にもホームページを作ってリンクさせていくつもりです。
この件を出来るだけ多くの人に知らせたいので、リンクでも何でも結構なので、コピーでもして多くの人に知らせてほしい。
ー巨悪と戦う研究会ー
(右翼左翼ではありません念の為)
℡ (047)767-4275
山本 和志
〒262-0001
千葉県千葉市花見川区横戸町15-110
遺伝子組み換え作物をみんな食べさせられている?
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2009年07月13日
町会は調べれば調べるほど怪しいぞ!創価学会も同じ!
最近創価学会と戦っている?批判したりしている人達に話を聞いたのだが、何か聞けば聞くほど段々、彼らの言っている事が本当のような気がしてきた。
まだ結論は出せないが、どうも少しかだいぶ見落としていたようで、あるいは俺もやられて?創価学会に興味がわかないように誘導操作コントロールされていた、されている可能性がある。
全ての大組織はゴミである巨悪がおさえてある、あるいは最初からこいつらがつくったか、少し大きくなってきたら乗っ取るか、誘導や操作コントロールしておさえてしまう。だから当然創価学会も巨悪の手先だとは思ってきたが、宗教団体の仮面をかぶっているので、宗教嫌いの俺としてはどうも興味がわかないできたと思っていたのだが、もしかしたら、またもしかしなくても、俺も巨悪にやられていて、そちらに近づけさせないように操作やコントロールされていた、されている気がしてきた。
ましてや自分の持論?である、今や、あるいは何年か前からほとんどの人間が洗脳操作誘導やコントロールされているのだから、俺も含めてなので、当然俺もされているわけで、これを見ているあなたもされています。自分は違うと思うのであればまずされていると思いますよ。
俺個人としては創価学会の大半の人達は、自分で選択して日本をダメにしてきたとは思えない。
創価学会に関してはまだ調査初期段階なので、ほとんど言えないが、他の傀儡と同じだと仮定すると、他の傀儡には詳しいものもあるので、こう言える。
つまり、肝心な事は何も知らせず、あの手この手で、騙し、誤魔化し、洗脳し、誘導し、脅し、誘惑し、
コントロールされてきている可能性が高い!
いいですか!彼らの悪意でやっているのは少なく、
大勢は簡単に言うと操られて、洗脳や誘導やコントロールされてしまっている、ロボットのような存在なのではないか?断定は出来ないが、俺は今のところそう思っているのですが・・・・・・・。
ただ、忘れていた?(おそらく操作されていたと思う)のが、創価学会の幹部(トップ)連中の事だ。
こいつらは、最近聞いたのだが、それらを他の情報とつなぎ合わせると、ひょっとしたら、巨悪の上のほうにつながる連中なのかもしれない。
イルミナティの連中が創価学会の中にいる?
とはとても思えないのだが、だがわからない。
ただ、話が本当なら、どうも悪魔教の連中に似ていて、そうやって考えれば、あいつらが宗教の中にいてもおかしくない。
そうやって見ると、名前も誤魔化しだし、公明党など完全な?ダブルスタンダードで全然公明?ではなく、むしろ逆ではないか!!うそつき!!
庶民の味方といっておきながら、全然庶民の味方じゃない。むしろ敵ではないか?
困っている庶民が大勢いるのに、なぜ巨額の資産を切り売りするなどして、その金を庶民を救うために使おうとしないのだ?庶民が大勢死んでいってるぞ。
その中には大勢金があれば救われる、命が助かる者も大勢いると思うのだが、なぜ彼らを見殺しにしているのだろうか?何度かその旨を以前に創価学会に聞いたが、官僚みたいな返答をするばかり。
俺はてっきり彼らも電磁波コントロールされてしまって、だからおかしくなっていると思っていたのだが。
どうなんだろうか?俺の持論の(調査研究結果の)今は(少し前から。一部の人達はずいぶん前から)ほとんどの人が(俺はすべての人間だと思うのだが)電磁波やコンピュータやその他の方法で制御されており、
創価学会や公明党、また在日の人間はただ、騒乱の看板に、またまた利用されているだけだと思うのだが。
今や誰でもが、ハイテク機器や化学物質(薬も)により(その他催眠術などオカルトも)脳や体を勝手に?
操作・制御されているという事実?についてあなたはどう考えるだろう?どう感じるのだろうか?
ちなみに、民主党はいんちきであると聞いたが、それは特に在日を攻撃している人達に多い気がするのだが、俺もそう思うが、自民党もそうですよ。
共産党も今までの政党など全部傀儡なんですよ。
と言ってもなぜか、納得しないのはおかしいよ。
戦後CIAが資金を出し(その資金は戦時中麻薬やピンハネなどで儲けていた政商と言われる連中、戦後黒幕とかフィクサーとか言われてきた連中が戦争中に巨万の富を儲けていて、彼らの免罪と引き換えにその戦争で儲けた資金で自民党を作り、また読売新聞や読売テレビなど読売グループをつくったという説がある)自民党をつくったという説があるがそれはどうなのだろうか?
結局組織などどっちを向いてもいんちきばかりなのだ。(金のない弱小組織の中には別なのもいるが)
組織に入って、会に入って、
宗教組織でも、政治組織でも、企業でも、右翼でも、左翼でも、
いつも同じなのは、騙され利用される人ばかりを見てきた。彼らの情熱や誠意や下心や欲望や薄汚い思いなども含めても、結局悪いほうへ利用される運命にある
それは彼らの運命が一握りの、金を通してこの世界を支配している(金だけではないが、金を中心にして、暴力など恐怖と誘惑などまたはオカルトなどで)ゴミくそのようなというよりもゴミクソの連中に運命を誘導されてきたからではないだろうか。
つまり既存の組織や既存の会社や既存のやり方では、
よからぬ運命になるように罠が仕組まれている。
彼らは負ける戦いはしない。どっちに転んでも勝てるように、どんな汚い手を使ってでも、すなわちペテンだな。騙して誤魔化してばかりいる連中なんですよ。
日本人なんかみんなやられていますよ。(わずかの例外を除いて)一流?大学を出て頭がいいとか勘違いしている連中なんかも、みんな騙されて誤魔化されて、洗脳されて誘導されて操作されている奴隷ばかりです
そういう私も同じ奴隷です。そういうあなたも実は奴隷だったんですよ。今わかりましたか?
在日のほとんどの人も奴隷です。中国人もアメリカ人もイスラエル人も誰でも。
奴隷同士利用され、噛み合わせられる、このパターンは21世紀になった今もなぜか同じなんです。
もっと考えて下さい!調べて下さい。疑って下さい。
被害にあっている人でも知らないうちに加害者になっている、されている可能性なら山ほどあります。
そういう俺もタバコなどでもずいぶん吸っていたから
知らない内に伏流煙の加害者になっていたと気がつきました。
他にももっともっとあるかと思われます。
しかしあなたも同じですよ。(程度の差こそあれ)
何だお互い様だったのかと気がついた時に、少し、彼らのペテンから、洗脳が解け、操作から少し抜け出せたのではないのでしょうか。
だからと言って創価学会を攻撃するなと言っているわけではありません。
俺もそういう事を踏まえて、これから創価学会と戦って行こうと思っています。
そういう事も知って、踏まえて動いて欲しいのです。
それがあなたが行動するとき、努力する時に、反対のほうに誘導されにくい、従って利用されにくくなる、
従って、彼らの決めた運命から抜け出し、あなたが切り開く運命へとたどり着くことを願っています。
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2009年06月30日
ロック音楽と悪魔の呪い
ロック音楽にはマインドコントロールの効果がある?
悪魔礼賛を歌うロックミュージック!
ロック音楽はオカルトの弊害を超自然的な方法で啓示したものであり、その背後には特別な邪霊が存在するという。
鬼塚五十一著の本を読んだのだが、ロック音楽には巨悪の罠が仕掛けられているという内容のもの。
実はもう全部読んだのだが、タバコ問題やデモや体の具合も悪くあり、紹介出来ずにいる。これも悪魔の呪いのせいかもしれないな。
ビートルズは完全に名前からして結社のふんころがしのイメージであり、もともとオカルトにやられていた?小野ヨーコやポールマッカトニーやジョンレノンらは最初から売れるよう仕組まれた?巨悪のレールに従って利用された?連中らしい。
彼らに影響を与え、操っていた?のはアレイスタークロウリーというイルミナティの魔術師?らしく、こいつはその他の当時の大物業界関係者にも弟子が多く、
ビートルズのアルバムのサージェントペパーズ何とかバンドのカバーに本人が写っているらしい。
ロックのキーワードはドラッグ(麻薬)、セックス、ロックンロールだが、考えたらこの麻薬と性の乱れとはわかり易い悪魔の側のものではないか!!
さらに、ヘビメタなどを中心にビートの早い強いものはブードゥー教にある、ある特定の植物を体内に入れながら呪術を行う時に神秘体験をすると言われ(霊に会う?ご託宣など)その際に独特のリズムにのってやるらしく、そのリズムがだんだん早くなり同じフレーズが延々とつづく事によって呪術(オカルト)の扉が開くらしく、すなわち、ドラッグとハードなリズムの繰り返しによってトランス状態になり、またその状態の時に悪魔・悪霊が影響を与え易いのだという・・。
ビートルズはドラッグを全世界に広めた?のらしく、
ビートルズに限らずローリングストーンズも同じで、ミックジャガーなどは魔術結社のゴールデンドーンに入団しており、ブライアンジョーンズは魔女の?魔術結社に入っていたアニタパレンベルグと知り合った際にオカルトに誘われ、のめりこんだ頃、そのアニタはキースリチャーズと結婚し、キースにも黒魔術の世界へいざなった。
その当時ロック界や芸能界には黒魔術をやる魔術師が幅をきかせ?その影響か多くの芸能人やロックミュージシャンが黒魔術の世界へと誘導されていたらしい。
その背後にはこれからロックミュージックを使ってドラッグと性の乱れと悪魔思想を広めようとしていた魔術師の組織の秘密結社があり、「ウィッカ」というらしいのだが、このウィッカが沢山の魔術師・魔女を使い業界を汚染?映画監督やプロデューサーを操り、
これに書いてあるその影響を受けたロックバンドは本当に多く、当時のヨーロッパのほとんどのバンドではないかと思うくらいで、例えば、クリームやレッドツェッペリンやAC/DCやオジーオズボーン(彼は完全に結社員だったらしい)やラモ-ンズやキッスやジミーヘンドリクスTレックスのマークボランやジャズのグラハムボンドなどは自分で告白していたらしい。
マリファナの兄弟という意味のドゥービーブラザーズやイーグルスのグレンフレイやザフーやジムモリソン、アーサーブラウン、ブラックサバス、ブラックウィドー、ディープパープル・レインボーのリッチーブラックモア(俺は聞いていた・・・・・。当時ロックはなぜか嫌いだったが、周りは結構聞いていてうるさく何か聞けと押し付けられたもので、しかしストーンズもビートルズも全然いいと思わず、他のハードロックなどは退屈極まりなく、当時俺はポップスを聴いていたのだが、なぜかバカにされ、軟弱扱いされロックを聴かなきゃ村八分に近い状態だった。しかし俺はそれでも聞かなかったが・・・。そのうちレインボーを聞きとてもポップな曲調だったのでこれだけは聞き始めた記憶がある。しかしほとんどのロックは苦手でくだらんと思っていたが、いい勘?だったのだろうか?今思い出すとロックを特にハードロック?を聞いていた連中はそれ以外をバカにし、執拗にロックに誘っていたのを思い出し少しぞっとした。洗脳誘導されていたんじゃねえのか?タバコをやたら勧める不良もいたがこいつも洗脳誘導されてやられていたと思う。考えたら当時の中学のクラス中でロックがはやり、猫も杓子もロックばかり、俺は浮いていたのだが、中には数人ほんとしつこく自分が聞いているロックを聞かせて、どれでもいいからファンになれとしつこかった。おそらく意思の弱いやつならその圧力に負けてどれかを買ったり借りたりして聞いていたのではなかろうか?そういうエセロックファンが大勢いたと推測出来る。そしてそういう奴らが高校へ行ってひんしゅくなどと言って悪を肯定していたのが大勢いたのを思い出し、なるほどこいつらもう中学の時にやられていて、洗脳誘導されてあるいはオカルトに影響されていてあやつられていて?それでおかしかったんじゃないかと合点がいく。俺も少し不良だったのだが、歴史だけ好きだったのでいつもうるさくて聞こえない授業中に歴史の授業中に「静かにしようぜ」と言った所、一目置かれていた筈が、急にブーイングの嵐で、翌日からほぼクラス全員と戦う羽目になった。あの不思議さがつながって今理解できる。あいつらは大勢やられていたんだ!大体ウスラバカにもほどがある。私立の高い授業料を払っているのに全く授業を受けないとは・・
そしてそれがヘンだと言った者を総攻撃するとは・・。それまで山さんとか言って一目置いていた連中がだよ?お前何ざいじめられていたのをかばってやったのに何だ?お前もか?何でお前にまで目の仇にされなければならんのだ?当時わからなかったこの事が今わかった。そういう事か。そういう事だったのか!それでか、という事はだ、ん?ほとんどやられていたんじゃねえか・・・・・。ちなみに千葉の高校だ。そういえば数少ない友達?はロックを聴いていなかったな・・・。そういえば不良のやつらはロックを聞いているのが多かった気がする。なるほど、そういう事だったのか!そういう裏があったのか・・・・。)
セックスピストルズ、ダムド、 アイアンメイデン、ヴェノム(悪魔の一人の名前)、ウィッチファンド、サタン、デーモン、エンジェルウィッチ、ウラッシュチャイルド、リッジーホーデン、フリートウッドマック、プリティーポイズンやピーターガブリエル、デビッドボウイ、サイキックTV、クロウリーカルト、キングダイヤモンド、イーグルスはもともとオカルト志向の強いバンドで、インディアンの霊的な力はイーグルスに由来するという名前の由来があり、ホテルカリフォルニアは完全に悪魔の歌だという。チェックアウト出来ても決して出られないというフレーズはサタンの教会ではわかる者にはわかるらしい。またサブリミナルメッセージまで入っており、サタンはサタン教会を組織したと入っているらしい。他に悪魔教会の影響を受けたアーティスト?にはスレイヤー、エクソダス、
メガデス、ジューダスプリースト、マリリンマンソンは非常に深く傾倒していて悪魔まみれ?マドンナの歌にもサタンのメッセージがあり、(ライクアプレーヤー) ドアーズは名前からして悪魔の意味で、ワスプやキッスのコンサート中はデーモンパワー炸裂で、エルトンジョンもオカルト狂で知られ、プリンス、マイケルジャクソンも影響を受けていた?らしい。
ロックに秘められてたブードゥーの呪いやジュジュカ族のパン神(古代カルトの音楽の性神。上半身が人間で下半身がヤギの姿をしている。反キリストのシンボルとしての歴史も古い?)の儀式、幻覚剤と音楽によってエクスタシー状態となり、悪霊を呼び出し、憑依されることによってパンの儀式は頂点を極める。それはロックコンサートで聴衆が異様な興奮に包まれて悪霊が乗り移ったようになるのとまるで同じなのだ。
パニックの語源はパンの霊に取り憑かれた時の精神状態のことをいう。
ハリウッド映画にもそこそこ?影響があり、ローズマリーの赤ちゃんなどはオカルト映画の金字塔といわれ、マリリンモンローやジェーンマンスフィールド、サミーデイビスジュニア、キーナンウィン、歌手のバーバラマクネアなどは公然と悪魔教会の信者であると口外していたらしい。・・・・・。結社員であるマリリンモンローが大勢の俳優・女優を引き込んだという
レコード会社の多くは魔術師や魔女の世界的組織であるウィッカに支配されているのです。本当なのです。
ルシパーは人類の上に力を与えているのです。聖母マリアのメッセージを受けたヴェロニカルーケンは言う
このメッセージが強烈で著者の鬼塚氏はいつまでも忘れられず、15年以上もこのテーマを追求するはめになったという。
ビートルズなどはウィッカによって売れることが決まっていた?らしく、アメリカの人気番組エドサリバンショーに出てから人気が爆発したらしいのだが、あらかじめ随分前から?出演が決まっていたらしい?
ドラッグと魔術(オカルト)は表裏一体らしく、
切っても切れない関係らしく、ドラッグなくして魔術はないらしい。ミュージシャンがドラッグをやるのが多いのは実は危険な事らしい。
ロック音楽に隠れている?サブリミナル効果は色々あり、サブリミナルメッセージから(歌詞を反対にしたバックメッセージも多い)、
まずバックワードマスキングという歌詞を逆さ言葉を曲の歌詞の中に入れることによって、サタンの呪いとメッセージを織り込ませるのである。そのため、その曲を逆回転にして聞くと、サブリミナルメッセージを聞くことができる。
これはCBSニュースのキャスターのダンラザーが「ロックスター達はレコードや歌の中に、逆さに潜在的にサタンの情報を伝えることによって、彼らのメッセージを広め、サタン崇拝を実践している」と暴露。
バックワードマスキングを聞いた左脳の情報は無意識の領域で右脳に伝わり、チェックバルブにより解読され、知らないうちにその本人の記憶に入り込み、大きな影響を与えることになるのだ。
サブリミナルとは、意識と潜在意識の境界線の領域を意味する。
例えば夜寝るとき、われわれはいつ眠ったのかよく覚えていない。そのあいまいな境界線を識閾と呼び、サブリミナルとはどの識閾下のことである。
戦後の名作といわれた映画「ピクニック」(ウイリアムホールデン主演)の中に、「ポップコーンを食べよう」「コーラ飲もう」という文字のスライドを、一コマずつ5秒ごとに挿入したところ、ポップコーンが58パーセント、コーラが19パーセントの売り上げ増になったといわれる。
映画は一秒間に24コマ動くから、5秒ごとに一コマの挿入スライドなら、まったく人間の視覚には知覚できない。しかしながらサブリミナルの領域で知覚され大勢に影響を与えうるのだそうだ。
また視覚効果だけでなく、聴覚効果を狙った「サイコ・アコースティック」という、音を合成したり、変換したり、音程を変えて催淫効果などで発揮する。
また、ある音を他の音の音量や周波数を操作することによって、覆い隠してしまう「サブリミナル・マスキング」がある。
人間の耳では聞き取ることが出来ないサブリミナルメッセージを例えば「私は正直です。盗みは不正行為です」というサブリミナルテープをデパートなどでBGMの下に入れて流しているところは万引きや窃盗がかなり減少しているとのことだ。
マドンナはアルバムの無原罪コレクションの中にもいくつかバックワードマスキングがあり、悪魔を崇めろとあり、全曲にあえぎ声が入っているらしい。
また、表紙カバーは二本の角を持った悪魔を現代的に図案化したものにも見える。
自分の娘には自堕落な言動を厳禁させ、純潔な娘に育てているという。
サブリミナルで犯罪や自殺に駆り立てるとしたら、これは結構おこっている可能性がある。
オジーオズボーンの曲自殺解決法はそれにより自殺者が何人も出たと訴訟が起きている。却下されたが。
原罪のサブリミナル操作は技術が高度となり、解読がほとんど不可能になっている。
アナログで録音されていたものなら、まだ解読出来るが、デジタルプロセシングになると、マスキングされたメッセージを一定のデシベル量に保つことが出来るため、サブリミナルの解読はほとんど不可能になっているらしい。このようなアルバムを毎日聞くと、マインドがおかしくなりそうだ。
自殺したX-ジャパンのヒデとも関係しているのではないのか?
バックワードでレコードを爆発的に売ったビートルズはポールマッカトニー死亡説が流れたが、それはマジカルミステリーツアーに収録されたストロベリーフィールズの最後の部分に低い声で俺はポールを埋葬したとつぶやいている。また、アビーロードのジャケットのポールマッカトニーだけが裸足で、バック風景の左側にフォルクスワーゲンが写っている、そのナンバープレートは「28IF」。もしポールが生きていれば28歳だったということを意味していると噂された。
アビーロードの曲の中に出してくれ出してくれというバックワードマスキングが入っており、レボリューションNo9にも死人から行き返らせてくれ生き返らせてくれとあり、アイムソータイアードやブラックバードの中にもポールは死んでしまった。彼は死んだ。彼は死んだとバックワードマスキングがあるという。
またホワイトアルバムの中のヘルタースケルターという曲は世界の終末という意味がある説や、魔女の暗号の言葉であり、「地獄が開かれ、悪魔たちが開放されて、24時間以内に世界は狂気と化し、人々は互いに殺し合う」という意味が込められている説もある。
エルトンジョンは「自分は一度として魔女の言葉で書かれていない歌を書いたことはない」と公言している
ビートルズのホワイトアルバムの全曲も魔女の言葉で書かれており、その中でもヘルタースケルターがその最たるものであると暴露した?
モトリークルーのアルバム「悪魔に叫べ」にはそのヘルタースケルターのカバーが表紙に使われている。
その曲を逆回転すると依然として俺は主人であるというバックワードマスキングのメッセージがある。
ジョンレノン殺害はオカルト殺人事件だった?
犯人のチャップマンは自分の中でレノンを殺すかやめるか葛藤に苦しんだあげく、魔の力のほうが強く負けて殺害に至ったという。
アヘン貿易時代に偽りのキリスト教伝道団をつくり、(三百人委員会の前身である英国東インド会社が)
布教活動と称して貧しい中国人労働者にアヘンを勧めた。その中国内陸伝道団の代わりになったのが、ロックミュージックだったとジョンコールマン博士は暴露している。
リゼング酸、LSDを作り出したのはスイスの製薬会社サンドスで、この他の麻薬よ異なり謎に包まれたドラッグは60年代初めに突然現れあっという間に蔓延し、頃合いを見計らったみたいに60年代が終わると急に姿を消した。
このLSDはCIAがアメリカの大学やロックコンサートで無料でばらまかれ、あっという間に若者の間に浸透した。CIAは当時MKウルトラという脳制御の為の最高機密プロジェクトを実験していたが、評論家のUボバルトは「明確なことは、このアメリカのどこかに、国家の奴隷を作り上げるための技術が完全に出来上がっているということである。国民の理性が管理下に置かれるような国家が現実となる日が来るのであろうか」と指摘しているが、人類の奴隷化を推し進め、超エリートによる独裁世界政府を目指すフリーメーソン。彼らは目的の為には手段を選ばない。表向きは自由・平等・兄弟愛を標榜するが、彼らの神はルシファー(ルシパー)であり、このことは上位メーソンしか知らない極秘事項となっている?
ロックミュージックはそのかっこうの文化メディアだ
ドリカムのベストアルバムのジャケットに悪魔の数字である666の浸透作戦?の一つであり、安室奈美恵にもバーコードを入れて何がしかの影響がある?
日本のロックは欧米から比べると5年から10年遅れているといわれているが、ことロックのサタニズムになると20年近く遅れている。
1997年頃から日本のロックでもサタニズムの台頭は目ざましい。ヴィジュアル系が走りで、自殺したX-JAPANのヒデはアメリカのヴィジュアル系の元祖といわれるマリリンマンソンの影響を強く受けていて、マリリンマンソンの歌詞には死を描いたものが多く、その世界にのめり込むと死の願望に取り憑かれようになるという。ヒデは音楽の勉強の為にアメリカに行っていた頃ドラッグ漬けになっていたというからその効用は大いに増したことだろう。
終わり 何で宗教が大嫌いと書いたのに宗教が来るのだ?宗教などみんな
騙されているだけですよ。そりゃ中にはそれでも救われている?者もいるだろうが、
長い目で見れば本当の救いとはかけ離れているのは間違いない。
宗教に限らず、みんな既存の組織に騙されているんだよ!
ごく小さな組織は別だが、警察も含めてまともな?組織なんて聞いたことがない!!
そこに入っている者はわが組織こそはまともであると勘違い、騙されているのだが、
なかなか気がつかない!!
巨悪を研究すれば見えてくる。組織を保つには金がかかる。金はクソチャイルドなど巨悪が管理・支配している。すなわち邪悪に逆らうまともな?組織など金の力でもって潰すか、乗っ取るか、反対のほうに誘導するか、全く変えてしまうかされてしまうので、比較的?まともな組織はみんな金には恵まれていない!!
金に恵まれている組織などろくなものではないことに気がつけよ!!!
創価学会しかり、暴力団しかり、右翼も貧乏なのもわずかにいるが、なぜか新車の多い団体が多いな。共産党もなぜ金がある?とても赤旗だけの収益とは思えん。
イオンもでかくなる前はよかったのに、もうダメだな。
ダイエーもでかくなる前は良心的?だったらしい。それが受けて?大きくなった?
そういえば先日デモの帰り靖国神社内に白鳩舎があると知って調べに行ったのですが、この白鳩は知る人ぞ知る、オカルト通なら知る、秘密結社でも上位?のほうなら知る暗号?でもあり、なぜそんなものが靖国にと思い見ると、昭和30年だか40年だかにつくられたみたいで、あまり言わないが、これ怪しいぞ!!
ヒントはなぜ普通の灰色の鳩じゃないんだ?また神社はカラスじゃないのか?
この靖国神社は非常にいんちきくさい!!上記の何々を装っているが実態は逆だという可能性が高い事に気がついた!!
まあ神社自体が逆ではないかと前々から疑ってはいるのだが、証拠や確証がなく、
この白鳩舎の発見で何か進展があるかもしれない。
また何かわかればアップする予定。あとブランドのロゴマークやその他のマークは全て悪魔の影響を受けている可能性が高い事を最近知った。
このマーク自体がもともとオカルトのものだという説を聞いた・・・・・。
すなわちスポーツメーカーやすべての会社や企業にマークがあり、これは知る者だけが知る我々ゴミクソンズの制御下にある事を示している。というもの。
これはすごく当たっている気がしていて、他の情報と照らし合わせて今検証中だが
やればやるほど当たっている気がしている。とりあえずマークから離れる事を提言します。あとで害がないとわかれば戻ればいいだけだ。
昔からロゴには何か呪術的なカバラ的なものを感じていたのだが、まさかそこまでとは思いもしなかった。そこまであからさまにするとは考えもしなかった・・・・・・。
そうやって見ると身の回りやすべての事にオカルトだらかなのに気がつく。
オカルト(魔術・呪術)の物だらけに囲まれ、目に見えない影響にも囲まれている可能性があり、やはり出来るだけ今の文明から離れ、物も関わらず、お天道様だけを見て生きていったほうがいいような気がする。
今出回っているほとんどのものは、ロック音楽と同じでオカルトの悪い影響を受けたものばかりの気がしてきた。そうかタバコもか。ではやはり肉もダメではないのか?
麻薬と呪術(音楽も)のオカルトだろ、化学物質で汚染だらけの植物・動物・人間・地球。何か全ての音楽も怪しく思えてきた。前からクラシックは特にモーツアルトなどはフリーメーソンでクラシック音楽自体がメーソンがつくったという説がある。
昔から、クラシックを聞いて眠くなるのだが、案外これはサブリミナル効果ではないのだろうか?何か西洋楽器自体がオカルトのくびきでつくられている気がしてきた。
何か西洋のすべてのものがオカルトに汚染されているような気がしてならない。
このマークの件は必ず何かあると感じるので進展あればアップしやす。God=Dog アルファベット自体がオカルトの文字じゃねえのか?西洋文明からは一切離れないとダメなのかな・・・・・・。
そういえば車にもマークがあるな。考えたらなぜ全てにマークがあるのだろう。おかしいな。なくてもいいものもあるだろうに。マークのないものを探してみるが、なんかないみたいな気がするのだが・・・・。
マークは悪魔の刻印で(悪魔の所有物であるという印)、体にもBCGのあとがマークのように残っている?
スポーツの球にもなぜかマークがある、野球のボールにはないか・・・・。卓球やバレーボールにはあった気がする。マークがあるものはすべて連中の支配下にあるという暗号ではないのか?・・・・・・・。
Posted by plasman at 06:28 |Comments(0) |TrackBack(0) | ニュース , 陰謀 , いんちき | |
タバコ問題のつづき
JTはやっぱり巨悪の手先だったのか?
タバコ問題は思った以上に闇が多く、問題も大きい事がわかってきた。(今まで気がつかなかったか、洗脳・誘導されていてだまされていた?それはあなたも同じかもしれない・・・・・)
マスコミでは昔から、原発・天皇制問題・タバコ問題はタブーだったらしく、(原発とタバコ問題がそんなに大きなものとは今まで気がつかなかった・・・・・・。)テレビ局では営業広告宣伝部門以外に報道の幹部が圧力をかけてきたらしい。(やはり報道はくそだったのか!野球と並んでテレビ局でもどこでもでかい顔をしてきた部門は大体くその息がかかっているのが相場と来るなあ)
考えてみれば、地方自治体でもタバコ税は結構な収入源だし、それは財務省にも数兆円入る。また今まで気がつかなかった、未成年が買い易いようにわざわざ自動販売機を全国に何十万台と置いてあり、また夜中も24時間で売っていたとは・・・・。
外国ではそれがとっくに問題になっており、日本はなぜ撤去しないのか国際的な集まりではいつも非難されていたらしいのだが、そんな事は全然マスゴミが伝えないので今もこの日本の欧米に比べて異常なほどのタバコ問題に関しての停滞に関して
我々日本人はほとんど知らされていないのでは?
なぜいつも欧米に追随している属国日本がこのタバコ問題に関しては追随せず?
未だにタバコ消費大国のままなのか?それを考えた時他の情報とつながったものがある。
前から巨悪の疑惑があり、悪名高い厚生省より権限があると言われてきた財務省が浮かび上がる。
過去より何度もタバコ税のアップ法案が出てくる度に、タバコ族議員(こんなのもいたのか・・・代表格は自民党の津島何とからしいのだが)や財務省やJTが強力な圧力をかけて潰してきたというのは本当なのか?例えば、厚生省の諮問機関などで、タバコ何とか委員会だったか・・・。ここの結果が伏流煙はやはりガンの原因だとでると、たちまち圧力をかけ、訂正をしつこく迫り、それでもダメな時は委員を交代させるまでやっていたとか。
今ではもうはや確信しているのだが、外国で問題になったタバコの自動販売機が日本ではたいして問題にされていない、逆に擁護されている状況だけを見ても、
明らかに未成年にタバコを吸わせようとしているのは間違いなく、(特に24時間営業していた頃などは夜中に誘っているようなものである。今までは妙に便利で少しおかしいなとは思っていたが、まさかそこまで悪質だとは思わなかった。未成年層を汚染させるのが目的だったのなら、間違いなく巨悪の手先の組織であり、一般国民からしてみれば裏切り者の人類の敵である。いや人類だけではなく多くの生命体の敵だ)
また、タバコの値段が安いのも、高いと未成年が買わなくなるので、あの手この手で圧力をかけ、値上げさせないようにしてきた・・・・・・・。・・・・・・。悪魔め、死の商人め。
昔、夜中アメリカタバコだけが販売していて、JTは販売せず、これは明らかに誘導ではないかと思い、どうしても今吸いたければこのアメリカタバコでもいいやとなる。
だもので、フィリップモリスはやっぱりあくどいと、中に麻薬が入っているという噂は本当だなと思ったもので、JTには目が行かなかった。それよりマシだと思っていたが。
色々情報をつなぎ合わせてみると、なんとこの一見たいしたことのないタバコ問題・JT問題がこんなにも巨大なものだったのか気がついてきた。
昔の映画やテレビドラマなどを見てみたまえ!今でもあると思われるが、(これは欧米ではとっくになくなっているという)登場人物がプカプカタバコを吸うシーンがやたら多いのも多い。今見ると異常さがよくわかる。部屋中煙っているのが当たり前みたいに出てくる。今見ると異常さがわかる。
が、当時は洗脳や麻痺させられていて、それが当たり前だと大勢が操られていたと思う。今でもそういうままの者が多いのではないだろうか。
そういう意味では石原裕次郎も大勢の俳優も悪事に加担してきた、させられてきたのではないのか?
色々思い出すに、タバコが吸いやすい環境がものすごく多く作られていたと思う。
普通神社は禁煙なのに、靖国神社の2の鳥居までにはいくつもの灰皿がベンチ横においてあるし、親切に?タバコ屋前には屋外用灰皿が多くの店前に設置してあったし、タクシーには灰皿が必ずついてあり、これは一般の車に関してもそうだが、考えたらなぜか灰皿なしの車が売っていない?公共機関には必ず?(一部近距離線を除いて)灰皿が用意?されていた・・・・・・・。
タバコくらいとよく言うが、これも考えてみたら妙だ。何だそのファジーなあいまいな根拠のないものを誤魔化すような言い分は?また嗜好品というのもよく耳にしたが、
これも考えたら一方的で、体に入るのだから他の嗜好品とは別のはずで、食品としたっておかしくないのに、なぜか?食品というイメージが乏しく、その代わりに?嗜好品というささやきが悪魔のささやきが繰り返し繰り返し俺を洗脳・誘導してきた?
一概には信用しないが、タバコ嫌煙派の言う(医師や歯医者が多いので当方としては複雑なのだが・・・・。結局こういう事だと仮説する。歯医者・医者はくそが多いがもう一方のエリート?である財務省やJTの職員もくそが多いのだろう。要するにどっちもくそ。エリートのほとんどはくそで、裏のエリートも同じ。たまにお互いを攻撃しあう事もあるということではないのか)タバコ産業はJTも含めて死の商人だというのは段々そんな気がしてきた。それは暴露本と自分の過去を照らし合わせて、色々と気がつかなかった事に気がつき、それはどうも悪いほうへ誘導している、してきた可能性が高く、特にアメリカのタバコ産業などは訴訟で何十兆円もの賠償金を払っているらしいのだが、そんなに払ってもつぶれないとは一体どれだけぼろ儲けしているんだと思う。嫌煙派によれば、一箱原価数円のものが、百倍から数百倍の儲けがあるという。
日本の歯医者は一割くらいしかタバコを吸わないというが、それはタバコによる口内炎や歯がやられる、歯が抜けていくらしく、この事もなぜか我々一般国民には知らされていない。そういえば、俺はよく歯が抜けた。ずっと口内炎だし。
舌にカスがつくので食べ物がおいしく感じなくなる、味覚が鈍感になるらしく、そういえば随分長い間、食い物がうまいとあまり思った事がなく、これは子供の頃の抗生物質の薬漬けのせいだと思っていたのだが、ひょっとしたらタバコのせいかもしれないし、ひょっとしなくてもタバコのせいかもしれない。それなら財務省やJTのせいだし、自民党や社会党のせいだし、マスゴミや大学や歯医者や医者のせいだし、神のせいでもある。
要するに妙に今までの社会がタバコに関して、タバコを吸いやすいように、タバコにやさしい社会だったことに気がついた。これ変だろ。何でなんだ?
考えられるのは巨悪だ!!巨悪だ巨悪だゴミクソだ。ゴミクソ様のお通りだい!!
