画像で見る日本の医学を築いた戦慄731部隊の悪行
731部隊と日本の医学会には深いつながりがあった!
隊員たちは戦後、医学界の重鎮となっていた

ボイラー室があった建物。敗戦が迫り、ソ連軍が間近に迫ったとき、731部隊員は、ソ連軍に細菌戦の準備をしていたかどで戦争犯罪に問われることを恐れ、
このボイラーで証拠書類を焼却した。731部隊員が逃亡するときに石井四郎の命令によって爆破していった。煙突はもともと3本あったのだが、逃亡する際の
爆破によって1本は倒れた。このボイラー室から731部隊全体に給湯され、セントラルヒーティングの設備が整っていた。セントラルヒーティングは隊員の生
活のためというよりも、ペスト、コレラなどの細菌兵器を培養するために必要とされた。

731部隊の本部棟。修理はされているが、原型はそのままのようだ。最近まで小学校として使われていた。
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> 731部隊跡
ここは、日本陸軍直属部隊・満州第731部隊(通称石井部隊)が1936年から1945年まで毒ガス爆弾やペスト、コレラ、チフス、炭疽>タンソ菌等の各種細菌兵器の研究・製造を担当した秘密部隊で、それを実使用するための媒体として 「ノミ」や「ネズミ」の飼育もしていた広大な施設跡です。
さらに、これらの毒ガス、細菌兵器の研究に中国人やロシア人を生きたまま生体実験として使いその数約3,000人と云われ、これらの兵器は実戦でも使用
され今でも中国各地に残物が処理されずに埋蔵されているとの事でした。
展示室には写真や遺物、模型が誇張するでもなく展示してあり「ひどい事をしたもんだ」と思うと同時に「これが自分の生まれ育った時代の歴史の中の一つだっ
たんだ」と認識を新たにすると同時にこの様なことは世界から廃絶すべきだと痛感しました。
施設の殆どが敗戦を察知した日本軍が証拠を隠す為資料などは焼却、建造物は爆破破壊して破壊しきれなかった建造物は現在「世界文化遺産」として保存され
ています。
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戦後、敗戦した日本は「被害国」のように考えられることが多いが、日本軍が行ってきた加害者的側面を見過ごすこ とはできない。とりわけ凄惨を極めた七三一部隊の話しを踏まえて「侵略国日本(敢えてそう言う)」を考えてみたい。
【死の七三一部隊】序文
日本は「広島・長崎」において原爆被害を被った、唯一の核被曝国である。そのことはこれまでも重要な問題として 捉えられてきたし、また今後もより一層の教訓として考えて行かねばならない問題である。
日本では戦後、こうした「敗者」「被害者」の側面ばかりが強調されるが、旧日本軍がアジア圏において行ってきた 侵略行為と魔の所業を忘れることなかれ。
これから紹介する七三一部隊の所業は、日本軍が行った行為の中でも最も許されざる行いであり、また我々が明確に 知っておかなければならないことでもある。人の生命を生命とは思わぬその数々の残虐非道の行いを、当の日本人である我々は忘れてはならない。
戦後50年を経た現代、風化しつつある戦争の記憶。
数え切れぬほどの犠牲者たちの屍の上に現代の繁栄があることを見過ごせない。彼らの犠牲を決して無駄にしてはならないのだ。
真の平和にはまだまだ程遠い。第3第4の「世界大戦」を引き起こさないためにも日本は確固たる立場で「あの戦 争」の記憶を埋もれさせない努力をせねばならないのである。
死の七三一部隊① 【秘密】
満州国は第二次世界大戦中、中国東北部に清朝最期の皇帝溥儀(ふぎ)を執政として、関東軍がでっ ち上げた傀儡(かいらい)国家である。
しかしこの国を「国家」として認めていたのはドイツ・イタリアなど数ヶ国に過ぎない。
日本軍が闊歩するその満州国に平房(ピョンファン)という村がある。そこに日本軍の、ある一部隊が駐屯してい た。軍とはいえ、これと言った戦車大砲等の兵器を装備しない不思議な部隊である。
七三一石井部隊、その部隊は約6キロ四方を土塀で囲って様々な施設を作ってそこにあった。常時3 千名の隊員を擁する。その施設にある3本の巨大煙突からは、毎日黒煙とともに異様な悪臭が流れていたと言う。
この部隊の隊員は他の軍隊とは異なり、戦闘要員が少なく、代わりに日本民間人からリクルートされた学者、研究員 でおおむね構成されている。知的な雰囲気を帯びた秘密部隊であった。
中国人はこの部隊について噂した。「あの部隊には近寄らない方 がいい。人間を材料にして何か秘密の実験をしているらしい」
死の七三一部隊② 【逸脱】
この部隊には大量の食料、医薬品、実験器材、資材、通信機、建築材、機械、燃料、ブタ、ヤギ、ウサギなどの動物 が毎日のように搬入されている。だがやはり武器弾薬のたぐいはなかった。しかも地域住民に対して殺戮・強奪をおこなうこともなく、不気味な沈黙を保ってい る。