どいつもこいつもゴミクソ様の言う事は聞かねばならない。命が惜しいならな。
ではこの麻薬を売るのだ。子供に吸わせろ!イルミナティには知らせてあるから誰も吸わないぞ。人口削減だ。病人を作るのだ!薬を沢山買う病人をいっぱい作るのだ
薄らバカな東大生を使って麻薬を蔓延させるのじゃー。その為にはあらゆる機関を使って構わん!!文句をいうやつなどいないが、もしそんなやつが現れたらわしらに言うのだ。そういう者を黙らせるプロがいるのだ。そいつらにやらせよう。
どうせ大学出は幼い頃より洗脳されてあるバカばかりかへなちょこばかりだから、ちょっと圧力かけりゃすぐ黙るぜ!!ほら見てみろ!ああ本当だねパパ。
こいつらチョロイね。たまに例外がいるのだが、彼らは別格だ。彼らは死ぬ運命になるだろう。しかし大抵の大学出はへなちょこやウスらばかに洗脳誘導してあるから、その上命も惜しがるように洗脳してあるから問題ないんだ。
困るのは、大学や受験勉強で洗脳誘導されていない、気合の入ったしかもバカでない、連中なのだが、彼らが一番手ごわいのだが、幸いの所ほとんど人数がいないのだ。気合があるのはいっぱいいるが、その上騙されない、利用されにくい利口はほんと少ない!!彼ら同士まとまると厄介だが、何とか分断しておけばたいした脅威にはならないだろう。ようはへなちょこと薄らバカばかりに大勢をしておけばいいのだ。
え?もうなっています?そうか、それならいい。それなら心配いらん!
あとはこの世を良い所だと思わせれとけばいいのだ。あらゆる手段を使って。
イギリスのダヴィストック洗脳研究所に任せよう。
命の惜しいへなちょこと薄らバカばかりで我々も楽よのう!うへへへへへっ!!
かくしてこの世はこの地球世界はくそとバカばかりのゴミクソ世界のままなのであった。 づづく
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2009年06月27日
人の生き死にで儲ける薬産業医者坊主
人の生き死にで儲ける薬産業医者歯医者坊主、武器商人麻薬商人(タバコ産業もか)、墓石霊園葬儀屋。
前にロスチャイルドの犯罪シンジケートとして、
化学・石油・薬産業・金融・武器麻薬産業マスゴミ大学省庁政党暴力団日銀これらが、裏でつながっているんじゃねえのか書いたが、テレビで医者が出てデタラメばかりを言っているのを見て言いたくなったので言う。
もともとオカルト魔術錬金術をやっていた秘密結社の連中はその成果?その害毒を近代に化け学として化学として俺が知っている?限りドイツのヴァヴァリア地方だっけ?を中心に全世界に災いを広げてきた。
そう化学とはもともと出自の怪しい、
もともとは薬草などを色々配合して良薬をつくる秘法の悪い面だけを発展?させた悪魔の学問なのではないのか。
さすが悪魔の学問の効果かこの化学変化から、安く高価なものを生み出し(結局はだましなのだが・・・)
従ってあまり知られていないが、化学会社はぼろ儲けしやすい傾向にある。薬などいい例だろう。
この薬産業はもっと昔からロスチャイルドの支配下にあり、中世以来の王である?ロスチャイルドのくそゴミ領主のご下命として、この薬をバンバンつくってバンバン売るのだ!!出来なきゃ殺すぞと言われ?薬産業をはじめとする秘密結社(イルミナティも)はこれは何としても病人をつくらなければ薬が売れないぞと考え、何としてもヨーロッパであるいはアメリカでまた世界で病人を常に作る為に動き出す。
あるいは悪魔の為に(ゴミクソルシパー)、絶えず悪行を積まないと生きて行けないイルミナティは、儲けと悪行が両立出来るいい方法が(一石二鳥や一石三鳥)絶えず病気を作り出して、薬が売れるよう医者や歯医者を使って誘導し(大学やマスコミも)、
病気と戦争と事故・犯罪などの怪我で薬が売れる!!
毒を飲ませて汚染するのだバカにするのだ。
ゴミクソ様の為に神がつくった?すべてのものを台無しにするのだ。破壊するのだ。そうすれば、神は望みを叶えてくれないが、このゴミクソ様はなぜか叶える力を持っているらしい。ではこの際頼ろうではないか。しかしこのゴミクソはそんな甘いものではない。
利用するつもりが利用され操られ、いつの間にやら見返りもないのに悪行の毎日。そして利用されたらあっさりと処分される。世界の王?のロスチャイルドがゴミクソを拝んでゴミクソのいいように操られている?
余談だがある黒魔術をやっていた日本の女性がゴミクソの手先であるある魔術師にオカルト魔術をかけられ抜け出せないと後悔していたが、オカルトには注意しなければならない。場合によっては何らかの効果があると思われる。俺の独断では条件付だと思うのだが。
ひとつわかっているのはオカルトと恐怖は(恐怖心)何か絶対関連していると思われる。あと最近そうではないかと考えているのは、オカルトや魔術師や魔女は性儀式と深い切っても切れない関係で、乱交や少女・処女性交などをよくやるらしいが、性エネルギーも何か関係している可能性がある。
鬼塚五十一氏によると、エロイ感情は暗黒球を高め、
黒木瞳やその他の女性を使って(特にテレビ)、暗黒球を高めていて、それがオカルトの力の源の一つだという。(恐怖と憎しみと並んで?)
人の生き死にで儲けている、生活している仕事は多く、また、今調査研究中なのだが、肉食などの動物の生き死にで儲ける産業も悪魔のゴミクソンズの手先ではないかと疑ってはいるが、可能性は高いのだが、いまいちはっきりしない。
ほぼ間違いないだろうとは思うのだが、明治以来の肉食・牛乳推進は絶対に?この巨悪のゴミクソンズの差し金ではないかと考えている。
意外なのだが、中世以前まではヨーロッパの白人の一般人は(まあ貧乏人)豆のスープなど今では想像もつかないくらい質素な食生活をしており、(熊は食べないのだがいじめて楽しんではいたらしいが・・・熊いじめが祭りの常連だったらしい)どうも考えるにユダヤかイルミナティが肉食を白人に押し付けたらしい。
考えてみれば神の反逆者であるルシクルクルパーは被造物同士が共食いをするのを喜んでいるのではないか
食べられる動物にとってはこの世は地獄と化し、食べる人間にもおそらく幾十にも害があるのだろう。
環境により、魚だけとか肉だけとか(植物が育ちにくい場所など)しか食べられない場合は別だが、なぜ他に食べ物があるのに、わざわざ肉や魚をしこたま食べないといけないのだろうか?(乳製品など他の動物性食品も)
調べれば調べるほどこの西洋文明がことごとく間違いだらけで、その訳はこれらを主導誘導してきた存在がロクでなしのイルミナティやロスチャイルドのゴミクソンズであり、彼らは揃いも揃って人間ではない、神でもない存在に忠誠を尽くし操られてきた?からだ。
牛乳は体に悪い?肉食も間違いで、(魚はまだわからん。おそらくは同じだと思うのだが・・・)
多くの仕事も多かれ少なかれ悪事に連動しており、
政府や権力は巨悪の手先。何だコリャ?
エリートや裏のエリートは愚かなあやつり人形だし、
神の使徒であるはずの坊主や神主がウソばかり平気でつき騙して儲けてきた。
一般大衆はどうかというと毒を飲まされ吸わされ食べさせられて、その上自然と切り離されて、生まれてからすぐ洗脳・誘導・操作され家畜人間になっている。
イルミナティはウソしか言わないポリシーらしいのだが、これは明らかに神に背を向けこの世を台無しにしてやろうとの魂胆がミエミエである。
当方は4年前からベジタリアンを実践(実験)しているのだが、正確にはヴィーガンと言って、肉・魚だけではなく卵・乳製品・など一切の動物性のものを食べない。またアミノ酸・酵母エキスなどの調味料も一切とらないかほとんどとらない。(表示していないだけで入っている可能性がどこにもある)
まだ実験中でなんともいえないが、一つ言えるのは
このベジタリアン・ヴィーガン対策を巨悪は考えており(あるいはこの現象自体が巨悪が誘導したのかもしれないが・・・)、したがって、植物性で栄養を採ろうとした場合栄養があればあるほど罠が仕掛けられている可能性が高く、私は大豆で失敗したのではないかと考えており、当初肉魚のかわりに大豆ばっかり食っていた。納豆やがんもどきなど。
しかしなんか体調がおかしいと感じた頃、遺伝子組み換え大豆が必ず数パーセント入っているのを知って、
また輸入品がほとんどなので、肥料や農薬やポストハーベストなど危険な化学物質の事もあり、今ではほとんど食べていない。(たまにしか)
しかし豆をやめてから筋肉がなくなってきた気のせいかもしれないが・・・・。
ミネラルは自然塩や青汁などで不安があり、最初そのうち骨粗しょう症になり、骨がそのうち折れるんじゃねえかと思いながら打撃の練習をしているが、不思議なことに、あるいは今までの常識がデタラメだったのか、折れそうもないし、鍛えれば強くなる。
筋肉は少し気になるが・・・・・。
外食や加工・調理してあるものは一切食べない。
何が入っているか、どこの国のが偽装してあるのかわからないからだ。
日本はほんと化学物質に関しては料理人も先生もほとんどの国民はほんとみごとなぐらい何も知らないし興味がないみたいで、気味が悪い。洗脳されているようだ。
日本の農薬使用量は世界一のアメリカをもしのぐ!!
薬の種類も無駄に?世界的にも多い。
農薬・薬・化学物質垂れ流し大国なのをご存知か?
土地は化学(なぜか化成と言う)肥料・農薬漬けだし
人間・家畜動物は薬漬けだし、化学物質の管理も一部をのぞいてずさんないい加減なんだよ実態は!
絶対に?薬産業のカモにされているな日本人は!!
無理から肉を食わされ、子牛の栄養源を無理から飲まされ、毒を食わされ麻薬を吸わされ?(タバコ?)
世界一働らかされ、設備のいい拘置所と変わらんワンルームがあふれ、幽霊になぜか日本人は弱いがこれなんかも洗脳・誘導の成果なのだろう。
恐怖心と嫉妬心と憎しみとエロイ感情を多発し暗黒球を高め、彼らオカルティストにエネルギーを恵んでやっている、いや搾り取られているのではないのか?
この農薬・薬・化学物質 日本はひどい問題は当方だけではなく本来なら国民が真っ先に学ばなければならない最重要事項ではないのか。生きていく上で騙されない為にも、くだらん数式より先に覚えておく事であるよ。民法や刑法や詐欺師(ペテン)の研究と陰謀の研究と共にくだらん受験勉強より先にやるべき肝心な勉強、必須知識であると考えているし、
関係機関にもそう提案してきたが・・・・・。
この肉食問題にはきっと裏がある。
これも巨悪がつながっていると考えているが、
トップシークレットなのか情報がほんと少ない。
オカルトに関する限り、執拗に隠蔽してあるみたいだ
ユダヤ問題に詳しい者でもこのオカルトに関してはほんと詳しい者が少なく、我々人類はほんと何なんだ。
何でこんなゴミに翻弄されなくてはならないのだ?
バカバカしい。くだらねえ。アホくさ。
アホくさい所に生まれてきてしまったのはなぜなんだろうか?未だにわからない。ゴミのエサになる為か。
それともゴミを何とかする為か?誰かやってくれ!!
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タバコ問題のその後と牛乳は危険?あとイルミナティも
「悪魔のマーケティング」と「子供たちにタバコの真実を」と「タバコは百害あって一利なしのウソ」の3冊をほぼ読み終わったが、結局タバコの成分はタバコ会社が隠蔽している為わからずじまいみたいだ。
フィリップモリスやイギリスのタバコ会社のBATの暴露メモ?には色々さもありなんという事が書かれてあった。
例えば、未成年者になるだけ吸わせようとしており、宣伝や広告などは密かに未成年者に向けた宣伝だったとか。何十年も前から莫大な金をかけて(累計数百億円も)マーケティングに力を入れ、外国やアメリカの各州の消費者(タバコ会社幹部のメモが本物なら彼らはタバコを吸う消費者など客とも思っていないし、カモかメシの種ぐらいにしか考えていない)の徹底したマーケティングを行い、恐ろしいくらい(まるで諜報機関なみに消費者の動向を把握していた)知り尽くしており、なるほどそれで効果的な販促が出来たわけか
自分に置き換えると、昔まんまとその死の商人の誘導に踊らされ、キャメルマイルドを吸っていたのを思い出し、これは案外本当の事かもしれないぞと思った。
マルボロキャンペーンは成功し、俺はなぜかマルボロはほとんど吸わなかったが、まわりの洒落た?連中は大勢が当時マルボロを吸っていた事を思い出し、
また、水商売の女を中心に当時女性がバージニアスリムをよく吸っていたのも、マーケティングやキャンペーンの効果だと思うと、何だかみんな踊らされていたのかとさみしい気分になった。確かに昔、ディスコなどで、無料のタバコをよく配っていたのを思い出し、あれも低年齢層の特に女性にわざとタバコを吸わせる為にやっていたのかと思うと、なんちゅうモラルも倫理も何もない連中なのかと、儲けだけのまるで死の商人に思えてきた。おそらくその通りなのだと思う。
日本のJTはどうかと思うと、アメリカ・イギリスに右へならえで来ているし、マーケティングに関してはJTも相当やっていたくさく(この本にはJTの暴露はほとんどなかった)、昔のテレビドラマや映画などで、改めて見ると執拗にカッコよく?タバコを吸うシーンが多いのをかんがみても、JTも間違いなくクロだと思った。
また、あの証言が本当なら、(アメリカのタバコ農家)アメリカ・イギリスでは使わないタバコの葉っぱのくず部分をJT用に出荷していたそうで、この部分では悪名高いアメリカ・イギリスのタバコ会社以上にJTはひどいと言わざるをえない!
もとJTの販促マーケティング部長が書いた本も読んだが、これはデタラメだと思った。
まず、悪魔のマーケティングで暴露してしまった、タバコ会社のセオリー通り、タバコの害については出来るだけごまかせと、証拠を出せと言えと、他の食品とかのほうがひどいとそちらに誤魔化して目をそらさせろというセオリー通りなので、金返せと思い、
また、ここが肝心なのだが、安全なタバコ、健康にいい、害のほとんどないタバコが消費者の要望が多い事を知っていながら(JTも)、しかも、やろうと思えば出来ない事ではないにも関わらず、やらないし、その言い訳として、光があれば影がある。害があるから良い事もあるのだという完全な誤魔化しを読むに至っては、こいつはなめ腐ってんのか、それとも脳をとっくにコントロールされていて、完全におかしくなっているなと頭にきたのであった。
俺の情報をつなげてみるとこういうことだ。
タバコ会社は死の商人であり、はじめから社会や世界に害毒を撒き散らすために活動をはじめたものであり
、つまり、フリーメーソン・イルミナティにつながる悪魔組織の一部であり、なるほどJTも財務省がやっており、銀行など(日銀も)ロスチャイルド銀行の日本支店なので、金融と麻薬、死の商人がつながる。
すなわち、害の少ないタバコはつくらないのではなくて、作れないのだ。作ればご主人様の逆鱗に触れ、
会社自体が潰されてしまうだろう。
俺の理論?であるこの世界で沢山儲ける為には悪行を積まないとダメだという理論に照らせば、タバコ会社はどこも莫大な収益を得てきた事をかんがみれば、
もう限りなくクロだと考えるしかあるまい。
つまり、ロスチャイルドやイルミナティにつながる
ゴミクソンズの一員であると。それならば、我々に益が多いはずもなく、従って害ばかりが多いというのはほぼ当たっているのではないかと考える。
沢山のタバコ中毒患者を診て来たという医者の書いた本子供たちにタバコの真実をの言っている事のほうが、まだ当たっているのではないかと考える。
ただ、こちらも少しかかなりオーバーに害を訴えているふしもあるが、タバコ会社はJTも含めて、巨悪であるとしている点はおそらくあっており、特に未成年に吸わせようとしてきた点についてはもう間違いはないと考えており、このJTも全く信用のならない、あるいはそれどころではなく、まだはっきりしていないだけで、我々国民の敵である可能性の方が強いと考える。
創価学会と似ていて、政府自民党も巻き込んで、タバコ税で全国に分け前を与え、タバコ擁護する法律まで作らせた。こいつらはこの点では完全に巨悪であり、
そうやって見てみると自分を含めて何と大勢の日本人がこいつらに踊らされてきた事かと思う。
今も気がつかず?このゴミクソどもに踊らされて、
こいつらのフトコロを潤わすのに貢献しているかと思うと、俺はもう随分前からだが、外国のタバコやJTのタバコは吸うまいとしてきたが(唯一インディアンが作ったスモーキングジョーしか吸わない。アメリカやイギリスや日本の大手タバコ会社ではなく、ほんと小さな会社が製造の、日本では小さな会社が輸入している無農薬?インディアンのニセ者はアメリカンスピリッツでこちらはどこでも売っておりいんちき?なので気をつけて下さいとの事だ。一部のタバコ専門店でしか売っていない。いいか悪いかわからないが、そこらへんにあるものはクソばかりだと言うのが俺の持論。しかし、滅多にないからといっていいとは限らないので、あとは自分で骨折って調べましょう)
結論としては、タバコの成分はまだはっきりしない。
従って、なかには体にいい?あるいは何か有効な効果があるかもしれないが、害があるのはおおありだと思うし、まずこの作っている連中が巨悪の手先の可能性が高く、昨今の嫌煙キャンペーンなどを考えるに、
一概には否定出来ないが、今の所の成果としては、
このタバコ会社は信用ならない、(JTも)したがってそんな所から買うのはぞっとするという結論です。
まずこの会社に(JT)メスを入れて、ちゃんと検査をさせ、成分もはっきりさせ、どこの葉っぱかも栽培方法もその詳細もはっきりさせ、今あるタバコ事業法を改正させ(一方的にタバコ会社に有利だ)、全国や国がもらっているおこぼれを、タバコ税金を見直すべきだし、それからでないとこんな何が入っているかわかったもんじゃない、悪魔の手先のような会社のものを買う事は出来ない!!
この問題は創価学会がマスコミを操作している問題と同じで、タバコ死の商人が莫大な儲けや税金で全国を操作している問題で大きな問題である事がわかった。
ポロニウム一つはっきりしない会社や政府など信用するのはバカだけだろう。
とても安心して?吸う気になどならない。
また何かわかればアップするが、水道水ともどもこのタバコ問題は慎重にすべきであると報告します。
ところでなぜか安く?牛乳には危険がいっぱい?という本が手に入り読んでいるが、牛乳の糖分を分解するのが、白人には赤ちゃん以外でも大勢が出来るのに、他の有色人種は大勢が赤ちゃんの時だけで、乳糖不耐症というらしいが、それが本当なら、その事だけでも、牛乳は飲むべきではないと考えた。
不思議なのはなぜ白人だけは、通常赤ちゃんの時だけ活性化するラクターゼが、赤ちゃん時以外でも8割9割の人が耐性を持っているのか?なぜなんだ?
またこの本では、牛乳だけではなく乳製品も意味がないばかりではなく、危険が多いという。
いくら飲んでもカルシウム他栄養分は吸収されない。
それはラクターゼなどが欠如しており、栄養素を分解してはじめて吸収されるのであって、栄養にならずに危険な毒だけが体中を巡っている可能性を述べている
これはタバコと同じで、なんか似ているなと思った。
どちらも宣伝や洗脳?誘導が効いていて、全く疑問が出てこないのも考えてみたら不思議だ。
牛乳は体にいい。カルシウムをよく採れる。
しかしこれがもしウソで、デタラメだったなら・・。
そういう理由が書いてある。まだ半分しか読んでいないので、何かわかればアップしやす。
あそういえば言い忘れたが、タバコのライトはいんちきで、フィルターに空気穴が開いている為、沢山吸えず、ただそれだけで、中味は同じだと。
これは知らなかった。タバコの葉が違うのかと思っていたが、穴が空いているだけだそうです。
要するに誤魔化しだと。特にタバコをやめようとしている喫煙者にこれならいいんじゃないと誘導しており
そういう姑息な手段を色々やってきているのがJTだと
考えてみればこのJTこそ、官僚の天下りの会社の最たるものではないのか?財務省が今も役員の人事を握っており、法律成立やタバコ税で全国まで支配?している事をもっと深く考えるべきである。
警察などで収入印紙(証紙だっけ?免許の手数料などを切手のようなので払うやつ)を買うと勝手に説明もなく、警察キャリアの天下り団体である交通安全協会に数パーセントの手数料が行くのをみな知らんだろう
俺は知っていていやなので、このくそ団体にびた一文払う気はないので、あえて別の場所で買う事にしているのだが(行政書士他)、これも考えてみるとおかしい。
全国の警察署でこの印紙(証紙?)を委託しているのはなぜか交通安全協会だけで、何と警察署の一角にスペースまで確保されている。これ癒着だろ!!
その事を苦情を言ったら、なぜか現役の警察官が出て来て話を聞くという。何で委託している団体の苦情を警察官が聞くのかと問い詰めたが、ばつの悪そうにそこはあまり突っ込まんでくれないかと猫なで声を出す始末。どこも安全協会の職員?は少なく、これで本当に委託を受けているのか?OBが委託を受け(交通安全協会が)それを現役の警察官に丸投げしているんじゃねえだろうな?と聞くと、そんな事はないと言うが、
じゃあなぜこのフロアの一角にこの団体用にスペースがあるのか?なぜ他の団体のスペースがないのか?
委託するのは他の団体でもいいのではないのか?
癒着ではないのか?と聞いた所、もう勘弁してくれよとお得意のなだめに入った。
ただ感じでは現場の警察官でもおかしいと思っている者もいるのかなと感じた。ただ表立って言えないのはどこの公務員でもサラリーマンでも同じだなと思った
皆さん!収入印紙は警察以外で交通安全協会に手数料が入らない所で買いましょう。
国民を人を人とも思わないのが多いキャリアに貢献するのはやめましょう。バカらしいだけでなく、自分の首を絞めるだけではなく、子孫の首まで絞めるはめになる可能性が高いのですよ!!!
長くなってしまったので、モナークスレイブの(イルミナティがどうやって洗脳をするかの本)感想は次回にします。前回から大してびっくりするような内容はありませんでした。人格操作のこまごまとした詳細が淡々と書いてあるだけです。
Posted by plasman at 08:48 |Comments(0) |TrackBack(0) | 陰謀 , ニュース , 政治 | |
2009年06月23日
電磁波その他による人間・気象コントロール問題
タバコ問題は未だにわからないが、様々な被害にあっている、攻撃にあっている人の話を聞いて、ブログを見てどうしても伝えておきたい、言っておきたくなったので伝えます。
まだ確証もなく、また問題が大きいので無駄に巻き込まない為に控えていた重要問題なのですが・・・・。
まず創価学会の正体はくそであり、いんちき組織であり、巨悪がつくり、利用されているに過ぎない巨悪の奴隷集団の一つに過ぎない事は明白な事実です。
傀儡政権の自民党と同じ。つまり日本の一般国民は巨悪の奴隷の奴隷になってきた、なっている訳です。
右翼も左翼もエリートも裏のエリートも成金もみんな巨悪に操られている奴隷なんですよ。いいように利用されている、利用されてきた愚か者の集団なんです。
組織に利用されている愚か者は自分こそはまともであって他の組織、特に対立する組織に入っている者をバカだと思う傾向があるようですが、そう思うならあなたも同じです。
そういう私も完全に巨悪の奴隷の奴隷であり、たくさんの洗脳の影響を受け、今もまだ多くの洗脳の影響を受け、ゴミクソの権力者達にいいように運命を決められています。正しい正義感という強力な洗脳が今も解けず、悪戦苦闘しています。
しかしそれはこれを見ているあなたも同じで、一般の日本人なら多少程度の差こそあれほとんど洗脳・誘導・操作されてきた、今もされている操り人形なのです。
自分の価値観に疑いを持たず、自分はまともで相手はバカである。間違っていると思う傾向が強い人ほど、洗脳度が強い、強力に洗脳されている可能性が高い!
電磁波で脳を操作する、コントロールする問題を5年くらい前からやり始めたが、未だに証拠ひとつつかめない。(わずかな小さな証拠はあるがこれではどうにもならん)
しかし知識は増え、この電磁波による脳コントロールは最近だけではなく、もっと昔から行われてきた(実験されてきた)らしい。
今も内臓と集中力や記憶力を攻撃され、散文みたくなってしまっているが、この電磁波による(それだけではなく他のやり方もあるのだが。例えば化学物質。これはソ連など共産国が好んでやっていたらしい)人間操作、主に脳・神経・筋肉操作はこの日本でも1970年代でも一部でやっていたふしがある。
MKウルトラというアメリカの軍(CIA)のプロジェクトでは、もっと昔から1950年代から?やっていたらしく(ナチスの研究していた電磁波兵器や音波兵器を進めた)
色々情報をつなげてみると、高度経済発展が始まる前から勝手に日本人に電磁波操作を実験していたのではないのか?
化学物質を垂れ流し(味の素などがはやった頃)、薬害などでそのデータを大学病院でとり、研究の基とし、細菌兵器の実験データもこれまた回収し、日本人はまさにモルモット状態で、その上きつく洗脳され、
または味の素やタバコやその他の食品に含まれる化学物質などで洗脳されやすくされ、まさに家畜人間にされてきた。今もされている。
すなわち電磁波でコントロールされる前から、化学物質や恐怖を利用したオカルトなどできつく洗脳されていた。されてきた。その上電磁波での操作もだんだんわかってくると実用しはじめた。
俺が中学生や高校生の時の校内暴力などが日本中を荒れ狂った?時があったが、あれも考えてみればおかしな電磁波を浴びせて、ただでさえ化学物質と映画やテレビ誘導・洗脳(サブリミナル洗脳・テレビの番組の1コマと1コマの間に光や音楽や文字・音声などで暗示効果など)でおかしくなっている日本人にさらにひどい実験をしやがったんじゃないのだろうか!
もう何年も前から(はっきりそう思ったのは2年前)大勢の日本人が細かい動きまでコントロールされている、おそらく電磁波によるものだと思うのだが、それに化学物質や超能力などオカルトも加わり(魔術)、
おそらく大勢を操作するのだから、コンピュータを使って電磁波で操作していると思われるのだが、
それか、それぞれの脳にこれからやるべきことをすべてプログラムしておき、例えば偽の記憶みたいな感じで覚えさせておけば、ああ明日はあれをやらなきゃとなり、疑問すらおきないだろう。
これを何年分か死ぬまでかの分をセットしておけば、
いちいちコンピュータで衛星などをつかって電磁波でリアルタイムに操作する必要はなくなる。
しかし、このプログラムを狂わす事態があれば、やはりリアルタイムで操作せざるを得なくなるだろう。
つまり、一人残らずこのプログラムをセット出来れば、またそれが解けないように出来れば、あとは放っておいても、勝手にやり続けるのである。
しかし、一人でも邪魔する者がいれば、特に外に出てくれば(家に閉じこもっていればたいして影響は少ない)、いちいち修正しなければならず(しかし今では高速であっと言うまにだろうが)、このバグのようなウイルスのようなコントロール出来ない人間がわずかにいる為、少なくともここに一人いる。
巨悪が100パーセント勝ったわけではない!
しかしほとんど99.9%くらいはもうすでに勝っているのではないのか?
92パーセントくらいかもしれないが・・・・。
被害者にとっては敵だと思っている、思わせている人や組織や団体をクローズアップさせ、さもそこだけ加害者であると思い込ませる、というよりも、そういう者だけを近づけさせて嫌がらせなどをさせるから、当然被害者は彼らが加害者だと思うだろう。
しかーし、もうちょっと調べてみてくれ!!!
おかしくなって操作されているのはその人だけではなく、その団体だけではなく、俺の言うほとんどの人間が日本人だけではなく、世界中の人間が操作されている可能性が高い!!ということを!!動物も気象も。
例えば創価学会は会員数も多いし、昔からきちがいみたいなのも多いから、うってつけなのだろうが、
彼ら下っ端の会員が信者が自分の意思で大きな野望を持ち、あるいは野望など持たなくても上から言われるままに執拗な嫌がらせを数年間や数十年間もやる意味とは何だ?
考えられるのは軍隊組織と同じでサラリーマンと同じで上からの命令には逆らえないのでやっている?
こういう場合もあるだろうが、色々顧みるにそれならいくつかの裏切り者など告発者がもっと出てもおかしくないだろうし(数が多い為)、
俺の独断でこれまたあっているかわからないのでムッとくるかもしれないが、考えられるのは、大勢が洗脳がきつくされていて(オウム信者の一部のように)、
なかなか洗脳がとけない状態とか、いやそれよりも
電磁波その他で脳や神経や筋肉などを細かいところまでコントロールされていると考えたほうがしっくり来る。
なぜタイミングよく現れるのか、大勢が手間ヒマのかかる行動をサッと出来るのか。
コンピュータで電磁波で操作しているから、それも創価学会だけではなく、ほとんどの日本人を操作・コントロールしているから、となぜそう考えられないのか?
それを全部創価の関係者だとする決め付ける証拠でもあるのだろうか?
たしかに全員が操作されているのだから、創価学会の連中も当然利用されるわな。
しかし、冷静になって考えてみれば、まわりの近所のあるいは近所以外でも遠くに行っても、大勢が変なのは、そんなチャチな仕掛けではなく、そんな命令系統で動いているなら、よっぽど洗脳がきつくなければ、裏切り者がもっと多く(創価学会は何百万人もいる。人口の一割だという学会員もいる。ちなみに昔私は友達の知り合いの学会員に池田会長の悪口を言っていたら、いつも人のいいその学会員が急に険しい表情になり、人が変わったようになったのを見て、ああこれは完全に洗脳されているなと思った。10年位前の話。またおととしぐらいに創価学会本部や千葉県の支部にゴミくそ池田会長を批判するまた組織自体を批判する苦情の電話を何回か入れたし、去年の今頃に創価学会が永田議員を名誉毀損で訴えたと聞き、頭に来て抗議しに千葉県の大きな支部に文句を言いに行ったが、警戒厳重で担当者が日を改めて会うというから戻って待っていたが何の連絡もない。結局文句の電話を言ってそれきりなのだが、別にそれ以降被害が何か増えたとかはない。つまり俺の場合は創価学会ともめても変化はないという事。10年前などは学会のかなりの幹部が来てその幹部に散々池田も含めた批判を言ったので、本来ならそれから学会による攻撃が始まるはずではないのか?
その時に一緒に来ていた一人にはこいつは完全におかしい、洗脳されているなという者もいたし、この幹部も全部ではないだろうが、人のいい?理性的な所があった。だが、おかしな部分もあった。俺が言いたいのは、少なくともこの幹部や友達の知り合いや前に引越し屋を何年かしていた時に沢山の創価学会員の引越しをやったが皆一部おかしな部分はあった。組織や会長に対する部分は。が、その他は中には人のいい人も結構いて、同僚はそうやって折伏するんだよと言っていたが、俺には他の引越しの客よりよっぽどいい人間に思えた。他のくだらないやつらに限って大きな金のかかった住宅に移り、人のよさそうな家族に限ってせまい古い遠くの住宅に移っていく傾向に思えた。その点では創価学会員は確かに裕福なほうが多く、怪しいといえばあやしいのだが、俺が病気を無理してやっていた時に本心から心底心配してくれる人が多かったのも事実だ。だまされていなければ。俺が思ったのはその当時顔色悪くやっていた時もあるのだが、それを客で心配してくれる人は少なく、年寄りや田舎の人の方が心配やお茶を出してくれたりとか暖かく、学会員も。その他の千葉県人は得に新築の家などに移る連中などはひどいのが多かったので、俺は学会員よりも千葉県の一般の人間の方が何でこんなにおかしなやつらが多いんだ?と感じていたし、今もそうだ。(今は千葉だけではない!何年か前からは千葉だけではなく日本全国に広がった?)ちなみに、昔都内の知り合いが多かった時にたまに千葉の家に遊びに来たのだが、皆そろって言うのは千葉は変なのが多いよなという事で俺も同感だった。つまり、今から思えばおそらく千葉で電磁波兵器の実験を何かしていたふしがある。配送でよく木更津のほうへ行くと暴風が吹き荒れていた時が多かった。また海上の沖のほうへ行く自衛隊のヘリコプターだと思われるのだがそれが沢山10機から20機くらいよく見かけたので何だと思っていた。つまり、千葉が変なのは創価学会員だけではなくて、一般人も前からおかしくされていた可能性が高い!!西日本でも昔から何か実験が行われていた可能性が高く、今も。前に洗脳されている人間はさらに洗脳や操作しやすいという事を聞いたことがある。学会員はそれで利用されているのではないのか?まあ大幹部はわからないが・・・下っ端は。)
出てもおかしくないのだが、なぜか少ない。
結局、洗脳度が強力なのか、それとも俺がいうようにそれ以上に電磁波とコンピュータで操られており、
もうはや裏切ることも出来ないようになっているのではないのか!
右翼もおかしくなっておるし、左翼もまたしかり。
政治家も公務員もマスコミも医者も歯医者もしかり。
近所の人もしかり、俺も一部記憶力が悪くなってきており、また集中力もものすごくなくなってきているし、また自分でも気がつかない部分が操作されていてもおかしくない!!
またこれを見ているあなたも同じですよ!!!
自分だけは違うと思うのなら、去年までの私と同じできっとやられていますよ。全部とはいいませんが。
自分で思っている以上にね。
この意見を忘れないで、あなただけでも、哀れな敵の手先である連中の事を少しでいいから考えてくれ!!
これは自分がやられて人の痛みがわかると信じているあなたがたに向けたメッセージです。
言いたくても言えない彼らに代わって、あなたがただけでもそういう可能性がある事に気がついて、
本当の敵は近くの操り人形ではなく、操っているゴミクソであると気がついて欲しい。
特に宗教の信者など大体みな精神的や肉体的に弱いものが多く、かれらをよく見たまえ!!
か弱い彼らが我々の真の敵なのか?
本当に彼ら下っ端が下っ端だけが我々や子孫の敵なのか?
彼らの多くがどうして好き好んで、巨悪の手先になるだろうか?
俺の知識では人のいい行動力のある者に限って正反対のほうに利用される傾向が強い。
それほどかれら支配者の罠は執拗に張り巡らされており、かつ強力なのだ。
犠牲者同士、被害者同士、奴隷同士、噛み合わされるのは、
戦争でも同じで、まだそんな愚かな罠に利用されたまま気がつかないのか?
そんなにバカなのか、それともコントロールされていて自分ではどうにも出来ないのか。やる気がしないように操作されているにも関わらず、自分では気がつかない。それは去年までの俺もそうだった・・・。
自分だけはまともだと思い、彼らが操作されている可能性を知っていながら、彼らを責め続けた。
残念ながら俺の心は閉じており、彼らの心の叫びが聞こえないのだが、忌野清志郎には何か聞こえたらしく悲しい嘘に聞こえたそうだ・・・。
苦しい目にあっているからこそそういう人にあえて言いたい!!
共に大きな人間になろうではないか!
小さくまとまったエネルギーの少ない、盆栽人間ではなく、何百年もの寿命を持った鳥や虫や動物が宿れる大きな巨木人間に(当然器もでかい。度量も)なろうよ!!俺は何年も前から努力しているが難しい・・。
心がなかなか開かない俺よりも誰か彼らの心の叫びを本当の声を聞いて教えてくれないか・・・・。
俺もわずかには感じる時がある。
それは悲しい風が通り抜けるようだ。
でもはっきりとはわからない。
その洗脳されている学会員の者も根はそんなたいした人物じゃない。どこにでもと言ったらあれかもしれないが、所々ひとのいい所と捻じ曲がった所があるごく一般的な人間(日本人)だ。
その彼が洗脳され利用され、巨悪の為にせっせと悪事にいそしみ、日本の社会を暗くし、子孫の未来を暗くするのに一役買ってきた、協力してきた。
本当の彼なら、いや本来の彼なら、本来の人間なら、自分や子孫の首を絞めるような事をしないと思う。
生まれ出た瞬間から、支配者である巨悪の影響が始まり、ちんけな盆栽人間へといや家畜人間へとつくられていく犠牲者であり、被害者であり、弱い存在なのだ
あなたも弱い存在だから、彼らの事をもっと思いやりを持って考えてやる事が出来ないのではないのか?
折角、お互い苦しい思いをしているのだから、
この際、いい機会だからこの苦しみをバネに大きな存在になろうではないか!
今までの盆栽人間なら、何を言うかそんな余裕はないわと反論しそうだが、たとえ死んでもその苦しみの間に立派だったことは決して消えはしない。
誰かは必ず見ているものだと思っている。
弱い者を愛し、巨悪を叩き潰すそんな存在になって欲しい。そんな存在に未来を担って欲しい。
俺は一人でも実践して行くからな。
今までの洗脳された器の小さな盆栽人間をやめて、
巨木人間になる。あるいは死ぬまでの間だけでもその努力をする事を去年かおととしに決めて、出来る範囲でやってきた。
しかし、洗脳度が強く、あるいは電磁波・化学物質操作度が強くなかなか器もでかくならない。短気もわずかずつしか治らない。(先々月も積もりに積もった嫌がらせが頭に来て、頭をかち割ってやろうと出かけたばかりだ・・・)
彼らの全員がいいとは思わないし、むしろ巨悪によってくだらない存在へとつくられたと思っている。
俺もそうだが、人間とは無力なものだ。
でもそれは今のままだという事だと思う。
盆栽のように誘導されてきたから、無力なのであって、巨木のようになれば、つまり本来の人間の姿になれば無力でなくなるかもしれない。無力のままかもしれないが・・・。少なくとも巨木は蹴飛ばしても微動だにしないのは確かだ。人間も何かは変わるはずだ。
長いことご拝読ありがとうございました。
矢野元公明党の黒い手帖は読もうと思います。
巨悪ににらまれていると言う事は、この盆栽人間・家畜人間だらけの世界でめずらしい、良い事だと思う。
あなたがたはただの被害者かもしれないし、ただの被害者ではないかもしれないのですよ。
それを決めるのはまだ自分で決めれるのなら、
あなたの運命が(ゴミが決めた)あなた自身の手で切り開かれるよう願っています。
今も窮地にある心ある者、誠ある者に、深い情けがある者に救いや加護の手が差し伸べられますように祈ります。これは普通しんどい事をあえてやりながら祈るのですが、そうしないと効かないと聞いて、ただ祈るだけでは効かないし、誠の奇跡も起きないと。
ただ、これを見た誰かでもやるようになれば嬉しいワイ。
絶対絶命になる者に俺と同じく救いの手を差し伸べて、苦しみ・悲しみ・痛みのどん底にいる者にはそれをやわらげ、やすらぎ・喜び・楽しみ・さわやかな風を与えて下さい。(心ある者、誠ある者、情け深い者に)
また、ゴミクソンズには愛ばかりではなく、苦しみや痛みや悲しみを与えてやって下さい。
そして、罰のあとには消滅を。あるいは我々が巨悪を消滅する為の助力を下さい。
どうか一人でも多く苦しい時にこの祈りを与えてくれる者が増えますように。
ちなみに僕は宗教は大嫌いです。(宗教も巨悪が作った)
神も嫌いですが、苦しんでいる者の事を考えると祈らずにはいられません。(毎日ではないが。時々))(宗教とは別に、特に物理学からこの宇宙の天体全てを動かしている存在がいるはずだと考え、この最初にエネルギーを出している存在が意思を持っている可能性が高く、またその意思の意味を考えるに生ある世界を生み出してかつ維持し続けているのはなぜなのかと、この存在が神ではないかと思っている。
信じているのとは違う!何もわからず、人から言われるままにろくにウラもとらず、調査もせず、信じている怠け者とは違うのだ。
(全部とは言わないが宗教の信者に多い)
雨と暗闇に浮かぶ希望通りをあなたに
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2009年06月13日
住宅ローンは悪魔の罠!金貸しを廃止せよ!!
今日ニュース?で住宅ローン破綻?問題を見て前から思っていた事がまとまったので書き記そうと思った。
20年から30年ローン(35年も)が当たり前みたいに宣伝されているが、これは前からおかしいと思っていた。
なぜなら外国の特にユダヤの研究をしていた昔(今もだが)ローンは年収の5倍程度が限界で、それもなるべくならしないほうがよく、せいぜい年収の3倍くらいまでが限界ではないか、
さらに住宅ローンなどでは(車も)購入金額の総額の半分以上を先に現金で払うべきで、なぜならもしもの時その財産が取り合いになった時(金貸しと)最低半分以上を所有していれば当然有利に交渉でき、
それに何にしても不動産を購入するのであるから、万が一の時やまたそうでない時でも自分のペースで処分出来なければ所有している事にならないではないか。
また欧米などの経済の歴史を見てみると、定期的に好景気と不景気(不況も)が何十年か周期で繰り返しており(十何年だが二・三十年だか忘れたので奥にある資料を探さないとはっきりしないので面倒くさいから各自で調べてくれ。
確か戦争が15年だか17,8年おきに起こっており、それに連動していたと記憶しているが最近ボケてきたのでわからん)、
従って、長期の20年~35年ローンを組めば必ず不景気や不況が一度や二度来ることは貸す側もわかってるはずであり、
(大学を出ていない俺でも知っているのだ。当然長期ローンのリスクを考えると不景気や不況を想定しないわけはない!なのになぜか貸すのである。おかしいだろ!!裏がある!おそらく焦げ付いても国が税金で国庫で補填補償してくれる密約があるのだろう)
じきに返済が困難になるのを想定していながら黙って貸しているのである!
悪魔の手先のロスチャイルドの支店である日本の銀行が善行をするはずもなく、俺の独断を言うと、まず結婚を奨励し手かせの重りをつけ、次に子供を奨励し足かせの重りをぶら下げさせ、これで支配者に逆らった時の人質や弱み(弱点・急所)でほぼ本格的に逆らうやつは滅多にいなくなり、念の為に首かせとしての住宅ローンでがんじがらめ!
返済に追われ支配者に逆らうどころかそれどころではなくなるだろう!バカどもめ。にひひひひっと高笑い
手かせ足かせが効かない時でもこの首かせは効果がでかい事だろう。巨額の借金を背負って平常心のままの者はあんまりいないことだろう。
このローンが返済するまでの間の何十年の間は支配者に逆らうことはむずかしいだろう。
また逆らった場合は手先である銀行を使って脅しや報復を実行し、また洗脳プログラムしてある手かせ足かせである女房や子供を使って、お父さんやめてくれと脅しや報復を実行し、
(離婚もそのひとつだ。まず日本の女はトラブルを嫌うよう洗脳プログラムや誘導されているので我々巨悪の為に手かせ足かせの役割を果たす。その子供も母親の影響を強く受けて育つから母親に賛同するのが多い)
巨悪や支配者に逆らえば住宅ローンの報復と妻と子供からの報復がはじまる。
大勢が住宅ローンでそれどころではなくなれば、何十年かは巨悪も安心だし、やりたい放題やっても大丈夫だ!また、1・2回の不景気や不況で返済も長引く事もあるし、そうなればさらに何十年ものやりたい放題が延長出来る。
少し枝道にそれたが、何十年かのローンを組めば必然的に一度や二度の不況や不景気に出会い、場合によっては住宅を失い、結局だまされただけのシナリオになっているのではないのか。
ローン返済の間、重い手かせ足かせになり、さらに場合によっては言う事を聞かせる事も可能ではないか。
ローン(巨額借金)の罠に落とし、いくつかの効果があり、場合によっては不動産を没収して借金だけ残る仕打ちも出来る!!!
巨額の借金を背負って家族全員が(小さな子供も含めて)全く気にせず平常心で、場合によっては社会の不条理に断固立ち向かうファミリーはほとんどいないだろう・・・・・。
いいですか!手かせ首かせ足かせでがんじがらめ!!
ローンを組むなら総額の半分以上を先に現金で支払っておき、その処分の優先権を確保すべきだし、しなければ己の財産ではなく、ていのいいだましで、人の財産の為に支払っているようなものだ。
だいたい借金など悪魔の罠であり、すべきではなく、
どうしてもしなけばならないようはめられた時などはせいぜい年収の3倍までを限度額とすべきだ!!!
借りる期間も何十年もだと一度や二度不景気や不況が来るから、そんなに長くは無理で、せいぜいどんなに長くても5年くらいまでにすべきだし、5年でも長いくらいだ!!不況や不景気が来るかもしれんぞ(5年後でも)
公定歩合2パーセント以下は違法だと思うし、違法にすべきだと思う。
ただで国民から金を借りておいて、別の国民に貸すときは十何パーセントも金利を掠め取るとは、やはり悪魔のペテンの手先だな、銀行など金融どもは。
傀儡政府の自民党と銀行を使い悪魔の罠に誘導だい!
その為に手かせ足かせである女房や子供を使って住宅ローンへ誘導だい!!専用の勉強部屋が欲しいとか言うのだ親父に!
住宅ローンで罠に落としてがんじがらめでやりたい放題やってきた?日本の支配者達とバカな愚かな大衆達
仕事だけしていてはいかんのだ!
仕事だけしていては自分の家族すら守る事すら出来ないだろう。
肝心なことは頭が壊れてもやるべきなのであーる。
同人誌の「化け学」がやっと届き、ポロニウムのところを読んだが何だこりゃ。国立の研究者はやっぱりダメだな。前に書いてある以前の情報しか言っていない!おかしいだろ!
放射性同位体の210しか出てこず、それも割合が多い人工のほうは最低限しか記述なく、核処理や核廃棄物のことすら一切書いていない!!
非独立法人 放射線医学総合研究所のやつが書いてあったが、何だこいつは!!回し者か?さすが独立法人の従業員だ。わざわざ2ページだけの紙面に、なぜかタバコのポロニウムについて書いてあったが、なぜかJTの主張と同じことのみが記述されていた。金返せ!
薄っぺらいたいした情報もない雑誌が8百何十円もしたんだぜ。送料手数料を総額で1400円もした。
こんなバカな雑誌を高い?金を出して買って読んでいるやつらはバカだな。医学専門誌らしいが・・・・。
だから医者や歯医者は信用出来ないんだ・・・・。
普通なら専門的知識や経験からおかしい事を発見し、(たとえばこの雑誌のポロニウムのくだりとかで)
指摘する立場なのに、疑問すらおきないほど何の知識も経験もないとは・・・・。
そのくせプライドだけ高いとは・・・。きちがいじゃないか!!日本人はきちがいだらけみたいだ。(日本人だけではないが・・・。北朝鮮の国民と日本人は似ている。そっくりのようだ)
早速、この非独立法人になぜ放射性の同位体の他を無視したのか、故意にしたのか詰問・苦情言うが、おそらくのらりくらりかわすだけだろう。
今悪魔のマーケティングという本を読んでいるが、(これもポロニウムについて書いてあるらしい)
これも何かわかればアップする予定です。他にも3冊ほどタバコ関係の本を発注した。(わざわざJT側の書いた本までも)
ついでに日本の公安警察も読み始めたがおもしろいぞこれ。もうすぐモナークスレイブ(イルミナティの奴隷にされた人々。俺は全人類だと思うのだが・・・)の本が読み終わるがこれイルミナティに属していたシスコウィーラーさんの暴露本でなかなかおもしろいが、ところどころわからん部分がある。
なかなかインテリジェンス(くず情報ではなく価値ある真実の情報。新聞や雑誌には決して書いていないもの)が入手出来ないので、このモナークスレイブも果たしてインテリジェンスかくず情報かディスインフォメーションか(情報かく乱)わからんが要点のみアップする予定。
今のところではイルミナティにとらわれた子供は様々な拷問により、人格分裂をさせて、それぞれの人格を操り、性の奴隷の訓練も子供の頃よりはじめ、アメリカの裁判官やエスタブリッシュメント達(なぜか少女愛好家が多い。これもやつらの誘導・洗脳・操作の結果ではないか。女には食欲を増進洗脳誘導操作。男には性欲を増進洗脳誘導操作。権力者には少女愛好家を洗脳誘導操作しているのではないか。権力者に限らないが・・・)の相手をさせていたらしい。
これ本当ならほんとにひどい事をしやがるぜ、イルミナティは!これを読んでビビるやつは論外だし、ものすごく憤るやつは見所がある。万が一巨悪を倒すかもな。このゴミクソンズどもは必ず屠ってやらなけばいかんと再認識するはずだ。間違いなく人類の敵である
スカラー波の調査とオカルトの調査と平行しつつ、巨悪を叩き潰すための格闘技など体力づくりもやりつつ
(攻撃されている為わずかしか出来ないが。それも無理をしなければ何も出来ない。無理をしなければ散歩すら出来ないのだが)
しかし我々の誰かが、または次の世代の誰かがこのゴミをたたきつぶさなければならないだ。
我々はしんどい事に背を向けるわけにはいかないのだ
無駄な的外れな努力や(おもにほとんどの仕事)苦しみやしんどさがあるが、それを回避しつつ、誠が鬼に勝つために、誠の希望を呼び寄せる為にあえてしんどいほうに行く!大きな希望を開く為にあえて我々だけでもあえて(強制されてではなく)しんどいいばらの道を選ぼう。苦しんでいる者の為にあえて苦しみを味わおう。的外れでない苦しみやしんどさの先には何が待っている。誠の希望を探す為にしんどいものに向かっているのです。なぜかわからんがぺタはいりません
(今回は)
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2009年06月08日
ポロニウムを調査中だが法律も調査着手した
障防法(放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律)によると・・・。
第二十条の測定違反の可能性がある。(JTが)
また線源の規制で、年間1mSvを超える量は届出をしなければならず、検査も義務付けられているはずだが、このJTという会社?犯罪組織は?検査もしていないとの事でこの障防法違反で検察に告発した。
ついでにくじら肉をもらっていた水産庁の監督官も告発しておいた。
おみやげをもらっておいて仕事に影響がなかったとは考えにくい。
こちらも農水省と同じで、接待を受けおみやげをもらい、検査日時を知らせていた農水省と同じで、違反に目をつぶるとか、(くじらの取りすぎとか大きさ規制の違反とかその他儲けその他の為の操業違反に手心をくわえる)癒着していたと考えるが当然だろう。
くそせこい日本の大企業が見返りなしで高価な?物品を利害関係者に渡すはずもなかろう。
これは公務員倫理法違反に抵触し、その他業務上横領や背任罪や公文書偽造その他に抵触する可能性がある。
今放射能・放射線の規制する法律を調査中だが、あんまりないな。これまた。
この国ではいや世界では肝心な法律がない!!!
くだらない法律やあってはならない法律はあるが、肝心な法律がない!(たとえば国民主権法などあるいは国民の命や健康を守る法律が少ない)
一体自民党や公明党や社会党は何をやってきたんだ?
これらは本当に国民のためにあるのか?
巨悪のためにある気がしてならない。
厚生省が人工削減省だという説が本当のような気がしてきた。根拠も多少ある。
厚生省はもと内務省の生き残りと軍隊の秘密機関だった毒ガス研究の部隊石井231だか数字は忘れたさだかではないが、それらの幹部が戦後厚生省の幹部になり、また東大や京大の学長など大学のトップにも配属?された?GHQ(CIA)に?
特にこのもと毒ガス部隊の連中はアメリカの軍隊?に研究データ以外でも協力を惜しまず、すなわち薬害のデータをアメリカ軍首領様に差し出していたのではないかと仮説している。
実際それをやっていたのは大学病院の医者や教授かもしれないが・・・・。
あとなんか見つけたので以下食品にポロニウムが含まれていて(微量)日本は比較的多いらしいのだが、何でなんだ?日本人はモルモットか?
(表1)食品に含まれるポロニウム210(Po-210)の年摂取量
年摂取量(Bq)
日本 220
米国 22
アルゼンチン 18
中国 68-130
インド 20
イタリア 40
ポーランド 44
ルーマニア 51
ロシア 40-55
英国 28-44
参考値 58
国連科学委員会2000年報告書付属書B表16より
Posted by plasman at 14:09 |Comments(0) |TrackBack(0) | 陰謀 , ニュース , いんちき | |
2009年06月01日
医学・歯医者・薬産業・化学・マスコミ・大学・金融・武器商人これらは悪のシンシケートの手先だったのか
巨悪ににらまれても当社は一切責任を負いませんぞ。うししししっ。
誰も来ないから削除・凍結したインテリジェンス?をタイマーズのごとく復活いたしやした。
どなたさんも命のおしくねえ御仁はどうぞ見てやっておくんなせえ。読んでやっておくんなせえ。
運が悪けりゃ死ぬだけさ。運がよければ巨悪を倒せるかも。そりゃ無理か。壮絶な努力のあとに、想像を絶する苦しみのあとに希望がある?
医学・歯医者・薬産業・化学・マスコミ・大学・金融・武器商人これらは悪のシンシケートの手先だったのか!
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氷河期が目前?!人口削減省と歯医者はガンの発生源?!
笹川英資 「超権力 グローバル・ゲーム」より 抜粋
誰が原爆をつくり、トルーマン大統領に落とさせたのか?この真犯人を掘り起こして暴露するのが日本人の仕事である。
日本の原子力などは、かってのソ連や東独などで行われた危険極まりないレベルであり、大惨事発生は時間の問題である。その上コスト的にもアホらしい。「原子力安全委員会」などはジョークである。
電力が足りないというのは嘘 で、原発を増やすとそのバックアップとして火力発電所が必要になりその分だけ大気汚染が増大する。マスコミはこの事も報道しようとしない。
国家財政を経済学で論じるのは無意味で、そもそも経済学自体が偽りの学問である。
政権交代は茶番劇。マスコミも加わりそれらしく演出して民主主義があると思い込ませている。
金融などは最初から国際金融財閥が自由自在に操れるオモチャにすぎない。
くそ経済学者などを登場させもっともらしい煙幕をはる。
日本政府など存在せず、植民地行政庁と日本人の財産を奪う目的の金融はおろか、子供の教育・洗脳をはかる文部省、日本人の脳死や重要事から目をそらさせる・誤魔化すマスコミ、日本人の大量毒殺を実行する人口削減省こと厚生省などを動かしているのは国際金融財閥である。日銀が日本総代理。
ちょっと休憩
ジョンFケネディ2世が操縦する小型機がミサイルで撃墜された時も、目撃者の証言は地元の小新聞に一回だけ掲載されたのみで、米国のマスコミはおろか世界のマスコミは申し合わせたように(アスベストや薬害エイズの時も同じ)堅く沈黙を守る。これは偶然ではなく、全世界の政治、金融、マスコミはごく一握りの集団が支配していることを如実に示す。
この数千人の超富豪達が全世界を支配し、数十億人の運命を決めている。
経済危機・金融の暴落・戦争・平和は決して偶然に起こるものではなく、あくまでもかれらが長期的・短期的に企画・計画するものである。
今日の教育制度は本当の歴史が絶対に学習されないように仕組まれたものであり、マスコミが誤情報を拡散させて無知状態に追い撃ちをかける。
ロックフェラーは米国の中央銀行を支配しているのみならず、世界の医学界と製薬業界を支配する。連邦準備銀行のオーナーとなって以来国際金融財閥の一環となった。その傘下である石油業界、軍産複合体を通して世界的な権力を行使する。たとえ海を隔てているとはいっても、日本もその影響力を逃れることは出来ない。
エライ・リリー社製の抗鬱病剤のプロザックやルボックス使用者が自殺したり、殺人事件を起こすケースは多い。
これらは脳内のセロトニンのレベルを変える。(化学構造は少々違うが)
フッ化ナトリウムは家畜洗脳薬だ。
フッ化ナトリウムはアルミ業界の廃棄物であるが、水道管・自動車のラジエータも腐食し、ネズミも殺すため、猫イラズとして使用される以外の処理方法がない代物であった。海中投棄すると周囲数キロにわたって魚が死ぬほど毒性が強い。日本の水道だけは安全という神話を信じる人はいまだに多いが、故意に毒物が添加されているなどとは夢にも思わない。
フッ化ナトリウム、この毒性物質は人間の免疫力を著しく低下させ、中枢神経に決定的なダメージを与え、微量を毎日与えると、生きる気力と抵抗心を消滅させる。この件に関しては旧ソ連の強制収容所で実験済みで、この効果については牛の飼育者も知っていて、荒々しい牛に雄牛に与えるとおとなしくなったという。
腎臓に蓄積され、発がん性もあり、幼児の突然死症候群の原因にもなる。
水道水にフッ素が投入される都市では明らかに死亡率が増加している。
フッ素の安全レベルなどは存在せず、歯磨きにフッ素と書いてあれば要注意である。(モノフルオロリン酸も)
たった1ppmあるだけでもDNA修理酵素の活動を阻害する。
ちょっと休憩。カバーズ聞いた。タイマーズも夢助もよかったよ。
GODは前から聞いていたが。いけないルージュマジックもレコードを持っているが。
もっと早く知りたかったよ。マスコミのせいで出会えなかったか・・・。
食品にレーザーを照射すると(バーコード読み取り機なども)特定酵素が消滅することが知られているが、これらの免疫機能低下、DNA修理酵素低減、細胞酸素使用低減、突然変異率増大はガンの発生にも関連し、フッ素を直接の発がん性物質とみなすこともできる。1977年の研究ではフッ素投入だけでガン死亡率が5~10パーセント増加した。
フッ素が原因の疾病は400種類以上で、甲状腺も阻害される、呼吸器・胃腸・神経障害・老化現象・コラーゲン破壊を示す物質の増加の原因となる。
骨にもダメージを与え、全身性毒素として、3ppm以上のフッ素が飲料水にあると動脈硬化・心臓発作・脳内出血の原因ともなる。
フッ化ナトリウムはロスチャイルドが所有するアルミ業界の産廃処分のためだった。アルコア社。米国医学誌JAMA1943年9月18日付けの論評によると「フッ素は特定酵素システムを阻害」して「細胞代謝を変性」させ得る「一般細胞毒」である。
歯科医や医師は文献などの研究を怠っているが、水道へのフッ素投入を推奨している。米国医師会、米国歯科医師会、その他保健局などが独自の調査を行わず、フッ素の生産先である米国農産物会社やフッカー化学(ファルベン化学も)のいいなりである。
フッ素は洗脳の為の毒薬として旧ソ連などで使われていた。
水銀中毒の原因に化粧品・医薬品・ペンキ・魚・虫歯の詰め物がある。
魚類は水銀を排出せず蓄積される。
虫歯のアマルガムや歯の詰め物・ブリッジなどの歯科治療に百近くの化学物質が使用され、これらがもたらす被害は甚大である。
歯科医はいかなる金属・化学物質が虫歯治療に使用されるのか患者に教えず、毒性の強い致命的な物質であっても平然と詰める。入れ歯も安心できず、矯正用のブレースは毒性の金属であるニッケルを含有する。
多くの人が無用の危険にさらされた挙げ句、廃人・植物人間が増大して医者が診ても原因不明の症候群などというシナリオになる。ところが原因は不明どころか、明らかに意図的であり、犯罪的な隠蔽が被害を拡大する。
水銀やニッケル以外にも歯の詰め物には危険な金属が多く使用され奇形児出産の原因ともなる。
歯医者は無用なレントゲン撮影を繰り返すが、それは大きな額を国保に請求出来るからである。
もちろん被爆する患者のことなどは知ったことではない。
虫歯の詰め物の金属は少しずつ溶け出し、たとえ微量でも毒性反応を引き起こす。特に銅含有率が高い新しいアマルガムが危険で、こうして発病してもせいぜい医者に原因不明などとレッテルを貼られて、薬漬けになるのがオチで、正しい治療などは期待出来ない。
もっとも現代医学では原因などはわからなくても、薬さえ売れればよいのである。
ましてや厚生省こと人口削減省が国民の健康など守ってくれるわけがない。
水銀には細胞膜に定着する特性があり免疫は外敵だと勘違いして攻撃し始め破壊する。=自己免疫症である。
アマルガムと歯根治療の組み合わせが主な原因である。
水銀は細胞を死滅させ、遺伝子を破壊する。神経に干渉し、記憶力喪失、憂鬱症の原因となる。
アマルガムによる慢性疲労症候群はヘモグロビンと水銀が結合するためで、ヘモグロビン値が平常に見えても血液の酸素運搬能力は阻害される。
憂鬱症・神経疾患に悩む女性の原因が配偶者のアマルガムということも考えられる。
歯科医はアマルガムに手を触れようとしない。それほど毒性の強いアマルガムであるが、平然と患者の口中に詰める。
菌の冠を入れてもらったと喜んでいるととんだ思い違いで、ニッケル合金・ニッケルは発がん性や毒性があり、ニッケルは冠の90パーセント以上に使用されている。
歯科医が重視するのは強度のみである。
パラジウム・イリジウム・ガリウムなども金属が接触すると電流が発生し、金属の種類が多いほど電流が発生しやすい。電流の問題点は猛毒の発生と脳細胞に向けて電流が流れる事実でこれが脳障害の原因ともなる。保健機関や製薬会社などが公表する数字や統計は無意味である。
アマルガムの水銀はさらに細菌に抗生物質に対する耐性を与える。そのメカニズムは、細菌が周囲の組織から遺伝子を一つ獲得し、自らの遺伝子に付加して防衛する。さらに水銀に対する抵抗力を得た細菌は、水銀を排出できるようになる。
アマルガムからは電気作用によって水銀が流出し、奇形児出産などのもろもろの原因不明の疾患を引き起こす。
これは意図的に作られた状況であり、その裏にあるのが歯科医師会、医学界を操り、危険極まりない物質を幼児や妊婦の口腔に詰める犯罪者集団である。
アマルガムなどは性急に外すと、対中の金属汚染が一挙に高まる。医学マフィアによって少しずつ毒を盛られても何も気がつかないと手遅れになる。
洗脳家畜になりきる以前に人々が目覚め、犯人を追求することを望む。
大多数の人々は真実を知らされず、その原因がマスコミと教育制度の発達であり、一部による情報の独占と、大衆の無知状態はさらに進んでいる。さらに悪質なことに、大衆は
「何でも知っている」という幻覚を抱いている。
一般ではタバコは危険極まりない植物だとされているが、北米の先住民はタバコを神聖な植物とみなし、常用な儀式の際には必ず使用し、南米にはタバコを治療目的にジュースとして飲む部族もある。
事実、タバコには特定の有害微生物を殺す働きがあり、不治の病とされるライム病などの場合、即効が見られる。
もちろん、市販のタバコは数百の化学物質が添加されたり、化学処理を受けているので、使用は危険である。
人間は家畜として生きる選択があり、多くがその道を選ぶ。
そして知らぬが仏ということわざがあるように余計なことは知らないほうが幸せという意見もある。
20世紀だけでを振り返っても、何も知らない日本人は太平洋戦争に巻き込まれ、国内でも空襲や原爆で大量に屠殺された。
このように、家畜の生き方が幸せとは限らず、無知状態が幸福だという保証はない。
今日の教育制度とは、肝心な情報から目をそらさせ、国民を無知状態に置くために発明された制度であり、体の良い洗脳システムだからである。
人類の本当の歴史とは家畜制度から人間性を回復するための数千年あるいは数万年にわたる闘争である。
氷河期が目前に迫っている?!21世紀中頃には九州が北海道なみの気温になる?!