だが内実は人間の行いとは思えぬほどの所業を繰り返していた。搬入物のうち、特別車で「特別扱い品」が何度か来 るが、衛兵たちはそれを「丸太」と表現している。その丸太(以下マルタ)は実は人間である。
彼らマルタは、日本逆転を企図して研究している「細菌兵器」開発の実験材料として扱われ、骨までしゃぶられるよ うにして、ありとあらゆる実験に使われていた。
マルタは「反日派」「協力的でない民間人」「スパイや抗日運動家」などの中国人である。彼らは生きたままムシロ にくるまれ針金で縛られて運ばれる。
七三一部隊の行為は戦争遂行の目的を逸脱した、畜生にも劣る悪魔の所業であった。
死の七三一部隊③ 【非道】
七三一石井部隊で「細菌兵器を開発するために人間を実験材料にすることへの後ろめたさ」を抱く隊員は少なかっ た。人の心あらば、到底為し得ないような非道の実験である。戦闘員が戦場で戦うのとは異なり、軍人、民間人問わずに「人間」を材料として研究している。そ の対象は幼児・乳児を問わない。
「生体実験に処する対象は敵国人、敵性人であり、それは人ではない」。そう信じ込むことで非道性に目を背けたのである。人としての死を、人が妨げることが果たして許されるか?答えは否である。
死の七三一部隊④ 【終焉】
七三一部隊は、1945年8月の「広島長崎」への新型爆弾投下による被害が、それまでの空襲の被害とは異なるた め「至急帰国し調査せよ」という本国からの要請により、撤退準備を開始する。
だが事態はあれよあれよのうちに終戦へと向かい、部隊の立場上、到底戦後に生き残れるものではない、という恐怖 が湧きあがってきた。まもなくソ連軍も南下してくる。
部隊が行ってきたことが露見すれば、戦犯として処刑されることは間違いない。石井隊長は施設の破壊と関連器材、関連書類などの隠滅、そして・・・生き残っている実験人間「マルタ」の全処分を命じた。
死の七三一部隊⑤ 【殺戮】
蜂の巣をつついたような大混乱の中、施設は爆破され、収容されていたマルタの大量虐殺が始まった。監獄へ青酸ガ スを流し込み、それでも死に切れない者は銃剣で止めを刺しながら歩く。隊員の数を何倍も上回るマルタをそ れでも処理し切れずに、今度は一ヶ所に集めて爆発物を投じて一挙に爆死させたりした。残っているマルタには二人一組にして互いに殺しあわせることで処理し た。
石井部隊の所業に関する証拠が露見したり、マルタが生き証人として生き残ればその罪は免れない。撤退作業の中、 マルタ殺戮は激越を極めた。
死体を残すわけにいかないため、大きな穴を掘ってそこに死体を一挙に投げ入れガソリンをかけて燃やした。死体は生焼けで異様な匂いを放つ。形ばかりの土を
かぶせて部隊は撤退作業に焦った。
焼却された死体の骨は松花江(スンガリー)という川に運ばれて投棄された。証拠は跡形もなく隠滅せねばならな かったのだ。
人を物のように殺して処理して行く光景はまさに地獄そのものであったろう。
死の七三一部隊⑥ 【戦後】
日本本国に帰国する際、石井隊長は部下たちに命じた。
「七三一部隊に在籍した事実の秘匿」
「公職復帰への禁止」
「隊員相互の連絡の禁止」
隊員は戦後、混迷を極めながらもその命令を守った。だが進駐軍は七三一部隊の調査の中、石井隊長以下幹部の所在 を突き止める。極東軍事裁判においてソ連は、彼らの取り調べと処刑を要求した。
ところが、石井隊長は保身のために、隊員にあれほど厳重に秘匿を言い渡したにもかかわらず、密かに大陸から隠し 持ってきた「七三一関係資料」を米軍に提供していた。米軍はその資料的価値の大きさ(良心の呵責にはばま れて人間にはできえないような研究の成果)を測って、石井以下幹部の免罪嘆願に及ぶ。
アメリカはソ連との確執の最中にある。この七三一の技術情報はソ連に流れていないため、裁判を開けばその情報が ソ連側に流れてしまう可能性がある。それを危惧したのである。
かくして石井たちはGHQとの秘密取り引きによってその罪を免れた。
七三一部隊
七三一部隊の中には、その研究資料を自分の物として発表し、叙勲された者もいたらしい。
「戦後の日本医学の基礎は七三一部隊にある」と豪語するような幹部隊員の戦後ポストはそうそうたるものであったと 言う。
日本学術会議南極観測特別委員会には七三一部隊凍傷班隊長が参加。血製剤メーカーミドリ十字には石井の右腕と言 われた人物が。その他幹部たちは、医学大学、政界、民間病院など様々な重役のポストに就いた。全て取り引きの成果であろうか。
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731 部隊の終焉
昭和20年8月9日 ソ連対日宣戦布告。ソ連機甲部隊は怒涛のように南下を始めた。関東軍にこれを止めるすべはない。731部隊は悪業の証拠隠滅作業に
追われた。機密が暴露してはならない。一切の証拠を破壊する必要がある。収容されているマルタを放すわけにはゆかない。すべて抹殺せよ。青酸カリ入りの食
事を与えたが、気付いて食わない者もいる。覗き窓から銃弾を浴びせる。死体の処理が大変だった。大きな穴を掘りその中で重油とガソリンをぶっかけて焼くの
だが、人体は容易に灰にならない。鉄棒でつつき火の回りをよくしようとするが、思うに任せない。しまいには手掴みで死体をひっくり返す。胴体が裂け内臓が
飛び出すが構っていられない。急げ。ソ連軍がすぐ近くまで迫っているぞ。将校、下士官の怒号が飛び交う中、8月の炎天下に兵たちは地獄の獄卒のような作業
を続けた。貴重な研究データも実験記録も火中に投じられる。高価な顕微鏡や医療機器も今更惜しんでも仕方がない。真新しいフォードのトラックもすべて火を
かけられた。残るは建物だけだ。頑丈な鉄筋コンクリート造りの建造物は50キロ爆弾を仕掛けて爆破した。隊員から捕虜が出ると秘密が露見する。全員脱出す
べし。食糧を満載した特別列車を仕立て背後に迫るソ連軍と犠牲になったマルタの怨霊から逃れようと一気に南下する。大勢の同胞が北満の広野を彷徨している
ときに、731部隊員は8月末早々に帰国を果たした。
部隊解散時 石井中将は訓示した。「731で知ったことは墓場まで持ってゆけ。戦友、肉親といえども絶対にしゃべってはならない」 絶対的なカリスマ性
を持つ石井中将の呪縛にかかったか元隊員は沈黙を守った。731部隊に属していたことを秘して軍人恩給の申請を諦めた人さえいる。毎年終戦記念日ころのメ
ディアでは戦争体験を語る老人が登場するが、731の隊員は名前、顔を秘してほんの少し語るだけだ。
最高責任者の石井四郎は戦犯法廷に立つことはなかった。米軍に研究資料を提供することで一切の責任は免責された。米軍にしてみれば石井を絞首台に送って
も得るものはない。
米軍は労せずして自らの手を汚すことなく実験資料を手に入れた。その内容は最高の軍事機密に属するから窺いようがない。ペンタゴンの奥深く収まっている
ことだろう。結果から言うと731部隊は米軍のために奉仕したようなものだ。米軍はこの資料をどのように利用したか。朝鮮戦争、ベトナム戦争で使われたと
の噂もある。「9・11」以降発生した炭疽菌事件にはなんらかの形で「731」と関連があると見られている。国内でも昭和23年に起きた帝銀事件の犯人は
「731」出身者でないかと見られた。「731」は組織としては消滅したが、その影響は今なお世界を脅かしている。
部隊で直接人体実験・研究に携わった軍医たちの戦後はどうであったか。戦後日本の医学界を支える重鎮に錚錚たる顔ぶれが並んでいる。ミドリ十字会長、東
大医学部教授、京大、阪大、大阪市立大、防衛大学、金沢大などの医学部教授、その他薬学研究所、病理学研究所の研究員など枚挙に遑ない。
医学、病理学の研究に当たっては実験動物としてモルモットが使われる。人体に似ているからだ。それでも人間そのものではない。「731」では人間、それ
も若い健康な生きのいい人間を実験に供した。探究心の旺盛な医者にとって涎の出るような喜びであっただろう。初めは良心の呵責にさいなまれたかも知れな
い。だが何度か経験するうちその感覚も麻痺し「お国のため」との大義名分より科学者としての好奇心、探究欲に埋没していったのでないかと推察する。戦後か
れらの栄達が「731」で磨かれた医学者としての能力によるものと考えても不思議でない。善悪は別にしてかれらは日本の医学を進歩させたと言われる。
そうなるとわたしたちも間接的に「731」が育てた軍医たち、犠牲となった3,000人のマルタの恩恵を蒙っていることになるのだろうか。
すべてが解明されたわけでなく、今後も解明されることはなかろう。個人的な関心としては石井四郎の思想、哲学、人生観を知りたい。生粋の職業軍人でなく
医学者を目指した彼がなぜ細菌戦研究に打ち込むようになったか。京都帝大医学部卒。2年間の欧米視察。昭和初期の日本人としてはエリート中のエリートで
あった。医学者としても大成しただろうに。なぜ悪魔に魂を売り渡したか動機を知りたい。
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| 731部隊は関東軍防疫給水部の別名で「石 井部隊」とも呼ばれていました。ハルビン郊外平房の地に、特別軍事地域を作り生物・化学兵器の人体実験などを行っていました。 | 七三一細菌部隊罪業陳列館はハルビンからバスで1時間ほど郊 外に行ったところにあります。 |
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| 部隊の配置図 | 日本の新聞(最近の物)の切抜きで、旧将校の手記。昭和 14-6年ごろにかけての731部隊の発祥や、ノモンハン事件について書かれています。 |