巨悪はワンワールド実現の為、両局(両極)で進めるらしいです。
エコロジー運動や環境保護運動、原始に還れ運動なども何と巨悪の小道具の一つだという説があります。
「地獄への道は善意という石で敷きつめられる。」
化学・医学・先進各国の保健機関、マスコミ、これらはすべて、巨大医療詐欺の共犯者である。
これらは金融・武器商人とともに影の政府の手先で各国を支配するのに貢献。
彼らはグルになって、医療研究の破滅的結果を、一般の我々の目に触れぬよう覆い隠そうとしているのだ。
この問題は、現代世界体制の秘密の暗部、その最大のタブー部分を白日のもとにさらけ出す作業に着手した。
このタブーの真ん中に、「ロックフェラー財団」が居たのだ。(ルキフェラー財団。ルシフェルを信奉する人々の意で悪魔教の名前を堂々と宣言している。我々は神に取って代わる悪魔教のものである。ルシフェリアンであると)
「医学専門家と呼ばれる集団は、利潤追求に溺れ、人類に多大な害毒を及ぼしてきた、史上最大最悪のペテン師集団なのである。既にきわめて多くの医師達が医学上の詐欺、ペテンであると告発し、糾弾している事を、マスコミは報道していない。(日本の医師はなぜか例外を除いてほとんど糾弾、告発していない。ほんのわずかの数名の例外はいるのだが・・・・。他の多くの医師達はだんまりを決めこんでいる。そのくせ信頼を連呼する)
アメリカ最大の財閥ロックフェラー(ルキフェラー)の石油会社が製薬工業に進出し(真相は逆だと思うが)、すなわち石油化学が化学産業を支配し、化学産業が製薬産業を支配して、ルシフェラーグループが支配。
大量生産される薬は、消費=販売されなければならない。つまり、薬の市場が創出されなければならない。
これはルシフェラー財閥の至上命令である。その為には、治療とは反対に病気がつくりださねばならない。
これが真実なのだ。金の力でインテリ学者を買収し、大学医学部をまるごと買収し、その魔界はアメリカから全世界に広がる。
アメリカ医師会(AMA)は、アメリカ殺人協会である。動物実験医学の医師達は「黒魔術師」以外のなにものでもない。一説によると、フリーメーソンの頂点は、ロスチャイルド家であり、このロスチャイルド家に、世界中の何万人という黒魔術師が直結しているという。地中海沿岸の諸文明はどういうわけか、悪魔とその魔術の大群を生み出した。あるいはこの土地の自然条件に問題があるのかもしれない。
この地域で数千年にわたって蓄積されきた黒魔術(悪魔信仰)の今日的発展形態が、動物実験医学をj基とする現代医学の正体である。黒魔術→オカルト→錬金術→化学→医学。すなわち、現代の石油化学をはじめ、科学・医学・家畜制度・区画制度、自然を盗み、勝手に都合のいいように自然をつくりかえ、時に虐殺する今の文明自体が神(自然をつくった存在)に背く、悪魔の影響力と言わず何と言えるのか。
家畜制度とは、人間が動物界に宣戦布告をし、動物社会と永久の戦闘状態に入ることを意味している。
しかし人間はまぎれもなく動物社会の一員であり、動物界と絶縁して、それを敵と見ることによって必然的に植物界と戦闘状態に入り、更には微生物を敵とせざるを得ない。これこそ人間の神への反逆、傲慢の罪でなくてなんであろうか。問題の西洋医学・化学は、大衆を世界人間牧場に巧みにかこい込むためのテクノロジーではないか。 参考文献「千人の医師の証言」「世界医薬品産業の犯罪」「化学・医学・オカルトよりのテクノロジー」ハンス・リュ―シュ著「家畜制度全廃論」「食の革命」「性の革命」大田龍著「新・動物実験を考える。生命倫理とエコロジーをつないで」野上ふさ子著
ドイツの主要週刊誌の一つ「ブンテ」50号に掲載された医学記者ピーター・シュミッツバーガー医師の記事。
「鎮痛剤は、腎臓移植の50パーセントの原因となっている」と言う。腎臓移植の50パーセントは、鎮痛剤の無分別な服用によるものだろうか?この情報が医学と毒物の専門家から出ているものだけに、特に意味深長である。
鎮痛剤を長期にわたって服用すると、膀胱がんにまでおよぶ重症の腎臓障害を起こす。このために「鎮痛腎臓」という表現が、かなり前から定着している。
鎮痛剤というのは、あまりにも多くの情報と経験があって、そのすべてに精通するのは不可能に近いというたぐいの薬である。
何十年もの間、何百万人という人々に試用されてきた。人間を使った大規模な実験であると言える。
自然は奪うものではなく、観察するものである。
生体解剖反対論者だけでなく人類すべてが直面する問題は、人類が生存するためには、我々を縛っている邪悪な権力によって築き上げられた検閲の見えない壁を、いかに破るかどうかということである。
ところで問題は、邪悪な権力よりも人間性そのものにある。人間の大多数は、伝統的に精神力が不足しているために、真実に気づくのがあまりにも遅すぎるのではないだろうか。
表音文字(アルファベット)が、文字の最も完成された最高級段階、と現代の西洋の学会は言うが、これは間違いだ。逆に、漢字こそ文字の最高段階であり、表音文字は人間の造った文字としては、最下級段階に属するとしなければならない。
1950年、BCGの無用性危険性を主張する医師グループの激しい反対を押し切って、フランス政府はすべての学童にBCGの接種を義務づけた。これはパスツール研究所にとっての莫大なたなぼた式利益を意味した。当時、国民にBCGを押しつけようと画策していたフランス政府のあの手この手を、医療関係者たちが記録に残している。
当時この予防接種の押しつけはフランスだけではなく、ヨーロッパやアメリカ、日本やアジア、アフリカ等でも、なぜか同時に行なわれ、特に日本では、反対する医師グループがほとんどいなかった事は、特筆に値する。
結論
健康というものに対する機械論的捉え方、そして動物実験に基づく研究方法、という二重の不条理をベースに成立している現代医学そのものが、今日の人間の病苦の最大の原因であるーーー識者たちは現代医学のあり方をこう批判してきた。しかし人間というものは、その心身の形成期に与えられた価値観、すなわち人生で最初に出会った権威者たちに教え込まれた考え方、に固執するものなのである。
人生で最初に会った権威者たちと言えば、両親であり学校の先生たちだろうが、いかんせん、これらの人々は皆、同じ教育を受けてきたのである。
中世の人々が教会の奇跡の力を、理性を超えて疑わずに信じるよう教え込まれたように、現代の人々は、医学の奇跡の力を信じるよう教え込まれているのである。
彼ら医師司祭は、医学が有効な手段であると信じて疑わない。
というのも彼ら自身、ずっとそう教え込まれてきたからである。彼らはこの組織犯罪の共犯者というよりは犠牲者というべきであろう。(加害者でもある訳だが・・・)
同じように、中世の司祭達も聖水の治癒力を信じていた。
実際、聖水はしばしば病人を癒した。少なくとも現代医学の治療法よりはるかに害が少なかったことだけは確かだろう。
吐き気を催すような実験室内での行為に、反対するだけの知性と素直さを持った医学生が、医学校を無事卒業できる可能性たるや、疑り深い神学生が司祭に任命される可能性ほどにもないだろう。
また、自分のやっている事に、遅ればせながら気づき、あえてそれを公言しようとする医師は、医師仲間からは村八分にあい、資格を剥奪される危険を冒すのみならず、異端者として社会から追放される。これは現実に、しばしばおこっていることなのである。
ここからは大田龍著「たべもの学 第六部「食コントロールは」我々をどこへ導くか?より抜粋。
「絶対的自由」の公理が、人々を絶対的奴隷化(家畜人)に誘導する、という、わけのわからない手品です。
敗戦後の(もっとさかのぼれば幕末以降の)日本人は、ある種の催眠術(黒魔術の一種)にかけられている。
しかし催眠術は普通の状態ではかからない、かけられない。「条件付け、コンディショニング」が必須です。
催眠術の要点は、思慮分別を失わせる(奪う)ことを通じて、人の独立的人格を破壊する、ことだそうです。
「条件付け」とは、この目標に向かって、人を徐々におびき出す作用とでも言ったら良いのか。
この種の手口の原点をどこまでもさかのぼると、疑いもなく、ある種の肉食動物の捕食(狩猟)行動に突き当たります。畜産は狩猟を土台としており、狩猟の終わるところから始まる、と言える。
日本列島は1)狩猟の舞台となり得るような大草原はほとんどない。2)人間の食用となる植物の生産力が著しく豊富である。という生態学的条件(及び神道と沸教)のゆえに、狩猟と畜産は、明治の開国(植民地占領)
まで、最小限に抑制され得たのです。
従って、それまでの日本には「ゲーム」の要素が非常に少ない。ゲームとは英語で狩猟、ないし、その獲物狩猟性(その延長線上の畜産)が濃厚な人間集団は、必然的に、狩猟(畜産)の手口を、人間関係の中に持ち込む。つまり、他の人間ないし人間集団を獲物として見てしまうのです。
ユーラシア大陸とアフリカについて見ると、太平洋沿いの一連の地域を別にすると概ねは狩猟畜産が著しい。
従って、この地帯に住む人々の間では少なくとも過去五、六千年、
イ) ゲームの理論ないし手口、型を全面的に発展させる。→すると人類はゲームの勝者、ゲームの敗者に分裂することを可とする世界観および文明の方向、と、
ロ)それを不可とする世界観および文明。
この二つの潮流が非常に激しい葛藤を強いてきた、そして今や日本もこの相克に巻き込まれてしまった。
イ) の潮流(ゲーム主義を可とする)の代表格を、ユダヤパリサイ派(タルムード派)とすれば
ロ) の代表格が、イエスキリスト、釈迦、マホメットと見ても良い。
英国寡頭世界権力の主席代弁人といわれるウイリアム・リース・モッグ卿(Lord)は、間もなくやってくる二十一世紀の情報化社会に於て、世界の人口の5%が、世界の所得の80%を得るだろうと予言した。
福岡正信さんは日本が根無し草になってしまった。と言われた。しかしなんとなく自然の成り行きでそうなったのでしょうか。それは違う。何者かが、目的を以って、計算的に根を切った。(切りつつある)
根を切られた草木はどうなる?そして精神のない個人が(それはロボット人間のような化け物ですが)放り出される。根を断ち切られた日本人が駆り立てられてゆく未来の世界人間牧場を、「オウム」は黙示したともいえる。そしてこの結末は、日本が明治以来、金科玉条のように崇め奉っている西洋近代啓蒙主義とベンタム功利哲学、アダムスミス経済学から自動的に導き出されたものらしい。日本人は悪の道を究極まで完成させようとする悪魔教のプログラムに巻き込まれてしまった、そしてその帰結は、人間が人間でないもの(家畜人、そしてロボット人間)になること(ビー・デヒューマナイズド)らしい。
自由貿易が日本と世界を滅ぼす
現代の経済学が必然的に日本の食と農を破壊する精神的原動力になっているのかもしれない。
日本の農業農村農民はこのスミス・リカード主義経済政策に直撃されて壊滅させられたのです。
したがって、スミス経済学を何とかしない限り、日本の農と食の惨状をどうすることも出来ないと言わなければならない。スミス流の「自由市場主義」の「自由」の旗印ですが、これを誤解してはならない。
それは「自由競争の」「自由」なのです。「自由競争」とは、「自由な生存競争」、「自由な生存闘争」のことでした。これを別の言葉で言い換えると、優勝劣敗(勇者が勝ち劣者が敗れる)と弱肉強食となります。
しかしもしこれを大原則として、どこまでも突進したらどうなるでしょう。富めるものはますます富み、貧しい者はますます貧しくなる、そして遂に人間の社会は、富と権力と名誉と地位と情報と教育の一切を独占する一握りの優勝者階級と、残りのほとんどすべては、優勝者に奉仕するだけの家畜人の群れ、とこの二つに分裂してしまいます。
つまり、「自由主義」の行き着く先は、ごく少数の主人階級に自由が独占され、残り全部の大衆の自由は無に近づくという状態です。そこで次の命題が導き出されて来るのです。それは勝つためにはいかなる手段を使うことも許されるという原則です。目的は手段を正当化(合理化)するともいわれます
勝つ為に何をしても自由である。という命題から無数の「戦術」のようなものが生まれてくる。
敵に勝つ、最も効果的、効率的な方法は、心理戦争、思想戦争、精神戦争である、ということになりました。
これは要するに敵をペテンにかける、だます、欺瞞する、脅迫する、恐怖におとし入れる、といったことでしょう
かくして「自由主義」の世の中には、謀略(騙し合い)が充満することになります。敵を打ち破るもっとも安上がりな方法は敵を白痴化する(敵の精神力を限りなくゼロにする)ことである、と言っても良い。
ニーチェ哲学がその鍵なのです。ニーチェの思想の中核は人類は進化の途上にある、そしてやがて人類は超人種(支配人種)と家畜人種とに分裂する、というところに求めることが出来ます。
この哲学を実行に移すべく、19世紀から20世紀初頭にかけて欧米に非常に多くの団体(思想グループ、秘密結社、政治党派など)が誕生したのだそうです。
その例がナチスであり、共産主義であり、自由主義であり、フェビアン派、バートランド・ラッセル卿、H・G・ウエルズ、ダーウィン主義であり、優生学運動である。
これらはちょっと見たところまるで別物だけれども、その糸をたどってゆくと同じところ(ごく少数の支配人種と残りすべての家畜人種への人類の分裂。世界人間牧場に、人類のほとんど全部を駆り立てて行く行動計算)にゆきつくとなるらしいのです。
自由市場・自由貿易の「自由」とはごく少数の超人種・支配人種の絶対的自由であり、彼らの権力意思の無制限の自由です。(必然的に人類の残り全部は絶対的不自由と絶対的奴隷化、となる)
世界人間牧場に人類大衆を追い込む、その上に支配人種が君臨する、この目的を達成する為に、
1)自由民主主義
2)ファシズム(全体主義)
3)共産主義 という3つの主要な方式が考案された。主要な方法のほかにもその目的に役立てられればなんでもかまわない。要は大衆をバカにし、白痴化すればよい。思慮分別の力をなくさなければならない。デレギュレーション規制撤廃はそのための必要不可欠の布石の一つではないか。
「農業自由化」と「規制緩和」の笛の音につられて日本は堕落と自滅、自殺に向かって行進しつつあります。しかし自滅するのは日本だけではない。全人類を世界人間牧場に誘導する為には、すべての根を大地から切らなければならない。全世界的な食料不足と穀物価格急騰の気配が近付いており、それとほとんど同時に国際金融体系の全面瓦解が来るかも知れない。
自由貿易とは詐欺略奪やりたい放題の自由か?
グリーンピースやみどりのテロリズムや世界自然基金WWFN(英国フィリップ殿下の組織といわれる)と多くの方法で緊密に結び付いているらしい。「地球第一!」の英国支部が直接テロリスト行動にでる組織として、地球解放戦線(ELF)を創設した。これらは工業は地球の敵であるとし、故にこれを一掃する世界一挙同時革命が必要だとワシントンポスト紙で「ユナボンバー」が表明した。
この世界革命が進行すると1000兆円の日本人の金などただの紙くずになってしまうらしい。(どうせ使えないから今でも紙くずと同じだが)
J・コールマン博士の著作「300人委員会」によって英国王室を核とする闇の世界権力が存在すること。
彼等は悪魔崇拝者、悪魔主義者であること。彼らは1960年代に人類の大半を殺処分し、工業を解体し、残りの5億から10億人を家畜人として飼育する計画の作成本部として「ローマクラブ」を創設したこと、この「ローマクラブ」の最高幹部の一人、ベッチニイ(イタリー財界の大物)が「人類は地球の癌である」と公言したこと。
日本人の中にかくも奇々怪々な筋書きを、すんなりと消化出来る人が、果たして、存在し得るものでせうか。
英国国王(女王)はカトリック教会と断絶したヘンリー8世以来、同時に英国国教会の首長を兼ねるのです。
つまり、みどりのファシスト世界体制の構築、人類の大量殺処分と家畜人化の目標は、英国王室と英国国教会、英国の国家権力そのものの目標であると成ります。
では日本はどうすればいいのか?外国や国際機関の介入干渉を許してはならない。古米はまずいとか寝ぼけたことを言ってはいかん、3年から5年くらい食べられるだけの国産の米をもみ付きで備蓄しないといけない
注・大田龍氏の著作を結構読んだが、その分析力と情報力(ものすごい数の外国文献を読んでいる?参照している)は目を見張るものがあるのは事実です。その点では一流といっても過言ではないと思っています。
しかしながら僕個人で持っている情報(自分ではクズ情報ではなくなかなか流布していない真実の情報インテリジェンスだと思っていますが)と照らし合わせると一ヶ所気にかかる部分があります。
それは闇の世界権力がすべて外国の白人で、明治以前(あるいは鉄砲伝来の戦国時代から)の日本人や日本国とは一切関わりがない、すなわち明治以前の日本の支配者達はユダヤパリサイやタルムード、悪魔主義とは関係がないという部分です。独自にユダヤ研究をしてきた僕としては情報操作に騙されていなければ(おそらくjほとんど騙されていると思われるのだが、それを考えると何も言えなくなる)古来より日本の社会の中にタルムード発想、思想や社会があり、二極化されてきたと考えているので大田氏とはそこのみ相容れない。それに違ったら誠に申し訳ないが、太田という苗字にユダヤ臭がつきまとう。古来より金銀鉱の隠語でオタ、ハタ、オダ、オオタなどが地名として残っている。この日本で金属精錬や建築技術や高度な技術を独占していた一族がおり、これが僕はユダヤあるいはユダ族(フェニキアやヒッタイトやスキタイやシュメール人ともつながる、一緒に行動していたくさいユダヤ支配者集団くさいのだ)ではないかと、この太田龍氏の本は僕は色々小学生の時から本を読んでいるが、この密度の濃さはなかなかなく(落合信彦氏、飛鳥昭雄氏以来)
空恐ろしくなるくらいの密度で(他の陰謀の本の何十倍もの密度があった)絶対にフリーメーソン・イルミナティの側の者ではないかと今も半信半疑(実際は8割くらい疑っている)なので、鵜呑みにはせず、ただ、参考になるものが多いので参考にしているが、読めば読むほどこの人物の頭の良さがわかり、この尋常でない頭の良さはもし違ったらそうとう頭にくるでしょうが、悪魔的なんだとしかいいようがないくらいすさまじいので不気味です。ただこちらの情報が間違っていたら(勘も含む)日本にはタルムードはなかったのなら太田氏は正しいことになりますが・・・・。僕は色々調べた結果、どうしてもあったとしか思えないし、何と言っても邪悪さを感じるのです。古来の日本の支配者層から。エタ、非人はいなかったとか、部落も鉄砲伝来以降出来たとか、アイヌ人の迫害もなかった、京野菜は京都だけでなく全国に普及していたとか、唐獅子牡丹の伝統は鉄砲伝来以降に出来たとか(獅子はユダ族の紋章、牡丹は植物の王で藤原氏の紋。ともに動物と植物の王である)
日本古来の家紋は実はシュメール他数えるくらいしかないというのは誤りだったとかいうなら考え直す。
日本の歴史を遡れば遡るほどユダヤ臭が濃くなる気がする。(鍵はタルムード、二極化、悪魔崇拝、さかさま発想、ずば抜けた邪悪さ、人間管理のずば抜けたスペシャリスト(知り尽くしている。これが長生きする悪魔がいて教えている、知恵を与えているという根拠の一つ)、不幸や悲しみ、苦しみが無くならないどころかむしろ
はびこっている。蔓延し続けている。→悪い想念が蔓延→悪魔側のオカルトの源ではないのか?
すなわち不幸や悲しみ、苦しみを溢れさせているところにオカルトの力が強まる、従って当然中心もそこにくることだろう。このひどい社会はどこかと探してみると、白人国と日本、中南米の一部に行き着く。(邪悪さも当然付きまとっている)
アメリカの学者が日本の大衆は世界一抑圧された人々であると言ったが、僕は昔からだと付け加えたい。
日本の大衆の悪い想念を源に悪魔側のユダヤパリサイゴミクソンズは君臨してきたのではないのか?
陰陽道でいうと光あるところ影がある。日本が世界に先駆けてすばらしいところがあるのは間違いなく、(これが情報操作なら話は別だが)ということは、大きな影(邪悪、オカルトの中心ないし幹部)もあるはずだ。
影の政府(シークレットガバメント)はちょっとでも逆らった者は決して許すことなく、執拗に断罪し処罰した。
(官軍はひとりでも逆らったものがいた村にも容赦はしなかったし、最後まで抵抗した会津藩などには徹底的に報復した。生き地獄を与えた。蝦夷人(アイヌ人。日本原住民)を執拗に追い続けたヤマト朝廷と似ていないか?今に至るもアイヌ人は冷遇されている。(何年か前にやっとアイヌの為の法律が出来たらしいが)
原発はいいかげんなものだよ。こんなものは必要悪とは言わない。
議論の余地などないわ。プチプチでもつぶしていたほうがよっぽどマシです。これからも原発は反対していくぞー!こんないいかげんなもの。核融合などペテンだろ。
先日用事のついでにURの決算書を見たが、毎年国から約800億円の補助金と地方公共団体(各都道府県)から約300億円の補助金をもらっている。地方の土木や建設、小売、漁業その他が厳しいというのに、県から300億円もこのくそゴミ団体に金が流れている。
この300億円があれば各都道府県の土木や小売、漁業などどれほど助かることだろう。原発の巨額の推進費用もこれらの業種に回すべきである。一部のくそゴミ団体だけがうるおい、その他は見殺し。
誠にひどい政府と省庁のゴミクソン達である。こんなくそゴミどもを信用するとはどこまでおめでたい連中なんだろうか。
[127]plasman 08/05/28 21:13 mRCSRyEWrI
各省庁や政府は国民の為につくられたのではない。
国民を監視し、管理し、利用する為につくられた。
原発もそうだが、国際金融を支配する影の政府(わかりやすいのはロスチャイルドやルキフェラーゴミクソンども)が各国を支配し、利用して絞り上げる為に、まず各国中央銀行を設立し、そこから金を通して権力を掌握し続ける仕組みをつくりあげた。(日銀はロスチャイルド銀行の日本支店です。FRBはアメリカ支店)中世、初代ロスチャイルドは「私に中央銀行を任せれば金融の力でどんな権力も思いのままだ」と豪語したそうだが、そのとおりになったらしい。中世より戦争すら巨額の金が勝敗をわけた。(中世以前からだが)その影の政府の各国支配の拠点である中央銀行(日銀)を中心に傀儡政府と傀儡省庁をつくり支配を強固のものにしてきた。さらに暴力団を育て、暴走族を作り出し、アホなエリート?(自分でエリートだと勘違いしているだけだが。真の支配者からすればアホな奴隷でしかない)をつくりだしてきた。右翼も左翼も彼らがつくり誘導してきた。(例外は除く)
マスコミもかれらがつくり国民を欺いてきた。スポーツやセックスやスクリーンで肝心な事から興味をそらし、(3S政策)化学物質や薬で全生命体を弱体化して支配しやすい状態に誘導してきた。(原発も)
日本がましなのはこれらゴミクソンズのおかげなどではなく、一部の例外のわずかな人間が努力することによって我々の知らない存在が助けてくれてきたからだ。かれらの助けがなければこんなくそ国とっくにつぶれて国土さえなくなっていたことだろう。 終わり。
[肉食推進は影の政府のご下命か?]
明治以降日本を占領した外国勢力の方針で日本に肉食が推進された。なぜか?
当時は輸出するまで儲かるシステムではなかったはずだ。儲からないのになぜ?
君達は知らんだろうが、影の政府(シークレットガバメント)の力の根源はオカルト(化学も科学もそこから発している。化学を中心に)なのを知ってるかい?おそらくそのオカルトにおいて、あまり肉食をしていなかった日本人に肉食をさせることによって、何かこいつらの為になるのであろう。すなわちこいつらの為になるということは我々の為にはならず、むしろ害になる。まず第一に肉食をすると血がにごる。動物の血を吸収して我々の血の体質が変わってしまうのだ。それがいいのか悪いのか、おそらく悪いのだろう。だから巨悪のゴミくそどもが推進してきているのだ。第二に想念の問題で、殺された動物の想念が増え、この世界の想念が悪くなるというもの。また食べた人間にもその想念が影響するというもの。
第三に共食いだという説。特に四足は共食いだという。第四に波長が変わる、悪くなる説。
第五に回りまわって自分達の子孫がそうなるという業(ごう)をつくっている、悪い業をつくらされているという説。第六に生体エネルギーが弱体化するという説。生体エネルギーに関してはこんな重要な事を教科書ではほとんど知らせていないのだ。どの生物にも生体エネルギーがあり、それぞれが影響しあって高まったり低まったりしているらしいが、農薬・薬・化学物質で各生物を弱体化している、してきた。肉食は万病のもとと言われるがそれと関係しているのではないか。欧米人は肉食の害が多いことを知っており、ポテトやチーズなど解毒剤を一緒に必ず採るようにしている。その欧米人だってその昔は豆ばかり食べて(貧乏だった)肉食などほとんどしていなかったのだよ。なぜ普及したのか。オカルトに関係しているに違いない。ちなみにオレは4年前からベジタリアンです。様々な生物を無理に食う必要はないし、食ってはならないことぐらいどうしてわからんのだろうか。脳コンだからか
[頭にきたから暴露してやる]
日本には昔から裏天皇がいるのを知っているか?昔から日本の秘密結社が他の外国の秘密結社を支配しているという説があるよ。どうしてか?なぜ日本人が?日本人というより、ユダヤ人だな。日本に多いのは、特に支配者側、権力者側に多いのは。日本の武士や貴族が昔から血筋にこだわるのはなぜか?混血ダメにこだわるのはユダヤと同じです。いやユダヤだからじゃねえか。タルムードに汚染されたクソバカユダヤがこの国を支配してきた?
その証拠1.タルムードは2局構造になっている。すなわちユダヤ人だけが人間であり、他の人種はゴイである(ゴイとは動物、よくて家畜人間のこと。ユダヤ人の為に存在している)わが国日本では昔から2極構造がさかんだ。低俗な白人種は有色人種を動物扱いしてきたが、なんとわが国では昔から動物ですらない。虫けら扱いしていたのだ。今も?
薬害はウイルス化学兵器の人体実験です。エイズ薬害など薬害は日本だけでおきているわけではない。世界中で(ヨーロッパでも)おきている。すなわちこの世界を支配する影の政府(シークレットガバメント)の方針で、生物・化学・ウイルス・バイオ兵器の開発データの為、人種による違い(効き目)を試す為に各国傀儡政府にご下命を発し、データを必ずよこせとやってきた。大学の御用学者はせっせと出世の為に薬害患者のデータを外国に渡し(患者を治そうとはせずに、治してしまってはご主人様の逆鱗に触れる。へなちょこエリートにはそんな恐ろしいことは決して出来ない)戦時中の毒ガス部隊と呼ばれた石井731部隊の生き残り(生き残りとはいうがこいつらはほとんど死んでいない)が戦後アメリカ軍に協力する(毒ガス、細菌兵器のデータ等)見返りに厚生省や東大や京大の要職に就いて、せっせとアメリカ軍様に協力してきた。(厚生省は旧内務省だ)長いから一旦コマーシャルです。
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2009年05月28日
タバコに放射性物質のポロニウムが入っていた!!JTも認めている。マスコミはほとんどまたもやだんまり.
日本のタバコにもアメリカ・外国のタバコにも放射性物質であるポロニウム(Po)がわざわざ添加されていた!!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
まだ調査初期段階なのでなんとも言えないが、これは第2の?フッ化ナトリウムではないかという感じがする。
原子番号 84 原子量 209 融点 252℃ 沸点 962℃ 常温で固体
元素記号 Po 半減期 210は138日 209は102年?
ポロニウムの同位体 Po-210 Po-211 Po212 Po-214 Po-215 Po216 Po-218 などはすべてα(アルファ)放射体であり、そのため、x線やγ線検知器には作動しないらしい。
JTいわく、
自然界に存在し、微量なので心配いりません。
これは非常にウソくさい。疑わしい!
まだ調査初期なのでわからないが、どうも自然界にはほとんどないみたいだ。
(自然界にはあることにはある。ポロニウム210はウラン238が崩壊を繰り返して生じるらしい。また、その生成物であるラドン222の崩壊によってもポロニウム210は大気中などに生じる。
鉱石中のウラン1トン当たり0.07ミリグラム含まれ、ウラン鉱が精錬される時には、大部分が鉱滓などに入り、一部は環境中に放出されるらしい。
しかし、ポロニウム218や214や210や209は人工でのみ生じるらしいので)
人工的にはビスマス209が中性子を捕獲して生じるビスマス210がベータ崩壊してポロニウム210になるらしい。
一部では疑わしいといわれているウィキペディアによれば、
ウラン系列の過程でラドン222が崩壊することによってポロニウム218が生じ、更にこれが崩壊していく過程でポロニウム214、210が生じる。
ポロニウム209の半減期は102年である。
またポロニウム210以外はあまり資料がなく、今のところほとんどわからない!!
原子力資料情報室によれば
ポロニウム210についてはアルファ線のみ放出し、水中では0.04ミリメートルまでしか届かない。
1万ベクレルを吸入摂取すると、実効線量は約20ミリシーベルトになる。
取り込まれやすい主な器官としては肝臓、腎臓および脾臓があり、体内の総量は約40ベクレルで、食物などに含まれる一日の摂取量は約0.1ベクレル。生物学的半減期は約50日。
致死量に関してははっきりせず、(今の所というか多分永遠にだろう)10シーベルト以上の線量ではないかと、そのためのポロニウムの量は一億ベクレル(0.0006ミリグラム)以上ではないかと原子力資料情報室では言っている。
今同人誌の「化学」という雑誌を取り寄せ中(2007年2月号)だが、そこにも致死量などが書いてあるらしい。読んだらアップする予定。
ポロニウムについて 神山弘章 によれば (電中研顧問)
天然にはわずか存在するが、産業として必要な場合はRl生産炉または研究炉でBiに中性子を照射して生産する。その発生したビスマス210?がベータ崩壊してPo-210となる。
47ng(1億分の4.7g)で50%致死線量と極めて毒性が高い。
ただし、α放射体なので、外部被爆は考えなくてよい。内部被爆および排泄物による汚染を管理する必要がある。
旧ソ連のアルファ型潜水艦ではPo-210の汚染の問題があった。(Jane's Fighting Ships,1997年版)
全体の生産量(約200g)のほとんどはロシアだそうです。
体内に取り込まれても問題ない量はわずか7ピコグラムらしい。
調べれば調べるほどこの物質が自然界にある大して危険ではない物質とは正反対の気がしてきやがるぞ。
これは人工物じゃねえのか?それも複雑な核処理施設での複雑な工程を経た、
しかも危険な廃棄物ではないのか!ああ!!
フッ化ナトリウムを調べていた時と似ていやがるぜ。
こいつは安全どころか危険極まりない核廃棄物で、なぜこんなものが歯磨き粉や色々な産業で使われているのか、これは色々なものを汚染する謀略ではないかと。
このポロニウムも210だか209だか208だがはどれだかはわからないが、おそらくJTに聞けば210だといいそうだが、俺の勘だけだが半減期の長い209か208じゃないのか?
人工削減計画があるらしい。60億も多過ぎるから10億くらいまで減らそうというイギリスの貴族がいるらしい。(日本にいるユダヤの指令かもしれないが)
わずかでも被爆していたことぐらい誰か知らせろバカヤロー!!!
マスゴミもJTも財務省も厚生省も農水省も自民党も公明党も創価学会も大学も医者もどいつもこいつも大学出を中心とした見て見ぬふりばかりのダメ人間ばかり。
平気でか迷った末か結局見殺しにする、してきたダメ人間ダメ日本人ばかり。
誠にひどいお粗末な人間?ばかりになってしまった日本人なのであった。
お粗末な白人やユダヤの真似をしてきたから堕落してしまったんだね。
わざわざバカになってきた為に今日のひどい状況にたどりついた。
知らぬが仏やバカになれというのは間違っていたのではないのか?
知らぬ間に大事なものを被爆させ傷つけ、死に追いやり、子孫の首まで絞め(子孫の墓まで掘るのほうが的確か)、それでいいとは愚かな人間以下のことではないか
我々の親や祖父や祖母達は完全に間違っていた。(この面に関しては。その他多くの事でも)
悪が満ちているのにそれらを信じ、また深く関わらなかった。
肝心な面でいばらの道しかないにも関わらず、そちらを選ばなかった。
悪魔の楽な選択をしてきたため、我々や子孫の未来は果てしなく暗くなってしまっている。
かれらの大多数は、洗脳され誘導され操作・コントロールされてきて、家畜人間に成り下がり、子孫の事を真剣に考える者が少なかった。欲や恐怖に負けて子孫を守るといういばらの道を選ぶものは少なかった・・・・・・・・・・・・。
だから我々だけでも子孫の未来守ろうではないか!!!
我々の親や祖父たちのような二の轍を踏んではならない。
最近追加した↓
障防法(放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律)によると・・・。
第二十条の測定違反の可能性がある。(JTが)
また線源の規制で、年間1mSvを超える量は届出をしなければならず、検査も義務付けられているはずだが、このJTという会社?犯罪組織は?検査もしていないとの事でこの障防法違反で検察に告発した。
ついでにくじら肉をもらっていた水産庁の監督官も告発しておいた。
おみやげをもらっておいて仕事に影響がなかったとは考えにくい。
こちらも農水省と同じで、接待を受けおみやげをもらい、検査日時を知らせていた農水省と同じで、違反に目をつぶるとか、(くじらの取りすぎとか大きさ規制の違反とかその他儲けその他の為の操業違反に手心をくわえる)癒着していたと考えるが当然だろう。
くそせこい日本の大企業が見返りなしで高価な?物品を利害関係者に渡すはずもなかろう。
これは公務員倫理法違反に抵触し、その他業務上横領や背任罪や公文書偽造その他に抵触する可能性がある。
今放射能・放射線の規制する法律を調査中だが、あんまりないな。これまた。
この国ではいや世界では肝心な法律がない!!!
くだらない法律やあってはならない法律はあるが、肝心な法律がない!(たとえば国民主権法などあるいは国民の命や健康を守る法律が少ない)
一体自民党や公明党や社会党は何をやってきたんだ?
これらは本当に国民のためにあるのか?
巨悪のためにある気がしてならない。
厚生省が人工削減省だという説が本当のような気がしてきた。根拠も多少ある。
厚生省はもと内務省の生き残りと軍隊の秘密機関だった毒ガス研究の部隊石井231だか数字は忘れたさだかではないが、それらの幹部が戦後厚生省の幹部になり、特にこのもと毒ガス部隊の連中はアメリカの軍隊?に研究データ以外でも協力を惜しまず、すなわち薬害のデータをアメリカ軍首領様に差し出していたのではないかと仮説している。
実際それをやっていたのは大学病院の医者や教授かもしれないが・・・・。
最近わずかに見てくれている者がいる?みたいなので、昔の削除した情報を貼っておきやす。
暇つぶしに、電磁波被爆やネットを通じて体に有害な物が放射されている危険性を考えながら(少しずつ見て、すぐネットから離れるとか)ご覧下さい。
巨悪ににらまれても当社は一切責任を負いませんよ。
しかし、マスゴミと違って真実の?情報がここにはあると、あるのではないかと、もしかしたらあると思っています。
静かなるドンの一言「誠は鬼に勝つ!」
去年とおととしのデータだと思います。(以下)
水道水は危険と思われる。まだ調査真ん中ぐらいだが・・・。ミネラルウォーターもよく調べないと逆に危険です。今セラミックで低音ろ過を調べているが、これをやっているミネラルウォーターも多い。水道水も同じ。水道水はさらにアルミと活性炭の粉とオゾンでろ過しているが、これで金属やゴミや細菌などはかなりとれるとは思われるが、農薬など化学物質はほとんどとれないと思われる。したがって農水省の検査と同じでいい加減であるにもかかわらず、安心、安全だと誇張をはるかに超えた詐欺を国家が行っている。東京都などは今水道水をペットボトルにして販売しようとしている。もっと皆調べるべし。原水で魚が死んでいても簡易検査だけですまし、そのまま蛇口へ来ています。コワッ!厚生省令の水質基準50品目は少なすぎるし、農薬などは一切入っていません。一応検査はしているみたいだが、強制項目に入っていないのがおかしい。これで安心、安全とはまるきり詐欺である。詐欺国家日本だけじゃなくて世界。詐欺世界。農薬や薬にあふれ、病人にあふれ、化学物質が大量生産されて大儲け。その為の政府であり、軍隊であり、マフィアであり、マスコミ、大学・学者である
あと水道水はまだ調査途中だが、浄水なんてほとんどしてないに等しいのではないか。
アルミ加工物と活性炭の粉を入れてろ過しているだけだ。これで何百何千とある化学物質が捕れるわけがない。(細菌やゴミなどはほとんど捕れるとは思うが)
しかも水質基準が甘い!農水省の検査と同じで甘すぎる!
最近厳しくなって?50品目になったそうだが、それでも少なすぎる!
農薬は少なくとも800品目以上あるのに、これらはスルーだ。コワッ!
アメリカだけではなくて、日本の川も危ない可能性がある。
資料を読むと毎日のように、川に油が漏れ出したとか、魚が死んでいるとか、川の色がおかしいとかある。(まあ毎日というのは時々で大体は時々だが)
しかし、簡易検査しかしていないみたいだ。その上、魚が死んでいるのは何が原因かわからないとしながらも、水質は検査したが問題ないと報告している。
従って、水源が止められて厳しい精査が行われるわけでもなく、そのまま蛇口に到達している
これは怪しいぞ!まだアメリカのほうがましなのではないのか?
日本は危ないということすら情報統制で外に漏らさない。アスベストの時と同じだ。
フッ素は検出が難しい部類に入るそうだが、たいがいのところは(検査所)いい加減だから、フッ素など全然重要視していない。悪名高い厚生省の基準に従っているだけだ。
日本の検査など信用するにあたらない。(全てとは言わないが)現にヨーロッパは全然信用していない。
日本は技術が世界一なのではなくて、情報統制が世界一厳しい国なのだ。
技術力は一部勝っていても、医者と同じで豪語するほどのことは全くない。
むしろ、情報や研究に莫大な金をかけている外国のほうが上のことが多い。
なのに国内では(国内でだけは)日本は世界一が多くあふれているが、ほとんどデタラメだ。
日本の警察は世界一優秀ではないし、官僚も同じ。医者も学者も同じ。
なのになぜ?マスコミがそういうふうに繰り返し宣伝しているからだ。
国民を騙すのが世界一うまいのが日本なのである。
医学・科学・石油・コンピュータ・軍事産業を握る多国籍企業を握っているのはロスチャイルドやルキフェラーグループなどこいつらの同族が多い。
金の力で権限を握り、権威を買収し、世界機構を誘導している。
[ブレインコントロールがはやっている]
人間や動物の脳を操作するのがはやっている。というか世界的規模で行われている。今現在。こいつらゴミクソンズもそうだろ。
通り魔的事件や身内での殺し合い、オレオレ詐欺や脳をコントロール(または身体をコントロール)した人間を使って、色々事件を起こし、ITハイテク恐怖管理社会へと誘導している。脳コンした人間を使って、ストレスを与え(小さな嫌がらせの数々)このシステムが崩れないよう必死だ。電磁波とコンピュータを使った(他にも化学物質(フッ素?)や催眠術などオカルトも(超能力)使っている可能性が高い)人間制御、人間コントロール中だ。
巨悪もビビる存在がいる可能性もある。(巨悪の天敵)
〔世界の王はロスチャイルドじゃないのか?ロックフェラー(ルキフェラー、すなわちルシフェラー、悪魔を崇拝する者)でもない?〕
世界の王はビーストコンピュータか?何百歳も生きているという魔術師がいるのか?そいつがロスチャイルドをあやつっているのか?それともそいつを悪魔がいて(ルシフェル・ルシファー)悪魔があやつっているのか?悪魔など本当にいるのだろうか?ユダヤパリサイやフリーメーソン・イルミナティやロスチャイルドやロックフェラーは悪魔を崇拝しているが、いない悪魔を利用しているのか、それとも悪魔はいて(エンティティ・霊体のみの存在)人間をあやつってきたのか?どうなんだろう?地球を滅ぼしたいのなら人間というよりも悪魔のほうがぴったりくるな。地球を滅ぼさず、ITコンピュータ恐怖管理監視人間牧場社会を実現したいのなら人間のほうがそれらしいな。どうなんでしょうね、巨悪の天敵さん。
〔気象操作で地震もおこす。気象操作に人間操作が行われている!〕
気象操作で人工地震をおこせるし、旱魃やハリケーンも思いのままだ。
電磁波兵器に地震爆弾、パルス兵器に音波兵器、まだまだありますよ。
エイズや鳥インフルエンザや狂牛病などは生物化学ウイルス兵器らしい。
その為の研究や実験を薬害患者を使って世界中で行っていたらしい。
生体エネルギーまで遠方から細かく分析出来るシステムが出来上がっているという説がある。
生体エネルギーの高い者は巨悪にとって邪魔なので色んな手で弱まるよう知らぬ間に攻撃されているらしい。しかし朗報がひとつある。巨悪にも天敵がいるらしい。これは数年前まで知らなかった・・・・。巨悪が嫌がる天敵とは?一体・・・?太陽に誰かいるのかな?
天変地異や大不況を何度も起こそうとしてきた巨悪を邪魔する存在がいるのか?
1998年にはオウム真理教その他(北朝鮮の特殊部隊やロシア軍他)でテロをおこして、日本を未曾有の内戦状態に落とし込み、日本発の大不況をおこそうとしたが、何者かに邪魔されて何度も失敗したらしい。その後2003年にもパニックプロジェクトを日本その他でおこしたが、またまた何者かに邪魔されたらしい。一体何者なのだろうか?
巨悪は懲りずに執拗に今も世界を大不況にする為、ありとあらゆることを実行中だ。
大恐慌をおこして大戦争を起こしやすくするつもりだろうか?それとも混乱させて統一する世界統一政府を樹立するつもりだろうか。小沢一郎は悪魔の使者なのだろうか?
自民党はアメリカの傀儡政権です。CIAがつくったという説もある。読売テレビ読売グループも同じ。右翼左翼も影の政府がつくった。だから世界中にある。(暴力団・マフィア・暴走族も同じ、世界中になぜかある)共産主義には秘密警察や諜報機関、民主主義にはマフィアや秘密警察や諜報機関。日本にも秘密警察があるのを知ってるかい?自衛隊にも特殊工作部隊があるらしい。ひどい社会ですね。どっちにしても・・・。
〔くず情報とインテリジェンスの違い〕
肝心な本当の事はマスコミでは知らせない。
日本も同じ。本当のことなど何一つ知らされていないと言ったらすぐ反論することだろう。それは完全に洗脳、誘導、操作、コントロールされているからだ。くず情報で誤魔化されて本当の為になるインテリジェンスは公表されない!これ諜報機関では常識なんだがね・・・。社会や世界の汚い裏をあまりお知りにならないらしい。要するに蚊帳の外の連中なんですね。くず情報で死ぬほど苦労して犠牲になった太平洋戦争を知らないのでしょうかね?歴史すら情報操作だらけのくず情報だらけなんですがね。
平安?時代(ちっとも平安ではないのだが)、税を納める百姓達は自分達で過酷な税を
京都まで運んできた。その中には食うや食わずで、あるいは疫病で行き倒れになるものも多く、
(小説羅生門にも出てくる)税を払う、運ぶ為に死んで言った者がいる。
税の取立てはどこもいずこも同じで苛酷で(そうでないと収めない)あるのだが、
特に中世のヨーロッパでは税を取り立てる者の残虐な史実がある。
しかし、日本のように自分で運ばされて、(遠くの者はさぞや大変だった事だろう)
死人がでていても平気で続けていたところはめずらしいのではないのか?
つまり官吏や兵士が取り立てなくては取れなかった外国と違い、さらに支配を一歩進めた
自分で持ってこないとひどい目に合わされた(んだろうと思うが、そうでないと持ってこないだろう)
日本の大衆のほうが悲惨だったともいえる。
なぜここまできびしく支配したのか?出来たのか?する必要があったのか?
きびしく支配した例は他にも沢山ある。切り捨て御免もそうだが、なぜ、この国では、
身分の高い?(ちっとも高いとは思わないが、むしろ人間性や人格の低いやつら)人間
だけを重視し、身分のいやしい?大衆をきびしく支配したのか?
謀反を恐れた事は十分考えられるが、それにしてもひどすぎる事が多い。
まあいい事もそこそこはあるが。
奈良時代、東大寺や奈良の他の寺は奴隷を(奴婢?なぜ言い方が違う?)所有していたらしい。
発掘された木簡に東大寺男450人女600人とか人数まで書いてあった。
見栄えのいい男女だけ近くに置き、中にはなぐさみものにされたり、したらしい。
また、尾張の貴族では、奴婢?奴隷をちょっ、ちょっと口笛のごとく呼んで、
バカにして使用していた。
この異常に精神性の腐った貴族どもは何者か?土着の日本人とは思えない。
中国人か?騎馬部族か?ユダヤ人か?(民族などいない。種族はいるが、民族という
言葉は造語でいんちきである)(またユダヤ人は昔から来ていた証拠がある、日本各地に残る特に四国や近畿
九州や長野、関東の一部、東北まで、また魏志倭人伝にも呉とそっくりな国があるとある)
長いのできります。
[1]plasman 06/12/17 09:53 EdDJX9rIFg
日本では昔から血筋?を重んじてきた。(特に支配階級が顕著)
なぜだ?なぜそうこだわる?まるでユダヤ選民思想と同じではないか。
血筋の悪い?特に悪い者は?非人?人ではないと決め付けられた。
まったくひどい話だ。歴史は嘘が多い事を平気で学校で教えている。
本当の事を決して知らせず、厳しく大衆を支配する。それが長く支配できる秘訣なのか?
その点(うまく支配する)に関しては日本の支配者はずば抜けていたともいえる。なぜずば抜けた支配者がいるのだろう?
それもいいほうにずば抜けていたらいいのだが、そうでもない。
右翼もその為にいるかのようだ。(支配体制を守る)
何者かに追われているかのごとく、京都のまわりを僧兵や貴族や奴隷兵士で固めていたかのようだ。
鉄砲伝来からわずかの期間で普及したのは鍛錬技術が高かった為ともいわれるが、それはヒッタイトなどアジア、今のイスラム世界にいた人々ではなかったか。
一体彼らは支配階級、貴族、武士などはどこからやってきたのだろうか?誰か知りませんか?俺はユダヤ人とスキタイ人、フェニキア人、などではないかと思っているのだが・・。
食に関しては7年前までは僕は典型的な洗脳、誘導された家畜人間でした。
巨悪のろくでなしどもに与えられた薦められた食生活をしていました。
朝起きるとタバコに缶コーヒーを飲み、昼はコンビに弁当かホカ弁。夜は肉ばかり食べていました。せいぜい豚肉を食わなかったくらいです。この豚肉も10年前までは一番の大好物で2日に一回は食べるくらいでしたが、とあることがあって、以来豚肉だけは食べたくても食べませんでした。というのも当時ベジタリアンの彼女にブタカレーを作らせてうまいうまいと目の前で食べていた事を後に反省し、別れたあとも未練とかとは別に彼女を傷つけた反省の為に豚肉だけは食べないことにしました。すると今まで見えていなかったことが見えてきたのです。
まずコンビ二弁当で豚が入っているかどうかわからない。おそらくほとんどのものに入っているらしいということだけ。昔イスラム教徒が日本の弁当は何が入っているかわからないから怖くて食べられないと言っていたことを思い出し、その時はバカな迷信だなと思っていましたが、実際何で豚肉を食いたくないと実践出来ないのか、調理品の中身を何ではっきり知らせないのか、疑問はどんどんふくれ上がりました。
まずわかったのは安い(豚は)し、うまみのコクがでるから使わな損という事でした。(しかし何でそんなに安いのかと疑問を持ちました。野菜よりも豚や鶏肉が一番安いのは何故なんだ)
その後暗礁に乗り上げ、そっから先は幾分か時間がかかってわかったことがあります。
実際、特定の(僕の場合は豚肉)素材を食べないようにしようとしても、外食や調理品(インスタント、レトルト食品など)ではほとんど不可能なことに気がつき、これは何かおかしいぞと思った次第です。
そうして豚肉を食べないというただそれだけの事だったのが大変な労力をかけるまた、外食、調理品一辺倒だった食生活の変化を生んだのでした。
結局豚肉を食わない為には弁当やレトルトは食えない。外食も洋食や中華は無理。
(レストランで聞いてもいちいち答えてくれない。インド料理店ぐらいが詳しく答えてくれたが。そのインド人達はなぜか嬉しそうな顔をよくした)インスタントのうどんやそばにも豚エキスが入っているから無理(入っていないうどんやそばはほんとほとんどない)、お菓子にも沢山の種類に入っている。まさに調味料アミノ酸と同じく、なぜかどこにでも入っている。
一見うまみ成分だから両方ともおかしくないとは思われるが、何もすべてのものに無くてもいいことに気がつく。おかしいぞ。何で無理からほとんどのものに入っているのか。
これは昔豚肉が入っていないおかずやお菓子を求めて探し回った時の感想です。
この時少し僕にかけられていた洗脳が溶けた気がしました。何で肉が嫌いな彼女に無理やり肉料理を作らせたのか、その目の前でうまいうまいと言い続けたのか、僕は洗脳、誘導、コントロールされた愚かなロボットでした。最愛の者の一番嫌がる事をし続けて傷つけたのはなぜ?今でも豚肉を一切食べていないことは傷つけた彼女に対する贖罪のつもりです。
またそれは広がりを見せ、哺乳類を食べていない幸せ?罪悪感もないし、家畜の工業化に協力していないことや、
(豚や牛や鳥の生産から屠殺まではほんと人間のやることではないくらいひどい。特にアメリカでは。ヨーロッパでも台湾でもどこでもひどいのだが。また日本でも電気ショックをしないなどすぐ殺さないで苦しんで死んでいくのがひどいと外国の動物愛護家などに批判されている。屠殺場の見学を色々申し込んだが全て関係者以外非公開。昔は2ヶ所くらいで見学出来たらしいが。五反田の食肉センターで屠殺のビデオのみ公開。屠殺のシーンなら阿修羅さんのホームページで見れます。僕は全部見ました。生きたまま牛を粉々にするシーンもあります)
少し意識の変化が見られました。今まで全く興味のなかった植物に興味が出てきて、今では家庭菜園(ガーデニングですが、プランター。観葉植物と無農薬野菜、難しいです。毎日虫を取っています)をやるくらいです。
肉は全く食べたくないし、むしろ嫌悪感が募ります。しかし魚は時々食べたくなり、しかし見ると食う気がしなくなります。ただ、一昔前まで沢山食べていた納豆や豆腐やがんも厚揚げなどは今では遺伝子組み換えの問題でほとんど食べていません。(マクロビオティックはやっていましたが今では手を打たれていると感じ(巨悪に)、むしろ危険が多いのでやめました。玄米も)
結局、安い、大量、いつでもある。こういう食材は危ないです。
家畜の工業化などのように無理がかかり、その無理をごり押しする為に薬や化学物質や放射能や遺伝子組み換えでさらに無理をして、おかしな社会が出来上がっているのです。
今までの僕は安い、おいしい、どこでもあるものだけを食べていた気がします。
今の僕は高い、さほどうまくないがなれれば結構いける、探さないとない、少量を食べています。僕の場合に限って言えば、味覚が変わった気がします。
こってり、ボリュームのあるものしか好きではなかったのに、今では反対です。
野菜嫌いだったのに今では野菜がうまく感じます(葉物や中国産アメリカ産などひどく感じるものも多々あります。日本産でも四国や関西圏や茨木産のものなどでひどく感じるものも結構あります。野菜にも気をつけるべきです。たとえ国産でも。野菜ジュースはアメリカ産のものが必ず入っているはずです、(運ぶ際にポストハーベスト他)また東南アジアや中国産のものも入っているものが多いはずです)青汁も安全なのはほんのわずかだと思っています。
栄養があればあるほど謀略がかかっており、危ない現状だと思われます。
手間をかけないほど危険が詰まっている気がいたします。
手間とお金をかけて食事は自分でつくるべきです。ただそうさせない出来ないように、社会が作られている気がします。僕自身今の恵まれた環境でないとこの実験は完全には出来なかったでしょうから。仕事に追われ、時間に追われていると大事な食の実践は出来ません。
しかしここであえて言わせてもらえば、まず食の実践をするべきです。
それは意識が変わるからで、意識が変わらなければ元に戻せばいいんじゃないでしょうか。
ここでは長くなるので言いませんが、植物は僕が思っていたのと違って我々動物より高尚な存在だという気がしてきました。なぜか社会は未だに動物から学べとやっていますが、僕は今植物から学んでいる最中です。長い間ご清聴ありがとうございました
製薬,化学,武器,金融業界が各国の政府を制御していてその背後に現代の王がいる?
製薬業界、化学工業業界の陰謀はあるし、こいつらの儲けはハンパないらしい。
やらずぼったくりだな。こいつらが医者や学者をコントロールしていて、あるいは政府もグルで、こいつらは
鉄鋼、石油や武器商人と密接につながっていて世界を支配しているらしい。
日本も程度の差こそあれ同じである。マスコミは管理され、政府は傀儡。医者や学者も管理されている。
勿論、大勢の大衆などがっちり管理されている。誤魔化し世界である。一体どれくらいの誤魔化しが行われているのだろうか。
給食費不払い問題等、市議会などで無料や半額にする議題が出ても、否決されていることは癒着大マスコミは言わずに、ただ払えというのみ。
フッ素問題、遺伝子組み換え問題、効かない薬問題、電磁波問題、医療報酬なぜ引き下げない問題など、いんちきマスコミは無視だけ。
やたらスポーツばかり取り上げているのは未だに3S政策を行っている証拠である。
悪い事から目を誤魔化す為に野球を推進して、だから野球選手の給料は他のスポーツより高いのだ。
この点を一切伝えないマスコミや政治家ども。巨悪に制御されているロボットじゃないか。
脳コン.フッ素.遺伝子組換え.ITハイテク.肉食推進恐怖管理社会
結局この問題を隠蔽したいのだろうが!脳コン削除人か誰かロボが結果的に敵に(巨悪)協力している。
してきて、今日の膿みだらけの腐った社会が出来たんだよー。
そいつらはくそのくせしやがって、先生、先生とたて崇められペテン師のくせしやがって、ふんぞり返って
いたんだよー。信心深かった日本人を科学を妄信するバカに(信者に)洗脳、誘導してきたんだよー。
なぜなら、信仰は時に強い精神力で筋金入りの闘士をつくる。それが邪魔だった腐った支配者は骨抜きにする為
に、腰抜けにして操りやすい家畜人間に仕上げたんだよー。僕ら家畜を食べる家畜人間なんだってよー。
彼らの隠語でゴイ(単数形)、ゴイム(複数形)と言われてんだよー。
彼らの口ぐせはゴイのくせに生意気なと言う。そう言っている人はそのうんこ結社に入っているのかもねー。
京都の人は昔からそうなんだよー。なぜなんでしょうねーっと。うんこ結社の総本部か?支社か?
化学物質(農薬・薬)と原発を日本からたたき出そう!(例外の薬はある)
これらの技術はもとをただせば、ドイツ・オーストリアのバイエルケミカルやヒトラーの軍事産業から発展したもので、その前は錬金術師などのオカルトの組織から出てきたものです。出自の怪しいこれらの技術は地球を蝕み、人間や動物、植物を弱体化しています。
薄い毒を飲み食いし、時限爆弾のように体内に毒物が蓄積していき、
まわりには危険がいっぱいだ!アスベストしかり、耐震偽造(手抜き工事建造物は山ほどあるぜ)しかり、原発しかり、やぶ医者しかり、
いんちき御用学者しかり、権威はいんちきの手先だし、政府はアメリカの傀儡だし、馬鹿は大学で洗脳されているし(大学だけではないが)、裏がわからない者は半分かほとんど何もわかって、見えていないそうだ。本当のこと等どこにあるのだろうか?誰も騙されているだけではないのか?君たちは原発の実験をして検証してみたのかね?
検証もしないで、誰かの論文を読んで(検証しないで)まあ間違いないだろうと信じているだけでは宗教の騙され信者と変わらないよ。
アルミは缶ジュースなどで、パカッと開けると、小片が落ちて、知らないで飲んでいるらしい。
また少しソースは古いが3年前、マクドナルドなどで、くそバーガーを包む耐油紙、つまり包装紙に フッ素コーティング剤の助剤として含まれるPFOAパーフルオロオクタン酸が使われているらしい。
これは前立腺ガンやホルモン異常その他を引き起こすらしい。
今はわからんが、ケンタッキーフライドチキンやサブウェイやファーストキッチンなどが使用している、いたらしい。
モスフードやウェンディーズは不使用。
マクドナルドは使用不明。おそらく使ってるんだろ。
ロッテリアは未回答。使ってんだろボケ。
外食産業など俺の調べた限り、おいしさばかりを追求していて、居酒屋の何とかど忘れしたがそれなど例外を除く。
安全面などさっぱりかたいして考えてないやつらばかりだ。
例えば、イチゴには特例で収穫間近まで農薬散布が認められているのだが、これなんかよく洗って食べないと危ないのだが、ケーキ屋やデザートを作っている店に色々問い合わせたが、洗わずに拭いたりして使っているところが多いみたいだ。みたいというのは俺が聞いたところはすべて洗っていなかったが、全部を調べたわけではない為。
危険じゃないかと言ったところ、何でだ?と聞かれ、こいつらの農薬など食品についている化学物質に対する知識がないのに愕然とした。
いやあー、国がちゃんとやってるから大丈夫じゃないの?
イチゴは洗うとすっぱくなって、おいしさが落ちるから洗わない。
まあ商売だから売り上げが減るから洗わないのはわかるような気はするが、こんなんじゃだめだろ!
専門家に聞いたら、洗わないと駄目だよ!危険だよ。
飲食店に聞いたら、洗うと売り上げがねえー。
別に宣伝する意図もないが、ソースは「食マフィアの棲む国」吾妻博勝著、徳間書店より。これだけではないが教えない。
概要は日本の農薬使用量は世界一のアメリカを圧倒する。
食マフィアとはこの国の構造そのものなのか。
戦後60年の土壌汚染。
要するに日本の野菜や果物も油断できない、というもの。
国内で作っているものだって、ひどい農家も結構いるらしい、
それに偽装工作、例えば、埼玉産だといって実は中国産だったり、国産だと偽って儲かる中国産が出回っているらしい。
特に安い外食産業などでは知ってか知らずか、多くのところで使われているらしい。
試しに何件か大手チェーンの外食産業にきいてみたが、例えばガスト、どこの野菜を使ってますか?と聞いたが、わからない、言えないといわれた。・・・・・・・。
外食産業の間に入っているブローカーがひどいのが多いらしく、こいつらが、儲けの為に中国産を国産にすり替えて納入しているらしい。
検疫システムは一割検査してそれを二回繰り返すだけだ。
確率論的にはかなり発見できると豪語しているが、結局あとの9割は何が入っているかわかったもんじゃない。
検疫所はばかな日本大衆が沢山食べるので、毎日膨大な種類や量の輸入物が入ってきて、正直追いつかないらしい。
マンションは建ち、近隣住民は犠牲となって我慢の人生、原発は増え、戦争は15年おきに起こり続け核は減少すらせず、犠牲者は続出し、不幸はなくならず我慢の人生が増加する。
遺伝子組み換えを大勢が食わされ、人間モルモットにされて利用されて処分される。→人工削減計画60億人から10億人へ。
フッ素(フッ化ナトリウム、他)で脳を弱体化させボケやブレインコントロールを強行しつづけている。
農薬、薬、化学物質で生体エネルギーを弱体化させ続け、万に一つの逆転劇さえもさせないようにし続けている。これらに断固反対する市民運動はあったし今もあるが、僕に言わせれば肝心なところの成果はほとんどあがっていない。だから蔓延し続けている。
成果があがれば減少していることだろう。しかしそうはなっていない。
むしろ増加している。
陰謀はこれからとか言っているがとんでもない勘違いですよ。
これまで沢山陰謀の成果があがってきているし、今も市民運動と違ってどんどん成果があがっていますよ。これからもあるでしょうが、今起きている危機に関して何とかしなければ2012年など来るかどうかわかりませんよ。
脳・身体コントロール、操作に関しては誰も触れさえしませんね。
もうされているくちだからでしょうか。
山本 和志
食に関しては7年前までは僕は典型的な洗脳、誘導された家畜人間でした。
巨悪のろくでなしどもに与えられた薦められた食生活をしていました。
朝起きるとタバコに缶コーヒーを飲み、昼はコンビに弁当かホカ弁。夜は肉ばかり食べていました。せいぜい豚肉を食わなかったくらいです。この豚肉も10年前までは一番の大好物で2日に一回は食べるくらいでしたが、とあることがあって、以来豚肉だけは食べたくても食べませんでした。というのも当時ベジタリアンの彼女にブタカレーを作らせてうまいうまいと目の前で食べていた事を後に反省し、別れたあとも未練とかとは別に彼女を傷つけた反省の為に豚肉だけは食べないことにしました。すると今まで見えていなかったことが見えてきたのです。
まずコンビ二弁当で豚が入っているかどうかわからない。おそらくほとんどのものに入っているらしいということだけ。昔イスラム教徒が日本の弁当は何が入っているかわからないから怖くて食べられないと言っていたことを思い出し、その時はバカな迷信だなと思っていましたが、実際何で豚肉を食いたくないと実践出来ないのか、調理品の中身を何ではっきり知らせないのか、疑問はどんどんふくれ上がりました。
まずわかったのは安い(豚は)し、うまみのコクがでるから使わな損という事でした。(しかし何でそんなに安いのかと疑問を持ちました。野菜よりも豚や鶏肉が一番安いのは何故なんだ)
その後暗礁に乗り上げ、そっから先は幾分か時間がかかってわかったことがあります。
実際、特定の(僕の場合は豚肉)素材を食べないようにしようとしても、外食や調理品(インスタント、レトルト食品など)ではほとんど不可能なことに気がつき、これは何かおかしいぞと思った次第です。
そうして豚肉を食べないというただそれだけの事だったのが大変な労力をかけるまた、外食、調理品一辺倒だった食生活の変化を生んだのでした。
結局豚肉を食わない為には弁当やレトルトは食えない。外食も洋食や中華は無理。
(レストランで聞いてもいちいち答えてくれない。インド料理店ぐらいが詳しく答えてくれたが。そのインド人達はなぜか嬉しそうな顔をよくした)インスタントのうどんやそばにも豚エキスが入っているから無理(入っていないうどんやそばはほんとほとんどない)、お菓子にも沢山の種類に入っている。まさに調味料アミノ酸と同じく、なぜかどこにでも入っている。
一見うまみ成分だから両方ともおかしくないとは思われるが、何もすべてのものに無くてもいいことに気がつく。おかしいぞ。何で無理からほとんどのものに入っているのか。
これは昔豚肉が入っていないおかずやお菓子を求めて探し回った時の感想です。
この時少し僕にかけられていた洗脳が溶けた気がしました。何で肉が嫌いな彼女に無理やり肉料理を作らせたのか、その目の前でうまいうまいと言い続けたのか、僕は洗脳、誘導、コントロールされた愚かなロボットでした。最愛の者の一番嫌がる事をし続けて傷つけたのはなぜ?今でも豚肉を一切食べていないことは傷つけた彼女に対する贖罪のつもりです。
またそれは広がりを見せ、哺乳類を食べていない幸せ?罪悪感もないし、家畜の工業化に協力していないことや、
(豚や牛や鳥の生産から屠殺まではほんと人間のやることではないくらいひどい。特にアメリカでは。ヨーロッパでも台湾でもどこでもひどいのだが。また日本でも電気ショックをしないなどすぐ殺さないで苦しんで死んでいくのがひどいと外国の動物愛護家などに批判されている。屠殺場の見学を色々申し込んだが全て関係者以外非公開。昔は2ヶ所くらいで見学出来たらしいが。五反田の食肉センターで屠殺のビデオのみ公開。屠殺のシーンなら阿修羅さんのホームページで見れます。僕は全部見ました。生きたまま牛を粉々にするシーンもあります)
少し意識の変化が見られました。今まで全く興味のなかった植物に興味が出てきて、今では家庭菜園(ガーデニングですが、プランター。観葉植物と無農薬野菜、難しいです。毎日虫を取っています)をやるくらいです。
肉は全く食べたくないし、むしろ嫌悪感が募ります。しかし魚は時々食べたくなり、しかし見ると食う気がしなくなります。ただ、一昔前まで沢山食べていた納豆や豆腐やがんも厚揚げなどは今では遺伝子組み換えの問題でほとんど食べていません。(マクロビオティックはやっていましたが今では手を打たれていると感じ(巨悪に)、むしろ危険が多いのでやめました。玄米も)
結局、安い、大量、いつでもある。こういう食材は危ないです。
家畜の工業化などのように無理がかかり、その無理をごり押しする為に薬や化学物質や放射能や遺伝子組み換えでさらに無理をして、おかしな社会が出来上がっているのです。
今までの僕は安い、おいしい、どこでもあるものだけを食べていた気がします。
今の僕は高い、さほどうまくないがなれれば結構いける、探さないとない、少量を食べています。僕の場合に限って言えば、味覚が変わった気がします。
こってり、ボリュームのあるものしか好きではなかったのに、今では反対です。
野菜嫌いだったのに今では野菜がうまく感じます(葉物や中国産アメリカ産などひどく感じるものも多々あります。日本産でも四国や関西圏や茨木産のものなどでひどく感じるものも結構あります。野菜にも気をつけるべきです。たとえ国産でも。野菜ジュースはアメリカ産のものが必ず入っているはずです、(運ぶ際にポストハーベスト他)また東南アジアや中国産のものも入っているものが多いはずです)青汁も安全なのはほんのわずかだと思っています。
栄養があればあるほど謀略がかかっており、危ない現状だと思われます。
手間をかけないほど危険が詰まっている気がいたします。
手間とお金をかけて食事は自分でつくるべきです。ただそうさせない出来ないように、社会が作られている気がします。僕自身今の恵まれた環境でないとこの実験は完全には出来なかったでしょうから。仕事に追われ、時間に追われていると大事な食の実践は出来ません。
しかしここであえて言わせてもらえば、まず食の実践をするべきです。
それは意識が変わるからで、意識が変わらなければ元に戻せばいいんじゃないでしょうか。
ここでは長くなるので言いませんが、植物は僕が思っていたのと違って我々動物より高尚な存在だという気がしてきました。なぜか社会は未だに動物から学べとやっていますが、僕は今植物から学んでいる最中です。長い間ご清聴ありがとうございました。
メーリングリストの皆様へ
[肉食推進は影の政府のご下命か?]
明治以降日本を占領した外国勢力の方針で日本に肉食が推進された。なぜか?
当時は輸出するまで儲かるシステムではなかったはずだ。儲からないのになぜ?
影の政府(シークレットガバメント)の力の根源はオカルト(化学も科学もそこから発している。化学を中心に)なんです。おそらくそのオカルトにおいて、あまり肉食をしていなかった日本人に肉食をさせることによって、何かこいつらの為になるのであろう。すなわちこいつらの為になるということは我々の為にはならず、むしろ害になる。
まず第一に肉食をすると血がにごる。動物の血を吸収して我々の血の体質が変わってしまうのだ。それがいいのか悪いのか、おそらく悪いのだろう。だから巨悪のゴミくそどもが推進してきているのだ。第二に想念の問題で、殺された動物の想念が増え、この世界の想念が悪くなるというもの。また食べた人間にもその想念が影響するというもの。
第三に共食いだという説。特に四足は共食いだという。第四に波長が変わる、悪くなる説。
第五に回りまわって自分達の子孫がそうなるという業(ごう)をつくっている、悪い業をつくらされているという説。第六に生体エネルギーが弱体化するという説。生体エネルギーに関してはこんな重要な事を教科書ではほとんど知らせていないのだ。どの生物にも生体エネルギーがあり、それぞれが影響しあって高まったり低まったりしているらしいが、農薬・薬・化学物質で各生物を弱体化している、してきた。肉食は万病のもとと言われるがそれと関係しているのではないか。欧米人は肉食の害が多いことを知っており、ポテトやチーズなど解毒剤を一緒に必ず採るようにしている。その欧米人だってその昔は豆ばかり食べて(貧乏だった)肉食などほとんどしていなかった。なぜ普及したのか。オカルトに関係しているに違いない。ちなみに僕は4年前からベジタリアンです(完全。牛乳も添加物も調味料アミノ酸も一切とらない。訳あって実験中です)様々な生物を無理に食う必要はないし、食ってはならないことぐらいどうしてわからんのでしょうか。洗脳・誘導・操作されている為か。そういう僕も一昔までは牛丼やカルビなど肉しか食っていませんでした。おそらく洗脳・誘導・操作されていたんでしょうね。
山本 和志
以下はとある掲示板でやりとり中に誰かが送ってきたものである。
信憑性は全くわからないが、参考の為にお知らせしておきます。
【【【【警告!】】】】
決して、牛由来の食品(牛肉・乳製品・パン・マクドナルド)を食べないでください!!!!
牛肉はすべて汚染されています。乳製品も汚染されています。乳製品由来のパンも汚染されています。
そして、アメリカとアメリカの衛星国であるオーストラリアとアメリカの工作機関である同和団体による国家レベル・国内レベルでの産地偽装が行われています。
ですから、決して、牛由来の製品に触れないでください。
1.同和団体が今叩かれるのは、なぜ?
では、なぜ同和団体が今叩かれているのか?後日詳述しますが、概略を述べます。そもそも、同和団体とは戦後にアメリカによって「解放」・育成された、構成員が朝鮮人の団体です。戦前の日本の賤民は、私の曾祖父の親分がてき屋の総元締めであったように、身分・職業を限定されると同時に、その事自体によって特権を得ていました。これは、博徒などでも同じだと思います。ところが、戦後同和団体は、糾弾という暗殺で何万人もの日本人を殺してきました。そして、そのことは日本最大のタブーでした。その、最大のタブーが今になって、あの臆病なマスコミに批判できるはずがありません。事実、今まで何万人もの日本人が事故死や自殺という名目で暗殺されてきたにもかかわらず、司法もマスコミもだんまりを決め込んでいました。それが、今になって同和団体や役所の環境部の同和暴力団員が批判され出したのは、マスコミのバックにアメリカがついていて、同和団体に対する鞭を下せという命令がアメリカから来たからです。同時に、同和団体にはアメリカから飴も与えられました。それが牛製品に関するBSE情報統制と産地偽装という情報操作です。
2.BSEとクロイツフェルト・ヤコブ病とは、何か?
BSE感染牛(アメリカのすべての牛、アメリカではBSE認定されずに人為的にへたり牛として処理される。また、イギリスでBSEが発見されるより遥かに前に、アメリカではBSEをへたり牛と情報操作してきました。)を食べると、
クロイツフェルト・ヤコブ病に感染します。クロイツフェルト・ヤコブ病に感染して死んだ人間は、
高レベル核廃棄物と同様の密閉「処理」されます。なぜなら、通常の高温焼却炉では異常プリオンは、
消滅できないからです。(日本で狂牛病が出るのは、米国産の肉骨粉を肉牛・乳牛に食べさせてきたからです。)
ですから、遺体はおろか遺骨すら返してもらえません。
いまは、アメリカの世界皇帝のように、「戦前の日本食(米と野菜と魚と大豆;但し、国産)」を食べて、長生きしてください。
なぜならば、世界皇帝に対抗する手段は、知性・持久戦・長寿しかないからです。
生き延びてください。
3.狂牛病とは、何か?
狂牛病とは、人口削減計画に基づくBC融合兵器である.
つまり、狂牛病は、アメリカが開発・失敗したバイオケミカル融合兵器・BC融合兵器であり、異常プリオンは生物でもなければ、単なる化学物質でもありません。生物の機構に関与するプリオンを異常化させて人造されたBC融合兵器です。
BSEというBC融合兵器の狙いは、(ぼやきの狂牛病の号をまだ読んでいませんので間違っているかもしれませんが)、
世界皇帝を、医学という不老不死術と日本食というアメリカが日本から排除した長寿食とESP防衛(念力PKは無いが、第六感ESPは有ります。(私も昔は持っていました。じゃんけんをするときに額の真ん中に赤い色で相手の手が出まして、証明のために友人に宣言してから7連勝しました。あるときはマーク式テストの正答の番号が光って見えました。ただし、これは暗黙知による脳の内部の無自覚的処理による出力でしょう。)また、ESPとは、ヒトの古代に持っていたセンサーと処理機構によってなされる、(有史以前・古代では普遍的に見られたが、現代人が文化で代替した)感覚です。後日改めて述べます。)によって、長命に導きながら、世界の人類を7割減を計画・実行しています。アフリカを御覧ください。エイズで人口調整されています。日本を御覧ください。BSEで潜伏期間10年以上の人口調整とエイズの意図的取り締まり怠慢で潜伏期間20年の人口調整が計画・実行されています。
アメリカ産牛肉が統計上は輸入されているのにスーパーで見かけませんね。これは国家レベルの産地偽装が行われて、オージービーフや国産牛(!)として一般流通しているからです。また、マクドナルドが安心0円を声高に謳うのは、米国産BSE感染牛(米国産牛はすべてBSE感染しています)を子供たちに食べさせるためです。
【警告】絶対に、牛肉と乳製品を食べないでください!
以上、緊急警告を終わります。
受験勉強より大事なこととは
受験勉強など化学物質の勉強と政治、特に騙されない勉強(詐欺、ペテン師など)、法律の勉強(特に国民の権利、告訴の権利。労働基準法、最高裁判官を罷免出来るなど自分が知っていて得する法律を中心に)、食の安全面、栄養面、基礎的な仕組みの勉強、数少ない立派な人(自分や自分の身内の為ではなく、困っている人の為や苦しんでいる人の為に努力を続けた者)に学ぶ、それによって自然と道徳教育ではないが、卑怯な奴はくずだとか、ずるい奴は程度が低いとか、いじめや差別はくずのする事だとかがわかってくる。とにかく騙されない、仕事に関することではなく、なめられない程度以上の法律の知識、食や医療の基礎知識と化学物質の知識。いんちき一流ではなく、真の一流(大学などにはほとんどいない、こいつらはいんちき一流、大体一流などでははなからないわ!この国ではくずの事を一流と呼ばせる。先生と呼ばせる、狂った逆さまの国)の人間に学ぶこと。
これをしてから仕事に関係のある受験勉強をするべきだ。
これをしないでくだらん受験勉強だけをしていると、オウム信者のように、簡単に騙されて意味がないどころか、しない方がマシだ。
オウム信者のようだな。彼らもいい大学?一流?とんでもない、一流などでは断じてない、出身が多かったが、バカが多かった為、騙されてサリンなど最悪の行動に組した。こいつらほんとに一流か?
5流6流じゃねえか!こんなんなるなら、6流大学なんぞ行かないほうがずっとマシではないか!いや行くべきではない、行ってはならない。
どうせ一流企業もあると勘違いしているとんちんかんだろ?これもないぞ。
ペテンもいいところだ。くずで悪い事をやってきた者の事を一流と呼ぶ、地道に善や正義を行って努力してきた者を一流と見なさず、排斥し、くずを一流だと洗脳する。
逆さまの社会。逆さまの世界。
ごみくそが崇拝され、人知れず与える本当の神は無視される。
さかさまのせかい。それをひっくりかえせってか・・・・・・・・。・・・・・・・・・・
Posted by plasman at 20:53 |Comments(0) |TrackBack(0) | 陰謀 , ニュース , いんちき | |
2009年04月13日
仕事の正体
仕事の正体
動物植物はほとんど絶滅し、空気や土地、動物植物人間、地球上の(地球内も)あらゆるものが化学物質(毒汚染)汚染されてしまった。
全世界が低俗な西洋化、欧米化(動物・植物・劣った人間(有色人種)などを差別し、物扱いする。それを神が望んでいるなどという自己中心的な勘違い、とんちんかん文明)して精神文化が低俗に堕落してしまった。
昔マフィアがアジアの国は人権が低くひでえところだというぐらいひどい所なのに、どの国も自国民には気づかせないように情報統制をしている。(北朝鮮や中国だけではない!日本もアメリカもイギリスもどの国も世界中)
自国のいいところだけ報道し、、よその国の悪いところを積極的に報道し、自国の悪いところは出来るだけ隠し、よその国のいいところを報道しない。こんなペテンが全世界で普及してしまった。
本当の自由などどこにもなく、こいつら欧米化文明を考えたやつらの与えた範囲内での自由しかないにもかかわらず、誤魔化し騙し洗脳し、さも自由があると思い込ませている。
俺は一切欧米文明と縁を切って自活して生きていこうとしても、そこに自由などない。
奴らの見えないバリアが出て来て、邪魔をし、逃れられないように様々な手が打ってある。
やつらのつくった社会・文明の中で頑張ったところで、悪事と縁を切ることは出来ない。
仕事仕事と特に明治以来の日本の社会は強制されてきたが、もともとは仕事とは欧米化することであり、欧米化とは工業化することを含み(軽工業から重化学工業へ誘導。
重化学中心の化学物質あふれる社会へと誘導する事 = 薬漬け・薬物汚染・薬物コントロール・(食コントロールも含めた、人間や動植物など自然を改造する)
自然や動植物や人間をこのくびきの中に入れる=沢山の病気の原因ではないか?