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| 凍傷実験や細菌爆弾の製造(ペスト、コレラ、チフス、赤痢) など、人体実験に使われて人は3000人に及ぶといわれています。写真中央が石井四郎 | 1945年の敗戦において証拠隠滅のために施設の破壊、人体 実験の人々(丸太と呼んでいた)の殺害、実験データの焼却をします。 |
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| 同じ頃、ドイツでは化学兵器(毒ガス)の開発が行われてお り、オウム事件で注目を浴びたタブン・サリン・ソマンなど有機リン酸系の毒ガスがバイエル社などによって開発されます。そしてアメリカは原子爆弾を開発し ていました。 | 各部隊支部長出張所長記念写 真 |
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| 戦後、極東軍事裁判において731部隊の幹部隊員の多くは戦 争犯罪人として裁かれず、アメリカは彼らの持っているデータと引き替えに彼らを免責にし、多くがその後日本のいろいろな所の高い位についたことは、細菌の 薬害エイズ事件の時に注目されました。 | 関東軍防疫給水部、満州第六 五九部隊留守名簿。 |
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| 1945年の逃走経路でしょうか? 1、731部隊に在籍していた事及び軍歴を隠すこと。 2、あらゆる公職につかないこと。 3、隊員同士連絡はしてはいけないこと。 これらが逃走隊員の約束だったようです。 |
細菌兵器の実験の項目。 細菌兵器・化学兵器開発において最も重要なことは解毒剤の開発で、それがなければ使用したほ うも滅びてしまいます。 |
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![]() サーベルや銃剣 |
![]() イスラエルの旗かと思ったら、部隊の旗のようですね。 |
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| 旧隊員の記憶に基づいて描か れた房の見取り図。 | 実験に使われた人間のカルテのようですが、最近になって中国 側が造ったものです。中国語でかかれていますし、使われている文字が毛沢東以降の簡体字です。 |
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左の写真が731部隊の本部の入 口です。 この建物は、1999年までは地元の中学校として使用されていました。 階段をあがった2階に写真や模型、遺物などの陳列室が並んでいました。 |
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| 細菌爆弾レプリカで陶器製。 ペスト蚤は陶器製の爆弾にいれて投下した | 防毒のガスマスク。731部隊で は毒ガスの実験も行われた。ソ連軍が侵攻し、敗戦が明らかになって証拠隠滅のために、監禁していた人々を殺すのにも毒ガスがつかわれたという。 |
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準備中
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4948310

| "white" ">黒 い太陽七三一/戦慄!石井細菌部隊』 |
| "white">「THE DEVIL 731」/1988年/香港/105分/監督:ムー・トンフェイ/制作会社:銀都機構有 限公司 |

1945年の満州。悪名高き「石井731部隊」は、細菌兵器の研究開発と人体実験を繰り返していた。
中国、満州の人は『丸太(マルタ)』と呼ばれ、石井隊長の指示のもと次々と実験材料にされる。中隊長達は少年兵達に「こいつらは只の丸太だ」と言い、人間を物扱い出来るように教育する。
毒ガスで死ぬ親子、腕を急速冷凍して氷状にして叩き割る、生きたままの少年を解剖する、大量のネズミの中で食い殺された猫、減圧室の圧力実験で内臓が飛び出た男、、、さまざまな実験がリアルに行われる。そしてその死体達は焼却場でさらに細かくされて焼かれる運命にある。
そして、8月15日の終戦。石井隊長は自分の行った悪行を隠滅する為に、実験棟、捕虜のマルタを全滅させるのであった。
実話をもとにした、シャレなど一切ない教育的ムービー。ビデオ発売後の95年に劇場公開されている。
京都府立医科大学学長 吉村久人氏の 731部隊の凍傷研究班長時代の悪行
人間性を一切問わない人間が医学生を指導している戦慄!