また生命エネルギーを弱体化させ、人間本来の持つ良さを台無しにしているのでは)・自然破壊・騙しやペテンや詐欺や嘘のあふれる社会に誘導すること・
金銭と数学のくびきの中に(カバラ数秘術ーオカルトの中に封じ込める)閉じ込めること。
すなわち悪事に強制荷担させる社会・世界に全世界を誘導することであり、社会の重要な立場になればなるほどその悪事荷担率は増え、また悪行を積まないと出世出来ないようになっている欧米社会と同じになるように推進・協力することではないか!
山を切り崩し、池を埋め、川や海や空を汚し自然を破壊し、動植物を勝手に資源と呼び絶滅するまで儲けの為というくだらない理由で簒奪する。
人や自然や動植物や神を信じて生きていた人々に不信の社会へと誘導し、信じて騙されるのはバカだというこれまた手前勝手な屁理屈・自己中を常識だと言い張り押しつけてきた。
執拗なまでに欲望をあおり、それを肯定・賛美し、自然の摂理を勝手に一部分だけを拡大解釈して、弱肉強食だと吹聴し、全世界にそう思い込ませた。
神のふりをしたごみくそを神だと言い張り、これを拝めと全世界に押しつけてきた。
神に反する(神がつくった自然をことごとく破壊・改造してきた。披造物同士仲良くして欲しい親心を踏みにじり戦争や略奪・盗み・強姦・居直り強盗・殺人を推進してきた欧米文明。
こんなものに近づける為に「仕事」が重要視され、強制されてきた。
すなわち、神に逆らう悪事に無理矢理嫌もおうもなくやらされ、それが仕事の大部分の正体である。
これを推進する為に、大学や省庁や政府や日銀(各国中央銀行がコントロールする金融)がつくられ、
積極的に協力したものにおこぼれ(金・出世・異性・名誉?など)を与え、裏切らないよう幾十にもシステムが(縦社会・儒教・裏切り者は暗殺など)つくられ、裏切らない従順をつくる為に大学、学歴制度を推進し、(まあそれだけではないが)表のエリート?と呼ばれるへなちょこをつくり、裏のエリートも(不良・暴力団・右翼など)つくり、表の従順が裏切った場合裏の従順が処分をし、お互いが一致してその他の勢力が大きくならないようにたたきつぶしてきた。
欧米文明の上で頑張るな!!(何事も例外はあるがそれをのぞいて)
悪事に連動しているぞ!
欧米文明の上ではなく、その外で頑張れ!
IT推進社会・ネット社会の落とし穴
・特定の個人だけを仮想空間にのみ放り込む事が出来る。その本人はそこが仮想空間だと気がつかない。(過去のデータから対応をそっくり真似ている為、本人も違いがわからない)
・ネット上の規約や法律などはどんどん変更していく為、少しの変更で、例えば商売でもそのまま続けていくハードルがあがると、出来なくなる場合が想定されます。
・今現在はネット社会へと誘導中なので、何かと得することが多いのですが、商売と同じで、完了してしまえば、その限りではありません。
すなわち、今度は逆に別の推進するもののほうが有利になり(誘導中の為)、そのあおりを今度はネット商売のほうがこうむる可能性があります。
・ネット商売では相手を確実に確認する事が出来ない場合がある為、だまそうと思えば、一人が大勢のIPアドレスで大勢いると思わせて、ある時期がくるとさっと引き上げれば、そのお店は突然常連客がほとんどいなくなり、なぜかもわからず、騙されていたことすらわからない場合が発生します。
・ネットではサーバーやその他バックアップにデータを保存しておくスタイルが基本だと思われますが、そのデータは簡単に消したり(電磁波その他で)、変更したりする事が出来るので、こんな不安な土台ではいつまでも繁盛するとは思えません。
・法律が完備されれば、重い税金が設定される可能性もあります。
・法律が完備されれば、ちょっとしたミスでもペナルティに引っかかり、これはサーバーで常時監視していますから、すぐ見つかります。そして、数学的基準にのみ従って、ペナルティ執行がされる予想が想定されます。
そのペナルティはネット社会が進めば進むほど厳しくなる事が想定されます。
その他まだありますが、核となるものを提示したので、あとは細かい枝みたいな事なので、省略しました。
僕はコンピュータ業界に数年いて、(5~7年)その時は他の業界より恩恵を受けていたので、マイナス面に気がつきませんでしたが、業界から遠ざかり、改めて客観的に見直して見ると、今では無駄な数年間だったと(100パーセントではないですが、ほとんどが無駄)考えています。
確かに今店舗つぶしが行われていて、ネット社会へとネット商売へと誘導しているので、資金のない者はいやもおうもなく誘導されていくのかもしれません。しかし、それはなぜなのか。何の為に誘導するのか考えると、我々一般人類の為ではない事に気がつきます。それは知らせないほうがいいかと思います。(問題が大きい為)
せっぱつまっていなければ本格的にはやられないほうがいいかと思います。
(趣味程度で)
せっぱつまっていても、緊急避難的に、一時しのぎでのみされたほうが、無難かと思われます。余裕が出来れば撤退する事をおすすめしますが、たいていは、うまくいっているのに引き上げる人はほとんどいない事もお知らせしておきます。
薬と似ていて、その場は効くのですが、あとで強烈な副作用が起きない事を祈ります。
以下はおまけです。 でもすごくおもしろいかも
氷河期が迫っている?!
笹川英資 「超権力 グローバル・ゲーム」より 抜粋
誰が原爆をつくり、トルーマン大統領に落とさせたのか?この真犯人を掘り起こして暴露するのが日本人の仕事である。
日本の原子力などは、かってのソ連や東独などで行われた危険極まりないレベルであり、大惨事発生は時間の問題である。その上コスト的にもアホらしい。「原子力安全委員会」などはジョークである。
電力が足りないというのは嘘で、原発を増やすとそのバックアップとして火力発電所が必要になりその分だけ大気汚染が増大する。マスコミはこの事も報道しようとしない。
国家財政を経済学で論じるのは無意味で、そもそも経済学自体が偽りの学問である。
政権交代は茶番劇。マスコミも加わりそれらしく演出して民主主義があると思い込ませている。
金融などは最初から国際金融財閥が自由自在に操れるオモチャにすぎない。
くそ経済学者などを登場させもっともらしい煙幕をはる。
日本政府など存在せず、植民地行政庁と日本人の財産を奪う目的の金融はおろか、子供の教育・洗脳をはかる文部省、日本人の脳死や重要事から目をそらさせる・誤魔化すマスコミ、日本人の大量毒殺を実行する人口削減省こと厚生省などを動かしているのは国際金融財閥である。日銀が日本総代理。
ジョンFケネディ2世が操縦する小型機がミサイルで撃墜された時も、目撃者の証言は地元の小新聞に一回だけ掲載されたのみで、米国のマスコミはおろか世界のマスコミは申し合わせたように(アスベストや薬害エイズの時も同じ)堅く沈黙を守る。これは偶然ではなく、全世界の政治、金融、マスコミはごく一握りの集団が支配していることを如実に示す。
この数千人の超富豪達が全世界を支配し、数十億人の運命を決めている。
経済危機・金融の暴落・戦争・平和は決して偶然に起こるものではなく、あくまでもかれらが長期的・短期的に企画・計画するものである。
今日の教育制度は本当の歴史が絶対に学習されないように仕組まれたものであり、マスコミが誤情報を拡散させて無知状態に追い撃ちをかける。
ロックフェラーは米国の中央銀行を支配しているのみならず、世界の医学界と製薬業界を支配する。連邦準備銀行のオーナーとなって以来国際金融財閥の一環となった。その傘下である石油業界、軍産複合体を通して世界的な権力を行使する。たとえ海を隔てているとはいっても、日本もその影響力を逃れることは出来ない。
エライ・リリー社製の抗鬱病剤のプロザックやルボックス使用者が自殺したり、殺人事件を起こすケースは多い。
これらは脳内のセロトニンのレベルを変える。(化学構造は少々違うが)
フッ化ナトリウムは家畜洗脳薬だ。
フッ化ナトリウムはアルミ業界の廃棄物であるが、水道管・自動車のラジエータも腐食し、ネズミも殺すため、猫イラズとして使用される以外の処理方法がない代物であった。海中投棄すると周囲数キロにわたって魚が死ぬほど毒性が強い。日本の水道だけは安全という神話を信じる人はいまだに多いが、故意に毒物が添加されているなどとは夢にも思わない。
フッ化ナトリウム、この毒性物質は人間の免疫力を著しく低下させ、中枢神経に決定的なダメージを与え、微量を毎日与えると、生きる気力と抵抗心を消滅させる。この件に関しては旧ソ連の強制収容所で実験済みで、この効果については牛の飼育者も知っていて、荒々しい牛に雄牛に与えるとおとなしくなったという。
腎臓に蓄積され、発がん性もあり、幼児の突然死症候群の原因にもなる。
水道水にフッ素が投入される都市では明らかに死亡率が増加している。
フッ素の安全レベルなどは存在せず、歯磨きにフッ素と書いてあれば要注意である。(モノフルオロリン酸も)
たった1ppmあるだけでもDNA修理酵素の活動を阻害する。
食品にレーザーを照射すると(バーコード読み取り機なども)特定酵素が消滅することが知られているが、これらの免疫機能低下、DNA修理酵素低減、細胞酸素使用低減、突然変異率増大はガンの発生にも関連し、フッ素を直接の発がん性物質とみなすこともできる。1977年の研究ではフッ素投入だけでガン死亡率が5~10パーセント増加した。
フッ素が原因の疾病は400種類以上で、甲状腺も阻害される、呼吸器・胃腸・神経障害・老化現象・コラーゲン破壊を示す物質の増加の原因となる。
骨にもダメージを与え、全身性毒素として、3ppm以上のフッ素が飲料水にあると動脈硬化・心臓発作・脳内出血の原因ともなる。
フッ化ナトリウムはロスチャイルドが所有するアルミ業界の産廃処分のためだった。アルコア社。米国医学誌JAMA1943年9月18日付けの論評によると「フッ素は特定酵素システムを阻害」して「細胞代謝を変性」させ得る「一般細胞毒」である。
歯科医や医師は文献などの研究を怠っているが、水道へのフッ素投入を推奨している。米国医師会、米国歯科医師会、その他保健局などが独自の調査を行わず、フッ素の生産先である米国農産物会社やフッカー化学(ファルベン化学も)のいいなりである。
フッ素は洗脳の為の毒薬として旧ソ連などで使われていた。
水銀中毒の原因に化粧品・医薬品・ペンキ・魚・虫歯の詰め物がある。
魚類は水銀を排出せず蓄積される。
虫歯のアマルガムや歯の詰め物・ブリッジなどの歯科治療に百近くの化学物質が使用され、これらがもたらす被害は甚大である。
歯科医はいかなる金属・化学物質が虫歯治療に使用されるのか患者に教えず、毒性の強い致命的な物質であっても平然と詰める。入れ歯も安心できず、矯正用のブレースは毒性の金属であるニッケルを含有する。
多くの人が無用の危険にさらされた挙げ句、廃人・植物人間が増大して医者が診ても原因不明の症候群などというシナリオになる。ところが原因は不明どころか、明らかに意図的であり、犯罪的な隠蔽が被害を拡大する。
水銀やニッケル以外にも歯の詰め物には危険な金属が多く使用され奇形児出産の原因ともなる。
歯医者は無用なレントゲン撮影を繰り返すが、それは大きな額を国保に請求出来るからである。
もちろん被爆する患者のことなどは知ったことではない。
虫歯の詰め物の金属は少しずつ溶け出し、たとえ微量でも毒性反応を引き起こす。特に銅含有率が高い新しいアマルガムが危険で、こうして発病してもせいぜい医者に原因不明などとレッテルを貼られて、薬漬けになるのがオチで、正しい治療などは期待出来ない。
もっとも現代医学では原因などはわからなくても、薬さえ売れればよいのである。
ましてや厚生省こと人口削減省が国民の健康など守ってくれるわけがない。
水銀には細胞膜に定着する特性があり免疫は外敵だと勘違いして攻撃し始め破壊する。=自己免疫症である。
アマルガムと歯根治療の組み合わせが主な原因である。
水銀は細胞を死滅させ、遺伝子を破壊する。神経に干渉し、記憶力喪失、憂鬱症の原因となる。
アマルガムによる慢性疲労症候群はヘモグロビンと水銀が結合するためで、ヘモグロビン値が平常に見えても血液の酸素運搬能力は阻害される。
憂鬱症・神経疾患に悩む女性の原因が配偶者のアマルガムということも考えられる。
歯科医はアマルガムに手を触れようとしない。それほど毒性の強いアマルガムであるが、平然と患者の口中に詰める。
菌の冠を入れてもらったと喜んでいるととんだ思い違いで、ニッケル合金・ニッケルは発がん性や毒性があり、ニッケルは冠の90パーセント以上に使用されている。
歯科医が重視するのは強度のみである。
パラジウム・イリジウム・ガリウムなども金属が接触すると電流が発生し、金属の種類が多いほど電流が発生しやすい。電流の問題点は猛毒の発生と脳細胞に向けて電流が流れる事実でこれが脳障害の原因ともなる。保健機関や製薬会社などが公表する数字や統計は無意味である。
アマルガムの水銀はさらに細菌に抗生物質に対する耐性を与える。そのメカニズムは、細菌が周囲の組織から遺伝子を一つ獲得し、自らの遺伝子に付加して防衛する。さらに水銀に対する抵抗力を得た細菌は、水銀を排出できるようになる。
アマルガムからは電気作用によって水銀が流出し、奇形児出産などのもろもろの原因不明の疾患を引き起こす。
これは意図的に作られた状況であり、その裏にあるのが歯科医師会、医学界を操り、危険極まりない物質を幼児や妊婦の口腔に詰める犯罪者集団である。
アマルガムなどは性急に外すと、対中の金属汚染が一挙に高まる。医学マフィアによって少しずつ毒を盛られても何も気がつかないと手遅れになる。
洗脳家畜になりきる以前に人々が目覚め、犯人を追求することを望む。
大多数の人々は真実を知らされず、その原因がマスコミと教育制度の発達であり、一部による情報の独占と、大衆の無知状態はさらに進んでいる。さらに悪質なことに、大衆は
「何でも知っている」という幻覚を抱いている。
一般ではタバコは危険極まりない植物だとされているが、北米の先住民はタバコを神聖な植物とみなし、常用な儀式の際には必ず使用し、南米にはタバコを治療目的にジュースとして飲む部族もある。
事実、タバコには特定の有害微生物を殺す働きがあり、不治の病とされるライム病などの場合、即効が見られる。
もちろん、市販のタバコは数百の化学物質が添加されたり、化学処理を受けているので、使用は危険である。
人間は家畜として生きる選択があり、多くがその道を選ぶ。
そして知らぬが仏ということわざがあるように余計なことは知らないほうが幸せという意見もある。
20世紀だけでを振り返っても、何も知らない日本人は太平洋戦争に巻き込まれ、国内でも空襲や原爆で大量に屠殺された。
このように、家畜の生き方が幸せとは限らず、無知状態が幸福だという保証はない。
今日の教育制度とは、肝心な情報から目をそらさせ、国民を無知状態に置くために発明された制度であり、体の良い洗脳システムだからである。
人類の本当の歴史とは家畜制度から人間性を回復するための数千年あるいは数万年にわたる闘争である。
氷河期が目前に迫っている?!
21世紀の中頃までには、九州が北海道なみの気温になる?!対策をせよ!今の政府ではやらないのは明らか。
巨悪はワンワールド実現の為、両局(両極)で進めるらしいです。
エコロジー運動や環境保護運動、原始に還れ運動なども何と巨悪の小道具の一つだという説があります。
「地獄への道は善意という石で敷きつめられる。」
化学・医学・先進各国の保健機関、マスコミ、これらはすべて、巨大医療詐欺の共犯者である。
彼らはグルになって、医療研究の破滅的結果を、一般の我々の目に触れぬよう覆い隠そうとしているのだ。
この問題は、現代世界体制の秘密の暗部、その最大のタブー部分を白日のもとにさらけ出す作業に着手した。
このタブーの真ん中に、「ロックフェラー財団」が居たのだ。(ルキフェラー財団。ルシフェルを信奉する人々の意で悪魔教の名前を堂々と宣言している。我々は神に取って代わる悪魔教のものである。ルシフェリアンであると)
「医学専門家と呼ばれる集団は、利潤追求に溺れ、人類に多大な害毒を及ぼしてきた、史上最大最悪のペテン師集団なのである。既にきわめて多くの医師達が医学上の詐欺、ペテンであると告発し、糾弾している事を、マスコミは報道していない。(日本の医師はなぜか例外を除いてほとんど糾弾、告発していない。ほんのわずかの数名の例外はいるのだが・・・・。他の多くの医師達はだんまりを決めこんでいる。そのくせ信頼を連呼する)
アメリカ最大の財閥ロックフェラー(ルキフェラー)の石油会社が製薬工業に進出し(真相は逆だと思うが)、すなわち石油化学が化学産業を支配し、化学産業が製薬産業を支配して、ルシフェラーグループが支配。
大量生産される薬は、消費=販売されなければならない。つまり、薬の市場が創出されなければならない。
これはルシフェラー財閥の至上命令である。その為には、治療とは反対に病気がつくりださねばならない。
これが真実なのだ。金の力でインテリ学者を買収し、大学医学部をまるごと買収し、その魔界はアメリカから全世界に広がる。
アメリカ医師会(AMA)は、アメリカ殺人協会である。動物実験医学の医師達は「黒魔術師」以外のなにものでもない。一説によると、フリーメーソンの頂点は、ロスチャイルド家であり、このロスチャイルド家に、世界中の何万人という黒魔術師が直結しているという。地中海沿岸の諸文明はどういうわけか、悪魔とその魔術の大群を生み出した。あるいはこの土地の自然条件に問題があるのかもしれない。
この地域で数千年にわたって蓄積されきた黒魔術(悪魔信仰)の今日的発展形態が、動物実験医学をj基とする現代医学の正体である。黒魔術→オカルト→錬金術→化学→医学。すなわち、現代の石油化学をはじめ、科学・医学・家畜制度・区画制度、自然を盗み、勝手に都合のいいように自然をつくりかえ、時に虐殺する今の文明自体が神(自然をつくった存在)に背く、悪魔の影響力と言わず何と言えるのか。
家畜制度とは、人間が動物界に宣戦布告をし、動物社会と永久の戦闘状態に入ることを意味している。
しかし人間はまぎれもなく動物社会の一員であり、動物界と絶縁して、それを敵と見ることによって必然的に植物界と戦闘状態に入り、更には微生物を敵とせざるを得ない。これこそ人間の神への反逆、傲慢の罪でなくてなんであろうか。問題の西洋医学・化学は、大衆を世界人間牧場に巧みにかこい込むためのテクノロジーではないか。 参考文献「千人の医師の証言」「世界医薬品産業の犯罪」「化学・医学・オカルトよりのテクノロジー」ハンス・リュ―シュ著「家畜制度全廃論」「食の革命」「性の革命」大田龍著「新・動物実験を考える。生命倫理とエコロジーをつないで」野上ふさ子著
ドイツの主要週刊誌の一つ「ブンテ」50号に掲載された医学記者ピーター・シュミッツバーガー医師の記事。
「鎮痛剤は、腎臓移植の50パーセントの原因となっている」と言う。腎臓移植の50パーセントは、鎮痛剤の無分別な服用によるものだろうか?この情報が医学と毒物の専門家から出ているものだけに、特に意味深長である。
鎮痛剤を長期にわたって服用すると、膀胱がんにまでおよぶ重症の腎臓障害を起こす。このために「鎮痛腎臓」という表現が、かなり前から定着している。
鎮痛剤というのは、あまりにも多くの情報と経験があって、そのすべてに精通するのは不可能に近いというたぐいの薬である。
何十年もの間、何百万人という人々に試用されてきた。人間を使った大規模な実験であると言える。
自然は奪うものではなく、観察するものである。
生体解剖反対論者だけでなく人類すべてが直面する問題は、人類が生存するためには、我々を縛っている邪悪な権力によって築き上げられた検閲の見えない壁を、いかに破るかどうかということである。
ところで問題は、邪悪な権力よりも人間性そのものにある。人間の大多数は、伝統的に精神力が不足しているために、真実に気づくのがあまりにも遅すぎるのではないだろうか。
表音文字(アルファベット)が、文字の最も完成された最高級段階、と現代の西洋の学会は言うが、これは間違いだ。逆に、漢字こそ文字の最高段階であり、表音文字は人間の造った文字としては、最下級段階に属するとしなければならない。
1950年、BCGの無用性危険性を主張する医師グループの激しい反対を押し切って、フランス政府はすべての学童にBCGの接種を義務づけた。これはパスツール研究所にとっての莫大なたなぼた式利益を意味した。当時、国民にBCGを押しつけようと画策していたフランス政府のあの手この手を、医療関係者たちが記録に残している。
当時この予防接種の押しつけはフランスだけではなく、ヨーロッパやアメリカ、日本やアジア、アフリカ等でも、なぜか同時に行なわれ、特に日本では、反対する医師グループがほとんどいなかった事は、特筆に値する。
結論
健康というものに対する機械論的捉え方、そして動物実験に基づく研究方法、という二重の不条理をベースに成立している現代医学そのものが、今日の人間の病苦の最大の原因であるーーー識者たちは現代医学のあり方をこう批判してきた。しかし人間というものは、その心身の形成期に与えられた価値観、すなわち人生で最初に出会った権威者たちに教え込まれた考え方、に固執するものなのである。
人生で最初に会った権威者たちと言えば、両親であり学校の先生たちだろうが、いかんせん、これらの人々は皆、同じ教育を受けてきたのである。
中世の人々が教会の奇跡の力を、理性を超えて疑わずに信じるよう教え込まれたように、現代の人々は、医学の奇跡の力を信じるよう教え込まれているのである。
彼ら医師司祭は、医学が有効な手段であると信じて疑わない。
というのも彼ら自身、ずっとそう教え込まれてきたからである。彼らはこの組織犯罪の共犯者というよりは犠牲者というべきであろう。(加害者でもある訳だが・・・)
同じように、中世の司祭達も聖水の治癒力を信じていた。
実際、聖水はしばしば病人を癒した。少なくとも現代医学の治療法よりはるかに害が少なかったことだけは確かだろう。
吐き気を催すような実験室内での行為に、反対するだけの知性と素直さを持った医学生が、医学校を無事卒業できる可能性たるや、疑り深い神学生が司祭に任命される可能性ほどにもないだろう。
また、自分のやっている事に、遅ればせながら気づき、あえてそれを公言しようとする医師は、医師仲間からは村八分にあい、資格を剥奪される危険を冒すのみならず、異端者として社会から追放される。これは現実に、しばしばおこっていることなのである。
ここからは大田龍著「たべもの学 第六部「食コントロールは」我々をどこへ導くか?より抜粋。
「絶対的自由」の公理が、人々を絶対的奴隷化(家畜人)に誘導する、という、わけのわからない手品です。
敗戦後の(もっとさかのぼれば幕末以降の)日本人は、ある種の催眠術(黒魔術の一種)にかけられている。
しかし催眠術は普通の状態ではかからない、かけられない。「条件付け、コンディショニング」が必須です。
催眠術の要点は、思慮分別を失わせる(奪う)ことを通じて、人の独立的人格を破壊する、ことだそうです。
「条件付け」とは、この目標に向かって、人を徐々におびき出す作用とでも言ったら良いのか。
この種の手口の原点をどこまでもさかのぼると、疑いもなく、ある種の肉食動物の捕食(狩猟)行動に突き当たります。畜産は狩猟を土台としており、狩猟の終わるところから始まる、と言える。
日本列島は1)狩猟の舞台となり得るような大草原はほとんどない。2)人間の食用となる植物の生産力が著しく豊富である。という生態学的条件(及び神道と沸教)のゆえに、狩猟と畜産は、明治の開国(植民地占領)
まで、最小限に抑制され得たのです。
従って、それまでの日本には「ゲーム」の要素が非常に少ない。ゲームとは英語で狩猟、ないし、その獲物狩猟性(その延長線上の畜産)が濃厚な人間集団は、必然的に、狩猟(畜産)の手口を、人間関係の中に持ち込む。つまり、他の人間ないし人間集団を獲物として見てしまうのです。
ユーラシア大陸とアフリカについて見ると、太平洋沿いの一連の地域を別にすると概ねは狩猟畜産が著しい。
従って、この地帯に住む人々の間では少なくとも過去五、六千年、
イ) ゲームの理論ないし手口、型を全面的に発展させる。→すると人類はゲームの勝者、ゲームの敗者に分裂することを可とする世界観および文明の方向、と、
ロ)それを不可とする世界観および文明。
この二つの潮流が非常に激しい葛藤を強いてきた、そして今や日本もこの相克に巻き込まれてしまった。
イ) の潮流(ゲーム主義を可とする)の代表格を、ユダヤパリサイ派(タルムード派)とすれば
ロ) の代表格が、イエスキリスト、釈迦、マホメットと見ても良い。
英国寡頭世界権力の主席代弁人といわれるウイリアム・リース・モッグ卿(Lord)は、間もなくやってくる二十一世紀の情報化社会に於て、世界の人口の5%が、世界の所得の80%を得るだろうと予言した。
福岡正信さんは日本が根無し草になってしまった。と言われた。しかしなんとなく自然の成り行きでそうなったのでしょうか。それは違う。何者かが、目的を以って、計算的に根を切った。(切りつつある)
根を切られた草木はどうなる?そして精神のない個人が(それはロボット人間のような化け物ですが)放り出される。根を断ち切られた日本人が駆り立てられてゆく未来の世界人間牧場を、「オウム」は黙示したともいえる。そしてこの結末は、日本が明治以来、金科玉条のように崇め奉っている西洋近代啓蒙主義とベンタム功利哲学、アダムスミス経済学から自動的に導き出されたものらしい。日本人は悪の道を究極まで完成させようとする悪魔教のプログラムに巻き込まれてしまった、そしてその帰結は、人間が人間でないもの(家畜人、そしてロボット人間)になること(ビー・デヒューマナイズド)らしい。
自由貿易が日本と世界を滅ぼす
現代の経済学が必然的に日本の食と農を破壊する精神的原動力になっているのかもしれない。
日本の農業農村農民はこのスミス・リカード主義経済政策に直撃されて壊滅させられたのです。
したがって、スミス経済学を何とかしない限り、日本の農と食の惨状をどうすることも出来ないと言わなければならない。スミス流の「自由市場主義」の「自由」の旗印ですが、これを誤解してはならない。
それは「自由競争の」「自由」なのです。「自由競争」とは、「自由な生存競争」、「自由な生存闘争」のことでした。これを別の言葉で言い換えると、優勝劣敗(勇者が勝ち劣者が敗れる)と弱肉強食となります。
しかしもしこれを大原則として、どこまでも突進したらどうなるでしょう。富めるものはますます富み、貧しい者はますます貧しくなる、そして遂に人間の社会は、富と権力と名誉と地位と情報と教育の一切を独占する一握りの優勝者階級と、残りのほとんどすべては、優勝者に奉仕するだけの家畜人の群れ、とこの二つに分裂してしまいます。
つまり、「自由主義」の行き着く先は、ごく少数の主人階級に自由が独占され、残り全部の大衆の自由は無に近づくという状態です。そこで次の命題が導き出されて来るのです。それは勝つためにはいかなる手段を使うことも許されるという原則です。目的は手段を正当化(合理化)するともいわれます
勝つ為に何をしても自由である。という命題から無数の「戦術」のようなものが生まれてくる。
敵に勝つ、最も効果的、効率的な方法は、心理戦争、思想戦争、精神戦争である、ということになりました。
これは要するに敵をペテンにかける、だます、欺瞞する、脅迫する、恐怖におとし入れる、といったことでしょう
かくして「自由主義」の世の中には、謀略(騙し合い)が充満することになります。敵を打ち破るもっとも安上がりな方法は敵を白痴化する(敵の精神力を限りなくゼロにする)ことである、と言っても良い。
ニーチェ哲学がその鍵なのです。ニーチェの思想の中核は人類は進化の途上にある、そしてやがて人類は超人種(支配人種)と家畜人種とに分裂する、というところに求めることが出来ます。
この哲学を実行に移すべく、19世紀から20世紀初頭にかけて欧米に非常に多くの団体(思想グループ、秘密結社、政治党派など)が誕生したのだそうです。
その例がナチスであり、共産主義であり、自由主義であり、フェビアン派、バートランド・ラッセル卿、H・G・ウエルズ、ダーウィン主義であり、優生学運動である。
これらはちょっと見たところまるで別物だけれども、その糸をたどってゆくと同じところ(ごく少数の支配人種と残りすべての家畜人種への人類の分裂。世界人間牧場に、人類のほとんど全部を駆り立てて行く行動計算)にゆきつくとなるらしいのです。
自由市場・自由貿易の「自由」とはごく少数の超人種・支配人種の絶対的自由であり、彼らの権力意思の無制限の自由です。(必然的に人類の残り全部は絶対的不自由と絶対的奴隷化、となる)
世界人間牧場に人類大衆を追い込む、その上に支配人種が君臨する、この目的を達成する為に、
1)自由民主主義
2)ファシズム(全体主義)
3)共産主義 という3つの主要な方式が考案された。主要な方法のほかにもその目的に役立てられればなんでもかまわない。要は大衆をバカにし、白痴化すればよい。思慮分別の力をなくさなければならない。デレギュレーション規制撤廃はそのための必要不可欠の布石の一つではないか。
「農業自由化」と「規制緩和」の笛の音につられて日本は堕落と自滅、自殺に向かって行進しつつあります。しかし自滅するのは日本だけではない。全人類を世界人間牧場に誘導する為には、すべての根を大地から切らなければならない。全世界的な食料不足と穀物価格急騰の気配が近付いており、それとほとんど同時に国際金融体系の全面瓦解が来るかも知れない。
自由貿易とは詐欺略奪やりたい放題の自由か?
グリーンピースやみどりのテロリズムや世界自然基金WWFN(英国フィリップ殿下の組織といわれる)と多くの方法で緊密に結び付いているらしい。「地球第一!」の英国支部が直接テロリスト行動にでる組織として、地球解放戦線(ELF)を創設した。これらは工業は地球の敵であるとし、故にこれを一掃する世界一挙同時革命が必要だとワシントンポスト紙で「ユナボンバー」が表明した。
この世界革命が進行すると1000兆円の日本人の金などただの紙くずになってしまうらしい。(どうせ使えないから今でも紙くずと同じだが)
J・コールマン博士の著作「300人委員会」によって英国王室を核とする闇の世界権力が存在すること。
彼等は悪魔崇拝者、悪魔主義者であること。彼らは1960年代に人類の大半を殺処分し、工業を解体し、残りの5億から10億人を家畜人として飼育する計画の作成本部として「ローマクラブ」を創設したこと、この「ローマクラブ」の最高幹部の一人、ベッチニイ(イタリー財界の大物)が「人類は地球の癌である」と公言したこと。
日本人の中にかくも奇々怪々な筋書きを、すんなりと消化出来る人が、果たして、存在し得るものでせうか。
英国国王(女王)はカトリック教会と断絶したヘンリー8世以来、同時に英国国教会の首長を兼ねるのです。
つまり、みどりのファシスト世界体制の構築、人類の大量殺処分と家畜人化の目標は、英国王室と英国国教会、英国の国家権力そのものの目標であると成ります。
では日本はどうすればいいのか?外国や国際機関の介入干渉を許してはならない。古米はまずいとか寝ぼけたことを言ってはいかん、3年から5年くらい食べられるだけの国産の米をもみ付きで備蓄しないといけない
注・大田龍氏の著作を結構読んだが、その分析力と情報力(ものすごい数の外国文献を読んでいる?参照している)は目を見張るものがあるのは事実です。その点では一流といっても過言ではないと思っています。
しかしながら僕個人で持っている情報(自分ではクズ情報ではなくなかなか流布していない真実の情報インテリジェンスだと思っていますが)と照らし合わせると一ヶ所気にかかる部分があります。
それは闇の世界権力がすべて外国の白人で、明治以前(あるいは鉄砲伝来の戦国時代から)の日本人や日本国とは一切関わりがない、すなわち明治以前の日本の支配者達はユダヤパリサイやタルムード、悪魔主義とは関係がないという部分です。独自にユダヤ研究をしてきた僕としては情報操作に騙されていなければ(おそらくjほとんど騙されていると思われるのだが、それを考えると何も言えなくなる)古来より日本の社会の中にタルムード発想、思想や社会があり、二極化されてきたと考えているので大田氏とはそこのみ相容れない。それに違ったら誠に申し訳ないが、太田という苗字にユダヤ臭がつきまとう。古来より金銀鉱の隠語でオタ、ハタ、オダ、オオタなどが地名として残っている。この日本で金属精錬や建築技術や高度な技術を独占していた一族がおり、これが僕はユダヤあるいはユダ族(フェニキアやヒッタイトやスキタイやシュメール人ともつながる、一緒に行動していたくさいユダヤ支配者集団くさいのだ)ではないかと、この太田龍氏の本は僕は色々小学生の時から本を読んでいるが、この密度の濃さはなかなかなく(落合信彦氏、飛鳥昭雄氏以来)
空恐ろしくなるくらいの密度で(他の陰謀の本の何十倍もの密度があった)絶対にフリーメーソン・イルミナティの側の者ではないかと今も半信半疑(実際は8割くらい疑っている)なので、鵜呑みにはせず、ただ、参考になるものが多いので参考にしているが、読めば読むほどこの人物の頭の良さがわかり、この尋常でない頭の良さはもし違ったらそうとう頭にくるでしょうが、悪魔的なんだとしかいいようがないくらいすさまじいので不気味です。ただこちらの情報が間違っていたら(勘も含む)日本にはタルムードはなかったのなら太田氏は正しいことになりますが・・・・。僕は色々調べた結果、どうしてもあったとしか思えないし、何と言っても邪悪さを感じるのです。古来の日本の支配者層から。エタ、非人はいなかったとか、部落も鉄砲伝来以降出来たとか、アイヌ人の迫害もなかった、京野菜は京都だけでなく全国に普及していたとか、唐獅子牡丹の伝統は鉄砲伝来以降に出来たとか(獅子はユダ族の紋章、牡丹は植物の王で藤原氏の紋。ともに動物と植物の王である)
日本古来の家紋は実はシュメール他数えるくらいしかないというのは誤りだったとかいうなら考え直す。
日本の歴史を遡れば遡るほどユダヤ臭が濃くなる気がする。(鍵はタルムード、二極化、悪魔崇拝、さかさま発想、ずば抜けた邪悪さ、人間管理のずば抜けたスペシャリスト(知り尽くしている。これが長生きする悪魔がいて教えている、知恵を与えているという根拠の一つ)、不幸や悲しみ、苦しみが無くならないどころかむしろ
はびこっている。蔓延し続けている。→悪い想念が蔓延→悪魔側のオカルトの源ではないのか?
すなわち不幸や悲しみ、苦しみを溢れさせているところにオカルトの力が強まる、従って当然中心もそこにくることだろう。このひどい社会はどこかと探してみると、白人国と日本、中南米の一部に行き着く。(邪悪さも当然付きまとっている)
アメリカの学者が日本の大衆は世界一抑圧された人々であると言ったが、僕は昔からだと付け加えたい。
日本の大衆の悪い想念を源に悪魔側のユダヤパリサイゴミクソンズは君臨してきたのではないのか?
陰陽道でいうと光あるところ影がある。日本が世界に先駆けてすばらしいところがあるのは間違いなく、(これが情報操作なら話は別だが)ということは、大きな影(邪悪、オカルトの中心ないし幹部)もあるはずだ。
影の政府(シークレットガバメント)はちょっとでも逆らった者は決して許すことなく、執拗に断罪し処罰した。
(官軍はひとりでも逆らったものがいた村にも容赦はしなかったし、最後まで抵抗した会津藩などには徹底的に報復した。生き地獄を与えた。蝦夷人(アイヌ人。日本原住民)を執拗に追い続けたヤマト朝廷と似ていないか?今に至るもアイヌ人は冷遇されている。(何年か前にやっとアイヌの為の法律が出来たらしいが)
IT推進社会・ネット社会の落とし穴
・特定の個人だけを仮想空間にのみ放り込む事が出来る。その本人はそこ
が仮想空間だと気がつかない。(過去のデータから対応をそっくり真似てい
る為、本人も違いがわからない)
・ネット上の規約や法律などはどんどん変更していく為、少しの変更で、例え
ば商売でもそのまま続けていくハードルがあがると、出来なくなる場合が想
定されます。
・今現在はネット社会へと誘導中なので、何かと得することが多いのです
が、商売と同じで、完了してしまえば、その限りではありません。
すなわち、今度は逆に別の推進するもののほうが有利になり(誘導中の
為)、そのあおりを今度はネット商売のほうがこうむる可能性があります。
・ネット商売では相手を確実に確認する事が出来ない場合がある為、だま
そうと思えば、一人が大勢のIPアドレスで大勢いると思わせて、ある時期が
くるとさっと引き上げれば、そのお店は突然常連客がほとんどいなくなり、
なぜかもわからず、騙されていたことすらわからない場合が発生します。
・ネットではサーバーやその他バックアップにデータを保存しておくスタイル
が基本だと思われますが、そのデータは簡単に消したり(電磁波その他
で)、変更したりする事が出来るので、こんな不安な土台ではいつまでも繁
盛するとは思えません。
・法律が完備されれば、重い税金が設定される可能性もあります。
・法律が完備されれば、ちょっとしたミスでもペナルティに引っかかり、これは
サーバーで常時監視していますから、すぐ見つかります。そして、数学的基
準にのみ従って、ペナルティ執行がされる予想が想定されます。
そのペナルティはネット社会が進めば進むほど厳しくなる事が想定されま
す。
その他まだありますが、核となるものを提示したので、あとは細かい枝みた
いな事なので、省略しました。
僕はコンピュータ業界に数年いて、(5~7年)その時は他の業界より恩恵を
受けていたので、マイナス面に気がつきませんでしたが、業界から遠ざか
り、改めて客観的に見直して見ると、今では無駄な数年間だったと(100
パーセントではないですが、ほとんどが無駄)考えています。
確かに今店舗つぶしが行われていて、ネット社会へとネット商売へと誘導しているので、資金のない者はいやもおうもなく誘導されていくのかもしれません。しかし、それはなぜなのか。何の為に誘導するのか考えると、我々一般人類の為ではない事に気がつきます。それは知らせないほうがいいかと思います。(問題が大きい為)
せっぱつまっていなければ本格的にはやられないほうがいいかと思います。
(趣味程度で)
せっぱつまっていても、緊急避難的に、一時しのぎでのみされたほうが、無難かと思われます。余裕が出来れば撤退する事をおすすめしますが、たいていは、うまくいっているのに引き上げる人はほとんどいない事もお知らせしておきます。
薬と似ていて、その場は効くのですが、あとで強烈な副作用が起きない事を祈ります。
Posted by plasman at 15:42 |Comments(0) |TrackBack(0) | 陰謀 , いんちき , ニュース | |
2009年04月12日
日本や世界にはびこる18の数字(17も)のオカルト。
明治以後、肉食を無理矢理押しつける(推進)外国領主様の命令で、オカルト的な数字もまた押しつけられてきた。(欧米から発し(実はユダヤから)日本を含む全世界へ毒と悪事荷担を強制してきた)
わかりやすいのが18で、
一番得意なのを18番というのや、ゴルフのコースが18ホール、(これを今日テレビでなぜか言っていたが、またデタラメだった。イギリスで昔は22ホールだったが、18にしたらやりやすくて好評だったのでそうなったと言っていたが、神社やお寺の由緒などと同じでデタラメのひとつを言ったに過ぎない。
俺の知る限り、昔から世界を支配・洗脳・誘導・操作している連中がやる場合は22ホール。なぜかといえばカバラ数秘術やオカルトではパワーを持つとされるいい数字だからで、彼ら以外の家畜人間がやる場合は18という最悪の呪いの数字を使わしているのだと思う。
聖書にも出てくる666の獣とは全部足して18ともとれる。またカバラで聞いた、推測すると、9と9を足すと18になり、この9はカバラ的には弱い数字で他の数字と足すと他の数字に負ける。これが2つとはまた何か意味があるのだろう。
また一ケタの数字では足すと限界が18で、この18(17がけものの数字といわれる。18も同じような意味ぐらいしか知らないが)と22の間には大きな壁があるといわれ、すなわち18の獣の壁を越えると何かが広がる天界の数字といわれる22に到達するというわけだ。
それを逆に考えると、何かに到達させない為に18の数字の呪いの中に閉じ込められているのかもしれない。この18の中にいる者は。(17も)
例えば野球は1チームがナインで試合をすると2チーム必要で18人になる。これは他の球技(玉遊び。球技はオカルトが考え出した呪いのゲームかも)でも多いのではないだろうか。
またラジオ局の周波数を全部足すと18ばっかりだとも聞くし、偶数は弱い数字といわれ、奇数は強い数字といわれるが、その中でも、6と9は(9は奇数だが弱い数字)色々明治以降、あるいはそれ以前から氾濫(はんらん)しているぞ。
これはオカルトの呪いではないのか?テレビ局が偶数ばっかりだったのも、電話番号も偶数が多かったのも、思うに、いい数字は自分達で独占して、それ以外のゴイム(支配者の隠語。家畜みたいな意味。ほとんどの人間のこと)にはくその数字しかやらない。いかにもこいつらのやりそうな事ではないか!
3と5と7はいい数字らしいが、これを使っていたのは神社が753で使っているなど、日本でも昔から特権階級が独占していたふしがある。まだ調査中なのだが、県道や市道ではなぜか偶数の数字が多い気がする(どこに行っても。京都など例外はあるかもしれんが)。また全部足しても悪い数字が多い気がする。
商品の値段が○○980円というのが多いが、980円も足すと17になり、獣(けもの)の数字を押しつけている。バーコードは666がついており、こちらは18だ。(18と17の違いがいまいちわからないが・・・)
ちなみにフリーメーソンの日本トップの階級は33らしいし、33は幸運数22に革新数?11を足した数字で何かいいらしいのだが・・・。
6と7の間には大きな壁があるらしく、7は幸運数他にも大きな意味があるらしいのだが、わからん。6についてもたくさん呪いのように我々の周りを取り巻いている。
例えば時間は60進法だし、(なぜか。これは昔よりおかしいと言われてきたが、今その意味がわかるような気がする。7や22に行かせないように、獣のままに(けもののままに)飼い慣らしておく為の呪いではないのか?
スポーツに(ほとんどが欧米が発祥だ)6や9の数字が多いのは気のせいではなく、オカルト的に何かあり、ろくでもないのは確かで、(オカルト自体がろくでもない、神に逆らう行為)
普通に考えればそれをやる者見る者知る者を呪いにかけている、呪いの中に封じ込めていると考えられる。
オカルト的には考えるだけで、思うだけで何かがおこり、だからそれを悪い方へ誘導しているのではないのか?こいつらオカルトのゴミクソンズ(神のふりをしたゴミくそを拝むからゴミクソンズ。うんこを拝む一派の事。実はこんなやつらに我々は支配されている)はあの手この手で人間を押さえつけ、人間盆栽にして(生まれ出たとたんに洗脳・誘導・操作コントロールされる)、大木人間にならないよう22にいかせないよう、7に到達させないように獣のままでいさせるよう幾十にも呪いをかけているとしか思えない事が多い。
オカルト的にはこれは後藤さんだっけ?という人が教えてくれたのだが、想念などのエネルギーを得ていると、それもマイナスの悪い想念がエネルギー源らしく、その為、地上には戦争や争いや憎しみや悲しみや苦しみが絶えないのだそうで、これが本当なら、実に馬鹿馬鹿しい。
こいつらマイナスエネルギーでしか生きられないゴミクソンズの為に我々人間や生き物達はあえて地獄をつくらされ、わざと仲違いをさせられ続け、憎しみや悲しみや苦しみをお互いにかけたりかけられたりさせられている?
これが本当なら、やつらが嫌いないい想念であふれさせれば、やつらが困ったり苦しんだり死んだりするなら、全力でやる価値はあるのだが・・・・。(やつらの苦しみは犠牲者達の喜び、リセット出来る出発点でもある。何が何でもやらなけらばならない。やつらに与えてやらなければならないものである。愛を与えてもいいが苦しみも必ず与えなければ意味がない!犠牲者が成仏?出来ないのでは?リセット出来ないままなのではなかろうか?やつらを許してもいいが、許すかもしれないが、決して逃してはならない!苦しみも決して与えなければならない!)
肉食は
動物が殺されるとき恨みや憎しみの想念を発するらしく、人間だけではなく、動物や植物の悪い想念までも食い物にしていやがるのか、こいつらゴミくそ神を拝む(実はうんこ)ゴミクソンズは!
ピースやブイサインもオカルト的によくない呪いの一種だという説もある。しないほうが身のためだろう。
結局こいつらゴミクソンズに操られてきた欧米文明(日本古来のユダヤ文明も)にはほとんどいい面がなく、なるだけ遠のいていたほうが身のためだということだ。わずかの金銭(例え億でも。そんなものこのくそ世界にいる間だけのちんけな喜びじゃねえか!それと引き替えに大きなものを失っていたらどうすんだ?)の為に誘導、ゴミくそに協力(すなわち悪事に協力)するのは愚か者のする事である。
そんな事ばかりやっていても意味がない。
心ある者は大木人間になるようになるだけ今の社会や文明からは遠ざかり、これを無力化していく為の努力をするしかない。
大勢がやっているのは(ほとんどの仕事)この逆で、悪事に荷担し、させられ、呪いの結界の中に自ら飛び込み、利用され、させられ、バカ踊りをやっている、やらされているに過ぎない事に早く気がつくべきである。
今のままの社会で何か頑張ろうと実行すると、ろくでもないものしかなく(わずかの例外はのぞく。何事にも滅多にない例外はあるもの)、
従って、何でもいいからがんばれではなく、これは大きな間違いであり、またそれはわざと間違わすための罠、誘導、騙しであり、やつらの土俵で頑張っても意味がない。ばかりか逆効果である。
頑張って自分や自分の子孫の首を絞めているのと同じ。自分の子孫の墓を掘っているのと同じであり、忘れるな!決してやつらの土俵で頑張ってはいけない!やつらが嫌う所で頑張ろう!まあそれが何なのかいまいちわからないのだが・・・・。わかれば全力でやるのだが・・・。(騙しでない場合。やつらの常套手段。神のふりをして騙す。天使のふりをして絶体絶命を救ってから騙す。そんなの恩にきることはさらさらない!地獄への道は善意の敷石で出来ているーイルミナティより)
気をつけようゴミくそは天使のふりをして、一番苦しい時に?やって来る。
天使かペテン師かまぎらわしいのも事実。講義おわり (大学なんかいくよりよっぽどマシで立派な事である)
お疲れさんでした。 (^o^)
読む前について思ったことは、「バカを作る学校 義務教育には秘密がある」
作者 ジョン・テイラー・ガット
訳者 高尾菜つこ 発行日 初版第1刷2006年9月15日
は日本の義務教育についてかかれていることなのだろうかと思いました。
11ページに、私は30年間ニューヨーク市で学校教師をしてきた。と書かれていたので、日本の義務教育について、外国人の人が批判する本ではないんだなぁーと思いました。
24ページまで読んで気になったところは、社会にでたら同じ年齢の職場というのは存在しない、学校だけが年齢別で分けているというところだ。24ページにソクラテスが過去に現実と学校教育は根本的に両立しない。と言うことが書いてあって、それもそうかなぁーと思いました。
43ページに書かれているアメリカが19の先進国の中で計算能力、読み書き能力が最下位というのが意外だなぁーと思いました。
85ページに、中国へ、ロシア、そして日本へと言うことがかかれてありました。日本のことは全く関係ないと思っていたのですが。どうやらそうではなさそうな感じがしてきました。
116ページまで読んだのですが。日本についての記述が見つかりませんでした。斜め読みしていたからかもしれないのですが。
本文は188ページあるのですが。日本についての記述が見つかりませんでした。もう一度度斜め読みで読み直したいと思うのですが、85ページから188ページまで、丁寧な斜め読みをしてみたら、87ページに「新しい日本をもたらし」という文章が書いてありました。それ以外「日本」という単語は87ページから188ページまで自分は見つけることができませんでした。
この「バカを作る学校 義務教育には秘密がある」
作者 ジョン・テイラー・ガット
訳者 高尾菜つこ 発行日 初版第1刷2006年9月15日
レビューはあっという間に書くことができました。本全体の文字数が少ないということもあるのですが、アメリカの社会状況がかかれている場面は、ほとんどとばしてしまいました。日本は日本の事情があるから、アメリカの社会状況が当てはめて考えてもうまくいかないと思ったからです。ただ。似たようなケースから参考にするのならば役に立つと思うのですが。という感じです。
バカをつくる学校
これはアメリカでの話ですが、日本でも事情は同じでしょう。日本の教育制度はアメリカの
コピーなのですから。初めに原著出版者の言葉を抜粋転記します。
...親として私たちは当然、我が子に「最善」のものを望む。しかし今日の学校教育では「最
善」は、しばしば「最多」を意味する。これはまさに質から量への転換であり、全人教育から
政府の下請け教育への転換にほかならない。しかし、こうした教育の結果はどうなるのだろう
大量の知識を詰め込まれるだけで、自分のミスとは関係なく競争に負けることに、彼らはど
う反応するだろう。またそうした子供たちが、自ら判断して行動したら、社会はどんな代償を
払うことになるのだろうか。それはすでに、暴力や薬物依存、十代の妊娠といった社会問題と
して表れている。著者ジョン.ティラー.ガットが30年の教師生活を通して訴えているのは
子供たちに「質」のいい選択肢を与え「学校教育」に対する彼らの批判意識を高めることであ
る。今日の社会システムに対するガットの味方は暗い。しかしその一方で彼は新しい学校教育
によって、自由な発想と正しい判断力を持った人間が育てば、社会は病から回復し、明るい未
来が見えてくるという一筋の希望も示している。
①学校という神話.....ジョン.テイラー.ガット
学校制度を維持している神話は、学習意欲を持たせるのはむずかしいという、誤った概念であ
る。チャイムによる中断、まとまりのない時間割、年齢による区別、プライバシーの欠如、絶
え間ない監視といった国の教育制度全体が、子供たちを自分で考えて行動することから遠ざけ
依存的な人間にしようとしている。私にとって教育の成功とは、子供たちが自由に試行錯誤で
きるような無条件の環境を築くことだ。それがなければ、彼らは他人の行動を真似するだけで
いつまで経っても経験が身につかない。
「バカをつくる学校」 ジョン・テイラー・ガット著
なかなかインパクトのあるタイトルに、思わず購入してしまいました。
「バカをつくる学校 義務教育には秘密がある」
ジョン・テイラー・ガット著 高尾菜つこ訳 成甲書房
評価 ★★★★
先月だったか、たまたまネット書店でこの本のタイトルが目に留まり、なんとも気になるタイトルに、外国の本の和訳であるにもかかわらず購入してしまいました。
本の帯には「全米覚醒のベストセラー」と書かれており、著者であるジョン・テイラー・ガット氏はアメリカの公立校教師で、ニューヨーク州の最優秀教師に選ばれた方だそうです。
1990年にニューヨーク市で、1991年にはニューヨーク州で最優秀教師に選ばれたようですが、翌1992年にはこの著書をアメリカで出版し、今年の9月に日本でも出版されるに到ったようです。
アメリカの学校の現状について書かれているため、日本にそのまま当てはまるとは思えない部分も少なくはないのですが、私にとってはこれまで考えてもみたこともなかった視点で書かれている本で、先日ご紹介した「いじめ」に関する本に続き、また何かに気づかされた、目を覚まされた、そんな感じを受ける本になりました。
著者が著書の中で「義務教育における七つの大罪」と題し、こんなことを書いています。
① 一貫性のなさ
② クラス分け
③ 無関心
④ 感情的な依存
⑤ 知的な依存
⑥ 条件つきの自尊心
⑦ 監視
それぞれについて簡単にまとめると、①は授業や時間割が細切れで順序もめちゃくちゃであるということ。②は子ども達には無条件に年齢別、成績別などのクラス分けがなされ、異なる年齢の集団にはまず属せないということ。③はどんなに盛り上がっていても、チャイムが鳴ればそこでおしまい、すぐに次の授業の準備をさせるということ。④は子どもに「教師に褒められたい」「怒られたくない」という感情的依存をさせるということ。⑤は子ども達は何事も自分で判断せず、教師の指示を待つよう教えられるということ。⑥はテストの成績などによって得られる「条件つき自尊心」を教え込むということ。⑦は言葉通り。
この7つに関して著者が述べていることで、特に印象に残ったことがいくつかあるので、それについて、もう少し詳しく引用しますと・・・。
①より引用。
実際、私の教えることにはまったく脈絡がない。何もかもがばらばらで、めちゃくちゃである。惑星の軌道、大数の法則、奴隷制、形容詞、設計図、ダンス、体育館、合唱、集会、びっくりゲスト、避難訓練、コンピュータ言語、保護者会、教員研修、個別プログラム、ガイダンス、実社会ではあり得ない年齢別のクラス・・・・・・。(中略)
学校の論理は、生徒が何か一つのことに熱中するよりも、たとえ表面的であれ、経済学や社会学、自然科学といったひと通りの専門知識をもっていた方がいいというものだ。(中略)
まともな人間が求めるのは、ばらばらの事実ではなく、意味である。教育とは、生のデータから意味を引き出させることなのだ。パッチワークのような時間割や、事実と論理ばかりを優先する授業の中では、意味を模索することなどできない。これは小学校ではもっとむずかしい。そこでは、子どもにできるだけ多くの体験をさせることが望ましいとされ、親たちはまだその嘘に気づいていない。(後略)
②より引用。
こうした年齢別の区分があるのは学校だけで、大人の世界には絶対存在しない。五十五歳の社員を全員同じ部屋で働かせるような会社があるだろうか。
義務教育が導入される前の時代は、あらゆる年齢の子どもが一つの教室で学んでいて、年長の子どもが年少の子どもを教えるようになっていた。(後略)
③より引用。
(前略)しかし、いったんチャイムが鳴ると、子どもたちにはそれまでやっていたことをすべて中止させ、ただちに次の授業の準備をさせる。彼らは電気のスイッチのように、素早く頭を切り替えなければならない。(中略)子どもたちはチャイムを通して、やり遂げるだけの価値のある仕事はないと教えられる。そのため、何かに深く興味を持つこともない。何年間もチャイムに従って過ごすうち、一部の耐性のある子を除いて、もはや社会にはやるべき重要な仕事はないと思い込むようになる。(後略)
⑤より引用。
「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、適度な熱意をもって、それを受け入れる生徒のことである。何をいつ学ぶのか、「影の雇い主」が決めたことに従順で、他のことには興味を抱かない。
一方、「劣等生」とは、教師の示した考えに抵抗し、何をいつ学ぶのか、自分でそれを決めようとする生徒のことだ。教師としては、そうした生徒を野放しにしておくわけにはいかない。そこで、彼らの意志を砕くため、親に連絡するという効果的な手段を使う。(後略)
⑥より引用。
親から無条件に愛されている子どもは、自尊心が強く、従わせるのがむずかしい。しかし、こういう自信家が大勢いては、社会は維持できない。そこで私は、子どもたちに、自分の価値は専門家の意見に左右されるということを教える。つまり、彼らはつねに教師に評価され、審査されるのである。
これらは、もちろんすべてその通りだとは思いませんが、何か大きな問題提起をしているように感じます。
また、ここに書かれていることも、今の日本でも考えさせられることが多いように感じました。
そして子どもはこうなった
①「大人の世界に無関心になる」
②「集中力がほとんどなく、あっても長続きしない。」
③「未来に対する認識が乏しく、明日が今日とつながっているという感覚がない。」
④「歴史に関心がない。」
⑤「他人に対して残酷になる。」
⑥「親しさや正直さを拒絶する。」
⑦「物質主義的になる。」
⑧「依存的で、受け身で、新しい挑戦に臆病になる。」
そして、何より強烈な印象に残ったのは、「ロックフェラーの『特別書簡』」という項目でした。
ロックフェラー総合教育委員会の最初の使命記述書(マニュフェスト)の抜粋として紹介されているのだが、皆さんはどうお感じになるでしょうか。
われわれの夢は、人びとがわれわれのつくる型におとなしく身を委ねることである。もはや現在の教育の慣習〔知的・人格的教育〕は色あせ、われわれは伝統に制約されることなく、人びとに善意をもたらし、その感謝と共感を得ることになる。われわれは彼らやその子どもたちを哲学者や学者、科学者にするつもりはない。また、彼らの間から作家や教育者、詩人や文学者を育てるつもりもない。われわれは彼らに偉大な芸術家や画家、音楽家の卵を求めるわけでも、弁護士や医師、牧師や政治家を求めるわけでもない。そうした者はもう十分にいるからだ。われわれの使命はごく簡単である。子どもたちを組織化し、彼らの親が不完全な方法でやっていることを、彼らには完全な方法でやるように教えることだ。
アメリカでは一部の実業家や資本家が、義務教育に政府以上に寄付や助成金でお金をつぎ込んだと書かれており、ロックフェラーはカーネギーと共にかなりの投資をしたようです。
その背景に上述のような目的があったということは、とても恐ろしいことだと感じます。
著者は、これ以上学校はいらないという主張をしておられ、ホームスクーリングを支持しておられるようです。
もちろん、アメリカと日本では違いが多いと思いますが、今日の日本の義務教育を見たとき、著者の述べていることと重なる部分も決して少なくないように思えるのは私だけでしょうか。
教育関係者はもちろん、世の大人に読んでみて頂きたい1冊です。
本:ジョン・テイラー・ガット 『バカをつくる学校』
学校選択制の弊害が出てきたと少し報道されましたが、そもそも学校を選ぶだけでなく、学校に行くか行かないかも選択できてよいのでは??
この本は、アメリカでよい教師として表彰された著者が、実感をこめて書いた本です。タイトルをみると、バカをつくる学校とバカを作らない学校があるかのように思えますが、この本が言わんとしていることは、そういうことではありません。この本が言わんとしていることは、
そもそも学校はバカをつくる場所だ
学校によってわれわれはバカにされてしまうのだ
ということです。
一年次必修の政治学概論で勉強せいと盛んに言い、中学校の教科書を復習しろと言っている僕は、たぶん、とっても学生さんに誤解されていると思いますが、実は僕はこの本のこういう考え方に大賛成です。
学校って変です。本来動き回ったりはしゃいだりするものなのに、子どもたちを机の前に長時間縛り付けて、気持ち悪いです。今の学校制度は、人間の歴史の中では、近代資本主義が発達してきたときに、工場というしくみで物質を人間に都合のよいものに変換するように、人間を生産に都合のよい存在に変換するしくみとして発達してきたものです。当初の目的には(良くも悪くも)機能的だったかもしれないけど、もう制度疲労を起こしてます。著者も言うとおり、人間の集団が、無理矢理年齢で輪切りにされた単位で生活させられるなんて、史上なかったはずです。異常です。みんなあまりにも当たり前に思っちゃってるから、学校が大事だと思っています。しかし、経済のほうでは大量生産型で発展させる資本主義経済が終わってもう次の段階にきています。なのにまだ学校で人を改造して、言われたとおりに動く人間を大量生産しようとしているために、たくさんの不幸を生産してしまっているのだと思います。
不登校は病気のような言われ方をします。あくまでも「登校」するように戻すことが目標とされています。しかし、管理され自分で決めたわけでもないことに拘束されることだらけの学校に行きたくない子どもがいるのはごく自然なことではないでしょうか。
読み書きそろばんを身につけることは確かに誰にとっても必要でしょうけど、著者が言うように、それは学校という仕組みでなくても十分やれることで、別に学校が必要ということではないです。だいたい中学校の学習内容の半分くらいと普通科高校の学習内容のほとんどは、現代社会で知的な生産活動をするのにすら必要ないです。大人はみんなそれを知っているはずです。でしょ?現に、自分の仕事に関係ない分野の高校の学習内容を覚えている大人はほとんどいないでしょう。勉強しろ勉強しろと言っているお母さんたち自身がすっかり昔やったことを忘れて普通に生活できているのですから、子どもからすれば何だかなあとなるのはむしろ自然です。なのになんで学校が必要??