子供のマルタを氷点下の屋外で凍傷させて、どうなるかを調べる人体実験。少年たちの腕は切断された。とことん使った使用後のマルタは口封じのために全員殺害。彼らにとって、殺人などゴキブリを踏みつぶすような感覚と同じである。そんな連中が日本医学界を指導しているのだ。
今の医学界というものは人間性を一切問わない。むしろ経済至上主義社会で利益をあげる人間が出世するのだ。医猟産業にとっての利益とは、当然、獲物をよく悪化させるノウハウを教えられる狂授である。それこそが後に巨額の利益をもたらすのだ。



| 氏名 | 731部隊当時 | 戦後の職業 |
| 石井四郎 | 第一・三代部隊長 | 新宿区若松町で旅館経営 |
| 北野政次 | 第二代部隊長 | ミドリ十字共同設立者・取締役 日本学術会議南極特別委員 文部省百日咳研究会 |
| 吉村寿人 | 凍傷研究班 | 京都府立医科大学学長 日本学術会議南極特別委員 生気象学会会長 |
| 笠原四郎 | ウイルス研究班 | 北里研究所 |
| 田中英雄 | ペストノミ研究班 | 大阪市立大学医学部長 |
| 湊政雄 | コレラ研究班 | 京都大学教授 |
| 田部井和 | チフス研究班 | 京都大学細菌学教授 兵庫県立医科大学教授 |
| 所安夫 | 流行性出血熱研究班 | 東京大学教授 帝京大学教授 |
| 江島真平 | 赤痢研究班 | 国立予防衛生研究所 |
| 二木秀雄 | 結核研究班 | ミドリ十字共同設立者 |
| 岡本耕造 | 病理研究班 | 京都大学医学部長 近畿大学医学部長 |
| 石川太刀雄丸 | 病理研究班 | 金沢大学医学部長 金沢大学癌研究所所長 日本学術会議会員 |
| 草味政夫 | 薬理研究班 | 昭和薬科大学教授 |
| 八木沢行正 | 植物学研究班 | 国立予防衛生研究所 日本抗生物質学術協議会理事 |
| 朝比奈正二郎 | 発疹チフス・ワクチン製造班 | 国立予防衛生研究所 |
| 園口忠男 | 細菌戦研究班 | 陸上自衛隊衛生学校副校長 |
| 増田美保 | 細菌戦研究班 | 防衛大学校教授 |
| 安東洪次 | 大連支部長 | 東京大学伝染病研究所教授 実験動物中央研究所所長 |
| 春日忠善 | 大連支部長 | 北里研究所 文部省百日咳研究会 |
| 村田良介 | 南京一六四四部隊 | 国立予防衛生研究所所長(第七代) |
| 小川透 | 南京一六四四部隊 | 名古屋市立大学医学部教授 |
| 内藤良一 | 陸軍軍医学校防疫研究室 | ミドリ十字共同設立者・社長・会長 |
| 宮川米次 | 東京帝国大学伝染病研究所長 | 東芝生物物理化学研究所所長 |
| 緒方富雄 | 東京帝国大学伝染病研究所助教授 | 東京大学医学部教授 |
| 細谷省吾 | 東京帝国大学伝染病研究所教授 | 東京大学伝染病研究所教授 |
| 柳沢謙 | 結核研究 | 国立予防衛生研究所所長 |
| 小島三郎 | 東京帝国大学伝染病研究所教授 | 国立予防衛生研究所所長 |
| 小林六造 | 京都帝国大学教授 | 国立予防衛生研究所所長 |
| 戸田正三 | 京都帝国大学教授 | 南極特別委員 金沢大学学長 |
| 木村廉 | 京都帝国大学教授 | 日本医学会副会頭 名古屋市立大学学長 |