アメリカではこの本の影響なのかは知らないですが、ホームティーチングが急速に増えているそうです。今は全ての州でそれが認められているとこのです。まあ、ホームティーチングでも、フリースクールでも、何でもいいのですが、学校を選ぶ学校選択制ではなく、そもそも学校に行かせるかどうかを選択できるようにしてよいのではないかと僕は思います。。。
民主主義教育とはバカを作るためにあった
新川啓一 ( 40代後半 神奈川 建築家 ) 10/06/07 AM00 【印刷用へ】
戦後民主主義教育とは、バカな大衆を作る教育だったのではないか、という記事を紹介したいと思います。
中学校教員をされている方のブログ「数学屋のメガネ」、
「[教育]戦後民主主義教育の欠陥はアメリカの民主主義教育の欠陥と同じだった」リンクからの引用です。
(以下引用)
昨日のメーデーの集会の帰りに寄った書店で刺激的で面白い本を見つけた。『バカをつくる学校』(成甲書房)という本で、著者はジョン・テイラー・ガットという、ニューヨーク州で最優秀教師として表彰された人だ。ここではアメリカの義務教育学校が批判されているのだが、その批判がそっくりそのまま日本の学校に当てはまるのを見て驚いた。
僕は、小室直樹氏の指摘によって、戦後民主主義教育の欠陥というものを考えるようになったのだが、それは日本だけの特殊な状況ではなかったのだ。実は、日本が手本にしたアメリカの民主主義教育にそもそも欠陥があったために、その忠実なコピーとしての日本の教育にもそっくりそのまま欠陥が移されてしまったというのが、戦後民主主義教育の正しい理解ではないかと感じた。
(中略)
ジョン・テイラー・ガットさんの指摘を見ていると、そこで語られているのは義務教育学校の欠陥だ。これはより抽象化して言えば、大衆教育の欠陥ということができるだろう。アメリカという国の統治権力が、大衆に期待している資質を教育する学校として義務教育学校を考えた場合、大衆がバカであってくれたほうが都合がいいという意図がかなり見えるようなのだ。アメリカにおける「バカをつくる学校」は、努力したにもかかわらず結果的に間違った教育をしてバカをつくってしまったというのではなく、かなり意図的にバカをつくっているようなところがあるのを感じる。
そもそもアメリカの民主主義というのが、実は資本主義の繁栄を支えるような社会を維持することを目的としているのではないかいう感じもする。資本主義の繁栄のためには、自分の生活を反省して自分の頭でよく考える人間よりも、刺激に対して単純に反応して気分的に快感を得ることを好むような消費者が多くいたほうが、資本主義的な大量消費のためには都合がいい。
民主主義教育の欠陥は、資本主義の物質的豊かさを維持しようとする意図を単純に捉えるところから生じるのではないかと思える。おそらくその欠陥を埋める部分がエリート教育の中にあるのではないかと思う。それは、かつて先進国に追いつこうとして暗記教育に偏った日本の古いエリート教育ではなく、先駆者としての意識と実績を正しく反映したエリート教育にならなければならないのではないかと思う。
資本主義的な豊かさを単純に肯定すれば、「バカをつくる学校」としての大衆教育にならざるを得ないのではないだろうか。資本主義の発展と維持のためには、少数のエリートと大多数のバカな大衆をどうしても必要としているのだろうか。もしそうであれば、資本主義的な豊かさというのは、必ずしも人間を幸せにはしないといえるだろう。
(中略)
バカをつくる大衆教育は変えられなければならないと思う。大衆の中にもスペシャリストをつくるようなエリート教育が必要なのではないだろうか。かつて、貧しいながらも自分の仕事に誇りを持っていた人々がいたように、特別の分野では指導的立場に立てる大衆を育てるという教育が、今の「バカをつくる学校」を克服するためには必要なのではないだろうか。
日本の教育制度のように、単一のモノサシで序列化して、そのモノサシで評価されたもののみがエリートになり、落ちこぼれたものは大量の「バカな大衆」になるように運命付けられた教育は、未来においてはかえって資本主義を衰退させるようになるのではないだろうか。
この本は実に刺激的で面白い。書かれている内容のすべてが考察に値すると感じる。これから細かく一つずつ取り上げて考えていきたいと思うが、まずは冒頭に書かれている義務教育学校の欠陥としての「一貫性のなさ」の指摘を紹介しよう。この本では次のように書かれている。
「実際、私の教えることにはまったく脈絡がない。何もかもがバラバラで、めちゃくちゃである。惑星の軌道、大数の法則、奴隷制、形容詞、設計図、ダンス、体育館、合唱、集会、びっくりゲスト、避難訓練、コンピューター言語、保護者会、教員研修、個別プログラム、ガイダンス、実社会ではあり得ない年齢別のクラス……。いったいここにどんな一貫性があるというのだろう。」
ここでの指摘は、学校で教えていることの全体を把握して、その横のつながりを考える人間がいないということの指摘だと思う。それぞれの教科は、その教科にとって大事なことを教えようとする。これは、教科に携わる人間の利権でもある。教員はまさに当事者としてそうだし、教科書を執筆する人間や、問題集を作成する会社なども大きな利権を持っているだろう。その利権を小さくするようなことはあまり行われない。そのため、かなり無駄な知識だと思われても、学校教育からそれが削られることがない。
僕は、中学校数学の大部分はいらないと思っている。義務教育の学校が大衆が学ぶ学校という意味で考えるなら、専門的な知識は要らないと思う。むしろ基本的なものの考え方をもっと深く知るべきだろう。それこそが大衆の中にエリートを作り出す基礎になるものだ。基本的なものの考え方を深め、それを基礎にして自分の個性にあった専門分野に進むというのが、大衆教育を基礎にしたエリート教育と呼べるのではないだろうか。
もしそのような過程を経て誕生した大衆が増えれば、専門教育分野においては、誰が真に優れた人間かを判断することも出来るようになるだろう。見かけにだまされるのではなく、本当の実力を持った人間が指導的立場につくようなシステムが誕生することが期待できる。今の大衆教育では、まったく専門を持たない、ものの考え方の基礎訓練がされていない大衆を生み出しているので、見かけにだまされた見栄えのする指導者に酔いしれてしまうような状況が生まれる。ファシズムにとっては実に都合のいい状況だろう。
民主主義教育は本質的な欠陥を持っている。すばらしいものでもなんでもない。学校がいやだった自分の気持ちは正しかったと、この本を読んでそれに確信が持てた。さらに批判の細かい部分を読み込んで、抽象論としての民主主義教育の欠陥が、現実の日本の戦後民主主義教育にどのように現れているかを考えてみようかと思う。
戦後民主主義教育の欠陥はアメリカの民主主義教育の欠陥と同じだった
昨日のメーデーの集会の帰りに寄った書店で刺激的で面白い本を見つけた。『バカをつくる学校』(成甲書房)という本で、著者はジョン・テイラー・ガットという、ニューヨーク州で最優秀教師として表彰された人だ。ここではアメリカの義務教育学校が批判されているのだが、その批判がそっくりそのまま日本の学校に当てはまるのを見て驚いた。
僕は、小室直樹氏の指摘によって、戦後民主主義教育の欠陥というものを考えるようになったのだが、それは日本だけの特殊な状況ではなかったのだ。実は、日本が手本にしたアメリカの民主主義教育にそもそも欠陥があったために、その忠実なコピーとしての日本の教育にもそっくりそのまま欠陥が移されてしまったというのが、戦後民主主義教育の正しい理解ではないかと感じた。
ジョン・テイラー・ガットさんの、教師としての体験からくる欠陥の指摘は実に的確で、僕も教育の現場にいてそれを常に感じていたので、この本が非常に説得力を持っていると思った。しかし、この指摘は教育の現場にいる人間からはおよそ出てくることのないものではないかという思いも抱いていた。僕は、このような感覚を持っている人間は現場では圧倒的少数派だと思っていたのだ。
教育現場をよく知っていて、外からそれを眺めている人間にとっては、この指摘は実に見えやすい・分かりやすいものではないかと思う。教育現場にいる人間にとって見えにくいのは、自らがその欠陥の維持のシステムの中にいて、それを指摘することは、自らの仕事の価値を否定することになるからではないかと思う。善意の努力が、実は地獄への道を敷き詰めているのではないかというのはなかなか悟れるものではない。日本では現場の中からこのような主張が出てこないのに、アメリカでは最も優秀な教師がこのような革命的な指摘を行っている。最も優秀だからこそ指摘しているのかもしれないが。アメリカという国のすごさを感じるところだ。
日本では今、学力低下が本当にあったのかどうかという論争があるようだ。これはおそらくデータを取るだけでは結論が出ないのではないかと思う。内田さんのブログには、共通一次試験の平均点が毎年1点ずつ下がっているというような記述があった。このデータを元にすれば、学力低下は明らかではないかとも思われる。しかし、一方では世界的なレベルでの学力試験の比較ではそれほど日本は落ちていないという声もあがっている。必ずしも学力低下の傾向を示していないデータもあるようなのだ。
教育の現場にいると、テストの結果に現れる学力面よりも、子どもたちの学習に対するモチベーションの低下が著しいのを感じる。これを学力の要素に組み入れるなら、明らかに学力は低下しているという感じもする。しかし、これは板倉さんが指摘しているように、大衆教育の時代に入ったのに、かつての古臭いエリート教育と同じシステムで教育をしていることの欠陥であって、子供たち自身の能力が低下したわけではないという解釈も出来る。時代遅れのエリート教育ではなく、新しい時代にふさわしい教育の創造に失敗したとも言えるだろう。
ジョン・テイラー・ガットさんの指摘を見ていると、そこで語られているのは義務教育学校の欠陥だ。これはより抽象化して言えば、大衆教育の欠陥ということができるだろう。アメリカという国の統治権力が、大衆に期待している資質を教育する学校として義務教育学校を考えた場合、大衆がバカであってくれたほうが都合がいいという意図がかなり見えるようなのだ。アメリカにおける「バカをつくる学校」は、努力したにもかかわらず結果的に間違った教育をしてバカをつくってしまったというのではなく、かなり意図的にバカをつくっているようなところがあるのを感じる。
そもそもアメリカの民主主義というのが、実は資本主義の繁栄を支えるような社会を維持することを目的としているのではないかいう感じもする。資本主義の繁栄のためには、自分の生活を反省して自分の頭でよく考える人間よりも、刺激に対して単純に反応して気分的に快感を得ることを好むような消費者が多くいたほうが、資本主義的な大量消費のためには都合がいい。
民主主義教育の欠陥は、資本主義の物質的豊かさを維持しようとする意図を単純に捉えるところから生じるのではないかと思える。おそらくその欠陥を埋める部分がエリート教育の中にあるのではないかと思う。それは、かつて先進国に追いつこうとして暗記教育に偏った日本の古いエリート教育ではなく、先駆者としての意識と実績を正しく反映したエリート教育にならなければならないのではないかと思う。
資本主義的な豊かさを単純に肯定すれば、「バカをつくる学校」としての大衆教育にならざるを得ないのではないだろうか。資本主義の発展と維持のためには、少数のエリートと大多数のバカな大衆をどうしても必要としているのだろうか。もしそうであれば、資本主義的な豊かさというのは、必ずしも人間を幸せにはしないといえるだろう。
イタリアの古い映画の「鉄道員」に描かれていたのは、貧しいながらも自分の仕事に誇りを持ち、心の通い合った仲間とのひと時を楽しみ、毎日の生活の中で互いに尊敬しあう家族が存在するというものだった。それは、「貧しいながらも楽しい我が家」と呼べる姿が理想的に描かれていた。最新のきれいな家に住んで、物質的にはるかに豊かな生活をしている先進資本主義国の人間よりも、映画「鉄道員」の中の人々のほうが明らかにはるかに幸せそうだった。
資本主義的な豊かさはシステム的に再生産されている。その再生産の過程で、「バカをつくる学校」がその基礎をまた再生産するというシステムを担っている。このシステムに抗うのはとてつもなく難しいだろう。まさに革命を必要としている。どこかで豊かさの追求をやめない限りこのシステムを変えることは不可能ではないかとも思える。
奇妙な符号として、「バカをつくる学校」の構造は、崩壊した社会主義国家の社会体制とそっくりだというのを感じる。崩壊した社会主義国家でも国民は自分の頭で考えることが出来ないような社会システムを持っていた。自分の頭でものを考える人間は、反体制・反国家的な人間として弾圧されてきた。
このような国民は、一見統治権力にとっては実に都合のいい国民のように見える。しかし、社会主義国の末路を見ると、このような国民が国力の低下を招き、もはや国家として存続不可能なくらいに疲弊して、これ異常ないくらいひどい状態になってから革命的に国家が倒れるという過程を経て社会主義国は崩壊した。
社会主義国の社会構造にそっくりな「バカをつくる学校」の構造は、それをどこかで変革しないと、社会主義国の末路と同じ状況を作り出すのではないだろうか。一握りのエリートでコントロールできると高をくくっていると、カリスマ的な指導者に酔った大衆が、エリートの指導など顧みずに破滅への道を進むというのは、かつてのファシズムの道が示していたのではないだろうか。
バカをつくる大衆教育は変えられなければならないと思う。大衆の中にもスペシャリストをつくるようなエリート教育が必要なのではないだろうか。かつて、貧しいながらも自分の仕事に誇りを持っていた人々がいたように、特別の分野では指導的立場に立てる大衆を育てるという教育が、今の「バカをつくる学校」を克服するためには必要なのではないだろうか。
日本の教育制度のように、単一のモノサシで序列化して、そのモノサシで評価されたもののみがエリートになり、落ちこぼれたものは大量の「バカな大衆」になるように運命付けられた教育は、未来においてはかえって資本主義を衰退させるようになるのではないだろうか。
この本は実に刺激的で面白い。書かれている内容のすべてが考察に値すると感じる。これから細かく一つずつ取り上げて考えていきたいと思うが、まずは冒頭に書かれている義務教育学校の欠陥としての「一貫性のなさ」の指摘を紹介しよう。この本では次のように書かれている。
「実際、私の教えることにはまったく脈絡がない。何もかもがバラバラで、めちゃくちゃである。惑星の軌道、大数の法則、奴隷制、形容詞、設計図、ダンス、体育館、合唱、集会、びっくりゲスト、避難訓練、コンピューター言語、保護者会、教員研修、個別プログラム、ガイダンス、実社会ではあり得ない年齢別のクラス……。いったいここにどんな一貫性があるというのだろう。」
ここでの指摘は、学校で教えていることの全体を把握して、その横のつながりを考える人間がいないということの指摘だと思う。それぞれの教科は、その教科にとって大事なことを教えようとする。これは、教科に携わる人間の利権でもある。教員はまさに当事者としてそうだし、教科書を執筆する人間や、問題集を作成する会社なども大きな利権を持っているだろう。その利権を小さくするようなことはあまり行われない。そのため、かなり無駄な知識だと思われても、学校教育からそれが削られることがない。
僕は、中学校数学の大部分はいらないと思っている。義務教育の学校が大衆が学ぶ学校という意味で考えるなら、専門的な知識は要らないと思う。むしろ基本的なものの考え方をもっと深く知るべきだろう。それこそが大衆の中にエリートを作り出す基礎になるものだ。基本的なものの考え方を深め、それを基礎にして自分の個性にあった専門分野に進むというのが、大衆教育を基礎にしたエリート教育と呼べるのではないだろうか。
もしそのような過程を経て誕生した大衆が増えれば、専門教育分野においては、誰が真に優れた人間かを判断することも出来るようになるだろう。見かけにだまされるのではなく、本当の実力を持った人間が指導的立場につくようなシステムが誕生することが期待できる。今の大衆教育では、まったく専門を持たない、ものの考え方の基礎訓練がされていない大衆を生み出しているので、見かけにだまされた見栄えのする指導者に酔いしれてしまうような状況が生まれる。ファシズムにとっては実に都合のいい状況だろう。
民主主義教育は本質的な欠陥を持っている。すばらしいものでもなんでもない。学校がいやだった自分の気持ちは正しかったと、この本を読んでそれに確信が持てた。さらに批判の細かい部分を読み込んで、抽象論としての民主主義教育の欠陥が、現実の日本の戦後民主主義教育にどのように現れているかを考えてみようかと思う。
「読み書き・計算」は百時間で学べる
2011-01-25 教育・文化
『バカをつくる学校』ジョン・テイラー・ガット
「読み書き・計算」は百時間で学べる
どんなに優秀な教師であれ、どんなに立派な親であれ、彼らのほとんどは物事を決まった方向からしか見られない。これは政府による集団義務教育の偉大な勝利である。「子どもには読み書き・計算を教えるべきだ」とか、「命令に従うことは社会人の務めだ」とか、人びとはそう思い込んでいる。
ほんの、二、三百年前まで、事情はまるで違っていた。社会は独創性や多様性にあふれ、アメリカは世界に類のない自由の国だった。階級の垣根も低く、人びとは自信と創造力をもって、たいていのことは自分で考え、自分ですることができた。一人ひとりが尊重され、政府が市民に首を突っ込んだり、思想を押しつけたりすることはなかった。私たちは個人として、アメリカ人として、誰もが自立していたのである。
ところが、南北戦争の直後から、アメリカでは中央統制が強まり、そうした社会を維持するために、義務教育――政府が支配する学校教育――が求められた。それまでは学校の数も少なく、あっても任意的なものだったが、それでも人びとはきちんと読み書き・計算を覚えた。
独立戦争当時の識字率を示す研究によれば、少なくとも奴隷以外の東部の人びとについては、ほぼ百パーセントに近かった。トマス・ペインの『コモンセンス』は六十万部を売り上げたが、当時の人口は約三百万人で、その二十パーセントは奴隷、五十五パーセントは年季奉公人だった。
植民地時代の人びとは天才だったのだろうか。そうではない。本人に学ぶ気があれば、じつは、読み書き・計算は百時間もあれば教えられる。その秘訣は、誰かから質問が出るまで待つこと、生徒の気分が乗っているうちにどんどん進めることだ。読み書き・計算の能力を独学で身につけた人も多く、本当はそれほどむずかしいことではない。
一八五〇年に使われていた五年生の算数や作文の教科書を見てみると、その内容が現在の大学レベルに相当することがわかる。学校はしきりに「基礎学力」の養成を叫んでいるが、彼らはそのために子どもを十二年間も拘束し、「七つの教育方針」を叩き込んでいるのである。
南北戦争を境に中央統制が強まったアメリカでは、人びとの生活、服装、食べ物、あるいは東西に走る幹線道路など、あらゆる面に支配の影響が表れた。おそらく、麻薬や自殺、離婚、暴力、虐待といった問題が蔓延しているのも、社会の閉鎖的な階級意識とともに、私たちの生活が非人間的になり、個人や家族、地域社会の重要性が顧みられなくなったからではないだろうか。
つまり、これは中央統制がもたらした衰退である。当然、義務教育はますますエスカレートし、子どもたちを地域社会から遠ざける。彼らは子どもの教育を専門家に委ねることで、地域社会を崩壊させ、子どもを成熟した人間にさせないようにしているのだ。アリストテレスによれば、人は地域社会で積極的な役割を果たさないかぎり、健全な人間にはなれない。彼の考えが正しかったことは、学校や老人ホームを見れば明らかである。
学校は、モデルとなる社会を支えるための体制としてつくられた。それは、支配階級を頂点とするピラミッドにおいて、大多数の人びとをその従順な土台にしようとする制度である。彼らはそうしたピラミッド社会の秩序を絶対的なものに見せているが、それは独立戦争の理念に反するものだ。(p31)
■[教育]戦後民主主義教育の欠陥はアメリカの民主主義教育の欠陥と同じだった
昨日のメーデーの集会の帰りに寄った書店で刺激的で面白い本を見つけた。『バカをつくる学校』(成甲書房)という本で、著者はジョン・テイラー・ガットという、ニューヨーク州で最優秀教師として表彰された人だ。ここではアメリカの義務教育学校が批判されているのだが、その批判がそっくりそのまま日本の学校に当てはまるのを見て驚いた。
僕は、小室直樹氏の指摘によって、戦後民主主義教育の欠陥というものを考えるようになったのだが、それは日本だけの特殊な状況ではなかったのだ。実は、日本が手本にしたアメリカの民主主義教育にそもそも欠陥があったために、その忠実なコピーとしての日本の教育にもそっくりそのまま欠陥が移されてしまったというのが、戦後民主主義教育の正しい理解ではないかと感じた。
ジョン・テイラー・ガットさんの、教師としての体験からくる欠陥の指摘は実に的確で、僕も教育の現場にいてそれを常に感じていたので、この本が非常に説得力を持っていると思った。しかし、この指摘は教育の現場にいる人間からはおよそ出てくることのないものではないかという思いも抱いていた。僕は、このような感覚を持っている人間は現場では圧倒的少数派だと思っていたのだ。
教育現場をよく知っていて、外からそれを眺めている人間にとっては、この指摘は実に見えやすい・分かりやすいものではないかと思う。教育現場にいる人間にとって見えにくいのは、自らがその欠陥の維持のシステムの中にいて、それを指摘することは、自らの仕事の価値を否定することになるからではないかと思う。善意の努力が、実は地獄への道を敷き詰めているのではないかというのはなかなか悟れるものではない。日本では現場の中からこのような主張が出てこないのに、アメリカでは最も優秀な教師がこのような革命的な指摘を行っている。最も優秀だからこそ指摘しているのかもしれないが。アメリカという国のすごさを感じるところだ。
日本では今、学力低下が本当にあったのかどうかという論争があるようだ。これはおそらくデータを取るだけでは結論が出ないのではないかと思う。内田さんのブログには、共通一次試験の平均点が毎年1点ずつ下がっているというような記述があった。このデータを元にすれば、学力低下は明らかではないかとも思われる。しかし、一方では世界的なレベルでの学力試験の比較ではそれほど日本は落ちていないという声もあがっている。必ずしも学力低下の傾向を示していないデータもあるようなのだ。
教育の現場にいると、テストの結果に現れる学力面よりも、子どもたちの学習に対するモチベーションの低下が著しいのを感じる。これを学力の要素に組み入れるなら、明らかに学力は低下しているという感じもする。しかし、これは板倉さんが指摘しているように、大衆教育の時代に入ったのに、かつての古臭いエリート教育と同じシステムで教育をしていることの欠陥であって、子供たち自身の能力が低下したわけではないという解釈も出来る。時代遅れのエリート教育ではなく、新しい時代にふさわしい教育の創造に失敗したとも言えるだろう。
ジョン・テイラー・ガットさんの指摘を見ていると、そこで語られているのは義務教育学校の欠陥だ。これはより抽象化して言えば、大衆教育の欠陥ということができるだろう。アメリカという国の統治権力が、大衆に期待している資質を教育する学校として義務教育学校を考えた場合、大衆がバカであってくれたほうが都合がいいという意図がかなり見えるようなのだ。アメリカにおける「バカをつくる学校」は、努力したにもかかわらず結果的に間違った教育をしてバカをつくってしまったというのではなく、かなり意図的にバカをつくっているようなところがあるのを感じる。
そもそもアメリカの民主主義というのが、実は資本主義の繁栄を支えるような社会を維持することを目的としているのではないかいう感じもする。資本主義の繁栄のためには、自分の生活を反省して自分の頭でよく考える人間よりも、刺激に対して単純に反応して気分的に快感を得ることを好むような消費者が多くいたほうが、資本主義的な大量消費のためには都合がいい。
民主主義教育の欠陥は、資本主義の物質的豊かさを維持しようとする意図を単純に捉えるところから生じるのではないかと思える。おそらくその欠陥を埋める部分がエリート教育の中にあるのではないかと思う。それは、かつて先進国に追いつこうとして暗記教育に偏った日本の古いエリート教育ではなく、先駆者としての意識と実績を正しく反映したエリート教育にならなければならないのではないかと思う。
資本主義的な豊かさを単純に肯定すれば、「バカをつくる学校」としての大衆教育にならざるを得ないのではないだろうか。資本主義の発展と維持のためには、少数のエリートと大多数のバカな大衆をどうしても必要としているのだろうか。もしそうであれば、資本主義的な豊かさというのは、必ずしも人間を幸せにはしないといえるだろう。
イタリアの古い映画の「鉄道員」に描かれていたのは、貧しいながらも自分の仕事に誇りを持ち、心の通い合った仲間とのひと時を楽しみ、毎日の生活の中で互いに尊敬しあう家族が存在するというものだった。それは、「貧しいながらも楽しい我が家」と呼べる姿が理想的に描かれていた。最新のきれいな家に住んで、物質的にはるかに豊かな生活をしている先進資本主義国の人間よりも、映画「鉄道員」の中の人々のほうが明らかにはるかに幸せそうだった。
資本主義的な豊かさはシステム的に再生産されている。その再生産の過程で、「バカをつくる学校」がその基礎をまた再生産するというシステムを担っている。このシステムに抗うのはとてつもなく難しいだろう。まさに革命を必要としている。どこかで豊かさの追求をやめない限りこのシステムを変えることは不可能ではないかとも思える。
奇妙な符号として、「バカをつくる学校」の構造は、崩壊した社会主義国家の社会体制とそっくりだというのを感じる。崩壊した社会主義国家でも国民は自分の頭で考えることが出来ないような社会システムを持っていた。自分の頭でものを考える人間は、反体制・反国家的な人間として弾圧されてきた。
このような国民は、一見統治権力にとっては実に都合のいい国民のように見える。しかし、社会主義国の末路を見ると、このような国民が国力の低下を招き、もはや国家として存続不可能なくらいに疲弊して、これ異常ないくらいひどい状態になってから革命的に国家が倒れるという過程を経て社会主義国は崩壊した。
社会主義国の社会構造にそっくりな「バカをつくる学校」の構造は、それをどこかで変革しないと、社会主義国の末路と同じ状況を作り出すのではないだろうか。一握りのエリートでコントロールできると高をくくっていると、カリスマ的な指導者に酔った大衆が、エリートの指導など顧みずに破滅への道を進むというのは、かつてのファシズムの道が示していたのではないだろうか。
バカをつくる大衆教育は変えられなければならないと思う。大衆の中にもスペシャリストをつくるようなエリート教育が必要なのではないだろうか。かつて、貧しいながらも自分の仕事に誇りを持っていた人々がいたように、特別の分野では指導的立場に立てる大衆を育てるという教育が、今の「バカをつくる学校」を克服するためには必要なのではないだろうか。
日本の教育制度のように、単一のモノサシで序列化して、そのモノサシで評価されたもののみがエリートになり、落ちこぼれたものは大量の「バカな大衆」になるように運命付けられた教育は、未来においてはかえって資本主義を衰退させるようになるのではないだろうか。
この本は実に刺激的で面白い。書かれている内容のすべてが考察に値すると感じる。これから細かく一つずつ取り上げて考えていきたいと思うが、まずは冒頭に書かれている義務教育学校の欠陥としての「一貫性のなさ」の指摘を紹介しよう。この本では次のように書かれている。
「実際、私の教えることにはまったく脈絡がない。何もかもがバラバラで、めちゃくちゃである。惑星の軌道、大数の法則、奴隷制、形容詞、設計図、ダンス、体育館、合唱、集会、びっくりゲスト、避難訓練、コンピューター言語、保護者会、教員研修、個別プログラム、ガイダンス、実社会ではあり得ない年齢別のクラス……。いったいここにどんな一貫性があるというのだろう。」
ここでの指摘は、学校で教えていることの全体を把握して、その横のつながりを考える人間がいないということの指摘だと思う。それぞれの教科は、その教科にとって大事なことを教えようとする。これは、教科に携わる人間の利権でもある。教員はまさに当事者としてそうだし、教科書を執筆する人間や、問題集を作成する会社なども大きな利権を持っているだろう。その利権を小さくするようなことはあまり行われない。そのため、かなり無駄な知識だと思われても、学校教育からそれが削られることがない。
僕は、中学校数学の大部分はいらないと思っている。義務教育の学校が大衆が学ぶ学校という意味で考えるなら、専門的な知識は要らないと思う。むしろ基本的なものの考え方をもっと深く知るべきだろう。それこそが大衆の中にエリートを作り出す基礎になるものだ。基本的なものの考え方を深め、それを基礎にして自分の個性にあった専門分野に進むというのが、大衆教育を基礎にしたエリート教育と呼べるのではないだろうか。
もしそのような過程を経て誕生した大衆が増えれば、専門教育分野においては、誰が真に優れた人間かを判断することも出来るようになるだろう。見かけにだまされるのではなく、本当の実力を持った人間が指導的立場につくようなシステムが誕生することが期待できる。今の大衆教育では、まったく専門を持たない、ものの考え方の基礎訓練がされていない大衆を生み出しているので、見かけにだまされた見栄えのする指導者に酔いしれてしまうような状況が生まれる。ファシズムにとっては実に都合のいい状況だろう。
民主主義教育は本質的な欠陥を持っている。すばらしいものでもなんでもない。学校がいやだった自分の気持ちは正しかったと、この本を読んでそれに確信が持てた。さらに批判の細かい部分を読み込んで、抽象論としての民主主義教育の欠陥が、現実の日本の戦後民主主義教育にどのように現れているかを考えてみようかと思う。
”バカをつくる学校”を読んで
2010/05/13 09:21
この本は学校教育を批判する内容です。家族や地域といったコミュニティから引きはなし
同じ年、同じカリキュラム、時間割の弊害について詳しく書かれています
ちょっと気になった部分を抜粋します。
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・教育は「油絵」よりも「彫刻」に似ている。素材を削ってイメージを浮かび上がらせる。子供の可能性を削って、削って形にするものが教育である。
・時間割りはバラバラの事実と理論を押し付ける作業だ、まともな人間が求めるのは意味である。物事には自然な順序がある
・子供にバラバラの事実を押し付け、多くの体験をさせることが望ましいとされている、親たちはそのうそに気づかない
・チャイムにより、どんなに集中している子供もすべて中止させられる。やり遂げることができなくなり、集中力を失っていく
・自主性をもった子供は、何をいつ学ぶか自分で決めようとする。その子供は「劣等生」と呼ばれ、従順で決められた通りにする自主性のない子供は「優等生」と呼ばれる
・通知表は、自分や親の評価よりも、他者や専門家の評価を信じるように押し付けることである。
・実は読み書き計算は100時間あらば学べる。1850年に使われていた5年生の算数や作文の教科書の内容は現在の大学レベルに相当する
・義務教育は1850年ごろ、マサチューセッツ州で考案された。当時住民の約80%がこの制度に反対し、銃で抵することさえあった。義務教育が導入され 98%だった識字率が、導入後は91%が最高である
************************
これらの情報のソースはハッキリしているものと、そうでないもの。また作者(この作者の書き方は部分部分癇に障る)が教師として感じたことです。
中でも気になったことは
・義務教育が採用されてから識字率が低下してしまったこと。
・同い年だからと同じ教室に閉じ込めてそこでコミュニケーションが取れるという大人の大きな勘違い(実際はいじめやストレスの温床となる)の指摘。
・時間割という強引なカリキュラム
があります。
6年間学んだはずの英語を話せる日本人が少ないことから考えれば識字率が学校により下げられたということも頷けます。社会に出て50分で切れる時間割なぞありません。時間割により子供たちの集中力が削られて行くのは事実でしょう。
本当に学校って必要なの?
当たり前のことを疑うことってやっぱり必要と思う一冊です。
学校に行かなくても困るはずがない
日本ブログ村の「いじめ・登校拒否ブログ」部門に参加した。
私自身は登校拒否ではなかったが、本当は登校したくなかった。しかし、昼間の芸能ゴシップ番組や秘密のおやつやその他の楽しみを満喫できる自由な時間を邪魔されたくない母親に鬼の形相で(高熱がある時でさえ)毎日学校に追いやられた(笑)。
まずはっきり言いたいのは、学校に行かなくてもさほどのことはないということだ。何も困ったことにならない。
学校に行けば、国家や大企業にとっては都合の良い人間(何にも興味がなく、退屈しやすいので無駄な消費をし、労働者としては管理者に従順な人間)にはなるというだけだ(義務教育はその目的で作られている)。
最初の1冊以外は好きではないのだが、斎藤一人さんという有名な富豪(毎年の長者番付の上位者)である企業経営者の本が沢山出ているが、その最初の1冊によると、斎藤さんは中学までしか行っていないが、その中学校でも真面目に勉強していたわけではなかったらしい。それで先生に「そんなことでは困ったことになるぞ」と常に脅されたが、結局、何にも困らなかったと言う。
私も、学校の授業を聞いたことは一度もない。授業中は常にぼーっとしており、よく怒られたが、それで後に困ったことは一度もない。
そもそも、一流大学の学生のかなり多くが、小学校の算数や国語ができないのである。それで彼らも困っているわけではない。学校とはこのように変なものなのである。
対して、NASAや一流の医療機器メーカーに納品する光学機器を数多く開発した三鷹光器の中村義一会長は小学校もロクに行かなかったらしい。また、やはり数多くの医療機器を開発したイツァク・ベントフにいたっては幼稚園中退だ。別に彼らが特異な例ではない。
少なくとも言えることは、遅くとも14歳になれば、自分でいくらでも勉強できるのである。アインシュタインやエジソンも独学で勉強した。別に学校を極端に攻撃するつもりもないのだが、学校で学ぶとしても、遅くとも中学2年で学校を不要にするのは易しいことだし、必要なことと思う。かなりアホに属する私でも、授業を一度も聞かず、読み書き計算は、時たま親に聞いたりして身に付け、後は、授業の百倍は分かりやすい参考書がいくらでも出ているので、楽に独学できた。
学校に行かなくても困ることは何もないのだから、嫌なら学校に行かないで済むようにするのが良いはずである。
ただ、著名な思想家で私も敬愛する吉本隆明氏は、学校がロクでもないものと認めつつ、学校には行った方が良いと言う。学校などを無視し、あまりに自己本位で進むと、人間としてのバランスが悪くなる恐れがあり、自分にとっては異質な世界とも適度に付き合う方が良いとかいった意味のことを言われていたと思う。確かに、学校でなくても、世間には変な場所や奇妙で馬鹿げた世界は沢山ある。自己本位だけではだめなこともあり、学校や教師を反面教師としろというような意味かもしれない。ただし、あくまで「適度に」「いい加減」に付き合えと言ったのである。学校と、「適度に」「いい加減」に付き合えるなら私も反対ではない。
いずれにしろ、学校にいかないと恐ろしいことになるという国家的洗脳などにはまらないことだ。むしろ、学校に行くと恐ろしいことになるのではないのか?自分でものを考える能力、自由に発想する能力、好奇心や集中力を根こそぎ奪われる可能性が高いと思えてならない。
大切なのは、学校に行った、行かないで区別されない社会であることだ。学校やひいては国家は権威を失うそのような危険をあえて生み出すはずがないので、なかなか難しいとは思うが、上にあげたように、ちゃんとうまくやっている人もいくらでもいる。むしろ、多少苦労した方が、得るものも大きいと思う。
世相のウラを読む(191) 虎の威を借りたキツネ(戦国策―楚策)2008年 03月 21日
日本の外務省は、またひとつ世界に大きな恥をさらす行為をやった。国連という虎の威を借りたキツネに成り下ったのである。どういう事か、というと、9月20日のテレビ報道、21日の新聞各社が報じているように、日本の「テロ特措法」延長を画策するため、国連安保理の「決議」を引き出したのだ。この決議案採択に当たってロシアは棄権、中国は条件付賛成であった。外務省が国連においてこの決議採択のためロビー活動を行っていた事は、元外交官でいくつかの国の大使を務めた天木直人氏が自らのブログで暴露している。
政府の「テロ特措法」延長に反対する民主党を押さえ込むため、国連を利用するという奇策をやった外務省は、まるで戦前の軍国主義の時代に先祖返りしたかのようだ。しかも威を借りた相手が悪い。驚くなかれ、国連とは智恵の廻らない虎なんかではない「羊の皮を着た狼」なのだ。外務省がやったことは、化かした積りが化かされた、という結果になりかねない、実に愚かな行為である。
ここで、怪訝に思う人が多いだろうから、国連という組織がどういうものか、皆さんは真の姿を知る必要がある。大多数というか、すべての学者・知識人を含めて大部分の日本人が第一次、第二次の世界大戦の地球規模の戦乱を教訓として平和維持のために国連という組織が作られた、と信じて疑っていない。だが、これは真実ではない。話がまったく逆なのだ。第一次大戦は国際連盟を、第二次大戦は国際連合を、それぞれ作り出すために仕組まれた陰謀にまみれた戦争だったのだ。えっ、そんなバカな! と多くの人がお思いだろう。その疑問を晴らすには実にこみいった筋書きの長い答がある。しかし、あるひとつのわざとらしい善意を知るだけで充分である。それは、現在の国連ビルが存在するニューヨークの一等地の広大な敷地は、他でもない国際金融財閥のロックフェラー家が無償で寄付したものであるという事実だ。世の諺にある「タダほど高いものはない」という典型的な例である。
小学校から開始される義務教育のすべての教科書には、国連は平和の象徴として記述され、教え込まれている。小さな子供の柔らかな脳には、この教えは刷り込みに等しい状態で刻み込まれる。いわば一種の洗脳である。因みにアメリカの小学校のカリキュラムはロックフェラーの援助によって設立された教育財団が作成している。幼い子供にとって教師は神にも等しい。何の疑問の材料も持たない子供は教師の教える事をすべて真実として受け入れる。だが、これがいかに欺瞞と策略に満ちているかは、ニューヨーク州の最優秀教師の表彰を受けた、ジョン・テイラー・ガットという人が書いた「バカをつくる学校」(成甲書房・刊)で告発されている。
では、一体国連は何のために設立されたのか。その理念を一言でいえば、「新世界秩序」(New World Order)と呼ばれるものだ。具体的には、戦争、飢餓、疾病を利用し、2050年までに世界の人口を40億人削減すること。全司法機関を国際裁判所へ統合すること。NATOの国連軍化により世界の警察軍を編成すること。キャッシュレス社会を実現し、全市民にICチップを埋め込み、感情コントロールを含む管理統制を行うこと。そして、最終的には世界統一政府を樹立する。その表看板となる予定が国連なのであり、世界は裏で陰のグローバル政府によって操られる事になるのだ。
えっ、このどこがいけないのか、って? そう、ちょっと見にはどこにもおかしな所はない。40億人の人口削減にしたところが、限られた地球の資源からすれば致し方ないのかもしれない。だが、よくよく見ると99.9…%(70億人-300人)の人間を虫けら同然に扱い、奴隷化する企みが隠されている。それも「洗練された奴隷制」である。つまり奴隷になった事さえ理解しない奴隷制なのである。(ケビン・ベイルズ著「グローバル経済と現代奴隷制」凱風社・刊 参照)
この動きは既に日本でも始まっている。日本経団連の推進するホワイトカラーエグゼンプションであり、労働者のワーキングプア化である。つきつめれば「格差社会」の創出である。いわゆる小泉改革はこの動きの先鞭だった訳だ。従って、現政権が「小泉改革」を継承する、と言っている限り、格差社会を推進するという意志の表明であり、格差を解消する、というのは単なる言葉の遊びで、国民を欺くためのゴマカシ・方便に過ぎない。
いまこれらを世界の至るところで陰で企てているのは「ビルダーバーグ・グループ」と呼ばれる人間たちである。彼らが具体的に誰を指しているかは、インターネットで検索をかければすぐわかる。そして、その最上部に君臨しているのが「イルミナティ」と言われる人間だ。
ひとつの例を示そう。アメリカ下院に、ラリー・マクドナルドという議員がいた。この人は陰のグローバル政府を告発した「The Rockefeller File」に寄せた序文にこう書いた。「本書は誠に当を得た驚異的で強烈な敵中突破とも呼ぶべき内容となっており、現代のきわめて重要な証言の書となる可能性を秘めている。ロックフェラーとその協力者が大規模な活動によって超資本主義と共産主義とをひとつ屋根の下に統合して世界統一政府を樹立する。(中略)彼らは少なくとも50年以上にわたり、まず米国の政治支配力を奪い、続いて全世界を支配するために経済を振るう計画を慎重に進めてきた」
その後、1983年8月31日、マクドナルド下院議員の乗った民間航空機、大韓航空007便は「誤って」ソ連領空を侵犯し、撃墜された。(ダニエル・エスチューリン著「ビルダーバーグ倶楽部」バジリコ・刊より引用)
※超資本主義者=国際金融財閥と共産主義者とが同じ穴のムジナである事はアメリカ知識人の間での共通認識であった事に注目する必要がある。また超資本主義者たちの真の目的はアメリカの単独覇権を推進する事にあるのではなく、逆に世界を多極化して早期に世界統一政府を実現する事にあった。マクドナルド下院議員はこの事実を鋭く見抜いている。炯眼の国際ジャーナリスト田中宇氏も同じ内容を最近のレポートで述べている。
外務省はこれらの事を知ったうえで、国連を利用したのだろうか。当然高村防衛大臣も、町村外務大臣も外務省が国連でロビー活動を行っていたのを承知の上である事は、両大臣のテレビインタビューでもはっきりしている。これで民主党がどう対応するか。その結果次第では民主党は一蓮托生となるか、あるいは現自民党政権と同類なのか、はたまた日本は独自外交の道を歩む事になるのか、がはっきりする。小沢代表がシーファー米大使と会談した際、「国連の認めていない海上給油活動は反対せざるを得ない」と言ったのは、極めてまずかったが、しかし、この言葉がかえって今の日本政府と陰のグローバル政府とのつながりを焙り出す結果となった事は皮肉である。
最後に重要な事を付け加えておく。外務省はパンドラの箱を開けてしまった。もう後戻りはできなくなった。ひょっとすると、日本は虎の尻尾を踏んでしまったかもしれないのだ。これを象徴するような、虎に関する別な寓話がある。曰く「虎に騎(の)る者は、勢い下りるを得ず」(『五代史』唐臣傳)と。
結局どうなるか。虎からおりれば最後は虎に食い殺される。何か日本の現状を暗示しているようではないか。
しかし、もう安心して良いのかも知れない。イルミナティの野望は大半が挫折している可能性がある。そして、結果として社会(世界)の大変革が近づいている予感がする。
義務教育に疑問を持とうよ!
義務教育になってバカになった国もあるほど効率が悪い
時間割りは子供にバラバラの事実を押し付ける。つながりのない知識は身につかない、、
授業を時間で区切り、算数の後に国語、理科、、多くの体験をさせることが望ましいの?親たちはそのうそに気づかない
チャイムにより、どんなに集中している子供もすべて中止させられる。やり遂げることができなくなり、集中力を失っていく
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教育は「油絵」よりも「彫刻」に似ている。
素材を削ってイメージを浮かび上がらせる
本当の教育とは専門知識を押し付けるよりも、才能を邪魔しているものを取り除くこと
時間割りはバラバラの事実と理論を押し付ける作業だ、まともな人間が求めるのは意味である。物事には自然な順序がある
子供にバラバラの事実を押し付け、多くの体験をさせることが望ましいとされ、親たちはそのうそに気づかない
チャイムにより、どんなに集中している子供もすべて中止させられる。やり遂げることができなくなり、集中力を失っていく
自主性をもった子供は、何をいつ学ぶか自分で決めようとする。その子供は「劣等生」と呼ばれ、従順で決められた通りにする自主性のない子供は「優等生」と呼ばれる
通知表は、自分や親の評価よりも、他者や専門家の評価を信じるように押し付けることである。
実は読み書き計算は100時間あらば学べる。 1850年に使われていた5年生の算数や作文の教科書の内容は現在の大学レベルに相当する
義務教育は1850年ごろ、マサチューセッツ州で考案された。当時住民の約80%がこの制度に反対し、銃で抵することさえあった。義務教育が導入され98%だった識字率が、導入後は91%が最高である
いじめというのは同じ年齢の集団に発生しやすい。さまざまな年齢がいるコミュニティでは発生しずらい
アメリカ経済は1960年半ばから大きく発展してきたが、労働者が実際に使える賃金は30何前より少ない。購買力が増したのはじつは人口の20%で残りの 80%は逆に13%減少した
アリストテレスによれば、成熟した大人になるための唯一の方法は、人間社会のあらゆる事柄に参加することである
麻薬中毒やアルコール中毒、十代の自殺、離婚といった悲劇が、貧しい人びとよりも、じつは裕福な人びとの間に多いという事実を無視するべきでない。
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