| 正路倫之助 | 京都帝国大学教授 | 第一期学術会議会員 |
| 総務部 | 副官室 調査課 翻訳班 印刷班 写真班 |
| 兵要地誌班 | 調査班 図書班 人事課 庶務課 労務班 庶務室 食堂 酒保 学校 企画課 経理課 管理課 建設班 工務班動力班 運輸班 電話班 軍需課 |
| 第一部 部長:菊池斉 細菌研究 |
第一課(チフス) 田 部班(班長:田部井和/チフス研究) |
| 第二課 コレラ |
湊班(班長:湊正男/コレラ研究) |
| 第三課 生理・マルタ管理 |
吉田班(健康診断) 宮 川班(レントゲン) 在田班(レントゲン) 栗秋班 (薬理) 草味班(班長:草味正夫/薬理研究) 石井班(捕虜入出管理) 蓬田班(捕虜入出管理) 特別班(特設監獄) |
| 第四課 赤痢 |
江島班(班長:江島真平/赤痢研究) |
| 第五課 ペスト |
高橋班(班長:高橋正彦/ペスト研究) |
| 第六課 (病理) |
石川班(班長:石川太刀雄丸/病理研究) 岡本班(班長:岡本耕造/病理研究) |
| 第八課 (リッケチア) |
野口班(班長:野口圭一/リケッチア・ノミ研究) |
| 第九課 (水棲昆虫) |
田中班(班長:田中英雄/昆虫研究) |
| 第十課 (血清) |
内海班(血清研究) 小 滝班(ツベルクリン) |
| 第十一課 (結核) |
肥之藤班(脾脱疽) 太 田班(班長:太田澄/炭疽研究) 樋渡班 降旗班 (ペスト) 金沢班 貴宝院班(天然痘) 二木班(班長:二木秀雄/結核研究) 笠原班(班長:笠 原四郎/ウイルス研究) 吉村班(班長:吉村寿人/凍傷研究) |
| 第二部 (実施研究) |
八木沢班(班長:八木沢行正/植物菌研究) 焼成班(爆弾製造) 田中班(昆虫) 篠田班(昆虫) 安達実験場 |
| 第三部 (防疫給水) |
庶務課 第一課(検 索) 第二課(毒物検知) 工作班(濾水機) 濾水機・弾筒製造窯 |
| 第四部 部長:川島清 軍医少将 細菌製造 |
第一課(華頂:柄沢十三夫 軍医少佐/培養生産) 野口班(ペスト・脾脱疽) 第二課 第三課(乾燥菌・ワクチン)第四課(ワクチン) 有 田班(班長:有田正義/発疹チフス・ワクチン) 植村班(瓦斯壊疽・脾脱疽) 朝比奈班(班 長:朝比奈正二郎/発疹チフスおよびワクチン製造) |
| 教育部 部長:西俊英 軍医中佐 隊員教育 |
庶務課 教育課 衛生兵 炊事班 診療所 錬成隊 少年隊 |
| 資材部 | 実験用資材 |
| 庶務課 | 第一課(薬品合成) 山口班(細菌 弾) 堀口班(ガラス) 第二課(購買補給) 第三課(濾水機) 第四課(倉庫) 第五課(兵器保管) 第六課(動物飼育) |
| 診療部 | (付属病院) 伝染病 棟 診療室 家族診療所 憲兵室 保機隊 |
| 牡丹江支部 満州第643部隊 支部長 尾上正男 軍医少佐 |
総務課 経理課 第一課 第二課 第三課 資材課 教育課 |
| 林口支部 満州第162部隊 |
総務課 第一課 第二課 資材課 教育課 |
| 孫呉支 部 満州第673部隊 支部長 西俊英 軍医中佐 |
総務課 第一課 第二課 資材課 教育課 |
| 海拉爾支部 満州第543部隊 |
総務課 第一課 第二課 資材課 教育課 |
| 大連支部 満州第319部隊 |
総務部 研究部 製造部 |


